笠木恵司の主な著書

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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

日記・コラム・つぶやき

2019年6月14日 (金)

トランペット

 大学受験に失敗して浪人だった頃じゃなかったかと思うのですが、何かのきっかけでトランペットを預かったことがあります。その経緯はまるで思い出せないのですが、中学の頃からギターを弾いていたので、音階をつくるバルブが3本しかないトランペットなんか簡単だろうと思ったら、管楽器は仕組みがまるで違うんですよね。

 マウスピースを取り付けて口から息を出すだけでは、それこそウンともスーともいわない。ただ空気が通り抜けていくだけです。唇をふるわせて「ププー」という感じで音を出してはじめて、それを増幅してくれる楽器なんですよね。このため最初はマウスピースだけで音を出す練習をするのですが、コツが分かるまでに1週間ほどかかりました。

 ある時に突然、プァアオーという死にかけた象の鳴き声をみたいな音が出るようになり、「ああ、こういうことか」と暗黙知を体感しましたが、それでもメロディは無理。前述のバルブを押せば音がすぐに変わるというものではなく、演奏者自身が音階を吹き分けると、それをアシストしてくれるだけの存在なのです。早い話が、口笛の音をより大きくするのが管楽器の本質ですから、演奏者の音感が相当に影響してきます。ギターのように、誰でもポロンと音が出るというシロモノではないんですよね。

 では、音が出れば一丁上がりかといえば、それからが問題なのです。アパートやマンションなど共同住宅の一室で練習したら、間違いなく苦情がきます。今ならヘタすりゃ凶悪な隣人がナイフ持参でノックするかもしれません。一戸建てにしても、家が隣接していたら音は漏れてしまうでしょう。ボクも当時は「うるさい!」と言われたことがあります。やっと音が出たばかりでメロディもロクに吹けないですから、聞かされるほうは拷問に等しいのは確かです。

 でもさ、それでは天才トランペッターは防音室を完備したカネ持ちの家からしか生まれないことになります。貧乏な暮らしの中で、誰かから譲り受けたトランペットを手にして、次第にミュージシャンとして名を成していく出世物語なんて成立しません。ようやく本題に近くなってまいりましたが、ボクはそのことを言いたいわけです。

 かのルイ・アームストロングはアメリカ・ニューオーリンズの貧民街で生まれました。子供の頃に誤ってピストルを発砲。おかげで少年院に送致され、そこでトランペットの原型であるコルネットと出会い、才能を開花させていったのです。その時に「うるせぇなぁコノヤロー」と言われて断念していたら、後年の名曲の数々は誕生しなかったことになります。

 でもね、ボクの体験を言わせていただければ、日本はこういう管楽器を練習するにはまるでふさわしくないところなのです。川のほとりならいいだろうとクルマで行ったこともありますが、しばらくすると見知らぬオッサンが近づいてきて、「キミね、近隣に大迷惑をかけていることを分かっているのか」と理詰めで叱られました。河川敷の打ちっ放しゴルフのほうがよほど迷惑で危険だろうと思いますが、とにかく練習する場所はどこにもないのです。今ならカラオケに行けばいいんだろうけど、当時はそんな施設なんかなく、もしあったとしても室料は決して安くはありません。

 それでトランペットを泣く泣く持ち主に返却。以来、一度も吹いていません。かくて新世代のルイ・アームストロングは、まことに勿体なくも可哀想なことに、生まれる前にそそくさと抹殺されたのであります。うまくすれば日野皓正やMALTA、北村英治なんかと共演していたかもしれないのに、社会的損失じゃないか。

 もうちょっと皆さん、寛容になれないものでしょうか。未熟な者を優しく見守るという余裕が、どんどんなくなってきたように感じます。みんなは自分の権利ばかり主張するけど、大人は子供を健やかに育てる義務ってものがあるんだぜ。それを忘れた国なんて、人口減少で早く滅びたほうが世界のためじゃないかとすら思うのであります。

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2019年6月12日 (水)

拳銃か毒薬

 

 以前に、ある外国人から「日本人は本当におとなしいね。まるで奴隷のように政府や行政に従う」と言われたことがあります。万世一系で元号が令和になれば、天皇制の歴史も背景もろくすっぽ知らないのにバンザイ三唱ですから、ボクだってアホかと思うことがしばしばあります。

