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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

経済・政治・国際

2017年4月14日 (金)

国家の本質は政権?


 ある程度の仕事経験を持つ人にはご理解いただけると思うのですが、いったんケチが付いた仕事って、まるで呪われたようにうまくいかないことが続きますよね。おかげで本日は早朝から定期検診があることもすっかり忘却。慌ててブログに取り組んでいます。

 

 取りあえずの話題として、緊迫する朝鮮半島情勢ですが、あの国を見ていると、いろいろなことに気づかされます。

 

 まず、以前にも指摘したように、国家というのは必ずしも地理的や民族的に自然発生したものではなく、政権が作ったものだということを再認識させられるのです。だってね、戦前までは日本の植民地だったにせよ、北も南もなかったんですよ。

 それが日本の敗北で、重い蓋がなくなったかのようにいきなり2つの国家に分断され、それぞれ大国を背後にした悲惨な戦争で同じ民族が殺し合うことになったのです。こりゃもう国家というのはどう考えても政権そのものということになるではありませんか。ということは「愛国心」というのは、つまり「愛政権心」ってことになるのかな。今なら「愛自民党心」でしょうか。ならば国旗掲揚や国歌斉唱は、いったいどんな意味を持つのかと考えてしまいますよね。

 

 戦争にしても、やはり政権が強力に推し進めた結果の事態であることが分かります。生活を切りつめてまで戦車や戦闘機やミサイルや核開発を進めるなんていうのは、やはり国民の総意とは考えられません。ご家庭で財布をはたいてナイフやライフルを何本も買うより、美味しいものをもっと沢山食べたいって思いませんか。

 

 おっと、もう時間がありません。そろそろ病院行きのバスに乗らなきゃいけませんが、東西に分断されたドイツだって1990年に再統合されたのですから、そろそろ一緒になれないのかなぁと。それを阻んでいるのもやっぱり政権だとしたら、そんな制度なんかさっさとやめて、むしろ大昔のように小さな領主たちが小さな権力を持って寄り集まっていたほうが平和だったのかなとも思ってしまうんですよね。

 とするなら、近代国家は戦争をやって勝つために生まれてきたのでしょうか。帝国主義の論理も分かるんですけどね。いずれにしても、20世紀の歴史をもう一度しっかり見直すべきではないかと本気で思う今日この頃なのであります。

 

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2017年4月10日 (月)

国と地方自治体

 保育所に入れない待機児童の問題は、もしかすると「逃げ水」と似ているのではないでしょうか。というのも、ボクが幼児の頃にオフクロが保育所探しに苦労したなんて聞いたことがないからです。

 その頃は保育所が今より多かったなんてことはあり得ず、ちゃんと調べてはいませんが、むしろ少なかったんじゃないかな。にもかかわらず、待機児童なんていう言葉はありませんでした。

 ボクがこの言葉を初めて聞いたのは、2001年に総理大臣になった小泉純一郎氏の所信表明演説です。昔なら紙の資料を引っ張り出して探さなきゃいけませんでしたが、さすがはインターネット時代でありまして、テーマが明確ならすぐに検索できます。該当部分は以下の通り。

 「女性と男性が共に社会に貢献し、社会を活性化するために、仕事と子育ての両立は不可欠の条件です。これを積極的に支援するため、明確な目標と実現時期を定め、保育所の待機児童ゼロ作戦を推進し、必要な地域すべてにおける放課後児童の受け入れ体制を整備します」

 今から16年も前に、こんなにご立派な言葉で「待機児童ゼロ作戦」宣言がなされていたのです。なのに「保育園落ちた日本死ね」が昨年の新語・流行語大賞の候補(トップ10)ですからね。
 衆知のように、その背景には共働き家庭の増加があります。これを美しく換言すれば「女性の社会進出の活発化」となり、正直なホンネで言い直せば「出産後も働かざるを得ない家計環境」となるのかな。
 いずれにせよ、子供を産んでも働きたい、あるいは働かなきゃいけない女性がどんどん増加すれば、保育所の数はますます足りなくなって当然です。つまり、小泉氏が演説した頃から保育所は「逃げ水」みたいなもので、少しずつ増やしていくようなやり方では需要にまるで追いつかなかったといえるでしょう。

 かといって保育所を一気に増加すれば、将来的にどうなるか。日本の総人口が減少に転じたことを考慮すれば、そんなに多くの保育所が存続できるとも思えません。

 このあたりの見通しや予測を、本来は厚生労働省や総務省が策定しておくべきなのに、できなかったからこそ「日本死ね」と呪詛されたのです。それが10数年以上も続いてきたことを考え合わせれば、国政はもはや社会動向を正確に把握し、諸処の問題を解決できなくなってきたと判断できるのではないでしょうか。

