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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

日記・コラム・つぶやき

2021年2月25日 (木)

頭と尻尾はくれてやれ(続)

 

 ある程度の知識とそれなりの荒波にもまれた経験を持ち、さらに中高年以上の年齢の人なら、世の中がどのように動いていくかを大まかにでも予測できるようになります。

 ボク自身も、決して自慢ではありませんが、いやちょっとだけ自慢かな、昨年11月のブログ「郵政省(前・後)」で総務省の不祥事を何となく匂わせたつもりです。郵政はとっくに民営化されたといっても、電波行政などの利権は総務省がきっちり引き継いでいるからです。社会保険庁もそうでしたが、世代が完全に入れ替わらない限り、不正や癒着に染まりやすい組織風土はなかなか改まらないんじゃないかな。今のところはコロナ禍での和牛ステーキや海鮮料理といった過度な接待会食に留まっていますが、もしかすると1998年に発覚した大蔵省接待汚職事件のような大事に発展するかもしれません。衆知のように、新宿のノーパンしゃぶしゃぶ屋で、官僚の皆さんが肉を頬張りながら女性のスカートの中を凝視するという世にも恥ずかしい痴態が日本中に暴露されました。この時は官僚7人が起訴され、全員が執行猶予付きの有罪判決が確定しています。果たして総務省からも“縄付き”が出るでしょうか。それを招いた主役が菅首相の長男というのですから、もはや「別人格」と居直ってはいられないと思うんだけどね。

 おっと、またもや寄り道してしまいましたが、株や不動産のバブル的高騰がテーマです。昨日の日経新聞でもJTBが資本金を23億から1億円に減資すると報道されていたように、長引くコロナ禍で実態経済はボロボロといっていい。もちろん情報サービスなど活況の業種もありますが、観光関連や飲食といった個人消費に直結する分野が壊滅的なダメージを受けています。不動産にしても、少子化による人口減が依然として続くほか、テレワークの浸透で都心のオフィスを引き払う大企業も目立つようになりました。要するに明るい材料なんてどこにもないのに、株価が3万円を超えたり、若い人たちがマンションを競って買い求めたりする。

 その背景にあるのは、誰でも分かるように「異次元の超金融緩和」です。あろうことか日銀がお札をバンバン刷って株を買い支えてくれるのですから、投資家も安心して株式市場にカネを注ぎ込む。それでもあり余ったカネは暗号資産とも呼ばれるビットコインに、そして不動産市場にも流れ込み、どんどん価格を上昇させているわけです。

 そんな理屈は新聞やYouTubeでも見ていただければ分かるはずですが、ボク自身はもっとシンプルに「上がれば下がる、下がれば上がる」を座右の銘としてきました。つまり、高騰は暴落を招き、バブルもいつかはじけないでは済みません。

 ただし、ですよ。それがいつになるのかを正確に予測するのは大変に困難なんですよね。そんなことが分かったら、かつてのバブル崩壊の時に株の空売りで大金持ちになっていたはずです。リーマンショックの時もそうかな。風船を膨らませるのと同じで、「もうすぐ」「いやまだまだ」と様子を窺っているうちに、突然にパンとはじける。風船ならゴムの張り具合が目に見えても、経済活動は複雑ですから、俯瞰するのは無理ってものです。なのでボクたちのような素人はヘタに手を出さないほうが安全ですが、そうなると富裕層と庶民の経済格差がますます拡大することになってしまう。

 ボクが1つだけ追加してご紹介できるのは、2013年5月24日のブログで紹介した相場の格言です。「頭と尻尾はくれてやれ」。これは実にまったく、つくづく至言だと思います。欲をかき過ぎると大損につながるので、上がり目も下がり目も、ほどよいところで手を引け。このアドバイスが今こそ有効ではないかと思うんですけどね。

 

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2021年2月24日 (水)

悪夢ふたたび

 

