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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

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2021年2月

2021年2月26日 (金)

オンライン


 このところ再びオンラインによるブレゼンテーションやミーティングが増加しています。2回目の緊急事態宣言が続行中なので、多数の人たちを1か所に集めて「密」にするわけにはいきません。出席する側のボクにとっても、出かける準備や移動時間を省略できるので、便利この上ないのは事実ですが、旧式の人間のせいか、思うことがないわけではありません。

 いつになく奥歯にモノが挟まったような言い方になるのは、オンラインを否定するつもりはないからです。人間の歴史なんていうのは、不便から便利へと不可逆的に進行しており、不便に戻るのはむしろ不自然で無理が伴います。その意味ではオンラインの普及は当然過ぎることであって、それに感情的な意義を唱えるのは、情報機器が嫌いな古手のジーサンたちといっていい。

 ただね、あまりにも楽すぎて、心に残りにくいんですよね。人間の記憶はコンビュータとは違って、雑事が絡まっているのが普通です。むしろ、その雑事のほうから記憶が鮮やかに蘇るということも珍しくないじゃないですか。匂いなんか典型的で、ボクは寿司酢の甘酸っぱい香りを嗅ぐと、保育園の七夕で笹の葉に願い事を書いた短冊を巻き付けていた光景が頭の中に浮かびます。

 オンラインでも、ミーティングの真っ最中に誰かが花瓶を落として割るといった雑事は起こるはずで、何かの発表と花瓶の割れた音がセットになって記憶されるケースもあるはずです。ところが、そうならないように気を配るために、ほとんどはモニターの2次元だけに留まっていますよね。このため、よほど衝撃的な映像とか内容でない限り、いつまで覚えていられるだろうかと心配になってしまうのです。一言でいえば、2次元の動画や音声は忘れやすいと言えるんじゃないかな。しかしながら、劇場で見た映画は結構覚えていますよね。これは自腹で入場料を払ったということと、映画館まで足を運んだこと、そして誰かと一緒だったということが3重に絡まっているからです。有料のテレビでも支払いは必要ですが、映画館まで行く時間と労力はカットされているので、その分だけ忘れやすくなるのではないでしょうか。

 思い出も同じでありまして、航空機や列車の遅延などで苦労した旅行は細部まできちんと覚えているのに、他人任せの安楽な旅行はほとんど忘れているじゃないですか。その意味では、ちゃんとネクタイを締めて革靴を履いて、駅まで行って電車に乗るという労力をかけたほうが、記憶に残りやすいと思うのです。

 そもそも2次元の画面によるコミュニケーションなんて、まだ始まって100年も経っていないですよね。だから人間の脳による記憶力は、それに順応していないんじゃないかなぁ。特に立体的なモノは重量が映らず、匂いも漂ってきません。奥ゆきもよく分からない。それで果たして脳は「見た」と感じるんだろうか。

 オンラインの送り手も受け手も、この欠点をそろそろ真剣に考えたほうがいいと思うんですよね。前述したように、衝撃的な映像や音で耳目を刺激するというのは第一段階であって、視聴者に能動的に何かをさせるといった仕掛けも施すようになるんじゃないかな。とっくにテレビではクイズの三択を回答させるなんてことをやっていますが、何もしないよりは番組を覚えていますからね。

 いずれにしてもオンラインは発展途上なので、テクノロジーはこのままとしても、人文学あるいは心理学的な工夫がいよいよ必要になると感じたのであります。こう考えれば、文系だって情報科学に貢献できるではありませんか。


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2021年2月25日 (木)

頭と尻尾はくれてやれ(続)

 

 ある程度の知識とそれなりの荒波にもまれた経験を持ち、さらに中高年以上の年齢の人なら、世の中がどのように動いていくかを大まかにでも予測できるようになります。

 ボク自身も、決して自慢ではありませんが、いやちょっとだけ自慢かな、昨年11月のブログ「郵政省(前・後)」で総務省の不祥事を何となく匂わせたつもりです。郵政はとっくに民営化されたといっても、電波行政などの利権は総務省がきっちり引き継いでいるからです。社会保険庁もそうでしたが、世代が完全に入れ替わらない限り、不正や癒着に染まりやすい組織風土はなかなか改まらないんじゃないかな。今のところはコロナ禍での和牛ステーキや海鮮料理といった過度な接待会食に留まっていますが、もしかすると1998年に発覚した大蔵省接待汚職事件のような大事に発展するかもしれません。衆知のように、新宿のノーパンしゃぶしゃぶ屋で、官僚の皆さんが肉を頬張りながら女性のスカートの中を凝視するという世にも恥ずかしい痴態が日本中に暴露されました。この時は官僚7人が起訴され、全員が執行猶予付きの有罪判決が確定しています。果たして総務省からも“縄付き”が出るでしょうか。それを招いた主役が菅首相の長男というのですから、もはや「別人格」と居直ってはいられないと思うんだけどね。

 おっと、またもや寄り道してしまいましたが、株や不動産のバブル的高騰がテーマです。昨日の日経新聞でもJTBが資本金を23億から1億円に減資すると報道されていたように、長引くコロナ禍で実態経済はボロボロといっていい。もちろん情報サービスなど活況の業種もありますが、観光関連や飲食といった個人消費に直結する分野が壊滅的なダメージを受けています。不動産にしても、少子化による人口減が依然として続くほか、テレワークの浸透で都心のオフィスを引き払う大企業も目立つようになりました。要するに明るい材料なんてどこにもないのに、株価が3万円を超えたり、若い人たちがマンションを競って買い求めたりする。

 その背景にあるのは、誰でも分かるように「異次元の超金融緩和」です。あろうことか日銀がお札をバンバン刷って株を買い支えてくれるのですから、投資家も安心して株式市場にカネを注ぎ込む。それでもあり余ったカネは暗号資産とも呼ばれるビットコインに、そして不動産市場にも流れ込み、どんどん価格を上昇させているわけです。

 そんな理屈は新聞やYouTubeでも見ていただければ分かるはずですが、ボク自身はもっとシンプルに「上がれば下がる、下がれば上がる」を座右の銘としてきました。つまり、高騰は暴落を招き、バブルもいつかはじけないでは済みません。

 ただし、ですよ。それがいつになるのかを正確に予測するのは大変に困難なんですよね。そんなことが分かったら、かつてのバブル崩壊の時に株の空売りで大金持ちになっていたはずです。リーマンショックの時もそうかな。風船を膨らませるのと同じで、「もうすぐ」「いやまだまだ」と様子を窺っているうちに、突然にパンとはじける。風船ならゴムの張り具合が目に見えても、経済活動は複雑ですから、俯瞰するのは無理ってものです。なのでボクたちのような素人はヘタに手を出さないほうが安全ですが、そうなると富裕層と庶民の経済格差がますます拡大することになってしまう。

 ボクが1つだけ追加してご紹介できるのは、2013年5月24日のブログで紹介した相場の格言です。「頭と尻尾はくれてやれ」。これは実にまったく、つくづく至言だと思います。欲をかき過ぎると大損につながるので、上がり目も下がり目も、ほどよいところで手を引け。このアドバイスが今こそ有効ではないかと思うんですけどね。

 

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2021年2月24日 (水)

悪夢ふたたび

 

 久々に悪夢を見てしまいました。あまり夢を見るタチではなく、悪夢といっても妖怪変化が登場するおどろおどろしい内容ではありませんが、不愉快な感覚だけは強く残るんですよね。しかも、基本的な内容は昔から決して変わることがなく、頻繁ではないにしても、何度も同じような夢を見続けてきました。

