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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

経済・政治・国際

2017年6月14日 (水)

ショッピングモールの衰退

 

 予想通りと言うべきか、アメリカでは小売店舗が建ち並んだショッピングモールが危機的状況のようです。詳しくは本日の日本経済新聞を読んでいただきたいのですが、クレディ・スイスでは「アメリカでは今後5年で最大4分の1のモールが消える」と予測しているほどです。記者が現地取材したのはアメリカ・ニュージャージー州のモールで、かつて100あった店舗で現在も営業しているのは約1割。ほとんどシャッター商店街ではありませんか。

 

 この原因は明らかで、誰が考えてもネット通販となるでしょう。もともと国土の広いアメリカでは日本よりも通信販売が発達していたので、インターネットでモノを購入することにも抵抗はないはずです。ボクなんかは実物を確認しないで買えるモノなんてお茶とか水とか冷凍食品くらいですけど、今では服だって着てみて合わなければ平気で返品する消費者も育っているので、遅かれ早かれ日本のモールも同じ運命を辿ることになるんじゃないかな。

 

 ちょっと歴史を振り返ってみると、まずは家庭用ビデオの普及によって映画館に足を運ぶ人が激減しました。次にインターネット。音楽配信&ダウンロード購入のおかげで、CDの売れ行きは大幅に減少。それと同時並行で書店もどんどん消滅しています。さらにショッピングモールも集客不振というのですから、これは近い将来に物品の種類を問わず「小売り店」という業態そのものがなくなることを意味しているのかもしれません。

 

 実際に、わざわざ外に買い物に行かなきゃいけないものなんて、あまり考えられないですよね。ボクは生協の宅配も利用しているので、好き嫌いさえ言わなければ、1週間ずっと家の中としても不便はまるでないわけです。

 

 では、そんな生活が楽しいかといえば、どんな豪邸に住んでいても退屈するに決まっています。だから、ネット通販の普及は「外出」の意味を変えていくことになるんじゃないかな。外で買い物はかつて「日常」でしたが、それが必要なくなれば、外出は「非日常」ということになります。

 ボクは常々、日本はあまりにもパーティが少なく、着飾る機会に乏しいと指摘してきましたが、そうした「非日常」を仕掛けることで、家にこもった人たちを引っ張り出すのが新しいビジネスになっていくように思います。

 

 まだ考え始めたばかりでまとまりはありませんが、斜陽と言われる映画館だって、つきあい始めた男女のデートの場という機能まで失ってはいないはずです。お互いをよく知らないのに、いきなり自宅でビデオ鑑賞なんて女性には危険極まりないじゃないですか。ただ、それを意識した環境づくりをしている映画館が少ないから行かないというだけのことです。

 

 ショッピングモールにしても、ただの商業集積だから疲れてしまうんですよね。ディズニーランドは広くて疲れるから行きたくないなんて誰も言わないように(お年寄りは別です)、そうした魅力をショッピングモールに持たせれば、みんなが寄り集まってくるはずです。

 

 要するに、ボクたちの持っているフレームワークやテンプレートがインターネット時代に合わなくなってきただけのことであり、逆にいえばそれに依存し過ぎていたような気もします。ということは、教育もまた旧来のフレームワークやテンプレートを取り替えなきゃいけないってことですけど、それに気づいている人がどれだけいるかなぁ。

 

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2017年6月 6日 (火)

国が壊れる時

 

 先週もロシア人の女性歌手、エカテリーナさんのライブに行ってきました。残念ながら、ボクの大好きな『モスクワ郊外の夕べ』は聴けなかったのですが、これはまぁある意味で仕方ないんですよね。

 

 というのも、彼女が言うには、ソ連の頃は毎朝6時くらいからこの歌が流れており、早起きが苦手な彼女は大嫌いだったそうです。だから歌うことがあっても、スローな民謡風でなく、アップテンポのジャズにアレンジしていました。日本なら朝っぱらから「夕焼け小焼けで日が暮れて」を流すのと同じではないですか。『モスクワ郊外の夕べ』は1957年の世界青年学生祭典のコンクールで第1位となったので、その内容はともかく、当時のソ連は官僚国家だったので、皆さんが上層部の意向を「忖度」して朝からせっせと聴くことを強制したのかもしれません。とすれば、今の日本と大して違っていないじゃないですか。

 

 それはともかく、ステージの合間にかわした短い会話で、日本に来た大きな理由が分かったのです。

 