 久々に悪夢を見てしまいました。あまり夢を見るタチではなく、悪夢といっても妖怪変化が登場するおどろおどろしい内容ではありませんが、不愉快な感覚だけは強く残るんですよね。しかも、基本的な内容は昔から決して変わることがなく、頻繁ではないにしても、何度も同じような夢を見続けてきました。

 そのテーマというかストーリーは、電話をかけたいけど相手の番号が分からなくて焦りまくるというものです。この夢を初めて見た時は、大きな箱型の公衆電話の上に10円玉と100円玉を積み上げていました。準備万端にもかかわらず、どこを探しても電話帳が見つからない。カバンの中はもちろん、ジャケットやズボンのポケットにもない。電話番号案内で調べてもらおうとしても、なかなかつながらないんですよね。記憶している限りでは、6台くらい並んだ電話ボックスの右端にいたんじゃないかな。その中でガラス越しに外の景色を呆然と眺めながら途方にくれているうちに目が覚めました。

 しばらくすると、それが携帯電話に代わったから面白いですよね。夢の中も技術革新するんだと感心しましたが、夢は現実の反映ですから当然といえば当然です。けれども、やはり相手先の電話番号が分からないことにかわりはありません。内部に記録した電話帳を呼び出せばすぐに分かるはずですが、なぜだかやり方を思い出すことができず、あちこちのボタンを押してみても、どうにもダメなんですよね。

 そして昨日の月曜夜は、とうとうスマホになっていました。ボクは2年ほど前にガラケーから交換したので、遅ればせながら夢の中でも機材がアップデートされたことになります。スマホならボタン操作でなく指先1本のスライドで登録した相手先を呼び出せるはずですが、これまでの夢とまったく同じで、それがどうにもできない。この困惑というか不全感が何とも言いようのない気持ち悪さとなって残るのであります。

 では、ボクはどこから、いったい誰に電話しようとしているのか。これは様々なバージョンがありまして、まず場所ですが、最初は事務所のあった恵比寿の近隣である渋谷、代々木、あるいは新宿でした。携帯電話になってからロケーションが海外にも広がり、ヨーロッパの列車の中やホテルも登場。これは時計取材で頻繁にスイスに出張していたことに加えて、国際電話ができるガラケーを持参するようになってからだと思います。機材だけでなく、シチュエーションも夢の中でアップデートされているわけですね。

 次に、電話をかけようとする相手は誰なのか。プライバシーにかかわるので詳しく言えませんが、いつも特定の人というわけではありません。近しい人であったり、ものすごく遠くなった人もいるんだよな。そのあたりは夢独特の過去との往還というか、時空を超えた想いが反映されているようです。

 このように随分と長くつき合ってきた夢なので、覚醒後の錯覚かもしれませんが、夢の中で「またかよ」というデジャブ感覚を持つこともあります。それにしても、電話しようとする相手がね。目覚めた後もなお連絡先が分からない、つまり音信不通というケースも珍しくないのが寂しくて哀しいんだよな。

 

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2021年2月22日 (月)

のんびり生きよう(後)


気楽に行こうよ 俺たちは
あせってみたって 同じこと
のんびり行こうぜ 俺たちは
なんとかなるぜ 世の中は
気楽に行こう
のんびり行こう

 さて問題です。これは1971年に放映されたテレビCMの歌詞ですが、スポンサーはどんな業種だと思いますか。

 中高年以上の世代ならすぐに歌を思い出すはずですが、業種までは覚えていないかもしれません。ななな何とモービル石油だったんですよね。田舎の砂利道で箱型のクラシックカーを鈴木ヒロミツと藤竜也が押しながら歩く。その映像のBGMとして、マイク眞木がギター1本の伴奏で「のんびり行こうぜ、俺たちは」と歌うわけですね。エンディングで加藤和彦が、

クルマはガソリンで動くのです。モービルガソリン。

 とナレーションを加えているので、ああガス欠だったのかとようやく気づきますが、当時はモータリゼーションの真っ盛りですぜ。しかも、ガソリンをどんどん使って欲しいはずの石油会社が、こんなアンチといっても過言ではないCMをオンエアしたのです。近視眼的な効率や効果ばかりを追い求める現代なら、ゴマすりの茶坊主たちが「部長、これはヤバイっす。株主からも叩かれますよ」とか何とか余計なご注進に及び、直ちに中止になったんじゃないかな。

