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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

日記・コラム・つぶやき

2019年8月19日 (月)

耳の中も汗が?

 

 いやもう実にまったくクソ暑いですな。エアコンが動いていれば涼しく快適に過ごせるかというと、オッサンになるとそう簡単にはいきません。体表がひんやりと冷たくなる半面で、熱が体の中にこもったようになり、内外の温度差によって次第に具合が悪くなってくるんですよね。

 このため自主的な早朝ビズで仕事を進めておりますが、午後の2時〜3時頃になると早起きの反動から眠くて仕方がなくなります。要するに昨今の自然環境は、人間が普通に生活できる状態ではないのです。

 その証拠かどうか分かりませんが、イヤホンがすぐに耳穴から抜けるんだよな。ボクは今年になってからソニーのワイヤレスを使っていますが、これまではちゃんと耳の中に収まっていました。ところが、近頃は頻繁に挿れ直してもすぐに緩んでしまうのです。ワイヤレスイヤホンはバッテリーを内蔵しているので、きちんと耳穴にはさまっていないと、自重で垂れ下がろうとします。音楽が聴きにくいだけでなく、この中途半端な感覚がね、すごく気持ち悪いんだよな。

 サイズの問題かなとも思ったのですが、これまではピタリと収まっていたので、そんなことは絶対にないはずです。急に耳穴が大きくなるはずがない。そこで以前と今との違いをつらつらと考えれば、大きな変化は気温しか見当たらないじゃないですか。それでハッと気づいたのですが、身体の表皮が汗をかくなら、もしかすると耳の入口(というのかな。出口というのもおかしいよね)周辺だって汗をかくのではないかと。気づかないほど微量にしても、この汗がオイルのようになって、先端部分=イヤーピースを滑らせる可能性は否定できないはずです。

 まだ仮説段階で実証はしていませんが、というより、そんなことを研究して証明したところでどうしようもないので、付属していたオリジナルのイヤーピースは諦めて、別のものに換えてみようと渋谷のビックカメラに行きました。そこで店員さんに「イヤホンがすぐに抜けるようになったのですが」と相談すると、驚愕するほどの秒速で「じゃあコンプライかな」と即答。悩んでいたのはボクだけではないようです。

 この「コンプライ」は伸縮性の高いウレタンをベースに作られており、指で押せば簡単につぶれるかわりに、すぐ元の大きさに戻ります。耳穴にぐぐっとねじ込んで入れると、元のカタチに戻ろうとする力が働くために、内部でビシッと安定するんですよね。オリジナルのイヤーピースはそうした融通が利かないので、すぐに汗に負けてしまうと考えられます。

 誓ってステマではなく、この「コンプライ」はいささか乱暴に歩いてもズレることがまったくありません。価格も1000円程度なので、ボクと同じ悩みがあるなら、ダメモトで気軽にトライすることをオススメします。

 おかげさまで実に快適に音楽を聞けるようになり、散歩が再び楽しくなってきました。ただし、クソ暑いことには何の変わりもありません。外を長く歩けば熱中症になりかねないので、そうした間接的な副作用にはくれぐれもご注意ください。

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2019年8月 9日 (金)

刺さらない文章

 

 個人的にはクリステルよりホランだけどな。
 って、冗談はさておき、文章は難しいですよね。ボクは一応モノカキの端くれですけど、自分の文章がどれだけの深さや広さで読者の心に刺さっているのかと自問することがしばしばあります。

 もちろん間違ったことは書かないのは原則としても、1+1は2で、2×3は1+1を3回計算するので6です、みたいな当たり前な文章ではプロとはいえません。仮にテーマがそうしたテッパンの公式を扱う算数であっても、表現方法はいろいろあるので、読み手のレベルや感性に合わせて「心に刺さる」工夫をするわけです。
 こういう場合に、ついやりたくなるのが過去の偉人や賢人たちによる名言の引用です。