 それでもね、2000万円ですぜ。老後30年を夫婦で生き延びるためには、年金以外にこれだけの大金が必要になるというなら、それが用意できない人は死ねといっているに等しいではありませんか。にもかかわらず、メディアの論説は、政府に気を遣っているのか穏やか過ぎますよ。年金制度の不備だの、貯蓄から投資への誘導だとか何とか、本筋を外れまくっています。優秀な官僚たちが何を意図したか知りませんが、前述したように、そのカネがなければ夫婦揃って必ず飢え死にしますぜ、というのが正しい見解というものでしょう。

 では、みなさん、じわじわとカネがなくなり、やがてコンビニでオニギリも買えなくなって「腹一杯メシを食いたかった」と遺書でも残して死ぬのでしょうか。そんなことを言われてもなお、国民はじっと黙っているんだから、いやぁもう実にご立派というほかありません。それとも、いつか宝クジでも当たると思っているんだろうか。ちなみに、ボクは20年ほど前からそう願ってきましたけどね。

 いずれにしても、こんな国になお生き続けたいというなら、こうした災厄の元凶である政府と行政に対して、もっと大規模な抗議行動を起こすべきでしょう。けれども、残念ながら、そんな気配はぜーんぜん、まるきり、ずずずいーっとありません。なぜなら、元気な若い人たちはジーサンたちが年金のカネを搾取していると感じているからです。いくら若者がカネを納付しても、将来に貰える年金額は雀の涙。それもこれもジジーたちが旧制度に守られて、ぬくぬくと年金を懐に入れているからだってね。

 そもそもの年金設計が世代間負担を前提にしていることからしておかしいのですが、そこに古手の温泉旅館のように増築・改築を繰り返してきたことに問題があるのです。けれども、想像力のない人間は、どんなことだって近親や近隣の憎悪から始まり、上まで行かずに終わってしまうんですよね。

 だからボクは、以前から65歳を過ぎた人には、無料の健診票ではなくて、拳銃か毒薬を配るべきだと主張してきました。銃口は政府並びに行政の担当者だけでなく、自分にも向けることができるじゃないですか。配った拳銃がメルカリから流出すれば大変な社会問題になるので、もちろん冗談に決まってますってば。

 だったら毒薬がいいかな。カネがなくなった時、または生きる意欲を失った時には自分で終止符を打つ。長く働いてきた老人に、それくらいの自由と楽しみが残されていても然るべきではありませんか。いずれにしても、そうしたリアリティを死ぬ間際にしか持てないというのは、死をまともに教育されていないからです。

 今ごろ、あの外国人は「日本の支配者は国民を愛すべきマヌケだと思っているはずだ」と仲間たちと噂話しているんじゃないかな。不愉快極まりないけど、否定することもできない、悲しむべき真実ではないかとボクも思ってしまうのです。

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2019年6月11日 (火)

浅はかな機能主義

 

 ボクが検診などで利用してきた大病院が隣地で新築。何もかもピカピカに生まれ変わったのは結構ですが、それを見たボクの印象は「アホやなぁ」なんですよね。

 だってさ、そこらのオフィスビルとほとんど変わりないんですよ。看板なしで遠くから見たら、知らない人は病院と認識できないはずです。

病院というのは、医師や看護師などの関係者を除けば、元気な人が行くところではありません。健康診断にしても、精密検査が指示される可能性もあるので、必ず不安が伴いますよね。そうした人たちが集まる建物を、元気なビジネスマンがバリバリ働くオフィスビルと同じ機能主義で設計・建築している。だからね、アホじゃないかと。

 そりゃね、車椅子がのぼれるスロープやら、ゆっくりしたエスカレータも配備されていました。そんなのは当然過ぎるほどの設備でありまして、ボクが指摘したいのは、遠くから見て「あ、病院だ!」と分かるような個性に乏しいってことなんですよね。人口減少で患者も減ってきたらオフィスビルに転用するつもりなのでしょうか。

 建築としての機能性にこだわり過ぎて、患者が集まる病院としての役割を忘れているとしか思えません。いくら鉄筋コンクリート造といっても、優しさや暖かみを感じさせる外観や内装は工夫次第でいくらでも可能なはずです。東京オリンピックに向けて建設途上の国立競技場だって、冷たいコンクリートでなく木材を中心に設計されています。いっとき爆発的に流行したコンクリート打ちっ放しなんて、ボクに言わせれば、そこらの公衆便所とどこが違うのかと。

 フレームだけは頑丈な鉄筋コンクリートにするとしても、一部を木造にするとか、木肌のパネルを敷き詰めるなど、患者の不安を少しでも解消できるデザインを考えるべきでしょう。にもかかわらず、ビルとして、建物としての汎用的な構造ばかりが追求されている。こういうことを、利用者不在の浅はかな機能主義とボクは断じてしまうんだよな。