 そのテーマというかストーリーは、電話をかけたいけど相手の番号が分からなくて焦りまくるというものです。この夢を初めて見た時は、大きな箱型の公衆電話の上に10円玉と100円玉を積み上げていました。準備万端にもかかわらず、どこを探しても電話帳が見つからない。カバンの中はもちろん、ジャケットやズボンのポケットにもない。電話番号案内で調べてもらおうとしても、なかなかつながらないんですよね。記憶している限りでは、6台くらい並んだ電話ボックスの右端にいたんじゃないかな。その中でガラス越しに外の景色を呆然と眺めながら途方にくれているうちに目が覚めました。

 しばらくすると、それが携帯電話に代わったから面白いですよね。夢の中も技術革新するんだと感心しましたが、夢は現実の反映ですから当然といえば当然です。けれども、やはり相手先の電話番号が分からないことにかわりはありません。内部に記録した電話帳を呼び出せばすぐに分かるはずですが、なぜだかやり方を思い出すことができず、あちこちのボタンを押してみても、どうにもダメなんですよね。

 そして昨日の月曜夜は、とうとうスマホになっていました。ボクは2年ほど前にガラケーから交換したので、遅ればせながら夢の中でも機材がアップデートされたことになります。スマホならボタン操作でなく指先1本のスライドで登録した相手先を呼び出せるはずですが、これまでの夢とまったく同じで、それがどうにもできない。この困惑というか不全感が何とも言いようのない気持ち悪さとなって残るのであります。

 では、ボクはどこから、いったい誰に電話しようとしているのか。これは様々なバージョンがありまして、まず場所ですが、最初は事務所のあった恵比寿の近隣である渋谷、代々木、あるいは新宿でした。携帯電話になってからロケーションが海外にも広がり、ヨーロッパの列車の中やホテルも登場。これは時計取材で頻繁にスイスに出張していたことに加えて、国際電話ができるガラケーを持参するようになってからだと思います。機材だけでなく、シチュエーションも夢の中でアップデートされているわけですね。

 次に、電話をかけようとする相手は誰なのか。プライバシーにかかわるので詳しく言えませんが、いつも特定の人というわけではありません。近しい人であったり、ものすごく遠くなった人もいるんだよな。そのあたりは夢独特の過去との往還というか、時空を超えた想いが反映されているようです。

 このように随分と長くつき合ってきた夢なので、覚醒後の錯覚かもしれませんが、夢の中で「またかよ」というデジャブ感覚を持つこともあります。それにしても、電話しようとする相手がね。目覚めた後もなお連絡先が分からない、つまり音信不通というケースも珍しくないのが寂しくて哀しいんだよな。

 

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2021年2月22日 (月)

のんびり生きよう(後)


気楽に行こうよ 俺たちは
あせってみたって 同じこと
のんびり行こうぜ 俺たちは
なんとかなるぜ 世の中は
気楽に行こう
のんびり行こう

 さて問題です。これは1971年に放映されたテレビCMの歌詞ですが、スポンサーはどんな業種だと思いますか。

 中高年以上の世代ならすぐに歌を思い出すはずですが、業種までは覚えていないかもしれません。ななな何とモービル石油だったんですよね。田舎の砂利道で箱型のクラシックカーを鈴木ヒロミツと藤竜也が押しながら歩く。その映像のBGMとして、マイク眞木がギター1本の伴奏で「のんびり行こうぜ、俺たちは」と歌うわけですね。エンディングで加藤和彦が、

クルマはガソリンで動くのです。モービルガソリン。

 とナレーションを加えているので、ああガス欠だったのかとようやく気づきますが、当時はモータリゼーションの真っ盛りですぜ。しかも、ガソリンをどんどん使って欲しいはずの石油会社が、こんなアンチといっても過言ではないCMをオンエアしたのです。近視眼的な効率や効果ばかりを追い求める現代なら、ゴマすりの茶坊主たちが「部長、これはヤバイっす。株主からも叩かれますよ」とか何とか余計なご注進に及び、直ちに中止になったんじゃないかな。

 このCMと歌が、ちょうど半世紀を経た今頃になって、ボクの心の奥底からぽっかりと浮かび上がってきたんですよね。もうちょっと詳しく紹介すると、作詞・作曲は『バラが咲いた』(1966年)で一世を風靡したフォークシンガーのマイク眞木。『気楽に行こう』というタイトルでシングルレコードにもなったのですが、CMに出演していた鈴木ヒロミツもこれと区別して『すずきひろみつの気楽に行こう』としてカバーしています。ちなみに、彼はロックバンドであるザ・モップスのボーカルで、翌72年には『たどりついたらいつも雨降り』(作詞作曲・吉田拓郎)をヒットさせています。残念ながら2007年にガンで死去。追悼として前述のCMが流されたので、こちらのほうを覚えている人もいるでしょうね。

 ただし、CMとレコードでは歌詞がかなり違います。CMは短時間で意味を伝えなければならないので、1番と2番を合体させた感じになっています。CMのほうが先行したかもしれませんが、お茶の間向けに温和しく脱色されているほか、「のんびり生きよう」という最重要なフレーズが欠けているので、以下にレコードのバージョンを紹介します。

気楽に行こうよ 俺たちは
仕事もなければ 金もない
寝るとこなくても 心配するな
なんとかなるぜ 世の中は
気楽に行こう 気楽に 行こう

のんびり生きよう 俺たちは
あせってみたって 同じこと
馬鹿と呼ばれても くよくよするな
助け合おうぜ 世の中は
のんびり行こう のんびり行こう

何を頼りに 生きるのか
月日が勝手に過ぎてゆく
雨が降ったら びしょぬれさ
だけどなんとなく 幸せさ

友達になろうよ 今すぐに
きみは学生で あなたは社長さん
あいつはサラリーマンで あなたはおまわりさん
そんなことどうでも いいじゃないか
友達になろう 友達になろう
気楽に行こう 気楽に行こう
のんびり行こう

 最後のフレーズを書き写すだけで、瞼の端が少し潤みかけました。昨年からの新型コロナ禍で世相が殺伐としているだけでなく、2度にわたる緊急事態宣言によって仕事や収入を失った人たちに「のんびり生きよう」なんて、あまりにも能天気で無責任かもしれません。だからといって深刻に考えすぎたら、死にたくなるばかりじゃないですか。実際に自殺者も増えているそうです。顔を覆うマスクが邪魔で仕方ないけど、生きているだけでも儲けものだと思って欲しい。できればみんなが友達になって「助け合おうぜ、世の中は」なのであります。

 テレビでエラソーに語る評論家やコメンテーターの分かったふうな論評を耳に入れるヒマがあるなら、この歌をぜひYouTubeで聴いてください。何もかもが慌ただしく忙しかった高度経済成長期に逆らうかのように、敢えて「気楽に行こう」と歌い上げ、かつそんな楽曲をテレビCMに起用した人たちの気骨と根性に改めて感心せざるを得ません。

 デジタルだSNSだと騒ぐのも結構ですが、こうした気概や思想がなければ、世の中はカネ勘定ばっかりになって、それこそ生きる気力がなくなっちゃうよ。


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2021年2月19日 (金)

のんびり生きよう(前)


 近頃はトレンドの移り変わりが激しく、ろくすっぽ理解できないうちに、新しい言葉と概念が登場します。今ならSDGsかな。新聞などの活字媒体で見かけることが多くなりましたが、そもそもは2000年に国連サミットで採択されたMDGs(ミレニアム開発目標)が達成された2015年に、それに代わる新たな目標として定められたそうです。

