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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

経済・政治・国際

2019年9月30日 (月)

タイミング悪いよ

 

 本日は緊急の締め切りを1本抱えているので、短く終わりますが、やっぱり安倍政権は庶民の生活に疎いということを痛感します。というのも消費税増税のタイミングが悪すぎなんだよな。

 増税前には駆け込み消費が発生するとはいっても、山のように日用品を買ったところで、10万円で2000円の違いしかありません。ところが、思い切って100万円の高級時計を購入するとしたら、消費税は増税前なら8万円ですが、増税後なら10万円となり、その差額は2万円。200万円の時計なら4万円ですよ。ボクはあまり行ったことがないので料金はよく分かりませんが、家族で高級レストランを数回は利用できる金額じゃないかな。

 高級時計だけでなく、貴金属や宝飾関係も長く愛用できる耐久消費財ですから、増税前に購入するのが賢い消費者なんてことをテレビでFPが解説してきました。表面的には確かにそうですけど、先立つモノを考えてみてください。そうした高級品が大きく動く需要期はボーナス直後といわれています。つまり7月と12月です。ところが今回の増税は10月から。こんなタイミングで消費税を上げるなんて、安倍政権は経済が、少なくとも庶民レベルの家計感覚が全然分かっていないとしか思えません。

 理屈の上では増税前がトクになることは分かり切っていても、高級品は不要不急なので資金的な後押しが不可欠。それがボーナスなのですが、支給されるのは2か月後ですからね。

 増税は以前から分かっていたことなので、7月のボーナスによる駆け込みもあったはずですが、この時は増税が3か月後で、もしかすると延期なんていう憶測も流れていました。一般人の感覚としては切迫感がちょっと薄い。しかも夏休みは帰省や海外旅行などでお金を使うことが多くなるので、不要不急の高級品を前倒しで買っておこうという気分にはなりにくいですよね。

 だからね、消費税を上げるなら、ボーナス支給の翌月、つまり1月がベストだったのです。それなら大規模な駆け込み消費が発生したでしょう。ところが10月1日からですもんね。これでは増税後の消費不振をリカバーできるような駆け込みは期待できないじゃないですか。

 ボクたち普通人は、理屈ではなく感覚で生きています。増税前に慌てて日用品を山のように買っても、前述したように10万円でわずか2000円の違いですぜ。本当にトクするのは時計などの高額耐久消費財なのに、フトコロが本格的に緩む12月は増税から2か月後。まさかこれを「後の祭り」とは言わないよね。

 以前から確信していましたが、現下の政権は経済があまり分かっておらず、庶民感覚から縁遠いところで政策を決めているとしか思えません。もしも消費税増税が1月にズレていたら、年末の商戦はすごいことになっていたと思うぞ。大失敗と誹る人はボクくらいしかいないのかねぇ。

 

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2019年9月24日 (火)

人格教育(前)

 

 日本経済新聞の名物連載『私の履歴書』に野中郁次郎氏が登場しています。知識創造経営=ナレッジマネジメントで世界的に有名な研究者ですが、ボクにとって衝撃的だったのは『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社)でした。日本が太平洋戦争を始めた理由に明確な定説はないようですが、なぜあれほどの負け戦を続けたのか不思議でならなかったからです。巷間いわれるアメリカとの物量差なんて敗戦後の大嘘で、開戦時の帝国海軍はアメリカを凌ぐほどの軍事力を保有していたんですよ。その謎を組織論と戦略論で明瞭に解釈・分析した同書を読んで、もやもやしていた胸がすっきり晴れ晴れするほどの爽快な感動を受けました。

 読んでいない人のために、ボクの得た結論だけを紹介すれば、日本の戦争は「プロジェクト」になっていなかったんですよね。このプロジェクトという言葉は、現代でもきちんと理解している人が少なくないようですが、達成目標と達成期間を明確に規定した計画のことです。ところが、日本軍がプロジェクトとして計画的に実行したのは真珠湾攻撃とキスカ島撤退作戦くらいで、どちらも期待に応える成果を挙げていますが、それ以外のほとんどは目標も期間もグズグズといっていい。だからこそ食糧や弾薬を運ぶ兵站が貧弱極まりないにもかかわらず、戦線が無際限に広がっていったのです。プロジェクトの中止、すなわち撤退や降伏時期を見誤ったおかげで、むざむざと広島、長崎に原爆を落とされることになりました。

