笠木恵司の主な著書

  • キャリア・チャレンジ2009-2010
  • 資格試験合格後の本
  • 学費免除・奨学金で行く大学・大学院進学・休学・留学ガイド
  • 価値ある資格厳選200
  • インターネットでMBA・修士号を取る
  • 腕時計雑学ノート
  • 「国際標準」ビジネス資格完全ガイドブック
  • 日本で学べるアメリカ大学遠隔学習プログラム
  • テレビ局完全就職マニュアル
  • 資格の達人
  • MBA入学ガイドブック
  • 学んで! 遊んで! 役に立つ! インターネットキャンパス
  • 日本で学べるアメリカ大学通信教育ガイド

お気に召したら、ポチっと↓

  • 笠木恵司のブログ

福助くん その6

  • D_p1000397_s
    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

  • 5djustice3f5d5575e032a1
    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

映画・テレビ

2020年9月29日 (火)

善と悪の二元論?

 

 大人気らしいテレビドラマ『半沢直樹』の最終回で、主人公の堺雅人は「多くの人たちは必死で一生懸命に真面目に生きているのだ」というようなセリフを言ったらしい。すいませんが、この番組は見る前から好きではなかったので、よく知りません。だってさ、大仰なセリフ回しと誇張された表情は、ほとんどマンガじゃないですか。そんな変顔をしなくたって、悔しさや怒りくらい分かるよ、バカじゃないんだからさ。おかげでドラマとしての奥ゆきや横幅をまるで感じないので、最初から敬遠させていただきました。 

 けれども、TBSのニュースショーや番組宣伝でたびたび端切れの映像が紹介されるので、大まかなストーリーや超有名な「倍返し」というセリフを覚えてしまうわけですね。それはそれでまぁいいとしても、冒頭で紹介したように、民衆=庶民は真面目で善人、悪党は姑息で卑怯という単純な二元論的な描き方に大いなる疑問を持ってしまうのです。 

 テレビドラマに目くじら立てるのは大人げないのですが、世の中はそんなに簡単なものじゃないですよね。だからこそ、善悪をくっきりと明確に分けたドラマのほうが一般受けしやすいというのも事実でしょうが、庶民というのはそんなに生やさしい人たちかなぁ。 

 戦いに敗れて逃走した武士を殺して金品や刀などを奪う「落武者狩り」をやったのは、庶民で弱者と見なされがちな農民なんですぜ。そのほかにもいろいろ具体的に指摘できますが、強烈な反発を受けかねないのでここでは自粛します。いずれにしても、一般民衆は決して「無辜の民」ではなく、もっと狡猾ですよ。さもなきゃ生き延びることができない。それを描くのも文学やドラマの役割であるはずなのに、そこから逃げて、分かりやすい二元論にしてしまうのは、ある種の衰弱といえそうな気もします。簡単にいえばつまらないんですよね。せめて、かつての『JIN-仁-』レベルのドラマを作ってくれないかなぁ。 

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2020年9月23日 (水)

『名探偵ポワロ』


 この4連休は繁華街や観光地が混雑するに決まっているので、在宅でやり過ごしましたが、どうして皆さん同じ時期に似たようなところに集まりたがるのかなぁ。

 ちょいとした買い物で上野のアメ横あたりまで行ってみましたが、いやまぁ人人人人の人だらけ。路上にまではみ出した飲食店のテーブルも「3密」の極みであり、しかもマスクなんか誰もつけていません。1人でも感染者がいたら、間違いなく周囲に広がるでしょう。経済活動の邪魔をする気は毛頭ありませんが、あまりにも警戒心なさ過ぎじゃないかな。

 そんなわけで、することといえばテレビを見るくらい。ケーブルテレビと契約しているので、ザッピングを続けた挙げ句に目に止まったのが、AXNミステリーで放送していた『名探偵ポワロ』でした。ご存じアガサ・クリスティー原作による推理ドラマですが、ボクは彼女の小説は一冊も読んだことがありません。先祖代々の特権階級としか思えないイギリスの上流社会が舞台であり、頭の中でこしらえた荒唐無稽なトリックばかりだろうと思い込んでいたからです。無茶な仕掛けに関しては横溝正史のほうがすごいですけどね。

