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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

映画・テレビ

2019年7月11日 (木)

横並び

 

 そりゃもうジャニー氏の業績は偉大で、勲章ものだろうと心底思いますが、この横並びの大量報道は何だよ、って思いませんか。

 しかも、事務所のタレントの映像を垂れ流し状態といっていい。だぁからね、ボクは地上波を見ないのであります。どのチャンネルを見ているのか、すっかり忘れてしまうほどみごとな横並び。商業放送ですから、視聴率を稼ぎ、それにもとづく広告費でいろいろとまかなっているのはガッテン承知の上でも、ちょっとなぁ。訃報といえども芸能ニュースですよね。しかも、内容が各局ほとんど同じで、上っ面をサラリと流しているだけ。最後に、お世話になったタレントの追悼コメントでまとめるというのは安易に過ぎるんじゃないかな。

 新聞社には亡くなりそうな人の予定稿があるといわれるのですが、入院されてからほど良く時間があり、失礼ながら容態もまったく予測できないものではありませんから、準備する期間はあったと思うんですけどね。にもかかわらず、ほとんど構成を投げているのではないかと思うほど工夫がありません。

 かと思えば、BPOが放送倫理違反と認定した海外の祭りのデッチ上げなど、日本のテレビは末期状態といっていい。これまでエンタティンメントとしての大ウソがなかったとはいいませんが、いかにもドキュメンタリーの顔をしたヤラセは大問題ですよ。これではネットにどんどん視聴者が流れても何の不思議もありません。衛星放送は受信費用がかかりますからね。

 それもこれも、業態が安定して人気業種になったからでしょう。昔のテレビ局は、いまのネットと同じく新興産業であり、混沌としたエネルギーに満ちていました。それがいつの間にか役所のような組織主義となり、横や上ばかりを見るようになってきたんじゃないかな。これは古今東西のいかなる産業にも共通している病理なので、もう少し深く考察したいのですが、本日は時間がないので、このへんで。ああ、それにしてもなぁ。。。

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2019年7月 2日 (火)

寅さんはホントに面白いか

 

 たまに衛星放送で映画『男はつらいよ』を見ますが、やっぱり面白いとは思えないんだよなぁ。こうした指摘はボクの若い頃にもあって、あの映画は東大卒のエスタブリッシュメントが夢想した架空の庶民の物語に過ぎないと、階級闘争史観で批判する人もいたように記憶します。

 フィクションですから、そもそも架空に決まっているわけでね。映画で描かれている生活や人間たちが、それほどまでに現実離れしているとは思えません。登場人物も皆さんそれなりに魅力的なのですが、とにかく何しろボクには笑えなかった。2~3本はちゃんと最後まで見通したように思いますが、ニコリとかニヤリはあっても、1度として声をあげてワッハッハとなったことがありません。正月の風物詩のひとつであり、偉大なるマンネリ感で安心して見られるとはいっても、あの映画は絶対に喜劇ではないですよね。

 衛星放送の再映でも、すぐに落ち着かない気分になってチャンネルを替えてしまいます。だってさ、面白く感じないだけでなく、いたたまれない時だってあるもんね。人気シリーズのはずなのに、どうしてだろうとずっと考えてきたのですが、先が読めるお決まりのストーリー展開もさることながら、やはり主人公の寅さんに原因があるんじゃないかと思うようになりました。渥美清の演技や語りはさすがに上手です。表情の作り方も、誰にも真似できない巧みさがある。けれども、最も肝腎な精神性というか、メンタルの部分が主人公の設定とは一致しないように感じるのです。

 寅さんに近づくマドンナたちも、わざとらしさがありありなんだよな。「まーた寅さんたらぁ」と肩を叩いて笑ったりするんだけど、そのあたりから無理しているように見えませんか。寅さんにしても、心底から惚れている風情が感じられない。なのに、結局は我慢できず関係性をぶち壊すような行動に出てしまう。妹のさくらをはじめとする家族や周囲がそれなりの現実感を持っているのに対して、寅さんとマドンナだけが宙に浮いた存在のように感じるのです。寅さんは女にふられるブサイクで甲斐性なしの風来坊のはずなのに、2枚目の雰囲気がどこかに必ず漂っています。最初の頃の作品は知りませんが、寅さんの内面と外面が次第に乖離してきたことが、ボクを居心地悪くさせている原因ではないでしょうか。渥美清もそれに苦しんでいたのか、たまに哲学者のような相貌を見せるんだよな。

