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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

日記・コラム・つぶやき

2018年6月13日 (水)

非核化

 

 ちょっと違うといえば従いますが、人差し指1本で人間が死んでしまう拳銃と同じで、核爆弾もないほうがいい。「てめぇこの野郎!」と勢いでボタンを押したら、1つの都市が壊滅して何十万人が死に至るだけでなく、報復攻撃でもあれば地球上が大変なことになってしまいます。拳銃も核爆弾も実行に手間がかからない分だけ途中で歯止めが利かず、「しまった!」と思っても後戻りできない甚大な被害が発生するわけですね。

 

 第2次世界大戦直後に、そんな危ない大量破壊兵器をアメリカだけが独占するのはもっと危ないと考えた人たちがいます。有名なのはローゼンバーグ夫妻で、原爆製造などの機密情報をソ連に提供したスパイ容疑で死刑に処せられました。日本に2発落とされた原爆製造=マンハッタン計画に携わった理論物理学者のセオドア・アルヴィン・ホールも、プルトニウムの製造方法などをソ連に流していたとされます。

 

 トランプ大統領が北朝鮮の非核化で巨体を揺らして高笑いしているのを見て、そんなことを思い出しました。ボクだって北朝鮮が核爆弾を持つことは大反対です。であるなら、アメリカだってロシアだって、フランスやイスラエルもダメじゃないですか。

 

 セオドア・アルヴィン・ホールはFBIに目を付けられていたのですが、長く発覚することはありませんでした。1995年にスパイの嫌疑がかけられていたことが判明。1997年に彼はそれを認める声明文を発表しました。その動機について「核兵器に関するアメリカの独占は危険であり避けるべきだった」としています。

 

 歴史にifはないと言われますが、もしもアメリカだけが核爆弾を保有していたとしたら、どうなったでしょうか。朝鮮戦争やベトナム戦争などで使用されなかったとは誰も言えませんよね。すでに2発を日本に投下した「実績」がありますから、否定なんかできるはずがない。

 

 ソ連も核爆弾を大量に保有しており、報復によって「全面核戦争」に発展する怖れがあるからボタンを押さなかったとしたら、ローゼンバーグ夫妻やセオドア・ホールは人類救済に貢献したことになるじゃないですか。

 

 アメリカの国益を損ない、貴重な情報を漏洩することで核爆弾が世界に広がったという見方もあります。けれども、より高い視野から見れば、核には核をもって対処するという「核抑止論」の始まりは、ソ連のスパイとされた彼らであるともいえます。だったらノーベル平和賞にも値するのではないかと。

 

 非核化を単純に称賛するのでなく、そうした歴史をきちんと評価すべき時期ではないかと思うんですけどね。

 

 さて、明日からドイツに出張なのでブログも休止させていただきます。帰国後の6月19日から再開する予定です。

 

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2018年6月12日 (火)

ここに居ていいのか

 

「ここではないどこかへ」

 原典はゴーギャンだったような気もするのですが、あまりにもロマンチックなフレーズなので、グレイの歌にもなったりしているようです。どこかにあるはずの新天地を求める心境はよく分かるのですが、ボクはまったく逆なんですよね。

 

「ここに居ていいのか」

 小学校の頃から何度も引っ越しをしたトラウマかもしれませんが、住んでいる地域にアイデンティティが持てない時がしばしばあります。恵比寿に住み始めて四半世紀を超えるほどであり、それまでのいかなる地域よりも長いのですが、それでも違和感を覚える時があります。ここでいのか、本当にここに居ていいのか。許可を出せる人なんてどこにもいないはずでも、やはり居心地の悪さをどこかで感じる時があるのです。

 

 本日は締め切りなので、このあたりでご勘弁いただきますが、もしかすると「ここではないどこか」を求める心境は決して前向きなものではなく、案外そうした疎外感や贖罪的な意識からの反動かもしれません。

 

