笠木恵司の主な著書

  • キャリア・チャレンジ2009-2010
  • 資格試験合格後の本
  • 学費免除・奨学金で行く大学・大学院進学・休学・留学ガイド
  • 価値ある資格厳選200
  • インターネットでMBA・修士号を取る
  • 腕時計雑学ノート
  • 「国際標準」ビジネス資格完全ガイドブック
  • 日本で学べるアメリカ大学遠隔学習プログラム
  • テレビ局完全就職マニュアル
  • 資格の達人
  • MBA入学ガイドブック
  • 学んで! 遊んで! 役に立つ! インターネットキャンパス
  • 日本で学べるアメリカ大学通信教育ガイド

お気に召したら、ポチっと↓

  • 笠木恵司のブログ

福助くん その6

  • D_p1000397_s
    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

  • 5djustice3f5d5575e032a1
    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

経済・政治・国際

2020年9月16日 (水)

無事之名馬

 

 どうもボクは好感を持てないのですが、菅さんが首相になった夜に知人のイギリス人がラインを送ってくれました。

    Congratulations for your new prime minister, Is this good/bad news in your opinion?

 新首相の誕生おめでとう。あなたの意見ではこのニュースは良いこと/悪いこと? というような意味ですが、そんなことを簡単に英語で表現できるわけがない。そろそろ眠ろうと思っていたので、取り急ぎ「何にも変わらないよ」と返信。

 すると「それはいいこと悪いこと?」と繰り返されて、軽く驚きました。相手にではなく、ボク自身に、です。てっきり悪いニュアンスが伝わると思い込んでいたのに、この知人は外国人のせいかニュートラルなスタンスで「どっちだよ」と重ねて聞いてきたわけですね。それで、ボクがいつの間にか変革・革新=善、保守=悪という前提でモノを考えていたことに気づかされたのです。

 よくよく考えてみれば、変わらないということは決して悪いことではありません。とりわけ昨今の新型コロナ禍では、感染しないで普通に日々を過ごせるのは、むしろ慶賀とすらいえますよね。

 かの文豪・菊池寛も「無事之名馬(ぶじこれめいば)」という言葉を残しています。馬主でもあった彼は、能力が少しばかり衰えても、ケガすることなく元気に走り続ける競走馬を「名馬」と評したのです。とすれば、世の中のほうも取り立てて大きな変化がなく、いつものように平穏に平安に過ごすことができれば、一番のハッピーではないか。

 だからといって、いまの政治で十分なんて死んでも思いませんが、変わらないことを願う人は少なくないどころか、圧倒的な多数派であることを失念していました。野党の皆さんも、おそらくボクのように考えてきたんじゃないかな。それこそが低迷が続く原因であり、いつまでも政権交代できない最大の理由なんだよな。変革や革新は、むしろ勝者・強者の論理なのかも知れない。遅すぎると笑われそうですけど、寝入りばなにそんなことが頭の奥で閃いたのであります。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年9月15日 (火)

ルールを疑え!

 

 どんな法律があるのか知りませんが、国のリーダーである首相を国民が選べないというのは、ちょっとおかしくありませんか。議員内閣制とやらも結構ですが、コップの中の政争だけで首相を決めてしまっていいのかなぁ。今回は候補がたった3人だけで、しかも派閥の多くが1人に集中的に相乗りする大政翼賛会状態。こんなもん、コップどころか猪口の中の嵐、いや小さな渦みたいなものじゃないか。

 にもかかわらず、テレビは全局が投票風景を中継しておりました。しかも、それまでの報道内容は各候補の人柄と人間関係論ばっかり。政策の違いなんか、どの局もしっかりと深掘りしていません。おかげさまで彼らと仲の良いジャーナリストがテレビに出ずっぱり。これではみんなが勝ち馬に乗ろうとするのも無理はないよな。

 念のためにおさらいしておくと、太平洋戦争の前年である1940年10月12日に大政翼賛会が結成されました。すべての政党が自主的に解散して合流。やがて近衛内閣が総辞職すると、陸軍大将で陸軍大臣を兼任する東条英機が首相に就任。太平洋戦争への火蓋が切られることになります。その大政翼賛会結成時の合言葉が「バスに乗り遅れるな」そして「勝ち馬に乗り遅れるな」だったんですよね。その結果として、およそ230万人の兵士が死亡。民間人も海外在住者を含めて80万人が殺されました。

