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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

日記・コラム・つぶやき

2017年11月17日 (金)

カバンレス

 

 昨日の大阪出張はカバンを持たない手ぶらでした。最近は取材時でも百円ショップで買った網入りの透明バッグの中に筆記具を入れることにしており、カバンを持つことが激減しました。必要なものを突きつめていけば、それで十分なんですよね。

 

 今回も要件は新しい店の内覧会であり、オーナーが挨拶するだけだったので、筆記具と小型のメモ帳、それにICレコーダーだけが基本的な装備。だったら、わざわざ重いカバンを持ち歩く必要なんてないじゃないですか。パーティ用のダークスーツならポケットを膨らませたくないのでカバンに入れた方がいいでしょうが、革のジャケットだったので、それくらいは内ポケットに収納できます。

 

 とはいっても、さすがに東京から600KM近く離れた大阪ですから、不安を感じなかったわけではありません。それで思ったのは、カバンというのはビジネスマンにとっての「習慣」あるいは「常識」になっているだけで、必ずしも「必要」とは限らないということです。何かを持ち運ぶなら、紙のバッグでもいいじゃないですか。それをわざわざ高級な牛革のバッグにするというのは、やはりファッションのひとつということになります。であるなら、夏のクールビズがノーネクタイになったように、カバンレスだってありじゃないかと。

 

 必要性だけでなく、自分の個性を表現することも目的というなら、女性のバッグと同じくらい多彩でなきゃいけません。ところが、メンズのバッグはブラックかブラウンが圧倒的に多く、形も似たようなものばかり。もちろん高価なブランドものはしっかりと作られていますが、それでも男のバッグというカテゴリー的常識の中に収まっていると思います。さもなきゃ売れませんからね。

 

 そうした不文律みたいなものを見直してみようじゃないか、というのがボクのカバンレスなんですよね。みんなが持っているから持っている、みんながやっているからやっている。それでいいのでしょうか。

 

 日本という国はどんな国にも増して同調圧力が強く、常に標準=スタンダードを求めてしまう。優等生ほどその傾向が強いのですが、それを突き破っていくことが、精神的なグローバリゼーションではないかとボクは思うのであります。

 

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2017年11月16日 (木)

緊張と弛緩

 

 アタマの中にくるくると回転するハードディスクがある感じかな。仕事が増えれば増えるほど超高速で回転してデータを読み取るようになり、異常に記憶力が昂進すると同時に、思考も瞬時にあちこちに飛躍するようになります。ところが、仕事がはかどって締め切りの数が少なくなると、回転速度もめっきりと遅くなり、言葉のつなぎ方にも独創力が欠けて、類型的になっていく。ヒューゴー賞を授与されたダニエル・キイスの大傑作『アルジャーノンに花束をFlowers for Algernon』に似ているといえばそうかもしれません。

 

 ボクは誓ってハツカネズミでも機械仕掛けのアンドロイドでもありませんが、書き仕事というのはそんな傾向があるように思います。ということは、忙しければ忙しいほど大傑作が生まれるような気がするじゃないですか。でも、そこのところが人間でございましてね、いけない薬でもやらない限りは確実に疲労が蓄積されていくのです。そんなわけで、傑作をモノにする直前でチャンスを逃し続けて30年以上。今年も季節労働(時計です)が一段落したおかげで、ハードディスクの回転速度がヘロヘロとゆっくりとなり、もうすぐ停止しそうなほどです。

 

 これはあくまでも比喩でありまして、ボクのMac Book AirHDDでなくて駆動部分のないSSD(ソリッド・ステート・ドライブ)になっていると思うんですけどね。このあたりは文科系の悲しさで、ちょっと調べただけの付け焼き刃なイメージですけど、まぁね、少しばかりアタマのネジが緩んできたことは事実でございます。あ、今週の土曜日は二の酉じゃないか。

 

 このように緊張と弛緩が繰り返されることを、英語でTension Reductionテンション&リダクションと言います。ライター稼業ではなく、もっぱらマーケティングに利用されている心理的なテクニックであり、アメリカの警察ドラマでは「Bad Cop, Good Cop良い刑事・悪い刑事」と呼んだりします。「ホントのことを言わなければブタ箱に放り込んでやる。てめぇなんか3日も生きてはいられないぞ」とか何とか、コワモテの刑事が容疑者をさんざん脅しまくって取り調べ室から退場。かわりに入ってきた柔和な面相の刑事が「お前もなぁいろいろと事情があると思うんだ。さもなきゃこんなことはやらないだろう。オレはお前の味方なんだから、取りあえず言えることから言ってみろよ」と優しいことを言い出す。