 日本語では「持続可能な開発目標」。17分野169項目を2030年までに達成するとしていますが、あまりにも数が多くて、何がなんだかという人も少なくないはずです。それに、貧困や飢饉をなくすなどなど、とてもじゃないけど一般の人たちが個人的にできることではありません。決して否定するわけではなく、社会全体として、すなわち国家や行政、それに企業といった組織として目指すべきことなんですよね。

 ボクたち個人のライフスタイルとしては、「ロハス」がそれに準ずるのかな。アルファベットやカタカナで表記された概念はあまり好きになれませんが、これは「健康で持続可能な生活様式」という英文の略。日本語のほうがよほど分かりやすいと思うんだけど、メディアはトレンドを追いかけてナンボの世界ですから、あくまでもロハスでなければ商売にならないのであります。

 ただし、「健康で持続可能な生活様式」というのも分かったようでよく分からない。大量生産&大量消費の真逆ということは理解できても、実際の生活はどうすんだよと思いますよね。さらに「断捨離」まで付け加えれば、キーワードが3つもあるということになります。

 これらの源流はどうやら「持続可能」でありまして、ボクは1990年代にロンドン大学の科目でSustainableという英単語に直面。どう訳していいのかと困惑したことがあります。今でもうまく言い換えられないのですが、要するに使い捨てをやめるのであれば、「もったいない」という立派な日本語があります。それだけでは断捨離に反するので、もう一歩踏み込んで「もったいないをなくす」と考えれば、両方とも納得できそうです。近頃のメディアはこうした言い換えの工夫が足りないと思うぞ。洋画のタイトルだって英語そのまんまが目立つもんね。

 あ、またまた長くなりましたが、コロナ禍から「ニューノーマル」なんていう言葉も登場しています。新しい日常といっても何がなんだか、いよいよ分からん。ボクはもっと古い言葉「スローライフ」で行こうかなと考えております。生活速度をちょっと落とす。できることなら、あくせくしないでのんびり暮らしたい。そういえば大昔に「のんびり生きよう、おれたちは」という歌がありました。それについて来週月曜日のブログで詳しく紹介します。


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2021年2月18日 (木)

今こそ調査報道

 

 新型コロナの陽性者が日々減少するのに伴って、テレビの意気込みもどんどん消沈してきたように感じます。東京で陽性者が毎日1000人、2000人という1月前半には「こりゃ大変です」と、あたかも笑みを抑えて深刻そうなフリをしつつもはしゃぎまわる。というのはすごく失礼なので直ちに撤回して謝罪いたしますが、少なくともコメンテーターと一緒にわぁわぁ騒いでいたと感じるんだよな。

 ところが、500人を下回った頃から温和しくなりました。そのかわりに。東京五輪・パラリンピック組織委員会の後継会長選びにすっかりご執心です。3時頃にテロップで陽性者数が発表されても、ちょいと触れるだけでほとんどスルーだもんね。オリンピックがちゃんと開催できるかどうかも分からないですから、その原因である新型コロナのほうをもっと深く追いかけるべきなのに、橋本だの山下じゃないかと場外での品定めばっかり。それよりもワクチンの導入がどうしてこれほどまでに遅れたのか、本当に重篤な副反応はないのかといったことを深く調べたほうがいい。

 とはいっても、マスコミというのはもともとそういうものであって、新聞の発行部数を飛躍的に伸ばしたのは太平洋戦争であることくらい衆知ですよね。今でもテレビを本気で視聴するのは地震と台風くらいじゃないですか。それにしたってネットのほうが情報は早く、SNSを利用しているなら、現地からリアルな情報もキャッチできます。

 その意味では、まだまだ大きな資本を持つメディアがやるべきことは「調査報道」だと思うんですよね。かつてはフリーライターがコツコツと調査や取材を繰り返して真実を追求。それがベストセラーになるということもありましたが、出版不況の現在ではほとんど期待できません。1年も2年も手弁当で取り組んで単行本発行にこぎつけても、持ち出しばかりの大赤字になりかねない。だったら、大手の新聞社やテレビ局が率先してやるべきではありませんか。ところが、大手ほど権力に近くて、晩飯を政治家にご馳走になるといった癒着がないわけではありません。あれほど批判された記者クラブも温存されており、横並びの報道姿勢はまるで変わっていないように思えます。

 情報環境はネットによって劇的に変わり、オールドメディアはいよいよ深刻な経営危機を迎えるはずです。だったら、先手を打って、何よりも事実と真実、それも国民の目線できちんと深掘りした信頼できる報道に邁進すべきだと思うんだけどなぁ。たとえば政治関係ならA局、犯罪事件ならB新聞といった棲み分けが今こそ必要ではないでしょうか。それによって、すっかり失われたリスペクトも取り戻せると思うのです。

 

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2021年2月17日 (水)

というふうに……

 

 耳障りな言い方や話し方ほど流行する。というのがボクの発見した法則というか原則というか定理です。

 ちょっと前なら「そう」ですね。たとえば「坂本さんはその光景を見て不愉快に感じたそう」ってヤツです。こうした伝聞的な表現は「そうだ」あるいは「そうです」と、きちんと語尾を付けるはずなのに、いつの間にかやたらに「そう」で終わる締まりのない言い方が広がってきました。ボクがそのことに初めて気づいたのは、東京MXテレビの『5時に夢中!』のナレーションです。プロの司会者ではなく、某アナウンサーの親戚とされるタレントだったので、彼のいる業界ではそんな話し方をするのかな、と思っていたら、たちまち各局に伝染していきました。「そうだ」「そうです」を「そう」と略すのが、あたかもカッコいいかのような風潮になり、スポーツ新聞などの活字界にも浸潤してきたので呆れるというほかありません。

 さすがに近頃になって耳にすることが少なくなったなと思ったら、今度は「というふうに思います」「というふうに感じますね」という「というふうに」攻撃ですよ。これはコメンテーターが用いることが多く、何か話題を振られたら、最後に「というふうに思いますね」とやる。どうして「と思います」「と感じます」と言い切らないのか、ボクは尻のあたりがムズムズして仕方がないんですよね。「というふうに」をカットしても、意味は決して変わりません。そもそも「思った」「感じた」はあくまでも個人の見解ですから、それだけで十分に免責される表現なのに、それに覆い被せるように「というふうに」を付け足すというのは、どういう心理なんでしょうか。

 そもそも、コメンテーターはコメントするのが商売なのですから、自分が発した言葉に責任を持つべきですよ。にもかかわらず、「というふうに」と逃げを打っておくのは卑怯きわまりない。ちょっとばかり強いことを言っても、「というふうに」と受けておけば希釈効果があるとでも思っているのかなぁ。

 とにかくね、言葉そのものが実はものすごく曖昧であり、人によって理解や解釈は異なるんですから、ボクはできるだけ数学的な正確さを求めたいのであります。なのに、ああ、なのに、よせばいいのに「というふうに」だもんね。そもそも曖昧な言語表現に確率的な揺らぎを含めたら、ますますのらりくらりと言い逃れできるようになってしまう。討論や会議などでは極めて不適切な言い方なのです。

 だからこそ、それゆえにコメンテーター諸氏は反射神経的に愛用するのでしょうが、弁護士も大学教授ですら「といふうに」ですからイヤになってきます。自分が専門家でもなんでもないことを逆証明していることに気づかないんだろうな。それでギャラが貰えるんだから、ああ羨ましい。ボクたちが原稿で「というふうに思います」なんて書いたら、間違いなくデスクあるいは校閲段階で削除されるだけでなく、仕事を失うぜ、というふうに思います。

