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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

日記・コラム・つぶやき

2019年4月18日 (木)

落とし穴はどこにでもある

 

 このところ退屈まぎれにお昼のワイドショーを視聴してきましたが、芸能人のスキャンダルの叩きっぷりは相変わらずスゴイですね。同情するとみせかけて、瞬時に掌を返すように糾弾する。逮捕されたというだけでは推定無罪の被告人に過ぎないのに、有罪と決めつけた論評を堂々と語るコメンテイターも珍しくありません。もっともテレビに出て沈思黙考では、二度と使って貰えませんけどね。

 こういう辛口の評論家の皆さんは、自分だけは安全地帯にいると思っているようですが、人生はそんなに甘くないんだよな。ボク自身の来し方を振り返っても、あのへんに1つと、このへんにも2つくらい、という感じで落とし穴がいくつかあったように思います。もちろん自分自身の傲慢や思い込みもあったことは否定できませんが、それをも含めた落とし穴なんですよね。

 それが何か、と問われると、それだけのことですとしか言いようがありませんが、とにかく人生には様々な意味での落とし穴が潜んでいるということです。それがきちんと理解できていれば、むやみに落ちた人を叩くことなんてことはできません。社会的には同情は禁物かも知れないけど、そこはそれ「惻隠の情」という言葉もあります。敗者に優しいのが昔の武士の特質とされるのに、そうした想像力を失ってしまったのは、やはり教育のせいとしか言いようがないと思います。先生自らイジメの音頭取りをするようでは、日本に未来なんかありません。働き方改革の以前に、人に優しい社会を作ろうよ。

 そのためには1人ひとりが変わらなきゃいけないんだけど、テレビを見ている限りでは、日暮れて道遠しですな。ほら、そこのあなた、足先に真っ暗な落とし穴が大きな口を開けて待ってますぜ。

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2019年4月17日 (水)

秘すれば花

 世の中に「こうしなきゃいけない」なんてことは本当はないのだと信じてきました。泥棒や傷害なんかの犯罪行為はもちろんダメで、没義道な振る舞いも非難されるべきでしょう。しかしながら、自ら意識して敢えてしたことは、たとえ非常識でも不道徳でも、やりたい、あるいはやらなきゃいけないと感じてやったことは、善とは言わないまでも、仕方ないですよね。

 ただねぇ、病気の公表というのはどうなのかなぁ。有名人がカムアウトする効果は確かにあると思います。病気に伴う偏見などを解消できるだけでなく、知識の普及や予防的な意味も少なくありません。それに、隠していたことがバレてしまった時のリアクションを考えれば、むしろ率先して説明したほうが好感を持てますよね。

 近年は美容整形が流行するとともに、そうした陰口を嫌って、自ら公表する人が増えてきたともいわれます。それはそれで決して悪いことではないので、否定するつもりは毛頭ありません。ただ、もしもボクなら、それはできないなぁと。

 何だよ、前段の理屈と違うじゃないかと文句を言いたくなるかもしれませんが、「公私の垣根」というのかな、プライベートに属することをさらすのは、あまり格好の良いことではないという意識が強いのです。昔のオヤジたちは、このため無言で苦難に耐え、心身どちらの痛みも内部に溜めて我慢してきました。ところが、今ではSNSが普及してきたので、ツイッターなどで簡単に告白することができます。それによって「公私の垣根」みたいものがぐぐっと低くなり、辛かったらみんなで支え合おうよ、という雰囲気も強くなってきました。重ねて言っておきますが、そのことが悪いわけではありません。これからも大きな地震や災害があるかもしれませんから。

 ただ、人間は誰でも、その内部に他人の不幸を餌にする悪質な野次馬が潜んでいます。いたわるような顔つきで、実はほくそ笑むということだってあるんじゃないかな。ああ、自分はそうならなくて良かった。他人にこんなふうに思わせることがイヤなのです。

 それもまたボクの人間としての狭量といえばまさにそうなのですが、世阿弥の『風姿花伝』に「秘すれば花」という言葉もあります。「秘せずは花なるべからず」と続くように、何でもかんでも露出してアピールすればいいってもんじゃねぇよという演劇理論です。ボクの「引き算理論」にも通じるところがあるのですが、そうした意味での精神性、とりわけ含羞が、近年はどんどん希薄になってきたような気がするのです。

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2019年4月15日 (月)

令和、ねぇ

 

 5月1日から元号が平成から令和に変わります。そうはいっても、ボクの会社は西暦で徹底しているのでほとんど関係なく、それがどうしたという印象なのですが、世間は違うんだよな。