 

 コワモテの刑事に恐怖に近い緊張感を強いられたおかげで、北風と太陽みたいなもので、ついホロリと白状してしまうわけですね。こういうテンション&リダクションでモノを売りつけたり契約を迫るビジネスもあるらしいので、くれぐれもご注意ください。そういえば銀座でリトグラフを高値で売りつける画廊を見つけました。まだやってんだぁ、しぶといですよね。

 

 という弛緩した心境で、これから大阪に向かいます。のぞみで約2時間半。この距離がね、忙しい時ほどノロく感じて、本日みたいなヒマな心境の時はあっという間なんだよな。気持ちとはまるきり反比例する時間認識も考えてみれば不思議なことなので、次の機会にテーマにしてみたいと思います。

 

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2017年11月15日 (水)

逃げるのは恥だ!

 

 会社を設立した当初は調子良かったけど、業績が次第に悪化。そんな時に「ほかに大切な仕事もあるので」と創業者がいち早く辞めてしまったら、みんなどう思いますかねぇ。会社なら幹部や従業者と顧客に迷惑が及ぶだけですが(それでも大変な事態です)、政治ともなると多数の人々に大きな影響を与えますからね。はい、都知事の小池さんのことであります。

 

 ボクは以前から、このブログで何度も何度も何度も何度も、リーダーの必須要件はアタマの良さなんぞではなく、「たとえ負け戦になっても逃げ出さない人格」と規定してきました。政策立案なんていうのは参謀やら取り巻きにナンボでも任せることができます。しかしながら、すべての結果責任はどうしたってもリーダーが引き受けなきゃダメでしょ。にもかかわらず「電撃辞任」だもんなぁ。その逃げ足の速さは、さすがというほかありません。こういう人を絶対に総理大臣なんかにしてはいけない。

 

 あくまでも仮の話ですが、威勢良く戦争を始めて、敗色が見えてきたらとっとと隣国に亡命するような人を国のトップにしたいですか。彼女はおそらく「それとは決して同じではございません」と強弁するだろうけど、断言しますが、これは明らかにまったく同じことでございます。それに、女性のリーダーや指導者や会社の社長や幹部や上司の皆さんも、彼女と変わりないんじゃないかと見なされかねないので、ボクは女性の評判まで著しく毀損したと認識しています。

 

 人気漫画を原作にしたテレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』がヒットしたようですが、これはあくまで個人的なことですよね。普通の人も兵隊さんも、やばくなったらどんどん逃げたほうがいい。イジメだってそうです。しかしながら、繰り返しますが、リーダーだけは別です。逃げるのは紛れもなく恥であり、その後には死屍累々、多数の犠牲者が残ることになるではありませんか。だから絶対に逃げてはいけない。つまり、すぐに逃げ出すような奴をリーダーに選んではいけないのです。

 

 小池さんは、大変にありがたいことに、そうしたボクの持論をきっちり証明してくれました。もうちょっと眼力を磨きましょうよ。さもなきゃ、また騙されますぜ。

 

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2017年11月14日 (火)

ムカツキを鎮める方法

 

 ついに「忖度」が「無理を通せば道理が引っ込む」という状態になってしまいました。例の獣医学部の新設ですけど、理屈や事情はどうあれ、国会でもう少し論議するべきではありませんか。それに森友学園の国有地払い下げのほうは早々と忘却の彼方なのでしょうか。

 

 それだけでボクのような正義と倫理の人(自己申告)は超不愉快なムカツキを感じてしまうのですが、これ、あくまでも前フリでございます。今回のテーマは、そうしたやり場のない不快感や苛立ちをどうしたら鎮められるか、ということであります。

 

 こうしたムカツキは、政治から会社関係や仕事、身近に至るまでいろいろありますよね。その理由を突きつめれば、人間が集団で組織的な社会生活を営んでいることにすべて起因していることに気づきます。たとえば無人島に1人でいるとしたら、人間を恋しく思っても、同じようなストレスを感じるはずがありません。