 亡くなった人の悪口を言うつもりはなく、あくまでもボクの仮説に過ぎないので、事実とは大違いの映画論と嘲笑する人もいるでしょう。もしかすると「みんなが面白いといっているから面白いに違いない」という人たちがよってたかって寅さんを神格化。結果的に全48作品という途方もない「国民的映画」に祭り上げてしまったことに、何よりも不愉快を感じているのかもしれません。

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2019年6月24日 (月)

逃亡者

 

 実刑が確定していた窃盗犯が逃走して大騒ぎになりましたが、昨日早朝に横須賀で確保されたようです。以前から警察官が「事なかれ」の木っ端役人体質を強めているように感じてきましたが、検察関係者もあまり変わらないみたい。両者ともに、市民生活の安寧秩序を維持・保全する刑事司法の専門家であるはずなんですけどね。有罪で実刑まで告知されている犯罪者を、いくら保釈中とはいえ、むざむざと取り逃がすなんて大失態ではありませんか。

 といっておきながら、矛盾するようですが、日本はホントに狭い国だなぁと感じてしまいます。面積という意味だけでなく、人の眼や口から逃げ切ることはできないんですよね。密告社会ではないにしても、「あそこで見かけた」とか「ここにいたよ」なんてね。子供の虐待なども含めて、警察など公安関係者に連絡するのは市民の義務ですけど、隠微な喜びもきっとあるんじゃないかな。太平洋戦争の前から戦中は「あの家の身内にはアカがいる」「西洋の楽器を毎晩弾いているからスパイじゃないか」とか、「英語を話していたんですよ!」などと特高警察に告発する人も珍しくなかったらしい。当時はそれもまた法律に則った正義でしたからね。

 大昔に『逃亡者』というアメリカのテレビドラマがありました。リチャード・キンブルという主人公の名前は今でも覚えています。妻殺しで死刑判決を受けた元医師が逃亡して濡れ衣を晴らそうとする物語で、ハリソン・フォード主演で劇場用映画にリメイクされたこともあります。

 アメリカは日本の25倍の面積があり、誰も足を踏み入れない荒々しい自然も残されているので、そこでキャンプすれば逃げ切れそうな気もします。けれども、そんな手つかずの大自然で食糧を自給自足するのは困難であり、完全に孤立した状態で人間は生存できません。というわけで、人間社会に潜みながら、真犯人を探し出すというドラマも成立するのですが、毎回必ず、彼を助けようとする人が出てくるんですよね。もちろん当局に通報する人もいるのですが、助けようとする人たちの葛藤が本当のテーマだったんじゃないかな。逃亡者の心情は自分の冤罪を証明するという一直線ですが、彼に好意を感じたり、無実だと信じて助ける人たちは大変に複雑です。犯人隠匿や逃亡幇助は違法ですから、ヘタすりゃ自分が逮捕されることもあり得る。にもかかわらず、いつしか心の天秤が本来的な正義のほうに傾き、リチャード・キンプルは司直の手を逃れて別の町へと去っていく(ちょっと言い方が古いかな)

 ここからはボクの個人的感想なのですが、どうもアメリカ人は法律を信用していないフシがあります。小説やドラマでも、法律を敢然と無視する決断や行動がしばしば描かれているのです。コンプライアンスよりも、自らが信ずる正義や理念のほうを大切にする。つい最近に見たテレビドラマでは、何と現役の検察官が脳死した子供の呼吸器のスイッチを切るなんていう場面がありました。もちろん殺人であり、日本ならどうしたって有罪ですが、このドラマでは無罪。言うまでもなく、アメリカの法廷は12人の陪審員の評決で結審するからです。彼らの全員一致が原則ですが、殺人=有罪とは限りません。近代法では復讐は罪として禁じられており、それを認める国はごく一部ですが、アメリカの法廷で陪審員の同情を得ることができれば、無罪になることも可能なのです。陪審員の有罪評決が期待できない事件はそもそも起訴しないということもあるようですね。

