笠木恵司の主な著書

  • キャリア・チャレンジ2009-2010
  • 資格試験合格後の本
  • 学費免除・奨学金で行く大学・大学院進学・休学・留学ガイド
  • 価値ある資格厳選200
  • インターネットでMBA・修士号を取る
  • 腕時計雑学ノート
  • 「国際標準」ビジネス資格完全ガイドブック
  • 日本で学べるアメリカ大学遠隔学習プログラム
  • テレビ局完全就職マニュアル
  • 資格の達人
  • MBA入学ガイドブック
  • 学んで! 遊んで! 役に立つ! インターネットキャンパス
  • 日本で学べるアメリカ大学通信教育ガイド

お気に召したら、ポチっと↓

  • 笠木恵司のブログ

福助くん その6

  • D_p1000397_s
    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

  • 5djustice3f5d5575e032a1
    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

映画・テレビ

2017年10月 5日 (木)

傲慢

 

 高度情報化時代(もう古いか)の賜なのか、それとも宿痾と言うべきか、人気者や権力者の傲慢や驕りがたちまち逆襲されるようになってきました。

 

 典型的なのは小池さんと希望の党ですが、かつて高視聴率でブイブイ言わせてきたフジテレビも負けず劣らずなんですよね。ボクはとっくに地上波を見限ったので視聴していませんが、とんねるずの石橋貴明が性懲りもなく昔のゲイキャラクターを復活させて猛烈な批判を浴びたようです。社長は即刻謝罪しましたが、それがあまりにも迅速だったので、思慮の気配がまるで感じられないという声もあります。

 文化の最先端にいるはずのテレビ局にもかかわらず、性的少数者の権利を擁護する時代や社会の空気感がまるで読めていないのですから、視聴率が低迷するのも当然といっていいでしょう。

 

 もともとフジテレビは「面白くなきゃテレビじゃない」とか何とかをキャッチフレーズに、お笑いやバラエティで視聴率を稼いできました。けれども、その内容は弱い者いじめの色彩が強く、とんねるずがそれに拍車をかけたといっていいんじゃないかな。批判を浴びたゲイキャラクターも、LGBTに対する人権無視の嘲笑にほかなりません。それでも1980年代あたりまではデフォルメされた化粧や仕種などで笑いを取れたでしょうが、開局記念だか何だか知りませんが、よくもまぁ現代にそんなあくどい芸を再現できたとものだと呆れてしまいます。密室で、限られた人数の上級職たちが、限られた感性に基づいて番組制作を管理しているんじゃないかなぁ。それとも同局ではイエスマンしか上層部になれないのでしょうか。

 

 ボクは他者を笑いのめすことをアタマから否定するわけではありません。問題なのは、その対象が圧倒的に無力な弱者や少数派であるってことです。どうせならテレビ局の幹部とか総理大臣や政治家などの大物や権力者を命がけで笑いの対象にしろよ。これはちっとも無理なことではなく、アメリカでは大昔からの伝統であり、現代でもトランプ大統領を笑いのめす芸能人やコメディアンは少なくありません。それが自由な社会ってものでしょう。あるいは、かつてビートたけしが言った「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といった横並びなら悪徳も辞さない庶民の怯懦とウソくささを暴くとかね。とにかく自分より弱い奴を笑うなんていうのは、無抵抗が予測されるからこそできる姑息で安直なやり方なのです。

 

 一方の小池さんも希望の党の公認問題で、民進党全員を受け入れる気は「さらさらない」という無情な発言で一気に支持率を下げてしまった感があります。彼女の唯我独尊的な体質が、その一言で衣の下の鎧をチラリと垣間見せてしまったといえるんじゃないかな。いずれにしても、希望の党や都民ファーストの会でも離脱者が出ており、それまでの追い風がいささか弱くなってきたことは確かです。

 

 どうやら政界もテレビ局も、ネット時代の本質がまだしっかりと身にしみていないんじゃないかな。つまり結局畢竟要するに、普通の人をなめんなよ、ってことです。昔も今も同じ人類ですからそんなに変わるはずもありませんが、誰でも意見を発信できるSNSなどのメディアを得たことと、情報伝播の速度が自転車からロケット並みに進化したことが最大の違いでしょう。これは両刃の剣でもありまして、実は相当に怖いことなのですが、それについてはまた別の機会にでも。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2017年9月12日 (火)

