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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

映画・テレビ

2017年2月22日 (水)

映画『マトリックス』の思想(後)

 

 何となく違和感を持ちながらも普通に暮らしている毎日が、実はコンピュータが構築した仮想世界だった。そこに暮らしていると思い込んでいる人間の肉体はカプセルの中で眠り続けており、生体活動で発生した電力を仮想世界に供給する乾電池となっていた……。

 

 これが映画『マトリックス』の基本的な設定ですが、機械が支配するバーチャルワールドだけでなく、核戦争(かな?)によって荒廃した現実社会で人間はコロニーを作っていました。それが「ザイオン」と呼ばれる地下都市です。ユダヤ教における「シオン」の英語読みで、ダビデが征服した街であることから、いろいろ深読みする人もいるようです。けれども、ストーリー的には都市名にそれほどの意味はなく、単純に神々の街=リアルに生きる人間たちが住む場所、と理解したほうがいいのではないでしょうか。

 

 それよりも気にすべきなのは、この都市「ザイオン」が何度も滅びてきたという「アーキテクト」の説明です。それを裏付けるように、映画では地下都市の天井を破って超大型ドリルが何本も地面に突き刺さります。機械仕掛けのタコのような凶悪なセンチネルも集団で空中を飛び交い、街は瓦解する寸前まで追いつめられていきます。

 

 これまでのネオは救世主たり得ず、彼も「ザイオン」も生まれては滅亡を繰り返してきました。そこで想起するのが「ビッグ5」なのです。

 地球上の生物が短期間に大量に死んでいった5回の大絶滅をこう呼びます。ウィキペディアによれば、多細胞生物が登場してから、オルドビス紀末、デボン紀末、ベルム紀末、三畳紀末、白亜紀末に生物の大量絶滅がありました。地層に明確な境界線が残されていることで判明したようです。

 そして、大量絶滅という過酷な環境変化を生き延びた生物が、今度は地球の新しい主として繁栄するということを繰り返してきたわけですね。

 

 人類も実は同様で、白亜紀末に恐竜が絶滅したからこそ、哺乳類が今のように生態系の上位に躍り出ることができたのです。仮想世界を創り上げた機械は、そうした大量絶滅と同じ効果を「ザイオン」に担わせてきたと考えられます。

 

 このブログで以前に、生物はアクセルだけを備えており、ブレーキがないと指摘したことがあります。つまり、一方的に繁殖するだけで、それを制御する仕組みを体内に持っていないのです。ネズミのような姿のレミングは、増えすぎると崖から落ちて集団自殺とすると考えられてきましたが、これは誤解であることが明らかになっています。

 

 要するに、生物の爆発的な増殖を食い止めるブレーキは、外的要因しかないんですよね。恐竜はたまたま巨大隕石の衝突だったのですが、そうした環境の劇的変化によって、これまでに通算5回の大絶滅があったということです。

 そして人類ですが、1950年に地球人口は25億人を突破。50年後の2000年には約61億人と2倍以上に急増。現在では約74億人に達したと推定されています。70年足らずで約3倍ですぜ。しかも貴重な資源を使い放題で、環境や空気も汚しまくりですから、ボクが地球ならこのへんで人類を絶滅させたろかいなと本気で思いますよね。

 

 「ザイオン」の設定は、そんな自然界の仕組みをメタファーしているのではないでしょうか。映画『スター・ウォーズ』が長きにわたるサーガ(叙事詩)なら、『マトリックス』は予言的な黙示録といえなくもありません。もちろん映画なので最後に人類は救われますが、果たして現実がその通りになるかどうか。

 もうちょっと本気で環境汚染と人口爆発を危惧すべきだとボクは思うんですけどね。さもなきゃ、いずれ「ビッグ6」を数えることになるんじゃないかな。

 

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2017年2月21日 (火)

映画『マトリックス』の思想(前)

 

 謙遜でも卑下でも自虐でもなく、たまに自分自身をなんて頭の悪い奴なんだろうと思う時があります。正しく言い直せば、「ものわかりが遅い」のです。すぐに理解できるはずのことが、腑に落ちて納得できるまでに、ものすごく時間がかかったりします。ああそういうことかと頭の中でランプが灯っても、今頃かよと我ながら呆れることもしばしばあるわけですね。

 

 そのかわりといっては何ですが、記憶力は決して悪くないようです。今はかなり衰えましたが、若い頃は何でも映像として覚えており、教科書なんかも左ページの右下に誰それの肖像画があったということまで指摘できました。

 