 その一方で、野中氏に国際的な名声と栄誉をもたらした『知識創造企業』(東洋経済新報社)は、ボクが不勉強なせいか今ひとつピンと来ませんでした。その理念自体は分かるんですよ。これまでのマネジメントは専ら従業者の労務を外形的に管理するものでした。けれども、これからは従業者の創造的な思考を活性化しなければならない。なぜなら現代の仕事の多くは頭脳労働が占めているからです。これまでのマネジメントが身体的労働を管理するものとすれば、アタマの中の労働を管理するという意味で、野中氏はナレッジマネジメントを提唱したとボクは解釈しています。

 ごく簡単にいえば、もはやタイムカードで従業者のパフォーマンスを判断できない時代なのです。では、これまでのタイムカードに代わる管理指標をどう作るのか。そこのところがね、ボクはどうにも腑に落ちないのです。

 日本の労働時間は先進諸国に比べて異様に長く、このため生産性が低いという意見があります。しかしながら、その中身をチェックすれば、残業代目当てで居残るケースも少なくないんですよね。時給の高い深夜残業を繰り返して新築住宅を購入した猛者も実際にいるそうです。上司などに遠慮して早く帰れないという、ワケの分からない雰囲気的な事情もあるでしょう。安倍政権が標榜して挫折した「ホワイトカラー・エグゼンプション」も、それが背景になっており、近頃の「働き方改革」も同根です。月給でなく年俸にすれば容易に片付くことなのに、それがなかなかできないんだよな。近年はパワハラ的な過重労働で自殺に追い込まれた人も目立ちますが、そんなメンタリティを持つ社会で、果たしてナレッジマネジメントなんて可能だと思いますか?

 ボクは、社会学や経営学的な視点から知識創造的な労働を管理するのは不可能だと見ています。野中氏は「経営学はアート・アンド・サイエンスである」と唱えてきたそうです。アートは実践であり、サイエンスとは社会学や経営学、経済学などを指すと思います。ボクは彼とは違って、それらすべてが人間の労働をパフォーマンスとして外側から把握するものだと思うんですよね。そこに欠けているのは、意思や志といった人間の内的・精神的な「動機」ではないでしょうか。つまり、モチベーションの喚起こそがナレッジマネジメントの基本になると思うのですが、ボクは野中氏の著書からその方法論と評価に関するベンチマークを読み解くことができませんでした。それに代わって考えたのが、人文学によるリーダーシップなんですよね。経営学の関係者は嘲笑するかもしれませんが、AI時代だからこそ人間性=人格が重要になってくるんじゃないかなぁ。

 長くなったので、明日も続けます。

 

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2019年8月 2日 (金)

歴史は繰り返す

 

 天下無双のコンビニチェーン、セブンイレブンを築き上げた鈴木敏文氏が役職を退任し、経営から手を引いたのは2016年。それから3年もしないうちに、24時間経営をめぐって加盟店が反乱。それを鎮圧することができず、逆にフランチャイズシステムの見直しを迫られることになりました。今年になっても、モバイル決裁サービスの発足直後からハッキング事件が勃発。それだけならまだしも、2段階認証も知らない人間が専門子会社の社長だったことが記者会見で発覚して批判を浴びました。昨日になって、このモバイル決裁サービス自体を9月末で終了すると発表しています。

 新しいシステムがうまくいかなくて撤退することは珍しくも恥ずかしいことでもありませんが、モバイル決裁という新型のデジタルサービスを専門で運用する会社の社長が、ごく一般的なセキュリティにも疎かったというのは、悪い意味で象徴的というほかありません。社内でどんな力学が働いていたかは想像するほかないので、ここからはあくまでも根拠のない推測ですが、さすがのカリスマ鈴木氏も、おそらくは無意識に能力なんかより自分の意に沿う社員ばかりを幹部に登用してきたんでしょうね。母体であるスーパーの創業家と折り合いが悪いと伝えられてきたので、足もとをすくわれない防衛策として仕方がないともいえます。ところが、そんな連中がこともあろうに創業家と結託してクーデターを計画。結果的にカリスマは部下に裏切られることになったんじゃないかな。

 しかしながら、その謀反グループの中にITセキュリティに詳しい人材はいなかった。けれども、誰かを社長にしなきゃいけない。では温和しいアイツにしとこうかと選ばれたのが、力不足もいいところの置物に過ぎなかったわけです。明治維新もカスな奴ばかりが生き残ったと酷評する歴史家がいますからね。