 

 かといって1人だけで真っ当な生活をすることは困難です。というわけで、通勤時間の混み合った電車内と同じで、心理的な軋轢はどうしても避けられないのです。

 

 であるなら、奴らは人間ではないと考えたらいかがでしょうか。ボクはかつて映画『猿の惑星』に衝撃を受けたせいか、ラッシュアワーの電車に乗り合わせた時には、みんなが服を着た猿だと考えるようにしています。それでは逆に恐怖を感じる人もいるでしょうから、そんな場合は犬だと思えばいいのです。犬好きの人なら必ず賛同してもらえるはずですが、人間を連想させる顔が結構あるんですよね。

 

 はははは、そうか、犬が吊革にぶら下がったり、スマホでゲームをやったり、迷惑にも足を組んだり、マスカラを塗ったり、大口開けてヨダレを垂らしながら寝ているのかと。そう思うことができれば、ムカツクのがアホらしくなるじゃないですか。

 

 会社でも同じで、社長はポメラニアンで、その取り巻き連中がチワワ、いつも小うるさいことを言う課長はブルドッグ、みたいに感じることができれば、1人でヒヒヒヒと笑うこともできるじゃないですか。

 

 もちろん、そんな簡単に気分を変えることはできません。だから日常的にそうしたイメージを作り上げておく。早い話が動物園ですな。ロボットを加えるとSFチックな世界になります。こういう想像を子供の時にはいつもしていたと思いますが、そんな世界に逃避してムカツキを鎮めるのが最も現実的な方法ではないでしょうか。

 

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2017年11月13日 (月)

こんなにも多くの……

 

 連続殺人のことを英語でSerial murderと言います。かの有名なイギリスの切り裂きジャックなど、いわゆるサイコパスは古今東西で出没するので、今回の座間の事件もまたかよと呆れるほかありません。

 

 ある一定の割合でそうした人格や性癖が形成されるのかも知れませんが、そんな難しいことは専門家に任せるとして、ボクたちがもっと驚くべきことがありますよね。第一に、若い人たちの自殺志願者がこんなにも多いということです。ボクのようなオッサン世代でも電車に飛び込むケースがまだまだあって、そのたびに公共交通が大混乱して迷惑を被っていますが、SNSという見えない世界で「死にたい、この世からいなくなりたい」と叫ぶ若者たちが増えているというのはどういうことでしょうか。

 

 厚生労働省による「平成29年版自殺対策白書」によれば、実際に自殺に至るケースは減少傾向にありますが、それでも15歳~34歳の死亡原因では自殺が第一位。こんな深刻なデータは先進国では日本だけのようです。15歳~19歳に限れば死亡者の3割以上を占めていますからね。結果だけでもこれなので、潜在的な自殺予備軍は相当な数にのぼると考えるのが普通ではないでしょうか。

 

 次に、自殺可能性を高めると想定される家出ですが、警察庁の最新データによれば、2016年に行方不明とされたのは全体で8万4850人にのぼります。12年に比べれば減ってはいるものの、年齢別では10歳代が最も多く、うち2割を占めるのですから、タダ事ではありません。こちらも表面化しない潜在的な家出志願者は相当数になるんじゃないかな。

 

 つまり、座間の事件の背景には、多数の自殺志願者と家出=行方不明者がいるということです。渋谷のセンター街に関東周辺からの家出少女が目立つと報道されたのはいつのことかな。この時に、警察に届け出ることもなく、放置していた親が多いことに驚きました。中高生が一泊だけにしても、どこにいるか分からないという状態は、いくらスマホが普及しても異常と考えるべきですよね。

 

 様々な事情があるはずなので、一概に親のせいにするのは気の毒ですが、子供の勝手気ままを許すことにはちょっと問題があるだろうと思います。「わーいアタシはオレは自由だぜい!」なんてことは本音ではあまり思わないんじゃないかな。束縛を嫌うように見えても、親が常に自分を気にかけてくれるということが愛情の再確認につながるからです。

 