『ゴースト・イン・ザ・シェル』

 

 スカーレット・ヨハンソン演じる草薙素子中佐が高層ビルからダイブする予告編を見て、これはもうぜひ見なきゃいけないと前々から考えていました。今年公開の映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』です。それが早々とDVDになったので、さっそくレンタルしました。

 知る人はボクよりはるかに熟知しており、知らない人には何が何だかというSF映画なので、ちょっと説明しておくと、原作は士郎正宗の漫画『攻殻機動隊』です。1995年に押井守監督で同名の劇場用アニメーション映画となり、2002年にはテレビアニメにもなっています。これらの作品にウォシャウスキー兄弟(今は姉妹)がインスパイヤされて映画『マトリックス』が生まれたといえば、その革新性が理解できるはずです。

 

 舞台となっているのは近未来の電脳社会。ハイテクを駆使した凶悪犯罪を超法規的な戦闘能力によって取り締まる公安9課の活躍が描かれているのですが、その世界観が単なる思いつきの空想に留まらず、技術的なリアリティに富んでいるのです。脳にネットの接続端子を直接埋め込んでテレパシーのように通信したり、義肢や義足などを発展させた「義体」や人工知能などなど、SFマニアが嬉々とするタネが満載というだけでなく、メカニズムなどのディテールが丁寧に設定されていることに感心させられます。

 

 さらに、冒頭で紹介した草薙中佐と大男のトクサを中心として、登場人物それぞれに際立った個性があって魅力的なんですよね。ちなみに、彼らを率いる草薙中佐は脳だけを「義体」に移植したサイボーグという設定。だからこそ高層ビルから飛び降りたり、ガラスを突き破って侵入することも平気なわけです。

 

 このアニメーションをハリウッドが実写映画化したのですが、主演のスカーレット・ヨハンソンはまさに適役といえるでしょう。草薙素子という日本人のはずなのに白人はおかしいと批判する向きもあるようですが、えーと、大変に言いにくいことですが、彼女のように立体的でメリハリのあるボリューミーな身体を持つ日本人は滅多にいませんからねぇ。

 

 そのかわりというべきか、公安9課を管理する上司役でビートたけしが出演しています。でね、彼だけが日本語でセリフを話すのですが、いやはや、これがひどい棒読みで、しかも滑舌が最悪。監督は外人なので分からないのでしょうが、日本人でも何を言っているのか聴き取れないところが少なくありません。

 

 あまり批判するのもナニなので控え目にしますが、最先端のCGによる映像は確かにすごいと思うものの、それだけのことで、要するに感動がないんですよね。アニメーションでは中佐とトクサの戦友的な感情交流も描かれていたはずなのに、そうした人間的な要素がほとんどありません。素子のお母さん役で桃井かおりも出演しているのですが、どうにも深みに欠けるのです。演出がヘタなのかなぁ。とにかく予告編で期待しただけに、失望も大きかったと報告させていただきます。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2017年8月21日 (月)

Farewell, My Lovely

 

 カッコいい英語、というジャンルがあるなら、ボクがダントツで1位に推したいのが、"Farewell, My lovely"です。

 Goodbye でなくてFarewellGirlfriendLoverでなくてMy Lovely。これほど深い意味と余韻を感じさせる英文はちょっとほかにないんじゃないかな。これだけで物語を3つや4つは書けるような気がします。

 

 知る人ぞ知るレイモンド・チャンドラー(1888〜1959年)の小説のタイトルでありまして、1956年に清水俊二氏は『さらば愛しき人よ』と和訳しています。これも実にまったく素晴らしい日本語ではありませんか。2009年に村上春樹氏が再び翻訳版を発表していますが、この時の邦題は『さよなら、愛しい人』。うーん、ちょっとばかり軽いかな。読んでないので内容は評価できませんが、「男の痩せ我慢」がコンセプトのハードボイルド小説なのですから、やはり知的な印象を与える文語的な固い語感が欲しい。そう考えると、"Farewell, My lovely"も、『さらば愛しき人よ』、も非の打ち所がまったくないので、変えようとすればするほどヘンなことになっていきます。

 