 こういう歴史を知っていると、自民党1強支配が何年も続いて官僚人事も牛耳ることが可能になり、複数の派閥がまとまって1人の候補を支持するなんていう状況が気持ち悪くて仕方ないのです。にもかかわらず、テレビで「こんな首相選挙はおかしい。国民のためのものじゃないよ」と率直な異論をぶつける人にお目にかかったことがありません。どいつもこいつも優等生面して、「それが法律」「それがルール」みたいな正論をほざきやがる。おっとどっこいで、国民の代表を国民1人ひとりの投票で決める方がよっぽど正論だとボクは思うぞ。

 要するに、教科書も試験問題も、教員の教育すら決して疑うことなく、素直に愚直に従ってきた羊の群れが今の日本国民なんだろうね。将棋をやっていて、どうして二歩がいけないのかという疑問すら持てないほど過剰適応してしまった。その重い重いツケをこれから支払っていかなきゃいけないということに、果たしてどれだけの人が気づいているのだろうか。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

2020年8月27日 (木)

アリのママ


 「ナスがママならキュウリはパパだ」という歌があるそうです。アニメ映画『アナと雪の女王』では「アリのママでぇ」とシャウトするのが主題歌ですけど、こちらはパパへの言及がありません。

 この「ナスがママ」と「アリのママ」がボクは大嫌いでありまして、若い頃からいろいろと努力を続けてきたつもりですが、「そうなっているんだから仕方ないじゃないか」とか「キミひとりが頑張っても社会は変わらんよ」などと言われ続けてきたんですよね。

 ただ、『アナ雪』で歌う「アリのママ」は、「ナスがママ」とはかなり違います。自分に確固たる意志があるのに、それを抑圧しなきゃいけない状況からの脱出を意味しているのに対して、「ナスがママ」は従属や他者依存の肯定ですよね。「アリのママ」は能動的な自立の歌ですけど、「ナスがママ」は受動的な他律ってことです。そりゃね、無駄な抵抗はしないほうが楽に過ごせますけど、それでは進歩できるはずがない。

 日本がバブル崩壊したのは、はるか30年ほど前の1990年代初頭です。それからずーーーーーーーーーっと経済が低迷してきたのも、この「ママ」たちが跳梁跋扈してきたからではないでしょうか。

 おかげで社会資本はどんどん劣化・毀損しているのにもかかわらず、修復や改善が、それこそママなりません。たとえば首都高速の橋脚を見上げるたびに、これで大丈夫かよと不安になってきます。

 そろそろ強い「パパ」が登場しなきゃいかんだろうと思っていたら、これもアメリカのほうが先んじており、トランプが大統領になってしまいました。毀誉褒貶が極端な人ですが、何もしてくれない既存の政界人に比べたらよほどマシじゃんかというのが、支持者のメンタリティじゃないかなぁ。

 とすれば、日本で期待したいのは、やはり「半沢直樹」でしょう。テレビドラマは漫画そのもので、あまりにもバカバカしくて見ていませんが、世界がいま求めているのは、保守的な「ママ」ではなくて「パパ」、つまり父性にほかならないとボクは思います。それが強権や独裁と誤解されるとエラいことになりますが、長く続いた「ママ」の時代をそろそろ終わりにしましょうよ。少なくとも変化を呼び込む「パパ」が期待されていることは間違いないはずです。それがITやAIなんて、人間として情けなくて涙が出そうになります。


ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2020年8月11日 (火)

大きいことは……

 

 ヒゲがトレードマークだった作曲家の山本直純氏が気球に乗ってタクトを振り、「大きいことはいいことだ」と歌ったのは1968年。これがチョコレートのテレビコマーシャルということはすっかり忘れられましたが、その文言だけは、およそ半世紀を経ても、まるで悪魔の呪文のように長く生き残ることになりました。