 199112 25日午後7時に行われた記者会見で、ミハイル・ゴルバチョフはソ連邦大統領の辞任を表明。翌26日にはソ連最高会議・共和国会議でソ連の消滅が公式に確認されました。ここから先がボクたち日本人にはとても想像できないところでありまして、国は大混乱に陥るとともに、原始社会のような弱肉強食状態に突入したんじゃないかな。確かに当時はロシアンマフィアの暗躍が噂されましたよね。宝飾の世界でも彼らを意識した超高額品が盛んに作られたことがあります。

 

 そんな状態を彼女は日本語で「すごく怖かった」と表現しました。このためアメリカに逃げた友人や知人もいるらしい。あまり根掘り葉掘り訊ねるのも失礼なので途中でやめましたが、「ああそうか、あの国は壊れたんだよな」と再認識できたのです。

 

 壊れたというより崩れたというほうが近いかもしれませんが、実は似たようなことが1917年に起きています。ロシア革命が勃発すると、貴族や要職に就いていた軍人たちはこぞって各国に亡命。かの横綱・大鵬の父も、樺太に亡命したウクライナ人のコサック騎兵隊将校でした。

 

 歴史は繰り返すというか、因果はめぐるというべきか、およそ70年を経過して同じような社会の激変が起きたわけですね。日本も2度にわたって原爆を落とされ、太平洋戦争に敗北しましたが、少なくとも本土にいる限りは国を捨てなきゃいけない状況にはなかったと思います。

 

 どちらにしても遠い昔に遠い国のことですから、ボクが勝手に想像しているだけのことですが、こういう話を身近で聞けるのは刺激になりますよね。

 

 でもさぁ、そういうことをボクなんかより現実的に考えるのが政治家の役割じゃないですか。そのために外遊するというならどんどん行くのを許しますが、東京にいても聞く気さえあればこれくらいの話は聞けるんだけどなぁ。

 とにかく国を壊してはいかんのですよ、絶対に。そのしわ寄せは必ず弱い者から及んでいくことになるからです。

 

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2017年5月16日 (火)

支配された意思

 

 受動喫煙対策を強化する法改正が国会で頓挫しそうな気配を見せているようです。早い話が飲食店での喫煙を「原則禁止」にするのか、それとも「分煙」を認めるかってことですよね。

 

 アメリカやヨーロッパで喫煙場所探しに苦労してきたボクにとって、この国は今ごろ何を論議しているんだろうと呆れてしまいます。もちろん海外や先進国に倣えというつもりはまったくありません。けれども、喫煙による弊害は自己責任としても、他人の煙を呼吸させられて様々な疾患を発症しかねない「受動喫煙」は立派な(?)社会問題ですよね。公共の利益を優先するなら、どう考えても全面禁煙が合理的判断ではないでしょうか。

 

 5年ほど前は1日2箱を消費するほどのヘビースモーカーであり、今でも煙草をすいたいなぁと思うボクでさえこんなことは自明なのに、いろいろな妥協案が取り沙汰されているのは、飲食店の営業上の問題もあるでしょうが、何よりも国会議員の多くが喫煙者だからじゃないかな。煙草をすう側に言わせれば、全面禁止なんて個人の自由を奪うファシズムにも匹敵する暴挙じゃないかと。だからこそ「分煙」論も根強いのですが、これって喫煙者の大いなる誤解あるいは曲解が原因なのです。

 

 ズバリ言ってしまえば、スモーカーのほとんどは自分の自由意思で喫煙していると思い込んでいます。ところが、ホントの実態は「喫煙させられている」または「やめることができない」ニコチン中毒なんですよね。法律家がそんな依存状態になったら、マリファナやヘロインだって解禁できる理屈を必死になって考え出すんじゃないかな。つまり「喫煙させられている」ことに気づくことなく、自主的に「喫煙している」と誤解あるいは曲解してしまう。それこそがニコチン中毒の最大の特徴であり、問題点なのです。

 

 隷属的な依存状態にもかかわらず、あたかも自らの選択的な意思のように錯覚する。だからこそ離脱が困難になってくるわけですね。ボクは5年前に体調を崩したことから禁煙を決意して実行したのですが、やめて初めて自分がニコチン中毒だったことが分かりました。最初は大変でしたが、煙草をすわなくても原稿制作に何の支障もなく、質や量にも影響していないはずです。禁煙の前後で綿密に比較したら論文になりそうですけどね。

 煙草というのはそれほど強い依存をもたらすので、こんなにも有害な嗜好品を専売公社経由で国民に広めてきた国家と行政は、罪を悔い改めると同時に、ある程度の罰を受けなきゃいかんだろうと思うくらいです。少なくとも煙にしてしまった税金の一部を返還して欲しいなぁ。