 かのスティーブ・ジョブズも、自分自身が雇い入れたジョン・スカリーにアッブルから追放されたことは有名です。日産自動車のカルロス・ゴーンにしても、従順きわまりないと思い込んでいた現経営陣が秘かに証拠を揃えて告発したことが始まりになったはずです。さもなきゃ、あんな詳細な内部資料は出てきませんよ。

 こんなことは、3000年前の春秋戦国時代から連綿と続いてきたことで、手を変え品が変わるだけで、似たような事例を出したらキリがありません。組織の立ち上がり期にはみんなが同じ気持ちで一生懸命に働いたのに、儲けが安定してヒマができると、茶坊主連中が権力闘争を企てるようになり、やがてはカリスマ創業者を倒してしまう。

 小説の作法としてはあまりにも通俗的で、ストーリーだけで編集者から即座にNGをくらいかねないのに、現実社会では21世紀になっても同じことをやっています。人間というのはまったく進歩していないんですよね。

 若い人たちが先輩を煙たく感じたり、老人を嫌うのも同じです。だから彼らはことさらに「時代が違う」とか「アップデートしなきゃ」と強調しますが、そんなことはボクだって若い頃に言ってきたことです。世代交代で禅譲なんてそもそも稀有なことであって、多かれ少なかれ闘争が伴うのであります。

 さて、結論をどうしようかと読み直してみれば、イントロが違うだけで内容は昨日の「諸行無常」とほとんど変わりないことに気づきました。これって、ある種の認知症なのかなぁ。だとすれば、大から小に至るまで権力闘争を繰り返し、懲りることなく自然を汚して環境を破壊し、人間同士で非道な殺戮を続けてきた人類そのものが、もっと重度の病に罹患していることになるじゃないですか。

 

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2019年7月23日 (火)

命の重み

 

 重度の障害を持つ2人をみごと当選させた、れいわ新選組の山本太郎代表は「生産性で人間をはからせない世の中の第一歩を皆さんがつくったんです」と挨拶しました。それに対して早々と「左派ポピュリズム」というワケの分からない批判をする人もいるようです。けれども、政治はそもそもポピュリズムであって、それがいけないというなら民主主義と選挙自体をやめるべきでしょう。今の政権だって、カネ持ち&カネ持ち志望者によるポピュリズムの結果といえるではありませんか。上向きの忖度の嵐と言い換えてもいいけど、これは叱られるかな。

 いずれにしても、誰も成し得かった政権史上初となる画期的な当選ということがどうして分からないのかなぁ。国会が完全にバリアフリーになる先駆けというだけでなく、病気や障害を持つ人でも国会議員に当選したという事実は、ハンディキャップを持つ人たちに大きな勇気を与えたと思います。それより何より、障害を持つ人が社会の荷物では決してないことを証明したではありませんか。

 ボクのブログのサブタイトル「生きにくい世の中を、何とか生き良くする方法」は、立命館大学の生存学研究所を取材した時に思いついたものです。同研究所は「病い、老い、障害とともに生きること。異なりを持つ身体」を「生きる知恵や技法が創出される現場」として、「これからの生き方を構想し、あるべき世界を実現する手立てを示す」ことを生存学と規定しています(ウェブサイト)。これをボクなりにまったく簡単に言い換えたのが前述の言葉ですから、山本代表の並外れた発想に驚くと同時に、その行動力にも感服しました。

 近頃は命の重みがどんどん軽くなってきたんですよね。知的障害者福祉施設で19人も殺した犯人は、「重度の障害者は安楽死させるべきだ」と話していたそうです。こんな苛烈なことを明言しないまでも、病人や障害者を社会からの脱落者と見なす人は少なくありません。ボクも杖を持っていますが、朝のラッシュ時に品川駅に行くと、その杖を平気で蹴飛ばしていく人も珍しくないのです。けれども、どんなに優秀で健康なビジネスマンだって、いつ病気になり、障害を持つ身になるか分からないんですぜ。

 弱者が生きやすい世の中にするというのは、社会福祉や社会正義というだけでなく、自分のためでもあるのです。そんな想像力を持てない知性だからこそ、人を生産性で判断してしまう。かくて命の価値はどんどんインフレすることになるわけです。