 「寄らば大樹の陰」という言葉もありますが、必死で勉強して有名大学を出たら大手企業に入社できて一生安泰、なんてことをつい最近まで、いや今でも信じている人は少なくないんじゃないかな。何しろ資本主義社会は資本=カネの多寡がパワーに直結しますからね。ウソだと思うなら、メガバンクや大手生保・損保会社の名前の変遷をチェックしてみてください。M&Aを繰り返して巨大化してきたため、やたら長い名前になっていた時期があるんだよな。熾烈化する国際金融戦争に小資本では勝てないということで、おそらく旧・大蔵省や旧・通産省が「大きいことはとってもいいことなんですよ」と指導したんじゃないかな。

 けれども、現代では図体が大きければ大きいほど経営が困難になってきました。猛スピードで進行する技術革新に即応しなければならないのに、それができない。組織として小回りがきかないという以前に、「寄らば大樹」を信じて入社した人たちは、受動的な「ぶら下がり族」になり果てたりするからです。経営幹部が保守的なために、世界的な新技術を「ハイリスク」「時期尚早」として握りつぶした事例も結構あるんですよね。そうした自己保身に陥りやすいメンタリティをうまく排除したのが、かつてのリクルートだとボクは思いますが、長くなるので、またいつか。

 いずれにしても、大企業のメリットは多数の社員をピラミッドのように垂直統治した組織力でしたが、それだけに目まぐるしく変わる社会やテクノロジーに即応できなくなっています。その一方で、シリコンバレーのハイテク企業は少人数から始まり、あっという間に巨大化することを繰り返してきました。そうした激しい、時には過酷な新陳代謝によってアメリカは世界一の経済力を維持してきたのに、日本はどんどん下位に沈むばかり。太平洋戦争時の帝国海軍がテーゼとしていた「大艦巨砲主義」は、戦後もまるきり変わっていなかったのです。真珠湾攻撃は航空兵力が勝利をもたらしたはずなのにね。

 では資本力はどうか。日本企業はかつてなかったほどの内部留保を抱えているといわれます。おかげで新型コロナの猛威も何とかやり過ごしているようですが、内部留保というのは、要するに使わないカネですよね。金庫にしまい込んだカネが1年たったら2倍に増えていたなんてことはあり得ないのですから、使わなきゃ意味がない。ある程度の内部留保を否定するわけではありませんが、言ってみれば後ろ向きの貯金じゃないですか。

 つまり、もはや「大きいこと」はちっともいいことではないのです。なのに、新卒の就活では知名度の高い出来上がった大企業ばかりを追い求めるんだよな。 

 だからね、この悪魔の呪文を現代的に正しく言い換えるとするなら、「大きくするのはいいことだ」なんですよね。小さな会社を大きくすることが、若い人たちに与えられた連綿と続く使命じゃないですか。折しも新型コロナによって、過去の常識はどんどん覆されています。寄りかかれる大樹なんかどこにもない。だったら、自分自身でビジネスや会社を大きくしてやると思ってほしいな。日清・日露戦争の指揮官や財界人たちは、それに似た強固な志をもって大国との不退転な戦いに臨んだはずです。

 その成功体験だけを追いかけて大失敗したのが太平洋戦争なんだけど、過去を正しく学ばない習慣は新型コロナ禍でも繰り返されているようですね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

人気ブログランキングへ

 

 

 

 

 

2020年8月 6日 (木)

自分の仕事をしろよ


 小池都知事が口うるさい保健所のオバサンみたいになってきたと思ったら、今度は大阪の吉村府知事が薬屋のセールスマンのようなことを言い出しました。

 3密を避けて、手洗いを頻繁に行い、たとえ家族でも日用品は別々にしましょう、ということに異論はありません。帰省も今年は控えたほうがいいというのも同感です。ピカドン、じゃなかったポビドンヨード (悪い冗談ですいません)入りのうがい薬が口中のウイルスを減少させる効果があるってことも、それなりに有用な情報ではあります。新型コロナは発症前にも強い感染力を発揮するほか、若い人の多くは無症状とされています。だからこそ他人にうつさないようにマスクで飛沫を抑えているわけでね。その意味では、くそ暑い時期だけに、このうがい薬を使えば、マスクを適宜外せるという効果はあるんじゃないかな。少なくとも無駄な知見ではないはずです。

 ただし、それらの告知や広報は、自治体の首長がやるべき仕事ではないんじゃないかな。具体的な衛生指導は、行政組織の中にしかるべき部署があるじゃないですか。うがい薬の効能だって、何も府知事がテレビで記者会見するようなことではありませんよ。画期的な特効薬なら別だけど。おかげでイソジンの棚は空っぽだもんね。

