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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2020年12月

2020年12月28日 (月)

仕事おさめ


 打ち合わせや取材は別として、原稿書きに関しては、曜日や昼夜すらたまに分からない時もあるほどテキトー、いや自分なりのペースで没入する(不または非)自由業なので、年末の「仕事おさめ」はあまり意識したことがありません。締め切りがあれば大晦日も気にせずやり通すだけであって、なければないでとっとと正月休みに突入してきました。

 業態の名称通りに自由といえば自由な業=なりわいですけど、しばしば「仕事がなくて飢えるのも自由・業」と揶揄されることもあります。冬休み明けに単行本の原稿締め切りがあって、テレビも見ずヒゲも剃らずに2週間ほど打ち込んだこともあったかな。ふと洗面所で鏡を見たら、薄汚れた仙人あるいはホームレスという風貌になり果てていました。

 そんなこんなで、てっきり世間の仕事おさめは例年のように本日かと思っていたのですが、先週金曜日が25日だったので、欧米系外資系企業のように、この日をもって休暇に突入という会社も多かったようですね。どおりで珍しく駅で騒ぐ酔っ払いオジサンが目立ったはずです。締めの忘年会帰りってことかな。

 ボクのところはとりあえず今日をもって仕事おさめとさせていただきます。それにしても、今年はいろいろとあり過ぎでしたよね。史上初の緊急事態宣言もそうですが、ボク自身も事務所の移転などがあり、変化の年でありました。政府や自治体の驚くべき無策ぶりや度外れて緩慢な対応に怒りが爆発しそうになりましたが、他方で国民はすごいなぁと感心させられます。第3波の到来で土曜は東京で1000人近い陽性者が出ているにもかかわらず、パニックになっていないではありませんか。逼迫とか崩壊の危機が叫ばれている医療は別問題なので念のため。こちらはやはり国と行政の責任が大きいと思いますけどね。

 もはや遠い話のようですが、第1波が到来した時には、マスクはもちろん、なぜだかトイレットペーパーやティッシュが欠乏。他人の後ろに並ぶのが死ぬほど嫌いなボクですら、朝早くからドラッグストアの列に立っていました。スーパーにしても、餅やスパゲティといった保存食が棚からどんどん消えていったので、さすがに焦りを感じたものです。

 そうした大きな騒ぎがね、今回はまったくありません。マスクなんかどこに行ってもほとんど投げ売り大会。スーパーもおせち関係の食材がズラリと揃っており、コロナ禍っていったいどこですかという風情です。総理などの政治家からしてグズグズのユルユルだもんな。警戒心や緊張感がまるきり緩んでしまい、いくら呼びかけようが繁華街の人出はあまり減らず、おかげで市中感染が急拡大していることも事実ですけどね。

 だから、この先のことは誰も想像できません。再びロックダウンに突入した欧米と同じように、緊急事態宣言がもう一度発令、いや発出だっけかな、菅首相がテレビでモソモソと言い出す可能性がないとは誰も言えないはずです。

 それでも、こうしたアッパレ至極な鈍感さというか、開き直りというかふてぶてしさというか、懲りないというか、どんなことでもいつの間にか日常として適応。慣れきっていく人間性を否定する気にはなれません。だってさ、またしても右往左往してマスクや保存食を奪い合うのはお互いにイヤじゃないですか。

 そんな悲惨な事態が再び到来することなく、皆様に明るく良き新年が訪れることを心から祈念しつつ、今年のブログはこれでお開きとさせていただきます。なお、来年は1月4日(月曜日)から再開する予定です。


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2020年12月25日 (金)

『男達のメロディー』

 

走り出したら
何か答が出るだろなんて
俺もあてにはしてないさ
してないさ

 イントロクイズなら聴いた瞬間に分かる、エレキギターの高音リフが特徴の『男達のメロディー』って、ご存じでしょうか。70年代のギリギリ、1979年4月にシングルで発売。テレビドラマ『俺たちは天使だ』の主題歌になったので、50万枚を超えるヒットになったそうです。とはいっても40年前も前なので、オリジナルを知る人は50代~60代以上になっているかな。

 ボクも実は最近まで知らなかった曲でした。でもね、毎回欠かさずといっていいほどライブのエンディングで演奏しているバンドがあるんだよな。以前にも『風は向かい風』で紹介したカンザスシティバンドです。彼らの若いファンにとっては懐メロなんかではなく、コンテンポラリーな人気曲になっているから音楽は素晴らしいですよね。

男だったら
流れ弾のひとつやふたつ
胸にいつでもささってる
ささってる

Pick up your head
throw away your blue's
どうせ一度の人生さ

The more you give 
babe the less you lose

運が悪けりゃ死ぬだけさ
死ぬだけさ

「頭を上げて、ブルーな気分を捨てちまえ」という英文が挟まれているように、夜の闇を突っ切るような疾走感が魅力であり、開き直った歌詞とメロディが憂鬱な気分も吹き飛ばしてしまいます。「運が悪けりゃ死ぬだけさ」のあたりともなれば、拳を宙に突き上げて「死ぬだけさ」と追いかけて盛り上がりは最高潮。何だかんだとクソうるさいことはすべて、「大人の事情」とも呼ばれる共同幻想じゃねぇかと喝破されているような爽快な気分になります。

 いったい誰がこんな元気な歌詞を作ったのかと調べてみて驚きました。喜多條忠。「小さな石鹸カタカタ鳴った」で伝説的な『神田川』の作詞家ではありませんか。団塊の世代御用達でミリオンセラーを記録。現在でも何かというとBGMなどで使われる、四畳半の純愛的な世界観を作り上げた歌ですが、それとは真反対、まさに極北に位置する曲想ですから意外というほかありません。

 ヘリコプター乗務の海兵隊員としてベトナムの過酷な戦場を経験したケーシー・ランキンが作曲したので、歌詞に英文が挟まれていると想像できます。彼はもともとバンドマンでしたが、日本が好きになって退役後はロックのグループに参加。やがてスタジオミュージシャンとSHOGUNを結成し、最初のヒット曲となったのが『男達のメロディー』だったのです。その後も日本の音楽業界で活躍したのですが、残念ながら2009年に食道ガンで亡くなっています。

 The more you give, babe the less you loseは、「与えれば与えるほど、ベイビィ、失うものも少なくなるんだぜ」という意味でしょうか。そんなことはなかなかできないだけに、苦しい時や辛い時に背中を押してくれる言葉となりそうです。ボクの信条は基本的にケチなので、この英文を聞くたびにドキッとするんだよな。

お前がこの街
離れてゆく気になったら
俺はわらって見送るぜ
見送るぜ

Pick up your head
throw away your blue's
どうせ一度の人生さ

The more you give 
babe the less you lose

運が悪けりゃ死ぬだけさ
死ぬだけさ 

 そうだよな、運が悪けりゃ死ぬだけじゃないか。何をどう考えて、誰に遠慮して小さく縮こまってんだよ。言いたいことを言って、やりたいことをやれなきゃ、せっかく生まれてきた意味がない。勉強界のエリートとして育ってきた官僚やお役人、ならびに大組織で働く皆さんに、この楽曲を慎んでお届けいたします。Do the right thing!!