 アリストテレスはこう言ったとか、小林一三の口癖は、とかね。昔は書物の中にしかなかったのですが、今ではネットで検索すれば一発です。しかも、ボクのような凡人の論説なんかよりはるかに迫力と説得力があります。ただし、そんなにもいいことを言っているなら、ボクなんかよりそいつの著作や評論を読んだほうが早い。うまく憑依すればするほど話者は主体でなくなるので、スピーチであれ文章であっても、リアリティがどんどん失われていきます。早い話が、つまんねぇなぁとアクビをされかねません。

 学校長の年頭所感や卒業式の訓辞なんていうのが典型的でありまして、荘子や孟子などから引用してきた内容自体は素晴らしくて文句のつけようもないけど、「こいつはホントのところどう思っているんだろう」と煮え切らない気持ちが残ります。少なくともボクは、おエライ人の挨拶が心に刺さった思い出なんてほとんどありません。

 それもこれも、話者や書き手が他人の談話を伝える機械、即ちコピーやテープレコーダーになってしまうからです。生身の個人による対話は、本来的には読書なんかより大きなインパクトがあります。それぞれの実体験という強力な裏付けがありますからね。そのせいか、ソクラテスは書き留められた言葉を「死んだ会話」として著作を残さなかったといわれています。
 にもかかわらず、おエライ人ほど威厳を保とうとして古人の言葉を借りてくるからダメなんだよな。「お前の話を聞きにわざわざここに来てるんだよ」という聴衆に、他人から借りた話をいくら語っても、心に刺さるはずないのは明白でしょ。

 文章もスピーチもいろいろな目的やシチュエーションがあるんだけど、少なくとも個人として対峙する場合には、自らの体験に基づいたオリジナルを披露しないと共感を得ることは難しいでしょう。そこを「つかみ」または「キーワード」として持論を展開していく。しかしながら、日本の基礎教育は横並びが基本なので、独自の発想や意見を掘り下げていく習慣が身につきにくいんですよね。ペーパーテストで正解を出せないような発想や思考は、どんどん切り捨てられてしまうのです。

 では、ここで前述した算数に戻りましょう。「1+1=2」なんて当たり前のことを、どうやって心に刺さる話にできると思いますか。当然ながら相手は子供です。

 たとえばミカン1個とリンゴ1個ではいくつかな。はい2個ですね。ミカン1個とイチゴ1個ではいくつですか。やっぱ2個ですよね。ではミカン1個と葡萄はどうかな。ちょっと葡萄を振ったら実がバラバラとこぼれてくるよね。それでも2個でしょうか。ミカン1個と青虫一匹を足しても2個になりますか。ミカン1個とエジプトの巨大なピラミッド1つではどうかな。逆にミカン1個に炭素分子1つはどうでしょう。針1本と高層ビル1つを足すといくつになりますか。
 そんな組み合わせで足し算なんかしないというのなら、どんなものが足し算に値するのでしょうか。

 そこまで考えて初めて、1+1=2というのは完璧に概念化されたイデア=理論であって、ボクたちの日常では「1個2個」「1枚2枚」といった助数詞をつけることで、ようやく標準化された計算が成立しているということが分かるわけです。

 ボクは小学校の時にそうしたルールを理解していなかったので、ミカン5個とキューリ2本を足すことがどうしてもできず、回答欄を空白にしたおかげで、あやうく特別クラスに送られるところでした。「この子はちょっと問題が」なんて親と先生が秘かに話し合ったんじゃないかな。

 でもね、これからは大人にこそ、そうしたこだわりが必要になってくると思うのです。なぜなら、ボクたちの相手は数学がそれこそケタ外れに得意な人工知能ですぜ。まともに競ったら数理分野で勝てるはずがない。人間が勝負できるとすれば、体験的な感覚、つまり感性と創造力しかないでしょう。それに味覚や触覚なども加えるべきかな。たとえば寿司が美味しいとは言うけど、人間だってどのように美味しいかをちゃんと説明できないので、機械が追いつくにはもっと時間がかかるはずです。

 刺さる文章や演説を考えるのは、まだまだ特定の職業や状況に限られますが、それができないと人工知能にバカにされる時代は近いんじゃないかな。人工知能の発達によって、人間はようやく種や属性という縛りから解放されるかもしれない。そのかわりに問われるのが、あなたという個人と機械との違いなのです。

 来週は3連休なので、ついでに夏休みを取ることにしました。よって、このブログも8月13日から16日まで更新しません。翌月曜日の19日から再開しますが、例によって何か面白いことがあればアップするので、ヒマがあれば覗いてみてください。

 

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2019年8月 8日 (木)

男は人前で泣くな!