 だからってどうってことはありませんが、もうすぐドイツに出発します。そこはボクにとって「ここではないどこか」になるのかな。

 

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2018年6月11日 (月)

ありがとう

 

 普段は履き古したジーパンとシャツ姿で、尻の右側のポケットにカギとハンカチを入れております。冬から春はそれで何の問題もないのですが、初夏から盛夏にかけては危険が伴うんですよね。

 

 モノカキをナリワイにしているものですから、つい大げさな前フリをかましてしまいましたが、大切なカギを落とすことがあるのです。事務所のあるマンションは数年前からオートロックになっており、カギがなければエントランスからアウトです。事務所のカギも二重になっているので、なくしたら実に面倒なことになってしまう。

 

 でね、暑い時は尻のポケットからハンカチを出して額の汗なんかを拭くじゃないですか。この時にカギもハンカチに引きずられて、ポケットから抜け出て落ちることがままあるわけです。田園のあぜ道ではないので、カチャンと音がして気づくのですが、ボクはイヤホンを両耳に突っ込んで音楽を聴いていることがしばしばなので、その警告音が聞こえないわけですな。

 

 そんな危機的状況が、昨年の地下鉄構内であったのです。ボク自身はお気楽にアンドレア・モティスなんかを楽しんでいたのですが、誰かが背中をつつくんですよね。失礼な奴だなぁと、イヤホンを耳から抜き取りながら振り返ると、素晴らしく可愛い外国人の女の子がいるではありませんか。広尾にインターナショナルスクールがあるので不思議なことではないのですが、やはりボクの魅力は外国人にしか分からないのだと勘違いしかけた瞬間に、差し出された手の上にカギがあったのです。ありゃりゃりゃ、もうちょっとで大変なことになるところでした。もちろん Thank you very much! ですけど、ハイティーンの娘さんらしく友達と一緒に談笑しながら、到着した電車に乗り込んでいきました。

 

 これに懲りて、カギはジーパンの前ポケットに入れるようにしたのですが、どうにも気持ちが悪い。カギが足の付け根あたりに当たって、何だか落ち着かないのです。それで意識しないうちに、もとの尻ポケットに戻るようになってしまいました、

 

 バカだね、ホント。経験に学べない奴だと誹られるのを覚悟で告白すると、ケンタッキーに行く途中で、いやアメリカでなくてチキンのほうですけど、夏日だったので汗を軽く拭き終えたハンカチを尻のポケットに入れながら、念のために内側をまさぐると、ないんですよ、大切なカギが。こっちかなと反対側の尻ポケットを探ってもない、前側の両方のポケットにもない、シャツのポケットにももちろんない、ないないない、と焦りまくりです。

 

 えー、そんな時に、やはりボクの肩をちょいちょいとつつく人がいたんですね。妙齢の美しいご婦人でありまして、悪戯っぽい微笑みを浮かべながら、つまんだカギをブラブラさせていたのです。頭を下げながら慌てて差し出したボクの手の上に、そのカギをヒョイと落としてくれました。そりゃもう、感謝感激、「ありがとうございます」でございますよ。

 

 けれども、本当にしまったと心底から後悔したのは、横断歩道を渡った彼女の後ろ姿が小さくなってからです。「御礼にアイスコーヒーなんかいかがですか」とでも誘えば良かった。暑かったので「そこのHUBで冷たいビールを奢らせてください」のほうがいいかな。お前は和歌山のドンファンかって感じですが、今となってはカギよりもそっちのほうが惜しい。今度は金のカギを落とそうかなって、あくまでも冗談です。いろいろ大変な事件は起きますが、大多数の皆さんは親切なんですよね。ありがとうございました。

 

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2018年6月 8日 (金)

心のリミッター

 

 クルマに乗らなくなって20年以上経つのでよくは知りませんが、日本国内を走るクルマにはスピードリミッターがついているはずです。スピードメーターには時速200㎞以上の表記があっても、確か180㎞までしか出せないようになっているんじゃないかな。だったら、大排気量のスポーツカーなんて無駄もいいところですが、加速力が違うとか、まぁいろいろあるんでしょう。