 でね、上記2点を融合すると、「あれ?」と感じた疑問に適切な答をすぐに見つけられないために、その疑問をなかなか忘れられないということになるわけです。疑問を忘れたら答も見つかるはずがないので、決して悪くはない思考習慣ではありますが、常にいろいろひきずっているような感覚で、気分が晴れるということが必然的に少なくなります。もしもボクが不機嫌そうに見えたら、そういう事情なんだと察してください。

 

 このように長らく持ち続けてきた疑問の一つが、1999年から公開された映画『マトリックス』です。映像革命と呼ばれるほどの斬新な表現に加えて、キアヌ・リーブスやローレンス・フィッシュバーンらのコスチュームが素晴らしくスタイリッシュで世界的な大人気となりました。『スター・ウォーズ』のSFXにも驚きましたが、『マトリックス』はそれを超えるほど都会的でカッコ良かったのです。サングラスも話題になりましたよね。

 

 2003年公開の『マトリックス リボリューションズ』を完結編とする3部作であり、DVDなどで何度も視聴しましたが、なぜ機械=コンピュータはネオを生み出したのかということがよく分かりませんでした。あれほど完璧な仮想空間を創り出せる機械が、何でまたネオを救世主として覚醒させたのでしょうか。そんなバーチャルワールドから抜け出した人間たちが現実世界で作った社会=ザイオンを、どうして機械は執拗に破壊しようとするのか。

 

 犠牲を払いながらもバーチャルワールドの深奥に隠された「ソース」にたどり着いたネオと「アーキテクト」との哲学的かつ情報論的な対話によって、何となくヒントは出されているように感じましたが、ボクなりに説明できるほど理解できませんでした。それがやっと分かったように思ったのは数年前です。

 

 ごくごく簡単に言うなら、あれはヘーゲルの弁証法なんですよね。つまり「正・反・合」ってことです。プログラムされたバーチャルワールドは、それだけでは完璧ではないと機械は考えました。なぜなら一つの理念、概念、手法=アルゴリズムで自動生成されていくからです。これを是正するためには、それを否定する理念、概念、手法を対峙させなければならない。

 つまり、エージェント・スミスが監視・管理するバーチャルワールドを「正」とするなら、これに「反」を対抗させることで、「合」という弁証法的な発展=アウフヘーベン=最適化に向かうことができる。そのためにこそ、ネオを生み出す必要があったのです。

 

 映画の中でも「アーキテクト」は、「何度もネオが誕生してザイオンとともに滅びる歴史が繰り返されてきた」と語ります。ネオの本質は、「マトリックス」を適切に永続させていくための触媒=仕掛けだったと言い換えてもいいでしょう。ところが、ネオは予め設定された「反」以上の強力な意志とスーパーパワーを持ってしまった。同時に機械を代表するエージェント・スミスもバーチャルワールドを脅かすほど怪物化。そんな「正」と「反」の存在をかけた死闘が完結編で描かれているとボクは理解しました。では、その結果としての「合」とはいったい何なのか。

 

 エージェント・スミスとネオという相対立する両者が消滅したことでもたらされた、「調和」=「平和」なんですよね。それが劣化・老化したり、オーバーホールや発展が必要になれば、再びネオは救世主として登場する。そんな物語だったとようやく分かるボクって、やっぱバカというほかないじゃないですか。

 

 それだけでなく、ザイオンの運命にもしっかりした根拠が隠されているのですが、これは明日続けることにします。

 

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2017年2月20日 (月)

解釈合戦

 

 メグ・ライアン演じる女性外科医は、患者を死なせてしまい自責の念に苛まれていました。その悩みを打ち明けるつもりで同僚の女性小児科医のところに行くのですが、彼女は病気の赤ん坊を診ている最中でした。「どうにも原因が分からないのよ」という彼女に、「じゃ私が」とメグ・ライアンが言いながら首からさげた聴診器を赤ん坊にあてようとします。

 

 ザッピングしたWOWOWでたまたま放映されていた映画『シティ・オブ・エンジェル』(1998年公開)の一場面ですが、この時なんですよね、ボクが感心したのは。

 

 彼女は自分の近況を話しながら、聴診器の先にある集音部(チェストピースと呼ぶようです)をしばらく握った後で、赤ん坊の胸にあてたのです。しかも他愛ない世間話をしながら、何気なく実に自然にその仕種を加えていました。

 このように説明すれば、先端の冷たさを赤ん坊の肌に感じさせないよう予め暖めたと理解できますが、仮にそうしなくとも、医師でない限りは気づけない仕種です。映画はそもそもフィクションなので、これをスルーした演技でも、ことさらに言い立てる人もいないでしょう。にもかかわらず、さすがはハリウッド映画というべきか、こうしたディテールをきちんと押さえていることに感心させられました。

 

