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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

音楽

2017年8月16日 (水)

Sweet, Sweet Smile(前)

 

 毎日毎日、暗い曇天に雨ばっかり。夏なんだから暑さは覚悟の上だけど、これほど長く青空と白い雲が見られないと、さすがに心が滅入ってきます。こんな時に暗い歌や悲しい歌を聴くと、ますますおかしくなりそうなので、何か快適なテンポでノリのいい歌はないかと探していたら、偶然にカーペンターズの「Sweet, Sweet Smile」に出会いました。ボクはバラードよりも、こうした能天気で楽観的な歌のほうが好きみたい。それまでは落ち込むとイーグルスの「Take it easy」を聴いていたといえば、共感する人もいるんじゃないかな。

 

 そんなボクにとって「Sweet, Sweet Smile」は、カントリー&ウェスタンのアップテンポなメロディとリズムもさることながら、尻尾までアンコがつまった鯛焼きのような歌詞のおかげで、ヘビーローテーションで聴けてしまうのです。「尻尾までアンコ」というのは、メロディに歌詞がみっちりとつまっているという意味。英語の歌詞とその語感にメロディとリズムが隙間なくピタリと一致しているということです。こういう歌を英語ネイティブでない人が歌うのは、かなり苦労するんじゃないかな。アメリカ英語特有のI gottaなんてフレーズもあるしね。

 

You're always in my heart

From early in the mornin' till it's dark

I gotta see your sweet, sweet smile everyday

 

 ただ、歌詞としてはレナード・コーエンと大違いで、すごく分かりやすい文章です。上記のイントロにしても、敢えて訳す必要なんてないくらいでしょう。

 

あなたはいつだって私の心の中、

朝早くから暗くなるまで

あなたのやさしい笑顔を見なきゃダメ、それも毎日ね

 

 この内容をいろいろと言い換えているだけですが、歌詞が曲にみごとに溶け込んでいるので、ボクたちには歌うのはもちろん、慣れないと言葉も聞き取れないわけです。

 

 そんな早口言葉になりかねない歌を、カレン・カーペンターは実に明瞭に発音しているので、改めて感心せざるを得ません。1969年、19歳の時に兄のリチャードと共にカーペンターズとしてデビュー。14年間の活動で11枚のアルバムと31枚のシングルを出しています。

 彼女を苦しめた拒食症と過食症については、日本はもとより世界中でかなり報道されたので、カーペンターズの歌が好きな人は誰でも知っているはずです。彼女のおかげで、過度なダイエットが病気の一種であると認識されるようになったといっても過言ではありません。それにしても、1983年に32歳という若さで心不全で亡くなっていたとは知りませんでした。

 

 ただね、こんなことは歌とまったく関係ないゴシップに過ぎないとボクは思うのです。芸能人の結婚や離婚や不倫沙汰もそうですけど、実際の活動に直接的な影響を与えない限りは「余談」に過ぎないですよね。

 ましてや、あることないことを勝手に「憶測」してはいけない。ボクはもともとカーペンターズのファンではなかったので詳しいことは知りませんが、今となってみれば、マスコミの過剰な報道が彼女の病気をさらに昂進させることになったのではないでしょうか。

 

 おっと、こんなことを紹介していたら、気分がまた暗くなってきたので、明日は「尻尾までアンコ」と彼女の魅力をもうちょっと紹介させてください。

 

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2017年8月10日 (木)

『モン・メッカ・モワ』

 

 月に2~3回はライブハウスに行くようになりましたが、つくづく歌というのは難しいと感じます。譜面通りに歌うというのは、カラオケの採点マシンを相手にするのと同じで、必ずしも難しいことではありません。音程とリズムが外れなきゃいいので、耳がメロディに慣れれば必然的に声音もコントロールできるようになるはずです。

 

 次に声の質。これがなかなかの曲者で、大昔はカレン・カーペンターみたいな濁りのない美声が評価されました。世紀の一発屋ともいえるシャーリーンなんかもそうですよね。しかし、ジャズの影響なのか、1970年代あたりから、サザンの桑田佳祐のようなハスキーで破れたような声質がロングセラーを続出するようになり、単純な美声はBGMになりかねない時代になっています。

 

 つまり、ごく簡単にいえば、誰でも訓練次第で歌を「上手に」歌うことはできるわけです。歌唱スクールに行けば、プロ並みのテクニックも身につけることができるでしょう。けれども、それだけでなく、個性、しかもみんなが魅力的だと感じられる個性がなければいけない。逆にそれさえあれば、綺麗な声でなくてもいいし、むしろ人と違った声質こそが個性に直結するともいえますよね。