 

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2020年12月24日 (木)

悪夢の行方

 

「ほかでもないんだけど、イヤな夢を見たんだよな」
 と電話してくる旧友がいます。というか、こちらから絶対に連絡なんかしないと固く自分に誓った事情があるので、もはや単なる知人に過ぎないですけどね。

「お前のことなので、心配になって電話したんだけど、元気か?」
「ああ、すごく元気だよ」
「ホントに大丈夫か。何もなかったか?」
「何もないよ。と、思うけどな。で、どんな悪い夢を見たんだよ」
「それはちょっとなぁ。とにかく気になってさ」
「だからさ、特に何もないんだよ」
「だったらいいんだけどな」

 最初の時は、ボクをいつも心に留めておいてくれるなんて、有難い友人だなぁと感心すらしていたのですが、それが数年に1回程度の頻度にしても、久々の電話がすべて「ちょっとイヤな夢を見ちゃってさ」では話が違ってきます。ボクに関していったいどんな悪夢を見たのか、逆にこちらが気になるじゃないですか。それを「ちょっとなぁ」とゴマ化されるのでは、ほとんど嫌がらせに近いですよね。

 誰かに関する悪夢を見たとしても、肉親なら別ですが、遠方からわざわざ電話して知らせますかねぇ。何かあった後に、「そういえばこんな夢を見たんだよね」と秘かに打ち明けるようなことじゃないですか。悪いことを口に出したら現実になってしまうと、ボクなんかは言霊的に考えて本人には決して伝えないですけどね。

 要するに、彼の自己確認あるいは自己満足に過ぎないわけです。もしも仮にホントに何かあったとして、これからあり得るとしても、ボクには対処しようがありません。「交通事故の夢を見たから気を付けろ」といった具体的な警告なら分かりますが。

 つまり、実にまったく自己本位で他人迷惑な時間の無駄といってもいい電話なのです。どうしてそんな無神経な電話ができるのだろうと考えて、はたと思い当たりました。彼は教員だったんですよね。仕事のせいにしてはいけないでしょうが、そうした上から目線の横柄な傾向があることはボクの体験的な事実なのです。

 

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2020年12月23日 (水)

人たらし

 

 女性を騙して弄ぶ男を「女たらし」と呼びます。というか、短い文章のくせに難しい漢字が2つも出てくるので、もはや死語になったのかもしれません。

 この「たらし」の部分を性別抜きで応用した「人たらし」という言葉もあるのですが、こちらも最近はあまり聞きません。「女たらし」は女性に迷惑や被害を与えることから、軽蔑を込めた悪い意味があるのですが、「人たらし」のほうは良い意味で使われてきたようです。たとえば、長崎の佐世保にあるハウステンボスを創業した神近義邦氏も「稀代の人たらし」と言われたことがあります。定時制高校卒の学歴しかない町役場の職員が、毀誉褒貶はあるにしても、あれほどの大事業を成し遂げたのですから、情熱や意欲だけでなく、財界人や政治家を巻き込む特別な才能があったとしか思えません。そのいわく言いがたい要素をメディアは「人たらし」と表現したのです。

 近年では、竹中平蔵氏もそのように呼ばれたことがあります。小泉政権で重用され、新自由主義を標榜しましたが、富裕層や一部の大企業に利益誘導したとして批判する人は少なくありません。とりわけ、雇用の調整弁となる大量の非正規労働者を生み出した張本人と名指しされることもあります。いずれにせよ、そうした社会改革にも「人たらし」の才能は不可欠ということになります。

 子供の頃から人気者で、級友や先生たちを意のままにして君臨する奴っているじゃないですか。性格なのか行動原理なのか、その理由はよく分かりませんが、成長にするに従って、そうした能力は消えていくのが普通です。社会はそんな個人の人気・不人気よりも別の理屈や理論で動いていますからね。ところが、ごく稀にカネや権力を握ったオッサンたちの懐に入り込む「人たらし」が生き残るケースもあるわけです。それによって大事業が動き出すこともあるでしょうが、ほとんどの場合はラスプーチンのように権力者を陰で支配する「院政」をもたらし、とんでもない被害を与えることになります。 三越の「女帝」もそんな存在だったのかな。

 本人の精神性がダークサイドに墜ちれば、どんな才能でも詐欺師のような犯罪につながりますが、「人たらし」は他人の心を自在にコントロールするようになるので、大変に厄介です。いったん洗脳されると、そこから覚醒するのは困難ですからね。

 ただ、現代のように技術革新が進展して、何でもコンピュータやAIがやるようになると、そうした属人的な個性というか性格というか、要するに人間性が再び注目されると思うんですよね。さもなければ、人間が仕事をする意味がなくなってしまうではありませんか。ごく簡単に言ってしまえば、人気者が社会的な権力まで持つようになるんじゃないかな。もはやジャニーズを思春期ビジネスなんて呼ぶ人はいませんよね。嵐、なんてボクには村の青年団としか思えないのですが、彼らを通して財界や政界に影響を及ぼすことも不可能ではないってことです。

 ヘタすれば怖い独裁者を生み出す可能性もあるので、ボクたちも人間の本質を見抜くスキルを持たなきゃいけない。知識やテクノロジーだけでなく、そうした人間学も子供の頃から教えておくべきではないかと愚考するわけですな。

 

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2020年12月22日 (火)

大人の事情

 

 ボクの精神がまだ子供のせいなのか、「大人の事情」という言葉が好きではありません。にもかかわらず、掌をひっくり返して唇のあたりを隠しながら、「これは大人の事情でね」なんていう言い訳めいたコメントを聞いたことが数回ほどあります。

 「大人の情事」というのであれば、オードリー・ヘプバーンの映画『昼下がりの情事』(1957年公開)みたいなエロチックなことになり、ボクだって必ずしも無関係とは言えませんが、「大人の事情」となると、さっぱりワケが分かりません。「はぁ、そうですか。それは仕方ないですね」とか何とか、こちらもヒソヒソ声でテキトーに相槌を打っても、それがいったいどんな事情なのか、どちらの方面から降ってきたご沙汰なのかも明らかにされません。

 とはいえ、こちらもまぁ年齢的には盛りをとっくに過ぎた大人なので、おそらく経済的な理由だろうなという見当はつきます。大手の取引先への配慮とかね。お役所なんかでは権力方面への忖度だったりするんでしょうね。だから敢えて逆らうつもりはありません。正義や正論だけで世の中は動いていないことくらい知ってますってば。

 でもなぁ、やっぱりボクはこの言葉はいやらしく感じて嫌いです。「これは大人の事情ですから」と衆人の前で堂々と大声で言ったらコメディになってしまうように、コソコソと小声で話すことにロクなことはないんじゃないかな。

 その年齢になってお前はバカかと言われそうだけど、こういう感覚を殺したくはないんだよな。おかげさまで『風は向かい風』(作詞作曲・下田卓)が近頃のボクのテーマソングになりつつあるようです。

 

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2020年12月21日 (月)

平等・公正・正義

 

 日本経済新聞はたまにヘンな記事を大々的に組むことがあるんだよな。以前に「新卒採用いよいよ通年化」という記事が一面トップを飾ったことがあり、こりゃ大変だと追いかけたことがあるのですが、ネタモトに取材してみると「あの記事には困っているんですよ」というではありませんか。一括採用を見直す動きは確かにあっても、だからといって「通年採用になるなんて一言も言っていないので記事には注意してください」と、こちらがクギを刺されたくらいです。 