 ただし、映画自体は大昔に見ましたが、死を告げる天使が人間の女性に惚れるという無宗教の人間にはおよそ荒唐無稽なストーリー。退屈したことがあるので、すぐにチャンネルを替えました。

 

 それにひきかえ、といえば話が遠すぎて比較できるはずもありませんが、日曜日朝のテレビは金正男事件で賑やかでしたよね。監視カメラに一部始終がきっちり記録されているような殺人を「暗殺」と呼べるのか大いに疑問ですが、例によってコメンテイターが集まってああだこうだと分析する「解釈合戦」に視聴者はあくびが出ないのかなぁ。独自の調査や証言もなく、ボクでも知っている程度の事実だけをもとにして、推測や憶測や予測のし放題。トランプ大統領についても同様ですが、もう分析や解釈の段階ではないだろうと思うんですけどね。

 

 たとえばトランプによる傲慢な大統領令をテーマにするなら、その意図や目的をどんなに深読みしても仕方ないじゃないですか。ご本人だって人気取り以上のことは何も考えていないかもしれません。ボクたちが知りたいのは、そんなアメリカに対して、日本はどう対応していくべきかってことだと思うのです。2003年に勃発したイラク戦争時のように、脊髄反射のごとく無条件に賛同するのも問題を感じますけどね。

 

 今回の「暗殺事件」にしても、それによって利益を得る人間が第一容疑者となるのは捜査の常識です。加えて複数者がかかわる組織的な犯行であることは明らかになっていますから、そんなことを国外で公然とやってもいいのかなぁ。ISILによる他国での爆殺事件をテロというなら、これはまさしくテロであって、国際紛争の一種といえないのでしょうか。そんなにも分析・解釈・推測・憶測がしたいのであれば、マレーシアでの他人事ではなく、日本の国家としての対応まで論及すべきでしょう。こちらの拉致事件も含めて、ね。

 

 何度も「情報が錯綜している」とテレビでは言っていますが、重大事件ほど情報は錯綜するものであって、それを適切に腑分けするのが「情報通」とされるコメンテイターではないのかなぁ。

 

 とにかく、もう分析や解釈ばっかりの井戸端会議には飽き飽きしているというのが、スポーツや芸能も含めた近頃の報道番組に対するボクの感想なのです。だから冒頭のようにWOWOWにザッピングしたりするわけでね。

 このようにダルくて当事者意識の希薄な雰囲気がトランプを大統領にした温床だとすれば、日本もいずれ似たようなことになるのかな。

 

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2017年2月13日 (月)

『ロシアン・スナイパー』

 

 随分前に金属を被せた奥歯が金曜日の夕方頃から突然にうずくようになり、土曜日に我慢したおかげで大変なことになってしまいました。そもそもの原因は右上で連結したブリッジらしく、その仮歯との噛み合わせが高くてうずうずしており、これを金曜日に調整したのですが、どうやら時すでに遅かったようです。歯根から膿が出ているらしく、それが歯茎全体を圧迫している感じなんですよね。

 

 金曜日の時点では、以前に抜歯した時に貰った鎮痛剤のロキソニンが絶大な効き目を発揮。痛みが取れたので土曜日もそれでやりすごそうとしたら、これが大失敗なのであります。ロキソニンの効き目がどんどん短くなって、規定の6時間おきでは間に合わず、4時間おきに服用しても、痛みが取れません。「こりゃダメだ」と諦めて日曜朝に歯科医院に行ったら、何と主治医がお休みというから運がありません。

 

 歯根の奥で暴れ回っている菌を殺す抗生剤とロキソニンも補充して貰いましたが、夕方にはとうとう右下のアゴが腫れ始めるという最悪の事態に突入。時計を見ながらロキソニンを飲みつつ、短い眠りの後に痛みを感じては目が覚めるということを繰り返していました。

 

 さて、お待たせました。そんな夜中にCS放送の映画専門チャンネル「ムービープラス」でうつらうつらしながら視聴したのが『ロシアン・スナイパー』なのです。第2次世界大戦で309人ものドイツ兵を射殺した実在の女性狙撃手、リュドミラ・パヴリチェンコを描いた映画で、戦闘場面はなかなかの迫力。腕が飛び、脚がもがれるような残酷な殺し合いに比べれば、ボクの歯根における抗生剤と菌の戦いなんてたいしたことじゃないよな、と奇妙な比較をしながら自分を宥めていたわけです。

 

 2015年に公開されたロシアとウクライナの合作映画ですが、このタイトルはいかにもあざとい。その前年にクリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』が公開されていたので、それにあやかった二番煎じもいいところじゃないですか。調べてみると、原題は『セヴァストポリの戦い』。配給会社はちょっと恥を知るべきです。製作者に失礼ですよ、こんなB級タイトル。

 