 このCMと歌が、ちょうど半世紀を経た今頃になって、ボクの心の奥底からぽっかりと浮かび上がってきたんですよね。もうちょっと詳しく紹介すると、作詞・作曲は『バラが咲いた』(1966年)で一世を風靡したフォークシンガーのマイク眞木。『気楽に行こう』というタイトルでシングルレコードにもなったのですが、CMに出演していた鈴木ヒロミツもこれと区別して『すずきひろみつの気楽に行こう』としてカバーしています。ちなみに、彼はロックバンドであるザ・モップスのボーカルで、翌72年には『たどりついたらいつも雨降り』(作詞作曲・吉田拓郎)をヒットさせています。残念ながら2007年にガンで死去。追悼として前述のCMが流されたので、こちらのほうを覚えている人もいるでしょうね。

 ただし、CMとレコードでは歌詞がかなり違います。CMは短時間で意味を伝えなければならないので、1番と2番を合体させた感じになっています。CMのほうが先行したかもしれませんが、お茶の間向けに温和しく脱色されているほか、「のんびり生きよう」という最重要なフレーズが欠けているので、以下にレコードのバージョンを紹介します。

気楽に行こうよ 俺たちは
仕事もなければ 金もない
寝るとこなくても 心配するな
なんとかなるぜ 世の中は
気楽に行こう 気楽に 行こう

のんびり生きよう 俺たちは
あせってみたって 同じこと
馬鹿と呼ばれても くよくよするな
助け合おうぜ 世の中は
のんびり行こう のんびり行こう

何を頼りに 生きるのか
月日が勝手に過ぎてゆく
雨が降ったら びしょぬれさ
だけどなんとなく 幸せさ

友達になろうよ 今すぐに
きみは学生で あなたは社長さん
あいつはサラリーマンで あなたはおまわりさん
そんなことどうでも いいじゃないか
友達になろう 友達になろう
気楽に行こう 気楽に行こう
のんびり行こう

 最後のフレーズを書き写すだけで、瞼の端が少し潤みかけました。昨年からの新型コロナ禍で世相が殺伐としているだけでなく、2度にわたる緊急事態宣言によって仕事や収入を失った人たちに「のんびり生きよう」なんて、あまりにも能天気で無責任かもしれません。だからといって深刻に考えすぎたら、死にたくなるばかりじゃないですか。実際に自殺者も増えているそうです。顔を覆うマスクが邪魔で仕方ないけど、生きているだけでも儲けものだと思って欲しい。できればみんなが友達になって「助け合おうぜ、世の中は」なのであります。

 テレビでエラソーに語る評論家やコメンテーターの分かったふうな論評を耳に入れるヒマがあるなら、この歌をぜひYouTubeで聴いてください。何もかもが慌ただしく忙しかった高度経済成長期に逆らうかのように、敢えて「気楽に行こう」と歌い上げ、かつそんな楽曲をテレビCMに起用した人たちの気骨と根性に改めて感心せざるを得ません。

 デジタルだSNSだと騒ぐのも結構ですが、こうした気概や思想がなければ、世の中はカネ勘定ばっかりになって、それこそ生きる気力がなくなっちゃうよ。


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2021年2月19日 (金)

のんびり生きよう(前)


 近頃はトレンドの移り変わりが激しく、ろくすっぽ理解できないうちに、新しい言葉と概念が登場します。今ならSDGsかな。新聞などの活字媒体で見かけることが多くなりましたが、そもそもは2000年に国連サミットで採択されたMDGs(ミレニアム開発目標)が達成された2015年に、それに代わる新たな目標として定められたそうです。