 

 ボクはいつの頃からか、どんなクルマに乗るか、ということより、クルマでどこに行くかのほうに強い興味を持つようになったので、時速180㎞だろうが300㎞にしても、速度に関心はまるでありません。行政によってそうした制限が加えられることには賛成できませんけどね。

 

 さて、本題です。人間の身体にもある種のリミッターがあり、たとえば筋力も自動的にブレーキがかかるようになっているらしい。100%の力を出し切ると細胞組織が破壊されてしまうからです。ただし、緊急時にはリミッターが外れることもあって、それが「火事場のバカ力」なんてことになるわけですね。

 

 であれば、身体だけでなく、心にもリミッターがあるはずです。「そこまではさすがにできない」とか「まさかそんなことできるはずないだろう」という感覚ですよね。親や学校による躾や教育、道徳や倫理や宗教的な理念もあるでしょうが、人間を怪物にしないための自制装置といえるんじゃないかな。

 

 逆に、この自制装置を外すことが、途方もないカネ持ちになったり、並外れた成功を手にする秘訣になるということです。だから「恥知らずになれば必ず成功できる」とか「恥知らずだけが大金持ちになれる」みたいな本を出したら、結構売れそうな気がするなぁ。興味を持った出版社は連絡ください。ボクにはそうしたエグさ満載の文章は書けませんが、企画と編集くらいはやりまっせ。

 

 えーと、何が言いたいんだっけか。あ、そうそう、孫ほどに年齢の離れた女性と結婚した直後に亡くなった「紀州のドンファン」です。死の原因はさておき、彼もリミッターが外れていたような気がします。そうした人が持っている世界観がどんなものかを知りたいんですよね。

 

 ボクはどうしたってリミッターを外せない普通人にほかなりませんが、いささか変人ではあるので、外してしまった人の孤独は分かるような気がします。これから本格的に心の時代に突入するとボクは予想しているので、そうした精神的な越境者、あるいは怪物たちの列伝みたいなものを書けないかなと。それを通して心のリミッターのメカニズムが少しでも分かれば、スポーツなどの指導法も大きく変わってくるはずです。ただし、前述したように怪物を量産してしまう可能性もあります。医学研究における生命倫理と同じく、大きな枠組みを作っておく必要はありますが、文系では希有な実用性の高い研究であり、うまくいけばノーベル賞だって狙えると思うんだけど、いかがでしょうか。

 

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2018年6月 7日 (木)

その角を曲がると……

 

 人生というのは、ある程度の予定調和と、それに相反するアクシデントの連続だと思います。予定調和のほうは、いいことも悪いことも、心の準備をそれなりにできるのですが、アクシデントとなるとそうはいきません。

 

 たとえば、その角を曲がったら、拳銃を持った凶悪な武装強盗がカネ持ちを襲っているところに出っくわして、彼らは目撃者となったあなたをヤバイと言ってズドンと一発。日本ではあまりないことでも、アメリカの一部地域では十分にありそうなことです。意に反して突然に人生の終わりに直面した時に、あなたは何を思うでしょうか。

 

 たとえば、その角を曲がったら、20年前に泣く泣く別れた恋人と偶然に出会うかもしれせん。少し髪が白くなり、細い皺が増えても、あの頃の美しい面影はしっかりと残しています。息を呑んで見つめるあなたに、やさしく「久しぶりね」と呟く彼女。そういうことだって、まるであり得ないとはいえないですよね。

 

 その角を曲がったら、老婆がしゃがんで苦しんでいたので介抱して病院まで送ると、実は大金持ちの未亡人で、って、これはどこかで読んだよな。あ、『サラリーマン金太郎』でした。

 