 主人公は、独特のヒゲが印象的な探偵のエルキュール・ポワロ。たまに「私の灰色の脳細胞が」とか言い出すのですが、そんなもんオレンジやブルーや極彩色であるはずがない。こんな陳腐なセリフが有名なのですから、中身も大したものではなかろうと嘗めていました。ところが、ですね。原作は知りませんが、このテレビドラマはほとんど映画に等しい充実したセットを背景にしており、それだけでも感心させられたのです。1930年代の街並みはもちろん、行き交うクルマも当時とそのまま同じ。もちろん俳優やエキストラのコスチュームも戦前のスタイルで、ポケットチーフや靴など細部まで目が行き届いています。日本のテレビドラマのセットではNHKが飛び抜けて金をかけていますが、その10倍以上にも達するんじゃないかな。何しろ『ナイルに死す』では実際に大型船を作って川に浮かべておりました。超有名な『オリエント急行殺人事件』にしても、蒸気機関車が牽引する豪華な個室寝台車が舞台ですからね。そうした緻密な道具立てに目が惹きつけられるだけでなく、今をときめくエミリー・ブラントやケイト・ブランシェットも出演しているではありませんか。

 AXNミステリーでは、アガサ・クリスティー「生誕130年記念」ということで、3日間にわたって全34話を一挙放送。1本が90分くらいの長編ですけど、昨日は朝から深夜まで見続けてしまいました。名優デビッド・スーシュ演じるポワロも、当初こそ臭みたっぷりでしたが、正義と法に則した厳しさの反面で、次第に人情味のある男だと分かってくるんですよね。それに殺人事件の動機も、カネと愛憎がほとんど。ボクたち庶民と何も変わりはないので、十分に共感することができました。トリックにしても特段に無理や奇抜な設定はなく、誰にでもできそうなことばかり。世界的なベストセラーになった理由がよく分かりました。

 というわけで、どうやらボクは思い込みが先立ってアガサ・クリスティーとポワロを避けてきたようです。仮説は優れた理解や解釈のジャンピングボードになりますが、しばしば偏見に変質して世界を狭くしてしまう。今さらそんなことに気づいても遅いんだけど、ちょっとばかり反省いたしました。それくらい完成度の高いテレビドラマなので、レンタルDVDなどでの視聴をオススメいたします。


ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

2020年8月 7日 (金)

「永遠」という罰

 

   まだ贅肉だらけのデブデブではなく、スリムなイケメンで色気ムンムンだったミッキー・ローク主演の『エンゼル・ハート』という映画があります(1987年公開)。その前年に公開された映画『ナインハーフ』で世界的なスターに躍り出ていたので、どれどれと映画館に足を運んだのですが、キリスト教に無縁な日本人にはいささか難解なミステリーでした。

 細かい部分を忘れてしまったのですが、香水瓶ほどに小さなガラス瓶の中に人間が閉じ込められており、内部を両手の拳で叩きながら、外からは決して聞こえない叫び声を上げているシーンは今でも鮮明に思い出すことができます。

 ミッキー・ロークは私立探偵役で、彼の事務所に「ある男を捜して欲しい」という依頼が舞い込むのがプロローグです。「ある男」は第2次世界大戦直前に突如として大ヒットを連発。全米で大人気となった歌手ですが、精神を病んで入院。その病院からも失踪してしまったので、見つけ出して欲しいというのです。ボクにはエルビス・プレスリーを彷彿とさせる設定でしたが、彼の足取りを追いかけていくうちに、陰惨な殺人事件に何度も遭遇。このあたりのエピソードはすっかり忘れましたが、結局は探偵自身が「ある男」だったことに気づきます。ネタバレですけど、ウィキペディアでもストーリーが紹介されているから構わないですよね。

 彼はビッグスターになるために悪魔と契約。約束の期日には魂を引き渡すことになっていたのですが、それを恐怖した彼は別人に化けるだけでなく、厳しい追究から逃れるために自らの記憶まで封印してしまったのです。ここがポイントでありまして、そもそもの依頼主は悪魔ですから、探偵が「ある男」なんてとっくに知っていたのですが、本人に自覚がなければ契約を履行できないらしい。そのために、自分を探させるというややこしいことをやらせたわけです。やがて彼は血まみれの鏡に映っている自分自身が探している相手にほかならず、悪魔の探索から逃げるために、複数の殺人事件も引き起こしたことを知ります。