 ここからはボクの仮説ですけど、自殺志願も家出も、彼らの自己評価が低すぎることに原因があるような気がします。自分は学校(職場)で好かれていないらしい→親からも大切に思われていないようだ→他人に比べて自分のデキが悪いからだろう→だったらこの世からいなくなったほうがいい。こんな思考回路で、自分を棄てるような方向に走っていくのではないでしょうか。

 

 これね、実はボクも経験があるのです。小学校3年頃に、実の父親から「お前は豚目だなぁ」ですからね。父親は二重で、ウソかホントか「オレは目千両と評判だった」なんてことを無神経に自慢されたら、息子は相当に傷つきます。その心ない言葉がトラウマとなって、ボクは自分の顔が大嫌いになったのですが、幸いに男というジェンダーに属していたので、イケメンでないならその他の方面で頑張ってカバーしようとしてきました。

 

 まさか娘にそんな残酷なことは言わないと思いますが、「お前は豚目だなぁ」みたいなことをしみじみ言われたら、生きていく気力を喪失しますよね。

 

 これはあくまでも卑近な例ですけど、学校の成績や教室での人気なども含めて、似たようなことを繰り返しながら自己評価がどんどん低くなれば、「自分なんてどうだっていい」となるじゃないですか。

 

 ということは、そうした若者たちが自分に自信を持ち、正しく自尊心を持てるような体験や環境があれば、少しは自殺志願や家出が減るという理屈になります。ウェブで自殺幇助のサイトがあるなら、逆に生きている人間にはすべて生きている理由と価値があるのだと感じさせるHPがあってもいい。それ以前に、誰かを好きになって、その誰かをどうにかしてハッピーにしてあげたいと願う習慣を付けた方がいいですよね。

 

 人間が生きている価値を突きつめれば、学力や人気なんぞではなく、人を愛することができるってことです。これは意識すれば誰にだってできます。その結果として、できれば子供を作って次世代に遺伝子を継承する。人間にとって、それ以外に大事なことがあるでしょうか。

 

 ボクのようなオッサンになると何かといろいろ障害があるのですが、そうした恋愛を謳歌できるのが若い男女なのですから、もっと自分を大切にしようよ、となるわけです。この理屈、ヘンですかねぇ。

 

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2017年11月10日 (金)

曇り時々失意

 

 ある企画の撮影立ち会いで、ひと区切りつけたカメラマンに「もっとヘタクソに撮りたいと思ったことはないですか?」と聞いたことがあります。

 

 名前が出ていようがいまいが、作家として扱われない商業目的の写真には様々な制約があります。というより、均整の取れた美しい構図を壊すなんて、とてもじゃないけど許されません。大多数の人間が見て心地良いと感じられるバランスと光と陰や奥ゆきのもとで、ようやくシャッターが押される。だからこそ広告&広報的な利用が可能になるわけでね。ベネトンのように敢えて衝撃的な写真で世間を騒がせるのも手法としてあり得ますが、その場合は「作家性」という隠れ蓑がなければできないことだと思います。

 

 ボクも彼もプロとしてそんなことは百も千も万も承知の上だからこそ、逆にそう訊ねてしまったのですが、答は予想通り「そりゃそうですよ」でした。もっと正しくいえば、ヘタクソというのは仮の形容であって、「自由に」という意味なので念のため。

 

 ボクのようなライターも同じで、誰もが読んで概ね理解でき、さらには納得できる文章が求められます。この稼業を始めた頃から、変化球をいろいろ覚えてきましたが、結局はストライクゾーンを抜けてキャッチャーミットにきちんと収まらなきゃいけません。そんな仕事を長く続けていると、たまにバックネットの上のほうに突き刺さる暴投をしたい時があるんですよね。たとえば、何度読んでもまるで理解できず、20歳くらい年を取ったら何となく分かるようになる謎の文章とかね。文法や文章作法、お約束などをまるきり無視するとか、何十行も句点や読点がなく、延々ダラダラと続く文章も書いてみたいなぁ。逆に7文字以下の短文の羅列とか。

 

 そうなるとね、文章はコミュニケーションの手法にもかかわらず、他人に理解されることを拒否したものになりかねません。そういう重大な掟破りを、無性にやりたい時があるのです。これはもう独りよがりの自己満足としか言えませんが、実のところ、その本質はアートと紙一重の違いしかないんですよね。

 