 人間の精神を落ち着かせてくれる教会は、偶像崇拝を禁じているユダヤ教を除いて、かなり遠くからでも分かります。高く伸びた十字架だけでなく、教会建築と呼ぶべき確固たるスタイルがあるからです。なのに、身体の病気を担当する病院はオフィスビルと大差がない。病院建築というジャンルがあって然るべきなのに、寡聞にして、そんな建物を見たことがありません。

 病院というのは、心身を癒やすところですが、それは医師や看護師だけの役割ではないでしょう。受付などの事務職もそうであるように、建物だって、傷つき病んだ人たちを穏やかに優しく包み込む環境であるべきです。そうした本来的な目的を忘れた機能主義は、いかに優秀であっても浅薄というほかありません。なのに、そんなものが大手を振ってまかり通っているのが、いまの日本なんだよな、はぁ。

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2019年6月10日 (月)

好悪の感情

 

 人のやることなんて、好悪の感情で評価が180度変わってきます。仕事が遅いというネガティブなことでも、好意的に見れば「慎重で正確」といえなくもありません。逆に仕事がいくら早くても、そいつが嫌いなら「拙速」ということになるわけです。

 ちなみに、この「拙速」も評価が分かれる言葉でありまして、「拙」というのはマズいと読むように出来が悪いという意味。それに対して「速」は早いということ。つまり、出来は悪いけど仕事は早いという相反した評価を含む、実は複雑な言葉です。仕事の巧拙と速度は必ずしも相関しないとボクは思いますけどね。それに、締め切りに間に合わなければ、どんな優秀な仕事も無駄になりかねません。けれども、日本という国は何事も横並びで、集団的な合意が必要とされるせいか、「拙速」が嫌われる傾向が強いようです。

 でもさぁ、アマゾンなんて最初の頃は問題や課題が山積みで、長く赤字が続いてきたと思うんだけどな。今でこそ世界を支配するGAFAですけど、最初からうまく行っていたわけではないはずです。しかしながら、デジタルの世界はアイデアと速度がすべてであって、巧拙なんかより「速」のほうが圧倒的に重要なファクターだったことは誰もが指摘するところです。

 だから日本はデジタル革新に乗り遅れてしまったといえるのですが、その続きを言い出したらキリがないので話を元に戻すと、上司と部下のお互いの評価も、同僚同士の評価にしても、あたかも男女関係のように好悪の感情がすべてということなのです。相手が嫌いなら、どんなことでも悪い方に見えてしまう。好きであれば、少しばかりの失敗や間違いもご愛嬌と片付けることができます。

 ボクがどうして今さらこんなことを言うかといえば、人工知能と機械化の進展によって、人間には定量的な仕事ではなく、定性的な仕事が回ってくるようになったからです。「量」が問われる仕事はどんどん機械が代替するようになったので、人間は企画や管理のような「質」が問われる仕事が多くなったとも言い換えられます。あくまでもたとえば、ですけど、袋詰めなどの仕事は、そいつが好きだろうが嫌いだろうが、1時間に何個という量で能力が判断されます。職場に人間的な感情はあったとしても、そうしたパフォーマンスの評価に関与する余地はなかったわけです。

 ところが、企画やらマネジメントやマーケティングは、最終的な結果は「量」としても、途中のプロセスでは「質」が判断されることになります。この時に数字で換算できる具体的指標が乏しいために、感情が入り込みやすいんですよね。かくて飛び抜けて独創的な企画でも、社内の礼儀を平気で無視する自分勝手な奴という理由だけで握りつぶすことも不可能ではありません。オレの言うことを聞かない、だから嫌い。そんな奴のアイデアに将来性なんかあるか、という感じかな。それだけが原因とは言いませんが、数々の画期的な技術と優秀な技術者を海外に流出してきたことは事実です。

 というわけで、これからは機械に潤滑油が必要なように、人間関係も感情を円滑化する努力がより必要になってくるんじゃないかな。それでも好悪の感情は遺伝子に根ざした深い部分もあるように思います。どんなに懐が深くて優しい人格者でも、1人や2人は好きになれない奴がいるはずです。そうした人間的な感情の克服が、これからの職場の大きな課題になっていくでしょう。

 それを解消する方法は決して難しいことではありません。コミュニケーション、すなわち情報流通を頻繁にやればいいだけのことです。それが欠如しているから、感情にもとづいた誤解や曲解がどんどん増幅していく。嫌いな奴と話なんかしたくないのが人情ですが、私生活なら許されても、利益共同体である職場では仕事の成果や自己評価にかかわってきます。