 

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2021年2月16日 (火)

すごいぞYouTube

 

  眼鏡を衝動買いで新調してしまった顛末は、先週のブログ「やさしくなりたい」で詳述しましたが、実はオマケがあるんですよね。

 これまでのチタンフレームから穏やかな雰囲気の丸型に変えただけでなく、レンズも中近両用の調光にすることにしました。眼鏡店の店長のオススメに「そりゃいいね」と従っただけなので、実際にはよく分かっていません。このレンズが仕上がるまで1週間ということなので、にわかに勉強することにしたのであります。

 バカだよね。普通は買う前にやっておくべきことを、買った後にするなんて順序がひっくり返っております。これはスーツの時も同様で、大枚のカネを支払ったという現実感の裏付けがないと、どうにも関心が向かないようです。でね、スーツの時はウェブサイトの記事を参考にしました。各部の名称から、袖や裾の適正な長さといった基礎知識はもちろん、ネクタイを締める時はディンプルを必ず作る(これなしでテレビに出ている人が案外多い)といった着こなしまで徹底的に熟読。おかげで、ファッションの販売現場は基礎知識にも欠けた素人が少なくなく、もっぱら自分の感覚や好き嫌いだけで客に無責任なアドバイスをしていることが分かったんですよね。

 今回の眼鏡では、契約しているCATVでYouTubeを利用できることから、記事ではなく動画を視聴することにしました。眼鏡のカタチはラウンド、スクエア、ボストン、ウェリントンに大別できるという基礎知識から、遠近両用と中近両用レンズの違い、そして色が変わる調光レンズは高温が苦手で真夏の暑さの中では濃くなりにくいとかね。よせばいいのに女性にモテる眼鏡のカタチや最新トレンドまで教えてもらったわけですな。幸いにボクが購入した眼鏡は決して大ハズレではなく、そこそこそれなりのファッション性と、ライターという仕事に必要な機能性を備えていることを確認できました。

 だから買う前にやっとけよ、という話ですけど、それにしてもYouTubeはすごい。ウェブサイトと同じく玉石混淆で、素人まるだしの雑な仕上げや、他チャンネルからのまるパクリを疑わせる内容も散見できましたが、テロップやBGMなどで本格的に演出された番組も多く、それぞれテーマが絞られているだけに勉強になります。ただし、登場する若い人は髪が額を覆っていることが多く「それじゃ眼鏡のカタチが分からねぇよ」とか、丸顔の小太りで髪も薄いオッサンが柄にもなく「今年のモテ眼鏡はこれ!」など、笑いを込めた突っ込みを入れられる余地も満載。それこそが、プロによるスキのない地上波にはない愛嬌といえばそうなんですけどね。

 警察の機動隊が突入して摘発された歌舞伎町の有名キャバクラの女性オーナーが「本当にほんとーうに、ご迷惑をおかけしましたぁ」と深く頭を下げる謝罪動画もあったりして、要するに何でもありの世界。地上波の初期もそうした革新的な荒っぽさがあったようですが、YouTubeは役所の許認可不要でおカネもそれほどかからないため、ゲリラ的な動画もふんだんにあります。迷惑ユーチューバーとなれば犯罪的な社会問題ですが、これでは管理された既存のテレビから視聴者が移動していくのは当然といっていい。視聴率が高いチャンネルはメジャーなCMも挟まれているので、広告の主戦場もYouTubeになりつつあるんじゃないかな。

 既存のメディアは自分の立ち位置をもう一度しっかり再確認して出直さないと、ますます廃れていくのではないでしょうか。

 

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2021年2月15日 (月)

ワクチン

 

 イギリスの知人からラインでワクチン注射中の写真が送られてきました。肩口に注射針が垂直に刺さり、まさに薬液が押し入られる瞬間です。「第1回目」というコメントが付いていますが、さすがに早いよなと感心していたところに地震ですよ。ベッドやら家具からギシギシ、ゴトゴトと様々な異音が発生。やがて大きくマンション全体が揺れ動き始めました。久々の大きな地震ですから、誰でも2011年の東日本大震災を思い返したんじゃないかな。

 イギリスの知人の話に戻ると、彼女は50代半ば。この年齢なら医療従事者、高齢者の後に回されるため、昨年のメールでは「いつになることやら」と嘆息していましたから、現地でも予想を超える普及速度だったようです。感染者数の規模は日本とは比較にならないほど大きく、何度も厳しいロックダウンを続けてきました。「窒息しそうな生活だけど、マスク着用のルールを守らない人が多いから、ステイホームの厳格な法制化も仕方ないのよね」と伝えてきたこともあるので、今回のワクチンでひと安心という雰囲気のようです。

 それに比べて、日本の初動はやはり遅いとしかいえません。ようやく今週からワクチン接種が始まるようですが、イギリスと同じ順序になるほか、海外からの輸入なので、彼女と同じ50代なら早くても5月くらいにズレ込むのではないでしょうか。こうした対応の鈍さは今に始まったことではなく、前後左右の動きを見ながらおずおずと政策を進める「2番手主義」(ボクの命名です)は日本社会の慣例といっていい。それが必ずしも悪いとはいいませんよ。特にワクチンは副反応が伴う怖れもありますから。しかしながら、それにしても古今未曾有のパンデミックへの対応は、政治家の口先に比べてズレがあり過ぎる。昨年の安倍首相の演説内容をまだ誰も細かく検証していないようですが、少なくともマスクの供給やPCR検査の拡大なんて、ボクの記憶ではウソばっかりといえるほど遅きに失していました。

 東京オリンピックは並行するような事例がないので、イヤでも1番手にならざるを得ない。それによる様々な混乱に加えて新型ウイルスですから、「呪われている」と噂する人もいるようですが、何のことはない、確固たる展望を持って重責を引き受ける人が少なかったんじゃないかな。その結果として森さんのような老害支配を許してしまった。まるでダチョウ倶楽部の「どうぞどうぞ」コントのようなガバナンスが続いてきたのではないでしょうか。

 こうした「呪い」を払拭するためには、とにかく若返ることしかないと思うな。内閣や各種の行政機関ならびに大手企業も含めて、長と呼ばれるトップには厳密な定年制を導入する。とりわけ総理大臣は50代までに限定したほうがいい。そのかわりに、一般的な定年はすべて廃止して、社会をみんなで支えていく。女性蔑視と老害批判の区別すらつけられないジーサンが東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長に居座っていたことを、もうちょっとボクたちは恥じるべきですよ。

 

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2021年2月12日 (金)

税制は国政の根幹

 

 生まれて初めて、いや2回目かな。税務署に提出する確定申告の準備をようやく済ませることができました。

 業態はフリーランスでも、法人として法務局に登録したおかげで給与所得者を続けてきたので、確定申告なんてまったく縁がなかったんですよね。ずいぶん以前に、出版した時計の本の印税が手違いで個人口座に振り込まれたせいで、税務署のお世話になったことはあります。「高級時計を紹介する本ですから、かなりおカネがかかったでしょう」と経費に水を向けられたにもかかわらず、「いやいや、いちいち新作時計を購入していたらたちまち破産しますよ」と返したんだからアホです。もしかすると課税されるところでしたが、正直の頭には神が宿るんですな。結局は課税ゼロで放免された記憶があります。安月給に助けられたのかもしれないけどね。