 待機児童に限らず、医療や年金に福祉・介護などなど、国が満足に対応できていない問題や課題は山のようにあるんじゃないかな。そりゃそうですよ。58万人程度の国家公務員(平成28年度末予算定員)が、1億2700万人=5340万世帯(平成27年国勢調査)の面倒を見切れるはずがありません。手に負えなくなってきたと言ったほうが早いかな。

 仮に人員を増やしたところで、予算がかかる割に効果は薄く、両手ですくった砂粒が指の間からこぼれ落ちるように多くの問題が必ず残ります。というのも、行政は国→都道府県→市→区→町村といったピラミッドになっているからです。この構造で、たとえば国の役人が町や村の実情を肌身で知ることなんてできますか。せいぜい分かるのは数字というデータだけですよ。

 だーからね、このブログでしばしば指摘してきましたが、社会の問題や課題に迅速かつ適切に対処していくためには、地方分権しかないんじゃないかな。社会が高度化・複雑化して、さらに情報化によって変化も加速しているのですから、少なくとも行政と国民の距離をもっと近くすべきでしょう。

 もちろんインターネットの活用も考えられますが、それだけでは人間の体温や息づかいみたいなものは伝わってきません。やはり大胆な行政改革を行って、国政は外交や防衛などに限定。国の権限のほとんどを地方自治体に拡散すべきです。それしか「逃げ水」に追いつく方法はないはずなのに、現実は逆でありまして、むしろ国の権限が昔より強くなっていると思うのはボクだけでしょうか。

 それがね、もしかすると巷間言われる現政権とナントカ会議が目指す「戦前回帰」の正体ではないかと。国家統制の強化とまでは敢えて言いませんが、それが国民のニーズを満たすにはかなり困難な政体であることは、前述した理屈からご推察いただけるのはないでしょうか。

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2017年3月13日 (月)

権力者の孤独(後)

 

 先週金曜日の宿題はいかがだったでしょうか。では、答え合わせを、ってほどのことではなく、そもそも正解なんかない問題ですが、案の定とはいうものの、韓国大統領の罷免が決定しました。以前に撮られた映像かと思いますが、彼女はひどく元気がなく無表情で、まるで今日あることを予測していたような風情が見られます。ボクってば、元・小説家志望だったせいか、権力の乱用ぶりよりも、そういうところを同情してしまうんですよね。

 

 さて、それに関連した宿題に戻ると、民衆を率いる権力者=大統領や総理大臣は重責を担うことから必然的に孤独感を深めていくので、それを救うにはどうすりゃいいかってことでした。旧知の親友は心おきなく話せる反面で、あの女性大統領のように、虎の威を借る狐を増長させて私腹を肥やすようになる可能性が高い。宗教は確かに心を癒やすにしても、それが政策の意思決定にまで及ぶと不合理な決断を促すことになりかねません。

 

 だったら、どうすりゃ権力者やリーダーは孤独感から救われるでしょうか。答を知りたいですか? どうしても、どおぉぉぉぉぉしても知りたいですか? って、またまたちょっとしつこいですよね。すいません、性格なものでして。

 

 これが正解とは限りませんが、ボクが考えるのは、やっぱり強い信念、あるいは崇高な理想です。それも「国民を幸せにする」「美しい国にする」なんていう曖昧模糊で漠然としたものではなく、たとえば「病気の治療費はすべてゼロにして健康大国を作る」とか「学費ゼロにして世界が参考にする教育大国を作る」といった具体的で分かりやすい目標や方針であります。費用ゼロしか思いつかないのかと叱られそうですが、どちらも目下の社会問題なので仕方ないじゃないですか。

 

 あるいは「幼児と老人、それに障がい者など弱者にやさしい国」でもいいし、「世界一安全な国」もありでしょう。あるいはボクのブログのタイトルから「誰もが生きやすい国」でも可です。これらのパクリはすべて許可します、というより奨励いたします。

 

 こういう信念または理想を持っていたら、それが実現するまで孤独を感じるヒマがなくなります。もちろん一人ぼっちで回りは敵だらけになるかもしれませんが、戦っている限りは空虚な心の隙間が生まれるはずがない。仮に政争に敗れて野に下ろうと(差別的でイヤな表現ですけど)、挫けることもないはずです。

 

 心の支えとなる、そうした信念や理想を失って戦うべきリングから下りた時に、人間はダークサイドに墜ちたり、邪悪な意図に屈したりするわけですね。

 

 だから、このブログで再三にわたって指摘してきたように、リーダーに必要なのは、学識やノウハウやスキルなんかではなく、何よりも信念=理想なんですよね。それさえあれば、負け戦の気配から率先して逃げ出すようなみっともないこともしないし、そもそもできないはずです。元・都知事のように、重大な決定を「わしゃ知らん」と他人のせいにしたり、やたらと忘れてしまうこともあるはずがない。