 

 泣けるようなことは世間に一杯あるけど、男が人前で泣いたらアカンよ。漫才師たちの闇営業と反社問題なんて笑えるくらい典型的で、ウソをついた当事者が記者会見で目を真っ赤にしたかと思えば、それを理由に契約を解除した社長もなぜだか負けじとハンカチに目を押しつけるなんて、実にみっともない応酬としか言いようがありません。

 そもそも人前で泣くというのは、他者から同情を引こうとする態度だとボクは思っています。だからこそ太古の昔から、涙は体力的なハンデを持つ婦女子にとって最強の武器だったのでありますよ。大粒の涙がホロリと頬を伝ってきたら、何をもってしても勝つことはできません。ハイハイご希望は何でも叶えさせていただきますよ、ということになるじゃないですか。それが号泣ともなれば、現場から秒速で遠ざかりたくなりますけどね。

 そんな涙まみれのみっともない姿を、中高年ともいえる大の男が2人してテレビにさらすなんて、これほど恥ずかしいことはありません。面白がって繰り返される再放送を見るたびに、ボクなら恥ずかしさのあまりに頭を突っ込む穴を探しますけどね。

 そんな情けない男たちとは逆に、女性は滅多に泣かなくなったように思います。全英女子オープンに優勝した渋野プロなんか、感極まって涙するどころか、キャハハハハと実に明るく大笑いですもんね。

 クソ暑くて、しかも長く書くに値するテーマではないのでもうやめますが、男の感情が実に安っちくなってきました。喜怒哀楽どれもトン単位の重量感があって然るべきなのに、いやはや軽い軽い。すぐ笑いすぐ喜ぶのはまぁ許すとしても、すぐに怒る、すぐ泣くでは権威も説得力もないですよね。見習うべきは、やっぱ健さんだよな。表に出したい感情をぐっとこらえて胸に呑み込む。そうした慎み深い態度を心得た男がめっきりと減ってきたのは、いかなる時代背景があるのでしょうか。言った者勝ち泣いた者勝ちとでも思っているとしたら、その実効は真逆だと知るべきです。

 

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2019年8月 7日 (水)

暑さからの集団疎開

 

 暑いですよね。そろそろ熱いと書いたほうが適切になるかもしれません。

 何でこんなにクソ暑い時期に、コンクリートの輻射熱がバンバン、いやヒリヒリかな、何と表現していいのか分かりませんが、太陽の照り返しが強烈な都会で働かなきゃダメなんでしょうか。地理的な制限はインターネットが相当に緩和しているので、戦時中のように集団疎開を考えてもいいんじゃないかと思うのです。

 子供は元気なので、へこたれてきた中高年以上を対象として、北海道の外れあたりに村を建設。夏だけ集団で移住してビジネスするというのはいかがでしょうか。数が少なければ隔離という印象ですが、各産業から希望者を募って大人数にする。それによる意外な出会いが、新しいビジネスを生む可能性もあると思うんだけどな。

 日本というのは、良かれ悪しかれ横並びの集団主義ですから、この疎開村の規模が大きくなればなるほど、副次的な効果が増幅されていくはずです。昔は子供たちを戦火から守った集団疎開を、中高年以降を対象として実施する。過疎地が復活する契機にもなると思うんだけどな。日本列島のどこも暑そうに見えるけど、島とか山など、探せば適地はあると思います。何でもそうだけど、要はやる気なんだよね。

 

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2019年8月 6日 (火)

千利休

 