 だから、怖れず、面倒がらず、逃げることなく、嫌いな奴でも報告・連絡・相談していくほかありません。仲良くなる必要なんてありませんから、5W1Hをクールに伝達する。情報を囲い込むことが最も危険なのです。現代では相手と直接に面談しなくてもメールという便利な方法だってあるじゃないですか。

 それが人間の好き嫌いを仕事に直結させない秘訣であり、「不機嫌な職場」を少しでも「楽しい職場」に近づける極意ではないでしょうか。

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2019年6月 7日 (金)

K君のこと(後)

 

 K君が理系だったなんて全然知りませんでしたが、九州の高校を卒業すると、埼玉県にキャンパスがある某工業大学に入学しました。ボクと同時期に上京したものの、都心立地の大学ではなかったことが大いに不満だったようです。だったらそんな大学を選ばなきゃ良かったのに、おそらく高校の進路指導に従ったんでしょうね。

 たまに会っても安酒場で酔った記憶しかありませんが、「つまらん」と何度も不平を口にしていたような気がします。ボクはボクで、とにかくカネがない。

「K君、いい時計してるじゃないか」
「そんなことないよ、親父が買ってくれた安物だから」
「いや、立派なブランドものだから、結構高いと思うぞ」
「そうかなぁ」
「そうだよ。ボクが保証する。それでも疑うというなら、あそこに行ってみないか?」

 そう言ってボクが人知れずこっそりと指さした先には、質屋の看板がありました。ま、カネがないのはお互い様ということで、しばらく預けることに彼も同意してくれましたが、手にしたのは期待を大きく下回る1500円。「じゃ行くか」と近所の安酒場に行って終わりです。あの時計はおそらく質流れになったんじゃないかな。騙すつもりは決してなかったので、ごめんなさい。というわけで、繰り返すようですが、実に優しい奴なのであります。

 その証拠に、彼は大学中退後、五反田駅近くの立派なマンションに住んでいたことがあります。もろちん自分で家賃を支払っていたわけではありません。遊びに行った時に、どうやって仲良くなったか知りませんが、バーのホステスさんと同棲していると聞きました。亡くなった萩原健一=ショーケンに似ていると噂されたイケメンというだけでなく、夜の仕事をしている女性を惹きつける魅力があったんでしょうね。ボクもキャバレーでバイトしていたので分かるのですが、彼女たち自身が生活力を備えているので、男の選び方が普通の女性とは違うのです。顔でも収入でも仕事でも将来性ですらなく、とにかく性格の良い奴が選ばれる。いくら嘘つきで浮気者でも、素直な可愛さを備えている男が好きと言い換えても、それほど違わないんじゃないかな。

 彼女と別れて結婚するというので、披露宴に出席しましたが、1年もたたないうちに離婚。それから何をしていたのか、よく分かりません。某歌手の中国ツアーに同行して北京に行ったこともあると話していたので、照明の仕事は続けていたようです。

「大きなライトに色つきのセロハンを貼り付けた円盤を回して、ステージの歌手なんかにスポットをあてるんだよな?」
「バカヤロー。いつの時代の話だよ。いま時は浅草だってそんなチープなことはやってないぞ。コンピュータにプログラムして、様々なライトを歌に合わせてコントロールするんだよ」

 照明というから旅回りの劇団みたいなことをイメージしたのですが、要するにライティングのエンジニアなわけです。今でも元気でやっているのでしょうか。たまには連絡をくれよ。

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2019年6月 6日 (木)

K君のこと(中)

 

 昨日のブログで紹介したK君は、ボクにとって数少ない親友に位置付けられるとはいっても、継続的に過ごした時間はあまり多くありません。むしろ普通より少ないといっていいでしょう。ボクは水泳部で彼はサッカーと、互いに部活をやっていたので、放課後はいつもつるむなんていうこともなかったなぁ。だから珍しく彼の家に行った時のことはよく覚えています。

 名古屋の中心部、お城の近くにある低層の公営集合住宅で、室内にはスタンドピアノがありました。彼に教えられてオフホワイトの鍵盤に指を置き、ビートルズ『レット・イット・ビー』のイントロコードを弾いたのがボクのピアノ初体験です。