 

 もう分かっていただけたかと思いますが、この国には確固とした理想を持つリーダーに乏しく、その持ち方をきちんと教える学校もありません。学ぶは確かに真似ぶことが始まりでも、自分なりの信念や理想を持たない人間は羅針盤や海図を持たない船と同じであることを、教員から直接に教えられたことがあるでしょうか。

 

 以前に、会社の目標を「年間売上げ1000億円」として、中期目標を見ると「750億円」といった段階的な数字ばっかりで、その目標をいったいどのように実現するかという、具体的な戦術なり戦略、方法論がほとんど書かれていない長期計画書を見たことがあります。これが強権的に組織全体に伝達されていくと、超大手の某電機メーカーのように決算の数字をいじくるという大罪を犯すことになりかねないわけです。

 

 そんな悪行に手を染めたり、寂しくてつまらない人生を送ることのないように、ボクたち平民は、何が本当に大事な幹で、何が枝葉末節かを、常にチェックすることから始めましょうよ。

 

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2017年3月10日 (金)

権力者の孤独(前)

 

 韓国大統領の弾劾審判が本日午前中には決定するそうです。ボクにはあまり興味のない政治問題なので、どちらに決まっても「はぁそうですか」程度の感想しかありません。それよりも、彼女はきっと孤独だったんだろうなぁと、勝手に憶測してしまいます。

 

 選挙の洗礼も受けず、地縁・血縁などの根拠もまったく持たない一般人が政治に介入し、権力を濫用するという事件は封建時代の昔からありました。それを許してしまう理由は、どう考えても権力者の精神的な弱さです。強すぎれば独裁者になるので困ったものですが、どちらにしても、何千万という人間の頂点に立つなんていう心境は、ボクたちにはとても想像できません。裁判所前に泊まり込んでいるらしい罷免賛成派、反対派ともに、彼女の気持ちを忖度する人なんていないでしょうね。もししていたなら、そんなにも大きな声が出せるはずがないと思うのです。

 

 ボクのところみたいな超零細会社の社長だって負担を感じるのに、一国の大統領ともなれば、そりゃもう両肩がトン単位で重いどころの騒ぎじゃないはずです。しかも朝鮮戦争は今もって「休戦中」に過ぎないので、武力で一気に南北統一に動きかねない政権が虎視眈々と機会をうかがっていますからね。

 

 みんなに推されて韓国史上初の女性大統領になったのは喜ばしいとしても、それから国をどう運営すりゃいいかという段階で、両親ともに暗殺されていることから、困惑や悩みが泥沼的&重層的に深くなっていったのではないかなぁ。国会では野党が何かと反対ばっかりするしね。

 

 そんなこんなで気持ちが弱った時に、古くからの知り合いだか友人がそばにすり寄ってきて、「占いではこんなん出ましたから、右に行きまひょ右に」と自信を持って言われたら、つい頼ってしまうじゃないですか。それをいいことに、どんどん懐に入ってくる連中を止めることができなかった。やがて彼らは増長していき、大統領の権力を利用して国のカネを自分の財布にどんどん横流ししていったのです。

 

 誰だって想像できるストーリーであり、これをもって大統領の責任放棄とか失格とか、罪だの罰だのと指摘するのは当然です。国の税金を私的に流用してきた連中も絶対に許してはいけません。

 

 でもね、だったら、あなたが大統領になったらどうでしょうか。「ええええ、オレなんて(アタシなんて)そんなの無理よぉ」と言うなら、弾劾罷免に至るような事件は容易に繰り返されることになります。だってね、失敗から何も学ぼうとしなければ、同じことが起きるのは当たり前じゃないですか。

 

 ボクたちの限界をはるかに超えたスーパーマンを大統領に選ぼうにも、人間でそんな奴はいないのだから仕方ありません。すぐ隣にいるような奴が地方議会の議員となり、国会議員になって総理大臣になるわけですから、原因を突きつめて、自分なりの解決策を考えておかなきゃいかんでしょう。会社でリーダーになることも、まったく同じだからです。

 

 さて、ものすごい責任を担って孤独感が募り、精神的にもボロボロになってきた人間が救いとして頼るべきなのは何でしょうか。かの大統領は旧知の親友でした。いつライバルに寝返るか分からない政治家や、機械みたいな官僚より安心かもしれないけど、前述したように権力を利用して私腹を肥やす怖れが伴います。

 

 おそらくですけど、次に頼りにするのが宗教だろうとボクは考えます。宗教がいけないとは決して思いませんが、現世利益に走るようになると、やはり悪徳にまみれることが十分にあり得ます。大統領や総理大臣の政策が神様頼みというのも大問題だしね。

 

 ということで、友達もダメ、宗教も避けましょうというなら、権力者やリーダーの孤独を何が救うというのでしょうか。政策決定のプロセスといった法的問題は専門家に任すとして、ボクらのレベルでもこれくらいのことは考えておかないと、情報をただ単に消費したに過ぎなくなってしまいます。

 

 さて、再度問います。あなたは権力者やリーダーの孤独を救うものは何だと思いますか?