 何かねぇ、世間の雰囲気が殺伐としてきました。ちなみに殺伐とは、「穏やかさやあたたかみの感じられないさま。とげとげしいさま」(三省堂大辞林)という意味です。

 はるかなホルムズ海峡では緊張が高まっており、アメリカは対イランを念頭にした有志連合を結成しつつあります。そのアメリカ国内では人種差別を動機とする銃の乱射事件が頻発。香港では中国政府に対するデモの嵐で、韓国も反日の動きが猛烈な勢いで活発化しております。向こうが自分を嫌いというなら、こっちだってお前なんか大嫌いだ、というほど単純ではないにしても、日本国民の韓国に対する感情も急速に悪化していくでしょうね。

 湿気でベタベタのクソ暑さが、そんな殺伐とした気分を昂進させて、ヘンな事件が勃発しなきゃいいのですが。そんなことを考えていて、ふと千利休を思い出しました。

 日本人なら誰でも名前を知っている茶人ですが、彼が生きたのは戦国時代です。武士が群雄割拠して、刀や槍を振りかざし、血みどろになって覇権を奪いあっていました。まさに殺伐とした世相の中で、彼は茶の湯=茶道の形式を確立したのです。人間ひとりが精一杯の小さな潜り戸から二畳程度の狭い茶室(妙喜庵待庵)に入り、大の男が膝をくっつけるほどの近さで正座。ライトグリーンのあぶくが浮いた抹茶をすすって「結構なお手前で」なんてことをやっていたわけです。日本全国のどこで派手な殺し合いをやっていてもおかしくない時代に、よくもまぁこんなにも不可思議で非合理な様式を考えついたもんだと心底から感心します。

 だってさ、お湯を沸かして、椀に入れた抹茶の粉を混ぜて飲むだけのことですよ。誰でもすぐにできる簡単なことに、面倒くさい礼儀と専用の道具を持ち込んで茶道という形式に仕立てあげるというのは、およそ常人の発想ではありません。

 いろいろな逸話が伝えられていますが、不勉強なボクの印象としては、やたら屁理屈の多い偏屈ジーサンであります。ただし、千利休はそう思われることを意識してやっていたのではないかな。それによって秀吉などの戦国大名をたぶらかした、といえば言い過ぎですけど、バカバカしさを自覚しながらも、茶道の様式美を自分の武器として権力者たちに対峙したのではないでしょうか。

 それによって、わずかな時間といえども、彼らの腰から刀という凶器を排除したのです。そのためには、ただお茶を飲むだけではダメなんだよな。もっともらしい理屈、じゃなかった哲学がなきゃいけません。千利休は、自分を只者ではないというブランディングを行うと同時に、その錯覚、じゃなかったイメージを支えるための礼儀や形式を作り上げていったとボクは理解しています。

 だったらと、ここから飛躍していくのがボク流の発想でありまして、21世紀の千利休をこしらえて、たとえば韓国の文大統領と安倍さんを待庵に招いて茶の湯でもてなしたらどうかと。トランプ大統領とイランの最高指導者でもいいんじゃないかな。「茶の湯を飲みに来ない?」と誘ったら、皆さん驚くと同時に魂胆を疑うでしょうね。「そんな懐疑に満ちた危ない時代だからこそ心の平穏が必要。とにかく抹茶を一杯すするだけのことなんだからさ。そんなことにビクビクしていたら指導者の名前が泣きますぜ」とか何とか、それらしいメッセージを送ればいい。茶の湯は日本では精神的な果たし合いの場を意味するので、その挑戦を受けて逃げれば卑怯者または臆病者の烙印を捺される、という屁理屈もつけられるじゃないですか。

 こうした解釈が自在なことも、千利休が作り上げた様式のひとつだと思うんですよね。現在も表千家とか裏千家という流派があるのですから、その代表者が国際社会に名乗りを上げてもいいんじゃないかな。そこで信長や秀吉などとの問答を再び繰り返したら面白いのにね。

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2019年8月 5日 (月)

街を色分けする

 