 となれば、法律なんていうのは単なる目安、スタンダードに過ぎないのです。ここのところの理解がね、日本人は著しく欠如していると思うのであります。さすがに奴隷とは言いませんが、法律や体制に盲従するばかりで、自分のアタマで物事を考え、判断し、行動することを放棄しているのではないでしょうか。法律で決められることには限界があり、その網からこぼれる正義や悪はいくらだってあります。さもなければ裁判なんてやる必要はないですよね。法治国家の法律は、倫理や道徳における最高度の金科玉条ではなく、誰かが案を提出して国会の多数決を通過しただけのことじゃないですか。

 本当に大切なことはボクたち自身の心の中にしかない。それをきちんと認識することが、少しでも生きやすい社会を創っていくバックボーンになると思うのですが、いかがでしょうか。

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2019年6月13日 (木)

『マダム・セクレタリー』

 

 またパクリかなと思っていたら、シナリオが結構な完成度であり、俳優さんも第一線級が揃っているので、ついついファンになってしまいました。CS放送FOXチャンネルの『マダム・セクレタリー』です。

 3人の子持ちの女性大学教授が、突然に大統領から国務長官に指名されるという設定は、キーファー・サザーランド主演の『サバイバー:宿命の大統領』(スーパー!ドラマTV)にそっくりなんですよね。こちらはテロリストによる爆破事件で閣僚全員が死亡。現役を外れて「指定生存者」に左遷されていた彼が大統領を継承することになります。9.11があったので、そんな役割を作ったのかも知れませんが、キーファー・サザーランドといえば、何といっても世界的に大ヒットした『24-TWENTY FOUR-』です。アクの強い名優、ドナルド・サザーランドの子供という七光りからみごと自立したのは大変に結構ですが、暑苦しくて息が詰まるジャック・バウアーの印象が強すぎるんですよね。この人が本日から大統領どえーすといわれても、いつ拳銃をぶっ放すか分かりません。ホワイトハウスなら核ミサイルもありなので、危なくて仕方ないじゃないですか。

 それに比べて、『マダム・セクレタリー』のほうは、そもそも女性でミセス、しかも日本でいえば外務大臣ですから、ドンパチのアクションシーンはほとんどないかわりに、外交的な裏取引やら権謀術数を背景とする静かな緊張感が漂ってきます。というより、ボクは主演のティア・レオーニが好きなんだよな。1966年生まれですから、もはや相当な熟女ですけど、アメリカ女優にしては小さめの眼が知的で、時にはコケティッシュなのであります。近頃はエマ・ストーンやアン・ハサウェイといった、眼が漫画もどきに大きな女優ばかり目立ったので、逆に安心できるのかな。

 でね、日本では『マダム……』が『サバイバー……』のパクリのように感じられますが、これは放送時期の関係でありまして、アメリカでの公開は前者が2014年で、後者が20016年と逆なのです。つまり、ジャック・バウアー、じゃなくて『サバイバー……』の大統領のほうが後追いで設定をパクった疑いが強い。そのせいでもないでしょうが、2018年に打ち切りになっているのに対して、『マダム……』はシーズン5まで続いています。

 決して派手なドラマではないのですが、脇役にボクも知っている実力派俳優を揃えていることもあって、ついつい見続けてしまうんだよな。役職が国際的なので、毎回のテーマもボクたちにとってリアリティがあります。結局はアメリカのテレビドラマや映画らしく、個人を大切にする民主主義やら平和主義といった、ホントかよと思わせる理想を追求したエンディングになるのが常なのですが、ティア・レオーニの派手さやケレン味のないナチュラルな演技が嘘っぽさを脱色しているように感じます。

 それともう1人。彼女の補佐官役のビービー・ニューワースが素晴らしく魅力的なんだよな。調べてみたら、エミー賞コメディ部門の助演女優賞を2回も受賞。トニー賞ミュージカル部門でも助演女優賞を受賞するなど、ブロードウェイでも活躍している女優さんらしい。年齢的にはティア・レオーニより上ですが、とてもじゃないけどバーサンの雰囲気は皆無。むしろ華やかな色気がそこはかとなく漂ってきます。中年太りの陰もカタチもなく、背中から肩出しのパーティドレスが実に良く似合うんだよな。こういう女性が近所にいたら、声をかけるのが男としての礼儀やマナーというものです。やはりね、人間は若いだけでは魅力も不完全なのであります。円熟することで多彩な光を放つんだよな。そのためにも、主体的に失敗と成功を重ねていかなきゃダメなのです。若さばかりがもてはやされる文化なんて、つまりは未成熟に過ぎないとボクは思います。

 

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2019年5月23日 (木)

壮絶ってかぁ?