 刑事に身柄を確保されて、骨組みが露わな昔のエレベータで階下に降りるラストシーンがなかなか印象的だったのですが、ボクが最も気になったのは彼の罪と罰です。悪魔を騙そうとしたのですから極刑ですけど、人間のように死刑に処されるのではありません。どんなシチュエーションだったか忘れましたが、悪魔はポケットの中から前述した小さなガラス瓶を取り出して、「この男も罪を犯した。もはや永遠にこの中から出られない」なんてことを言うんですよね

 えっ、こんな金魚鉢より小さな、人間1人でギリギリという狭い空間に、一生どころか永遠かよ、と。この時に、ボクは「永遠」という途方もない時間(?)に初めて戦慄したのであります。寿命に縛られた人間は「時の虜囚」とも言われますが、そこから解放されるかのように思える「永遠」のほうがよほど怖い。何しろ終わりがないんですぜ。

 これほど暗い内容なのに、どうして邦題が『エンゼル・ハート』なのか意味不明であり(原題は『墜ちた天使』)、もちろん国内ではヒットしなかったようですが、ボクにとっては記憶に残る映画でした。ミッキー・ロークはこの映画の後でなぜかイケメン路線を捨ててグダグダな生き方を選び、やがて盛りを過ぎた惨めなプロレスラーを演じたりしています。それもまた悪魔との契約解消を狙った所業なのかもしれない。このように様々な暗喩を感じさせる不思議な魅力を湛えた映画なので、興味があればレンタルでどうぞ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

2020年4月20日 (月)

ラジオの時間

 

 結局は想像力、つまるところ知性の問題なんだろうね。繁華街に集まってはいけないと言われると、今度は吉祥寺などの郊外や海・山が大賑わい。新型コロナの好物である「3密」を別の場所で作り出すというのは悪い冗談としか思えません。それよりも、まるきり減らない品川駅のラッシュアワーのほうが大問題なんだけど、これを平気で放置しているんだから、もうなるようになれって感じだよな。

 それもこれも、やはり初動の方法論に問題があるわけで、その責任者は紛れもなく厚生労働省です。いったい誰がPCR検査を過度に抑制し、感染者に対する偏見や差別を広めるようなクラスター潰しから始めたのか。それよりも医療体制の充実に早期から着手すべきではなかったかなどなど、いずれ厳しく検証され、首相と大臣ともども責任が問われる日が来ると思いますが、取りあえずこの程度にしておきます。

 問題はテレビドラマと映画なんだよな。このまま感染拡大が終息しないと、新しい作品が制作できなくなってしまいます。昨日は久しぶりに『Jin〜仁〜』の再放送を見て改めて感動しましたが、出演者が濃厚接触する場面が少なくないので、こんなドラマを今つくるのは無理でしょう。出演者全員がマスクを着けたままでは、泣けるシーンも、ロマンチックな雰囲気もぶち壊しですよね。

 撮影の時だけ外すにしても、スタジオは防音やセキュリティの関係から基本的に「密閉」状態であり、スタッフも「密集」して行動します。さらに主要なキャストが演技する時は、カメラのフレームの中に入るために「密接」せざるを得ません。禁断の3密がきっちり揃っているわけです。野外のロケであれば換気的には申し分ありませんが、どれもこれもロードムービーもどきになってしまう。そんなわけで、もうすぐテレビドラマは再放送ばかりになるだろうな。ワイドショーみたいに社会的距離をあけたり、スカイプなどのテレワークでしのぐわけにはいきませんからね。

 これも現実と割り切って、マスクを着けたままで時代性をリアルに反映した作品もあり得ますが、顔全体が見えないと表情が分かりにくいので、演出が難しい。仮面舞踏会なら妖しさや華やかさはあっても、眼だけギョロギョロのマスク姿では色気も何もなく、著しく興を殺ぐことは間違いありません。