 新元号のスタート前からテレビが煽りまくるせいか、お祭り騒ぎのはしゃぎっぷりでありまして、新元号と対になる「平成最後の」が期限切れになったら、今度は「令和ベビー」だのなんだのといろいろ続くんでしょうな。

 やりたい人は勝手にやればいいとは思うものの、昨今の無批判な受容姿勢というのは、奴隷以上じゃないかと思うのはボクだけでしょうか。よく言われる時代の節目になるというのは筋違いであって、元号の成立理由がまるで分かっていないんだよな。政治的なことでは頼りになったはずの団塊世代の皆さんはすっかり牙を抜かれて老化。野党も勢いを完全に失っています。ここではあまり政治的な発言はしたくありませんが、1937年の日中戦争から太平洋戦争の敗北に至る「昭和」が何を旗印に徴兵し戦いを続けていたのか、くらいのことを考えても叱られないはずです。

 つまりさ、現代は徹頭徹尾の「一極集中」なのであります。「二極化」がトレンドワードかと思っていたら、知らないうちに圧倒的な多勢に無勢になっていたわけです。ぞろぞろと勝ち馬に乗る人が多すぎて超過密状態。その中に口が軽いお馬鹿さんが少なからず混じっていてもちっとも不思議ではありません。

 ただし、社会がどうなろうが、法律がどう変わっても、人間が心の中で思うことだけは支配できません。なので、ボクの当惑と不快感はもうちょっと厳密に追求していきたいと思います。とにかくさぁ、貰えるものは何でも貰っとこうという性根ほど、卑しくて貧しいものはないってことに、少しは気づけよ。

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2019年4月 5日 (金)

ヨイショ

 人間は年を取ると、2種類の「ヨイショ」を言うようになります。ひとつは腰痛や体力的な衰えによる、座る時や立つ時の掛け声です。「ヨッコラショ」という用例も頻繁に使われます。

 もうひとつは、阿諛追従。要するに他人を褒め囃すわけですな。中には褒め殺しという特殊なケースもあるので油断はできませんが、「ヨイショ」は世間のあちこちでほとばしっております。どういうわけか安倍総理周辺で聞くことがとりわけ多くて、森友学園の籠池元理事長なんか、ものすごく上手そうですもんね。補助金不正受給が露見してからは拘置所にも収監されていますが、もしバレなかったら初等教育界の重鎮に任命されていたかもしれません。

 昨日に大問題になった某代議士の「忖度」発言もその類語でしょうね。何しろ総理大臣と副総理の地元をつなぐ道路建設の重要度を高めたとか何とか自慢気に演説していたのですから、ご機嫌伺いの極致といっていい。ボクってばこんなにも政権の顔色を見ているんですよぉと胸を張りながら、翌日には発言をきっちり否定しているので、厚顔無恥も付け加えといたほうがいいかな。

 どちらもヨイショのし損ないですけど、歯が浮いてどこかに飛んでいきそうな褒め言葉を聞くのはそれほど珍しいことではありません。いえね、それがいけないということではないのです。批判や厳しい指摘が人間同士の潤滑油になるはずがありません。褒められて気分が悪くなる人なんて、この世に存在しませんから、ヨイショは必要悪といって過言ではないはずです。ただし、ボクがこれまでに聞いた限りでは、皆さんあまり上手とはいえません。そんな話を傍で聞くというのも、あまり気持ち良くないじゃないですか。

 ヨイショをうまく言うコツは、おそらく2つしかありません。

 1つは多弁にならないこと。言えば言うほど嘘っぽさが目立つようになり、言われている本人もなんかヘンだなと自覚するようになるからです。だから、ヨイショは常にワンポイントだけを端的に攻める。それだけで十分に相手の心に残り、気分が良くなるはずです。

 もう1つは、確かな根拠にもとづく論理性。つまり、突拍子もないような、根拠がまるで感じられないような褒め方はしないこと。ブサイクだと自覚している人に、ハンサムですよといっても通じるはずがない。いや意外にハンサムですよと強弁すれば、ますます心象を悪くしますよね。1割のホントが混じった嘘はなかなか見抜けないように、微量でもいいから確かなタネのあることを論理的に大きく膨らませるというのが上手なヨイショのコツです。できれば本人や周囲も気づかないことが望ましいでしょう。

 では、そんなわけで皆さん、上手なヨイショを使って、うまく世渡りしていこうではありませんか。

 さて、来週は出張と私事などのモロモロが積み重なるので、1週間ほどブログをお休みとさせていただきます。再開は4月15日月曜日の予定です。

 

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2019年4月 4日 (木)

国家権力

 