 彼はボクと同じ一人っ子と思い込んでいたのですが、意外にも可愛い妹がまとわりついてきたので驚きました。性格や態度はまるで長男らしくなかったんですけどね。

 父親の異動に伴って転居し、中学も転校した初めの頃に「遊びに来い」と誘われて訪問したものの、それからは音信不通。ところが、お互いに勉強は怠け者で成績が同レベルだったのか、某県立高校の入学時に同じクラスになりました。奇遇というほかないのに、「あれ、お前も?」と呼びかける程度。引っ越しが多くて地域に執着を持たない根無し草同士ですから、再会にも感動が薄いのであります。

 けれども、2年になる前に再び父親が異動。今度は名古屋からはるかに離れた九州です。高校通学のために彼だけ残る選択もあったようですが、結局は転校して、またまたご無沙汰となりました。小中ならまだしも、高校段階での新しい環境であり、しかも文化風土が相当に違うところですから、さすがに馴染むのに手間取ったようです。2年の夏休みにコンサートで名古屋に来るというので、それが終わった夜に会いましたが、半年も経っていないのに気配というか雰囲気が違う。何かの話のついでに彼の掌を見ると、親指の付け根から手首に欠けて長い傷跡があるではありませんか。

「朝鮮学校の生徒とバス停で口論になり、向こうがナイフを出してきた」
「それでお前はどうしたんだ」
「脅しのつもりだろうと思ったから、こっちからナイフを握ってやった」

 えーと、つまり、こういう奴なんです。相手のほうがびっくりしたんじゃないかな。出したナイフをいきなり彼がつかみ、血がダラダラですもんね。バカなんじゃないかと思うでしょうが、男にはどうしても退けない時があるのです。転校生はそうした試練を乗り越えなければいけない。でなければコミュニティは存在を侮って、過酷なイジメにはしることもあるのです。

 かといって、意地を張って傷つけ合いたくはない。警察の厄介になれば将来にも影響しますから。そんな計算ができる男なら、そもそも他校の連中とケンカなんかしないはずですが、怯んで後ろに下がるのは沽券=プライドにかかわる。そんなこんなの考えと感情が頭の中で嵐のように渦巻くうちに、咄嗟にナイフをつかんでしまったのではないでしょうか。他人を傷つけるよりも自分が、なんていう崇高な精神ではないとしても、実は優しい奴だったのです。

 そんな大変な経験をした彼を励まそうと思っても、高校2年生が夜にやれることは限られています。夜行のブルートレインで九州に帰るという彼に会ったのは名古屋駅。泊まることもできると言うので近辺の宿泊場所を探したのですが、今のようにスマホでサクサクっと検索という時代ではありません。若い男が2人揃ってフラリと「空いている部屋ありますか?」ですから、そっちのほうに見られた可能性も高いんじゃないかな。

 それに気づいて宿泊はすぐに諦めましたが、夜行が出発するまでの時間をどうしたと思いますか。もう何十年も前のことなので告白しますけど、まだ整備されていなかった頃の駅裏にあったスナックに入ったのです。暖色系の明かりを灯した安っぽい店が猥雑に立ち並ぶ一角でした。ボクも彼も一応は進学校に通う真面目な高校生でしたから、よくまぁそんなことができたもんだと今は思いますが、当時は怖い物知らずだったんですよね。それでウィスキーの水割りを一杯だけ。店の人は高校生と分かっていたのでしょうか。

 濃紺のペンキで塗装された夜行列車に乗り込む時に、彼は振り返って「いろいろありがとう。じゃあな」と簡単な一言。こちらも、負けずに頑張れよなと心で声援しながらも「おう」と手を挙げて応じるだけ。テレビドラマや小説じゃあるまいし、現実はそんなものですよね。

 けれどもボクは、ようやく親友と呼べる奴を得たような気がしたのです。

 いうわけで、またまた長くなったので、明日に続きます。

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2019年6月 5日 (水)

K君のこと(前)

 

  本日は朝から取材が入っているので詳しく書けませんが、K君のことが気になるようになりました。記憶が曖昧なのですが、最後に会ってからもう20年以上は経つんじゃないかな。

 K君と初めて出会ったのは中学の頃です。中坊のくせに、当時最新のロックやコンテンポラリーなカントリー&ウェスタン(というのかな)を聴いている奴でした。何しろ、レッドツェッペリン、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、それにCCRですからね。あの頃の名古屋では相当に早熟だったんじゃないかな。ボクは20歳前後になって、ようやく彼らがどんな音楽をやっていたかを知ったくらいです。エリッククラプトンが高名なギタリストであることを知ったのは20代の終わり頃だもんね。