 

 絶世の美女? それは孤独を「癒やす」だけですから、やがて城を傾けてしまうことは歴史が証明しております。ここでボクの回答を紹介してもいいのですが、週末の思考訓練の宿題として、月曜日に続けることにします。

 

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2017年2月27日 (月)

発想の転換

 

 見るともなく見ていたので、その女性コメンテイターの名前は確認しませんでしたが、実に興味深い意見を聞くことができました。

 

 以前に司会者や出演者が揃って「分かったふうな」態度なので、すごく不快だと指摘した日曜朝のニュース番組です。だったら見なきゃいいのに、ほかにロクな番組がなく、イヤイヤながらちょっとだけ視聴してしまいました。その時は南スーダンのPKOがテーマでした。派遣された自衛隊の日報では「戦闘」と記述されているのに、防衛大臣が憲法に抵触しないように「武力衝突」と言い換えて国会で大きな騒ぎになったアレです。

 

 ちなみに、南スーダンは2011年に独立したものの、13年から泥沼の内戦状態に突入。そこで自衛隊が国連による平和維持活動の一員として参加していますが、1992年に成立したPKO協力法では「中立性が保たれていること」「武器の使用は最小限度とすること」などの5原則があります。ところが現地では「戦闘」だか「武力衝突」がエスカレートしてきたのです。

 

 もともと日本国憲法では「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明確に規定しています。にもかかわらず自衛隊というレッキとした軍隊を保持し、紛争解決、じゃなかった平和を維持するために、日本から遠く離れたアフリカまで派遣していること自体に大きな問題はあります。

 

 それはそれとして、南スーダンでは政府軍と非政府軍が衝突を繰り返しており、約250万人が難民化。こんな状態なら自衛隊は撤収すべきというのが正論に思えます。

 けれども、この内戦は民族間の争いに基づいており、やがて大量虐殺が発生する怖れがあるとして、前述の女性コメンテイターはむしろ軍を増派したほうがいいと指摘したのです。自衛隊ではなく、国連の平和維持活動全体についての意見なので誤解しないで欲しいのですが、これまでの紛争研究によれば、PKOの参加部隊が多ければ多いほど効果があるという意見でした。

 

 これはまさに発想の転換であり、ボクは眠気が醒めるほど瞠目しましたが、「分かったふう」な皆さんは完全に無視。同意はもちろん、反論すらありません。「分かったふう」に見せながら何も分かっていない人たちだなぁと呆れてしまいました。

 

 自衛隊をめぐる日本という小さな状況では、そりゃ撤収が最適な判断でしょう。けれども、南スーダンの一般民衆のことを考えたら、そうはいかないじゃないですか。民族の大量虐殺にまで及んだ内乱は歴史的に決して珍しいことではないので、PKO部隊が撤収で減少すれば、重石が軽くなったも同然で、どんな悲惨なことが起きるか想像もつきません。そうしないためには撤収より増派というのは、ボクには納得できる意見なのです。

 

 例えば夫婦喧嘩、といえばインテリの皆さんに笑われそうですけど、お互いに強烈な憎悪を抱く2人の異性が同居を続ければ、いつ殺し合いに発展してもおかしくありません。ところが、その家に近所のオジサンとオバサンが仲裁の意味で住みついたら、派手な喧嘩はできなくなりますよね。少なくとも包丁を振り回すような暴発的事態は避けられるはずです。

 

 南スーダンでは日本を含めた14か国がPKOに従事しているといっても、警官含めて8000人程度の規模なので、この家庭を例にすれば「大丈夫ですかぁ」とたまにオバサンが顔を出す程度の抑止力しかありません。そこで盛大にドンと5万人ほどを増強&派遣する。この規模なら政府軍・非政府軍ともに簡単に武力を行使できなくなります。銃を取って撃ち始めれば、即座にPKO部隊が出動して鎮圧するからです。彼らに必要な生活物資は各国から定期的に空輸すれば、現地に迷惑をかけることもありません。5万人の兵士は給料という定期収入もあるので、彼らが暮らすことで南スーダンが経済発展していく可能性だってあるじゃないですか。

 

 安全が確保されれば、他国や国境近辺に逃れた難民たちも故郷に帰還してくるはずです。その段階で選挙をやり直してもいい。普通に考えてもそうなるのは自明であり、PKOの継続的な研究でそれが証明されているなら、増派を検討したほうがいいと思いませんか?