 これだけが超例外でありまして、大多数のサラリーマンと同様に、確定申告より年末調整のほうがお馴染みであり、12月の給料だけは天引き、すなわち源泉徴収がないので、ボーナスと合わせてハッピーな気分になれたものです。自分が会社の代表になってみると、毎月の給料日は嬉しいどころか最も憂鬱な日に変貌しましたが、年末調整だけは相変わらず。要するに払いすぎた所得税が戻ってくるだけで、税金という名目で貯金していたようなものですが、それでも天引きがゼロで翌年も還付があったりすると、トクしたような気分になるんだよな。

 ところが、今年はある事情から確定申告が必要になったのです。国税庁のウェブサイトには自動的に作成できるフォームが用意されているので、これを利用すれば簡単に計算してくれるのですが、説明がいちいち分かりにくいんですよね。税務用語がそのままナマで記載されているので、素人には意味不明ということも少なくありません。ライターで編集者のボクとしては、ジーサンバーサンでもすぐに理解できるように言い換えたほうがいいと思うのですが、それでは行政事務の正確性が担保されないせいか、そうした配慮は御法度らしい。ネットや本を参考にしなさいというわけです。それで意味自体は分かったとしても、ある項目に含まれるモノと含まれないモノがあったりする。曖昧な「など」が頻出するので、数学的な正確さに欠けるんですよね。

 にもかかわらず、すべてをきちんと理解しようとするから、どんどん深みにはまってしまう。もっと簡単な税制にできるはずなのに、まるで古手の大型旅館のように増築が繰り返されてきた気配があるんだよな。おかげで税理士も失業することなく繁盛するわけですが、ボクはハタと気づいてしまったのであります。税制というのは、つまり政治であり国策だったんですよね。

 それこそ面倒で長い話になるので簡単に言い換えれば、税金のありようこそが国政の根幹といっても過言ではないのです。それを象徴するのが相続税でありまして、3代継承したらゼロといわれるほど急峻な累進課税になっています。これは太平洋戦争敗北後にアメリカからシャウプ博士が来日。「税制はこうしなさいね」という勧告を受けた結果ですから、占領軍の強い意向が反映されています。代々続く大金持ちを許しておいたら、自由で民主的な資本主義国家にはならないと判断したのでしょうか。日本国憲法も戦争放棄が高らかにうたわれているので、当時の統治担当者はアメリカではもはや不可能な理想を日本で実現しようとしたらしい。

 少なくとも、累進課税の相続税ならびに所得税は、税制というより政策の一種であることは間違いないわけです。法人税も含めて、税金に取られるくらいなら銀座のホステスクラブで散財しようと考える人もいるので、重要な経済政策でもあるんだよな。トランプ元大統領だって大金持ちを優遇する税制改革を実施。再選で勝利するために味方を増やそうとしましたからね。消費税ともなれば、これは思想とすらいえます。所得税はおカネの入口で課税するのに対して、消費税は出口で支払うことになります。おかげで金持ちも貧乏な人も等しく負担しなきゃいけないという不公平が発生する。社会主義的な理念とは真逆といっていいじゃないですか。

 この消費税を増税するということは、甚だしい所得格差を是認することになり、公平な競争を旨とする民主主義を阻害するのではないかと、ボクが野党なら言いたくなりますが、かくのごとく税制というのは政策にほかならないわけです。

 もしも政治を語るのであれば、税金を知らないでは済まない。代議士の方々は、そのあたりをちゃんと把握しているのかなぁ。財政の源泉は税金以外にあり得ないですからね。

 

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2021年2月10日 (水)

やさしくなりたい


 ほとんど衝動買いですけど、メガネを新調しました。新調なんてもはや古語かな。用例は「スーツを新調する」など、モノを新しく買ったり仕立てることを意味しています。近視用のメガネは、衣服の袖や裾直しと同じく、レンズの屈折率などを視力に合わせなきゃいけないので、単純に「買う」というより、新調という言葉のほうが適切ではないかと。

 いま使用しているチタンフレームのメガネが合わなくなってきたわけではありません。寝た時に誤って身体の下に敷いてしまい、歪めたこともありますが、かなり長期にわたって使い込んできました。まだまだ古びていないので、これからも十分に現役で活躍できるはずですが、それを使うボクのほうの気分を切り換えたくなったのであります。

 自分の顔をしげしげと眺める習慣なんかないのですが、たまたま洗顔した直後ですけど、鏡の向こうに実にイヤな目つきを発見したんですよね。ボクは新しいことが好きな割に古くさい規範意識が染みついており、年を経たらそれなりに円満になっていくべきだと考えてきました。『クリスマス・キャロル』の守銭奴スクルージが好きなんて人は滅多にいませんからね。そんな嫌われ者より「好々爺」を最終的なゴールに設定しているのに、どう表情を変えても眼に険しさがあるんだよな。それだけ苦労してきた証とはいえても、これではいよいよ好かれなくなってしまう。いえね、孤高がボクのコンセプトですから、他人に積極的に好意を持って貰おうとは思いません。斉藤和義の歌じゃないけど、『やさしくなりたい』(2011年発表)のであります。

 思い返してみれば、フィジカルなファイトはまったくないにしても、仕事を真剣にやっていれば摩擦や軋轢はいろいろ生まれるわけで、すさんだ気持ちになったことも珍しくありません。そんな積み重ねもあってか、慈悲深い温厚な性格(あくまでも自称)が変わってきたかもしれない。だったら、そろそろ軌道修正して、やさしい自分に戻りたいと思ったんですよね。

 そのためにはどうすればいいか。人間の外側と内側は不可分に密着しており、相互に影響を与え合っています。本来は内側から変えるべきですが、メンタルを思うようにコントロールするのは容易なことではありません。ところが外側なら比較的簡単にいじったり変えることができるじゃないですか。

 そんなわけで、チタンフレームよりもやさしく感じられる素材とデザインのメガネを購入したのでありますよ。イメージチェンジ、と一言で済ませられるのに、こんなにも長い言い訳もどきを書いたのは、ちょっとね、軽い後悔が伴うほど高価だったのです。しかも衝動買いだもんなぁ。そんな葛藤を宥めるための理屈と言われれば否定しません。でもさ、やっぱりボクはやさしくなりたいんだよぉ。


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2021年2月 9日 (火)

話が逆だろ

 

 ダメな会社ほど目標の数字を派手にぶち上げるだけで、そのための方法論を言うことはありません。たとえば目指せ売上げン百億円をひたすら部署別に下ろしていくだけなので、結果的に社員に与えられるのはノルマしかない。達成方法を教えられていないのですから、泣き落としや、時には高齢者を騙すような犯罪的な営業に走ったりするわけです。 

 こんなことを経営やマネジメントなどと標榜したら、ドラッカーが真っ赤な顔をして怒り出すでしょうね。それと同じように、数字をこねくり回すことを政策と勘違いしている政治家が少なくありません。その典型がコロナ禍の緊急事態宣言なんだよな。テレビでは毎日午後3時に東京の感染者数を速報して大騒ぎするだけでなく、このままならステージ3とか4とか、いや7割減少したら緊急事態宣言も解除などと大声で解説していますが、そんなことの前に、政府や自治体が提示するのは目標数値ばっかりで、それを達成するための方法論がまるきり欠如していることに気づかないのでしょうか。

 どうすれば感染者が減少するか。これは1年も前からまったく同じで、要するに3密の回避です。しかしながら、これはあくまでもボクたちが心がけることであって、政府と自治体はもっと別のことをやるべきだったんじゃないかな。感染者の収容場所から救急救命体制の充実、医師や看護師など医療人の適正な配置や金銭的なケアなどなど、やるべきことは一杯ありますよ。飲食店の営業時短も同じで、中途半端に8時閉店にするくらいなら、休業できるほどの補償をするべきです。そもそも飲食店自体に感染の責任はないんですから。家にいろ、なるべく人と接触するなと、もはや分かり切ったことを指示する前に「いつ感染しても受け入れるから安心してね」とはあまりに言い過ぎにしても、医療に関してやるべきことは山のようにあるはずです。 