 

 そんなことは現実的に無理としても、とにかくスモーカーは煙草に関して「自由意思」や「自由主義」なんぞを振りかざしてはいけない。まずは自分自身が大なり小なりのニコチン中毒であることを潔く認めて、「すっている」のでなく「すわされている」ことを自覚すべきです。そこからスタートしなければ、公平で客観的な議論は無理ってものです。

 

 こうした煙草における「依存者の屁理屈」に似た論理は、実はいたるところにあります。カルトや狂信的な思想だけではありませんよ。「習慣」や「前例」「常識」それに「横並び」だって強力な依存状態をもたらすと思うのです。

 というわけで、自分の意思だと信じていたことが、実は「思わされていた」なんてことは世の中に掃いて捨てるほどあります。みんながそれを自覚しなければ、個人の自由意思を基本とした民主主義もあり得ないじゃないですか。そうした「思い込み」=「洗脳」を防ぐためにも、民主主義と報道の自由は憲法でも不可分なセットになっているわけです。

 

 マスコミをやたらに批判・攻撃・責任転嫁したり、記者会見や取材を回避しようとする政治家は、そうした民主主義の基本をまるっきり理解していません。政治家として失格と烙印されても不当ではないだろうとボクは思います。

 

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2017年5月11日 (木)

半ズボン

 

 終熄に向かうかと思ったら再燃したりして、例の森友案件は首相も悩みのタネだろうなぁ。もとよりボクは彼らの教育方針も教育者にあるまじき二面性も大っ嫌いですけど、国家権力をバックにした官僚の皆さんは、彼らの「差し違える」「死なばもとろも」「一矢報いる」といった日本の伝統的&民族的な姿勢を許すつもりはまったくないようです。

 

 資料を廃棄したとかの言い訳やら、やっと出て来たけど真っ黒けっけの申請書なんか典型的です。何しろ首相の名前のついた小学校ですから、そりゃ隠したいのは山々でしょうけどね。予想される結果も、せいぜい末端の役人を処分して関の山でしょう。国家ってのは、いちど楯突くと悪魔のような怖い存在に変貌することを、もうちょっとボクたちは知った方がいい。この問題をそういう事例として見直してみると、日本という国の体質は戦前からほとんど変わっていないことが分かります。

 

 さて、大人の半ズボンです。ビーチやリゾート地ならいざ知らず、アスファルト・ジャングルといわれる大都会での半ズボンです。さらにはサンダルであります。

 

 ボクはこれらが、あくまでも個人的に大っ嫌いでありまして、どんな格好をするのも自由ということを認めながらも、目をそむけてしまうんですな。ボクだけでなく、某調査では女子が嫌いなファッションのベストテン上位に入っており、その理由は「毛ずねがイヤ」だそうです。そうだよなぁ、節がデコボコの太めのレンコンのような足も、細ければ細いにしても貧弱ですから、それが美的といえるかよぉぉぉぉと思うんですよね。仮に脱毛してツルツルにしたところで、ナマ足をさらすのは女子だけの特権と心得るべきじゃないかな。

 

 そんな批判を知ってか知らずか、半ズボンにサンダルの男子は年々増加しているように感じます。地球温暖化で蒸し暑いのだから、涼しい格好をしてどこがいけない、という反論が波のように寄せては返していきそうですが、そういう我慢というかこらえ性のない精神性がね、どうにも好きではないのです。誰だって自分が大切なんだから、他人を踏みつけて生き延びても仕方ないじゃんかという気持ちと相通じるものはありませんかね。えっ? ないってか。それならそれでいいんだけどね。

 ただ、もしも本気で涼しい格好になりたいのなら、ランニングシャツとステテコにしたほうがいいんじゃないかな。にもかかわらず、という中途半端な立ち位置こそが嫌いな理由なのです。

 

 以前にも書きましたが、エレガントという言葉はハードボイルドと同じく「痩せ我慢」の別名なんですよね。楽な格好をしたいというのもよく分かりますが、そこのところを忘れると精神性まで醜悪極まりなくなってしまう。これから本格的に始まる恐ろしい季節に向けて、ズブズブ、じゃなくてダラダラのグダグダにならないよう、ボクも含めて、皆さん心を引き締めようではありませんか。

 

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2017年4月14日 (金)

国家の本質は政権?