 

 自衛隊の撤収が日本という国における「部分最適」であることは間違いないでしょう。そのほうが「事なかれ」だしね。ただし、南スーダンの民衆も前提にした世界平和という「全体最適」を求めるなら、PKOの増派も有力な選択肢になるはずです。

 平和が大切というなら、日本だけでなく世界のことも考えましょうよ。それこそがPKO派遣の主たる理由だったはずです。さもなければ、自国の尊厳だけを大切にする排他的な民族主義と変わりないじゃないですか。

 

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2017年2月23日 (木)

「ハナ木」にしようよ

 

 お役所が言い出して定着したことって、果たしてどれだけあるのかなぁ。ファッションでまず思い出すのは、腕をすっぱりと半袖にした「省エネスーツ」。言い出しっぺの羽田孜さんはお気に入りだったようですが、ボクの近辺であんな不格好なスーツを着た人を見たことがありません。

 

 けれども、近年のノーネクタイ「クールビズ」はボタンダウンのシャツと合わせて常識化してきたので、この2つで計算すれば成功率は50%ということになるのでしょうか。もっとも、補助金などの政策金融で国家的に育成してきた産業は昔から甘えん坊で競争力に乏しいと言われてきました。敢えて名前は挙げませんが、かつては国内シェアがトップだったコンピュータ系の凋落が著しいですよね。やっぱ『官僚たちの夏』なんてヨイショ小説じゃねーのと、非才なボクなんかは嫉妬がらみで思ったりします。あくまでも個人的感想ですけど。

 

 さて、本題は「プレミアムフライデー」です。ボクにとっては青天の霹靂、というほど大仰なことではありませんが、昨日に初めてその言葉を聞きました。今週号の『週刊新潮』で「週刊鳥頭ニュース」(佐藤優と西原理恵子)が早々と取りあげて批判していましたが、ボクも金曜日を午後3時に切り上げるというのは相当に無理があると思います。

 

 だってね、今や連絡ごとは電子メールが圧倒的な当社において、最も電話が多いのが金曜日なのであります。すいません、「最も多い」というのは相当な粉飾ですが、それでも電話がかかってくるのは金曜日の比率が高く、残業見直し気運が高まってきた最近まで遅い時間も珍しくありませんでした。

 

 一般的な会社の皆様も、土日の休み前の金曜日には片付けておかなきゃいけない仕事や連絡がいろいろとあるはずです。にもかかわらず、午後3時でさっさと退社できるのでしょうか。

 

 ということから、前述の「週刊鳥頭ニュース」で佐藤優氏は、イギリス留学時の経験を踏まえて、週半ばの水曜日を半ドン(分からなければネットで調べてください)にすることを提案しています。しかしながら、ボクは木曜日の早引けを強くオススメしたい。

 

 かつて「ハナ金」=花の金曜日という言葉がありました。今回の「プレミアムフライデー」はそのパクリに違いないとボクは睨んでいますが、その当時でも金曜日は忙しく、「わーい明日は休みだから今夜は遊び倒そうぜ」なんて人はあまりいなかったように思います。週末に向けて寄せては返す仕事の波が、金曜日には首のあたりまでひたひたに浸かっているので、そんなに早く退社できねぇよという感じだったんじゃないかな。

 

 その証拠に、しばらくして言われたのが「ハナ木」=花の木曜日だったのです。金曜日は仕事もプライベートもいろいろあるので、「みんなで遊ぶならやっぱ木曜日でしょ」ということです。それなら仕事を翌日に持ち越して、さっさと六本木や西麻布や赤坂や新宿や銀座に出かけられますから。このハナ木も言葉自体は衰退したようですが、習慣としては継続しているように思います。シティホテルなどにきっちり取材したいところですが、パーティや発表会、それに忘年会などの集まりが金曜日に開かれるケースは、ボクの経験では少ないように思うのです。

 

 そんなわけで「プレミアムフライデー」よりも「ハナ木」を復活させたほうが現実的ではないでしょうか。というより、個人的にはとっくにそうしていますけどね。

 

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2017年1月25日 (水)

無理が通れば……

 

 昔の人の知恵は凄いなぁと改めて感心します。

 最近では老子・荘子の「無用の用」でした。ある時計を紹介する時に思い出したのですが、役に立たないと思われている物事も、実はどこかで何かの役に立っているという意味です。老荘思想といえば紀元前ですからね。2000年以上も前に、車も冷蔵庫もパソコンもスマホもない時代に、「無用の用」を唱えたなんて、何という慧眼でしょうか。そういえば、このブログも「無用の用」の類ではありますが。