 現実の別離もそれと似ていて、ジタバタとあがけばあがくほどお互いが醜くなっていくので、サラリと潔く別れるほうが強い印象を残すんじゃないかなぁ。ちなみに、ということで以前にボクが作った言葉を紹介しておきましょう。

 「恋の始まりは誰もが賑やかになるが、その終わりはいつも静かだ」

 この心境に至るまでに、どれだけの血と汗と涙を流したことか、って冗談ですけど。

 

 さて、チャンドラーですが、ボクが感動したのは独特の文体です。初めて読んだ時には、これでも探偵小説、推理小説かよと驚愕しました。それほど圧倒的な文芸的魅力を感じたのです。その分だけストーリーは正直いって面白いとは感じませんでした。だから話の筋を追った映画化もあまり成功しているように思えないのはボクだけかなぁ。1975年に原題のままで映画化された時には、主人公の私立探偵、フィリップ・マーロウをロバート・ミッチャムが演じましたが、そりゃちょっと違うだろと。陰りや深みに欠けるんだよな。過去のある女を演じたシャーロット・ランブリングはありですけどね。

 

 大昔の映画なのでさっさと終わりにしますが、余韻のある英語として、チャンドラーの小説からもう1本だけ紹介しておきます。

 "The Long Goodbye"。 1953年に発表されたフィリップ・マーロウものの第6作です。邦題は『長いお別れ』(清水俊二)。うーむ、こちらもたっぷりと含みを感じさせる秀逸な英文&和訳というほかありません。

 

 最近はやたらに長いタイトルの小説やら映画が流行しているみたいだけど、もうちょっと言葉を大切にしようよ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2017年6月27日 (火)

『ローガン』

 

 先週の続きになりますが、エールフランス航空から無理矢理に日本航空に乗り換えさせられ、ヘルシンキまで飛ぶことになりました。「どこだよそれ?」という声が聞こえてきそうですが、そんなもんボクだってよく知りません。傘の開いたキノコみたいなスカンジナビア半島の根っ子あたりにあるフィンランドの空港です。

 

 このルートは実は以前に1回だけ利用したことがあります、日本→ヘルシンキは10時間程度でパリ経由より1時間ほど近いことがメリットですが、そのかわりにジュネーブまでは3時間近い。あまりにも長くてケツが痛くなったので、もうやめようと決めたルートです。かっこ良くいえば「北欧」経由ですけど、空港から外に出られるわけでもなく、ガラス越しに見える景色なんてどこも大差はありません。

 

 何かね、これまでの悪行がどわんと因果となり、仇や報いのカタマリがボクを襲っているような気もします。でも、真冬のヨーロッパでは大雪で飛べなくなって大混雑ということもしばしばあるので、アンラッキーの下を見たらキリがないってことで諦めました。6月だけどさ。

 

 航空機が安定飛行となり、シートベルトのサインが消えたらメシの時間です。ボクはワイン1~2杯で酔っ払うようになったので、すでに食事中から激しい睡魔に襲われるんですよね。前述の仇や報いも含めて、やたらと襲われることが多い昨今なのであります。

 

 4時間ほど寝たと思いますが、目が覚めるとあたりは真っ暗。熟睡タイムになっておりました。こちらは退屈なので映画でも見るかと。で、ヒュー・ジャックマン主演の『ローガン』を選びました。おそらく好きな人は知っているミュータントのシリーズ映画で、彼が演じてきたのはウルヴァリンというスーパーヒーロー。拳から特殊合金製の刃物がシャキーンと突き出てくることで知られており、「Xメン」というチームに所属しております。

 

 ところが、この映画『ローガン』はスーパーヒーローどころではなく、ほとんど「老老介護」みたいな状況が描かれています。お爺さんとなったプロフェッサーXは完全にもうろくしてしまい、薬が切れると恐ろしい超能力が暴発。周囲の人間が死にそうになります。運転手をしながら彼の面倒をみるローガンも、かつてのパワーを失い、よれよれのグダグダのポロ雑巾状態。そこにローラという少女が登場。かつてのローガンを彷彿とさせる超能力を持っていますが、それゆえに敵に追われており、やがてプロフェッサーXは殺されてしまう。かろうじてローガンは彼女を救出。ミュータントたちが集まる「エデン」に向かうというストーリーです。