 親が国家公務員で転勤が多く、そのたびに学校に馴染むのに苦労してきたというところが、いま思えば共通していたような気がします。お互いに根無し草ってことです。「また、どこかに行かなきゃいけないかも」というのが彼の口癖で、実際に中学の頃に本当に引っ越すことになったのです。とはいっても同じ市内だったので、途切れぎみでも交流は続きました。ボクよりずっとハンサムな奴で、しかもサッカー部ですから、女の子たちがよく噂をしていたなぁ。

 けれども本人は、理由はさっぱり分かりませんが、どこか投げやりな性格で、女の子にも興味はなかったようです。こだわるということがまるでなく、始めたことをいつ放り出すか分からないという不安を感じさせる奴でした。この性格は後々まで続いたようなので、「三つ子の魂百まで」というのは科学的な事実かもしれません。

 社会に出てからもしばらくは付き合ってきたのですが、次第に疎遠になって10年くらいした頃に、JR恵比寿駅のホームで彼を見つけたのです。そりゃもうびっくりしました。こんな偶然があるんですよね。運命的な邂逅なら女性のほうが良かったのに、よりによってこいつかよ。

 それでも久しぶりで嬉しくはあったのですが、そもそも駅にいるくらいですから、お互いにヒマではなく、慌ただしい挨拶だけで終わってしまいました。確か白金に住んでいると聞いたような気がしますが、今はどうなんだろう。コンサートなどの照明の仕事をしていると聞いたんだけどな。

 そんな交流の思い出がタイムラインを無視して甦ってきました。彼の結婚式にも出席したので、決して疎遠でもなかったのですが、どうにも親友としての深さはなかったような気がします。これもまた、前述したようにお互いが根無し草、アウトサイダーという意識を持っていたからかもしれません。おっと、もう出かけなきゃいけないので、続きは明日ということで。

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2019年6月 3日 (月)

ここではないどこか

 

 ボクがアウトサイダー感覚を抜きがたく持っていることは、いつか書いたような気がします。どこにも着地することができず、根無し草のようにふわふわとしている。東京・恵比寿に住んで30年近くなりますが、第2の故郷なんてとてもじゃないけど思えません。第1の故郷である名古屋にしても大した思い入れはなく、親族も知り合いもいないに等しいので、そもそも地域への愛着の持ち方自体を知らないのかもしれせん。

 なのに、なぜ恵比寿に住み続けてきたというと、積極的な理由はどこを探しても見当たらないのです。渋谷の隣で、JRも地下鉄も利用できるという利便性だけといってもいい。その向こうの原宿は賑やか過ぎるし、逆方向の目黒は道路が大きくてクルマの往来がうるさい。そんな逆算をしていくと、恵比寿しかなかったんですよね。

 近年は住みたい街ランキングでずっと上位に入っているらしいですけど、いったい何が魅力でそう思われているのか、よく分からないんだよな。中目黒のほうがよほど楽しそうなんですけど。今さら引っ越しするのも面倒なので、ここにいるだけです。中目黒の足は地下鉄だけだしね。

 地域に利便性以外のことを強くは求めない、ってこともあるでしょうね。静かなほうがそりゃいいけど。それもこれも、どうやら子供の頃からのアウトサイダー的な意識が、地域コミュニティに馴染ませないということも大きいかもしれません。これでは田舎暮らしもダメだろうなぁ。

 それでも、いや、だからこそ、なのか、ここではないどこかに行きたい希求もまだ残っています。地球上のどこにもユートピアはなく、どんな国にも悪い奴と良い奴が似たような比率で存在していることをイヤというほど知っているので、虹の向こうに素晴らしい場所なんてあるはずがない。

 あ、そうか。ここまで書いてきてやっと分かりました。いつか必ず、死という乗り物が、ここではないどこかに連れて行ってくれるんですよね。ロマンチックに語られることが多い言葉ですが、もともとの意味は死の暗喩だったのではないかと、ようやく気づいたのであります。

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2019年5月31日 (金)

公衆電話!!!