 そりゃね、ボクだってたまにはクソ大げさな表現をする時がありますが、とりわけ大嫌いなのが「壮絶」という言葉です。どういうわけかテレビのスタッフはこういう激しい言葉が大好きらしく、TBSの金曜日午後7時頃からは「!!」付きで、壮絶だけでなく、苛烈、凄惨、凄絶から悲惨に惨憺、それに悶絶って、これは違うか。とにかくボクにはとても手書きできない難しい漢字が、テレビの画面にどーんと大きく斜めにかぶさってくるんですな。

 テレビは見世物小屋的な要素が少なからずあるので、視聴率を高めてナンボというのは分かります。でもさぁ、恥知らずになってしまうのはどうでしょうか。テレビだって、というのも失礼な言い方ですが、ニッポンの文化のひとつなんですけどね。

 でね、そうした中でも、ボクが最も嫌悪するのが「壮絶な闘病」とか「壮絶な死」という組み合わせです。壮絶な生い立ちも、壮絶な恋愛も、壮絶な結婚や壮絶な中高年の浮気や壮絶な離婚も、生きている限りはコミカルな要素がなくもないのですが、「壮絶な闘病」というのは、刀が折れ矢尽きた悲劇的な結末を予感させるせいか、どうにも救いが感じられず、胸苦しくなってくるのです。

 言葉は常に新陳代謝しており、新しく生まれては淘汰されていきます。だから言葉そのものに責任はありません。希望を失うことなく、死をもたらす病と闘う姿勢は、時に崇高ですらあるとも思います。

 けれども、それを臆面もなく平気で「壮絶」と形容する連中から透けて見える興味本位で他人事的な感性、もっと簡単に言えば、人を踏みつけても気にすることのない冷淡なエゴイズムが、不愉快極まりないのであります。これって、ボクだけの考えすぎなのでしょうか。

 

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2019年5月 7日 (火)

『シカゴ・ファイア』

 

 こういう状態を「ハマった」というのかな。連休の半ばからずっと、夜中の2時頃から昼前までCS放送AXNのテレビドラマ『シカゴ・ファイア』を見続けてきました。新しいシーズンが始まる直前ということで、1〜4までを一挙放送していたからです。

 何しろ史上最長の連休なので、中盤から気分と知能のリハビリをしておかないと役立たずになるだけでなく、現実にやるべき仕事だって目の前にあるにもかかわらず、ぐいぐい引き込まれて時間を忘れさせるテレビドラマなんですよね。展開がスピーディなので、トイレに行く時も油断できないんだよな。いわば釘付けってやつです。

 以前から日本にもコアなファンがいることは知ってはいたのですが、タイトルと番組宣伝だけでシカゴの消防署が舞台の物語と分かりますから、それまでボクはずっと避けてきました。消防署といえば、火災や事故などで消防士や救急救命士が出動。命がけで大火災の中に飛び込んだり、多数の人を救助するという献身的な仕事です。そもそも感動的なストーリーを作りやすい設定であり、イケメンでマッチョな若者でも出演すれば、それだけで女性の視聴率も稼げるじゃないですか。実際にアメリカでは消防士の人気がすこぶる高く、大判のポスターカレンダーが毎年作られると聞いたことがあります。であるなら、シナリオやセット、それに役者などにカネと知恵と手間をわざわざ費やす必要があるでしょうか。多少の無理があってもご都合主義を通しやすい設定なので、見なくてもいいかなと侮ってしまったのです。

 この理屈は、『シカゴ・ファイア』のパクリ、というか追っかけで始まったように見えるFOXの『9-1-1:LA救命最前線』にはあてはまるんじゃないかな。番組としての差別化も大きな理由でしょうが、漫画的で荒唐無稽なストーリーに加えて、道具立てもかなり陳腐なんですよね。新番組であることから、ボクはこちらのほうから視聴してしまったおかげで、違いが余計に分かるのです。