 内容にしても、言いたいけど今は言えないことが沢山あるので、これをどんどん暴露していきたい。罵倒や悪口も思いのままに書きつけることができたら、きっと気持ちいいだろうなぁ。

 でもね、社会的な存在として生き続けたいのであれば、そんなことできるわけがない。かくて、長年の苦楽を共にしてきた悪友の予定調和クンと一緒に生きていくしかないのです。

 

 はぁ、今日も曇り時々晴れ、または失意あるいは諦念、かな。

 

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2017年11月 9日 (木)

可哀想とは何か

 

 犬の福助がめっきり老け込み、昔は飛び跳ねるように動いていたのに、近頃は水を飲みに行くにも右に左にヨタヨタと歩いております。

 

 今年で15歳というのは、昔の常識では考えられないほどの長寿であり、衛生環境が飛躍的に向上した賜といえるのですが、見ていると不憫でもあるんですよね。エサの食いつきも近頃はすごく悪くて、かつては秒速で完食していたのに、今では残したりします。そんな時に、何を考えているのか、黒いビー玉のような瞳でボクの顔をじっと凝視するんですよね。

 

 そんな時に哀れを感じる、つまり可哀想だと思ってしまうのですが、どうやら犬のほうは自己憐憫という感情はまったくないようです。ヘルニアで下肢が動かなくなった犬が特注の車輪を付けているのを見たことがありますが、「わーい、これで自由に動けるぞ」といわんばかりに走り回っていました。それがないからといって、自分の不幸を嘆き悲しんですっかりふさぎ込むというのも見たことがありません。足が動かない。そうか、仕方ないか。みたいなね。

 

 そうすると、ボクたちが犬や他人、あるいは自分に対して「可哀想」と思う感情って、いったい何なのでしょうか。英語でも哀れみや同情を表すPityという言葉があるので、おそらくこれは人類共通だと思います。ボクは読んだことはありませんが、夏目漱石は小説『三四郎』の中で、a pity is akin to loveを「可哀想だた惚れたってことよ」と訳しています。

 たとえば放蕩者の父親を持つ美しい娘が、借金のカタとして郭に売られるなんていうシチュエーションは、確かにそうかもしれません。惚れてなきゃ可哀想なんて感情は起きないですからね。しかしながら、犬や猫を可哀想と思ったからといって、惚れるという感情とは大分開きがあるような気がします。

 

 あくまでもボクの仮説ですが、これは人間だけが持ち得る他者共感能力=シンパシーの一種ではないでしょうか。大昔の厳しい自然環境では、人間が孤立したらすぐに捕食されるか飢え死にしてしまいます。つまり、お互いに協力してお互いを守り合うことが生存に必要な絶対条件だったのではないでしょうか。

 そうするためには、他者のことをあたかも自分のように感じなければいけません。隣の男がクギを踏み抜いて「痛い!」と叫んだら、自分も神経を突き刺されたような気がして「こりゃ大変だ!」と助けようとする。そうした感情から「可哀想」が派生してきたのではないかな。

 

 ところが、文化・文明の発達によって天敵となる捕食者がどんどん駆逐され、人間が食物連鎖の頂点を極めるようになってから、そうした本能を欠いた人間も生まれるようになったようです。だからこそ犬や猫を何匹も殺して平気な無慈悲な奴もいるわけです。こういう人は、akin to loveに至るa pityという感情がそもそもないと考えられるので、人を愛することができない。愛される喜びも分からない。ああ、何という恐ろしい孤独でしょうか。しかし、彼らはおそらくそれすらも感じないだろうなぁ。

 

 最近になって登場した人類最強の天敵になりそうな人工知能=AIにしても、「可哀想」という感情を持たせるには何百年もかかりそうに思います。よしんばそう感じたとしても、人間のように人を愛してセックスして子供をこしらえるなんてことは金輪際できません。

 

 だからね、カメラが誕生して絵画の意味が写実から大きく変わったように、AIによって、それまでは面倒くさくて仕事の邪魔ですらあった人間的感情が前向きに再定義されるような気がするのです。それを追求できるのは大学の文系学部だけですから、もっとガンバレよと言いたいわけですな。

 

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2017年11月 6日 (月)

もっと事実を!