 NTTのエラい人やお役人様は、スマホを置き忘れたりしないのかなぁ。少なくとも、公衆電話というバックアップ・インフラくらい整備しておくべきではないでしょうか。

 はい、ワタクシ、大阪の某所から新大阪駅に向かったタクシーの中に、みごとにスマホを置き忘れてしまったのであります。タクシーが大変につかまりにくい場所でたまたま運良く空車を発見し、やれ嬉しやと事務所に連絡。新大阪駅に到着したらもう1度電話しようと考えていたせいで、ついカバンの中でなくシートの上に置いてしまったんですよね。諦めていた午後7時から東京で行われるパーティに間に合いそうだと切符売り場に急いだことも敗因で、運転手さんから「お忘れものはないですよね」と念押しされたにもかかわらず、「大丈夫っす」なんて調べもせずにダッシュしたのです。

 切符を購入した後で事務所に電話しようとカバンの中をまさぐったのですが、ないんだよな、どこにも。何度も探したのですが、やはり見つかりません。ということはタクシーの中に置き忘れたとしか思えません。幸いに領収書をもらっていたので、タクシー会社に連絡しようとしたのですが、そこから本格的な難行苦行のドラマが始まったのであります。

 どこに行こうが、公衆電話の気配がない。いくら歩き回っても、影も形もない。もちろんお土産屋さんなどの店員さんにも訊きました。けれども皆さん「さぁ」と首を傾げたり、申し訳なさそうに「分かりません」あるいはキッパリ「ないんじゃないかな」という過激な意見も。そんなはずねぇだろと思うのですが、ホントに、感心するほどおみごとに、どこにも公衆電話が見当たりません。7〜8人目になると思いますが、ようやく「下のコンビニのそばに設置されているみたい」と聞いて、さっそくエスカレータで降りました。ところが、いくら歩き回ってもやっぱり見当たらない。コンビニからしてありません。そこで、最寄りのショップで今度は「コンビニを探しているんですが」と訊くと、何ともう1フロア下にあるというではありませんか。

 何だよ、と再びエスカレータで降りたのですが、やはり見つからない。コーヒーショップの店員さんに訊いてみると、ボクの感覚的には辺境とも言えそうな場所にコンビニがひっそりと佇んでおり、その横に3台の公衆電話があったのです。ここに至るまでに新大阪駅を端から端まで、しかも3階分のフロアを急ぎ足で歩いたような気がします。

 ところが、小銭の持ち合わせがないんだよな。そこでコンビニの店内に入ってミネラルウォーターを購入。やっとタクシー会社に電話することができました。事務所にも電話して、ボクのスマホにかけてもらったら、運転手さんが応答したらしく、タクシーを降りた場所で待ち合わせることになったのです。

 ホッとひと安心ではありますが、その場所で待っていても、タクシーはなかなか来ません。念のために事務所に確認しようと思ったものの、公衆電話は3フロア下ですから、そのうちにタクシーが到着するかもしれない。どうしようかな、と何の気なしに振り向くと、嬉しいことに交番があるではありませんか。ナイスですねぇと心の中で呟きながら扉を開け、「スマホをタクシーの中に置き忘れたので電話を貸していただけませんか」と気軽に申し出ると、若い警官は妙に明るい表情で「それはできないんですよぉ」と言うではありませんか。すぐそこに白い固定電話があるというのに「ダメなんですか?」「ダメなんです!」と、ああ無情。規則でもあるのでしょうか、あまりにも無惨で冷酷な対応にキレそうになりました。しかし、ここでつっかかって公務執行妨害で留置なんてことになったら、ますますスマホから遠ざかってしまう。奴らは逮捕権を持っていることを忘れてはなりません。

 仕方なく元の場所に戻ると、警備員さんが立っているじゃないですか。そこで事情を話してスマホを貸してくださいと申し出ると、交番とは大違いで「それは大変ですね」と同情してもらえました。そのスマホで事務所に再び電話して、駅への到着予定も確認。とにかく待つだけとなったので、下のコンビニで細かくした残りの500円玉を電話代として警備員さんに手渡そうとしたら、「そんなのいいよ」と手を振ります。こういう謙虚なゆかしさがね、日本のいいところなのです。

 もちろんタクシーの運転手さんにも御礼しようとポケットを探ると、5000円札と1000円札が1枚しかない。せっかく新大阪駅まで戻ってくれるというのに、御礼がたったの1000円というのは社会通念として失格でしょう。かといって5000円はどうかなとは思っても、ATMは近所になく、その場を動かなきゃいけない。置き忘れたボクの自己責任であり、同じ過失を繰り返さないために、5000円を罰金というか厳しい教訓にすることにしました。

 いやぁホントに焦りまくり、汗まみれになった夕刻でした。あまりにも歩き過ぎたせいか、昨夜は久しぶりに足が激しいこむら返りになり、ろくに寝られなかったというオマケも付いてきました。

