恐ろしいだけでなく、嘔吐感すら催す本をようやく読了できました。『ヒトラーとドラッグ−第三帝国における薬物依存』(ノーマン・オーラー著、須藤正美訳、白水社)です。
本文が310ページ、索引や出典などが60ページで合計370ページのぶ厚い単行本であり、価格も3800円(税別)と今どき珍しいほどの高額。それでも購入したのは、『週刊文春』での立花隆氏の書評から、以前から疑問を持っていたナチス・ドイツの軍事戦略に対する疑問が氷解するのではないかと予感したからです。
洋書にありがちなくどいほどの情景描写とペダンチック(衒学的)な能書きを容赦なくカットすれば、半分くらいのページ数も可能なはずですが、カルテや主治医の日誌などの資料も豊富に掲載されており、ホロコーストさえ否定する親ナチス派を警戒して、事実関係に徹底的にこだわったのかもしれません。
感想を紹介する前に、ボクが抱いていたナチス・ドイツに対する疑問を紹介しておくと、なぜ多大な犠牲を払ってまで東部戦線=ソ連戦(ロシア)に執着したかということです。ナポレオン・ボナパルトも1812年にロシアに侵攻。いったんはモスクワに入城しながら、「冬将軍」と呼ばれる過酷な季節の到来もあって、結局は壊滅的な大敗を喫して退却。自身が流刑に処される原因となりました。こんな歴史はヨーロッパの人なら誰でも知っているはずですから、いくら地勢的な緊張関係は避けられないとしても、わざわざ攻めのぼっていくのは危険極まりない軍略としか思えないのです。ましてや勝ちにこだわって兵士や装備を追加投入するくらいなら、さっさと撤退して防御を固めたほうがよほど有利ではありませんか。
実際に、ヒトラーに退却を諫言しようとする将校も少なからずいたのですが、容赦なく失脚あるいは粛清されたほか、戦場でも逃亡する自軍兵士は撃ち殺せと指示していたそうです。すでにフランスを占領して西ヨーロッパを掌中にしていたのですから、こんな悲惨な戦いを続ける価値も意味もないと普通は考えませんか。
この本を読むと、そうしたヒトラーの無謀としか思えない戦略は、どうやら薬物がもたらした妄想的な思い込みが引き金になっていたらしい。それどころか、戦争の初期から前線では覚醒剤などのドラッグが盛大に使用されていたのです。
1939年9月にナチス・ドイツは突如としてポーランドに侵攻。それに呼応してイギリス、フランスが宣戦布告して第2次世界大戦が勃発したのですが、当時のドイツの軍備は優勢とは言えませんでした。同書によれば、ドイツ側は兵員が300万人で戦車は2439輛。それに対して連合国は兵員が400万人以上で戦車も4204輛。航空勢力もドイツの戦闘機は3578機でしたが、連合国は4469機。戦闘能力は別にして、単純に1・5倍程度の差があったと考えられます。
ところが戦車部隊で編成されたナチスの機甲師団は、アルデンヌの森を抜けてフランスとイギリス軍を中心とする包囲網をあっという間に突破。航空兵力も駆使した機動力の高い世界初の連携作戦は「電撃戦」と呼ばれていますが、僅か1か月足らずで当時最強といわれた軍隊を保有するフランスの占領に成功。この戦いでフランス海岸のダンケルクまで追いつめられた約35万人のイギリス兵を救出する「ダイナモ作戦」は、2017年に『ダンケルク』、昨年も『ウィンストン・チャーチル~世界をヒトラーから救った男』として映画にもなっています。
このように大戦初期のドイツ軍は、軍事的な劣勢を易々とはね返すほどの移動能力と戦闘能力を持っていました。けれども、怒涛とすら表現できる驚異的な侵攻を可能にしたのは、愛国心でも忠誠心でも誇りでもなく、メタンフェタミンを中心とする覚醒剤だったんですよね。同書には様々な薬品名とそれぞれの製造量、軍隊への配給量などが詳細に記載されているので、これは間違いのない事実だと思われます。
日本でも神風特別攻撃隊の出撃時には覚醒剤が与えられ、それが戦後になってヒロポンとして民間に普及。中毒者の行動が社会問題化して禁止されたという経緯があるほか、近年の中東の戦場でも使われていた形跡があるので、戦争に薬物はつきものといっていいかもしれません。
ゲルマンの純血主義と健全潔癖をスローガンとしていたナチスですが、もともと重工業が遅れて発達したドイツでは、廉価な設備投資で可能な薬品産業が伝統的に強かったようです。いずれにしても、真夜中のヨーロッパ大陸を猛スピードで駆け抜けていく何輛もの戦車の中で、ドラッグをキメた運転者と乗組員がギラギラと血走った眼で真っ暗闇の前方を見つめている不気味な姿をボクは想像してしまいます。
そして、ヒトラー自身も薬物に溺れており、もともと乏しかった軍事知識や戦略にもとづく偏執的な妄想で撤退を許さなかった東部戦線は総崩れ。政治的扇動者として天才ではあっても、軍事指導者としてのヒトラーは2流あるいは3流に過ぎなかったんですよね。彼を崇拝する生き残り組の将校たちも似たようなレベルですから、ちっとも格好良くない。誰が言ったか「一点突破全面展開」なんていうのも、戦国時代の桶狭間じゃあるまいし、近現代の高度な武装戦では負け戦を早めるだけの貧弱な結果に終わることがほとんどなのです。
同書の後半は、ヒトラーと主治医の薬物をめぐる奇怪な依存関係がこれでもかという詳しさで描写されており、時には吐き気すら感じるほど震撼しました。おかげでボクには珍しく、昨年に買った本を今年まで持ち越してしまったのです。戦争中の国家を率いる指導者がドラッグの依存症だったなんて、スティーブン・キングも驚愕するホラーとしか言いようがありません。彼の采配で600万人を超えるユダヤ人が虐殺され、500万人前後の将兵と150~300万人の民間人が死亡したんですからね。
こんな悲惨な事態に至ったのは、アドルフ・ヒトラーを最高権力者の地位から引きずり下ろせなかった独裁体制が構造的な原因といえるでしょう。だからこそ有志による暗殺が何度も試みられたのです。
ドラッグはさておき、人間は精神を蝕まれたり病気になるだけでなく、必ず老いていき、どんなに優秀な人も錯誤や間違いを犯します。それによって致命的な事態に陥らないためには、早期の交替を可能にする民主的な政治体制しかありません。日本でも大政翼賛会による独裁的な政治体制を経て太平洋戦争に突入しましたからね。
しかしながら、歴史は繰り返さないとはいうものの、似たようなことは何度もカタチを変えて巧妙に繰り返されます。モリカケ問題に発展した「忖度」だって、官僚たちの政権へのすり寄りというか服従ですよね。内閣人事局の創設による政権主導の官僚人事が影響しているといわれますが、これも昨日に書いた「支配と従属」の強化ってことです。
どんなに重要な会見でもなぜだか上着の前を開けたままのトランプ政権も含めて、ものすごくイヤーな予感がするのは、ボクだけなのでしょうか(ってことをこれまでに何度書いたかなぁ)。
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