 それを見て見ぬフリして「帰宅したら手を洗ってうがいして」なんて子供を諭すようなことを言って誤魔化すんじゃないよ。そのくせ細かい数字による段階別の指標を出して、国民はそれに向けて努力しろというんだから、話が逆さまですぜ。いつどこで感染するか分からないからこそ、納税者を確実に保護する施策が先であって、数字なんか結果論に過ぎないじゃないか。ワクチンだって世界の先進国に比べて遅れています。いつまでB29に竹槍で立ち向かうつもりだよ。 

 テレビの評論家やコメンテーター諸氏も、それについてはまったく批評しません。国や自治体に楯突くと仕事がなくなるのでしょうか。これまではCSやBSばかり視聴してきたけど、コロナ禍なので朝と昼に地上波のニュース番組を横目で見るようになりましたが、やっぱりもうやめよう。ほとほと愛想が尽きました。ニュースはYouTubeでもまとめて見られるしね。

 女性蔑視で舌禍の森さんを近くで見たことがあるけど、悠々自適で引退できる人が権力に執着してはいけませんよ。功成り名を遂げたジーサンの進退は誰よりも潔くなきゃ。はぁ、これでも武士の国かよ。

 

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2021年2月 8日 (月)

何でもあり

 

 思えばアップルのスティーブ・ジョブズが始まりだったかもしれません。新製品などの記者会見やプレゼンテーションはスーツにネクタイが常識にもかかわらず、タートルネックのセーターで颯爽と登壇。マイクを手にして聴衆に語りかける姿は、製品と同じく実に革新的で格好良く見えました。 

 それに倣ってか、ITベンチャーの経営幹部もたちまちカジュアル全盛となったのですが、Gジャン姿のポートレートを掲載した会社案内を初めて見た時はさすがに驚きました。金融機関や投資家、取引先の参考資料になるため、業種や企業規模の大小を問わずダークスーツに白シャツ&ネクタイが通例でしたからね。普通の会社でないことを印象付けるには効果的な演出とも言えますが、それを敢然と実行したことから、ボクはいよいよ社会が劇的に変わりそうな予感を持ったのです。 

 残念ながら、その期待は微妙に外されてきましたが、若い人たちは「本当の実力者や金持ちはスーツなんか着ない」と刷り込まれたようです。ネクタイを着けたホリエモンなんて想像できないじゃないですか。もちろん大企業の新入社員が平日にセーターで出社なんてことは今でもあり得ませんが、クールビズとウォームビズでネクタイからは完全に解放。そして足元も、カッチリした革靴からソフトな運動靴に変わりつつあるらしい。女性にとってスニーカーなどはもはや定番ですが、先週に参加したオンライン・プレゼンテーションで、男性司会者がダークスーツ&タートルネックに真っ白な運動靴を合わせていたので、驚きを超えて衝撃を受けました。運動靴ならまだしも、ダークスーツの反対色、浮き立つような純白ですぜ。靴はズボンと同系色にしないと相対的に足が短く見える、という基本的なセオリーすら無視しています。名刺交換を始めとする社会的儀式や慣習はまだまだ存続していますが、少なくともファッションは先行的に新時代に突入したといっていい。そこにコロナ禍でテレワークですから、スーツ量販チェーンが各地の店舗を統廃合するのも不思議ではありません。

 そんなこんなで、要するに早い話が「何でもあり」になってきたんじゃないかな。これまでボクたちが金科玉条として従ってきたことは、すべて過去のものになりつつあります。こうしなきゃいけない、こうあるべきだ、なんてことに縛られる必要はもうないんですよね。この傾向をボクは大歓迎しますが、これまで無自覚に横並びに慣れてきた人にとっては、いきなり「何でもあり」といわれても当惑するはずです。楽な格好ならいいってものではないですからね。クールビズのノーネクタイでも、職探し中の失業者を連想させる人がしばしばいるんだよな。

 それでも「何でもあり」なのですから、個人のセンスもさることながら、世間や他人がどう見るかというよりも、自分にとってどうよってことに尽きるんじゃないかな。ちなみに、ボク自身は「気分がアゲアゲになる」ことを1つの指標にしています。きちんとしたルールはないようで実はあるのですが、とにかく気分が昂揚するモノやコトを優先的に選ぶようにしています。たとえば服装は、時には派手めな明るい色のジャケットを着ることもあるし、逆にすべてを黒のモノトーンでまとめることもあります。「何でもあり」であるなら、その時々の自分の気分しか頼りになるものはないじゃないですか。

 ファッションだけでなく、プロダクトやビジネスも同じように「何でもあり」が加速していくんじゃないかな。非常識が常識になると言い換えてもいい。そもそも市場経済はそうした自由闊達な切磋琢磨が前提ですもんね。それを自分本位な横車で牽制しながら支配を続けてきたのが大資本ですから、やはり現代は革命期といえるかもしれない。だったら、主役はボクたち自身にほかならないですよね、というのが今回の結論なのであります。

 

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2021年2月 5日 (金)

カーナビとの対話


 たまにカーナビ付きのクルマに乗せてもらうのですが、ルートを間違えた時の対応が面白いですよね。「300メートル先を右方向に」というのと「300メートル先を右折」というのが案外混乱しやすくて、特に都心では右折専用の細道が入り込んでいたりするので、見過ごして直進してしまうことがあるんですよね。

 紙の地図を見ていた頃は、ルートを間違えると「おいおいどうすんだよ」と運転者と同乗者が一緒になってパニックになりかけたりしましたが、カーナビは自動的に新しいルートを探してくれます。これが瞬時ではなく、考え込んでいることが明らかに分かるタイムラグがあるから愉快なんですよね。あたかも「えーっと、ちょっと待っててね。いま道を探しているから」と、まことに人間的な反応に感じられるのです。

 さらに、道路を熟知している場所では、カーナビの意図が透けて見えます。なるほどね、手前で曲がって東に向かうわけか。その先のほうが大きな交差点で右折しやすいんだけど、距離的にはこっちのほうが近いかもしれないな、などと、まさか口に出しては言わないまでも、心の中でカーナビと対話するようになるわけです。

 AIがもっと進歩すれば、「あ、間違えましたね。ちょっとお待ちください。それでは次の交差点を右折しましょう」と言うカーナビに、「右折はどうも苦手なんだよな」と人間が呟くと、「それでは左折の繰り返しはいかがですか、少し時間はかかりますが」なんて音声で対話することもあり得るんじゃないかな。

 このカーナビとドライブレコーダーをセットでクルマに搭載するのが常識になっています。今さら驚くことでもないでしょうが、ボクにとってはほとんどSFだった世界が現実化したように感じられます。この言葉は一般に「サイエンス・フィクション」の略とされますが、科学小説ばかりでもないことから「スペキュレイティブ・フィクション(思索的小説)」の略とする意見もあるようです。確かに「マッハ100ノット」という頭がクラクラするような超高速船が登場するSFもどきの小説もありますけどね。単位をちゃんと勉強してから小説を書いて欲しいなぁ。速ければいいじゃんかという思いつきとしか考えられません。編集者は出版前に読んでいなかったのでしょうか。