 この原題が示すように、1941年9月から翌年7月まで続いたロシア国境のセヴァストポリをめぐるドイツ軍との攻防戦を中心に、伝説的な女性狙撃手の活躍と苦悩、そして恋なども描かれています。彼女は1943年に当時のソビエト連邦では最上級にあたる「ソ連邦英雄賞」を授与されており、当時は同盟国だったアメリカにも派遣されました。

 

 というわけで、切手にもなったほどの国民的英雄なのですが、映画の出来としては今ひとつ感が否めません。こうした実在の伝記映画にはありがちなのですが、エピソードを外さないようにするあまりに、何が描きたいのかという創作の核心部分が甘いんですよね。ロン・ハワード監督の映画にもそうした傾向はありますが。

 

 20代前半の女性が、なぜ銃を取って戦場に行ったのか。そこで何を感じて、どうしたのか。それに伴う葛藤などを描くことで、今の人たちにいったい何を伝えたいのかというコンセプトがいささか薄味なのです。イケイケドンドンのプロパガンダになっていないことは評価できますが、そのかわりに対峙させるべきテーマの設定が難しかったのでしょうか。ロシアになっても、先代のソビエト連邦のご威光には逆らえないのかな。

 

 いずれにしても、もはや歯から右下のアゴ全体にまで広がった痛みと腫れから気を紛らわす方便にはなったようで、夜中に起きてからいつものTBS系ニュースワイド『朝チャン』に至っております。9時になったら歯科医院に行く予定。腫れた下顎は切開することになるでしょうけど、この映画のような戦闘による負傷よりはマシだと思うほかないですよね。どこに行ってしまったのでしょうか、ボクのナイチンゲールは。。。。

 

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2017年1月10日 (火)

たまらんなぁ

 

 わかった風なインテリづらというのかなぁ、久々に気色悪い思いをさせていただきました。

 

 他人の悪口は決して言わないように心がけているつもりですが、たまたまTBS系『サンデーモーニング』を見ちゃったのです。某司会者が「さて、いかがですかねぇ?」と困り顔でコメンテイターにテーマを振ると、皆さんが眉をひそめながら憂慮しちゃったりして。それを聞いて「そうですよねぇ」と、今度はしたり顔で同感する司会者。そりゃまあ専門家や賢い人たちが揃っているので、情報や知識はボクなんかよりはるかに豊富です。街頭の意見も巧みに取り入れたりして、世間は実に心配なことになっているかのように仕立てられています。

 

 だったらさぁ、批判や分析や評論ばっかりでなくて、どうしたらいいかという具体的な提案を示せよ。さもなきゃ総理をウダウダ批判しているばっかりの野党とまったく変わりないじゃないですか。そうしたインテリやエスタブリッシュメント出身の政治家が、雇用不安や著しい所得格差に何も手をつけようとしてないからこそ、アメリカはトランプを大統領に選んだのではないでしょうか。

 

 彼は無知で乱暴で過激で、仮に間違っているにしても、国内雇用を増やす具体的な施策をぶち上げています。あくまでも憶測ですが、旧来の政治体制を代表するヒラリーが「メキシコに自動車工場を作るな」なんて、いわゆるプアホワイトが喝采するようなことを言えたとは到底思えません。「トランプが大統領になったら世も末」みたいに言ってきた知識人の皆さんは、すっかり忘れたふりをするのでなく、そのあたりをきっちりと批評するべきではないでしょうか。

 

 ボクは現総理を支持する者では決してありませんが、仮にもアベノミクスをアホノミクスと揶揄するのであれば、それに代わる効果的で現実的な経済・財政に関する政策を提案するのが筋だと思うのです。

 

 そんなテレビの影響を受けたせいか、昨今の巷にはインテリぶったアナリストや評論家ばっかり。都知事も自分が主宰する何とか塾の参加者を募集するときに「評論家はいりません!」と言いましたよね。そりゃそうです、床屋政談や井戸端会議で社会が変わるはずがない。

 

 だったら日本にもトランプが必要じゃないかとすら本気でボクは思います。そうしたアンチヒーロー待望論が生まれかねないからこそ、「たまらんなぁ」と新年早々に呆れ果て、軽く絶望してしまったのです。

 

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2016年11月28日 (月)

オリヴィア・ウィリアムズ

 

 日本のテレビや映画では、大人顔の美人が登場する余地が乏しいのかなぁと以前から思っていました。朝のニュースショーなんか20代前半の女性ばっかり山盛り状態ですもんね。TBS系『あさチャン』の夏目三久なんか相対的に年増の大ベテランに見えますが、調べてみたらまだ32歳ですぜ。

 