 カルロス・ゴーン氏が背任・横領していたかどうかなんてボクにはとうてい分かりませんが、やはり国家権力は怖いなぁと感じざるを得ません。

 

 太い眉と眼光の鋭い歌舞伎顔の外国人を3か月以上も代用監獄に収監し、ようやく保釈されたかと思ったら4度目の逮捕ですもんね。狙ったら絶対に逃さねぇぞという気迫に満ちているではありませんか。そんな勢いで厚生労働省の女性官僚を逮捕・起訴。結局は無罪という大恥をかいているので、先のことは分かりませんが、人間をギリギリまで追い詰めることだけは得意のようです。

 

 ボクの親父も逮捕されて投獄された経験があると聞きました。敗戦直後に木曽の山奥からヒノキを名古屋に搬入して大儲けしていた頃に、仲間が刑事と共謀して冤罪をでっちあげたらしい。幸いに検察官がそれを見抜いてすぐに不起訴=無罪放免になりましたが、おかげで親父は死ぬまで警察官を信用せず、検事のほうが人間として上等であると評価していました。

 

 これまではボクもそんなものかなと思ってきたのですが、前述した女性官僚の事件では証拠を捏造したばかりか、不祥事も少なくないんですよね。おかげで歴代の検事総長5人がお約束の勲章を貰い損ねています。

 

 勲章なんてどうだっていいのですが、長く温存されてきた組織や制度は絶対的に腐敗します。敗戦直後の新社会のもとでは、親父の言うように検察官も正義を貫いていたかもしれませんが、それから何十年も経てば、出世争いや醜い足の引っ張り合いが起きても不思議ではありません。

 

 そんな腐敗した連中が強大な国家権力を振り回すから、不祥事が頻発するわけでね。その網にかかったら、これほど怖いことはないわけです。そうした国家権力の一方的な発動を抑制するためには、どんなことも可視化することと、被疑者の権利を徹底的に守るしかありません。にもかかわらず、この国はそうしたことが苦手というか、まるで意欲的ではないのです。

 

 ドツボに落ちてから痛感しても遅いので、今から是正すべきなんだけど、皆さん改元のようにはホットになれないみたい。他人事と済ませて生きられるなら結構ですが、自分もいつ何時と考えるのが人間の想像力あるいは知恵ってものだと思うんだどけどなぁ。

 

 

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2019年4月 3日 (水)

文章作法

 有名人のブログにありがちな、やたらに行間の空いた間延びした文章が大嫌いです。そんなスタイルで綴られた、印象や気分ばかりをベタベタと書きつけた内容も鳥肌が立つほど嫌いです。

 原稿用紙に手書きしていた頃は、そんな無駄な紙の使い方はしませんでした。木材のチップなどから繊維を取りだして練り上げた貴重な紙ですから、そこに何かを書き付ける以上は緻密でなければなりません。もしも空白を作るとしたら、それなりの確かな意味を持ち、適切な効果がなければもったいないじゃないですか。

 ところが今はデジタルなので、どれだけ隙間を空けようが何の影響もありません。むしろデータのない状態ですから、サーバーに負荷を与えないとすら言えるんじゃないかな(よく知りませんが)。何が言いたいのかよく分からない非論理的な感想に、嵐のような同語重複。さらに同じ文末を何度繰り返したところで、SNSやウェブサイトの主催者にとっては、要するに無料で得られるコンテンツですから、飛んで火に入る、じゃなかった大歓迎といえるんでしょうね。

 時代は確かに移り変わっており、ボクの文章作法は過去のものになりつつあるかもしれません。指示用語を付け加えないと何のことを言っているのか分からんといった読解力の欠如も近年の傾向ですけど、それにおもねるのでなく、やはり文章はできる限り切り詰めて、ビシバシと緻密に厳密に無駄なく積み上げていきたい。それを読む側も、すぐに「分からん」と音を上げるのでなく、主語がダブらないよう省略されていても読み通せる理解力を身につけて欲しいなぁ。少なくとも古典の世界名作全集を一巻でもいいから完全に読みこなした上で、ボクの文章が「分からん」というなら、いくらでも書き直しに応じます。

 とにかく、タラタラとベタベタは無駄が多く、スペースはもちろん、そのために使われた時間も浪費と呼ぶべきでしょう。自分のための日記やメモや個人的な私信と、他人様に向けて広く公開する文章は根本的に違うということを、きちんと学校で教えたほうがいいんじゃないかなぁ。

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2019年4月 2日 (火)