 以前に「病院建築」がなぜないのかと指摘しました。都心の大病院なんか、まるでオフィスビルですもんね。心を癒す教会は遠くからでも分かるのに、なぜ身体を癒す病院がありきたりのビルのようになっているのか、ボクにはまるで理解できないんですよね。

 そうなった理由は予算不足であり、つきつめていけばパンドラの箱のように様々な問題が飛び出してきます。このクソ暑い夏に、そんな面倒なことを書き連ねたくないので、ボクの提案だけをお伝えしますね。建築が無理なら、せめて「色」だけでも統一しませんか。たとえば病院は、公営も大学病院も民間クリニックも含めて、すべてホワイトでデザインすることを法制化する。そうすれば、かなり遠くからでも医療機関の存在が分かるではありませんか。

 赤十字があるくらいですから、赤にしようかと思ったのですが、「レッドクロス」は別格として、鮮血をイメージさせるので、精神的にあまり良くない。かといってブルーでは緊急感や切迫感に乏しいですよね。それで、医師の白衣をイメージさせるホワイトにしてみました。いま時はスマホで簡単に検索でき、地図上にも表示されるとはいっても、そうしたバーチャルと、リアルに肉眼で認識することでは感覚的に相当な隔たりがあります。たとえば転倒して足首をひどく痛めてタクシーなどで病院を目指す時に、フロントウィンドからホワイトの建物が見えたら、それだけで安心するじゃないですか。

 見知らぬところを散策していても、ホワイトの建物が目立てば「ここは病院が多いんだなぁ」なんてことがすぐに分かります。住宅選びの参考にもなると思うんだけどなぁ。

 病院がホワイトなら、公的機関はブルーにしましょう。無駄に大きな区役所や市役所はともかく、支所や出張所なんかは言われないと分かりませんからね。そうした行政機関から、公営のプールや競技場、コンサートホールに至るまで、とにかく税金を使って建設したものはすべてブルーにする。税金の使途が明確になって便利じゃないですか。

 そうなると、飲食関係の店舗はどこかにオレンジ色をアレンジするとか、物品の小売業は濃紺=ネイビーにするとかね。そうすれば街の様子がぐっと分かりやすくなります。渋谷なんかオレンジとネイビーだらけになりそうですけど。

 街づくりはかつて王様の仕事でした。それによって美しい景観が生まれたわけです。そうした歴史があるせいか、ヨーロッパでは風致地区があちこちにあって、新築や改築などに関する厳しい規制があるそうです。ところが日本はほとんど放任状態といっていい。協定や条例を持つ自治体もあるようですが、都市の中心部や繁華街ともなれば見ての通りの無法地帯。目立てばOKの猥雑極まりない混沌が支配しております。それはそれでエネルギッシュで面白いとは思うけど、だからこそ少なくとも病院や役所などの公的・準公的機関は分かりやすいカラーリングで統一したほうがいいんじゃないかな。

 そういうことを王様に代わって考えるのが行政の本来的な仕事なのに、こちらの方面はまるでセンスがゼロなんだよな。一般企業もそうですが、あまりにも美学的な意識や知識に乏しい。もっと美大・芸大出身者を活用すべきではないでしょうか。

 

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2019年8月 2日 (金)

歴史は繰り返す

 

 天下無双のコンビニチェーン、セブンイレブンを築き上げた鈴木敏文氏が役職を退任し、経営から手を引いたのは2016年。それから3年もしないうちに、24時間経営をめぐって加盟店が反乱。それを鎮圧することができず、逆にフランチャイズシステムの見直しを迫られることになりました。今年になっても、モバイル決裁サービスの発足直後からハッキング事件が勃発。それだけならまだしも、2段階認証も知らない人間が専門子会社の社長だったことが記者会見で発覚して批判を浴びました。昨日になって、このモバイル決裁サービス自体を9月末で終了すると発表しています。