 その角を曲がったら、あなたを残して家を出て長く行方不明だった母親が立ち尽くしているかもしれません。温和しく亭主の後をついていくだけで、男と駆け落ちするような人とはとても思えなかったのに、あなたを捨てて出奔してしまった。憎しみもあるけど、愛着も捨てきることはできない。最初の一言を何から始めるべきか。

 

 そんなこんなのパターンをいくらだって考えることができます。つまり畢竟、人生というのは、そうした角を曲がることの連続でございまして、幸運も不幸も、喜びも悲しみも、そこにしかないわけです。ただし、この角は目には見えません。だから、角を曲がったと感じない人もいます。ボクなんかもその1人で、振り返ればいくつの角を曲がってここに来たことやら。

 

 そう考えれば、人生は興味深いという意味での面白さに満ちています。そう考えることしか、アクシデントへの有効な対処法はないといっても過言ではないと思うのです。

 

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2018年6月 5日 (火)

幸運になるには……

 

 四つ葉のクローバーをモチーフとしたアクセサリーといえば、男はともかく、女性ならすぐに思いあたる人が少なくないはずです。三つ葉が普通で四つ葉は希少なので、昔から幸運の象徴とされてきました。だからアクセサリーやジュエリーにアレンジされても当然なのですが、ボクは随分以前から「どうしてだろう」と不思議に思ってきました。

 

 自然界と違って、人間がこしらえたものには必ず理由や由来があります。仮に美しさに感動したにせよ、それを宝飾などに造形するということは、何か特別な意味を持たせているはずなんですよね。

 

 そんなことを漠然と気にかけながら何年も過ごしてきたのですが、その理由がたまたま昨日に判明したのです。アクセサリーなんて関係ねぇやと、このブログから立ち去ろうとしているなら、ちょっと待ってくださいね。

 

「幸運になるには、幸運を信じなければなりません」

 

 ジャック・アーペルという人の言葉から、1968年に初めて四つ葉のクローバーを模したネックレスが作られたそうです。それからコレクションは時計などにも広がってきたのですが、それを知ってボクはなるほどなぁと感心しました。

 

 このブログでも大昔に同じことを書いたのですが、幸運なんてまさに「塞翁が馬」でありまして、当事者の感じ方によって大きく変わってきます。だから幸運なんてものはあり得ないと思っていたら、どんなことだって不幸または不幸の兆しにも解釈できます。逆に幸運を信じていれば、誰もが不幸に思うことに直面しても、いつかはいいことがやってくるんだと耐えられるじゃないですか。

 

 そのどっちが精神的に健やかになれるかといえば、後者に決まっていますよね。自分自身の力ですべてを変えられると思うのは、若さの特権ともいえるのですが、実のところ傲慢極まりないのです。

 

 このあたりを解説し始めると長くなるので省略しますが、少なくとも幸運を信じて損することはほとんどないでしょう。そんな生きていくうえで大切な指針が、四つ葉のクローバーに込められているんですよね。なるほどなぁって、感心しませんか。

 

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2018年6月 4日 (月)

誰に向かって話すのか

 

 ひとつの話題を長く引っ張りたくはないのですが、先週来の日本大学による相次ぐ記者会見が典型的なダメ見本なので、批判だけでなく、こうあるべきじゃないかという提案を最後に付け加えたいと思います。

 

 すでに何が原因で誰に責任があるかは明白になってきましたから、そのあたりは言及しません。何かにつけて後追いとなり、真実味が感じられない自己保身に終始したことも、広報戦術としては最低です。このあたりは組織の風土や体質も大いに影響しているんじゃないかな。何にしても、現下のようなSNS時代には、大切なアナウンスは1分1秒を争います。つまり、情報開示は早ければ早いほど好感につながる。いけないことを隠し通すなんてことは、もはや不可能なのです。安倍さん、読んでいるかな。

 