 この『9-1-1 ……』に比べて、『シカゴ・ファイア』は緊張感とリアリティが半端ではありません。ちょっと視聴するだけでも、映画並みの製作費を投入していることが感じられるはずです。レンガ造りのビルの窓から煙や炎が吹き出てくる火事や爆発が毎回のように起きますからね。大きな消防車同士がライバルとして競ったあげくに激突・転倒する事故もありましたが、現場にはパンパーなどの残骸が飛び散っており、日本のテレビドラマとはケタ違いの圧倒的な臨場感があります。

 2人の小隊長が一応の主役級ではあっても、それぞれの登場人物がそれなりの個性とサイドストーリーを持つ奥ゆき豊かな群像劇になっていることも魅力なんですよね。ほどよいところで卑怯で底意地の悪い上司などが登場。消防署をかき回して混乱に陥れるなんていう作劇自体はそれほど複雑ではありませんが、登場人物に親近感を持ち始めた視聴者に与える心理的な影響は映画よりも大きいんじゃないかな。劇場用映画はせいぜい2時間程度ですから、テレビドラマのように息の長い物語を通した深い感情移入は困難なんですよね。

 ストーリーを紹介するのも野暮なので、興味を持ったらネットで調べていただきたいのですが、黒人と白人が結婚したり、救急救命士の1人が同性愛者など、LGBTにも配慮したキャスティングになっています。こうしたテレビドラマの後で日本の地上波を視聴すると、何もかもチープに感じてしまうんですよね。カメラワークも静的で動きがまるで感じられません。

 世界の25%を占める英語人口が視聴者として見込めるハリウッド製テレビドラマと、1億3000万人の日本では規模からして段違いなのは分かりますが、黒澤明はもっと条件が不利な戦争直後に伝説的な映画を次々と生み出しました。 

 カネがないからテレビもチープになると言うのは簡単ですけど、これを逆転して、海外にも輸出できる人気ドラマを作るからカネをもっと出せと要求できないものでしょうか。英語の字幕や吹き替えにそれほどカネがかかるとは思えないんですけど。

 

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2019年2月 1日 (金)

女の料理、男の料理

 

 日本では2017年に公開され、第89回アカデミー賞の6部門で栄誉に輝いた『ラ・ラ・ランド』という映画があります。まだ2年ほど前なので、「という」というのもヘンかな。

 

 この映画の中で、ライアン・ゴズリングがエマ・ストーンと同棲しながらも、バンドの巡業に同行して留守にするシーンがあります。彼女は寂しくて電話をかけるのですが、彼はステージ中らしいので、歩きながら留守電に長いメッセージを残して帰宅。すると、思いがけずゴズリングがキッチンで食事の準備をしており、「サプライズ!」と言いながら調理用手袋をつけた両手を広げて彼女を抱きしめるわけです。ここで「おや?」と不思議に思いませんか。

 

 男が料理を作って彼女を待っているんですぜ。この映画に限らず、アメリカのテレビドラマでも、男が「腕によりをかけて」彼女のために料理するシーンが案外少なくありません。けれども、日本では肉ジャガで好きな男をトリコにするとか、料理は女性だけの課題というか業務であって、男は今でも「僕食べる人」になっているんじゃないかな。

 ちなみに、某食品会社による「私作る人、僕食べる人」というテレビCMが女性差別だと猛批判を受けて放送中止になったのは1975年。何と44年も前のことですが、その批判を受けた状況はほとんど変わっていません。日曜昼に放送されるTBS系『噂の!東京マガジン』では、若い娘さんに料理を作らせて、その無知や不器用を嘆きながら嘲笑する『やって!TRY』というコーナーがありますけど、ここでも男は出来上がった料理を食べるだけですからね。

 

 「私作る人……」の1975年当時なら、どうして若い男にも「TRY!」させないのかとクレームが入っても不思議ではないはずです。ネットの一部では指摘されているようですが、このことだけでも、日本社会は封建的な保守に逆戻りしていると判断するのは間違いですかねぇ。

 

 テレビの話題でもうひとつ。CS放送のFOXで『ザ・ブレイブ:エリート特殊部隊』というテレビドラマがあります。選抜された精鋭の米軍兵士で編成された特殊部隊が世界各地で活躍するのですが、基地で屈強な男がチームのために煮込みというかシチューのような凝った料理を作るシーンがありました。このチームには女性の狙撃手も配属されていますが、彼女は母親が食事を作るところなんて見たことも聞いたこともないので、「料理はできない」と臆すことなく言うんですよね。