 新しいシステムがうまくいかなくて撤退することは珍しくも恥ずかしいことでもありませんが、モバイル決裁という新型のデジタルサービスを専門で運用する会社の社長が、ごく一般的なセキュリティにも疎かったというのは、悪い意味で象徴的というほかありません。社内でどんな力学が働いていたかは想像するほかないので、ここからはあくまでも根拠のない推測ですが、さすがのカリスマ鈴木氏も、おそらくは無意識に能力なんかより自分の意に沿う社員ばかりを幹部に登用してきたんでしょうね。母体であるスーパーの創業家と折り合いが悪いと伝えられてきたので、足もとをすくわれない防衛策として仕方がないともいえます。ところが、そんな連中がこともあろうに創業家と結託してクーデターを計画。結果的にカリスマは部下に裏切られることになったんじゃないかな。

 しかしながら、その謀反グループの中にITセキュリティに詳しい人材はいなかった。けれども、誰かを社長にしなきゃいけない。では温和しいアイツにしとこうかと選ばれたのが、力不足もいいところの置物に過ぎなかったわけです。明治維新もカスな奴ばかりが生き残ったと酷評する歴史家がいますからね。

 かのスティーブ・ジョブズも、自分自身が雇い入れたジョン・スカリーにアッブルから追放されたことは有名です。日産自動車のカルロス・ゴーンにしても、従順きわまりないと思い込んでいた現経営陣が秘かに証拠を揃えて告発したことが始まりになったはずです。さもなきゃ、あんな詳細な内部資料は出てきませんよ。

 こんなことは、3000年前の春秋戦国時代から連綿と続いてきたことで、手を変え品が変わるだけで、似たような事例を出したらキリがありません。組織の立ち上がり期にはみんなが同じ気持ちで一生懸命に働いたのに、儲けが安定してヒマができると、茶坊主連中が権力闘争を企てるようになり、やがてはカリスマ創業者を倒してしまう。

 小説の作法としてはあまりにも通俗的で、ストーリーだけで編集者から即座にNGをくらいかねないのに、現実社会では21世紀になっても同じことをやっています。人間というのはまったく進歩していないんですよね。

 若い人たちが先輩を煙たく感じたり、老人を嫌うのも同じです。だから彼らはことさらに「時代が違う」とか「アップデートしなきゃ」と強調しますが、そんなことはボクだって若い頃に言ってきたことです。世代交代で禅譲なんてそもそも稀有なことであって、多かれ少なかれ闘争が伴うのであります。

 さて、結論をどうしようかと読み直してみれば、イントロが違うだけで内容は昨日の「諸行無常」とほとんど変わりないことに気づきました。これって、ある種の認知症なのかなぁ。だとすれば、大から小に至るまで権力闘争を繰り返し、懲りることなく自然を汚して環境を破壊し、人間同士で非道な殺戮を続けてきた人類そのものが、もっと重度の病に罹患していることになるじゃないですか。

 

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2019年8月 1日 (木)

諸行無常

 

 ボクのデスクは南向きの窓を背にしています。椅子を回して振り返ると、道路を挟んだ向かいのマンション1階に立ち並んだ飲食店が見えます。ここで仕事をするようになって20年ほどにもなるので、そうした店の栄枯盛衰がよく分かるですよね。10年ほど前はトンカツ屋さんが列をなしていたのに、今は隣の隣にある高級ハンバーガー店に若者たちが集まっています。

 その一方で、沖縄料理の食堂とチキンの専門店が撤退しました。この2店は4〜5年ほど営業していたはずなのに、ボクは一度も行ったことがありません。してみると、ボクが行かない店はつぶれる可能性が高いってことになるのかな。週末には長い行列ができるタピオカ紅茶店も行ったことがないので、あまり当たらないといえばそうだけど、この流行もいつまで続くやら。

 そうした動きを定点でずっと観測していると、驕れる者は久しからずという諸行無常を感じざるを得ません。ビルの中にある会社だって、飲食店のように視認できないだけで、撤退や倒産や廃業などが頻繁にあだけどね。