 ですから、もうちょっと公衆電話を整備してくれませんかねぇ。スマホがどれだけ普及しようが、ボクのように紛失することは誰にだって起き得るはずです。なのに、あの広大な新大阪駅で公衆電話が構内の外れに1箇所3台だけというのは、あまりにも少なすぎますって。しかも1台はプッシュボタンの8が接触不良でした。

 どんなこともバックアップを作っておくのが常識だろうと思うんですけどね。

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2019年5月29日 (水)

テキトーで行こう(後)

 似たようなことをすでに2月頃のブログで指摘しているのですが、これからのAI時代を生き抜くためには「適当」であることが必要ではないかと昨日に書きました。これまで人間にとって望ましいとされてきた社会規範をすべてAIやロボットが上回るとしたら、その逆を行くほかないからです。

 面白いことに、この「適当」というのは、大辞林による第一義では「ある状態・目的・要求などにぴったり合っていること。ふさわしいこと」と説明されています。何だよ、それなら機械のほうが上手じゃんかと思いますよね。ところが第二義では「いい加減なこと。また、そのさま」と真逆になっているのです。漢字の語義からいけば「当に」「適っている」わけですから第一義が正しいんだろうけど、いつの間にか「いい加減」の意味が加わったので、大辞林も「仕方ねぇなぁ」と追加したのではないでしょうか。

 ボクが言いたいのはもちろん第二義の「いい加減」なほうです。でね、これがまた「良い加減」とも読めるのであります。「湯加減」と同じで、量的には特定できないけれども、質的には望ましい状態というのでしょうか。早い話が、ひと頃流行った「ファジー」なんですよね。理系の人は言葉にも厳密性を求めるので、「適当」なんて曖昧な表現はしませんでしたが、まさにそういう意味ではありませんか。

 調べてみたら、このファジーは「多値論理」としてとっくにコンピュータにも導入されているらしいのですが、失望することはありません。ファジーや本来的な意味の「適当」から区別するために、敢えて「テキトー」とカタカナにしますが、これって「気まぐれ」の別名でもあるんですよね。つまり、予測ができない行動のことです。あははは、人間が本気になった「テキトー」を、機械が予測できるはずがない。これだけは人間の勝ちってことにならないですかねぇ。だったら、どんどん「テキトー」を貫いて機械を欺いてやろうではありませんか。それでこそ人間の価値が再認識されると、ボクは思うんだけどなぁ。

 たとえば、定時にちゃんと会社に出勤するかどうか分からんという奴はどこにでもいますよね。上司が「明日は大切な会議があるから頼むぞ」と念を入れておいても、平気で30分くらい遅れてくる。そりゃもう全員が苦虫噛みしめの怒り心頭ですが、本人は「すごく毛並みのいいラブラドールとすれ違いまして、つい撫でているうちに」とか何とか。

 しかしながら、その30分の遅刻って、そんなにも大変なことでしょうか。たとえば人類に重大な危機をもたらすようなことなら、そもそもそんな会議に遅刻の常習者を呼ぶはずがない。ボクたちの日常というのは、人間が関与している限りは相当なマージン、余白というか「遊び」が必ずあります。こんなことを会社で言ったら顰蹙ものですが、打ち合わせや会議に少しばかり遅れたところで、待たされた当事者は不愉快に決まっていますが、だからといって世の中なーんにも変わりませんてば。

 つまり、ボクたちが遵守してきた、そしてこれからAIと機械に奪われそうな社会規範や美風良俗とされる多くのことは、人間がこしらえた共同幻想といってもいい。幻想でないのは、数学と物理と化学しかないと言い切れるとボクは思っています。さもなきゃ飛行機が墜落し、ビルや橋が倒壊してしまいます。だったら、これまで人間を縛ってきたくびきや足かせなんて、喜んで機械にくれてやろうではありませんか。

 そのかわりに、人間はあらゆる意味で生きていることをエンジョイすべきです。急な残業でプロ野球やコンサートを断念するなんて旧世代の話で、「テキトー」世代は躊躇なく楽しみを優先すべきです。だってさ、優秀で真面目この上ない機械が仕事をサポートしているんだから、どうして人間が無理しなきゃいけないの、ってことです。

 はい、そのためにも「テキトー」で行こうよ、というのがボクの発明した画期的な論理なのであります。ブラジルでは「明日できることを今日するな」という諺があるそうですが、そうしたラテンの気楽で気ままな生き方こそが、これからの人間の未来像、だったらいいなと切に願う今日この頃なのであります。

 なお、明日5月30日は朝から関西出張なのでブログをお休みさせていただき、翌金曜日から再開する予定です。

 

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