 

 こういうことをボクなりに前向きに解釈すると、料理というのは誰かを喜び楽しませる作業ですから、それを女性だけの専業にしておくなんて、むしろ男にとって逆差別になるのではないかということなのです。こんな話を学校で、あるいは家庭で聞いたことがあるという人は手を挙げてください。おそらく、ほとんどいないと思います。

 

 だからといってアメリカが完全に男女平等社会とは言いませんが、ボクたちは悪いことばかりを真似して、良いことをちっとも学んでいない。もうすぐバレンタインデーですけど、海外ではこれまた女性からだけでなく、男からも女性にプレゼントを渡していい日なのです。ボクは若い頃に外国人女性に「明日はバレンタインデーだよね」と何気に言ったら、「何をくれるの?」と逆に訊かれて軽いカルチュアショックを受けことがあります。ましてやチョコを渡すのは日本だけの風習なので念のため。

 

 そんなわけで、男にも料理教育を徹底すべきだと提案したいのであります。小・中学校に家庭科はありますが、ボクの経験では「おざなり」で実用性に乏しいんですよね。算数や理科など主要科目の一部を高校に回し、洗濯や裁縫にアイロンワーク、電気の配線から水まわりの修理なども含めて、家庭科を強化・充実したほうが自立の役に立ちますってば。

 それがもしかすると、セクハラ=女性に対する人権侵害を抜本的に駆逐するための有効な方法ではないかとも思うんですよね。

 

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2019年1月 8日 (火)

ぎぼむす

 

 正月3日の午後は散歩をかねて銀座に行くつもりだったのですが、何気に流していたテレビドラマに見入ってしまい、出かけることができなくなりました。TBS系の『義母と娘のブルース』。その筋では“ぎぼむす”と略されており(どの筋だよ)、昨年の夏頃に放送。ボクは地上波をほとんど見ないので気がつかなかったのですが、全10話を総集編としてまとめた再放送の3回目/最終回だったんですよね。

 

 かなりの高視聴率を得たドラマだったらしいのですが、ともかく綾瀬はるかの演技が素晴らしい。映画『僕の彼女はサイボーグ』(2008年公開)で感動して以来、ぶっ飛んだ役をやらせたらこの女優さんの右に出る人はいないということを改めて確信しました。おそらく衆知のように、生真面目過ぎるキャリアウーマンが、どういうわけだか余命いくばくもない子持ちの男と結婚。旦那が亡き後にシングルマザーとして血のつながらない娘を育てていく物語ですが、総集編の最終回だけを見たボクには様々な疑問が炸裂しました。いくら彼女が「日なたのような人」と褒めても、竹野内豊にイケメン以外の魅力があるとは思えません。広くて瀟洒なマンションは、ローンを死後の生命保険で完済したとしても、仕事をやめた彼女はどうやって収入を得ていたのか。何が何だかが結構あったのですが、綾瀬はるかの怒濤ともいえる演技がすべての疑問を綺麗さっぱりと押し流していったのです。

 

 いわゆる美人顔では決してないと思うのですが、不思議に惹き込まれて、魅力を感じさせる女優さんなんですよね。大したことでもないのに「申し訳ございません」と地面に頭をすりつけるほどの土下座など、誇張されたマンガのような演技も一切の躊躇なくやり通していくところが、心を揺さぶるのではないでしょうか。『ボクの彼女はサイボーグ』では、ロボットにもかかわらず健気で一途な気持ちを貫いていく姿勢にホロリとさせられましたが、それから10年を経て、大人の女性らしい色気と艶が加わっています。こうなったら、もはや最強というほかありません。突拍子もないヘンテコなシチュエーションや過激な演技も心から納得しちゃうんだよな。

 

 パン屋の店長が「う、うなじが」と言いかけた口を自分で押さえたシーンがありましたが、その通りでありまして、ひっつめ髪というのでしょうか、後ろでまとめたヘアスタイルも彼女にはとても良く似合います。匂うほどの間近で襟足とうなじを見たら、店長ならずとも男なら誰だって心臓がバクバクするはずです。