 だからといって文句を付けられる筋合いではありませんが、知事として、ほかにやることはないのかなぁ。以前の報道では、医療関係者のボーナスが軒並み大幅に減少。中にはゼロという病院もあったとようです。病院経営も、ウイルスで頑張ったところほど危機的状態になったとも聞いています。だったら、国から予算をふんだくってくるとか、地域住民から寄金を募るとか、そういうことをテレビで言うべきじゃないかな。

 ぼくが何度も「当事者能力」と言い続けてきたのは、そうした広域に及ぶ福祉的な発想や行動力なのであって、手を洗えうがいしろよ歯を磨いたか、なんてことはドリフの長さんなんかにまかせておけばいい。かといって、そこらの校長先生のように何の役にも立たない独創性皆無の故事成語を引用されても苦笑するほかありませんけどね。

 どうやら責任者や地位ある人たちは、途方に暮れると実に些末なことを言い出すのが習性のようです。ここでもね、日本のリーダー教育がどれどけ貧弱か分かるじゃないですか。何とか塾の出身者だって、あの原発事故以来、すっかりメッキが剥げちゃった。せっかく権力を手に入れたのなら、それに見合った自分の仕事をして欲しいなぁ、さもなきゃ次はきっちりと落選させるというのが、本来の民主主義社会だろうとボクは思います。

 だったら安倍さんはどうよと、話はどんどん堂々めぐりになるから、この手の話題は始末に終えないんだよな。


ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2020年7月 3日 (金)

言葉遊び

 

 本日は早朝から取材のための移動があるので、簡単にまとめます。

 連日50人を超えていた都内の感染者が、昨日になってとうとう100人を超えてしまいました。これが第2波なのかどうかという論議もそうですが、国も自治体も対処法がなくなり、言葉を弄ぶだけになってしまったようです。再び緊急事態宣言→休業要請すれば、それを補償する給付金をセットにしないと効力がありませんが、もはや予算がないってことなんでしょうね。でもさ、安倍さんは予備費として10兆円を用意したはずなんだけどな。

 いずれにしても、記者会見で都知事が麗々しく掲げた「感染拡大要警戒」なんて、何か具体的な意味があるのでしょうか。「危ないから気をつけてね」なんて、ボクたちだって言えることです。そんなことより具体的な対策を実施すべきですよね。

 こうなったら、覚悟して「自己責任」で生きるほかないようです。自主的に巣ごもりを復活するのも、混雑した電車で通勤して仕事をするのも、すべて命がけの「自己責任」。こんな放置状態でいいのかと思うけど、都知事選の立候補者も大した人はいないですから、以前に書いた「ジャングルの掟」に従って生きるほかなくなってきたようです。

 今こそ創造的なリーダーが必要なのに、どこにも見当たらないというのは、国家的な悲劇というほかありません。


ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

2020年6月30日 (火)

クラウドファンディング


 今から10年以上も前になるかな。クラウドファンディングという言葉が上陸したばかりの頃です。ボクはインターネットが草の根民主主義の実現につながると信じていたので、クラウドファンディングも投資の民主化を促すのではないかと大いなる期待を持っていました。

 そんな頃に、ある超有名な経済学者にインタビューする機会があったので、その話題を振ってみたのです。当時はアメリカの投資・金融業がイケイケ&ドンドンの大活況であり、日本はそのはるか後ろで塵や埃を拝していました。ま、いつものことではありますけど。

 クラウドはそんな状態を打開する新しい手段として認識されているのではないかと、ボクは希望を込めて思い込んでいました。ところが彼は、ひどくつまらなそうな顔で「フン」と鼻からひとつ息を吐き、「そのカネをどこに投資するんだね」と斜に構えて嘲笑したのです。「カネをいくら集めても有力な投資先がなきゃ仕方ないだろう」と、驚くほど冷淡な態度だったことを今でもありありと思い出します。

 ところが、彼の予想に反してクラウドファンディングはじわじわと普及。今回の新型コロナ禍では、様々なカタチで飲食やサービス業などをサポートしているようです。たとえば倒産寸前のラーメン店がネットでクラウドを募集。目標を上回る資金を得たと報道されました。寄付ではなく、あくまでも投資ですから、リターンがなければいけません。そこで休業要請解除後に使える未来の飲食券を配布するなど、いろいろと工夫しているみたいですね。