 今から40年ほど前の1977年9月に、日本赤軍はダッカで日本航空機をハイジャック。収監されていた日本赤軍メンバーの釈放と身代金の支払いを要求しました。それに対して、当時の福田赳夫首相は「1人の命は地球より重い」として超法規的措置を指示したのです。世界からハイジャックを誘発するという猛批判を受けましたが、だったら乗員乗客から犠牲者を出してもいいのかとなります。

 どちらが正解かは、マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」にお任せするとして、この逡巡する、躊躇する、困惑する、悩むということそのものが命の重さにほかならないとボクは思います。そうした感覚が、どうにも近頃は麻痺しつつあるのではないでしょうか。天秤の片一方の皿に命をのせて、もう一方にカネをのせる、わけではないにしても、そもそも天秤に命をのせること自体に疑問を感じなきゃいけない。命につり合うようなモノが世界のどこにあるというのでしょうか。だからこそ命を賭して他者を助ける勇気にボクたちは心を動かし、涙するのでありますよ。

 そんなにも貴重な命を経済性で判断・評価しようとするのは、健康な強者のエゴであり傲慢なんですよね。ならば、あんたが人質になったら率先して死ねるかと。そういうことを、山本代表は言いたいんだろうな。

 これが果たして左派ポピュリズムなんだろうか。いずれ似たような批判が出てくると思うので、あらかじめクギをさしておきたいと思います。

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2019年7月 5日 (金)

安保反対!

 

 トランプ大統領が日米安全保障条約を不平等だとして、これを破棄する意向を漏らしたことが話題となりました。なぜだか続報はなく、安倍首相との出来レースだとか何とか、例によってワケの分からない憶測報道ならびに評論がまかり通っているようですが、もっとびっくりしろよ、とワタクシは言いたい。

 あんたらは、安保闘争という歴史的な大騒ぎを知らないのですかねぇ。念のために紹介しておくと、1960年と70年の2回にわたって行われた日米安全保障条約改定に対する大規模な反対運動のことです。1951年に安保条約は締結されていたのですが、軍事同盟をもっと強化する新安保条約が結ばれるとして、セクトはもちろん一般市民の多くが反対集会などに駆けつけました。機動隊との衝突で、デモに参加していた東京大学の女子学生が圧死したことも超有名じゃないですか。10年後の条約再改定時、1970年はそれほどでもなかったと記憶しますが、やはり破棄を求める運動が起きています。

 太平洋戦争がやっと終わって平和になったのに、アメリカの戦争に日本が巻き込まれるなんてゴメンだというのが、基本的な反対理由です。米軍基地も冗談じゃない、空母エンタープライズも危ないから日本に寄るんじゃねぇよと、氷雨が降りしきる横須賀でプラカードを持った人もまだご存命なはずです。

 いつの時代にしても、安保反対運動にかかわったり、デモに参加した人たちは、トランプの意見は大歓迎のはずですよね。さっさと条約を破棄して、ちゃんとした主権国家に生まれ変われるチャンスではありませんか。それによって、沖縄から米軍基地を一掃できるんですぜ。ヘリコプターの基地反対運動などに煩わされることもなく、国会で毎年のように特別予算を組む必要もなくなります。

 半世紀も前の悲願が、こともあろうにアメリカ様の意向で実現しようとしているのですから、もっと大々的な賛成運動が起きなきゃヘンです。なのに、この静けさは何だよ。デモで亡くなった樺さんに失礼じゃないか。

 もっとはっきりいえば、安保反対運動の主役は団塊世代の皆さんでした。まだまだ元気で達者な方ばかりですから、まさか忘れたはずがありません。だったら、あの時の反対運動はいったい何だったんだよと、ボクは問いたい。1960~70年代といえば、まさに東西冷戦。そんな状況下でアメリカとの軍事同盟離脱なんて、今よりよっぽどヤバい話ですよね。にもかかわらず、60年安保反対闘争では国会議事堂をデモ隊が取り巻いたんですから。いやはや忘れっぽいというか何というか。当時のデモを率いた日本共産党も何とか言えよ。