 

 それにシナリオも実に良く出来ています。いくら原作があるといっても、義母と娘の交流をあれほど面白く、時には涙させるストーリーにするのは並の技ではなく、非凡な才能と相当の手腕が必要。ドラマでは最重要な会話(ダイアローグ)も、それぞれの役柄の個性が際立つように仕掛けられています。調べてみたら、稀代の傑作『JIN−仁−』も手がけた森下佳子の脚本ですから、なるほどなぁと深く納得いたしました。

 

 ついでに、といえば失礼ですが、娘役の上白石萌歌もなかなかの出来ではないでしょうか。綾瀬はるかの細おもてに対するような丸顔なので、いかにも血がつながっていないことを強調したキャスティングだろうと思うのですが、妙に眼力(めぢから)のある女優さんで、知的な愛嬌も感じさせます。そのせいか、素っ頓狂な綾瀬はるかの演技を随所でしっかりと受け止めており、ドラマに立体的なリアリティを与えていました。

 

 ボクは子供の頃から気の強い変わり者の女性が好きでしたが、それだけじゃあダメなんだよな。女性に限らず男も、健気さと愛嬌、何よりも他者を思いやる優しさがなきゃね。そんなことを思わせるテレビドラマでありました。

 

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2018年12月 6日 (木)

『ぬけまいる』

 

 たびたび書いてきたように、ボクはほとんど地上波のテレビは見ません。ましてや土曜日の午後6時なんて、テレビを視聴するような時間帯ではないだろうと思うのですが、たまたまNHKの『ぬけまいる〜女3人伊勢参り』に見入ってしまいました。田中麗奈の女っぷりが格段に艶っぽくなっていたからです。

 

 ボクが彼女に注目したのは1998年公開の映画『がんばっていきまっしょい』でした。切れ長の眼に、鼻とアゴが尖った細面という、おそらく親父の代からの遺伝的な好みに合致しており、一発でファンになったわけです。痩せた身体にもかかわらず、ボートを1人でかついで海辺まで運ぶなんていう勝ち気と健気さも好感が持てました。

 

 それからしばらくはあまり気に止めていなかったのですが、実は外国人で田中麗奈にそっくりの女優さんがいるのです。アラナ・デ・ラ・ガーザ。どこまで名前で姓なのかよく分かりませんが、『CSIマイアミ』や『クリミナルマインド国際捜査班』などCS放送のアメリカドラマに頻繁に出演しています。父親はメキシコ系で母親はアイルランド系ということで、このような名前になったようですが、本人はオハイオ州コロンバスで生まれました。肖像権などを意識してここでは写真を出しませんが、本当によく似ているのです。外国人なので、彫りの深さや顔の面積こそ違いますが、ネットで調べてみてください。ボクの説が正しいことが分かるはずです。

 

 さて、『ぬけまいる』に戻ると、朝井まかての長編時代小説が原作。江戸女の3人組が、手形もカネもない「抜け詣り」で伊勢神宮を目指すというストーリーです。原作は知りませんが、テレビドラマ自体は他愛のない内容で、とりたてて紹介するほどの新味はありません。しかし、だからこそ、田中麗奈の美貌と演技が際立っているんですよね。悔しいことに彼女は2016年に医師と結婚したのですが、そのせいか、若い頃のヤンチャな子供っぽさがうまく消えて、人妻らしい色っぽさが磨き上げられたといっていい。

 

 前述したように、ストーリー自体はまるきり面白くないのですが、そんな田中麗奈に加えて、セットがものすごいのです。背景やディテールの造り込みが民放とは格段に違います。大道具や小道具を作る手間暇やカネのかけ方が半端ではありません。時代考証も相当に突き詰めていると思われます。

 

 この『ぬけまいる』のついでに、大河ドラマ『西郷どん』も初めてみましたが、やはりセットの仕立てが素晴らしい。俳優の演技ばかりでなく、たまには背景も念入りに見渡して民放の時代劇などと比較すると、その凄さが実感できると思います。

 

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2018年9月12日 (水)

サミーア・アームストロング

 

 大変に長らくお待たせいたしました。前回のオリヴィア・ウィリアムズから約2年ぶりとなる、美人女優シリーズです。

 