 こういう現象も、ボクが敬愛する福岡伸一先生の言う「動的平衡」なんでしょうね。個々が細胞のように短期間に生まれ変わるからこそ、全体が生き残っていける。そもそも生存、いや存在自体が奇跡的な現象であり、エントロピーという恐怖の大王が駆使する暴虐な無に向かうエネルギーに耐えためには、常に変化を続けていくしかない。さもなきゃすべてが運動エネルギーを失い、本来的な静的状態に戻されてしまうでしょういつかは必ずそうなるだけどね。

 こんな大げさなことを言わなくても、ボクたちは生き残ることに汲々としています。それによって人類全体が存続を許されるってことになるわけだけど、たまにはへこたれますよね。そのへこたれた精神を癒やすのが芸能ということになりますが、あんな楽屋オチばっかりの吉本状態ではちっとも笑えません。

 こういう時は、やっぱ音楽だな。どうもメンタルが変調だよなと思ったら、1週間以上もライブに行っていませんでした。ちなみにオクターブとは、ラテン語のオクト=8が語源であり、ドレミファソラシドが8音階あることからそう呼ばれるようになったそうです。

   来週は予約を入れてあるので、魚が水を得ることができそうです。小学校の時は、もう少し世の中は明るく、太陽が美しく輝いて見えていたような気がするんですけどね。

 

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2019年7月31日 (水)

杓子定規

 

 2か月ぶりに、歯の定期検診に行ってきました。ほとんど毎週のように3年越しで通った歯科医院でありまして、日曜に虫歯が激痛にかわり、深夜も寝られず耐え抜いて朝一で診てもらったこともあります。

 そんなボクにとって、2か月も行かなくていいというのは、牢獄から解放されたような感覚なんですよね。おかげさまで健康保険証を忘れてしまいました。すると、後で返却するけど、いったんは割引なしの料金(ていうのかなぁ)を支払ってほしいという。ボクは3割負担の国民健康保険なので、定価(っていうのかなぁ)であれば、ほぼ3倍になります。

 ちなみに「いくらくらいになるんですか」と聞いたら、1万3000円くらいかなというお達し。ボクはほとんど現金を持たないので、銀行に引き下ろしに行く必要があります。それが惜しいというわけではなく、その手間自体が無駄と思いませんか。

「ボクが3年越しでこの病院を利用してきたことは明らかですよね」

「はい」

「国民健康保険証というのは毎月発行されるわけではありませんよね」

「はい」

「1回発行されたら2年間使えるようになっているじゃないですか」

「はい」

「だったらカルテで内容を確認できますよね。にもかかわらず、月がかわったら必ず持参して提示しなきゃいけないんですか」

「はい、すいません」

「いえ、あなたが謝る必要はなくてね。何せ久しぶりだから忘れることもあるじゃないですか。でも、約束時間ギリギリなので、取りに戻る時間的余裕はない。だったら健康保険証は後でいいですよ、その時に精算しましょう、ということはできないんですか」

「すいません。だから銀行で。。。。。」

 というあたりで、ボクはジジーのせいか頭のどこかでプッツンとキレる音がしました。何でわざわざ銀行に行って、そんな大金(この場合の感覚的なコスト)を下ろして歯医者に持っていき、後で保険証を持参して7割を返却してもらうなんて面倒なことをしなきゃいけないんだろう。

「あのですね、ボクは初めてこの歯科医院に来たわけではありません。健康保険証は2年単位で交付されているので、表記内容が毎月変わるわけでもない。なのに、それを忘れたからといって、こんなにも面倒なことをやらなきゃいけないというのは、どんな理由にもとづいているんですか」

「そのように指導されているので」

 受付の女性を泣かせて喜ぶ鬼畜な趣味は持ち合わせていないので、無意識に高くなり始めた声のトーンを抑えることにしました。

「とにかく今は時間的な余裕もないし、銀行でカネを引き出すのも面倒でイヤ。だから今回のアポは取り消しということにして、別のアポを入れてください」
「はい、分かりました。では………」
 とパソコンをチェックしているあたりで、やりとりを聞いていたのか、若い院長氏が登場。「保険証は後でいいですよ」となりました。だったら最初からそう言ってくれればいいのに。暴走ジジーと思われたかもしれません。