 従来の投資と異なるのは、そこに利回りなどを超えた人情や精神性が絡んでいることです。その店のラーメンが大好きだとか、店主の人柄に惚れるとか、要するにカネ勘定だけでの投資ではないんですよね。オリジナルの時計を限定数だけ製作するというクラウドファンディングもありますが、こちらもマニアックな趣味性が大前提となっています。つまり、儲けることだけが目的で投資するわけではないんですよね。

 そうしたブラスアルファの付加価値のやりとりが、実はクラウドファンディングの本質といっていい。アメリカ発祥のクールで強欲な経済学や財政学に染まっていた高名な学者様には、まるで予測できない要素だったのではないでしょうか。しかしながら、自慢じゃありませんが、理想主義者のボクはちゃんと今のような事態を感知しておりました。

 自慢ではないと言いながらきっちり自慢しているのが恥ずかしいのですが、やはり新しい物事は、教室や図書館などの中ではなく、あちこちの現場で起きているのです。街に出て、他者とかかわらなければ、大切なサインをみすみす見逃してしまう。だからボクは今でも現役のライターであり続けたいと思っているのです。


ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年6月23日 (火)

フローからストック型経済へ

 

 新型コロナの蔓延によって、世界の経済活動が大きなダメージを受けました。経済活動というのは様々な意味での濃厚接触ですから、感染を防ぐためには、それを停止または極力少なくするのが最も有効な対策となるからです。しかしながら、病気で死ぬか、それとも飢えて死ぬかという究極の選択になりかねないことも事実なので、アメリカやブラジルのように、多数の屍を乗り越えても経済活動を優先するという政策も納得できないわけではありません。

 しかしながら、新型コロナ対策は隔離か経済かという二者択一しかないのでしょうか。中間的な方法として、検査をどんどん拡大して感染者を早期に隔離。非感染者だけで経済を回すということも考えられるようです。ただし、この方法はみんなが検査を受けることが大前提であって、中には検査なんか嫌いだという潜在感染者もいるんじゃないかな。それに、たとえば東京都に住む1400万人の全員に検査が可能かという規模の問題もありますよね。加えて、感染者がどんどん増加すれば、その分だけ経済に携わる人材が少なくなり、スローダウンは避けられません。

 でね、こんなことになるのは、経済がフロー型だからではないかとボクは考えるのであります。フロー型というのは、みんながモノやサービスを提供し、それを頻繁に売買することでようやく成立する社会を指します。おカネがグルグル回ることで生活が支えられているからこそ、人間は働かなければならない。働く意義はそれだけではないのですが、今回のコロナ禍のように2~3か月も巣ごもりすれば、生活が立ちゆかなくなる人が続出します。

 それもこれも、要するに貯金が貧弱なことが原因ですよね。様々な社会資産も含めて、こうした貯金すなわちストックが潤沢であれば、巣ごもりはいささか窮屈な長期休暇になるだけじゃないですか。ストックが限られているからこそ、緊急事態宣言に伴う休業要請は弱者をどんどん追いつめることになります。

 だったら、ハムスターの回り車のようなフロー型の経済からとっとと降りて、ストック型に変えようとボクは提案したいのであります。最低でも1年くらい経済活動を停止しても食うに困らないストックを持つこと。完全に停止すれば食べ物も供給されなくなるので、生活の維持に直結する活動は別ですよ。みんながブラブラと絵を描いたり楽器を弾いたりして楽しく過ごしても困らない社会。どうしてそこを目指さないのか、ボクは不思議でなりません。あくせく働くことも決して悪くはないのですが、年を取ればたいていの人が辛くなってきます。だからね、全体としての社会資産をもっと潤沢にしておき、たとえばカゴの中から必要なカネを誰でも取り出して使えるような社会は無理なのでしょうか。

 世界的にはカネがありあまっているんですぜ。そのカネが株式市場や石油あるいは金、プラチナなんかを投資先として循環しているのです。いったい誰のカネだよって思いませんか。そこが資本主義の奇怪なところで、特定のご主人様というのはいないのです。ウォーレン・バフェットだって司祭ではあっても神ではありません。年金などのみんなのおカネが、いつの間にか特定の主人を失い、カネそのものが神のようにボクたちの頭上に君臨しているのです。