 ちなみに、1980年代にはキットと呼ばれる人工知能を搭載したスーパーカーに乗り込んだ私立探偵が活躍する『ナイトライダー』というアメリカのテレビ番組がありました。いずれボクたちも「キット、今日はデートなんだよ」「では口を挟まず静かにしております。ところでマイケル、彼女がお好きな音楽は何ですか」なんていう対話が可能になるでしょうね。

 てなことを、カーナビの案内音声を聞きながら想像するんだから、人間は機械相手にもファンタジーを感じる生き物らしい。ああ、そうなんですよ。本稿は技術革新と新型コロナの現代こそファンタジーが大切であると言いたかったのでした。子供がオモチャの刀を振り回したり、風呂敷を首に巻くだけでスーパーマンになりきれるのも、頭の中にファンタジーがあるからなんですよね。けれども、大人になると現実のほうが幅を効かせるようになります。やがてファンタジーを完全に失えば、簡単にウツ状態に陥ってしまう。おおおおおおお、だったら「サイエンス・ファンタジー」というSFの新ジャンルもあり得るではありませんか。

 今回は構成やロジックをまるきり考えることなく、思ったことをそのままの流れで文章にしてみました。自動筆記ほどのシュールレアリスムではないにしても、モノカキをナリワイとするボクとしてはかなり実験的な試みなのですが、お分かりいただけたでしょうか。


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2021年2月 4日 (木)

コロナバブル

 

 こんなバカなことがあっていいのかなぁ。コロナ禍で飲食業や観光産業は危機的な状況だというのに、株式市場は高騰。アメリカのナスダック総合指数は過去最高を更新したそうです。日経平均にしても30年ぶりの高値を記録しました。

 株式市場だけでなく、不動産やビットコインも値上がりしているため、2月9日付けの「ニューズウィーク日本版」では早々と「コロナバブル、いつ弾けるのか」という特集を組んでおります。その一方で東京商工リサーチは、コロナが原因の倒産が全国で1000件、失業者も8万人以上と発表(2月2日)。飲食などのサービス業では、学生やフリーターといった表の統計から漏れる非正規雇用者が多いので、実際に収入源を失って喘いでいる人たちはこの程度の数字では済まないんじゃないかな。

 にもかかわらず、このような乖離というか分断が発生しているのは、日本もアメリカも史上空前の財政出動と金融緩和を続けてきたからです。ボクはまともに経済学を勉強したことがなく、専門用語は苦手なので感覚的に表現すれば、景気を浮揚させるためにじゃんじゃん刷り続けたお札が、折からのパンデミックで行き所を失い、株式などの投資市場に集中しているんじゃないかな。莫大なカネがボクたちの頭上でグルグル回っているというのに、「5割の世帯が生活苦を実感」(幻冬舎GOLD ONLINE2月4日)しており、緊急事態宣言の延長によって、路上生活者や自殺者もますます増えそうな気配を見せています。

 これが自由な経済活動を許す資本主義の現実といえばそれまでですけど、銀行などの金融機関と投資家の皆さんは大切なことを忘れているんじゃないかな。何億円も、いや何兆円もお金があったところで、それを食べて身体の栄養にすることはできないんですぜ。目の前に山のような札束があっても、空腹や喉の渇きを満たせるはずがない。それを使える飲食店と従業者と、世界中に網の目のように張り巡らされた流通が維持されてはじめて、ボクたちは豊かな食事にありつけるのです。そう考えれば、カネの行き所がまるきり違う、というより偏波な目詰まりを起こしているじゃねえか、となるはずなのに、投資市場が気にするのは金利だけなんだよね。 

 こんな悲惨な分断を生む資本主義はもうやめようといっても、それができるなら前世紀にとっくに実現していたはずです。ボクはかつて唯一の希望の灯としてクラウドファンディングに期待を寄せたのですが、某経済学者に「そのカネをどこに投資するのかね」とせせら嗤われたことがあります。いま思えば、こういうオールドエコノミストが普及を阻んだといえるかもしれない。ところが、コロナ不況のおかげといえば顰蹙ものですが、あちこちでクラウドファンディングの動きが活発化してきました。どこまで普及するかまだ分かりませんが、大きな可能性を秘めていることは間違いないんじゃないかな。

 繰り返しますが、お札を食べることはできません。株式市場などへの投資も結構ですが、カネなんて何かと引き換えにしない限りは数字の列に過ぎない。そのことをもっと強く再認識すべきではないでしょうか。

  

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2021年2月 3日 (水)

年の差


 子供の頃の10歳の差というのは、かなり大きいですよね。5歳の子供は幼稚園か保育園ですが、15歳なら中学生。6歳の小学1年生に対して、16歳ともなれば高校1年生ですから、まさに10年ひと昔というべき違いがあります。

 ところが、大人に成長してしまえば、10歳程度の差はほとんど気にならなくなります。22歳の大学新卒社員と32歳ではさすがに社会経験が異なるので、雰囲気で年の差が分かりますが、28歳と38歳なら見かけはほとんど同じといっていい。30代と40代は、子供の有無が態度や所作に表れてきますが、生物学的な能力差はないといっても過言ではないはずです。

 50代くらいからは、年齢差なんか問題ではなくなり、今度は個人差が大きくなってきます。頭髪がめっきり後退して薄くなったり、白髪が増えれば、老けた印象は否めません。しかしながら近年は、豊かな黒髪で肌にもハリのある50代も珍しくないように思います。衛生環境が格段に向上したせいか、平均寿命は年々長期化しており、それとともに若く見える中高年が目立つようになったんじゃないかな。こうした傾向を受けて、夜中のテレビでは「若見え」のサプリや化粧品が大盛況で、「何歳に見えますか」なんてことをワイワイやっております。ボクが子供の頃は、50代といえばお爺さんお婆さんでしたけどね。

 それでも、60代に突入してからは、再び年齢差が顕著になっていくから面白いですよね。いかに「若見え」といったところで、強烈な「女優ライト」で照らさない限りは、細部のシワを隠せません。体力的にも衰えを感じるようになり、あちこちにガタが来ます。「よっこらしょ」が口癖になったりね。

 単純に年齢を比較しても、55歳はバリバリの現役ですが、65歳は定年後の高齢者として扱われます。後者は新型コロナのワクチンを優先的に接種できますが、前者は2か月くらい待たなきゃいけない。定年は70歳まで延びたようですが、そんな年齢まで働きたくないというのがお年寄りのホンネじゃないかな。

 要するに、30代〜50代における10歳の差は微々たるものでも、50代〜60代、60代〜70代と年齢を重ねるに連れて、その差はどんどん拡大するということです。遠くから近くに、そしてまた遠ざかっていくという感覚かな。70代は生存可能性が高いけど、80代になれば棺桶に片足、といえば大変に失礼なのでお詫びしますが、いつ亡くなってもおかしくないくらいの極端な違いがあるじゃないですか。

 だからどうよ、と問われたら、ま、それだけのことです。最近は高齢化に対応した老年学という新分野もありますが、年齢差なんか学問にならないだろうなぁ。身の回りのことを日記的に書くのはあまり好きではないので、ふと思いついたことを文章化してみました、すいません。平日は毎日更新するブログですから、たまにテーマが見つからなくて呻吟することもあるんですよね。

 

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2021年2月 2日 (火)

軍医部長・森鴎外の失策

 

 森鴎外といえば、夏目漱石とともに日本文学史上で双璧を成す大文豪です。それだけでなく、本業だった軍医としても、人事権を擁する最高位とされる陸軍省医務局長にまで上りつめました。