 日本のテレビはあまりにもつまらないので、CSやBSで外国の映画やドラマばかり見てきましたが、アメリカやイギリスでは20代はほとんど駆け出し同然で、30代になってようやく一人前という感じなんですよね。オリビア・ニュートン・ジョンのように30歳で高校生役はどうかと思いますが(1978年公開の映画『グリース』)、テレビドラマ『スーパーガール』に主演したメリッサ・ブノワだって『gree/グリー』で高校生を演じた時は24歳になっていました。

 

 そんなわけで、映画界は実年齢を気にしないというより、企業の採用面接などで年齢や人種、宗教などを問わないというのが欧米のスタンダードらしいのです。「んで、キミいくつ? 26歳! そりゃアウトだよ」なんてことを絶対に言ってはいけない。

 それに敢えて反旗を翻したことで、偏見を声高に語りたいのを我慢していた人たちが喝采したのがトランプってことになるんですけどね。政治信条はともかく、人権意識の逆戻りだけは勘弁して欲しいなぁ。回り回って自分自身のクビをも絞めかねないってことに、どうして気づかないのでしょうか。心の底でアメリカ人は嫌いだと思っている人は世界に結構多いんですよね。

 

 いささか遠回りしましたが、歳月を経たら誰だって失う若さを、日本ほど重視する国は珍しいんじゃないかな。あるいは発展途上国の特性かもしれません。だってさ、農作業などの肉体労働は若い人ほど得意ではありませんか。あるいは「旬」の影響かも。ボクは貧乏性のせいか、古米の冷や飯でも文句なんかありませんが、グルメ業界では「旬」をやたらに強調しますよね。その発想が女性にも適用されているとすれば、これほど失礼な人権蹂躙もないでしょう。そう思うのは個人の自由でも、公言はさせない。それが文化の程度というものではありませんか。

 

 わぁお、どんどん本題から離れていきますが、オリヴィア・ウィリアムズです。ちょいと垂れ気味ですが切れ長の大きな眼が特徴的な、ものすごく知的な雰囲気の美人女優です。1968年ロンドン生まれなので、今年で48歳。いわゆるアラフォーを通り越して、アラフィフの熟女ってことになります。日本で近いと思われるのは白川由美かな。実物がどうなのかはさておき、物事を熟慮できる知性と、それに必然的に伴うべき優しさを感じさせるのです。頭がいいってことは、他人のことも想像=思いやることができるはずですからね。

 

 彼女に出会ったのは、スーパー!ドラマTV『ケース・センシティブ 静かなる殺人』でした。しかし、このタイトル、ひどいなぁ。まるで視聴する気になりません。ただ、いつも見ているCSチャンネルが軒並みネタ切れの時期らしく、『CSI』やら『NCIS』なんていうアメリカでヒットしたドラマばかりを連続放映していたので、ザッピングしていたらひっかかったのです。

 

 このためほんの一部しか見ていませんが、確かにタイトル通りで、実に地味なドラマでした。イギリスの製作らしく、いかにもなセピアっぽい画面で、アメリカのような派手なアクションもありません。そのかわりに犯人の心理を追うのがテーマのようですが、あまり面白いとは思えなかった。けれども、彼女が女性刑事として主演していたのです。

 ボクが初めて彼女に注目したのは、やはりCSで放映されたテレビドラマ『ドールハウス』でした。エリザ・ドゥシェク(『トゥルー・コーリング』でも主演)という若い女優が主役で、彼女は置屋の女主人みたいな役です。どちらかといえば悪役に近いのに、まるでそうは見えない女優だったので、ミスキャストもいいところじゃないかと。けれども、日本ではちょっとお目にかかれない美熟女だなぁと感心したわけです。

 

 日本での放映とオリジナルではズレがあるので、アメリカでの放映時期を紹介しておくと、『ドールハウス』が2009年~10年、『ケース・センシティブ』が11年~12年。いずれもオリヴィア・ウィリアムズが40代になってからの作品です。そうなると、若い頃はどうだったんだろうと思いませんか?

 

 それでネットを調べてみると、あくまでもボクの個人的な意見ですが、大したことないんだよなぁ。もちろん綺麗なことは綺麗ですけど、今のような深い滋味、最近は食の記事も書いているのでこんな表現になってしまいましたが、円熟した落ち着きはありません。

 結婚しているかどうかは確認できませんでしたが、少なくとも顔や表情を見る限りでは、上手な歳の取り方をしているんじゃないかな、と。

 

 ボクにとっての美人女優は大昔からダントツでイングリッド・バーグマンですが、その第2位くらいに躍り出てきた感じです。バーグマンには『カサブランカ』を始めとする代表作がありますが、これから彼女に似合う主演ドラマを探すのは難しいでしょうね。そのあたりで年齢のデメリットはやはり否定できないのですが、それにしても「いい女」なのです。日本でファンが急増するとはとても思えませんが。