 

 派手さはまったくなく、老いることの悲惨さばかりを感じさせる救いのない映画ですが、最後にローガンは自らの命を賭けて彼女を守ります。死闘のあげくに敵を殺したものの、自分も致命傷を負って死亡。その死体を埋めた後に立てた十字架を、ローラが去り際に倒して「X」にするエンディングがなかなか含蓄があっていいんですよね。

 

 どう見ても、これはマーベルコミックスのヒーローものではありません。普通の人間たちのドラマであり、人間は何のために生きて、誰のために死ぬのかという普遍の問いかけをボクたちに突きつける映画なんですよね。夜中のせいか、臨終間際のローガンを見て不覚にも涙が出てしまいました。

 おそらくは世代交代のために神は死を用意したのです。そして世代が次々に変わることが種の存続を保証することになります。さもなきゃ種全体が死に向けて老化していくではありませんか。そういうあたりまえな、かつ深遠な真理が読み取れる映画であり、心の中まで満腹になったのであります。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2017年5月29日 (月)

10年後

 

 CSの映画専門チャンネル「ムービー・プラス」でニコラス恵司、じゃなかったニコラス・ケイジの映画『ロード・オブ・ウォー』を見ました。

 

 たまに正義の味方も演じる俳優さんですが、彼の真骨頂は「ヘンなオジサン」じゃないかな。そうした役を与えられると、ものすごくイキイキしているように感じられます。このヘンテコな性格俳優の側面を遺憾なく発揮したのが、1996年日本公開の『リービング・ラスベガス』ではないでしょうか。アル中の失業男が全財産を携えてラスベガスで死のうと決決意。心優しい娼婦と知り合ってゴタゴタも起きますが、結局は「勝手にさせてくれ」と言って飲み過ぎで死んでしまう。これほど絶望的で破滅型のストーリーでアカデミー主演男優賞を獲れる俳優は、彼以外にちょっと思いつきません。

 

 私生活もハチャメチャらしくて、大金持ちなのに度外れた放蕩を続けて破産寸前と報道されたこともあります。その真偽は別として、2005年公開の『ロード・オブ・ウォー』でも誠実な武器商人というワケが分からない役をこなしています。アフリカの独裁者らしい男に武器弾薬を売り、それで子供が撃ち殺されたりする。本人は自分を正義漢だと信じているので、激しく悩みながらも、法律の抜け道をかいくぐって武器ビジネスをどんどん成功させていくわけですね。

 

 こんな矛盾した分裂しまくりの役も、ニコラス・ケイジが演じると「いるよなぁ、こういう奴」と妙にリアリティが感じられるから不思議です。

 

 と、ここまでは前フリで、この映画でボクが最も感心したのは、武器輸出先のアフリカ某国で娼婦が語った言葉です。その地域はHIV罹患率が人口の3割以上ですから、娼婦と遊ぶなんてロシアンルーレットよりもリスキー。けれども、妻との心理的な葛藤で疲れ果てていた彼は、2人の娼婦のところに行っちゃうんだよな。しかし、やっぱ危険だと躊躇する。その時にね、娼婦がこのように言うのです。

 

「もしかしてエイズが怖いの? 10年後に死ぬような病気のどこが怖いのよ。ここでは明日の命さえ分からないんだから」

 

 そんな国にしてしまったのは、紛れもなく彼の武器ビジネスではないかという告発的なニュアンスが含まれており、かなり説得力のあるセリフなのです。

 

 では、あなたにとって「10年後」はどうでしょうか。若い人なら「はるかな未来」。お年寄りなら「それまで生きていられるかどうか分からない」と答えるんじゃないかな。時間は客観的な存在と信じられていますが、おっとどっこいで、むしろ主観的に意識されるほうが普通なんですよね。だからこそ人間は時計を造って、時間の動きを固定しようとしたのかもしれません。さもなきゃ共同作業なんて不可能ですもんね。

 

 そうした時間論は別にして、なかなかよく出来た映画だと思います。興味があればDVDで見てください。えっ? ボクの場合ですか。「10年ひと昔」かな。1年以上先のことは考えたこともないので。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

2017年5月24日 (水)

消費

 