 

 これほど高邁な思想ではありませんが、直近で頭の中に浮かんだ警句は「無理が通れば道理引っ込む」です。国語辞書では「道理に外れたことが幅を効かすようになると、正しいことが行われなくなる」と説明されていますが、「横車を押す」といった類語もいろいろ探せるような気がします。

 

 言うまでもなく、アメリカの新大統領のことであります。それにしても、何でまた皆さん、ツイッターごときでああも簡単にひれ伏すような媚びを売るのかなぁ。日米貿易不均衡や自動車輸出の問題なんて、1980年代にさんざん聞かされたことです。トヨタの車をハンマーでぶっ壊す映像がテレビで流れたこともよく覚えています。だからこそ日本の自動車メーカーがアメリカで現地生産するようになったわけでね。今さら何を言っているんだろうと。

 

 こんなことはボクよりも詳しい人がいくらだっているはずですから、どうして誰も諫言しないのか不思議で仕方ありません。新大統領がこれまで従事してきた不動産業と、車などの大規模製造業ではビジネスの構造が大違いじゃないですか。土地を輸出したり輸入できるならやってみろと言いたい。

 

 第一に「アメリカ・ファースト」と彼が言うのなら、その反対側でも「中国ファースト」「ロシア・ファースト」「日本ファースト」、「都民ファースト」「アスリート・ファースト」などと実にうるさいことになりますよね。ちょっと毛色が違うのも混じってますけど。

 

 そして「ファースト」というのは並び立つことができない唯一の座ですから、みんながそれを言い出したら、競争、闘争、やがて紛争となり、もっと恐ろしい事態にも発展しかねません。こんなことは、歴史をちょっと振り返れば分かることです。

 

 いくら言ったところで「のれんに腕押し」と達観して腕組みするのでなく、ヘンな方向に過熱していかないように、ボクなんかより高学歴で賢くて発言力も地位もあるインテリゲンチャの皆さんが、率先して反論していかなきゃダメですよね。ヒラリーも選挙で負けたからって沈黙する必要はないと思うのです。

 

 でもねぇ「君子危うきに近寄らず」って言葉もちゃんとあるんだよな。いずれにしても「反知性主義」とか何とかの分析的言辞をぐじぐじ繰り返すだけなら、知識人も政治家も揃って再び敗北することは間違いありません。ここで頑張らなきゃどうすんだよって言ったところで、「ごまめの歯ぎしり」(実力のない者が、いたずらに苛立ったり悔しがったりすることのたとえ/故事ことわざ辞典)なのかな、はーあ。

 

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2016年12月12日 (月)

日本語で言おうよ

 

 いろいろな留保や注釈が付きますが、ボクは今のところ現都知事のやり方や政策を支持しています。伏魔殿なる言葉がありますが、そう呼びたくなるような意思決定における闇があぶり出されただけでも大きな成果ですから、どこかの記者が言いかけてみごとに反論された「大山鳴動してネズミ一匹」なんてことは決してないと思います。

 

 それとは逆に、まったくいただけないのがカタカナの連発であります。適切な日本語がない外来語ならともかく、「ワイズ・スペンディング」なんて噴飯物ではありませんか。賢いカネの使い方=無駄遣いの廃止という意味なら、そう言えばいいのに。

 だいたいね、トニー谷の大昔から近年のルー大柴まで、ついでにクヒオ大佐もはさんで、会話で英語を頻繁に使う奴というのは、あくまで個人的な意見ですが、お笑い芸人か怪しい奴、あるいは信用ならざる詐欺話ではないでしょうか。日本語で言うと疑われるので、分かりにくいカタカナを使ってケムにまく、または都合のいいように誤解・曲解させるってわけです。失礼ながら、やはり個人的な感想ですが、情報系の新興企業の経営者、学者や研究者なんかも外来語を多用する傾向が強いように思います。そのほうが賢くみえるからでしょうか。ボクはむしろ外来語を分かりやすい日本語に言い換えられる人のほうが賢いのではないかと思いますけどね。

 

 ただ、百歩くらい譲って、現都知事のカタカナは同情する余地がなくもありません。というのも、女性ということで侮る人もいるほか、豊洲、東京五輪競技場建設計画の見直しから、直近では政党復活予算の廃止など、都議会与党に敵対するような政策を進めてきたからです。

 

 猛烈な逆風びゅんびゅんが予想される状態の中で、「無駄な予算の徹底的な見直し」などと革新的な政策を率直に言えば、「だったらオレらは無駄遣いしてきたのかよぉ」と火に油を注ぐことになりかねません。それまでの政治人生でも、女性ということから一歩を引かざるを得ない局面も多々あったはずです。そこで、意味的な緩衝材を挟むという目的で、敢えて外来語を使ってきたんじゃないかな。おかげで「あら、またカタカナですよね」と自戒するくらいに習慣化してしまったわけです。