 

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2016年10月 7日 (金)

ハチ公

 

 人間だって銅像になる人は滅多にいないのに、銅像にされた犬が「ハチ公」です。歴史的には「忠犬ハチ公」という名称で親しまれてきたようですが、ボクは「忠犬」という言葉にいささかの抵抗を感じるので、「ハチ公」と呼ぶことにします。

 

 渋谷駅のランドマークであるハチ公の銅像は、戦時中の金属不足で政府に接収されたと聞いていましたが、ウィキペディアによれば敗戦前日に溶解されて機関車の部品になったそうです。物資が足りない戦争中に銅製の像が堂々と鎮座しているのは体裁が悪いという理由から、それまでどこかに隠されていたみたいですね。1944年10月に接収された時には国旗のタスキがかけられらしいので、死んで顕彰された犬までプロパガンダに利用していたのかと悲しくなります。当時は軍事政権でしたからね。

 

 敗戦後の1948年に再建されましたが、かのヘレン・ケラーも直後に銅像に触れたということから、ハチ公は世界的に有名な存在だったようです。2009年にはリチャード・ギアが映画『HACHI約束の犬』を製作・主演しています。

 

 もっとも、リチャード・ギアが映画の中で「ハッチー」と呼びかけるのはちょっと違和感がありました。というのも「ハチ」の名前は、飼い主だった大学教授が、幼犬の時に踏ん張った2本の前脚が「八」という漢字に似ていることから命名したとされています。だったら「エイト」と呼べよってことでもないのですが、リチャード・ギアが演じた主人公は相当の日本通でなきゃおかしい。「8」をラッキーナンバーとする欧米人もいますけど、「ハチ」とは言わないもんなぁ。

 

 この名前の由来は1987年に公開された日本映画『ハチ公物語』で紹介されていますが、かなりの部分が実話に基づいているそうです。リチャード・ギアは脚本を読んで大泣きし、ハリウッド版としてリメイクしたのが前述の『HACHI約束の犬』というわけです。けれども、舞台がアメリカ東海岸だけに、ボクにはちょっとイタい映画に感じられました。

 

 さて本題です、って、どうも近頃は前置きが長くなってすいません。

 

 ハチ公は、飼い主が亡くなっても、約9年にわたって渋谷駅で待ち続けたことがエピソードのコアになっています。ところが、これには異論があって、駅前の屋台の焼き鳥が目当てだったという解釈があります。それが「忠犬」=忠義という軍事宣伝に利用されて全国に広まったとしており、説得力はそこそこにあるのですが、ボクが犬の福助を飼ってからの印象は違います。

 

 福助は、ボクが事務所に帰ってきてドアを開けると、いつも玄関口で待っていました。そこはエサをあげる場所ではありません。さすがに老犬になった近年は横たわったままということが多くなり、首を曲げて「おかえり」という感じで振り向く程度ですが、主人を「待つ」習慣というのは決して嘘偽りではないだろうと思うのです。

 

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉がありますが、戦争に負けてからは反軍国主義のあまりに、事実を思想的に曲解するケースも多々あったのではないかと。ボク自身はニュートラルなリベラルでありたいと思っていますが、そんな立ち位置から見れば、ハチ公は死んでから右にも左にも都合良く利用されてきたことになります。そのこと自体をボクたちは知るべきではないかと考えて、敢えて紹介することにしました。

 

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2016年9月 7日 (水)

『海街diary』(続)

 

 WOWOWで再放送があり、映画『海街diary』をすべて見ることができました。先週8月31日のブログで説明したように、たまたま所用があって途中で視聴を断念したので、「今度こそ」という感じで向き合ったのですが、ボクが気に入った映画やドラマほど見続けるのが苦しくなってくるんですよね。

 

 感情移入が過ぎるせいか、あまりにもハラハラドキドキするので、どうにも見ていられなくなるのです。俳優が演じる架空のドラマという距離感が圧倒的に短縮されて、まるで自分の家族や親戚、知人友人とか恋人の話、いやボク自身のことのように身近に感じてしまう。

 

 この『海街diary』でも、綾瀬はるかを長女とする4姉妹が現実にはあり得ないほど美人揃いで、しかも皆さん心優しい性格に描かれています。ボクは一人っ子で育ったので、こういう姉妹がいたらなぁと羨ましく思った途端に他人事ではなくなってしまい、なるべく大変な事件や不幸が襲わないようにと願うようになりました。

 