 もともとテレビはパクリ天国みたいなところがありますが、近年は芸能人やタレントのプライベートを切り売りさせる番組がやたらに目立つように思います。もとより地上波はあまり視聴していませんが、タレントや芸人に、本来の才能や芸ではなく、隠しておくべき私生活を晒させているわけですね。中には健康診断の結果までネタにする番組もあるので、こうなると裸どころか、内臓まで見せていることになります。

 

 週刊誌では昔から「あの人はいま」的な企画が少なくなかったのですが、テレビではそれに難病や犯罪や親族トラブルなどを加えて、悲劇のドラマ、あるいは無理矢理の美談仕立てにしており、あざといをはるかに通り越して気分が悪くなってきます。

 

 こんな番組を興味深い、あるいは面白いと思うのでしょうか。よくまぁ何たら審議会が批判の俎上に載せないもんだと感心してしまいます。

 

 かなり前から気づいてはいたのですが、高度情報化の進行に伴って、ボクたちは何でもかんでも「消費」するようになってきました。しかも年々スピードアップしている。今ではその典型が「闘病」ではないかと思うのです。体裁としては応援や支援でも、その陰には薄汚い野次馬根性というか怖い物見たさもあるんじゃないか。それだけならまだしも、それに飽きて興味を失う=消費し尽くしてしまえば、今度は次の悲劇や闘病を求めるようになるでしょう。まるでバッタやイナゴの大群が地上にある草木をすべて食い尽くしていくようにね。

 

 何にしても、そうした本音の心性を同情や憐憫や支援で美しく包み込めば、誰も文句なんかいえません。だからね、たまに絶望的な嫌悪や憎悪に陥って吐きそうになるのです。これって、そろそろ退場しろっていうサインなのかなぁ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2017年3月31日 (金)

『ラ・ラ・ランド』

 

 六本木ヒルズのTOHOシネマズで名物のポップコーンを食べられたのは嬉しかったけど、観劇直後は「これでアカデミーの作品賞はちょっと無理でしょう」というのがミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』の率直な感想でした。

 

 最初の30分は文句なく素晴らしい仕上がりなのに、それ以降の展開がね、凡庸な印象を与えてしまうのです。というより、歴代のハリウッド・ミュージカルへのオマージュがそもそもの製作意図らしいので、意外性に乏しいのは当然なのかなぁ。

 

 それぞれの夢を目指す若い男女のラヴロマンスを縦糸とすれば、それを引き立てる強い横糸がどうにも見当たらないのが原因ではないでしょうか。もともとミュージカルで複雑な筋立ては無理というものですが、あのトラボルタとオリビア・ニュートン・ジョンの『グリース』(1978年公開)ですら魅力的な脇役陣が個性的な物語を抱えていました。そうしたサイドストーリーさえ充実していれば、アカデミーの作品賞も可能だったのに、と残念に思うのです。

 

 いきなり批判から初めてしまいましたが、YouTubeで曲を聴きながら再確認してみると、かなり完成度の高いミュージカルであることが分かります。冒頭の高速道路シーンはかつてなかった斬新な仕立てであり、囁くようなハスキーな女声から始まるジャズっぽい曲想や、ハリウッドお得意の群舞も、ズラリと並んだクルマを舞台にすることで新しい魅力を発揮しています。

 

 原色を中心にしたシンプルなカラーリングも実は新しいんじゃないかな。紫からダークブルーに至る美しいグラデーションの夜空を背景に、イエローのドレスを着たエマ・ストーンと白いシャツのライアン・ゴズリングが素敵に絡んでいるサウンドトラックの写真が象徴的ですが、グレーを加えた中間色がほとんど使われていません。イエロー、レッド、ブルー、それにライトグリーンのドレスを着た4人の女性が路上で踊りながら歩いてきたりするので、華やかな映画の街ハリウッドでの夢物語を表現しようとする演出は成功していると思うのです。

 

 いささかネタバレになりますが、最後の再会シーンに賛否両論があるみたいですけど、あれはね、実にまったくアリな話なのです。それぞれの家庭や生活を持つようになったかつての恋人たちが偶然に出会ったなら、もしも一緒にいたらああなったかなこうなったかなと想像するのは当然ではありませんか。

 