 そいつを地上に引きずり降ろして、みんなで費消できるようにすれば、1~2年は楽に食えるんじゃないかな。もちろん蕩尽ばかりではたちまち行き詰まるので、フロー型も欠かせません。でも、今のようにフロー型に大きく依存する社会はもうやめたほうがいい。そうした意味でも資本主義はそろそろ大改革が必要なのであって、その際のキーワードがストック型経済、すなわち貯金でも食える社会ということになるのですが、これまたボクの妄想なのかな。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2020年6月22日 (月)

適応

 

「うーん、制度の内容は分かりましたけど、それっておかしくないですか」
「おかしいと言われても」
「立場をちょっと忘れて、あなた個人として考えてみてください。ヘンだと感じませんか」
「いえ、感じませんが」
「無理しないで下さいよ。ボクは逆らうつもりは毛頭なくて、率直な意見が聞きたいだけなんですから」
「私はヘンだと思いません」
「どうしてかなぁ。100人いれば100人がおかしいと思いますよ」
「いえ、そうは思いません」
「じゃ、もうちょっとボクにも分かるように説明してください」
「制度がそうなっているんです」
「では、制度はすべて正しいんですか」
「とにかく、そうなっているんですから、私はヘンだとは思いません」

 ある税務署の相談係との会話です。ボクは以前に親切な税務調査を受けた経験から、税務署には好意を抱いてきたのですが、この相談係の説明はさっぱり理解できませんでした。分からないから、いろいろ突っ込みを入れると、明らかに回答が怪しくなり、なぜだか次第に意固地になっていくんですよね。やがて最後の言葉が、公務員の絶対的なキーワード「制度がそうなっている」です。どうしてそんな制度になっているのか分からないから、わざわざ電話して訊いたんですけどね。

 以前に住んでいた区の役所では、しつこいと思われたのか「文句があったら区議会に出て議題にしてください」と言われたことがあります。これも「そうなっているんだから仕方ない」ということが圧倒的な根拠でした。本当は行政訴訟や行政不服審査制度も利用できるのですが、そうした自分たちに都合の悪い制度はひた隠すんですよね。

 そんな大げさなことにしないまでも、公務員の1人ひとりが個人としてヘンだと思ったら、それを良い方向に是正すればいいだけじゃないですか。どんなに正しく見える制度だって、時代や社会の変化や技術革新などで本来の趣旨とズレていくことはしばしばあります。そこで現場の担当者が「係長、ここちょっと直したほうが良くないですか」と指摘し、それが上長から上長へと伝達され、区長が「確かにヘンだよな。では議会に諮って変えよう」となれば、ボクごときが文句を言うこともないはずです。

 ところが、実態はまったくの逆さま。「おかしいけど仕方がない」が上から下へと指示され、それに従わないと、机ひとつの個室にいじめもどきで隔離されたりするわけですね。こんなのは、3代目の坊ちゃん嬢ちゃんにいい年をしたオッサンたちがヘイコラする半島の国と大して変わりないじゃないですか。きっと前述の相談係は「あの国とは違う」と言うでしょうが、個人の意見を自由に言えなければ、独裁国家における奴隷的な服従と見なされても、それこそ「仕方がない」ってなりませんか。

 そこで図らずも思い出したのが、ダーウィンの進化論です。「進化」という言葉そのものが実は大間違いであることを知る人は今も多くはないんですよね。優れた生物が生き残ってきたわけでは決してなく、環境に適応して変化を果たした生物だけが生存を続けてきたということに過ぎないのです。ですから、環境がこれからどんどん劣悪になれば、人間のように複雑化した多細胞生物は簡単に絶滅して、ゴキブリやアメーバが地球上の覇者になるかもしれない。強いから勝つのでなく、勝ったから強いという論理と似ていますよね。

 進歩は技術革新と同じく一方向への発展を意味していますが、生物の「進化」はあくまでも生き残りのための環境適応であって、そこに進歩や後退といった特定の方向性なんてないのです。