 何かねぇ、日本人は心の底から豊かさの奴隷になってしまったのかなぁ。いいじゃないですか、アメリカがそう言うなら安保なんかやめちまえよ。

 それで何が起きるか知りませんが、少なくとも半世紀前には存在した崇高な独立心を取り戻す絶好のチャンスだと思うぞ。国際政治なんてことをトランプは考えていないのですから、こっちもくそ食らえだ、そんなもん。というジーサンがテレビに出てきても、ちっともおかしくないんですけどねぇ。朝ナマの田原さんも、もっと騒げよ。

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2019年6月24日 (月)

逃亡者

 

 実刑が確定していた窃盗犯が逃走して大騒ぎになりましたが、昨日早朝に横須賀で確保されたようです。以前から警察官が「事なかれ」の木っ端役人体質を強めているように感じてきましたが、検察関係者もあまり変わらないみたい。両者ともに、市民生活の安寧秩序を維持・保全する刑事司法の専門家であるはずなんですけどね。有罪で実刑まで告知されている犯罪者を、いくら保釈中とはいえ、むざむざと取り逃がすなんて大失態ではありませんか。

 といっておきながら、矛盾するようですが、日本はホントに狭い国だなぁと感じてしまいます。面積という意味だけでなく、人の眼や口から逃げ切ることはできないんですよね。密告社会ではないにしても、「あそこで見かけた」とか「ここにいたよ」なんてね。子供の虐待なども含めて、警察など公安関係者に連絡するのは市民の義務ですけど、隠微な喜びもきっとあるんじゃないかな。太平洋戦争の前から戦中は「あの家の身内にはアカがいる」「西洋の楽器を毎晩弾いているからスパイじゃないか」とか、「英語を話していたんですよ!」などと特高警察に告発する人も珍しくなかったらしい。当時はそれもまた法律に則った正義でしたからね。

 大昔に『逃亡者』というアメリカのテレビドラマがありました。リチャード・キンブルという主人公の名前は今でも覚えています。妻殺しで死刑判決を受けた元医師が逃亡して濡れ衣を晴らそうとする物語で、ハリソン・フォード主演で劇場用映画にリメイクされたこともあります。

 アメリカは日本の25倍の面積があり、誰も足を踏み入れない荒々しい自然も残されているので、そこでキャンプすれば逃げ切れそうな気もします。けれども、そんな手つかずの大自然で食糧を自給自足するのは困難であり、完全に孤立した状態で人間は生存できません。というわけで、人間社会に潜みながら、真犯人を探し出すというドラマも成立するのですが、毎回必ず、彼を助けようとする人が出てくるんですよね。もちろん当局に通報する人もいるのですが、助けようとする人たちの葛藤が本当のテーマだったんじゃないかな。逃亡者の心情は自分の冤罪を証明するという一直線ですが、彼に好意を感じたり、無実だと信じて助ける人たちは大変に複雑です。犯人隠匿や逃亡幇助は違法ですから、ヘタすりゃ自分が逮捕されることもあり得る。にもかかわらず、いつしか心の天秤が本来的な正義のほうに傾き、リチャード・キンプルは司直の手を逃れて別の町へと去っていく(ちょっと言い方が古いかな)

 ここからはボクの個人的感想なのですが、どうもアメリカ人は法律を信用していないフシがあります。小説やドラマでも、法律を敢然と無視する決断や行動がしばしば描かれているのです。コンプライアンスよりも、自らが信ずる正義や理念のほうを大切にする。つい最近に見たテレビドラマでは、何と現役の検察官が脳死した子供の呼吸器のスイッチを切るなんていう場面がありました。もちろん殺人であり、日本ならどうしたって有罪ですが、このドラマでは無罪。言うまでもなく、アメリカの法廷は12人の陪審員の評決で結審するからです。彼らの全員一致が原則ですが、殺人=有罪とは限りません。近代法では復讐は罪として禁じられており、それを認める国はごく一部ですが、アメリカの法廷で陪審員の同情を得ることができれば、無罪になることも可能なのです。陪審員の有罪評決が期待できない事件はそもそも起訴しないということもあるようですね。

 となれば、法律なんていうのは単なる目安、スタンダードに過ぎないのです。ここのところの理解がね、日本人は著しく欠如していると思うのであります。さすがに奴隷とは言いませんが、法律や体制に盲従するばかりで、自分のアタマで物事を考え、判断し、行動することを放棄しているのではないでしょうか。法律で決められることには限界があり、その網からこぼれる正義や悪はいくらだってあります。さもなければ裁判なんてやる必要はないですよね。法治国家の法律は、倫理や道徳における最高度の金科玉条ではなく、誰かが案を提出して国会の多数決を通過しただけのことじゃないですか。

 本当に大切なことはボクたち自身の心の中にしかない。それをきちんと認識することが、少しでも生きやすい社会を創っていくバックボーンになると思うのですが、いかがでしょうか。

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2019年6月20日 (木)

7600万円足りない!