 

 それを象徴するのが「都民ファースト」と「アンシャン・レジューム」でしょう。

 

 まず前者ですが、どうして「都民優先」ではいけないのか。これはもうまったく自明で、今さらそんなことを標榜するというのは、それまで「都民優先」の行政ではなかったことになるからです。実際にそうじゃんかとボクは思いますが、都議会の与党議員の皆さんはもちろん、丹下健三が設計した壮大な東京都庁に勤務する職員の方々がやってきた仕事を否定することになります。けれども「都民ファースト」という言葉なら過去にありません。よってそうした過激な否定的意味は薄弱となり、何となく新しい政策のように見えるのです。

 

 ボクは東京五輪における合言葉の1つ「アスリート・ファースト」について関係者にこう質問しました。「ではそれまでアスリート・ファーストではなかったのですか?」。このカタカナを「競技者優先」と訳したら、誰だって同じことを訊きたくなるでしょ。どうやらロンドン五輪までは必ずしもそうではなかったらしいのですが、であるなら「関係者優先」「国益優先」、それとも「地域の都合優先」だったのでしょうか。

 

 それと同じように、今になって「都民ファースト」=「都民優先」を旗印にするってことは、これまでの行政がそうではなかったということを意味しています。都民が税金を納めているのにかかわらず、都民を優先した政策をしないってのはどういうことだよ、という疑問に対する1つの回答が「アンシャン・レジューム」なわけですよ。うひゃー、今度はフランス語だもんね。前都知事は東大卒でしたが、現都知事も負けずに賢いみたい。

 

 でね、フランス革命という歴史的な経緯を大幅に省略すると、早い話が「旧体制」ってことです。この旧体制に巣くう「頭の黒いネズミ」たちが、都の膨大な予算を我が物のように操ってきた、と。

 

 そんなことを都議会ではっきり言えば、議員の皆さんの怒りが沸騰するに決まっています。そこで、カタカナを使って衝撃を緩和しているに違いないとボクは解釈しております。

 

 何とまぁ政界は、いや人の世は実にまったく面倒くさいことか。だからこそ、そうした特段の理由がない限りは日本語で言うようにしましょうよ。

 気がついた人もいるでしょうが、この文章も特定の固有名詞や引用を除いて、外来語は一切使っておりません。そのほうが論旨は明解となり、言葉の無駄もないではありませんか。

 

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2016年12月 2日 (金)

真ん中

 

 日本はやっぱ中道が育たない国なんだなぁと思います。これを本気で説明するとすっごく長くなるので、簡単に言えば「真ん中」のポジションということです。

 

 こう表現すると、「ええー、オレって会議でも真ん中をキープしようとするけどね」という人もいるでしょう。でも、定規で長さを測れるようなことなら客観的に真ん中を規定できますが、政治も含めた方針や思想って奴は、そうたやすく判断できないんですよね。

 

 たとえば右と左があるとするなら、その間はグラデーションになっており、どちらかが優勢になってくると、途端にそっちのほうの色が濃くなっていくわけです。ということは、ちっとも真ん中じゃなくて、勝ち組に加勢するために洞ヶ峠で日和見を決め込んだ筒井順慶と大きな違いはありません。

 

 歴史的な事実は知りませんが、早い話が決定的な意見表明を保留しているだけのことであって、そんなことを中道とか真ん中と言ってはいけないのです。敢えて言えば「第3極」みたいなことですけど、それだって意見保留の上手な言い訳になったりしますよね。

 

 政治的な思想を例とするなら、戦後は左翼が大きな力を持ってきました。労働組合運動も活発となり、それが憲法9条を支えてきたといっていい。だってね、この条文を普通に読んだら自衛隊が存続できるはずないじゃないですか。軍事費だって当時は確か年間予算1兆円でシーリングされていたと記憶しますが、今では2兆円を超えたようです。憲法の条文がもしも「理想」を語ったとするなら、現実が大きくズレていてもちっとも不思議はありませんけど。

 

 そして、ここが問題なのですが、左翼系の言論がメディアで支配的になると、左側の論理を語る文化人は、右側の人たちより人気を集めることで「食える」ようになります。こういう時代が比較的長く続いてきたのですが、かといって「反戦」「非戦」というのは一国の理念や方針だけで実現するものではありません。交通事故と同じで、本人がいくら安全運転していようが、認知症の老人が高速道路を逆走してきたら死傷事故につながるじゃないですか。

 