ソメイヨシノ

 あー、ほんっっっっっっとーーーーに、あさましいなぁ。たかが元号が変わっただけで、何をどうすりゃそんなに騒げるんだろうか。ぶっちゃけて言えば、お上からおさげ渡しになった食い物みたいなものだぜ。そんな話題に無批判にアリのように群がるなんて、情けなくないのかなぁ。ボクがそのように感じる理由は、昨日のブログを参照してください。

 桜の季節もそれと同様でありまして、先週日曜日はたまたま目黒川に行きましたが、いやはやものすごい人出。ひと昔前はこんなにも混雑していなかったのですが、みるみるうちに桜の名所にされてしまい、都内近郊から見物客がよってたかるようになりました。

 そりゃまぁ、何をしようが他人様の勝手ということは分かり切った話ですけど、あの桜が本当に美しいとはボクには思えないんだよな。確かに目黒川を覆うように咲き誇る花弁の大群には感心させられますが、色がね、ちっとも綺麗ではないのです。桜を形容する言葉は、ピンクだの淡い桃色や薄紅色とかいろいろありますが、ソメイヨシノはむしろ白っぽいんだよね。それがもわもわもわと集まった状態は、煙みたいと形容すべきであって、ちっとも鮮やかとはいえないのです。花びらを間近に見つめれば分かることでも、見物客のほとんどはそんなことに頓着しません。名所に来ることだけが目的で、桜なんかまともに観賞していないからです。カメラを向ける人も少なくないので、そのデジタル写真を見れば薄汚い、といえば言い過ぎだけど、彩りに著しく欠けたモノトーンの世界であることが分かると思うんだけどなぁ。

 ボクがこれまでに本当に美しいと感じた桜は、深大寺植物公園の大きな桜の木の散り際と、上村一夫が描いたイラストだけです。前者はまさにピンクの渦ともいえる圧倒的な桜吹雪でありまして、とてもじゃないけど、この世のものとは思えませんでした。上村一夫は、女性の妖艶な美と底知れない怖さの背景として、降りしきるように散る桜をみごとに描写しており、やはり息を呑むような耽美的な光景に戦慄を感じたことがあります。

 そのためにはやはり、色、なんだよな。どうしても薄桃色のところどころに紅を挿したような色じゃなきゃダメなのです。だってさ、桜の木の下には死体が埋まっているんですぜ。

 ところがソメイヨシノという種は、おそらく生命力は強いんだろうけど、とにかく白い、白っぽ過ぎる。千鳥ヶ淵あたりでは濃い色もたまにありますが、ボクの美意識に見合うほどではありません。

 にもかかわらず、日本人はどうして桜がこんなにも好きなのかと思っていたら、今度の改元でフィーバーというのでしょうか、そりゃもう全国的な大騒ぎ。桜だけではなく、要するにみんなで集まって何かを見物すること自体が好きなんだと、あまり感心できない人間性を再認識した次第であります。

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2019年3月28日 (木)

風向きが分かる人

 

 物事をうまくやれる人というのは、アタマが良いのはもちろんですが、周囲の状況をきちんと判断できる、つまり、風向きを読めるということが条件になってくると思います。たとえば風は北から吹いているらしいので、それに逆らうことなく、南に向かえば大丈夫という感じかな。

  これは大変に有効な発想法というだけでなく、むしろ上手な生き方になってくるので、それがいけないとは思いません。明治維新後の日本が清やロシアという大国と戦って勝利できたのは、まさに風向きをうまく読んだ結果だと思うのです。このため、学校教育も言外にそのように子供たちを指導してきました。

  けれども、それによる成功体験が積み重なると、今度は風向きしか考えないようになってきます。理由や理論や背景なんてことは一切考えることなく、ともかく風が吹いてくる方向だけを気にするようになるわけです。

  確かにそのほうが楽で成功率も高いですから、アタマの良い人ほど率先して風向きに従うようになります。そして、それを見ていた人たちも、どんどん真似をして、たとえば南に向いてみんなが動き始める。これがトレンドとか流行、あるいは世相なんて言われるものを生み出す正体ではないでしょうか。

  だから、真ん中から後ろの人たちに、どうしてそっちに行くのかと問えば、いろいろな屁理屈は言うけど、本音は「みんなが行くから」なんですよね。

  ただし、問題なのは、風向きはずっと同じではなく、いつかは必ず変わるということです。北から吹いてきた風は次第に止んで、いったん無風になってから、南から吹き始めるかもしれない。いや、西から、あるいは東からかもしれません。風向きに従っていた人は、ひどく混乱してしまいますよね。ボクはそれがついこの間までの日本ではないかと。
  やがて、当初はささやかだった勢いが本格的な風向きに成長してきたので、昨今はITと英語が大繁盛になってきたわけです。