 それからあちこちに取材して某誌で特集にまとめたのですが、あの記事が勇み足というべきか、かなり前のめりに仕立てられていたことが分かりました。ボクも一括採用反対論者なので、記者の気持ちはすごく分かります。春先の風物詩のような同時期一斉の就職活動は日本独特の慣習なのですが、学習機会を長く奪うことになります。就活も勉強の一種と考えられなくもないのですが、通年のほうがよほど自由に活動できるはずですからね。現実的に外資系やITベンチャーなどの採用は通年化しており、就活のスタートラインがグズグズになってきたことは間違いありません。だからこそ縛りを強化して欲しいなんていう企業サイドの意見もあったように、日本的な人事制度が変わらない限りは、通年よりも一括のほうが合理的という側面も否定できないのです。ちなみに、この頃から「ジョブ型採用」という言葉が飛び交うようになり、某大企業がIT系の新卒に破格の年収を提示して大きな話題を呼びました。 

 そんなことを思い出させてくれたのは、今朝の同紙一面に大きく掲載されていた「『富める者』襲う恐怖」という記事です。「パクスなき世界、大断層1」がサブタイトルで、リードにいわく「古代ローマで『パクス』と呼ばれた平和と秩序の女神が消えた」とあります。知識をひけらかすのは生半可なインテリの習性だから仕方ないにしても、何が言いたいのかよく分かりません。ボクはこういう衒学的な物言いは死ぬほど大嫌いなので、普通は一顧だにしませんが、ブログのネタもないので、取りあえず目を通してみたわけです。

 すると、要するに早い話が、富める者と貧しい者の格差が甚だしく拡大しており、「このままでは自分たちはしっぺ返しに遭う」と大金持ちが恐怖しているというのです。そりゃまぁ、そうでしょう。富豪の資産を狙う誘拐や強盗などの犯罪は昔から絶えたことがなく、それ以前には「パンがないならお菓子を食べればいいのに」と嘯いた貴族の令嬢を断頭台に送り込んだフランス革命もありましたからね。

 けれども、経済や社会の大混乱も含めて、こうした「しっぺ返し」に遭うのは、果たして経済格差だけが原因でしょうか。飢えて死にそうになれば、みんなで米問屋を襲うのは当然ですけど、今の社会に最も求められているのは「平等・公正・正義」ではないかな。もちろん結果に関してではなく、スタートラインと競争のプロセスにおける「平等・公正・正義」です。

 少なくとも学校の試験だけは平等で公正じゃないかと考えている人は、大馬鹿野郎だとボクは断じます。塾の学費も出せない貧困家庭に育てば、家計がそのまま人生のハンディキャップとなり、子供にも連鎖していきます。いくら奨学金制度があるといっても、ボクもそうでしたが、カネのことで夫婦喧嘩が絶えない家庭の子供が勉強に打ち込めるはずがない。家にいるより外で遊んでいたほうが楽なので、やがてグレて非行や犯罪に走る気持ちは良く分かります。その一方で、幼稚園から大学まで受験勉強の苦労がないエスカレータに乗り、就職だって大企業にコネ採用という連中が世代を重ねているじゃないですか。

 アメリカなんかもっと極端で、私立大学の年間学費が200万とか300万円ですから、そもそも貧乏人は大学に来るなと言っているに等しい。奨学金が日本より充実しているとはいっても、スラム街で育つ子供に学習モチベーションを維持しろというのは酷だと思いませんか。しかも、その奨学金の規模は年々縮小していると聞いたこともあります。

 いたずらに「しっぺ返し」を恐れるのでなく、「平等・公正・正義」をどう社会で実現すべきかを考えるのが新聞の使命じゃないのかなぁ。それによって挽回のチャンスを与えられた貧困層は、カネ持ちを襲ったり、社会をひっくり返そうなんて面倒くさいことは考えなくなりますよ。そうした社会の安定が、コロナ禍あるいはウィズ・コロナ、アフター・コロナの時代に何よりも必要ということがどうして分からないのかなぁ。

 

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2020年12月18日 (金)

3歩進んで2歩下がる

 

 せっかくオンラインミーティングが爆発的に普及したかと思ったら、再びリアルな対面交流に戻りつつあるようです。そりゃね、デジタルの2次元より実物を眼前にした3次元のリアルのほうが何かと便利かつ有利であることは間違いありません。人間は言葉だけでコミュニケーションしているわけではなく、ノンバーバルと呼ばれる言語以外の表現が重要な役割を担っています。「はい」という一言でも、不承不承ということもあります。逆に「喜んで」という積極的な賛同が込められている場合もあるので、そんな微妙な感情の揺らぎをオンラインの画面で読み取るのは困難です。匂い、というのは大げさにしても、雰囲気や空気感まで伝達するのは今の技術レベルでは無理なんですよね。

 このため、以前からSkypeというオンラインのアプリがあったのですが、なかなか普及しませんでした。ボクもアメリカ滞在中の日本人医師を取材する時に初めて使用してそれっきり。物理的な空間を簡単に飛び越えられるので大変に便利だとは思いましたが、海外ならともかく、日本国内で使用する気にはなれなかったのです。

 ところが、春先の新型コロナ蔓延によって、図らずもZOOMなどによるオンラインミーティングが急増してきました。本格的に使ってみると、前述したデメリットよりメリットのほうが大きいではありませんか。何よりも時間を費やして身体を移動する必要がありません。往復するための時間はバカになりませんからね。おかげで1日に多数のアポも入れられるため、業務効率も圧倒的に高くなります。就活などでもたちまち普及し、リアルな面接なしで内定まで進んだケースも珍しくないそうです。新卒予定の学生は多数の会社の面接を受けられ、採用担当者にとっても負担が少ないですよね。

 もちろん便利なことだけでなく、2次元の画面だけで相手の本質を見破るという眼力、あるいは会話力が必要になりますが、いずれにしても、こうしたオンラインミーティングによって、逆にリアルな対面の意味が問われるようになるとボクは感じていました。オンラインでも交流できるのに、わざわざ対面することにどんな価値があるのか。電話と同じように、対面は相手の時間の一部を奪うのですから、それなりの必要性がなければ失礼ですよね。

 そんなことを考えているうちに、新型コロナは何となく沈静化。それに伴ってオンラインも減少して、対面が再び増加してきたのです。水前寺清子が歌った『365步のマーチ』の中に「3歩進んで2歩下がる」というフレーズがありますが、まさにそんな感じかな。もとよりボクは対面のほうが好きですけど、せっかくオンラインがあそこまで普及したのですから、人と人が会って面談することの意味や意義をもうちょっと深めた上で、礼儀やマナーみたいなところに落とし込めたら良かったのになぁと思います。

 第3波が到来して予想以上の感染者が出ていますが、どうもオンラインに戻る気配をボクは感じないのですが、いかがでしょうか。オンラインをより普及させるためには、言語による表現能力をもっと磨くことが必要なのかもしれませんけどね。

 

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2020年12月17日 (木)

ストレス

 

 ストレスくらい便利でクソいい加減な言葉はないんじゃないかな。何かというとストレスが溜まり、それを発散させないとダメだという。女の子にイタズラしたり盗撮や痴漢や暴行の理由もストレスが原因だと言い張る奴が多いんだよな。そんなのは性欲とか劣情とか獣欲や淫欲というふさわしい言葉があるじゃないですか。性欲が溜まったので、つい女性のお尻を触ってしまいましたというほうが分かりやすく、態度としてもずっと潔い。どんな言い訳をしたところでイケないことはイケないのですが、ストレスを理由にするよりよほどマシだと思うんだけどな。