 こうしたテクニック的な要素もさることながら、世論の大きな流れを決定的に悪い方に変えたのは、内田監督と井上コーチによる記者会見です。「当該選手」の勇気ある記者会見に対応しておかないとヤバイということで、おそらくイヤイヤ登場したと思われますが、ボクは最初の数語から話す相手を間違えていることが分かりました。だから、当該選手の真摯な告白に比べて、何かにつけて嘘っぽい言い訳に感じられてしまう。やたらに「正直」を連呼することも、まるでイタズラをした子供みたいで、とてもじゃないけど大人の指導者とは思えません。

 

 おそらく、あの2人が見ていたのは、会見場に集まった多数の記者や、その背後にズラリと並んだテレビカメラなんでしょうね。そして、その向こうには世論と呼ばれる一般大衆がいる。そうした視聴者に謝罪し、言葉の上だけでも責任を引き受ければ、納得してもらえると甘く見込んだんじゃないかな。

 

 不祥事を引き起こした人たちは、たいてい同じ発想で似たような言い訳を繰り返してきました。セクハラや不倫発覚にしても「世間をお騒がせして申し訳ありません」というのが常套句ですけど、そもそも誰に謝罪すべきか、ということをコロリと忘れていますよね。

 

 今回の悪質タックル事件では、前述したように当該選手が顔出しの実名でいち早く記者会見したことで、世論が180度変わってしまいました。加害者が実は被害者でもあったことが強く印象付けられたのです。ここでは「正直が最大の説得力を持つ」ということを学ぶべきでしょう。

 

 それによって世間が当該選手に同情的となった段階で、監督とコーチがテレビの前に出てくれば、たいていの人は「こいつらがやらせたのか」と敵意を持ちますよね。そうした情緒的な逆風が吹きまくっているのですから、何を言おうと懐疑的な視線を避けることはできません。

 

 さて、こうした厳しい状況に立たされたとしたら、あなたはどんなことを話すでしょうか。自分が「当該」の監督やコーチだったらと、しばらく考えてみてください。

 

 ボクは「正直言って」数分後には答を出していました。それがね、相手を間違えているということなのです。

 

 彼らが第一に謝罪すべきだったのは、視聴者や世論という顔のない人たちではありません。「悪質タックル」をした当該選手ではないでしょうか。たとえば監督が「宮川くん、理由はどうあれ、とにかく意にそまないことをさせてしまったことを心からお詫びします」とか、コーチが「宮川、ゴメンな。お前の悔しい気持ちは誰よりもオレがいちばん分かっていたはずなのに……」なんていう直接的な語りかけで始めれば、世間の印象は随分変わってきたはずです。さらに彼らしか知らないエピソードを差し挟めば、リアリティもますます高まったんじゃないかな。

 

 ところが、最初から逃げ腰だったせいか、彼らには公開の場で呼びかける度胸はさらさらなく、一般的な三人称にすることで共同謀議の主犯である疑いを強めることになったのです。

 

 当たり前のことですが、コミュニケーションには送り手と受け手が必ず存在します。では、いったい誰に向かって語りかけるべきか。テレビ中継される記者会見はちょっと特殊で、「誰に向かって話しかけているように見せるか」という、いささか複雑な構造になりますけどね。それよりも単純ですが、文章=テキストだってまったく同様です。その成否はさておくとして、ボクがモノを書く時は必ず読者を想定します。近所のオジサン・オバサンなのか、センター街を歩く若者たちなのか、会社員なのか学生なのか。逆に書き方によって、特定の階層を惹きつけたりすることもあるはずです。

 

 いずれにしても、同大学の危機管理学部はこのうえない「反面教材」を得たことになるので、広報的な対応などを詳細に分析・研究し、ボクのような提案も含めて早急に発表すべきじゃないかなぁ。それこそがブランドイメージを回復する最高の特効薬になると思うのです。他の学部も他人事と傍観するのでなく、それなりの見解を発表すべきではないでしょうか。なにしろ大学のナンバー2と目される人が辞任するような大事件だったんですからね。

 

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2018年6月 1日 (金)

嫌疑不十分???