 皮肉なことに、中国が経済力を急速に高め、北朝鮮も拉致事件が公となって核装備がリアリティを持つことで、日本全体がアジアの政治情勢に警戒感を持つようになりました。そうなると、今度は右側が激しく巻き返してくるようになります。長く続くデフレや不景気で自信を失った日本人にとっても、大和魂とはさすがに言わないまでも、文化や伝統や歴史や国民の性質を褒め称える排他的な民族主義はかなり心地良く響くわけです。

 

 逆に左側の言論人は急速に元気を失い、それによって右側の人たちはますます勢いづく。明け透けに言ってしまえば、もはや昔のように空想的で素朴な平和主義では食えない状況になっています。

 

 そうなると生活もありますから、いずれ雪崩をうってみんなが右側に流れていく可能性も否定できません。そんなことあるかいという人は、1940年に結成された「大政翼賛会」をちょっと調べてみてください。すべての政党が「勝ち馬に乗り遅れるな」と解散して合流した歴史があるのです。

 

 日本というのは聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって貴としとなす」のおかげで穏当な民族性だと思い込まれているようですが、実は相当に極端だということを自覚したほうがいい。もしも日本人がそんな民族性とするなら、わざわざ「和をもって」なんて言葉を憲法の条文にするはずがありません。

 つまりね、何でもかんでも二元論に集約されてしまい。真ん中=中道を認めないのです。歴史的な建築もそうじゃないですか。どんどん取り壊して建て替えていく。つまり、壊すか残すかの二元論となり、ほとんどは壊して建て替えとなります。補修して維持という「真ん中」にはなかなかならない。そうなるのは世界遺産レベルの価値が確定したものに限られています。

 

 中国でも孔子の中庸は過激な思想とされているらしいので、こうした傾向は日本だけではありませんけどね。ボクは誓って言いますが、右でも左でもありません。どっちつかずの日和見なモノカキでありますが、オリンピックの競技場や築地市場の移転問題も、「真ん中」の意見が認められなかった、あるいは敗北したことが現在の混乱を招いていると思うのです。

 会議でも生き方にしても、「真ん中」に踏みとどまるというのはものすごく難しい。でも、それを今こそ目指すべきではないでしょうか。

 

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2016年11月30日 (水)

ロボットの経済学

 

 たとえばクルマや冷蔵庫を作るためには、大きな工場と大きな設備や機械と多数の人手が必要になります。それ以前に、物理学や機械工学や化学なんかが発達していないとダメですよね。さらに、クルマや冷蔵庫を動かすためにはガソリンや電気が不可欠です。

 

 ところが、人間を1人作るなら、それほどの設備も燃料も必要ありません。少なくとも男1人に女が1人いれば、部屋がなくてもクルマの中で、って冗談ですけど、何らかの疾患や支障がない限りは、資金不要で、まさに気持ち良く人間を再生産できます。

 

 では、ロボットを一体作るにはどれだけかかるでしょうか。アトムのようなロボットはまだ現実化していませんが、空を飛ばないまでも、初期型の完成までに数十億円、いや数百億円単位の投資が必要になるのではないでしょうか。

 一方、デート代や結婚式費用などを除いて、直接的な初期投資が出産費用程度で生まれてきた人間の平均生涯年収は、大卒者で2億~3億円という調査があります。もちろん教育投資も必要ですが、ごくごく単純に費用対効果だけを計算すれば、ロボットより人間のほうが今の段階では圧倒的に「コスパ良すぎ!」ということになるはずです。

 

 そう考えると、かつてアフリカ大陸から奴隷を大量に輸入した米国は、みごとなまでに狡賢く合理的ではありませんか。輸送費はそれなりにかかっても、食事と小さな住み家さえ与えれば、死ぬまでに1億円分くらいの仕事はやってくれる。ついでに人間も再生産してくれますから、米国が急速に発展・成長したのも不思議ではありません。

 

 もちろん、この論理には人道や人権というヒューマニズムがすっぽ抜けております。ただね、どうしてロボットが必要なんだろうと。人間ができないことをやらせるという理屈もあるでしょう。だったら囲碁や将棋のAI=ロボットは無駄の極致ではありませんか。そんなのは人間同士でやりゃいいんですから。

 

 思考がまるでまとまっていないので恐縮ですが、ロボットの本質的な価値に関する研究や論考がそろそろ必要ではないかと考えているわけです。たとえば「えー、ロボットいかがっすか。今なら1億円ポッキリですぜ」と言われて、「そりゃ高いなぁ、人間のほうがよっぽど安いじゃないか」というようなことにならないでしょうか。

 

 これまでもっぱら科学や好奇心で語られてきたロボットを、いよいよ本気で社会学ならびに経済学すべき時期ではないかと思い始めている今日この頃なのであります。

 

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