 ここまで成長してくると、もはや風向きには逆らえないじゃないですか。人間だけでなく、草木だってなびいております。でもさ、風向きはまたいつか必ず変わるんだよな。そのことを忘れない人と、揺るぎない信念を持つ人だけが、次の風を鋭敏に感知、あるいは新しい風を生み出すことができるのであります。ワタクシは単なる天の邪鬼なので、そこまでの自信はありませんけどね。

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2019年3月20日 (水)

夜間飛行

*この記事は昨日(19日)公開予定で作成しましたが、ココログのメンテナンスが長引いたため、本日のアップとなりました。

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 私生活をブログで細大漏らさず暴露するほど阿呆ではありませんが、またまた本日からスイスに海外出張します。

 それがね、うふふふふふ、初めての深夜便なのでありますよ。国際線で午後10時過ぎに成田を出発します。これまでは早朝に空港に行かなければならない昼便ばっかりだったので、ちょっと想像がつきません。ガランとした空港内に乗客と関係者がチラホラ。1日の疲れから空港内は寡黙な雰囲気が支配しており、窓外には航空機がライトを浴びて夜の闇の中に浮かび上がっているという光景でしょうか。

 400近い座席がある大型航空機なので、サンテグジュペリの書いた『夜間飛行』とは大違いでしょうが、それでもまぁ独特の風情があるんじゃないかな。時差もありまして、現地到着は朝4時過ぎ。それから3時間ほどのトランジットを経て、8時発の便に乗り継いでスイスに向かいます。夜から朝という流れは自然に沿っているので、もしかしたら時差ボケも軽度で済むのかな。

 それはいいのですが、問題は帰途、復路なのであります。あはははは、思わず笑っちゃいますが、東京行きの便に乗るまで久々の7時間待ち。以前もフランクフルトで8時間近く待機したことがあるほか、強風で予定の便に搭乗できず、結局10時間くらいジュネーブ空港にいたこともあります。おかげさまで無為な時の過ごし方を覚えました。焦らず騒がず、音楽を聴き、歩き回り、椅子に座り、それに飽きたら再びショッピングフロアを歩き回る。たった1人だから孤独なエトランゼ気分に浸れるわけでありまして、きっと2人以上の複数でいたら、気を使いすぎて疲れるだろうなぁ。

 そんなこんなで、このブログはお休みとさせていただき、帰国後の28日から再開する予定です。何かあれば、それをテーマに何か書いてアップするので、たまには覗きに来てください。

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2019年3月18日 (月)

天の時、地の利


 運命論者では決してないのですが、物事には「天の時、地の利」というのはあるなぁとつくづく思います。

1人でどれだけ奮闘しても、タイミングが合わなければまったく無駄になることもあり、何もしていなくても幸運が向こうから勝手に舞い込むことだって、たまにはありますよね。後者は「棚からぼた餅」なんていうあまりにも分かりやすい諺がありますが、甘いものが嫌いな人にとってはどうなんだろう。豆腐の角に頭をぶつけて死んだ人はいないように、ぼた餅が頭に落ちて怪我する人もいませんけどね。

それはともかく、この原典は、かの孟子だといわれています。「かの」といっても、紀元前の中国・春秋戦国時代に生きた人というくらいしか知りません。正確には「天時不如地利、地利不如人和」と記されているそうです。「天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず」と読みます。天の時は、説明不要で「運」のことですよね。では「地の利」とは何か。当時は戦争における地勢または地政学=ゲオポリティクを意味していたようなので、現代のビジネスでいえば、資本力や優位性ということなのかな。それらをも上回るのが「人の和」ということです。

集団を構成する人たちが一致団結すれば、天の時も地の利も関係ねぇぞというのが主旨ですが、逆に考えれば、人の和はそれだけ難しいということになります。とすれば、「人の和」コーディネーター、あるいは「人の和」コンサルタントなんていう専門職もこれからあり得るのではないでしょうか。経営戦略なんて、これからは人工知能のほうが得意になりそうな分野ですから、人間は人間にかかわって生きていくしかない。そうなると、孟子が上位に置いた「人の和」を創り出す人材が高く評価されることもあり得るじゃないですか。

ということで、人工知能=AIがこれからどんどん発達していけば、これまで見過ごされてきた人の能力が見直される時がくるかもしれない。これはまさに「天の時」というほかありません。天の時、地の利、人の和は、大きく見れば、どれが上位ということではなく、もしかすると循環しているかもしれない。

なんてことを考えても、事態や状況が変わるわけでもないんですけどね。

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