 そんなにストレスが溜まったのなら、それを見せてみろよ。この言葉を造ったのは、確かハンス・セリエという生理学者で、「ストレス学説」なんてのがあったと思うけど、いつの間にか俗世間の手垢にまみれまくって、いかがわしくて怪しくみすぼらしいほどに堕してしまったんですよね。

 そもそもボクは心理学というのをあまり信じていないんだよな。それってホントに科学なのですかと訊いてみたい時があります。精神分析にしても、○×でチェックしたり、点数にして何点以上はどうのこうのなんて、とてもじゃないけど信じがたい。人間の精神がそんなことで把握できるのかなあ。実際問題として役に立つのは、認知症やアルツハイマーのチェックくらいではないでしょうか。健康な若い人を精神分析しても、人によっていろいろあって様々だよねという結論が精一杯。後付け解釈の典型といっても大げさではないように思います。ましてや催眠術なんてホントにかかるのでしょうか。行動経済学のほうがよほど理論的で面白いと思うよ。

 とにかく、やたらめったらにストレスを口にする人をボクは信用しません。「いっぱいいっぱい」という表現も気持ち悪くて不快です。もっと言葉に誠実になろうよ。それが誠実な仕事をする始まりじゃないかな。

 

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2020年12月16日 (水)

戦力の逐次投入

 

 不謹慎極まりない想像に過ぎないのですが、もしも仮に、核兵器抜きで戦争をやったら、現時点では中国が最強ではないでしょうか。アメリカはもちろんロシアだって撃破するだろうなぁ。朝鮮戦争を支援した時には「弾丸より中国兵のほうが多い」と韓国軍は嘆いたと伝えられますが、そうした人海戦術は別にして、人類最大の脅威となった新型コロナウイルスを、ワクチンなしでほとんど完全に封じ込めたからです。もちろん中国の発表に嘘や隠蔽または誇張がないとすれば、という条件が付きますけどね。

 このウイルスにしばしば使われる動詞は「戦う」ですから、まさに戦争といえるのですが、東京レベルの大都市の封鎖を早々と、しかも徹底的に実施した中国に対して、わが日本は太平洋戦争時のガダルカナル島奪還作戦と同じように「戦力の逐次投入」を繰り返してきました。東京都ではまたしても飲食店に対して営業時間短縮の延長を要請。それに応じた事業者に、今度は100万円の協力金を支給するそうです。大都市はみんな似たようなことをやっているほか、国だってGoToトラベルをけしかけておいて、いきなり停止。予約がキャンセルされた事業者に対する補償を、旅行代金の35%から50%に引き上げると発表しました。ブレーキとアクセルを一緒に踏むような政策も愚の骨頂ですが、協力金や補償金を小出しに追加するのは、まさに「戦力の逐次投入」ではありませんか。第1波あるいは第2波の前段階で、中国のように徹底的に封じ込めるという発想はできなかったのかなぁ。

 前述したガダルカナルでは、3回にわたって攻撃を決行。最初は900人、次は6200人、最後は1万2000人の兵員を投入したのですが、結局は惨敗に終わっています(古谷経衡「新型コロナとの戦い~日本政府はガダルカナルの失敗を繰り返すのか~」yahooニュース4月7日)。最初から2万人を投入すれば成功したかもしれないのに、兵員をケチったおかげで3度も敗北を重ねてしまった。このため「戦力の逐次投入」は最悪の愚策というのが軍事常識になっています。相手を甘くみて、これくらいの兵と武器なら勝てるだろうという根拠のない思い上がりで戦力を「逐次浪費」することも変わっていないんだよな。

 こんな話はボクのオリジナルでなく、ネットをちょっと探せばいくらでも同じ話題が出てきます。さらに今年4月13日の衆院決算行政監視委員会でも、江田憲司氏が「戦力の逐次投入は一番の失敗の原因だ」と後手後手に回る政府の対策を批判しています。彼は「危機管理の基本は最初に厳しく対策を打ち出し、改善されたら緩めていくのが基本」と続けましたが、これを敢然と実行したのが中国であり、日本は真逆といっていい。

 あの国とは社会体制が違うというけれども、ウイルスとの戦いでそんなことが理由になるのかなぁ。第2波、第3波の到来がきっちり予測されていたにもかかわらず、専門病棟や医療人材などもロクに準備してこなかった。でもって感染者が激増したら大慌てですから、国の体制とは関係なく、要するに無能としか思えません。申し訳ないけど、そんなことで国家や大都市の指導者と言えるのかよ。もっと歴史に学べとは言わないまでも、他人の指摘にちゃんと耳を傾けたほうがいい。戦力は少しずつ投入するのでなく、一気呵成にやらなきゃ思うような効果を挙げられないんですってば。

 おっと、ガダルカナルの失敗は、それだけではありません。前述した「逐次浪費」によって、すでに戦力そのものが乏しくなっていたことも大きな敗因とされています。国庫や東京都の金庫のカネもそろそろ尽き始めているのですから、これまた歴史は繰り返されそうです。本日から「歴史は愚将によって繰り返される」と書き直すべきじゃないかな。

 

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2020年12月15日 (火)

明けない夜はない

 

 人間というのは、良かれ悪しかれ慣れてしまう生き物なんだよなと痛感します。適応、と表現したほうが前向きかな。

 新型コロナの1日あたりの新規感染者数を振り返ってみると、第1波では全国で720人がピークでした(4月11日)。それが第2波では1605人(8月7日)。第3波でどれだけ増加するか見当もつきませんが、現時点でも3038人(12月12日)ですからね。わぁ怖い病気がやってきたぞと誰もが心底から震撼していた頃より、夏は2倍に、そして今では4倍以上の新規感染者が出ています。にもかかわらず、第1波の頃の緊張感はまるでないですもんね。

 幸いに治療法が格段に進歩したせいか、死者数は抑えられていますが、政治と行政は2度にも及ぶ経験を役立てることができないばかりか、ウイルスを日本中にばらまいてしまいました。岩手県が全国唯一の感染者ゼロ県だったのはいつだったかと懐かしむくらいの蔓延ぶりではありませんか。

 観光産業だけが不況というわけではないのに、どうしてこんなにも政府がGoToに肩入れするか知りませんが、貧困層はギリギリのところまで追いつめられています。特に女性は対面の仕事が多い関係で、雇い止めや解雇が増加しているらしい。それでも街に出てみれば、いつものように賑やかなんだよな。

 ボクにはイガイガの付いた団子みたいなウイルスがふわふわふわふわとあちこちを浮遊しているのが見えるのですが、あなたはどうですか。とはいっても、光学顕微鏡では見えない極小のウイルスが実際に見えるわけはありません。でもね、イマジネーションに支えられた心眼というのがあるんですってば。富岳というスーパーコンピュータの解析映像だって公開されたじゃないですか。

 けれども、みんな見て見ぬフリをしているんだよな。おかげでいつもの日常が流れていく中で、病棟では息をするのも苦しい患者がどんどん増加。その外側にはベッドがズラリと並び、感染者が次々に運ばれてくる。