 ある程度の仕事経験を持つ人にはご理解いただけると思うのですが、いったんケチが付いた仕事って、まるで呪われたようにうまくいかないことが続きますよね。おかげで本日は早朝から定期検診があることもすっかり忘却。慌ててブログに取り組んでいます。

 

 取りあえずの話題として、緊迫する朝鮮半島情勢ですが、あの国を見ていると、いろいろなことに気づかされます。

 

 まず、以前にも指摘したように、国家というのは必ずしも地理的や民族的に自然発生したものではなく、政権が作ったものだということを再認識させられるのです。だってね、戦前までは日本の植民地だったにせよ、北も南もなかったんですよ。

 それが日本の敗北で、重い蓋がなくなったかのようにいきなり2つの国家に分断され、それぞれ大国を背後にした悲惨な戦争で同じ民族が殺し合うことになったのです。こりゃもう国家というのはどう考えても政権そのものということになるではありませんか。ということは「愛国心」というのは、つまり「愛政権心」ってことになるのかな。今なら「愛自民党心」でしょうか。ならば国旗掲揚や国歌斉唱は、いったいどんな意味を持つのかと考えてしまいますよね。

 

 戦争にしても、やはり政権が強力に推し進めた結果の事態であることが分かります。生活を切りつめてまで戦車や戦闘機やミサイルや核開発を進めるなんていうのは、やはり国民の総意とは考えられません。ご家庭で財布をはたいてナイフやライフルを何本も買うより、美味しいものをもっと沢山食べたいって思いませんか。

 

 おっと、もう時間がありません。そろそろ病院行きのバスに乗らなきゃいけませんが、東西に分断されたドイツだって1990年に再統合されたのですから、そろそろ一緒になれないのかなぁと。それを阻んでいるのもやっぱり政権だとしたら、そんな制度なんかさっさとやめて、むしろ大昔のように小さな領主たちが小さな権力を持って寄り集まっていたほうが平和だったのかなとも思ってしまうんですよね。

 とするなら、近代国家は戦争をやって勝つために生まれてきたのでしょうか。帝国主義の論理も分かるんですけどね。いずれにしても、20世紀の歴史をもう一度しっかり見直すべきではないかと本気で思う今日この頃なのであります。

 

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2017年4月10日 (月)

国と地方自治体

 保育所に入れない待機児童の問題は、もしかすると「逃げ水」と似ているのではないでしょうか。というのも、ボクが幼児の頃にオフクロが保育所探しに苦労したなんて聞いたことがないからです。

 その頃は保育所が今より多かったなんてことはあり得ず、ちゃんと調べてはいませんが、むしろ少なかったんじゃないかな。にもかかわらず、待機児童なんていう言葉はありませんでした。

 ボクがこの言葉を初めて聞いたのは、2001年に総理大臣になった小泉純一郎氏の所信表明演説です。昔なら紙の資料を引っ張り出して探さなきゃいけませんでしたが、さすがはインターネット時代でありまして、テーマが明確ならすぐに検索できます。該当部分は以下の通り。

 「女性と男性が共に社会に貢献し、社会を活性化するために、仕事と子育ての両立は不可欠の条件です。これを積極的に支援するため、明確な目標と実現時期を定め、保育所の待機児童ゼロ作戦を推進し、必要な地域すべてにおける放課後児童の受け入れ体制を整備します」

 今から16年も前に、こんなにご立派な言葉で「待機児童ゼロ作戦」宣言がなされていたのです。なのに「保育園落ちた日本死ね」が昨年の新語・流行語大賞の候補(トップ10)ですからね。
 衆知のように、その背景には共働き家庭の増加があります。これを美しく換言すれば「女性の社会進出の活発化」となり、正直なホンネで言い直せば「出産後も働かざるを得ない家計環境」となるのかな。
 いずれにせよ、子供を産んでも働きたい、あるいは働かなきゃいけない女性がどんどん増加すれば、保育所の数はますます足りなくなって当然です。つまり、小泉氏が演説した頃から保育所は「逃げ水」みたいなもので、少しずつ増やしていくようなやり方では需要にまるで追いつかなかったといえるでしょう。

 かといって保育所を一気に増加すれば、将来的にどうなるか。日本の総人口が減少に転じたことを考慮すれば、そんなに多くの保育所が存続できるとも思えません。

 このあたりの見通しや予測を、本来は厚生労働省や総務省が策定しておくべきなのに、できなかったからこそ「日本死ね」と呪詛されたのです。それが10数年以上も続いてきたことを考え合わせれば、国政はもはや社会動向を正確に把握し、諸処の問題を解決できなくなってきたと判断できるのではないでしょうか。