 

 大昔から、この国の住人はあまりにも温和し過ぎるんじゃないかと思ってきました。申し遅れましたがワタクシ、宇宙人のジョーンズです、なんてね。昨日にコメントした日大アメフト問題も、目下の首相とご夫人や取り巻きもそうですが、いったん権力を握ったらやりたい放題。これでも民主主義国家なのかなぁ。

 

 とりわけ本日の報道にはムカツキました。森友学園への国有地売却に関する決裁文書の隠蔽ならびに改ざんで告発されていた佐川氏を、大阪地検特捜部は嫌疑不十分で不起訴にしちゃったんですよね。それに関係した財務省職員36名も同様に不起訴というのですから、ほとほと呆れ果てませんか。売買契約の内容までは変更されていないから「虚偽の文書を作成したとまでは言えない」だってさ。アンタねぇ、だったら公文書を隠そうが書き換えようが、決定的な変更さえなければオッケーってことになってしまう。後々になって、大阪地検が国をぶっ壊すことに加担したと誹られても知りませんぜ。

 

 こんな腰砕けを平気でやって、身も心も魂さえも権力者に売り渡しているんですから、ボクが何度も書いてきたDo the right thingなんて寝言に等しい。何だかなぁ。またしても深い徒労感が全身に回っています。これが現実だよって自慢気に嗤う人だっているもんな。正義と公正を望んでどこが悪いっていうんだよぉ。

 

 こんなことならオレが日本一の悪党になってやる、って若い頃なら思ったかもしれませんが、もう遅いですよね、そんな能力もきっとないだろうし。また浅草HUBに行ってディキシーランドジャズでも聴こうかな。

 結論のない文章になってしまってすいません。本日は朝から出かけなきゃいけないので時間がないこともありますが、毎日書いているんだから、たまにはこんなスタイルも許してもらっていいんじゃないかと。こういう愚痴めいた内容は、ボク自身も実に不愉快なんですけどね、はぁ。

 

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2018年5月31日 (木)

たった1人でも世界を変えられる

 

 捨て身になれば、たった1人でも世界は変えられる。

 

 これが今回のアメフト反則タックル事件でボクが感じたことです。アメリカンフットボールのルールなんて何も知らないので、コトの詳細は評論できませんが、少なくとも20歳の大学3年生が実名と顔出しの記者会見を行ったことで、世論はガラリと変わりました。彼の勇気にはつくづく感服せざるを得ません。そのおかげで責任の所在があぶり出され、クラブや大学の体質なども白日のもとに晒されることになりました。

 

 もしも彼があの記者会見をしなかったらと思うと、背筋がうすら寒くなってきます。個人的なラフプレイとして闇の中に葬られ、スポーツマンシップを捨てた卑怯な行為を強要される選手が何人も続くことになったはずです。それを身体と心を張って立派に食い止めた。ボクも含めて、大人たちは深く恥じ入るべきじゃないかなぁ。

 

 あのクラブの独裁的な支配体質は、おそらく関係者みんなが薄々にしても知っていたはずです。けれども、誰も注意や批判などしないで見過ごしてきた。大学はもちろん、関係団体だけでなく、テレビに出て偉そうなことを言っている評論家やコメンテイターも含めて、すべての大人は彼に対して責任を痛感し、頭を下げるべきだと思うのです。

 

 いずれにしても、戦前から続く精神論的な指導や暴力的な制裁をやめる時期がようやく到来したと感じざるを得ません。そんなもん、戦場で神風が吹くのを期待するほど非論理的で非科学的であり、もっと率直にいえば指導者が無能かつ不勉強極まりないという証拠じゃないですか。

 すでに帝京大学のラグビーや青山学院大学の駅伝では、これまでとは正反対の方法で輝かしい実績を積み重ねています。にもかかわらず、あのアメフト部はパワハラもどきの追い込みで選手の闘争心を鍛えてきたという。それで大学日本一になったというけれども、もともと優秀な選手が全国から集まっていたんですからね。