 

 最近は前代未聞の大量殺人事件が頻発しているように思います。ちょっと前なら通り魔関係が目立ち、昨年には相模原の知的障害者福祉施設で19人を刺殺、26人に重軽傷を負わせた衝撃的な事件がありました。これが戦後に発生した殺人事件では最も犠牲者が多い、最悪の記録となるそうです。

 

 それに比べれば、と言えば顰蹙を買いそうですが、座間市のアパートで見つかったのは今のところ9遺体。女性8人、男性1人と報道されていますが、相模原のように障害を持つ弱者ではなく、自殺願望があるとはいっても不特定な健常者と想定されるので、連続殺人といっても性質はかなり違います。

 

 今回の事件を知ってボクがすぐに思いついたのは、アメリカのテレビドラマ『クリミナルマインドFBI行動分析課』でした。サイコパス=反社会性人格障害者をテーマとして、毎回毎回、さすがのボクもへコたれるくらい陰惨な連続殺人が実に丁寧に丹念に描かれているので、ついに日本の犯罪もアメリカに追いつけ追い越せかよと慨嘆したくらいです。

 

 でね、大きな事件ですから、おそらくテレビや雑誌ではこれからヒマがあればああだこうだと特集を組むでしょう。メディアですから、それ自体は当然の反応ですが、ボクが閉口するのは「解釈」「推定」「分析」があまりにも多すぎるってことです。

 あのですね、1~2か月程度で9人もの人間を殺した奴の心理が本当に分かると思いますか。温厚篤実なボクだって(自己申告)、正直に告白すれば、殺してやりたいと思った人間がいないではありません。しかし、そう思うのと、実際にやることの間には、目も眩むほど途方ない落差というかギャップがあります。たとえばカネ持ちになりたいと思って鋭意努力することと、殺してやりたいと思って実行してしまうことを同列には論じられないですよね。いや、ボクもそんなことをしたことがないので、それすら「推論」に過ぎないのであります。

 

 つまり、彼の内部で膨らんでいったに違いない暗黒衝動は、言葉でいくら解説しようとしても、ホントのコトなんて本人すら客観的に認識できていないはずです。にもかかわらず、テレビのコメンテイターの皆さんは分かったような解釈や理解の仕方をするんだよな。

 もしボクがコメンテイターとして呼ばれていたら、ただ一言「分かりません」しかないでしょう。安心してください、こういうつまらない、けれども真っ当なことを言う人はテレビには出られないのが普通ですから。

 

 おそらく事実だけでは番組が保たないので、素人や玄人まがいの皆さんに生半可な憶測を繰り返させるんでしょうね。それがテレビの定番的な手法らしいので、ボクは5年以上も前に見限って、地上波はほとんど視聴しなくなったのであります。

 

 では、ボクを再び地上波に振り向かせるにはどうしたらいいか。

 そんなもん決まっています。事実です。とにかく事実。しかも、できるだけ詳しく。犯人の動機や心理は、よほどの専門家でも手を焼くことになると予測されるので、そちらは任せるとして、ボクはひたすら事実だけを知りたいのです。テレビの場合は取材能力が希薄なので無理な要望なのは分かりますが、ちょっと考えるだけでも、いくらだって調べる方法はあるじゃないですか。取材を受ける方は迷惑かも知れませんが、そうした根掘り葉掘りの細部の向こうに、ようやく彼を支配した暗黒衝動の影みたいなものが見えてくるんじゃないかな。

 

 解釈や推論や分析はもう沢山、というのは犯罪に限りません。政治も経済も社会もそうですよ。とにかくもっと事実を! それも詳細に! というのがボクの近頃における心境なのでございます。ちなみに、こうした姿勢による取材にもとづく記事を「調査報道」と言います。

 

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2017年11月 1日 (水)

ホントかな?