 待機児童に限らず、医療や年金に福祉・介護などなど、国が満足に対応できていない問題や課題は山のようにあるんじゃないかな。そりゃそうですよ。58万人程度の国家公務員(平成28年度末予算定員)が、1億2700万人=5340万世帯(平成27年国勢調査)の面倒を見切れるはずがありません。手に負えなくなってきたと言ったほうが早いかな。

 仮に人員を増やしたところで、予算がかかる割に効果は薄く、両手ですくった砂粒が指の間からこぼれ落ちるように多くの問題が必ず残ります。というのも、行政は国→都道府県→市→区→町村といったピラミッドになっているからです。この構造で、たとえば国の役人が町や村の実情を肌身で知ることなんてできますか。せいぜい分かるのは数字というデータだけですよ。

 だーからね、このブログでしばしば指摘してきましたが、社会の問題や課題に迅速かつ適切に対処していくためには、地方分権しかないんじゃないかな。社会が高度化・複雑化して、さらに情報化によって変化も加速しているのですから、少なくとも行政と国民の距離をもっと近くすべきでしょう。

 もちろんインターネットの活用も考えられますが、それだけでは人間の体温や息づかいみたいなものは伝わってきません。やはり大胆な行政改革を行って、国政は外交や防衛などに限定。国の権限のほとんどを地方自治体に拡散すべきです。それしか「逃げ水」に追いつく方法はないはずなのに、現実は逆でありまして、むしろ国の権限が昔より強くなっていると思うのはボクだけでしょうか。

 それがね、もしかすると巷間言われる現政権とナントカ会議が目指す「戦前回帰」の正体ではないかと。国家統制の強化とまでは敢えて言いませんが、それが国民のニーズを満たすにはかなり困難な政体であることは、前述した理屈からご推察いただけるのはないでしょうか。

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2017年3月13日 (月)

権力者の孤独(後)

 

 先週金曜日の宿題はいかがだったでしょうか。では、答え合わせを、ってほどのことではなく、そもそも正解なんかない問題ですが、案の定とはいうものの、韓国大統領の罷免が決定しました。以前に撮られた映像かと思いますが、彼女はひどく元気がなく無表情で、まるで今日あることを予測していたような風情が見られます。ボクってば、元・小説家志望だったせいか、権力の乱用ぶりよりも、そういうところを同情してしまうんですよね。

 

 さて、それに関連した宿題に戻ると、民衆を率いる権力者=大統領や総理大臣は重責を担うことから必然的に孤独感を深めていくので、それを救うにはどうすりゃいいかってことでした。旧知の親友は心おきなく話せる反面で、あの女性大統領のように、虎の威を借る狐を増長させて私腹を肥やすようになる可能性が高い。宗教は確かに心を癒やすにしても、それが政策の意思決定にまで及ぶと不合理な決断を促すことになりかねません。

 

 だったら、どうすりゃ権力者やリーダーは孤独感から救われるでしょうか。答を知りたいですか? どうしても、どおぉぉぉぉぉしても知りたいですか? って、またまたちょっとしつこいですよね。すいません、性格なものでして。

 

 これが正解とは限りませんが、ボクが考えるのは、やっぱり強い信念、あるいは崇高な理想です。それも「国民を幸せにする」「美しい国にする」なんていう曖昧模糊で漠然としたものではなく、たとえば「病気の治療費はすべてゼロにして健康大国を作る」とか「学費ゼロにして世界が参考にする教育大国を作る」といった具体的で分かりやすい目標や方針であります。費用ゼロしか思いつかないのかと叱られそうですが、どちらも目下の社会問題なので仕方ないじゃないですか。

 

 あるいは「幼児と老人、それに障がい者など弱者にやさしい国」でもいいし、「世界一安全な国」もありでしょう。あるいはボクのブログのタイトルから「誰もが生きやすい国」でも可です。これらのパクリはすべて許可します、というより奨励いたします。

 

 こういう信念または理想を持っていたら、それが実現するまで孤独を感じるヒマがなくなります。もちろん一人ぼっちで回りは敵だらけになるかもしれませんが、戦っている限りは空虚な心の隙間が生まれるはずがない。仮に政争に敗れて野に下ろうと(差別的でイヤな表現ですけど)、挫けることもないはずです。

 

 心の支えとなる、そうした信念や理想を失って戦うべきリングから下りた時に、人間はダークサイドに墜ちたり、邪悪な意図に屈したりするわけですね。

 

 だから、このブログで再三にわたって指摘してきたように、リーダーに必要なのは、学識やノウハウやスキルなんかではなく、何よりも信念=理想なんですよね。それさえあれば、負け戦の気配から率先して逃げ出すようなみっともないこともしないし、そもそもできないはずです。元・都知事のように、重大な決定を「わしゃ知らん」と他人のせいにしたり、やたらと忘れてしまうこともあるはずがない。