 だったらね、いっそのこと、ラジオドラマに力を入れようよ、というのがボクの提案なのであります。これなら出演者がマスクを着けていようが遠く離れていても、そもそも映像がないんだから、聴いている人は気になりません。カネのかかるセットは一切不要というのも経済的じゃないですか。三谷幸喜は1997年に初監督の映画『ラヂオの時間』を発表しましたが、あんな感じです。音だけのラジオの世界をコメディとして映像化した、彼らしくストーリーが二転三転していく傑作なので、未見の人には超オススメです。

 こんな時代だからこそラジオドラマを「見直す」、というとヘンな表現ですが、映像がない分だけ想像力を刺激されるので、ボクは昔から大好きでした。新型コロナを逆手に取って、歴史に残るような素晴らしいラジオドラマを作って欲しいな。テレビ画面を真っ暗にして音だけのドラマを放送してもボクはかまいませんが、故障や事故だと思われるかな。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

2020年3月26日 (木)

生きている証

 

 まったく面白くないなぁ。すでに1か月以上もライブハウス通いを自粛してきたのに、「今週末は不要不急の外出を控えてください」だってさ。要請、つまりお願いだから従うけど、これが命令だったら敢えて逆らうかもしれません。親父からそんな性分を受け継いでしまったから仕方ないんだよな。 

 それにしても、ああつまらない。死んでないことを生きていると判断するのは、医学的には正しくても、文系的かつ哲学的には大いなる間違いではないでしょうか。実際に「医学的な死と経済的な死はまったく等価である」とテレビで喝破した女性の学者もいます。ここまで新型コロナが蔓延する玄関口の頃でしたから、なかなか優秀な人です。ただし、表現が学者風でいかにもややこしい。家に引きこもり続けたら、いずれ餓死しますと簡単に言えばいいのに。 

 さて、『木枯らし紋次郎』です。上州新田郡三日月村の貧しい農家で生まれた渡世人を主役にした股旅物の小説を原作として、1972年からテレビドラマ化されて一世を風靡。テレビには珍しく、前のめりで歩き続ける紋次郎のシルエットをアクセントにした遠景が実に印象的でした。それまでは、小さなテレビの画面でこんな大胆なヒキの映像を見たことがなかったからです。それもそのはずで、映画監督の市川崑が初めて演出したテレビドラマだったんじゃないかな。あ、この人は1964年に開催された東京オリンビックの公式映画の監督でもあります。奇しくも、ということで今とつながりますけどね。 

 それはそれとして、このテレビドラマでお茶の間にまで大流行したのが「あっしには関わりのねぇことでござんす」というセリフです。ホントに関係ないならドラマも成立しないので、あちこちで軋轢を巻き起こしていくのですが、経済がそこそこ発展して個人主義を通せるようになった社会性にぴたりとフィットした言葉だったんでしょうね。 

 そこらの小学生すら、親から宿題を咎められると「あっしには……」などと言い返していたそうです。けれども、ボクが最もインパクトを感じたセリフはそれではありません。 

 誰かから「てめぇは何のために生きているんだよ」と訊かれた紋次郎は、「死なねぇから生きているんでござんすよ」と答えたのです。これこそが、全共闘運動が壊滅した後の空虚なニヒリズムを象徴しているんでござんすよ。こんな形而上的なことをばくち打ちの渡世人が考えているはずがありません。原作者である笹沢佐保の鋭敏な時代感覚が、そう言わせたんでしょうね。 

 そのセリフをボクは、例によって額面通りに受け取りませんでした。これをひっくり返して「死んでないからといって生きているとは限らない」というオリジナルに仕立てたのであります。新型コロナによる閉塞感でどんどん息苦しくなりつつあるからこそ、この言葉を敢えて紹介することにしました。何の参考にもなりませんけど、こうした形而上的思考も、ボクにとっては「生きている」証なのであります。 

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2020年3月25日 (水)

死者数が本当の危機を告げる

 