 夫婦で95歳まで生きるなら、65歳から貰える年金以外に30年間で2000万円が必要という金融庁の発表が大騒ぎになりました。でもさ、これって厚生年金で毎月21万円を貰える人を対象にした計算であって、国民年金しか貰えない人はカネがもっと必要になるってことですよね。

 厚生労働省の報告書によれば、昨年末にまとめた国民年金の平均支給額は5・5万円でしたから、前述した厚生年金世帯に比べて毎年186万円ほど足りません。30年間で5580万円。その上でさらに2000万円が必要というのですから、夫婦2人が95歳まで生き延びるためには。合計で約7600万円の金融資産が必要ってことになります。あまりにもすごい数字なので、アタマがクラクラしてきますが、お役所がちゃんと計算して発表した数字を根拠にしているので、これは否定できない事実なのであります。

 では、7600万円のカネがない国民年金受給夫婦はどうしたらいいのか。宝クジに高額当選するなどの僥倖がなければ、働くか、どこかから借りるしか方法はありません。働くといっても高齢者ですから、収入には限度があるほか、健康に問題があればそもそも無理です。とすればプランBの借金コースとなりますが、担保または返済のメドがない夫婦にカネを貸してくれる金融機関はあり得ないので、こちらも無理といっていい。

 息子・娘からの仕送りという方法が最も現実的な解決策であり、金融庁も投資への誘導だけでなく、親子間の扶養共助を念頭にしていた気配をボクは感じます。けれども、衆知のように少子化ですからね。今さら子供を産んでも手遅れであり、もし仮に子供がいたとしても、みんなが善良で親孝行なカネ持ちになるはずもありません。むしろケチで親不孝でなければカネ持ちになれないという意見もあるくらいです。

 これらの「プランB」(別案の総称として)がすべてアウトになったらどうするか。生活保護を受けるか、飢え死または自死するしか方法はないではありませんか。仮に国民年金世帯の多くが生活保護を受けるとすれば、莫大な金額に膨張するので、国家財政がパンクしてしまう。敢えて極端に言えば、ボクたちが死ぬか、それとも国が死ぬかという恐怖の二者択一を迫られることになるわけです。

 ここまでの理屈で何か飛躍や無理があるのなら、ぜひ教えてもらいたいのですが、どう考えても有効な反論は無理でしょう。この冷徹な事実を、麻生大臣のようにこれまで見て見ぬ振りをしてきたことに問題があるのであって、金融庁の発表に責任や非があるわけではありません。結局は政治家どもが選挙時に公言してきたことのすべてはウソに近いものであって、ボクたちが生きているのは弱肉強食の原始時代とあまり変わりないってことなんですよね。

 さあ皆さん、そろそろ暴動でも起こしますか。元気のある人はベッドから出てください。でもさぁ、日比谷に集まっていくら騒いだところで状況は変わりませんからね。さすがにアイデア豊富なボクも、一点突破全面展開できる妙案はありません。働き改革によって、どんな高齢者も何らかの仕事をして、乏しいにしても収入を得られる社会に変えていくほかないんじゃないかな。とてもじゃないけど、老後の社会保障にぶら下がれる国ではなかったということです。

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2019年6月12日 (水)

拳銃か毒薬

 

 以前に、ある外国人から「日本人は本当におとなしいね。まるで奴隷のように政府や行政に従う」と言われたことがあります。万世一系で元号が令和になれば、天皇制の歴史も背景もろくすっぽ知らないのにバンザイ三唱ですから、ボクだってアホかと思うことがしばしばあります。

 それでもね、2000万円ですぜ。老後30年を夫婦で生き延びるためには、年金以外にこれだけの大金が必要になるというなら、それが用意できない人は死ねといっているに等しいではありませんか。にもかかわらず、メディアの論説は、政府に気を遣っているのか穏やか過ぎますよ。年金制度の不備だの、貯蓄から投資への誘導だとか何とか、本筋を外れまくっています。優秀な官僚たちが何を意図したか知りませんが、前述したように、そのカネがなければ夫婦揃って必ず飢え死にしますぜ、というのが正しい見解というものでしょう。