 別れた理由がよく分からないという不満もあるかもしれませんが、ドラマ的に問題にすることでもないでしょう。逢うは別れの始まりとも言いますからね。

 とにかく大都会ロサンゼルス=ハリウッドでの胸躍る恋と悲しい破局を、ジャズっぽい軽快な曲とダンスで表現したミュージカルであり、カップルで観劇すれば、別離後に再会する辛さや哀しさもそれなりにリアルに感じられるはずです。

 

 だからこそ横糸さえ充実していれば作品賞だったのにね。でもまぁ、久々に満足できる、ミュージカルらしい典型的なミュージカルではあったよなと今は思うので、DVDが出たらもう1回観てみようかな。エマ・ストーンは映画『アメイジング・スパイダーマン』(2012年公開)でやたらに眼の大きな女優さんとして印象に残っていましたが、これほど達者な演技ができるとは思いませんでした。それにイントロのAnother Day of Sunがいいよね。カンツォーネみたいな朗唱でなくて、ボクの好きな「引き算」の精神がそこにあるからです。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

2017年3月30日 (木)

『エリカの花散るとき』

 

 昨日夕方に、何事もなく帰国いたしました。

 

 正確には接続便の関係で、約7時間という久々に長いトランジットを我慢したんですけどね。おかげさまで、初めて国際便で成田ではなく羽田空港に到着できたのですが、これほど長い待機時間は7〜8年前のフランクフルト空港以来です。

 

 電車の駅ならいっそ市内観光でもするかという気になりますが、空港ではパスポートコントロールやセキュリティチェックなどもあって、そう簡単にはいきません。ましてや帰路は心身ともに激しく疲れていて、そんなエネルギーがあるはずもない。

 かといって7時間はほぼ1日の仕事時間に匹敵するので、結構な長さではあります。空港内をいくら丹念に歩き回っても2時間が限度。そんな時の暇つぶしに威力を発揮するのがインターネットなんですよね。

 

 おかげでマイブーム絶賛継続中の西田佐知子の動画をYouTubeでいくつかチェックできました。とはいってもカラーが1本、モノクロが2本程度。その中に大昔のNHK紅白歌合戦の映像があり、司会の江利チエミに促されて舞台に登場した彼女は和服姿でした。にもかかわらず大きなストライドでスタスタと高速でマイクまで歩いていくのが印象的です。それともタイミングを間違えたのかな。

 

 それで歌ったのが『エリカの花散るとき』。1963年2月にシングルが発売されているので、おそらく同年の紅白でしょう。であるなら彼女は24歳。後年の優しく大人っぽいイメージはまだなく、清楚ながらも若い女性にありがちな強気の雰囲気が漂っています。加賀まりこから悪女とコケティッシュを脱色した美人といっても、もう分かる人は少ないかな。

 

 この『エリカの花散るとき』は作詞:水木かおる、作曲:藤原秀行。彼女の代表作『アカシアの雨がやむとき』のコンビですが、ボクにはありきたりなメロディとリズムに感じられます。なのに、ここで紹介したのは、最後に以下のフレーズがあるからです。

 

逢えなくなって なおさらに

はげしく燃える 恋ごころ

エリカ エリカの花が散るときは

恋にわたしが

死ぬときよ

 

 『アカシア……』でも「冷たくなった私」など剣呑な言葉が使われているので、当時は今ほど「死」がタブーではなかったようです。恋するたびに死なれたらたまらんですけどね。もっとも、現代だって「鬼」やら「神」とか過剰な形容句が流行しているので、メンタリティはあまり変わっていません。

 

 いずれにしても、今回の旅行では西田佐知子を聴きまくりましたが、やはり海外より国内のほうがしっくりと似合います。当然といえば当然ですけど、湿度というか空気感が違うんですよね。現下のグローバル社会では、そうした違いが貴重な観光資源になっていくように思います。どこもかしこもデューティフリーショップのようになったらつまらないですもんね。

 

 ああああああっと、前回のブログでお約束した映画『ラ・ラ・ランド』の感想を忘れておりました。これは明日のテーマにさせていただきます。

 そのかわりに、機内で観た昨年公開の映画『シン・ゴジラ』について。ゴジラそのものの造形は確かに素晴らしい出来映えだと思いますが、ストーリーがまるで役所と政治家のパブリシティ。中でも石原さとみの役柄がとりわけステレオタイプで、彼女の英語や小賢しさも何だかなぁ。それに比べて西田佐知子はいいよね、って女優と歌手を時空を超えて比べるのも意味のないことではありますが。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2017年2月22日 (水)