 テレビをちょっと見れば、それくらいのことは想像できるはずだけど、あまりにも敏感になると、過度な偏見や差別につながるから人間は難しい。宅配便を運ぶ人に消毒スプレーを吹きかけるなんて常軌を逸しています。この人には人間そのものがイガイガ付きのウイルスに見えるのかな。こうなるとウイルスと人間、どっちが本当に怖いのか分からなくなってしまいます。

 いずれにしても「明けない夜はない」といわれます。「やまない雨はない」と言う人もいます。こぼした水がもとに戻ることはないですけどね。こちらは想像力というより自然の摂理ですが、普通の人はそんな日が来るのを待つほかありません。そのためにはワクチンも必要だけど、やはり日常的な注意を欠かさないってことじゃないかな。さすがの政府もGoToを一時停止すると決めましたが、旅行や飲食までお上に指図されたくはないよな。あくまでも自由かつ主体的に、ウイルスに対抗しようではありませんか。

 

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2020年12月14日 (月)

百円ショップ

 

 今さら遅すぎると笑われるかもしれませんが、近頃の百円ショップはすごいですよね。日用品や事務用品はもちろんですが、食料品や菓子類、それにカップ麺などの品揃えがあんなに充実しているとは知りませんでした。百円ショップだけで1か月は生きていけるんじゃないかな。各種の缶詰も棚にズラリと並んでいますからね。さすがに量は少ないにしても、醤油などの基本調味料もちゃんとあります。

 生鮮食品の関係でついつい駅前のイオンばかり利用していたので気づかなかったのですが、先週の日曜日はヒマだったので、近所にある2軒の百円ショップを覗いてみたわけです。とてもじゃないけど百円とは思えない食品もあって、いつもはヒラヒラと飛んでいく1000円札が、これほどの価値があるとは知りませんでした。どこから仕入れているか分かりませんが、もうちょっと売場を拡充されたら、やはり駅前にあるドンキも真っ青になるんじゃないかな。

 でね、セーターやジーパンといった日常的なファッションをユニクロやしまむらで買うとしたら、消費支出を相当に抑制できるじゃないですか。新型コロナの感染防止でリモートワークが一般化してきたおかげで、スーツやワイシャツなどビジネスウェアの需要もどんどん低下しているらしい。ボク自身もクリーニング屋に出すシャツなどが激減しました。取材もオンラインが増えてきたので、洗濯機で洗える服を着回すようになったからです。そんなわけで、紳士服の量販店が全国の店舗を整理。約160店舗を閉鎖すると発表したチェーンもあります。

 新型コロナによる一時的な現象と考える人もいるでしょうが、おっとどっこいで、簡単に昔に戻るとは思えないんだよな。第一に、民間の給料はここ20年くらい据え置きに近かったじゃないですか、にもかかわらずスマホなどの通信経費が大きいので、若い人たちの可処分所得はアタマ打ちにならざるを得ない。デザイナーズブランドの高価なセーターなんか買う余裕はないというのが大半でしょう。新型コロナの第3波が深刻化するに伴って、解雇も急増しそうな気配を見せているので、GoToナンタラで浮かれている場合じゃないと思うんだけどな。

 いずれにしても、商品のコモディティ化が急速に進展しています。これは説明が難しいのですが、たとえばエアコンはどんなメーカーにせよエアコンであって、値段以外に差をつけにくくなってきたといえるかな。だったら、特別な機能がない限り、安いほうがいいに決まっています。実物を見ないでスペックだけ確認し、いきなりネット通販で注文ということも珍しくないわけです。

 見方を変えれば、消費者が賢くなってきたともいえますよね。古着や中古品に抵抗がないせいか、メルカリも大繁盛。成熟消費あるいは合理的消費というのかな。仮にワクチンが普及しても、そうした消費傾向は、バブル景気が再来しない限り変わらないというのがボクの見立てです。そうなると、一般的な商品は百円ショップやユニクロ、あるいはニトリに勝てるモノでなきゃいけない。はて、そんなモノはどこにあるのかと。そういうモノは、過去のマーケティングデータからは生まれないはずです。ウォークマンだって当初は売れないと断言する人が圧倒的だったんですから。

 日本人は機能や品質にこだわるといわれますが、だったらどうして掃除機やヒーターがダイソンに負けたのでしょうか。これまで日本は「工業立国」「ものづくり大国」を標榜してきましたが、下請的な応用が得意なだけだったんじゃないかな。そんなのはもはや中国や韓国のほうが大得意といっていい。こちらも今さらな指摘で恐縮ですが、日本はそろそろ本気で方向転換すべき時代なのに、それを正しく理解しているリーダーが稀有なんだよな。

 

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2020年12月11日 (金)

木を見て森を見ず

 

 新型コロナ感染者の急増で医療が逼迫。崩壊寸前の危機的状況にあるとテレビは盛んに報道していますが、何だかヘンだと思いませんか。

 アメリカやヨーロッパの感染者数ならびに死者数は日本なんか比較にならないほど大規模にもかかわらず、現地から医療崩壊なんて話は聞こえてこないからです。さすがに第1波の時は病院の廊下にまで感染者があふれて大混乱という状況が何度も放送されましたが、近頃はそんな映像をとんと見ることがありません。国内が大変なことになってきたから日本のテレビ局も手が回らないとか、医療事情がかなり異なるとしても、数千人程度の感染者で日本の病院がたちまちパンクというのはどうにも理解できないのです。

 その理由が、昨日発売された週刊新潮の特集でようやく分かりました。東京大学大学院法学政治学研究科の米村滋人教授によれば「日本は民間病院が全病院の81%を占め、病床数で見ても全体の70%に上る」そうです。ところが、この民間病院に対する都道府県の監督権限は医療法で「要請」にのみ限定されており、国公立の公的医療機関のような強制力のある指示や命令ができないらしい。だからこそ「一部の医療機関のみが大幅な設備変更や医療スタッフの再教育を行って新型コロナ患者を引き受け」ており、そこで働く医師や看護師などに過大な負担が集中しているというのです。

 自前で設備を増強して対応する志の高い民間病院もありますが、感染者を受け入れて経営難に陥るケースも広く知られてきたので、医療人としての使命感や善意に期待するのは酷というものです。であるなら、民間病院にこそ税金を投入するべきでしょう。GoToナンタラの継続に予算を回すくらいなら、それを民間病院に給付して設備を充実させるとか、看護師に特別報酬を与えて専門病棟の応援に派遣するなど、いくらでも方法は考えられます。新型コロナはもはや未知の感染症ではなく、ある程度は正体も対応策も分かってきたので、全国の民間病院と情報共有を促進して、点ではなく網として、感染者を地域全体でケアする体制を作るべきではありませんか。

 ところが、テレビでは新型コロナ病棟の現場という「木」ばかりを熱心に取材して、こうした「森」のことはロクに報道せず、コメンテーターも知ってか知らずか何も言わない。PCRの普及も結構だけど、こういうことをちゃんと取材してくださいよ、玉川さん。それをいいことに、政府はくだらない景気浮揚策になおも多額の予算を投じようとしているからです。

 感染の抑止と治療が最有効な経済対策にほかならないのですから、公的・民間を問わず国内の全病院がそれに取り組むべきです。それを動かすのが政府や自治体の役割なのに、皆さん逃げ回っているばかりじゃないですか。このままでは、新型コロナに限らず、医療崩壊の危機がこれから何度も国民を脅かすと思いますよ。

 

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2020年12月10日 (木)

エコバッグ

 