 それではドラマなんて成立しませんから、穏やかな生活をかき回すようなイヤな事件やアクシデントが必ず用意されています。そっちのほうがむしろ現実的ともいえますよね。そんなことは元小説家志望のボクには分かりきった展開なので、いよいよ「このあたりで何か起きるぞ」なんて身構えることもしばしばです。だから、気に入った配役や設定のドラマで危機的な状況が近づくと、逃げるように他のチャンネルにザッピングしたり、敢えてトイレに行ったりするわけですな。

 自分ながらアホかと思うけど、これは理屈じゃないから仕方ありません。つまらんドラマや低レベルの映画ではこんなことは絶対に起きないですけどね。

 

 幸いにも、この『海街diary』では大きなアクシデントは去来しませんでした。感情の行き違いによる兄妹喧嘩や親子喧嘩すら簡単に終熄してしまう。憎むべき悪人もまったく出てきません。「やさしいけどダメな奴」とけなされていた亡き父親すら、最後は可愛い異母妹を残したことで赦免されます。

 だからボクは逃げることなく見続けることができました。「ドラマになっていない」と批判する人もいるようですが、この映画はそもそもそういう映画なんですよね。Diary=日記というタイトル通りに、4人姉妹の日常や小さな葛藤と、鎌倉という街の風景、そして海が醸し出す空気感を楽しむ映画ではないでしょうか。

 

 そんな映画の中でも、とりわけ感心したのが長女役の綾瀬はるかです。こんなにも上質な演技ができる女優さんとは知りませんでした。セリフのない所作や眼の動きだけでも、年下の妹たちを気遣っていることが分かるんですよね。

 しかも、正座姿が抜群に美しいのです。この映画は座卓による食事のシーンがやたらに多いのも特徴ですが、長身にもかかわらず、きちんと脚を折りたたみ、背中がすっきりと直立しています。医者というよりチンピラにしか見えない恋人役の堤真一のマンションでも、きちんと正座して食事するんですよね。それに比べて、彼の背中は丸く崩れて格好悪いことおびただしい。

 

 おそらく演出的には、彼女の毅然とした性格を正座の姿勢で表現しているのだと思います。それにしても、現代の生活では正座なんて足が痺れる難行苦行であり、背中を真っ直ぐに保持するのも楽なことではありません。でも、だからこそエレガントに見えるのです。

 

 美しいというのは、心のありようがもたらす結果であり、その精神性をエレガントと呼ぶのではないでしょうか。

 

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2016年8月31日 (水)

『海街diary』

 

 何だか世の中全体に押しつけがましくなってきたような気がします。これって年齢のせいかなぁ。

 

 差し支えのないところを指摘すれば、芸のないテレビCMが増えてきました。CMは広告ですから商品やサービスの購買に直結しなきゃ意味がないことはよく分かるんだけど、客をナメとんのかレベルのアピールばっかしというのが多いんですよね。

 

 中でもCS放送で目立つのが、素人さんが体験談を語るヤツです。見ているこちらの心がイタくなるほど皆さん一生懸命に「効いた」とか「スーッとですよ」とかね。出演料がいくらか知りませんけど、それってホントかよと。そんな時に必ずテレビ画面の片隅に出てくるのが、「個人の感想です」という注釈なのです。

 それで許されるなら、特効薬もどきを開発して「個人の感想」を連発させれば大儲けは簡単じゃないか。「ガンが治った、ような気がする」と言わせりゃいい。治療の実績ではなく、あくまで個人の感想だもんね。

 

 かつて日本のCMは直接的な商品訴求が少ないので「ソフィスティケイト」されていると世界で評価されていた時期がありました。ところが今ではとにかく中身より外面が最重要。恥知らずでもいいからどしどし強調していかなきゃソンというような風潮を感じます。もっと謙虚に、知的に、穏やかに、早い話が静かにしてくれないものでしょうか。

 

 そんな時に、たまたまWOWOWで2014年公開の映画『海街diary』を見てしまいました。外出する用事があったので、まことに残念ながら全部は見ていません。むしろほんの一部といっていいのですが、演技の上手さに仰天しました。綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずの4人が姉妹役で絡んでいるのですが、実に自然にセリフが流れて、彼女たちの感情がそれこそスーッと心の中にしみわたってくるのです。

 

 綾瀬はるかも長澤まさみも説明不要の人気女優ですが、こんなにも優れた演技力を持っているとは不覚にも知りませんでした。夏帆という女優さんはボクには未知でしたが、モデル出身にもかかわらず、食事しながらの会話が際立って自然なんですよね。口の中で食べ物を咀嚼しながらも、絶妙なタイミングで会話に応答しているので感心しました。これは素人にはまったく無理な、まさに「技」としか言いようがありません。

 