 

 もう分かっていただけたかと思いますが、この国には確固とした理想を持つリーダーに乏しく、その持ち方をきちんと教える学校もありません。学ぶは確かに真似ぶことが始まりでも、自分なりの信念や理想を持たない人間は羅針盤や海図を持たない船と同じであることを、教員から直接に教えられたことがあるでしょうか。

 

 以前に、会社の目標を「年間売上げ1000億円」として、中期目標を見ると「750億円」といった段階的な数字ばっかりで、その目標をいったいどのように実現するかという、具体的な戦術なり戦略、方法論がほとんど書かれていない長期計画書を見たことがあります。これが強権的に組織全体に伝達されていくと、超大手の某電機メーカーのように決算の数字をいじくるという大罪を犯すことになりかねないわけです。

 

 そんな悪行に手を染めたり、寂しくてつまらない人生を送ることのないように、ボクたち平民は、何が本当に大事な幹で、何が枝葉末節かを、常にチェックすることから始めましょうよ。

 

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2017年3月10日 (金)

権力者の孤独(前)

 

 韓国大統領の弾劾審判が本日午前中には決定するそうです。ボクにはあまり興味のない政治問題なので、どちらに決まっても「はぁそうですか」程度の感想しかありません。それよりも、彼女はきっと孤独だったんだろうなぁと、勝手に憶測してしまいます。

 

 選挙の洗礼も受けず、地縁・血縁などの根拠もまったく持たない一般人が政治に介入し、権力を濫用するという事件は封建時代の昔からありました。それを許してしまう理由は、どう考えても権力者の精神的な弱さです。強すぎれば独裁者になるので困ったものですが、どちらにしても、何千万という人間の頂点に立つなんていう心境は、ボクたちにはとても想像できません。裁判所前に泊まり込んでいるらしい罷免賛成派、反対派ともに、彼女の気持ちを忖度する人なんていないでしょうね。もししていたなら、そんなにも大きな声が出せるはずがないと思うのです。

 

 ボクのところみたいな超零細会社の社長だって負担を感じるのに、一国の大統領ともなれば、そりゃもう両肩がトン単位で重いどころの騒ぎじゃないはずです。しかも朝鮮戦争は今もって「休戦中」に過ぎないので、武力で一気に南北統一に動きかねない政権が虎視眈々と機会をうかがっていますからね。

 

 みんなに推されて韓国史上初の女性大統領になったのは喜ばしいとしても、それから国をどう運営すりゃいいかという段階で、両親ともに暗殺されていることから、困惑や悩みが泥沼的&重層的に深くなっていったのではないかなぁ。国会では野党が何かと反対ばっかりするしね。

 

 そんなこんなで気持ちが弱った時に、古くからの知り合いだか友人がそばにすり寄ってきて、「占いではこんなん出ましたから、右に行きまひょ右に」と自信を持って言われたら、つい頼ってしまうじゃないですか。それをいいことに、どんどん懐に入ってくる連中を止めることができなかった。やがて彼らは増長していき、大統領の権力を利用して国のカネを自分の財布にどんどん横流ししていったのです。

 

 誰だって想像できるストーリーであり、これをもって大統領の責任放棄とか失格とか、罪だの罰だのと指摘するのは当然です。国の税金を私的に流用してきた連中も絶対に許してはいけません。

 

 でもね、だったら、あなたが大統領になったらどうでしょうか。「ええええ、オレなんて(アタシなんて)そんなの無理よぉ」と言うなら、弾劾罷免に至るような事件は容易に繰り返されることになります。だってね、失敗から何も学ぼうとしなければ、同じことが起きるのは当たり前じゃないですか。

 

 ボクたちの限界をはるかに超えたスーパーマンを大統領に選ぼうにも、人間でそんな奴はいないのだから仕方ありません。すぐ隣にいるような奴が地方議会の議員となり、国会議員になって総理大臣になるわけですから、原因を突きつめて、自分なりの解決策を考えておかなきゃいかんでしょう。会社でリーダーになることも、まったく同じだからです。

 

 さて、ものすごい責任を担って孤独感が募り、精神的にもボロボロになってきた人間が救いとして頼るべきなのは何でしょうか。かの大統領は旧知の親友でした。いつライバルに寝返るか分からない政治家や、機械みたいな官僚より安心かもしれないけど、前述したように権力を利用して私腹を肥やす怖れが伴います。

 