 検診が終わると急いで事務所に戻り、健康保険証を持って歯科医院に戻って精算しましたが、結局は3000円程度。健康保険証を毎月提示することに、いったいどれだけの意味があるのかと考えてしまいました。前述したように、仮に健康保険料を支払わなくても、役所から警告はあるはずですが、警察力を使わない限り2年間は取り上げることができないはずです。もしもネットで保険証の無効情報が通知されていたなら、それこそ紙の保険証を毎月提示する意味はなくなるじゃないですか。

 そして、ボクがもっと深く考えたのは、無保険者の医療です。救急車には乗れても、保険証がないからといって治療を拒否されるのでしょうか。非情大国のアメリカですら、ERに搬送されてきた患者を無保険だからといって追い返すことははしません。だから低所得者にはERが最後の砦なのです。

 歯科医は命にかかわるわけではないので、無理してでも保険証を持って来いと言えなくもないけど、やはりボクにはどうしてそんなことをするのか意味が分かりません。とにかく「杓子定規」ってヤツがね、ボクには気にいらない。法律も規則も礼儀も、すべては現場のためにあるはずですから、もっと柔軟に運用してもいいんじゃないかな。それこそが、みんなを生き良くする方法のひとつではないかと思うわけです。

 人間が機械になってどうすんだよ。

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2019年7月30日 (火)

原宿の靴屋で

 


 しばらく立ち寄らないうちに、原宿がかなり変貌しました。特に明治通りから表参道側に1本入った、キャットストリートと呼ばれるファッション街が洒落ております。若者に人気のブランドがこぞって集まっているんじゃないかな。


 その中の靴屋で、念願の真っ黒なスニーカーを購入しました。どういうわけかオールブラックのスニーカーは希少でありまして、あってもカカトのところが白かったり、サイドに白い線があったりする。購入したスニーカーもスタイルにいささか不満はあるのですが、とにかくすべてが黒かったので、取りあえず合格としたわけです。それにしても、価格は1万円ほど。スニーカーといっても、しょせんは運動靴ですぜ。もちろん今では4〜5万円するスニーカーも珍しくないことくらいは知っていますが、ボクの価値観とはまったく相いれません。


 それはともかくとして、その靴屋の地下にメンズの売場があるのですが、エスカレータもエレベータもない。店員さんが「すいません」と謝ったので、間違いありません。運動靴は元気な若者のためにあるんだから、と考える人が建物を設計したのかな。しかしながら、ボクはシニアで、さらに杖をついております。にもかかわらず、スニーカーを購入したのですから、そんな感覚で売り場や運動靴をデザインするのはもはや間違いじゃないかなぁ。


 たとえば病院ですけど、看護師さんや医師のために、すぐに着脱できる軽快でカッコいいスニーカーはできないものでしょうか。患者さんにしても、グダグダのスリッパまがいなんて、それを履くだけで心底から情けなくなります。工場なんかもそうですよ。大昔から連綿と続く菜っ葉服に、安っぽい白の運動靴を合わせていて満足なのでしょうか。小学校の体育じゃないんだからさ。


 世界的なアスリートに履かせる靴に競って血道を上げるのも結構ですが、重度の身障者が議員として国会に参加する時代ですよ。たとえば介護者や被介護者のための素敵なスニーカーを作ろうという発想はないのかなぁ。はい、そんなことはまったく考えておりませんという明白な証拠が、バリアフルな地下の売場ってことになるわけです。ちなみに、バリアフルとはバリアフリーの真逆を指すボクの造語です。


 世の中は健康で元気な若者だけではありません。リタイヤしたジーサンたちも含めて、ブランドの靴屋さんは大きなマーケットをみすみす見逃しているとボクは思うんだけど、いかがでしょうか。


 靴のセールスマンが裸足の国に行って「こりゃ駄目だ」と尻尾を巻いて帰るのと同じでね。優秀な人は「靴を売り放題のビッグマーケットじゃんか」とワクワクするはずです。そうしたブルーオーシャンは、探せばいくらでもあると思うぞ。


 


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