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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

ニュース

2012年1月13日 (金)

グルメの背景

 いくら美味しいといわれても、メシを食うのに何で長い列に並ばなきゃいけないのかと思うタチなものですから、グルメの評価なんてほとんど気にしたことがありません。霞町のアイスクリーム屋で話題になった「行列屋」なるニュービジネスもあったので、「たべログ」のイカサマ投票が問題になるなんて、むしろ意外に健全なんだと驚いたくらいです。業界ではこれを「ステルス・マーケティング」などと呼ぶそうですけどね。

 

 みなさん、ああいうネットの口コミをどれだけ信用しているのでしょうか。

 

 AKB48の選挙だって組織票が多い(まったく興味ないですけど)と言われたので、いつか誰かが商売にするだろうと薄々考えてはいましたが、たいていの人は最初から「ホントかよ」と眉唾で読んでいたのではないでしょうか。そうでなくても、そうあって欲しいなぁとボクは強く思うのであります。

 

 そんな口コミ評価の真偽より、近頃はハズレの店があまりにも多いことのほうが大問題ではないでしょうか。あくまでも個人的な感想なんですけど。

 

 つまり、ですね。ちゃんとした調理ができない料理人や飲食店が激増しているように感じられるのです。

 そもそも大学進学率が50%を超える高学歴化の時代に、地道で長く厳しい修業に耐えて技能を習得しようとする若者が果たしてどれだけいるのでしょうか。何しろ、ほめる技術を認定する「ほめ達人検定」が管理職に人気というのですから(日本経済新聞1月11日朝刊)、「辛い」+「修業」という言葉の組み合わせ自体が死語になっていくかもしれません。

 

 もちろん、中には自らの強い意思で料理人の道に入る若者もいるだろうし、そうでなくてはなりません。大学を出てから料理人を目指すのもいいじゃないですか。

 けれども、多くの親はきっと反対するでしょうね。父母の世代は大学進学率が今ほどではなかったので、「せっかく大学まで卒業させたのに……」という認識ギャップがあるからです。

 

そんなこんなで、最近は宣伝やマーケティング、それに内外装だけにこだわって、ちっとも美味しくない高級飲食店が増えてきたように思うのです。長く修業すれば必ずウマいものをこしらえられるとは限りませんが、安直に美味しい料理が作れるはずもありません。

 

 基礎となる修業期間を逃げるようにやり過ごしてしまうと、首尾良く独立しても、開店後に頼りになるのは外見・外観と人気と利益だけとなります。かくて、宣伝やメディア受けは上手だけど、内実の伴わない飲食店が続々と誕生しているのではないでしょうか。電卓だけで美味しい料理ができるはずないのにね。

 

 いかに口コミを操作して人気が出ようと、それはいっときのことで、ウマくない店は必ず淘汰されるはずです。と思っていたら、残念ながら事態は必ずしもそうではないらしい。これについては友里征耶氏の近刊『グルメの真実』(宝島社新書)をお読みください。

 

 さて、明日の土曜日から毎年恒例の時計取材でスイスに出張します。いつものように朝日新聞社のニュースサイト「アサヒコム」に現地からレポートを送ることになっているので、このブログは1週間ほどお休みします。帰国後もちょいと急ぎの仕事と出張もあるので、更新は1月25日からの予定にしております。

 とはいっても、昨年も一昨年も現地から身辺雑記のような文章を送ったので、時々チェックしていただければ幸いです。

 

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2012年1月 6日 (金)

逃亡者

 オウム事件の容疑者が昨年末に自首したそうです。95年3月に1000万円を持って消息を断ったというのですから、まるっと16年9か月。生まれたばかりの赤ん坊が高校生になるくらいの歳月です。不謹慎といわれるかもしれないけど、そうした長期の逃亡生活がいかばかりのものであったかと、強い興味を感じます。

 子供の頃に見たアメリカのテレビ番組「逃亡者」の影響もあるのかもしれません。こちらは彼と違って無実の罪ですが、あちこちの街でそれなりの事件が起きて、見つかりそうになって再び逃げるというストーリーでした。視聴率さえ取れればいくらでも続けられるので、制作者側には大変に便利な設定ですよね。これを逆さまにしたのがブラッカイマーの新作テレビドラマ「CHASE/逃亡者を追え!」です。しかも犯罪者を追いかけるのは女性ですから、時代は変わりました。

 いずれにしても、いかなる地域や生活にも定住しないで、というより定住できない悲哀のほうが強いのでしょうが、若い頃のボクはそういう生き方(逃亡ではありません。念のため)に漠然とした憧れを抱いていたように思います。