 話題を変えようとしても、東京五輪がとうとう延期決定となると、やはり新型コロナに引き戻されてしまうんですよね。すいません。 

 東京五輪の延期はボクのブログではとっくに織り込み済みなので、驚くにはあたりません。むしろ、周囲に促されて渋々という感じが気分良くない。そんなことになる前に、自主的に提案したほうが世界から好感を得られるとボクは書いたんだけどなぁ。

 それよりも、テレビのコメンテーターがあまりにも通り一遍のことしか言わないのが、今さらながらの驚きです。提案や新味はまったくなく、政策や発表データをなぞるだけ。それでよくもギャラが貰えるものだと呆れてしまいます。暗い予測ばかりを悲しそうな声でぐじぐじと続けるオバサンもイヤだけど、誰だって思いつく常識論をいかにも法律専門家のドヤ顔で声高に語る教授も何だかなぁ。どうせテレビに出るんだったら、もうちょっと面白いことを言えよ。

 自主的な巣ごもり封鎖でテレビの視聴が増えてしまい、新型コロナが一種のリトマス紙となって、コメンテーターのレベルが手に取るように分かるようになりました。そもそも、どうして医療に素人のタレントや芸能人が論評するんだよ。あまり悪口ばかり言っていると、お前の原稿はどうなんだと突っ込みが入る怖れがあるので、ボクがひとつだけ心底から納得した意見を紹介します。

 日本でのPCR検査数があまりにも少ないのは、東京五輪を意識した官僚的な忖度ではないかと以前に指摘しました。今でもこの意見に変わりはありませんが、日本の検査体制が韓国に比べてはるかに脆弱であることも分かってきました。いずれにしても、これでは実際の感染者数が分かりません。致死率だって、分母が変われば違ってきますからね。

 そう考えていたところに、名前は忘れましたが某医師が「死亡者数だけ意識すれば十分なのです」と喝破したのです。続けて「それだけはウソがつけませんからね」と付け加えました。確かに感染者数は検査数によって大きく変わってきます。偽陰性もあるほか、自然に治癒した人もいるでしょう。けれども、肺炎の悪化で死んだ人の数だけは動かしようがない最終的な事実です。中国は例によって謎が残りますが、それ以外の国では新型肺炎による死亡者数こそが明確な指標というのは十分に納得できるではありませんか。

 医療が第一に、そして最後までやるべきことは重症者の救命にほかなりません。それが力及ばなかった結果として死亡するのですから、この数こそが新型コロナの本当の脅威なのです。医療水準も大きく関係してくるので、ボクたちの生存に直結する最重要な指標ともいえるでしょう。 

 テレビではコメンテーターが多すぎて、ここまでの説明はなく、残念ながらすぐに埋もれてしまいました。けれども、ここ数か月の新型コロナ談義で、これほど得心した意見はありません。検査はやらないよりやったほうがいいに決まっています。ただし、それは重篤化させないためという観点に立てば、ドライブスルーでどんどん実施することに果たしてどれだけの意味があるのかとなりますよね。

 日本の場合は、それを楯にして感染者数を抑え込もうとする政治的意図が見え隠れするので、中国並みに厄介なのですが、それにしたって死亡者数は隠蔽できません。もちろん医療関係者や行政幹部は引き続き感染予防に専念していただきたいのですが、ボクたちにとっては、死亡者数があっという間に増加したら、まさに危機的状況と認識すべきです。それまではクラスターやオーバーシュートという言葉に過度に怯える必要はないんじゃないかな。

 それよりも、高齢者など死亡率の高いハイリスクグループへの感染を防止すべきではないでしょうか。ごく簡単に言い切ってしまえば、みだりに人混みに近づくことでウィルスを拡散しないということです。そうした衛生意識の普及しか、今のところ対抗策はないんじゃないかな。イタリアでは医療関係者が「家にいてください」と呼びかけているようですが、それを続ければ飢え死にだもんね。こんな究極の選択を迫られる前に、他人と距離を開けたほうがいい。でもなぁ、これってインフルエンザなどの流感予防と基本的に変わりはないと思うんだけどね。

  

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2019年9月13日 (金)

遊べ!