 スーパーのビニール袋が3円とか4円でもちっとも構わないんですよね。むしろ今まで無料だったほうがおかしい。それが海洋汚染の元凶であることが分かり、環境保護の目的で有料になったのですが、だったら煙草みたいに1袋100円や200円という法外な値段にしたほうが抑止効果があると思うんだけどなぁ。ボクはとっくにやめましたが、昔はハイライトなんて220円でした。それがいつの間にか増税されて、2倍の450円。ヨーロッパでマルボロを買った時は、日本円換算で1000円近かったのでびっくりしましたけどね。これくらいになると、もはや煙草は高級品となり、禁煙効果とは別の価値が生まれるような気がします。

 アメリカの禁酒法時代にはスピークイージーと呼ばれる秘密酒場が大繁盛し、そこでジャズも発展、、、、あらららら、またしても話題が別のところに飛びそうになったので元に戻すと、ボクもトレンドのエコバッグを愛用していたのであります。ところが、出かける時に手荷物はできるだけ持たないというのがボクのポリシーでありまして、どんなデザインのいかなるブランドであろうが、煩わしくなってきたんですよね。

 だから、1回の買い物で3~4円程度の負担増でも、ビニール袋のほうが圧倒的に便利なのです。しかしながら、環境保護に無頓着な奴だと思われるのも悔しい。おそらく間違いなく気のせいだと思うのですが、そこらのオバサンたちから後ろ指をさされたり、白い目で見られるのはイヤじゃないですか。レジの人にひと手間かけさせることにもなるしね。

 でもなぁ、いちいちエコバッグを持って出かけるのは面倒。かといって自宅に戻ってから再びエコバッグ持参でスーパーに行くのも超面倒くさい。どうしたらいいのかなとしばらく悩んだ結果、画期的な解決策を見つけたのであります。それを知りたい? ホントに知りたい? どうしてもどうしても知りたい? って、前にもこんなくどいことを書いたな。では、珠玉の知恵の拡散を惜しむことなく、慎んで皆さんに教示いたしましょう。

 スーパーなんかのビニール袋を、きちんと折り畳んでジャケットの内ポケットなど、あるいはカバンの中に入れればいいだけのことであります。もともとは薄っぺらいビニールですから、たとえばディーン&デルーカのエコバッグとはボリュームも重量も比較になりません。そのくせ収納容量だけは大きい。灯台もと暗しというのかなぁ、要するに最初に貰ったビニール袋を使い回せばいいってことなんですよね。これなら環境負担は相当に軽減できるじゃないですか。

 そんなわけで、出かける時はイオンやファミマのビニール袋を忘れずに持ち歩くようになりました。ボクはジーパンの尻ポケットに入れているので、そのまま銀座に行っても恥ずかしくはありません。誰もボクのことなんか見ていないですけどね。オシャレなスーツの内ポケットでも、きちんと折り畳めばバレることはないはずです。スマホなんかよりずっと薄くなりますから。

 そんなわけで、手に持てあますようなエコバックなんかより、ビニール袋をボクは強く推奨するのであります。そんなの自慢するようなことじゃないと言われれば、てへっ、ですけどね。

 

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2020年12月 9日 (水)

我慢するにもホドがある

 

 広告代理店が企業の宣伝部だけでなく、人事部からも大きな予算を引き出せるようになったのが1980年代です。バブル景気が拡大を続ける一方で、深刻な人手不足が進行。大学新卒者を取り合う状況になっていたため、求人予算が膨れあがっていったのです。真偽は知りませんが、大企業では新卒1人あたりで平均2~300万円もかけていると聞いたことがあります。

 それを追い風として、既存の代理店やマスメディアを出し抜いて急成長したのがリクルートだったんですよね。今でいえばGAFAみたいなもので、新聞や雑誌の将来性に見切りを付けて、同社に志望変更した学生は少なくありませんでした。おかげで虎の門の細長いビルに入居していた学生ベンチャーはどんどん事業を拡大。やがては新橋に近い銀座に大きな自社ビルを構えるほどになりました。

 ところが、求人市場自体はバブル崩壊を経て一気に暗転。90年代からご存じ「氷河期」と呼ばれる就職難に突入したのです。2000年前後から学生の就職意識を高めるキャリア教育が普及していきましたが、08年秋にはリーマンショック、そして11年春に東日本大震災が発生。求人市場はどん底といっていいほど冷え込み、誰もが名前を知る大学ですら新卒者の就職率が6~7割だったんですよね。10人が大学を卒業したら、そのうち6人くらいしか正社員になれず、残り4人は派遣やフリーターなど非正規雇用に甘んじるほかなかったのです。

 それでも人間の身体と同じで傷は必ず癒えるものでありまして、求人市場は経済の復活と歩調をあわせてどんどん改善。3~4年前からは「売り手市場」に転じたといわれます。はぁ、ようやく現代に近づいてきましたが、早い話が新型コロナで就職市場はどうなるかってことです。

 少子化で若年人口というパイそのものが縮小しているので、かつてほどの就職難にはならないという希望的楽観論がある一方で、いやいやすでに内定取り消しが出ているじゃないかという悲観論もあります。いずれにしても、企業の人材選抜がより厳しくなることだけは間違いないとボクは見ています。

 しかしながら、新卒予定の学生個人にとっては、こんなことはあまり関係ないんですよね。天気と同じで、雨が降りそうだからといって誰もそれを止められないじゃないですか。傘をさすことは可能でも、土砂降りなら濡れるのは避けられません。景気や就職市場もそれとまったく同じですから、自分自身が何を望み、どうありたいかをきちんと認識して行動するほかないんですよね。ネットなどの情報を鵜呑みにして結局は失敗したら、それこそ悔いが残るではありませんか。かつてはリクルート、ちょっと前ならITベンチャー、そして今ではGAFAですけど、企業の寿命はどんどん短縮化しているので、今の強者がいつまで続くか誰も予想できません。そんな外的状況に振り回されるくらいなら、最初から自分のやりたいことを目指したほうがいい。

 とはいっても、そのやりたいことが分からないというのが若い人の本音ですよね。ボクなんかシニアになった今でも分からないくらいですから。ただし、やりたくないことはあるはずです。ちなみにボクは、スーツを着るのがイヤでした。母親はオヤジのような菜っ葉服のエンジニアを望んでいたようですが、ボクは残念ながら文系なのでハナから無理ってものです。そこで自由業の極致である小説家か詩人を目指したのですが、そんな才能があるわけがない。ただし、その過程でマスメディアの世界を覗くことができ、そこでは服装が比較的自由であることを発見したのです。

 ま、そういうわけで、ボクが若い人に言えるのは、イヤなことを我慢してまでやることはないってことかな。自分がイヤなことは他人もイヤなはずなのに、どういうわけかそういうイヤなことをやるのがあたりまえというのが、これまでの日本社会でした。そのために官僚が国会で大嘘をつき、資料を改竄させられた役人が自殺しています。我慢するにもホドがあるってものじゃないですか。あ、我慢するのと頑張るのは意味がまるで違うので念のため。

 だからね、ホントに信じられるのは自分しかありません。そんな自分の思いにできるだけ忠実に生きていく。大きな状況の変化に対抗するには、それしかないだろうとワタクシは信じるのであります。

 

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2020年12月 8日 (火)

ボクたちにできること

 