 日本語では「持続可能な開発目標」。17分野169項目を2030年までに達成するとしていますが、あまりにも数が多くて、何がなんだかという人も少なくないはずです。それに、貧困や飢饉をなくすなどなど、とてもじゃないけど一般の人たちが個人的にできることではありません。決して否定するわけではなく、社会全体として、すなわち国家や行政、それに企業といった組織として目指すべきことなんですよね。

 ボクたち個人のライフスタイルとしては、「ロハス」がそれに準ずるのかな。アルファベットやカタカナで表記された概念はあまり好きになれませんが、これは「健康で持続可能な生活様式」という英文の略。日本語のほうがよほど分かりやすいと思うんだけど、メディアはトレンドを追いかけてナンボの世界ですから、あくまでもロハスでなければ商売にならないのであります。

 ただし、「健康で持続可能な生活様式」というのも分かったようでよく分からない。大量生産&大量消費の真逆ということは理解できても、実際の生活はどうすんだよと思いますよね。さらに「断捨離」まで付け加えれば、キーワードが3つもあるということになります。

 これらの源流はどうやら「持続可能」でありまして、ボクは1990年代にロンドン大学の科目でSustainableという英単語に直面。どう訳していいのかと困惑したことがあります。今でもうまく言い換えられないのですが、要するに使い捨てをやめるのであれば、「もったいない」という立派な日本語があります。それだけでは断捨離に反するので、もう一歩踏み込んで「もったいないをなくす」と考えれば、両方とも納得できそうです。近頃のメディアはこうした言い換えの工夫が足りないと思うぞ。洋画のタイトルだって英語そのまんまが目立つもんね。

 あ、またまた長くなりましたが、コロナ禍から「ニューノーマル」なんていう言葉も登場しています。新しい日常といっても何がなんだか、いよいよ分からん。ボクはもっと古い言葉「スローライフ」で行こうかなと考えております。生活速度をちょっと落とす。できることなら、あくせくしないでのんびり暮らしたい。そういえば大昔に「のんびり生きよう、おれたちは」という歌がありました。それについて来週月曜日のブログで詳しく紹介します。


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2021年2月18日 (木)

今こそ調査報道

 

 新型コロナの陽性者が日々減少するのに伴って、テレビの意気込みもどんどん消沈してきたように感じます。東京で陽性者が毎日1000人、2000人という1月前半には「こりゃ大変です」と、あたかも笑みを抑えて深刻そうなフリをしつつもはしゃぎまわる。というのはすごく失礼なので直ちに撤回して謝罪いたしますが、少なくともコメンテーターと一緒にわぁわぁ騒いでいたと感じるんだよな。

 ところが、500人を下回った頃から温和しくなりました。そのかわりに。東京五輪・パラリンピック組織委員会の後継会長選びにすっかりご執心です。3時頃にテロップで陽性者数が発表されても、ちょいと触れるだけでほとんどスルーだもんね。オリンピックがちゃんと開催できるかどうかも分からないですから、その原因である新型コロナのほうをもっと深く追いかけるべきなのに、橋本だの山下じゃないかと場外での品定めばっかり。それよりもワクチンの導入がどうしてこれほどまでに遅れたのか、本当に重篤な副反応はないのかといったことを深く調べたほうがいい。

 とはいっても、マスコミというのはもともとそういうものであって、新聞の発行部数を飛躍的に伸ばしたのは太平洋戦争であることくらい衆知ですよね。今でもテレビを本気で視聴するのは地震と台風くらいじゃないですか。それにしたってネットのほうが情報は早く、SNSを利用しているなら、現地からリアルな情報もキャッチできます。

 その意味では、まだまだ大きな資本を持つメディアがやるべきことは「調査報道」だと思うんですよね。かつてはフリーライターがコツコツと調査や取材を繰り返して真実を追求。それがベストセラーになるということもありましたが、出版不況の現在ではほとんど期待できません。1年も2年も手弁当で取り組んで単行本発行にこぎつけても、持ち出しばかりの大赤字になりかねない。だったら、大手の新聞社やテレビ局が率先してやるべきではありませんか。ところが、大手ほど権力に近くて、晩飯を政治家にご馳走になるといった癒着がないわけではありません。あれほど批判された記者クラブも温存されており、横並びの報道姿勢はまるで変わっていないように思えます。