映画『マトリックス』の思想(後)

 

 何となく違和感を持ちながらも普通に暮らしている毎日が、実はコンピュータが構築した仮想世界だった。そこに暮らしていると思い込んでいる人間の肉体はカプセルの中で眠り続けており、生体活動で発生した電力を仮想世界に供給する乾電池となっていた……。

 

 これが映画『マトリックス』の基本的な設定ですが、機械が支配するバーチャルワールドだけでなく、核戦争(かな?)によって荒廃した現実社会で人間はコロニーを作っていました。それが「ザイオン」と呼ばれる地下都市です。ユダヤ教における「シオン」の英語読みで、ダビデが征服した街であることから、いろいろ深読みする人もいるようです。けれども、ストーリー的には都市名にそれほどの意味はなく、単純に神々の街=リアルに生きる人間たちが住む場所、と理解したほうがいいのではないでしょうか。

 

 それよりも気にすべきなのは、この都市「ザイオン」が何度も滅びてきたという「アーキテクト」の説明です。それを裏付けるように、映画では地下都市の天井を破って超大型ドリルが何本も地面に突き刺さります。機械仕掛けのタコのような凶悪なセンチネルも集団で空中を飛び交い、街は瓦解する寸前まで追いつめられていきます。

 

 これまでのネオは救世主たり得ず、彼も「ザイオン」も生まれては滅亡を繰り返してきました。そこで想起するのが「ビッグ5」なのです。

 地球上の生物が短期間に大量に死んでいった5回の大絶滅をこう呼びます。ウィキペディアによれば、多細胞生物が登場してから、オルドビス紀末、デボン紀末、ベルム紀末、三畳紀末、白亜紀末に生物の大量絶滅がありました。地層に明確な境界線が残されていることで判明したようです。

 そして、大量絶滅という過酷な環境変化を生き延びた生物が、今度は地球の新しい主として繁栄するということを繰り返してきたわけですね。

 

 人類も実は同様で、白亜紀末に恐竜が絶滅したからこそ、哺乳類が今のように生態系の上位に躍り出ることができたのです。仮想世界を創り上げた機械は、そうした大量絶滅と同じ効果を「ザイオン」に担わせてきたと考えられます。

 

 このブログで以前に、生物はアクセルだけを備えており、ブレーキがないと指摘したことがあります。つまり、一方的に繁殖するだけで、それを制御する仕組みを体内に持っていないのです。ネズミのような姿のレミングは、増えすぎると崖から落ちて集団自殺とすると考えられてきましたが、これは誤解であることが明らかになっています。

 

 要するに、生物の爆発的な増殖を食い止めるブレーキは、外的要因しかないんですよね。恐竜はたまたま巨大隕石の衝突だったのですが、そうした環境の劇的変化によって、これまでに通算5回の大絶滅があったということです。

 そして人類ですが、1950年に地球人口は25億人を突破。50年後の2000年には約61億人と2倍以上に急増。現在では約74億人に達したと推定されています。70年足らずで約3倍ですぜ。しかも貴重な資源を使い放題で、環境や空気も汚しまくりですから、ボクが地球ならこのへんで人類を絶滅させたろかいなと本気で思いますよね。

 

 「ザイオン」の設定は、そんな自然界の仕組みをメタファーしているのではないでしょうか。映画『スター・ウォーズ』が長きにわたるサーガ(叙事詩)なら、『マトリックス』は予言的な黙示録といえなくもありません。もちろん映画なので最後に人類は救われますが、果たして現実がその通りになるかどうか。

 もうちょっと本気で環境汚染と人口爆発を危惧すべきだとボクは思うんですけどね。さもなきゃ、いずれ「ビッグ6」を数えることになるんじゃないかな。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2017年2月21日 (火)

映画『マトリックス』の思想(前)

 