 おそらくですけど、次に頼りにするのが宗教だろうとボクは考えます。宗教がいけないとは決して思いませんが、現世利益に走るようになると、やはり悪徳にまみれることが十分にあり得ます。大統領や総理大臣の政策が神様頼みというのも大問題だしね。

 

 ということで、友達もダメ、宗教も避けましょうというなら、権力者やリーダーの孤独を何が救うというのでしょうか。政策決定のプロセスといった法的問題は専門家に任すとして、ボクらのレベルでもこれくらいのことは考えておかないと、情報をただ単に消費したに過ぎなくなってしまいます。

 

 さて、再度問います。あなたは権力者やリーダーの孤独を救うものは何だと思いますか?

 

 絶世の美女? それは孤独を「癒やす」だけですから、やがて城を傾けてしまうことは歴史が証明しております。ここでボクの回答を紹介してもいいのですが、週末の思考訓練の宿題として、月曜日に続けることにします。

 

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2017年2月27日 (月)

発想の転換

 

 見るともなく見ていたので、その女性コメンテイターの名前は確認しませんでしたが、実に興味深い意見を聞くことができました。

 

 以前に司会者や出演者が揃って「分かったふうな」態度なので、すごく不快だと指摘した日曜朝のニュース番組です。だったら見なきゃいいのに、ほかにロクな番組がなく、イヤイヤながらちょっとだけ視聴してしまいました。その時は南スーダンのPKOがテーマでした。派遣された自衛隊の日報では「戦闘」と記述されているのに、防衛大臣が憲法に抵触しないように「武力衝突」と言い換えて国会で大きな騒ぎになったアレです。

 

 ちなみに、南スーダンは2011年に独立したものの、13年から泥沼の内戦状態に突入。そこで自衛隊が国連による平和維持活動の一員として参加していますが、1992年に成立したPKO協力法では「中立性が保たれていること」「武器の使用は最小限度とすること」などの5原則があります。ところが現地では「戦闘」だか「武力衝突」がエスカレートしてきたのです。

 

 もともと日本国憲法では「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明確に規定しています。にもかかわらず自衛隊というレッキとした軍隊を保持し、紛争解決、じゃなかった平和を維持するために、日本から遠く離れたアフリカまで派遣していること自体に大きな問題はあります。

 

 それはそれとして、南スーダンでは政府軍と非政府軍が衝突を繰り返しており、約250万人が難民化。こんな状態なら自衛隊は撤収すべきというのが正論に思えます。

 けれども、この内戦は民族間の争いに基づいており、やがて大量虐殺が発生する怖れがあるとして、前述の女性コメンテイターはむしろ軍を増派したほうがいいと指摘したのです。自衛隊ではなく、国連の平和維持活動全体についての意見なので誤解しないで欲しいのですが、これまでの紛争研究によれば、PKOの参加部隊が多ければ多いほど効果があるという意見でした。

 

 これはまさに発想の転換であり、ボクは眠気が醒めるほど瞠目しましたが、「分かったふう」な皆さんは完全に無視。同意はもちろん、反論すらありません。「分かったふう」に見せながら何も分かっていない人たちだなぁと呆れてしまいました。

 

 自衛隊をめぐる日本という小さな状況では、そりゃ撤収が最適な判断でしょう。けれども、南スーダンの一般民衆のことを考えたら、そうはいかないじゃないですか。民族の大量虐殺にまで及んだ内乱は歴史的に決して珍しいことではないので、PKO部隊が撤収で減少すれば、重石が軽くなったも同然で、どんな悲惨なことが起きるか想像もつきません。そうしないためには撤収より増派というのは、ボクには納得できる意見なのです。

 

 例えば夫婦喧嘩、といえばインテリの皆さんに笑われそうですけど、お互いに強烈な憎悪を抱く2人の異性が同居を続ければ、いつ殺し合いに発展してもおかしくありません。ところが、その家に近所のオジサンとオバサンが仲裁の意味で住みついたら、派手な喧嘩はできなくなりますよね。少なくとも包丁を振り回すような暴発的事態は避けられるはずです。

 

 南スーダンでは日本を含めた14か国がPKOに従事しているといっても、警官含めて8000人程度の規模なので、この家庭を例にすれば「大丈夫ですかぁ」とたまにオバサンが顔を出す程度の抑止力しかありません。そこで盛大にドンと5万人ほどを増強&派遣する。この規模なら政府軍・非政府軍ともに簡単に武力を行使できなくなります。銃を取って撃ち始めれば、即座にPKO部隊が出動して鎮圧するからです。彼らに必要な生活物資は各国から定期的に空輸すれば、現地に迷惑をかけることもありません。5万人の兵士は給料という定期収入もあるので、彼らが暮らすことで南スーダンが経済発展していく可能性だってあるじゃないですか。

 

 安全が確保されれば、他国や国境近辺に逃れた難民たちも故郷に帰還してくるはずです。その段階で選挙をやり直してもいい。普通に考えてもそうなるのは自明であり、PKOの継続的な研究でそれが証明されているなら、増派を検討したほうがいいと思いませんか?