 

 夏の終わりの恒例となっている某局の24時間チャリティ番組が大嫌いで、ここ10年間を合計しても数秒程度しか視聴していません。だったら意見なんて言えるはずないのですが、悔しいことに番宣というのがあるんですよね。CMの合間に内容の一部を不意打ち的に予告編として放映するので、否が応でも目や耳に入ってきます。それでね、やっぱり嫌いなんだと毎年のように再認識させられるのであります。

 いえね、この番組がもしも仮に視聴率狙いの偽善であってもいいのです。ボクは善も偽善も間に薄紙1枚を挟んだ程度の似たようなものと考えておりまして、むしろ実効に乏しい形而上的な善よりも、大枚の寄付金をドッカンと動かせる偽善のほうがよっぽど皆さんの役に立つではありませんか。

 だから、この番組の主旨そのものに反対するつもりは毛頭ありません。どんどんやっていただいて結構。そもそも日本では寄付の概念が海外より希薄なので、この番組を機に、ボランティアも含めて、他者のために何かをする満足感や充実感を知って欲しいとすら思っています。自分だけの喜びなんて、まるで大したことじゃないんですよね。

 にもかかわらず、どうしてボクはこの番組が大嫌いなんだろうと長く考えてきました。今では生理的なレベルに達しており、番宣だけで肌からブツブツが、って嘘ですけど、それくらい嫌いなのです。

 その理由がね、いくらか年寄りになったせいか、やっと分かってきたのであります。何のことはない、「頑張り」の直接的・間接的な強要に拒否感を覚えるんですよね。あまり文章が長いと飽きられるので結論を急げば、あのチャリティ番組は、みんなの「頑張り」を称賛することが基本的な制作理念なのです。それを過度に演出するあざとさが目立つせいか、ボクは時に「イタさ」として感知してしまう。
 
誤解して欲しくないのですが、頑張りを否定するわけではありませんよ。それで生きがいを得られるなら、どんどん遠慮なくやったほうがいい。でもさ、他者から「強要」されるいわれはありません。しかしながら、あの番組はストーリー的にも、雰囲気的にも、過度に「頑張り」を要求するのです。人気タレントによる意味不明の100キロマラソンが象徴的ではありませんか。

 頑張るのが個人の勝手なら、ダラダラのんきに生きるのも同じく個人の権利ですよね。なのに「頑張り」のほうだけを画一的に臆面もなく賛美してやまないところが大嫌いなんだと、やっと最近になって分かったのです。

 高齢者にしても、近年はアンチエイジングという生物学的には無理目の「頑張り」が求められるようになってきました。「ワタシ何歳に見える?」とか「筋肉増強に年齢は関係ない」といったワードも、ボクにはイタく思えてなりません。

 じゃ、年寄りはどうしたらいいんだ、ワタシはボクはどうすりゃいいの? って思いますよね。これはもう実に簡単です。頑張るのでなく、遊べばいい。遊び自体が社会道徳的に悪と見られてきたせいか、どうもボクたちは遊びが少な過ぎると思いませんか。遊びというのは能動的に自主的に人生を楽しむと言い換えてもいい。求められてやる、強いられてする、期待に応えるための頑張りとは、そこのところが根本的に違うのです。頑張りには心理的物理的な報奨が伴いますが、遊びにそんな利得はありません。だから純粋に、気楽に、何も期待せずに、遊ぶ。

 もっと簡単に言えば、ジーサンになっても必死で頑張らなきゃいけないなんて、ボクはイヤだなぁ。資産や年金の多寡ではなく、年を経た分だけ心に余裕があって然るべきです。そこから生まれるのが遊びとすれば、「年寄りの冷や水」よりはるかにカッコいいのではないでしょうか。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓


人気ブログランキング

 

 

 

 

2019年9月 2日 (月)

他人の不幸は蜜の味

 

 地上波はほとんどニュース番組しか見ないのですが、日本は他国の内情を異常に気にする国ですよね。ヘタすると当該国自身より詳しいかもしれません。国内のニュースはほかにないのかよ。政治とか経済とか、大切なことはほかにいろいろあるはずですよね。特に政権与党が独断できる閣議決定にもっと厳しく目配りする必要があるんじゃないかな。