 イスラエルに行った時にネゲブ砂漠で見たベドウィンも、国境を持たない放浪の民といわれます。昔はジプシーと呼ばれたロマ族も同じような存在であり、さらに歴史をさかのぼればアラブ民族も近年まで国境を持っていなかったとそうです。

 早い話が国境を持つ主権国家なんて近代のことで、地面に線を引いて永続的に区切るほうが不自然ともいえるわけです。

 おそらく人は安住の地を見つけることが太古からの願いであり、それが国境という窮屈な形で実現してしまうと逆に、自由かつ生存の不安がきっちり伴なう存在感に思いを馳せるのかもしれません。デラシネ(根なし草)なんて言葉も一時期は流行しましたからね。

 思えばボク自身は小・中学校で何度も転居しており、入学から卒業まで一貫していたのは高校だけです。だから、それ以前の友人なんてほとんどいません。さらに名古屋から東京へ。小・中学の同級生にとってボクはもはや「消えた存在」に違いありません。こういう生活を経験すると、定住はむしろ気を使うことが多く、時には閉塞感を覚えることもあります。

 その反面で、定住しなければ安定も得られるはずがない。このことは必ずしも「トレードオフ」とはならないのですが、あくまで健康であることを前提として、放浪に何とない憧れを感じてしまうのです。そう思えることが、一種の贅沢にほかならないことも十分に自覚しておりますけどね。

 そういえば時効直前まで逃亡していた女性や、整形で顔を変えて逃げ切ろうとした青年もいました。

 それにしても、どうやって約17年にも渡る逃亡生活の費用を賄っていたのでしょうか。それほど隠れ支援者が多い教団とは考えられませんから、短期の派遣やアルバイトなどで働いていたとすると、いよいよボクの中でドラマがあれこれと膨らんでいくわけです。

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2011年7月19日 (火)

それにひきかえ……

 いやあ、日本の女子サッカーはすごいですね。ボクだったら、ワールドカップの決勝に出られただけで満足するところですが、先取点を取られてもなお粘って得点していく気力には感心させられました。それで優勝ですから、とにかくスゴい。やはり、女性の時代なのでしょうね。

 さらに、月曜日には6月に開催された「石垣島うたの日」をWOWOWで放送していました。BEGINの「島人ぬ宝」を聴いていると、沖縄を愛する気持ちが伝わってきて、ちょっと泣けてきます。

 というのも、ボクはそう感じられる故郷というものがないからです。

 名古屋出身とはいうものの、小学校・中学校では転校を繰り返しました。親父が会社を辞めるたびに引越しをしたので、「ここが生まれ育った場所」というのが特定できないのです。さすがに高校だけは3年間続きましたが、その後は東京でしたから、何というか根なし草です。親戚もほとんど知らず、父も母も亡くなりました。糸の切れたタコみたいなもので、自由ではあっても天涯孤独ということになります。

 だから、小・中学校からの友人もいません。高校時代の友人もごく僅かです。そういう人間が「島人ぬ宝」を聴くと、すごく羨ましいなあと思うわけですね。

 個人的なことはさておき、女子サッカーの活躍に比べて、政府は何をやっているのでしょうか。確かに「なでしこ」は勇気と希望を与えてくれましたが、政府は被災地復興のためにカネを出さなければならない。なのに、第二次補正予算もようやく今週になって国会通過というから呆れてしまいます。それも2兆円程度。まだ、ガレキは半分程度しか除去されていないそうですから、この予算は復旧対策であって復興ではないのです。

 第三次では本格的な復興予算が組まれるといわれますが、それが9月では明らかに遅すぎる。その財源に消費税だ酒税だタバコ税だなんて騒いでますが、いい加減にしてほしいですよね。きっと財務省の思惑は復興支援の名目による消費税のアップでしょうが、そんなことをしたら、ますます景気の足を引っ張ることになります。

 考えられるのは復興債しかないのに、政治家の皆さんは腰が引けていて、脱原発いや卒原発だの何だのという割には、復興予算について何のアイデアも出すことができない。これでは被災地は置き去りのままです。

 頑張れとか希望を口にするのは簡単ですが、おそらく被災地が最も望んでいるのはおカネだと思うのです。それが供給できないのは、シュートしないストライカーと同じで、はっきりいえば職務怠慢ではありませんか。

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2011年2月 9日 (水)

