何でもあり
思えばアップルのスティーブ・ジョブズが始まりだったかもしれません。新製品などの記者会見やプレゼンテーションはスーツにネクタイが常識にもかかわらず、タートルネックのセーターで颯爽と登壇。マイクを手にして聴衆に語りかける姿は、製品と同じく実に革新的で格好良く見えました。
それに倣ってか、ITベンチャーの経営幹部もたちまちカジュアル全盛となったのですが、Gジャン姿のポートレートを掲載した会社案内を初めて見た時はさすがに驚きました。金融機関や投資家、取引先の参考資料になるため、業種や企業規模の大小を問わずダークスーツに白シャツ&ネクタイが通例でしたからね。普通の会社でないことを印象付けるには効果的な演出とも言えますが、それを敢然と実行したことから、ボクはいよいよ社会が劇的に変わりそうな予感を持ったのです。
残念ながら、その期待は微妙に外されてきましたが、若い人たちは「本当の実力者や金持ちはスーツなんか着ない」と刷り込まれたようです。ネクタイを着けたホリエモンなんて想像できないじゃないですか。もちろん大企業の新入社員が平日にセーターで出社なんてことは今でもあり得ませんが、クールビズとウォームビズでネクタイからは完全に解放。そして足元も、カッチリした革靴からソフトな運動靴に変わりつつあるらしい。女性にとってスニーカーなどはもはや定番ですが、先週に参加したオンライン・プレゼンテーションで、男性司会者がダークスーツ&タートルネックに真っ白な運動靴を合わせていたので、驚きを超えて衝撃を受けました。運動靴ならまだしも、ダークスーツの反対色、浮き立つような純白ですぜ。靴はズボンと同系色にしないと相対的に足が短く見える、という基本的なセオリーすら無視しています。名刺交換を始めとする社会的儀式や慣習はまだまだ存続していますが、少なくともファッションは先行的に新時代に突入したといっていい。そこにコロナ禍でテレワークですから、スーツ量販チェーンが各地の店舗を統廃合するのも不思議ではありません。
そんなこんなで、要するに早い話が「何でもあり」になってきたんじゃないかな。これまでボクたちが金科玉条として従ってきたことは、すべて過去のものになりつつあります。こうしなきゃいけない、こうあるべきだ、なんてことに縛られる必要はもうないんですよね。この傾向をボクは大歓迎しますが、これまで無自覚に横並びに慣れてきた人にとっては、いきなり「何でもあり」といわれても当惑するはずです。楽な格好ならいいってものではないですからね。クールビズのノーネクタイでも、職探し中の失業者を連想させる人がしばしばいるんだよな。
それでも「何でもあり」なのですから、個人のセンスもさることながら、世間や他人がどう見るかというよりも、自分にとってどうよってことに尽きるんじゃないかな。ちなみに、ボク自身は「気分がアゲアゲになる」ことを1つの指標にしています。きちんとしたルールはないようで実はあるのですが、とにかく気分が昂揚するモノやコトを優先的に選ぶようにしています。たとえば服装は、時には派手めな明るい色のジャケットを着ることもあるし、逆にすべてを黒のモノトーンでまとめることもあります。「何でもあり」であるなら、その時々の自分の気分しか頼りになるものはないじゃないですか。
ファッションだけでなく、プロダクトやビジネスも同じように「何でもあり」が加速していくんじゃないかな。非常識が常識になると言い換えてもいい。そもそも市場経済はそうした自由闊達な切磋琢磨が前提ですもんね。それを自分本位な横車で牽制しながら支配を続けてきたのが大資本ですから、やはり現代は革命期といえるかもしれない。だったら、主役はボクたち自身にほかならないですよね、というのが今回の結論なのであります。
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