 たとえば現在は韓国の高官候補に関する醜聞がもっぱらの対象になっており、「他人の不幸は蜜の味」とまでは言わないにしても、その懐を窺うようなことをしていると感じるんだよな。「タマネギ男」なんて日本にもいるはずです。大昔にこれを「疑惑のデパート」と表現した野党議員がいましたけどね。今だって口利き疑惑から逃げて辞任した代議士を放置しておいていいのかなぁ。叩けばホコリがもっと出てくるような気がします。

 あまりにも不愉快なので簡単に終わりますが、日本在住のコメンテーター同士が隣国を巡って激しい口論をするなんて、ホントにバカみたいな話です。そんなことよりも、国益を損なうことなく紛争や摩擦を解決するために、国策として何をしたらいいのかってことを話し合うほうが建設的ですよね。にもかかわらず、あたかも某首相のお先棒を担ぐかのように、国民の憎悪を煽ろうとする。太平洋戦争がどこから始まったのかを知っているのでしょうか。これでは官僚たちの忖度を声高に批判する資格なんてありませんよ。

 日本が大嫌いとは言いませんが、こうした下品で姑息極まりない側面を見てしまうと、ますます好きではなくなってきます。「だったら出て行け」と怒りまくる人たちの狭量さも何だかなぁ。こういう人たちはトランプ大統領の移民排斥にも賛成なのでしょうか。

 ともかく、他人の顔色や懐を窺う以前に、国家も、ボクたち自身も、主体的にやるべきことは一杯あるはずです。それをテレビで討論すべきなのに、隣国の不幸やトラブルに飛びつき、微に入り細を穿つような報道を繰り返す。それこそポピュリズムの極みというべきでしょう。

 そういえば、台風や豪雨などで「もの凄い風と雨です!!」とアナウンサーが絶叫するテレビの災害中継が妙に嬉しそうに見えて仕方ないんだけど、ボクだけの誤解または曲解でしょうか。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

2019年8月26日 (月)

歌って踊ろう!

 昨日は日比谷で『ダンスウィズミー』を観てきました。

 大感動の傑作映画『スウィングガールズ』(2004年公開)の矢口史靖監督によるミュージカルコメディなので、行きたいなぁと思いつつも、後でDVDを借りても十分かなと、ためらっていたんですよね。というのも、日本で本格的なミュージカル映画を作るのは相当に困難だからです。昔とはかなり変わってきたとはいえ、国内の舞踊人口は欧米に比べて極端に少なく、しかも体形的な問題が伴います。腕と足が長いだけでなく、スネのあたりがまっすぐな人が少ないので、欧米型のダンスをやらせると見映えが良くないんですよね。しかも歌が上手な人ともなれば、キャスティングの段階で企画がボツになりかねないほど合格者が少ないはずです。ブロードウェイやウェストエンドでは5歳の頃からバレエを踊っていたなんて人が珍しくないですけどね。

 かといって、米倉涼子のように知名度の高い人を今さら起用しても面白くないですよね。そもそもボクは彼女にあまり魅力を感じません。セルロイド製の人形みたいに、情緒をまるで感じさせないのはどうしてでしょうか。
 とにかく、新しい映画なら新しくキラキラ輝くスターが出てこなければ新鮮味がありません。そんなわけで、あまりにも期待し過ぎて失望するのがイヤだったんですよね。

 ただ、こうしたミュージカル映画(と戦争映画)は、劇場の大画面で大きな音響で観なければ迫力が感じられない。自称ミュージカル評論家としては、やはり映画館に足を運ぶべきだろうと、ようやく昨日になって決心したのです。

 その感想ですが、冒頭の2つのシーンは絶品で、日本の映画でもここまでやれるんだと感動しました。主演の三吉彩花という女優さんをボクは知りませんでしたが、身長もそこそこ高く、手も足も長くて、スネも真っ直ぐと、前述した条件に合致します。まだ歌は上手とはいえず、ダンスもキレに欠ける部分はありますが、そんなことよりアーモンド型の大きな眼に不思議な力がある女優さんなんですよね。

 そんな彼女がオフィスと高級レストランで歌って踊って「暴れ回る」シーンが実によくできているのです。群舞も大きな動きでみごとにアンサンブルしており、ボクが期待するミュージカルに仕上がっておりました。あれだけの人数が彼女のダンスに合わせて踊るのは大変だと思いますよ。リハーサルだけで何日もかかったのではないでしょうか。