競争忌避

 大相撲の八百長が話題になっていますが、これって日本の社会風土の悪しき側面を象徴していると感じます。というのも、建設業界などの「談合」なんか八百長そのものじゃないですか。政治献金による便宜供与も、官僚の天下りだって似たようなものです。

 どうやらボクたちは「公正な競争」が死ぬほど嫌いらしいのです。

 こうした行為は、法律やルールの上では八百長でも、相互扶助つまり「助け合い精神」と考えられなくもありません。旧知の力士が十両から陥落すれば給料がもらえなくなるというなら、何とか助けてやりたいと誰だって思うでしょ。どんなコトでも裏と表があるので、「八百長」は「間違った相互扶助」であると認識しておかないと、根絶するのは無理なんじゃないかなあ。

 ただし、ボクたちはすべての競争を嫌う「草食民族」ではないようです。もしそうなら入学試験も、狭き門の国家試験や資格試験が存在するはずがありません。問題なのは、ある段階を超えたところで、突如として「競争忌避」が発生することです。

 弁護士なんかは典型的で、旧試験は合格率3%の超難関。だからこそ合格者の利権が保護されていました。入口までは厳しい競争環境でも、いったん合格したら天国。このため、新制度によって有資格者が急増して利権が守られなくなると、途端に「合格者増員は抑制」という声が上がるようになり、行政はそれを追認しました。公認会計士も同様です。

 そして、企業における「年功序列」もまた、ある年齢を超えれば、仕事の質は別にして所定の給与と待遇を保障する制度ではありませんか。そのかわりに、安定した大企業への入社や公務員試験は難関であり、新卒は熾烈な競争を強いられています。

 ここで見られるのは、「上がり」という発想だと思います。ある段階までは必死に競争するべきだけど、「上がり」になったら、その身分や待遇は保障される。そのほうが楽チンだし、死ぬまで競争するような社会って辛いじゃないですか、確かにそうだよね、そうしよう、という多数の無言の意志共有が、そうした制度を作ってきたような気がします。

 ここで例にするのは大変に恐縮なのですが、大学教授も実はそうした側面があるようです。松野弘著『大学教授の資格』(NTT出版)では、以下のように指摘しています。

「例えば、助手から講師や助教を経て准教授、そして教授と序列を上がれば上がるほど、むしろ人数は増えてゆくのである。このことは少なくとも数字上では競争が発生する余地はなく、日本特有の年功序列型の昇進が保証されていることを意味する」

 若年人口の減少で、これがいつまでも続かないと分かってはきましたが、日本という制度のフタを開けてみれば、このような「上がり」が企業であれ大学であれ、公務員であれきちんと保証されていたわけです。だったら、何で大相撲だけがいつまでも天国と地獄を行ったり来たりする不安定な生活でなきゃいけないのか。せめてギリギリのところだけは融通をきかせようとなっても、決してヨコシマだとは言い切れなくなってきます。

 では、なぜこうした制度が生まれて、長く維持されてきたのか。かつては競争の当事者であったはずの若い人たちは、なぜ反乱や抗議をしないで、自らそれに組み込まれていったのでしょうか。

 ボクはおそらく日本が「閉じた社会」だったからだろうと考えます。閉鎖社会では、その中で競争関係が完結するため、次第に変質して、今度は馴れ合いによる利権の維持へと向かうわけですね。

 これは、大陸の動物の個体差が極端に大きいのに対して、孤島の動物はほとんど同じようなサイズであることと似ています。大陸では極端に大きいか小さくないと食べられてしまう。けれども島には外部から強力な捕食者がやってくる脅威がないため、似たような個体のサイズでも生存を維持できるからと解釈する研究者がいます。実際に日本には身長2メートルを超える人ってほとんどいませんが、大陸ではそれほど珍しくはないですよね。

 その真偽は別にして、「閉じた社会」に独自の共存ルールが生まれてくることに不思議はないでしょう。日本は戦後長く「閉じた社会」だったのかもしれません。それが日本独自の「上がり」制度を作ってきた。

 ところが、この国はもはや閉じていることはできません。人口減少でジリ貧の国が閉じていたら、再び発展途上国に逆戻りしてしまいます。

 であるなら、日本という国内だけでなく、世界に向かって胸を張れるようなルール、法律、そして制度や文化風土を新しく作っていかないと、もうダメなんだと。そうした意味では「日本独自」や「伝統」という言葉の独善的な側面も意識するべきでしょうね。

 そういうことを今回の八百長事件は教えているのだとボクは思います。

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