 以前から紹介しようと思っていた女優さんなのですが、なかなか名前を調べるヒマがなく、このほどようやく正体が、って化け物じゃないんですけど、分かったんですよね。名前はサミーア・アームストロング。1980年10月生まれ。スペルはSamaire Armstrongなので、サミーラとかサマイヤと表記されることもあるそうです。父親はスコットランド人の武闘家で、ああ、だからアームストロングなんて強そうな苗字なんだぁ、ってホントかよ。ちなみに母親はイタリア人。しかも彼女は何と東京生まれですって。まんざら、ボクたちと無縁な女優さんではないってことですかね。

 

 さて、ボクが彼女に注目したのは、ハンサム男優のサイモン・ベーカー主演のテレビドラマ『メンタリスト』です。第4シーズンのエピソード7で、情報屋のサマーとして登場しました。韓国系の刑事で、無口な堅物のキンブル・チョウが彼女を担当。事件に絡んでいくことになるのですが、その態度がね、ものすごく魅力的だったのです。

 

「なにさ、あんたのために頑張って情報を持ってきたのに」

「お前のやり方は違法なんだ」

「もしそうだとしても、役に立ったのなら、少しは褒めてくれなきゃ」

「分かったよ。ありがとう」

「ダーメ。心が全然こもってないもん。もう1回ね」

 

 こんな会話があったかどうか忘れてしまいましたが、「何さ」と横を向いて拗ねる表情がものすごく可愛いのであります。左右非対称な笑顔で、正統派の美女とはいえないかもしれませんが、カエル口というかアヒル口と呼ぶべきか、上目づかいで何かをおねだりする顔は、古今東西を見渡しても、ボクにはとても魅力的に感じられます。

 

 不良少年上がりで軍隊経験者の真面目人間、チョウも彼女を無視できず、つかず離れず面倒を見ているうちに、やがてベッドを共にするわけですね。けれども、彼女が隠していたクスリを発見。こうなると、刑事である以上は一緒にいるわけにいかない。その別れの時の泣き笑いの表情がね、いま思い出してもぐっと胸がつまるほど可愛いのであります。若い女性が使うカワイーでなくて、可哀想に近い可愛いなんだよね。可哀想たぁ惚れたってことさ、という有名な言葉がありますが、まさにそういう気持ちを渦のように引き起こす顔つきができる女優さんなのです。

 

 サマーを別れたきりで不幸にしたら、シナリオライターはただじゃおかねぇぞと誰かが投書したのか、しばらく後の回で、彼女は再び登場。シニアのカネ持ちと結婚式をするために戻ってきたという設定でした。ところが、例によって昔の仲間の犯罪に巻き込まれ、チョウは彼女にまんまと騙されたと怒ります。でも、やがて冤罪であったことが証明され、そのカネ持ちも無類のお人好しであることも分かって、ハッピーなエンディングに。真っ白なウェディングドレスを着てリムジンに乗り込むサマーに、チョウは言います。

 

「今度こそ幸せにな」

「うん」

 

 そう頷きながらも、サマーは眼の端の涙を拭うんですよね。チョウへの未練もきっとあったでしょう。そういう複雑な女心がとっても分かりやすい。男にそうした印象を与える女なんてウソつきだ演技じゃねぇかと糾弾する人もいるでしょうが、いいじゃないですか、騙されたって。ケチケチすんなよ。

 

 ということをいくら書いても、分からない人は分からないでしょうから、ネットで画像を調べてみてください。ボクは女優さんならイングリッド・バーグマンがこれまでダントツのトップだったのですが、そんな知的な美女よりも、近頃はサミーアのような豊かな表情ができる女優さんが好きになってきました。悲しい時はひいひい大声で泣き、嬉しい時は顔中を明るくして喜ぶ。笑う時には大口を開けてもらったほうが、こちらも楽しいじゃないですか。

 

 ついでに言えば、怒る時も愛嬌がなきゃいけない。はい、その通りでありまして、今の世の中、男女ともに愛嬌がなさ過ぎ。負けないことや自分を守ることに力を入れ過ぎて、つまりは余裕がないってことかな。

 

 顔かたちなんかより、ハンパな知性より、キャリアや立場なんかより、何はなくても人間は愛嬌こそがかけがえのない財産なのだ、ということを教えてくれた女優さんです。

 

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