 しかしながら、この2つのシーンで疲れ果ててしまったのか、それからの展開がいささかダレ気味。ロードムービー的な展開は結構ですが、無駄な描写が多く、笑わせる場面もタイミングがズレているように感じました。これを切り詰めてもう2〜3曲、群舞を含めて背後の抜け感が高いダンスシーンがあってもいいと思うけどな。それに画面がチープなことも否めません。映画はリアルではなく夢の世界ですから、大都会と対比する地方の場面とはいっても、もうちょっとリッチに作り込んで欲しい。いくら何でも現実そのまんまの借景では、安っぽく感じられるだけでなく、綺麗ではありません。せっかく往年のミュージカルスターである宝田明を起用したんだから、いくら落ちぶれた役とはいえ、もっと彩度が明快なシーンにできたんじゃないかな。

 とか何とか文句はいろいろ言えるけど、ボクはミュージカルコメディの大ファンなので、それを支援する加点を込めて、まぁまぁ良く出来た映画としてオススメいたします。何だか奥歯にモノがはさまったようですけど、前述した日本の舞踊環境を考えると、頑張ったほうだと思います。

 この映画を観て、オレもワタシも歌って踊りたいという人が沢山出てくるといいのになぁ。踊りや構成にしても、何も『ラ・ラ・ランド』(2016年公開)みたいな欧米型のミュージカルを追いかけなくてもいいじゃないですか。次回は「オペレッタ喜劇」といわれる『狸御殿』を真似た和製スタイルにチャレンジしてみたらどうだろう。そんな映画にも三吉彩花は似合うと思うけどなぁ。いずれ大女優に成長していく可能性を感じさせる新人です。

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2019年8月21日 (水)

SVU

 

「イヤよイヤよもイイのうち」なんていう艶っぽさを感じさせる文言がありますが、こんなものは日本の男社会だけの大きな勘違いで、アメリカでは牢獄にぶち込まれかねない危険な認識であることを教えてくれるテレビドラマがあります。

 ディック・ウルフ製作の“Law Order”からスピンオフした“SVU, Special Victims Unit”。日本では『性犯罪特別捜査班』と訳されています。強姦などの性犯罪から幼児虐待、人身売買などを担当する市警専門チームの活躍を息苦しくなるほどのリアリティで描いたドラマです。卑劣で凄惨な事件が多いにもにもかかわらず、1999年から始まってシーズン21を数える長寿番組になっているのは、これらの犯罪がアメリカでは決して他人事と感じられないからでしょう。

 刑事が犯人を追い詰めていくだけでなく、“Law Order”つまり「法と秩序」というタイトルらしく陪審員が評決を下す法廷場面まで継続。そこで暴力的で悪質な連続強姦なら懲役20年以上、ヘタすれば刑務所から一生出られないほどの厳罰が科されることが示唆されます。幼児性交なら一生にわたって記録が消えないほか、地域にも常に所在が告知されることに。強姦は魂の殺人といわれますが、有罪が確定すれば犯人の人生も一瞬で崩壊することになるわけですね。

 それに比べて、日本では輪姦でも執行猶予がつくほど刑罰は軽く、明らかな証拠があるのに政府高官への忖度から不起訴というケースすらあります。どうして彼我でこれほど違うのだろうと考えますよね。それでようやく、恥ずかしくも遅ればせながらボクが気づいたのは、同意を得ない性行為は人権侵害にほかならないということです。つまり、いかなる性犯罪もすべては人権を毀損する犯罪であり、だからこそ厳罰に処される。このあたりの認識や感覚がアメリカと日本ではまるで違うんですよね。

 そのせいか殺人と同じく時効がないらしく、20年も前のレイプが蒸し返されたりする。この「蒸し返す」というのも、やった方の感覚であって、された方は心に一生忘れられない深い傷を負います。そんなこともしっかりと分からせてくれる、大変に教育効果の高い番組なので、若い人並びに教育関係者に視聴をオススメする次第です。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

より以前の記事一覧