 新型コロナ感染者急増による医療崩壊を今さらになって大騒ぎして報道するテレビもどうかと思うけど、そんな番組に出演して異口同音に「大変だ」「困った」としか言えないコメンテーターには呆れ果てます。政府や自治体の無策に憤慨するのも結構ですけど、仮にも識者として扱われているのなら、もっと建設的で具体的な提案をしろよ。

 ボクがこれまで聞いた中で最も納得したのは、弁護士で大阪府知事も経験した橋下徹氏の意見です。いわく、政治の役割はカネとヒトの分配しかないんだから、こんな時こそ強権で必要な医療人材を適切に配置し、併せて十分な報酬を提供すべきではないかと。それができないのは、批判を恐れて責任を取ろうとする政治家がいないからだと指摘しておりました。

 正論中の正論だと思いますが、こんなあたりまえのことですら、世間の反応を気にしてコメンテーターの皆さんは口に出さない。ようやく自衛隊から看護師が派遣されるようですが、そんな定番化した方法しかないんですかねぇ。召集令状とはさすがに言いませんが、ある程度は強制的に民間クリニックからも医療関係者を送り込むといった方法も必要だと思うのです。公募という民主的な方法だけでは限度がありますからね。そうでもしなければ専門病棟を維持できない段階まで来ているんじゃないかな。無茶だ無理だ横暴だ人権無視だと言われかねないけど、現場のほうはそんなキレイゴトを言っていられません。ほとんど休みなしで半年以上働いている人も珍しくなく、さらに偏見や差別や心ない陰口にも耐えなきゃいけない。もはや個別の病院で対応できるレベルではないとしたら、地域全体で、あるいは国全体で人材を回していくしか方法はないはずです。

 ボクがいくら手伝いたいと思っても、足手まといにしかならない口舌の徒に過ぎないのが残念ですが、そんな人間にできる最も有効な支援策は、やはりどう考えても、感染しない&感染させないということに尽きるんですよね。自分のためだけでなく、家族のためでもなく、医療現場にこれ以上の負担を与えないために、感染リスクが伴うことはお互いにできるだけ避ける。会食なんかしばらく禁止すべきだとボクは思いますが、外食産業で働く人たちに影響が及ぶのも心苦しいので、面倒くさいけどマスクを着脱しながら飲食するしかない。それでも酔っ払って大声を出したり、マスクを横に放置する人は珍しくありません。誰が言い出したか知りませんが、自己責任という言葉くらい他人迷惑なものはないんだよな。どんなことも、社会の中で生きている限り、自分だけの責任で済むはずがないじゃないですか。

 

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2020年12月 7日 (月)

『ニュー・トリックス』


 このところ、CSのAXNミステリーで放送されている『ニュー・トリックス〜退職デカの事件簿〜』を集中的に視聴しております。イギリス国営放送局のBBCが制作して2003年から放送開始したテレビ番組なので、ひと昔前のドラマという印象を持つかもしれませんが、これがなかなかイケているのでありますよ。

 サブタイトルにあるように、退職した3人の元刑事が迷宮入り事件の解決に挑むというストーリーです。各人がスネに傷を残しているだけでなく、一癖も二癖もあるジーサンたちを率いる現役の女性警視も、誘拐事件の被害者救出で大失敗。彼女のために新設された未解決事件専門の部署に左遷されたという設定です。このため、単なる事件解決だけでなく、それぞれが人生で背負った痛みや後悔や悩みなどが暗示され、奥ゆきの深いドラマになっているんですよね。常にバイアグラを持ち歩く元プレイボーイのオッサンがいい味を出しているのですが、何よりも銃弾がバンバン飛び交い、派手な暴力沙汰が絶えないアメリカの刑事ドラマにはない落ち着きがあります。要するにアクションではなく渋い推理ドラマになっているので、イギリス流のユーモアやウイットも楽しめるんだよな。

 蓄積された知恵と経験とコネまで働かせて難事件を解明していくので、年を取るのも案外悪いことではないと感じさせてくれるのも、このドラマの魅力かもしれません。そのせいか、調べてみると12シーズンまで続いた人気シリーズだったようです。ちなみに、タイトルの「ニュー・トリックス」は「老犬に新しい芸は教えられない」という英語の諺に由来。この新しい芸のことを「ニュー・トリックス」と呼ぶので、古いやり方しかできない元刑事への揶揄と敬意が込められたタイトルなのです。

 詳しいことはネットを調べればすぐに分かるので略しますが、ボクが個人的に贔屓にしているのは、前述した元プレイボーイと、彼らを束ねる女性警視を演じるアマンダ・レッドマンです。彼女は2003年の時点でアラフォーというよりアラフィフに近い中高年ですが、頼りになるアネゴという雰囲気が好きなんだよな。規則を平気で破るジーサンたちを眼前にした時に見せる、呆れながらも慈しみを感じさせる苦笑いは、彼女だけの素敵な表情ではないでしょうか。

 身長も体格も男並みなので、逮捕の際に犯人をぶん殴るパンチもかなり迫力があります。ボクはどうも、こういう男勝りのタイプに弱いみたい。オマケということで紹介しておくと、アメリカのテレビ番組『LAW & ORDER;性犯罪特捜班』のベンソン刑事もファンなんだよな。彼女も中高年で、大変に立派な体格をしております。そういえば、痩せていて好きなのはオードリー・ヘップバーンくらいじゃないかな。だから、ボクの好みだけに限定すれば、健康目的以外のダイエットに励む必要はまったくないので安心してください。あまりに太りすぎはさすがに例外ですけどね。

 『ニュー・トリックス』の女性警視に話を戻すと、役者本人のことは知りませんが、性格がちょいとこじれており、妻帯者や子連れに惚れっぽいというのもいいじゃないですか。このため恋愛沙汰でもハラハラさせてくれるのですが、事件解決を縦糸として、こうした各人の私生活が横糸としてうまく織り込まれており、ドラマに陰影や立体感が生まれています。こういうワザが日本はヘタクソだと思うんですよね。せいぜい2時間程度の映画と違って、テレビのドラマは視聴率が高ければ長く続けられるはずなので、シナリオをもっと工夫できるんじゃないかな。


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2020年12月 4日 (金)

誰か注意しろよ!

 

 たまたまザッピングの挙げ句に、吉田類というオジサンがレポーターをしている『酒場放浪記』というテレビ番組を見てしまいました。

「酒場という聖地へ酒を求め、肴を求めさまよう……」というサブタイトルは大げさに過ぎますが、路地裏で繁盛しているらしい居酒屋のノレンをくぐり、コップ酒をすすって美味しそうなツマミを食すという仕立てです。ボクには手抜きに見えて仕方ないのですが、それはそれでまぁいいとしましょう。余計な演出を加えないことで、人畜無害なオジサンが居酒屋の主人や客たちとふれあう温もりを伝えるというコンセプトだと思います。

 ただし、いただけないのが彼の「手皿」なんだよな。この人は右手の箸でつまんだ食べ物の下に、必ずといっていいほど左手の掌を添えるのです。この手皿はそもそもマナー違反とされているのですが、番組を見ていると、その理由がすぐに分かります。添えられた手皿が何とも鬱陶しくて煩わしくて見苦しい。もし仮にヤキトリのタレが手皿に垂れたらどうするんでしょうか。おしぼりで拭いても不潔感が残りますよね。かといって掌を舐めるわけにもいかないじゃないですか。