 

 ハロウィンのバカ騒ぎが年々エスカレートしているみたい。ボクの事務所の最寄り駅である恵比寿は渋谷のすぐ隣なのですが、駅のロッカーに着替えを入れている仮装の若者たちが増えてきたような気がします。

 

 若者とバカ者はそもそも紙一重で、バカ騒ぎだってそれなりの経済効果はありますから、渋谷でやっている分には「お好きにどうぞ」です。彼らも「自分たちの好きでやっている」と言うはずなので、それはそれで完結する話ではあります。

 ただ、昨日の続きになりますが、果たして彼らはホントに「好き」でやっているのかとボクなんかは疑うんだよな。

 

 純粋に自らの意思で「好き」だから仮装して騒いでいるのでしょうか。であるなら、あんなに若者ばかりになるはずがありません。もっと厳密にいえば、独身の若い男女であります。もしもホントに自分が意思したことなら、鉄道や釣りやゴルフやマリンダイビングなどのように、もっと年齢分布が広がっていてもおかしくない。ところが、テレビで見れば分かるように、明らかに偏っているんですな。

 

 生物学で何と言うのか知りませんが、これはまさしく求愛行動の一種だろうとボクは睨んでいます。というか、それ意外に考えられない非生産的行動じゃないですか。フロイト的に言えば、性的リビドーの発露になるのかな。盆踊りなども同じで、異性を惹きつけ、知り合って、最終的には子供をつくるためのイントロダクションってことです。それがダンスや歌などの芸能に昇華されると初期の目的や意味が希薄になってしまいますが、その途中のどっちつかずをうまく利用しているのが、AKBや欅坂といった女子の団体様だと思うのです。だからこそ敢えてレベルの高い芸をしてはいけない。それでユニゾンを通してきたのかな。

 

 ということで、早い話が異性を求める本能的行為がいろいろと変異してきたのが、多くの社会的イベントの本質ではないでしょうか。

 

 とはいっても、人間が動物である限りは、たとえ壊れていようが本能に支配されることは仕方ありません。かくてハロウィンについて何をどう言ったところで、よほどの大事件が起きない限りは誰も耳を貸さず、ますます日本的に再解釈されて定着していくでしょうね。

 

 それに文句をつける気は毛頭ありません。ただ、人間には本能とは別に理性というものも備わっています。それをたまには発動させて、自分の「好き」を再点検しようじゃないかと。実は自分が好きでやっているのではなく、内的な性的衝動が突き動かしているんだと客観的に自己認識できれば、他人に迷惑をかけることも少しは減るのではないかとボクは愚考するのであります。

 

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2017年10月31日 (火)

記憶は遺伝する?

 

 ある大学院の生物学関連の研究室で、「記憶は遺伝する」と聞かされたことがあります。

 

 DNAが身体の設計図として継承されるのは誰でも知っていますが、個体変化は決して遺伝しないと勉強しましたよね。たとえば親がボディビルでムキムキの肉体をこしらえても、赤ん坊のほうはそうしたジム通いの成果なんかチャラにして生まれてくるわけです。

 

 実際に、歌手やタレントやスポーツ選手の2世で成功した人は限られています。同じクルマに乗っても、運転がヘタならレースでトップにはなれず、事故だって起こしてしまう。だからこそ、人間は学ぶことが必要なんだよ、となります。

 

 ところが、マウスに特定の匂いをかがせた上でイヤなことをすると、次世代のマウスはその匂いを忌避する行動を取るというのです。

 

 その後の実験結果は聞いていませんが、似たようなことを感じたことはありませんか? この匂いはどうも苦手だよな、とか、あそこには特に理由もないのにどうしても行きたくないとか、あの女は付き合うとヤバそうな気がしてならないとか。

 

 最後の例はもっぱら本人の体験による感想がほとんどだと思いますが(苦笑)、もしかすると祖父の代あたりで、途方もない悪女に根こそぎカモられ、あくまでも仮にですけど、吊り目の女に出会うと後ずさりしたくなる、なんてこともあるんじゃないかな。

 

 問題は、仮に記憶が遺伝するとして、そうした理由を知ることなく、結果あるいは結論だけが残るということです。そうすると、個人的な好き嫌いなんてのは、そもそも理由不明の過去の記憶の集積がもたらしたものということになります。であるなら、そんなものに従う必要もないですよね。

 

 だから根拠不明の好き嫌いに振り回されてはいかんよ、というのが本日の結論となります。むしろ嫌いなことに近づくと新しい世界が開くかもしれません。それこそが、イヤな記憶を次世代のためにリセットしておく唯一の方法ではないでしょうか。うーむ、今日はひどく前向きだよなぁ。こういう心境の変化も実は理由不明なことが多いんですけどね。

 

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