 謙遜でも卑下でも自虐でもなく、たまに自分自身をなんて頭の悪い奴なんだろうと思う時があります。正しく言い直せば、「ものわかりが遅い」のです。すぐに理解できるはずのことが、腑に落ちて納得できるまでに、ものすごく時間がかかったりします。ああそういうことかと頭の中でランプが灯っても、今頃かよと我ながら呆れることもしばしばあるわけですね。

 

 そのかわりといっては何ですが、記憶力は決して悪くないようです。今はかなり衰えましたが、若い頃は何でも映像として覚えており、教科書なんかも左ページの右下に誰それの肖像画があったということまで指摘できました。

 

 でね、上記2点を融合すると、「あれ?」と感じた疑問に適切な答をすぐに見つけられないために、その疑問をなかなか忘れられないということになるわけです。疑問を忘れたら答も見つかるはずがないので、決して悪くはない思考習慣ではありますが、常にいろいろひきずっているような感覚で、気分が晴れるということが必然的に少なくなります。もしもボクが不機嫌そうに見えたら、そういう事情なんだと察してください。

 

 このように長らく持ち続けてきた疑問の一つが、1999年から公開された映画『マトリックス』です。映像革命と呼ばれるほどの斬新な表現に加えて、キアヌ・リーブスやローレンス・フィッシュバーンらのコスチュームが素晴らしくスタイリッシュで世界的な大人気となりました。『スター・ウォーズ』のSFXにも驚きましたが、『マトリックス』はそれを超えるほど都会的でカッコ良かったのです。サングラスも話題になりましたよね。

 

 2003年公開の『マトリックス リボリューションズ』を完結編とする3部作であり、DVDなどで何度も視聴しましたが、なぜ機械=コンピュータはネオを生み出したのかということがよく分かりませんでした。あれほど完璧な仮想空間を創り出せる機械が、何でまたネオを救世主として覚醒させたのでしょうか。そんなバーチャルワールドから抜け出した人間たちが現実世界で作った社会=ザイオンを、どうして機械は執拗に破壊しようとするのか。

 

 犠牲を払いながらもバーチャルワールドの深奥に隠された「ソース」にたどり着いたネオと「アーキテクト」との哲学的かつ情報論的な対話によって、何となくヒントは出されているように感じましたが、ボクなりに説明できるほど理解できませんでした。それがやっと分かったように思ったのは数年前です。

 

 ごくごく簡単に言うなら、あれはヘーゲルの弁証法なんですよね。つまり「正・反・合」ってことです。プログラムされたバーチャルワールドは、それだけでは完璧ではないと機械は考えました。なぜなら一つの理念、概念、手法=アルゴリズムで自動生成されていくからです。これを是正するためには、それを否定する理念、概念、手法を対峙させなければならない。

 つまり、エージェント・スミスが監視・管理するバーチャルワールドを「正」とするなら、これに「反」を対抗させることで、「合」という弁証法的な発展=アウフヘーベン=最適化に向かうことができる。そのためにこそ、ネオを生み出す必要があったのです。

 

 映画の中でも「アーキテクト」は、「何度もネオが誕生してザイオンとともに滅びる歴史が繰り返されてきた」と語ります。ネオの本質は、「マトリックス」を適切に永続させていくための触媒=仕掛けだったと言い換えてもいいでしょう。ところが、ネオは予め設定された「反」以上の強力な意志とスーパーパワーを持ってしまった。同時に機械を代表するエージェント・スミスもバーチャルワールドを脅かすほど怪物化。そんな「正」と「反」の存在をかけた死闘が完結編で描かれているとボクは理解しました。では、その結果としての「合」とはいったい何なのか。

 

 エージェント・スミスとネオという相対立する両者が消滅したことでもたらされた、「調和」=「平和」なんですよね。それが劣化・老化したり、オーバーホールや発展が必要になれば、再びネオは救世主として登場する。そんな物語だったとようやく分かるボクって、やっぱバカというほかないじゃないですか。

 

 それだけでなく、ザイオンの運命にもしっかりした根拠が隠されているのですが、これは明日続けることにします。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

より以前の記事一覧

*禁・無断転載

  • このブログ内に掲載されているすべての文章、画像の無断転載、転用を禁止します。他のウェブサイトなどへの転載を希望する場合は、必ず著者へご一報ください。
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

Amazonウィジェット

無料ブログはココログ