 マナーやルールは時として形骸化して意味を失うこともしばしばありますが、その多くは所作を美しくするために存在します。つまりはカッコ良く振る舞うための最大公約数といっていい。特に食事は、美しく食べた方がおいしく感じるのでありますよ。それだけでなく、手皿は他人に不快感を与えます。こんなことは百万言を費やすより番組をちょっとでも見れば明白なのに、どうして誰も注意しないんですかねぇ。

 調べてみると彼は1949年生まれですから、今年で71歳ということになります。そんな御大に、こんな恥ずかしいことをさせる。スタッフやディレクター、プロデューサーは何とも思っていないのかな。手皿よりも、そっちのほうが問題の根っ子が深いような気がします。小姑の叱言みたいになりたくないのでもうやめますが、敬して遠ざけるという態度もまた実に失礼極まりない所作なのでありますよ。

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2020年12月 3日 (木)

おふくろの味

 

 もう「おふくろの味」なんて死語になったのかな。おそらく高度成長期の大規模な人口移動=集団就職で生まれた言葉だと思いますが、今では子供の頃から総菜や外食環境などが充実しているので、家庭の味が特段に恋しいと感じる人は少なくなってきたのではないでしょうか。

 いずれにせよ、ボクも「おふくろの味」といえば逆に嫌いなものが先立つんですよね。その代表的なものがソースです。フランス料理のソースではなく、特濃とか中濃というアレです。ボクの母親は肉類が苦手でありまして、それで摂取できない油脂分を補給するためか、天ぷらが好物でした。自分で揚げるのは尊敬しますが、よせばいいのに、それにソースをかけるんだよな。ボクはこの調味料が苦手だったのです。どうにも馴染めないので、小学校の高学年頃から自分だけ醤油をかけるようになりました。

 天つゆなんて高貴なものが世の中に存在していることを知ったのは20歳を過ぎてからじゃないかな。せっかく油で揚げて食材の水分を飛ばしたのに、どうして再びつゆに浸けるという正反対のことをするのか理解に苦しみましたが、ソースよりはマシってものです。個人的には塩がベストマッチングだと思いますけどね。

 ボクがソースを好まないのは、酢のような揮発成分によってゴホンゴホンとむせることがあるからです。刺激だけはたっぷりあるのに、味は何が魅力なのかよく分かりません。同じ理由からポン酢も苦手なので、しゃぶしゃぶは避けてきました。ちなみに、ごまだれも喉を締め付けられるような気がしませんか。

 そういえば酢も母親は頻繁に利用していたので、どうやら調味料の好みは遺伝や環境の影響を受けないようです。ではいったい何が「おふくろの味」なのかと自問して思い出すのは、風邪などで寝込んだ時に作ってくれた白醤油のウドンかな。透明なつゆが上品な塩味でウドンを優しく包んでくれるのであります。

 この白醤油は東海地区の特産らしく、東京では最近まで買うことができませんでした。だからといって、この「おふくろの味」をもはや再現することはできません。母親が亡くなる前にレシピを聞いておけば良かった。聞いたところで、同じモノが作れるはずもないですけどね。

 

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2020年12月 2日 (水)

前向駐車

 

 あああああ、時間がないというのに、ブログのテーマがまるで思いつかないことがたまにあるんですよね。あったとしても、壮大な話になりかねないので、おいそれと始めるわけにもいきません。

 それでね、事務所から外を眺めていて、くだらないことに気づいたので、ちょっとだけ。眼下に駐車場が見えるのですが、そこに「前向駐車」というゾーンがあるのです。基本的にクルマは後ろ向きに駐車したほうが出る時に楽なのですが、その付近だけはアタマから入れて欲しいというわけです。

 一台あたりのスペースは同じなのに、ある一画だけはそんな文字が大書されているんですよね。不思議だと思いませんか。

 それでネットであれこれ調べてみると、どうやら駐車場の背後にある民家が関係しているらしいのです。つまり、後ろ向きにクルマを止められると、排気ガスの直撃を受けることになるほか、騒音も大きいらしい。ちゃんと防護壁みたいなものが設置されてはいるのですが、確かに後ろ向きでじりじりと停車されるより、前向きでさっさとやってくれたほうが被害は少ないでしょうね。

 ボク自身は理由が判明して納得したのですが、問題は駐車する人たちがそれを果たして理解しているかってことです。月極ではないので、事情がよく分からない人もいるはずなのに、「前向駐車」とだけ言われてもね。実際に、その指示を無視して後ろ向きで駐車しているクルマもあるので、そのマネをする人もいるんじゃないかな。

 要するに、理由がちゃんと説明されていなければ、従わない人も出てくるってことです。新型コロナも同じでありまして、マスクの効用や大声で会話することの危険性を、何度もきちんと科学的な根拠に基づいて説明しなければいけない。そんな当たり前かつ不断の努力が今こそ必要なんでしょうね。

 

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2020年12月 1日 (火)

デビットカード

 

 移転のドサクサがあったせいか、ある信託銀行のカードに「デビット機能」なるものをくっつけてしまいました。住所と電話番号を変更するだけのつもりが、コールセンターの女性の電話対応が実に素晴らしくて、お誘いにまんまと乗ったのであります。意味はよく分からないけど、どうやら損するものではないらしいという動物的な感覚も後押ししたのかな。

 それから半年ほどして、スーパーに行った時に、たまたま現金の持ち合わせがなく、愛用しているSuicaの残額も乏しかったので、試しにということで、このカードを使ってみました。手順はクレジットカードとまったく同じなので、後で請求されるのだろうと思い込んでいたら、デビットは全然違うんですよね。3日ほどして資金移動のために銀行で通帳をチェックしたら、あらびっくりですよ。この口座は貯金用としてキリのいい数字にしていたはずなのに、1円単位までの端数が記載されているではありませんか。なななななな何なんだと訝しく思った直後に、あのスーパーでの買い物金額と合致していることに気づきました。

 クレジットカードの場合は、締め日までに使用金額をまとめた後で、月に1度の決済日に引き落とされますよね。ところが、このデビットカードは「銀行口座直結」でありまして、使った時にダイレクトに引き落とされるらしい。つまり、現金は使わないけど、現金のように使える口座払いとでも言うのかな。当初の予感通りに、ボクに損害をもたらすシステムではありませんが、それでもこの口座に端数が残るのは性格的に不快なんですよね。

 いつも使う口座は別にあるので、これだけはキリのいい数字にしておけば、資産管理、というほどの金額があるわっきゃないにしても、便利じゃないですか。端数がズラズラというほどの金額でないにしても(くどいね)、そんな口座が2つもあったら合計を暗算しにくいですから。

 誰が考えたか知りませんが、このデビットカードは銀行側の利便性から生まれたものではないでしょうか。何よりも口座にある金額以上の消費ができないということがポイントです。このため、与信を前提にしたクレジットカードでは不可避な「焦げ付き」=引き落とし金不足になる怖れがまったくありません。決済するための事務処理や書類などの作成経費も不要となります。

 というわけで、このシステムでトクするのは銀行側だけであって、ユーザーにはキャッシュ以上の利便性はありません。うーむ、まんまと騙されてしまった、というのがボクの偽らざる感想です。そのせいか普及しているとは決して言えないもんね。こんな非対称な仕組みを簡単に受け入れてはいけないという反省材料として、このカードを神棚に置くことに決定いたしました(あくまでも比喩的表現です)。

 

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