 では、みなさん、じわじわとカネがなくなり、やがてコンビニでオニギリも買えなくなって「腹一杯メシを食いたかった」と遺書でも残して死ぬのでしょうか。そんなことを言われてもなお、国民はじっと黙っているんだから、いやぁもう実にご立派というほかありません。それとも、いつか宝クジでも当たると思っているんだろうか。ちなみに、ボクは20年ほど前からそう願ってきましたけどね。

 いずれにしても、こんな国になお生き続けたいというなら、こうした災厄の元凶である政府と行政に対して、もっと大規模な抗議行動を起こすべきでしょう。けれども、残念ながら、そんな気配はぜーんぜん、まるきり、ずずずいーっとありません。なぜなら、元気な若い人たちはジーサンたちが年金のカネを搾取していると感じているからです。いくら若者がカネを納付しても、将来に貰える年金額は雀の涙。それもこれもジジーたちが旧制度に守られて、ぬくぬくと年金を懐に入れているからだってね。

 そもそもの年金設計が世代間負担を前提にしていることからしておかしいのですが、そこに古手の温泉旅館のように増築・改築を繰り返してきたことに問題があるのです。けれども、想像力のない人間は、どんなことだって近親や近隣の憎悪から始まり、上まで行かずに終わってしまうんですよね。

 だからボクは、以前から65歳を過ぎた人には、無料の健診票ではなくて、拳銃か毒薬を配るべきだと主張してきました。銃口は政府並びに行政の担当者だけでなく、自分にも向けることができるじゃないですか。配った拳銃がメルカリから流出すれば大変な社会問題になるので、もちろん冗談に決まってますってば。

 だったら毒薬がいいかな。カネがなくなった時、または生きる意欲を失った時には自分で終止符を打つ。長く働いてきた老人に、それくらいの自由と楽しみが残されていても然るべきではありませんか。いずれにしても、そうしたリアリティを死ぬ間際にしか持てないというのは、死をまともに教育されていないからです。

 今ごろ、あの外国人は「日本の支配者は国民を愛すべきマヌケだと思っているはずだ」と仲間たちと噂話しているんじゃないかな。不愉快極まりないけど、否定することもできない、悲しむべき真実ではないかとボクも思ってしまうのです。

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2019年5月21日 (火)

道路の拡幅

 

 ボクの事務所があるマンション前の道路が、片側一車線から二車線となり、合計で四車線に拡幅されると知ったのは20年ほど前になるでしょうか。その頃すでに、点線で予定地域を記した鉄製の看板が道路脇に設置されていたので、計画自体はもっと以前からあったようです。

 石原慎太郎が都知事だった頃にようやく本格的な買収が始まり、契約が締結した場所から整地されていったのですが、今でも道路側に出っ張った格好になってしまった建物がチラホラとあります。個人の権利やエゴと直接に向き合わなきゃいけない道路拡幅の難しさを感じさせますが、おかげで舗道が広がっただけで、クルマが走る道路は何も変わっていません。そうなるとですね、この少子化・人口減の時代に、わざわざ巨額の税金を投資して道路を広くする意味があるのか、となってくるわけです。

 ボクは事務所の窓から前面の道路を20年近く眺めてきましたが、渋滞なんか見たことがありません。近所の五叉路ではさすがにクルマが並んで列をつくりますが、夕方の混雑時でも、信号が1回変わるだけで解消される程度。おかげさまで、信号のあるところまで行かなくても、ちょっと左右を確認するだけで悠々と横断できるくらいです。もちろん危険なのでボクはしていませんが(ウソつけ!)、向こう側からこちら側、こちら側から向こう側にそそくさと歩いていく人は珍しくありません。

 来年は東京オリンピックがあるといっても、一時期だけのイベントですよね。移民を本格的に受け入れない限りは、首都といえども人口減少は続きます。それでも道路を拡張する積極的な理由があるというなら、納税を欠かしたことのない都民に教えて貰えないかなぁ。