 ただし、ドイツ留学中に執筆した論文2本ともに臨床実験なしの切り貼りだった(ウィキペディア)など、近年になって毀誉褒貶が表出しています。その中でも、拭いきれない汚点として歴史に刻まれているのが脚気問題です。兵士の患者が急増していた脚気の原因について、軍医の森鴎外は細菌による伝染病説に固執。当時はビタミンこそ発見されていませんでしたが、それを含む麦飯が脚気を予防することが経験的かつ実証されていたにもかかわらず、これを黙殺したのです。

 1904年4月8日に、第1師団の鶴田軍医部長と第3師団の横井軍医部長が軍の食事を麦飯にするよう進言。けれども「麦飯供与の件を森(第2軍)軍医部長に勧めたるも返事なし」と『日露戦役従軍日誌』(横井禎次郎・著)に記されているそうです。日露戦争はからくも勝利しましたが、その陰で陸軍では約25万人にもおよぶ脚気患者が発生。うち約2万7000人が死亡に至りました。脚気がビタミンの欠乏による疾患であることが公的に認定されたのは、それから20年ほども経た1924年。森鴎外の死後2年目ですから、何かいわくを感じませんか。

 森医務局長が創設した臨時脚気病気調査会が原因の特定に貢献したという説がある一方で、脚気ビタミン説の否定に邁進しただけじゃないかという批判もあります。ボク自身は、後の薬害エイズなどの歴史を踏まえれば、森鴎外の失策にほかならないと考えています。ここでは略しますが、日本の行政は太平洋戦争の敗北を経てもほとんど変わることがなく、官僚は失敗しないという「無謬性の原則」が貫かれてきたからです。

 それはともかく、どうしてこんな昔話を今頃持ち出したかといえば、新型コロナでも、森医務局長と同じように、クラスターにこだわり過ぎたのではないかと疑っているからです。すでに面的な広がりを持つ市中感染に移行していたにもかかわらず、夜の街などのクラスター潰しに躍起になったのは、いったい誰の指示だったのでしょうか。ボクごとき素人でも海外の報道などで第2波や第3波の到来が予想できましたから、クラスターの徹底的な追求を一段落させて、PCR検査の拡充や入院体制の整備に軸足を移すべきだと思いますよね。 保健所にしても、爆発的に増加する相談者の対応や陽性者の隔離場所の振り分け、さらに濃厚接触者の調査などに追われたら、バンクしてしまうのも当然です

 結果的に医療や救急が逼迫し、本来は死ななくて済むはずの中高年や若者が自宅療養中に悪化して死ぬという悲惨な事態が起きています。いくら総理大臣が「申し訳ない」と頭を下げたところで、亡くなった人が生き返るはずがない。このような不備な対策、というより、そもそもPCR検査の普及に消極的だったのはどこの誰だったかくらいは、そろそろ特定すべきだと思うんだけどなぁ。政治家が判断できるわけないので、やはり厚生労働省の医系技官が関与しているとしか思えません。薬害エイズの時も、奥の院に隠れていた責任者が露見したのは被害が完全に終息してからだもんね。

 誰だってミスや間違いを犯します。それが分かったら修正すればいいだけですから、個人の責任を問い詰めるわけではありません。しかしながら、失策や誤謬を迅速に改めることができない組織には根本的な欠陥があります。最上位に座した1人の人間を崇め奉るあまりに、誤った決定でも覆すことができないんじゃないかな。誰かが止めれば、あるいは諫めてさっさと修正できれば、多数の命が救われたにもかかわらず、自分のクビを大事にして隷属と沈黙を続ける。流行語にもなった忖度が積み重なったピラミッド型組織によって、国家運営にかかわる重要な意思決定が、ボクたちには不可視な雲の上で行われてきました。こんなやり方を民主主義と呼んでいいはずがない。

 鴎外は「森林太郎の名前以外は墓に刻むな」と遺言したらしいですが、軍医としての致命的な判断ミスも火中に葬るつもりだったのでしょうか。死者を今さら糾弾しようというのではなく、陸軍省医務局長・森林太郎の失策を許した日本型組織が現代も継承されていることを、今こそ思い出してほしいのであります。

 

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2021年2月 1日 (月)

ビッグバンドの迫力


 先週土曜日はビルボード東京でビッグバンドの重厚な演奏を堪能しました。新型コロナのおかげで昨年夏に予約した公演は中止となり、今回も再び緊急事態宣言の直撃を受けてしまったので、「またかよ」と失望していましたが、午後4時半から始まる1部だけは生き残り、2部は無観客での配信に変更。たまたま1部に予約を入れていたおかげで、生まれて初めてビッグバンドをじっくり聴くことができたのです。ジェントル・フォレスト・ジャズバンド。名前がちょっと長いのですが、結成15年目を記念した公演だそうです。

 サックス&クラリネットが5人、トロンボーンが5人、トランペットが4人。それにギター、ウッドベース、ドラムス、ピアノで総勢18人という大所帯によるサウンドですから、その迫力に開演直後から圧倒されました。一昨年に代々木公園の野外ステージで聴いたこともあるのですが、音が拡散しない屋内の管理された環境は格別です。演歌からジャズまで音楽は何でも好きだけど所詮は素人に過ぎないので、細かい感想は遠慮しますが、それぞれの音が粒立っており、とにかくハーモニーが立体的なんですよね。ある時は静かに、次は強く吹き込むというメリハリも、目の前で風を巻き起こすように感じられました。バンドリーダーでありトロンボーンを担当するジェントル久保田の指揮が、そのリズムとアンサンブルを視覚化してくれます。さらに、女性3人のコーラスグループ、ジェントル・フォレスト・シスターズが加わり、とても豊潤で贅沢な90分を過ごすことができました。

 以前から交響曲とビッグバンドはライブでなければ醍醐味が分からないと思ってきたんですよね。どんなに高級なコンポを揃えたところで、スピーカーによる録音の再現では、音がひとかたまりで流れてくるからです。学生の頃に、たまたま交響楽団のリハーサルを漏れ聞いて、自分がレコードで聴いてきた音とあまりにも違うので驚愕したことがあります。それまでの音楽がニセモノとは言わないまでも、人工的な再生に過ぎないことを再認識させられました。

 日本ではベートーベンの第9番が年末の恒例になっているせいか、交響楽団のライブを聴くのはそれほど困難ではありません。ところがビッグバンドとなると、ボクの探し方がヘタなのか、機会があまりないんですよね。コンサートホールの椅子で畏まって音楽を聴くのは嫌いというのも原因かもしれない。ビルボード東京は大箱ですが、レストランシアターですからね。テレビから歌謡曲が頻繁に流れていた頃は、いくつもの有名なビッグバンドが歌手の背後で演奏していましたが、そうした音楽番組は激減してしまいました。おかげで大人数のバンド経営が厳しくなったということもあるんじゃないかな。

 ジェントル・フォレスト・ジャズバンドに関しては、その中から5人をピックアップしたジェントル・フォレスト・ファイブとシスターズが一緒になったステージを浅草のライブハウスで毎月のように聴いてきたので、いつかは本体の演奏を聴きたいと念願。それがようやく今年になって叶ったという経緯になります。

 それだけに、サウンドはいま思い返しても圧巻だったなぁ。多数のブラスが奏でる重層感と臨場感はライブならではというほかありません。そうした一期一会あるいは瞬間性というのか、再現が絶対的に不可能な時空間の提供がこれからの成長ビジネスになる予感がするんだよな。技術革新とデジタル化で、複製なんていくらでも可能な時代ですからね。となれば、やはり新型コロナを早く退治してほしいものです。


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