 情報環境はネットによって劇的に変わり、オールドメディアはいよいよ深刻な経営危機を迎えるはずです。だったら、先手を打って、何よりも事実と真実、それも国民の目線できちんと深掘りした信頼できる報道に邁進すべきだと思うんだけどなぁ。たとえば政治関係ならA局、犯罪事件ならB新聞といった棲み分けが今こそ必要ではないでしょうか。それによって、すっかり失われたリスペクトも取り戻せると思うのです。

 

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2021年2月17日 (水)

というふうに……

 

 耳障りな言い方や話し方ほど流行する。というのがボクの発見した法則というか原則というか定理です。

 ちょっと前なら「そう」ですね。たとえば「坂本さんはその光景を見て不愉快に感じたそう」ってヤツです。こうした伝聞的な表現は「そうだ」あるいは「そうです」と、きちんと語尾を付けるはずなのに、いつの間にかやたらに「そう」で終わる締まりのない言い方が広がってきました。ボクがそのことに初めて気づいたのは、東京MXテレビの『5時に夢中!』のナレーションです。プロの司会者ではなく、某アナウンサーの親戚とされるタレントだったので、彼のいる業界ではそんな話し方をするのかな、と思っていたら、たちまち各局に伝染していきました。「そうだ」「そうです」を「そう」と略すのが、あたかもカッコいいかのような風潮になり、スポーツ新聞などの活字界にも浸潤してきたので呆れるというほかありません。

 さすがに近頃になって耳にすることが少なくなったなと思ったら、今度は「というふうに思います」「というふうに感じますね」という「というふうに」攻撃ですよ。これはコメンテーターが用いることが多く、何か話題を振られたら、最後に「というふうに思いますね」とやる。どうして「と思います」「と感じます」と言い切らないのか、ボクは尻のあたりがムズムズして仕方がないんですよね。「というふうに」をカットしても、意味は決して変わりません。そもそも「思った」「感じた」はあくまでも個人の見解ですから、それだけで十分に免責される表現なのに、それに覆い被せるように「というふうに」を付け足すというのは、どういう心理なんでしょうか。

 そもそも、コメンテーターはコメントするのが商売なのですから、自分が発した言葉に責任を持つべきですよ。にもかかわらず、「というふうに」と逃げを打っておくのは卑怯きわまりない。ちょっとばかり強いことを言っても、「というふうに」と受けておけば希釈効果があるとでも思っているのかなぁ。

 とにかくね、言葉そのものが実はものすごく曖昧であり、人によって理解や解釈は異なるんですから、ボクはできるだけ数学的な正確さを求めたいのであります。なのに、ああ、なのに、よせばいいのに「というふうに」だもんね。そもそも曖昧な言語表現に確率的な揺らぎを含めたら、ますますのらりくらりと言い逃れできるようになってしまう。討論や会議などでは極めて不適切な言い方なのです。

 だからこそ、それゆえにコメンテーター諸氏は反射神経的に愛用するのでしょうが、弁護士も大学教授ですら「といふうに」ですからイヤになってきます。自分が専門家でもなんでもないことを逆証明していることに気づかないんだろうな。それでギャラが貰えるんだから、ああ羨ましい。ボクたちが原稿で「というふうに思います」なんて書いたら、間違いなくデスクあるいは校閲段階で削除されるだけでなく、仕事を失うぜ、というふうに思います。

 

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2021年2月15日 (月)

ワクチン

 

 イギリスの知人からラインでワクチン注射中の写真が送られてきました。肩口に注射針が垂直に刺さり、まさに薬液が押し入られる瞬間です。「第1回目」というコメントが付いていますが、さすがに早いよなと感心していたところに地震ですよ。ベッドやら家具からギシギシ、ゴトゴトと様々な異音が発生。やがて大きくマンション全体が揺れ動き始めました。久々の大きな地震ですから、誰でも2011年の東日本大震災を思い返したんじゃないかな。