 役人はワケの分からない屁理屈をこねるに決まっていますが、要するに議会を通過した計画は絶対に後戻りしないってことでしょう。役所の組織構造は、一度決めたことを推進するだけで、ブレーキが付いていないのです。議会がアクセルとブレーキの役割を果たしているといっても、道路のように長期にわたる計画の当事者はもはや残っていないはずです。役所にしても定期異動があるため、事情が分かる人がいない。かくて計画の中止や撤回が議会に諮られることもなく、まるで巨大な機械のように自動的に、ということは無責任に無目的に進められていく。けれども、そこで使われるカネの一部はまさしくボクの税金なんですけど。

 こんなアホらしいことはもうやめませんか。少子化・人口減少によって、大昔に立案された計画の多くが時代遅れになっていることは間違いありません。そろそろ行政のあり方を根本から変えていかないと、道路などの大規模インフラはボクたちを置き去りにした金食い虫と化していくんじゃないかな。

 かといって、1人の都民としていったい何ができるんだよと、窓外を見ながら溜息をつくばかりであります。みんなをまとめて運動にしていくヒマも体力も精神力もありません。そもそも人づきあいが苦手なので、政治なんか冗談じゃねぇと感じるボクにとって唯一の期待はSNSなんだけど、若い人は目先のことしか気にしないもんなぁ。

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2019年5月14日 (火)

卵を1つのカゴに盛るな・続

  昨日の論旨とは逆になるかもしれませんが、ボク自身はクレジットカードとSuicaを頻繁に使っています。その主たる理由は、キャッシュレスという以前に、財布を持つ習慣がないからです。寅さんじゃあるまいし、大きな財布を取り出して指をなめながら札を引き抜くのは、ボクの美学に思いきり反するんですよね。そもそも論として、細身のスーツに大きな財布を入れたら、その位置が分かるほど目立つので、エレガントとはいえないじゃないですか。尻のポケットにスマホを突っ込んで気にしないという人もいますが、ボクはいやだなぁ。

 ましてや小銭なんてもってのほかでありまして、この2つを駆逐するのが、ボクの長きにわたる悲願でもあったのです。大きな支払いはクレジットカードに任せればいいのですが、1000円以下となると、さすがに抵抗があります。乗り継ぎした海外の空港で同地の現金がなく、やむなくミネラルウォーターをクレジットカードで支払ったことがありますが、国内ではちょっとね。

 そうした少額決済にSuicaは最高に便利なのです。近頃はタクシーでも支払いが可能になりました。このSuicaの何が便利かというと、一切の手数料が不要ということと、駅やコンビニで簡単にチャージできるということです。つまり、その都度、必要な額だけを補充しておけばいい。それよりも使い込んでしまう危険もありません。ちなみに、ボクは3000円以上にしたことがありません。もし紛失したらもったいないですからね。足りなくなればチャージするだけでなので、万円単位でキープしておく必要はないと思います。

 そんなわけで、スーツやジャケットを着用して外出する時は、名刺入れにSuicaと銀行カードが1枚、それにクレジットカードを1枚だけ入れています。スマホは机の中に入れて、それに連動した超軽量薄型の携帯電話(50グラム程度)だけを持参します。いざという時のために、現金も3〜4000円程度。この程度ならどこにでも入ります。そのほかにはハンカチが2枚だけ。1枚は柄物で、1枚は純白。後者は女性が涙を拭う時に手渡すためですが、残念ながら一度も使ったことはありません。

 話がものすごく長くなりましたが、というわけで(どんなわけだよ)、スマホに各種の支払い機能を載せるのは賛成できかねるのです。そもそもボクは正装時の外出にスマホを持ち歩かないのですが、ごく単純に言えば、落としたり紛失すれば、それだけ被害が大きくなるということなのです。パスワードなんて、悪党が本気になれば簡単に見破られると考えたほうがいい。にもかかわらず、様々な決裁をスマホにまとめておいたら、銀行口座にもアクセスされて、全財産を抜かれることもあり得るじゃないですか。

 株屋さんの世界には「卵を1つのカゴに盛るな」という諺があります。そのカゴを落としたら全部割れてパァになってしまうことから、投資は集中せずに分散しなさいと戒めているのです。スマホに何もかもまとめてしまうのは、この1つのカゴと同じで、便利な反面でリスクも大きくなります。その意味でも、支払いの総額をいつでも管理できるSuicaは実に便利というほかありません。通信機能によって全員でワリカンにできるシステムなんて、ボクには危険極まりなく思えるのですが、これって旧世代のオッサンだけの感想なのかなぁ。ちなみに、このタイトルは2011年8月のブログでも使用しいるので、「続」としました。

 

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