 

 ボクは旧世代に属するせいか、先輩諸氏からことあるごとに「世界は1人では変わらない」「社会はすぐには変わらない」と言われ続けてきました。生意気で性急だったからかな。それでもライターという仕事を通して、何とか変えたいと小さな努力を続けてきたつもりですが、まさに岩盤のような支配構造はどこにだってあるんですよね。ボクたちの心中にも同じものが存在します。おかげで近年は徒労感がものすごく強くなり、この国はしばらく変わらないと諦めていました。

 

 でもね、若者がたった1人でも社会を変えられるじゃないですか。

 ボクはどうやらジーサンたちによる自己保身のための嘘にコロリと騙されていたようです。これから組織や体制が本当に根本から改善されるかどうかは分かりませんよ。けれども、ボクたちの意識だけは確実に昨日とは違います。我慢できないほどの不合理や理不尽があれば、彼のように前に出て声を上げる人たちが続くんじゃないかな。そのことをオッサンだけでなく、奥の院に隠れて絶対に顔を見せないジーサンたちに知らしめただけでも、大きな功績ではないでしょうか。

 

 重ねて言いますが、1人でも革命は可能です。むしろ1人が勇気を持って始めない限り、誰もついてこないということを彼に教えられたのです。

 

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2018年5月30日 (水)

プロの条件

 

 ライブハウスで様々な演奏や歌を聴き慣れてくると、やはり上手というだけではダメなんだと分かってきます。早弾きなどのテクニックや声量や正しい音程なんていうのはあくまでも必要条件であって、それだけでは十分とはいえません。じゃ何が必要なんだよと問われて、これだと特定するのは大変に困難なのですが、みんなの心の中にある感情のスイッチをカチリと押すような何かといえるかもしれません。

 

 酒を飲んで酩酊した時と同じで、人によって泣き上戸、笑い上戸といったクセがあり、そうした感情をうまく刺激して引き出すってことかな。ボクに限っていえば、恋人への切ない想いで泣きそうになるのも好きだけど、楽しく身体を揺らすのも大好きです。

 

 そうした情動を動かそうとして、テクニックだけが暴走すると、しばしば逆効果になってしまいます。もちろん「オレってアタシってホラこんなに歌が上手でしょ」という自己満足は完全にアウト。プロと呼ばれる人たちは興味深くて、一般的な基準に照らせば決して上手とはいえないにもかかわらず、英語だってカタカナ発音なのに、滋味のような味わいがあって、ふんわりと馴染める歌手がいるんですよね。ジーサンが気まぐれに好きな唄を歌っているとしか思えないのに、だからこそ雰囲気が大変によろしいのです。もちろん全国的にヒットする可能性はほとんどありませんが、こういう歌手もボクは好きなんだよな。

 

 その一方で、卓越した技巧に感心しながら胸が躍るようにワクワクする演奏もあります。そうしたミュージシャンの共通した特長は、少しくらい間違えそうになっても慌てず動じない余裕ではないでしょうか。そのためにもテクニックは磨いておかなきゃいけない。それに加えて、プロフェッショナルとして必須なのは、手を替え品を替えて聴衆を楽しませようとするひたむきな努力かな。自分たちもそれが好きで楽しいってことも必須条件でしょうね。

 

 つまるところ、感動というのは対象との関係性の中にしかないので、当然のことながら独りよがりでは絶対にプロになれないってことなのです。この関係性は同時代に限らず、絵画のように時空を超えてボクたちを感動させる芸術や建築も珍しくありません。

 

 これは音楽に限らず、モノカキの文章もまったく同じです。だからライブハウスに行くたびに、ボクも同じように他人に心が伝わるような文章を書いているんだろうかと、帰宅する途中にオノレを深く顧みたりしちゃったりするんですよね。はぁ、日が暮れても道は果てしなく遠いなぁ。

 

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