 イギリスの知人の話に戻ると、彼女は50代半ば。この年齢なら医療従事者、高齢者の後に回されるため、昨年のメールでは「いつになることやら」と嘆息していましたから、現地でも予想を超える普及速度だったようです。感染者数の規模は日本とは比較にならないほど大きく、何度も厳しいロックダウンを続けてきました。「窒息しそうな生活だけど、マスク着用のルールを守らない人が多いから、ステイホームの厳格な法制化も仕方ないのよね」と伝えてきたこともあるので、今回のワクチンでひと安心という雰囲気のようです。

 それに比べて、日本の初動はやはり遅いとしかいえません。ようやく今週からワクチン接種が始まるようですが、イギリスと同じ順序になるほか、海外からの輸入なので、彼女と同じ50代なら早くても5月くらいにズレ込むのではないでしょうか。こうした対応の鈍さは今に始まったことではなく、前後左右の動きを見ながらおずおずと政策を進める「2番手主義」(ボクの命名です)は日本社会の慣例といっていい。それが必ずしも悪いとはいいませんよ。特にワクチンは副反応が伴う怖れもありますから。しかしながら、それにしても古今未曾有のパンデミックへの対応は、政治家の口先に比べてズレがあり過ぎる。昨年の安倍首相の演説内容をまだ誰も細かく検証していないようですが、少なくともマスクの供給やPCR検査の拡大なんて、ボクの記憶ではウソばっかりといえるほど遅きに失していました。

 東京オリンピックは並行するような事例がないので、イヤでも1番手にならざるを得ない。それによる様々な混乱に加えて新型ウイルスですから、「呪われている」と噂する人もいるようですが、何のことはない、確固たる展望を持って重責を引き受ける人が少なかったんじゃないかな。その結果として森さんのような老害支配を許してしまった。まるでダチョウ倶楽部の「どうぞどうぞ」コントのようなガバナンスが続いてきたのではないでしょうか。

 こうした「呪い」を払拭するためには、とにかく若返ることしかないと思うな。内閣や各種の行政機関ならびに大手企業も含めて、長と呼ばれるトップには厳密な定年制を導入する。とりわけ総理大臣は50代までに限定したほうがいい。そのかわりに、一般的な定年はすべて廃止して、社会をみんなで支えていく。女性蔑視と老害批判の区別すらつけられないジーサンが東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長に居座っていたことを、もうちょっとボクたちは恥じるべきですよ。

 

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2021年2月10日 (水)

やさしくなりたい


 ほとんど衝動買いですけど、メガネを新調しました。新調なんてもはや古語かな。用例は「スーツを新調する」など、モノを新しく買ったり仕立てることを意味しています。近視用のメガネは、衣服の袖や裾直しと同じく、レンズの屈折率などを視力に合わせなきゃいけないので、単純に「買う」というより、新調という言葉のほうが適切ではないかと。

 いま使用しているチタンフレームのメガネが合わなくなってきたわけではありません。寝た時に誤って身体の下に敷いてしまい、歪めたこともありますが、かなり長期にわたって使い込んできました。まだまだ古びていないので、これからも十分に現役で活躍できるはずですが、それを使うボクのほうの気分を切り換えたくなったのであります。

 自分の顔をしげしげと眺める習慣なんかないのですが、たまたま洗顔した直後ですけど、鏡の向こうに実にイヤな目つきを発見したんですよね。ボクは新しいことが好きな割に古くさい規範意識が染みついており、年を経たらそれなりに円満になっていくべきだと考えてきました。『クリスマス・キャロル』の守銭奴スクルージが好きなんて人は滅多にいませんからね。そんな嫌われ者より「好々爺」を最終的なゴールに設定しているのに、どう表情を変えても眼に険しさがあるんだよな。それだけ苦労してきた証とはいえても、これではいよいよ好かれなくなってしまう。いえね、孤高がボクのコンセプトですから、他人に積極的に好意を持って貰おうとは思いません。斉藤和義の歌じゃないけど、『やさしくなりたい』(2011年発表)のであります。