 文章はシリアルな表現手法ですから、複数の人の会話の重なりを表現するのは基本的に不可能なのですが、現実には普通にありますよね。話の途中で相手が言葉をかぶせるように自分の意見を言い、それを受けてちょっと考えたタイミングで「でもね」と反論する内容を、一拍置いて相手も頷きながら、結局は「そうそう」とお互いに共感するといった感じかな。

 これを彼女たちは、映画の中で本当の日常生活のように感じられる演技ができるのです。

 

 広瀬すずも生硬で未熟な若さをうまく体現しており、キャスティングも卓越したセンスではないでしょうか。

 

 この映画は3人の姉妹と腹違いの末妹との共同生活がテーマです。家族を捨てた父への微妙な想いと、一緒に住むようになった4人姉妹をめぐる変化が描かれているので、やたらに怒鳴ったり頭をかきむしるようなド派手で圧迫的な感情表現はむしろNG。こうした過剰なアピールが上手な演技だと思い込んでいる有名男優もいるんですけどね。

 

 デリケートな内容なので、繊細な表現力が必要なドラマですけど、彼女たちの演技には「引っかかり」をまるで感じませんでした。これって実は大変なことだろうとボクは思います。最後まで見られなかったのが残念なので、今度の週末にDVDでも借りようかな。

 でもねぇ、ボクはこうした家族ものは昔から大の苦手なんですよね。

 

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2016年6月 8日 (水)

『壬生義士伝』

 

 守銭奴、出稼ぎ浪人などと仲間から徹底的に馬鹿にされながらも、恥を忍んで貯めた小銭を故郷の家族に仕送りし続けた武士がいます。貧困のために心ならずも盛岡藩を脱藩。新撰組に加わった吉村貫一郎です。

 

 浅田次郎が週刊文春に連載した小説『壬生義士伝』で描いた主人公であり、2000年に単行本化されて第13回柴田錬三郎賞を受賞。02年に放送されたテレビドラマ『壬生義士伝〜新撰組で一番強かった男〜』も今をときめく渡辺謙が主演して橋田賞などに輝き、03年には中井貴一で映画化されて第27回日本アカデミー賞を獲得しています。

 

 原作者の浅田次郎は絶妙のストーリーテラーで、文章も大変にこなれた作家ですが、この『壬生義士伝』はとりわけ設定が巧みで、男なら涙する場面が沢山あります。何よりも、妻子を養うために江戸に出て新撰組に参加するあたりが、出稼ぎや単身赴任で故郷を離れざるを得なかったお父さんの心境とぴたりと重なり、身につまされるではありませんか。

 

 しかも、再就職した先は滅びゆく幕府を奉る将来性のない新撰組ですからね。そんな中で、ケチと揶揄されても決してめげることなく、武士の体面なんぞは一切気にしないで、酒も飲まずに倹約した小銭を妻子のために送金するなんて、まさに男の鏡というほかありません。だからといって落日の近い新撰組から逃げ出すことなく踏みとどまって官軍と戦い、最後は故郷を守るために殉じるなんて、誰にもできることではありません。他者のために滅私することで自分を貫いた、現代では絶滅寸前の危惧種だからこそ、浅田次郎は小説の主人公として設定。テレビドラマや映画も賞を獲得したんでしょうね。

 

 同じケチ、セコさでも、都知事はどうなんでしょうか。作家出身の元都知事は「彼は離婚を繰り返したからカネが必要なんだよ」と笑っていましたが、公用車を私事で使い回したり、週末は湯河原の別荘通いですよ。シルクの中国服に至っては噴飯物で、そんなアホな買い物に税金を使うくらいなら、別れた妻子にカネを送ってやれよ、と吉村貫一郎は激怒するでしょう。

 

 東大出の元教授という金看板があっても、東北の貧乏侍にも見下されるような吝嗇で狭量としたら、学校ではいったい何を教えられてきたのでしょうか。恩師とされる人たちはもっと恥じ入るべきではないかなぁ。

 

 つまらない話題はこれから始まる1日を不快にするのでもうやめます。ちなみに、吉村貫一郎の役はやはり中井貴一がよく似合っていたと思います。渡辺謙も悪くはないのですが、顔に迫力があり過ぎです。あくまでボク個人の印象ですが、世界的な評価とは裏腹に、表情にいささかバラエティが乏しいような気がします。

 

 それに比べて、中井貴一は地方の役所に勤める実直な助役というイメージが強く、この役には最適です。そんな小役人風な男が、いざ剣を抜けば怖ろしいほど強いところが意表を突いて面白いわけですよ。

 

 浅田次郎の大傑作であるだけでなく、教科書に粗筋だけでも載せるべきじゃないかな。都議会で「セコい、セコ過ぎます」と金切り声で糾弾されるような都知事なんて、もう二度とお目にかかりたくないですからね。

 

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