 

 自衛隊の撤収が日本という国における「部分最適」であることは間違いないでしょう。そのほうが「事なかれ」だしね。ただし、南スーダンの民衆も前提にした世界平和という「全体最適」を求めるなら、PKOの増派も有力な選択肢になるはずです。

 平和が大切というなら、日本だけでなく世界のことも考えましょうよ。それこそがPKO派遣の主たる理由だったはずです。さもなければ、自国の尊厳だけを大切にする排他的な民族主義と変わりないじゃないですか。

 

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2017年2月23日 (木)

「ハナ木」にしようよ

 

 お役所が言い出して定着したことって、果たしてどれだけあるのかなぁ。ファッションでまず思い出すのは、腕をすっぱりと半袖にした「省エネスーツ」。言い出しっぺの羽田孜さんはお気に入りだったようですが、ボクの近辺であんな不格好なスーツを着た人を見たことがありません。

 

 けれども、近年のノーネクタイ「クールビズ」はボタンダウンのシャツと合わせて常識化してきたので、この2つで計算すれば成功率は50%ということになるのでしょうか。もっとも、補助金などの政策金融で国家的に育成してきた産業は昔から甘えん坊で競争力に乏しいと言われてきました。敢えて名前は挙げませんが、かつては国内シェアがトップだったコンピュータ系の凋落が著しいですよね。やっぱ『官僚たちの夏』なんてヨイショ小説じゃねーのと、非才なボクなんかは嫉妬がらみで思ったりします。あくまでも個人的感想ですけど。

 

 さて、本題は「プレミアムフライデー」です。ボクにとっては青天の霹靂、というほど大仰なことではありませんが、昨日に初めてその言葉を聞きました。今週号の『週刊新潮』で「週刊鳥頭ニュース」(佐藤優と西原理恵子)が早々と取りあげて批判していましたが、ボクも金曜日を午後3時に切り上げるというのは相当に無理があると思います。

 

 だってね、今や連絡ごとは電子メールが圧倒的な当社において、最も電話が多いのが金曜日なのであります。すいません、「最も多い」というのは相当な粉飾ですが、それでも電話がかかってくるのは金曜日の比率が高く、残業見直し気運が高まってきた最近まで遅い時間も珍しくありませんでした。

 

 一般的な会社の皆様も、土日の休み前の金曜日には片付けておかなきゃいけない仕事や連絡がいろいろとあるはずです。にもかかわらず、午後3時でさっさと退社できるのでしょうか。

 

 ということから、前述の「週刊鳥頭ニュース」で佐藤優氏は、イギリス留学時の経験を踏まえて、週半ばの水曜日を半ドン(分からなければネットで調べてください)にすることを提案しています。しかしながら、ボクは木曜日の早引けを強くオススメしたい。

 

 かつて「ハナ金」=花の金曜日という言葉がありました。今回の「プレミアムフライデー」はそのパクリに違いないとボクは睨んでいますが、その当時でも金曜日は忙しく、「わーい明日は休みだから今夜は遊び倒そうぜ」なんて人はあまりいなかったように思います。週末に向けて寄せては返す仕事の波が、金曜日には首のあたりまでひたひたに浸かっているので、そんなに早く退社できねぇよという感じだったんじゃないかな。

 

 その証拠に、しばらくして言われたのが「ハナ木」=花の木曜日だったのです。金曜日は仕事もプライベートもいろいろあるので、「みんなで遊ぶならやっぱ木曜日でしょ」ということです。それなら仕事を翌日に持ち越して、さっさと六本木や西麻布や赤坂や新宿や銀座に出かけられますから。このハナ木も言葉自体は衰退したようですが、習慣としては継続しているように思います。シティホテルなどにきっちり取材したいところですが、パーティや発表会、それに忘年会などの集まりが金曜日に開かれるケースは、ボクの経験では少ないように思うのです。

 

 そんなわけで「プレミアムフライデー」よりも「ハナ木」を復活させたほうが現実的ではないでしょうか。というより、個人的にはとっくにそうしていますけどね。

 

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