 思い返してみれば、フィジカルなファイトはまったくないにしても、仕事を真剣にやっていれば摩擦や軋轢はいろいろ生まれるわけで、すさんだ気持ちになったことも珍しくありません。そんな積み重ねもあってか、慈悲深い温厚な性格(あくまでも自称)が変わってきたかもしれない。だったら、そろそろ軌道修正して、やさしい自分に戻りたいと思ったんですよね。

 そのためにはどうすればいいか。人間の外側と内側は不可分に密着しており、相互に影響を与え合っています。本来は内側から変えるべきですが、メンタルを思うようにコントロールするのは容易なことではありません。ところが外側なら比較的簡単にいじったり変えることができるじゃないですか。

 そんなわけで、チタンフレームよりもやさしく感じられる素材とデザインのメガネを購入したのでありますよ。イメージチェンジ、と一言で済ませられるのに、こんなにも長い言い訳もどきを書いたのは、ちょっとね、軽い後悔が伴うほど高価だったのです。しかも衝動買いだもんなぁ。そんな葛藤を宥めるための理屈と言われれば否定しません。でもさ、やっぱりボクはやさしくなりたいんだよぉ。


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2021年2月 9日 (火)

話が逆だろ

 

 ダメな会社ほど目標の数字を派手にぶち上げるだけで、そのための方法論を言うことはありません。たとえば目指せ売上げン百億円をひたすら部署別に下ろしていくだけなので、結果的に社員に与えられるのはノルマしかない。達成方法を教えられていないのですから、泣き落としや、時には高齢者を騙すような犯罪的な営業に走ったりするわけです。 

 こんなことを経営やマネジメントなどと標榜したら、ドラッカーが真っ赤な顔をして怒り出すでしょうね。それと同じように、数字をこねくり回すことを政策と勘違いしている政治家が少なくありません。その典型がコロナ禍の緊急事態宣言なんだよな。テレビでは毎日午後3時に東京の感染者数を速報して大騒ぎするだけでなく、このままならステージ3とか4とか、いや7割減少したら緊急事態宣言も解除などと大声で解説していますが、そんなことの前に、政府や自治体が提示するのは目標数値ばっかりで、それを達成するための方法論がまるきり欠如していることに気づかないのでしょうか。

 どうすれば感染者が減少するか。これは1年も前からまったく同じで、要するに3密の回避です。しかしながら、これはあくまでもボクたちが心がけることであって、政府と自治体はもっと別のことをやるべきだったんじゃないかな。感染者の収容場所から救急救命体制の充実、医師や看護師など医療人の適正な配置や金銭的なケアなどなど、やるべきことは一杯ありますよ。飲食店の営業時短も同じで、中途半端に8時閉店にするくらいなら、休業できるほどの補償をするべきです。そもそも飲食店自体に感染の責任はないんですから。家にいろ、なるべく人と接触するなと、もはや分かり切ったことを指示する前に「いつ感染しても受け入れるから安心してね」とはあまりに言い過ぎにしても、医療に関してやるべきことは山のようにあるはずです。 

 それを見て見ぬフリして「帰宅したら手を洗ってうがいして」なんて子供を諭すようなことを言って誤魔化すんじゃないよ。そのくせ細かい数字による段階別の指標を出して、国民はそれに向けて努力しろというんだから、話が逆さまですぜ。いつどこで感染するか分からないからこそ、納税者を確実に保護する施策が先であって、数字なんか結果論に過ぎないじゃないか。ワクチンだって世界の先進国に比べて遅れています。いつまでB29に竹槍で立ち向かうつもりだよ。 

 テレビの評論家やコメンテーター諸氏も、それについてはまったく批評しません。国や自治体に楯突くと仕事がなくなるのでしょうか。これまではCSやBSばかり視聴してきたけど、コロナ禍なので朝と昼に地上波のニュース番組を横目で見るようになりましたが、やっぱりもうやめよう。ほとほと愛想が尽きました。ニュースはYouTubeでもまとめて見られるしね。