 行政という巨大なピラミッドの中も同じで、優れているから出世するのでなく、環境に適応したからクビにならず、うまくすれば役職の階段を上がっていける。そのためには「おかしい」と思うのはタブーなのでしょうか。かくて、制度はちっとも進歩せず、時には社会変化に逆行することもある。すべては政治という環境に適応するため、てなことになるのかな。

 もちろんボクたちだって、環境への適応は不可欠です。でもねぇ、1人ひとりが個人に立ち返り、気づいた理不尽の解決に本気で乗り出せば、この社会はあっという間に住みやすい方向に進歩すると、ボクは信じているんですけどね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

2020年6月17日 (水)

ジャングルの掟(続)

 

  ライオンキングの話ではありませんので、それを期待した人はこの先を読まないでください。

 今からちょうど10年前に、老朽化したモルタルアパートの一室で、孤独死というより餓死した人が発見されました。そのかたわらに「おにぎりを腹いっぱい食べたかった」と書きつけた紙があり、それが大きな話題になったのです。10年前といってもレッキとした21世紀であり、世界で3番目のGDPを稼ぐような先進国で、こんなにも悲惨なことがあっていいのでしょうか。

 たまたま某雑誌で対談の司会を仰せつかったので、義憤に駆られて、この話題を不作法にもぶつけたんですよね。普通なら「悲しい話ですよね」と情緒方面で再解釈したり、「政府は何をやっとんじゃ」と野党のように社会批判に走ったりします。どっちにしても他人事ですから、何の役にも立ちません。では、あなたはどう考えますか。

 名前を出せばたいていの人が知っている某氏は、さすがにそんなことは言いませんでした。「こんな死に方をしないためにはどうすればいいのでしょうか」というボクの容赦ない突っ込みに、しばらくして「遵守すべき優先順位を変えることじゃないかな」と答えたのです。たとえば今の日本は文明社会と考えられていますが、ひと皮剥けば弱肉強食のジャングルでもあります。そこに街や都会のルールや礼儀を持ち込んでも通用するはずがない。ジャングルにはジャングルの掟があるので、これに従うことが生き延びる秘訣ではないかと。

 大変に危ない話になりかねないので、これ以上は詳しく説明しません。けれども、インチキな報告書を強要されて自死した財務書職員の妻が再調査を求めても、「ちゃんと調べたので」と大臣が逃げてしまう国ですよ。総理大臣がモリカケなどの知り合いのために大枚の税金を融通する国ですぜ。国家業務の中抜き再委託というスキャンダルも露見しております。法律や規則なんて上っ面だけで、強い奴や権力者の都合で何もかもが簡単にひっくり返ってしまうという現実を、もっと直視したほうがいい。

 より分かりやすく、過激に言いかえるなら、ボクたちは餓死しないまでも、いつ何時殺されるか分からないのです。けれども、そうした事実は巧妙に隠蔽され、法治国家という美しい建て前がそこら中に蔓延している。学校なんか典型的で、イデアがあたかも実在するかのように子供に教えていますよね。完全な直線や円なんか自然界には存在しないのに、あると仮定して幾何学が成立しているというアレです。普段はそんなことを意識しないでも平和に穏やかに生きていけますが、ひとたびレールから外れたり、貧困に陥ると、ジャングルに暮らすのと同じ状態になってしまいます。あくまでも例えばですが、食べ物を買うカネもロクにないのに、きちんと税金を払っていたら、餓死してもおかしくないですよね。アメリカで暴動や略奪がしばしば発生するのも、自分たちがジャングルに生きていることを実感している人たちが多いからじゃないかな。

 実際には様々な救済手段が設定されているので、それを利用するべきですが、少なくとも法律やルールが自分を十全に守ってくれると考えるべきではありません。何でまた10年も経ってから再びこんなことを書くかといえば、新型コロナによる深刻な貧困がいよいよ表面化してきたからです。政治家の皆さんに、日本をジャングルの掟が支配する国にしていいんですかと問いたいわけですな。それでどうにかなるわけがないと、100人中100人が言うでしょう。だったら、自分で自分を守るしかありません。すべての幻想や思い込みを棄てて、生き延びることを最優先させたほうがいいということです。

 良き人は還らず。悲しい真実にボクたちは直面しつつあることを、もっと厳しく認識すべきではないでしょうか。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

より以前の記事一覧