 女性蔑視で舌禍の森さんを近くで見たことがあるけど、悠々自適で引退できる人が権力に執着してはいけませんよ。功成り名を遂げたジーサンの進退は誰よりも潔くなきゃ。はぁ、これでも武士の国かよ。

 

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2021年2月 5日 (金)

カーナビとの対話


 たまにカーナビ付きのクルマに乗せてもらうのですが、ルートを間違えた時の対応が面白いですよね。「300メートル先を右方向に」というのと「300メートル先を右折」というのが案外混乱しやすくて、特に都心では右折専用の細道が入り込んでいたりするので、見過ごして直進してしまうことがあるんですよね。

 紙の地図を見ていた頃は、ルートを間違えると「おいおいどうすんだよ」と運転者と同乗者が一緒になってパニックになりかけたりしましたが、カーナビは自動的に新しいルートを探してくれます。これが瞬時ではなく、考え込んでいることが明らかに分かるタイムラグがあるから愉快なんですよね。あたかも「えーっと、ちょっと待っててね。いま道を探しているから」と、まことに人間的な反応に感じられるのです。

 さらに、道路を熟知している場所では、カーナビの意図が透けて見えます。なるほどね、手前で曲がって東に向かうわけか。その先のほうが大きな交差点で右折しやすいんだけど、距離的にはこっちのほうが近いかもしれないな、などと、まさか口に出しては言わないまでも、心の中でカーナビと対話するようになるわけです。

 AIがもっと進歩すれば、「あ、間違えましたね。ちょっとお待ちください。それでは次の交差点を右折しましょう」と言うカーナビに、「右折はどうも苦手なんだよな」と人間が呟くと、「それでは左折の繰り返しはいかがですか、少し時間はかかりますが」なんて音声で対話することもあり得るんじゃないかな。

 このカーナビとドライブレコーダーをセットでクルマに搭載するのが常識になっています。今さら驚くことでもないでしょうが、ボクにとってはほとんどSFだった世界が現実化したように感じられます。この言葉は一般に「サイエンス・フィクション」の略とされますが、科学小説ばかりでもないことから「スペキュレイティブ・フィクション(思索的小説)」の略とする意見もあるようです。確かに「マッハ100ノット」という頭がクラクラするような超高速船が登場するSFもどきの小説もありますけどね。単位をちゃんと勉強してから小説を書いて欲しいなぁ。速ければいいじゃんかという思いつきとしか考えられません。編集者は出版前に読んでいなかったのでしょうか。

 ちなみに、1980年代にはキットと呼ばれる人工知能を搭載したスーパーカーに乗り込んだ私立探偵が活躍する『ナイトライダー』というアメリカのテレビ番組がありました。いずれボクたちも「キット、今日はデートなんだよ」「では口を挟まず静かにしております。ところでマイケル、彼女がお好きな音楽は何ですか」なんていう対話が可能になるでしょうね。

 てなことを、カーナビの案内音声を聞きながら想像するんだから、人間は機械相手にもファンタジーを感じる生き物らしい。ああ、そうなんですよ。本稿は技術革新と新型コロナの現代こそファンタジーが大切であると言いたかったのでした。子供がオモチャの刀を振り回したり、風呂敷を首に巻くだけでスーパーマンになりきれるのも、頭の中にファンタジーがあるからなんですよね。けれども、大人になると現実のほうが幅を効かせるようになります。やがてファンタジーを完全に失えば、簡単にウツ状態に陥ってしまう。おおおおおおお、だったら「サイエンス・ファンタジー」というSFの新ジャンルもあり得るではありませんか。

 今回は構成やロジックをまるきり考えることなく、思ったことをそのままの流れで文章にしてみました。自動筆記ほどのシュールレアリスムではないにしても、モノカキをナリワイとするボクとしてはかなり実験的な試みなのですが、お分かりいただけたでしょうか。


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