 

 では、個性的な声で音程を外すことなく上手く歌えたらいいかというと、それだけでもありません。その声と歌い手の個性が魅力的だと認識できる感性を持つ人は限られているからです。その認識が一般に広がるためには、その個性に合致するのはもちろん、魅力を増幅するような楽曲が必要となります。それがヒットして初めて、ボクたちはその歌手の歌が魅力的であるとようやく分かるようになるのですが、ここのところがね、奇跡に遭遇するくらい難しいわけです。

 

 パトリシア・カースのヒット曲『モン・メッカ・モワ』は、そんな奇跡のひとつだろうと思います。1966年生まれなので、シャンソンというよりフレンチポップスの歌手ですけど、ボクは彼女をこの歌で知りました。1987年に発表されたファーストアルバムに収録され、世界的にヒットした曲だそうです。これは後から知った背景であって、ライブハウスで聴いてなかなかいい歌だなと思った程度でした。

 

 しばらくして、たまたまYouTubeで聴いたら、彼女のハスキーで太めの声がものすごく似合う曲だったんですよね。『モン・メッカ・モワ』は正確にはMon mec a moiで、mecとは俗語で「彼氏」とか「亭主」という意味らしい。それがaとつながって「メッカ」となるので、「私のカレシ」または「アタシのあいつ」みたいな意味のようです。

 

 その彼氏が嘘つきで、いつもしょうもないことばかり言う奴だけど、私は分かっていてもすべて信じるわ、というような他愛のない内容の歌詞が延々と続く歌です。ただし、メロディとリズムが実に絶妙で、歌の流れの中に山や谷がきっちりと仕掛けられています。

 シャンソン風味の軽い哀愁もあって、なかなかの名曲だとボクは思うのですが、カースが歌うと迫力あるドスがきいてるんですよね。つくづくしょーもない男だけどさ、それでもアタシは惚れちゃったんだから仕方ない。そうなったら信じるほかないじゃないか。というようなニュアンスが、フランス語をまるで知らなくても感じ取ることができます。

 

 だから、ああこの楽曲でカースはデビューしたんだということがね、よく理解できるのです。こういう楽曲との出会いが、歌手にとっての登竜門なのですが、前述したように奇跡に近い。関係者が最初からヒットを予想した楽曲もあれば、まるで期待していなかったのに大ヒットになったとか。10年がかりでジワジワと認知されるというケースだってありますよね。

 

 だからどうの、というのでなく、やはり歌手はまぎれもなくアーティスト=芸術家なんだよなと。才能があっても、それだけではダメで、神様がくれる運とか奇跡がなきゃいけない。カラオケのおかげで誰でも歌を上手に歌えるようになったと思うかもしれないけど、本当に上手な人は少なく、しかもヒット曲を持つ歌手となれば希有なんですよね。素人全盛のおかげでというと叱られそうだけど、そうしたアーティストに対するリスペクトが世間的にちょっと欠けてきたように思ったりするわけです。

 

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2017年8月 7日 (月)

Dance Me to The End of Love(下)

 

 この稿のためにYouTubeで様々なバリエーションを試聴しましたが、レナード・コーエンはミスター・スポックというより、俳優のダスティン・ホフマンに激似です。

 

 シンガーソングライターなんだから顔なんかどうだっていいのですが、かなりの高齢になっても、実にいい雰囲気を醸し出しているジーサンだと感心させられます。

 もうひとつ気づいたのは、晩年は若い頃より素晴らしい声になっているんですよね。身体が老化するなら声帯も老化しますから、たいていの歌手は声が枯れるなど、あまり好ましくないほうに変化していきます。そこに酒や煙草などが加わると、美声がどんどん崩れていく。ボクは昭和の大歌手といわれる人を子供の頃から晩年まで続けて聴いたことがありますが、敢えて率直に言わせていただけば、亡くなる直前の歌声は悲惨というほかありませんでした。きっとファンは否定するでしょうけどね。

 

 ところが、レナード・コーエンはどんどん渋くなり、特に低音はスピーカーの振動が分かるほどビリビリと響くのです。もちろん枯れてはいるんだけど、その分だけ低音の迫力が増していると感じるのはボクだけかな。こういうケースは珍しいのではないでしょうか。だからもしYouTubeで彼の歌を聴くなら、若い頃より近年のライブ録画のほうをオススメします。

 

 さて、『Dance Me to The End of Love』です。この曲は1984年の『Various Position』というアルバムで発表されました。このアルバムには『ハレルヤ』も収録されているので、レナード・コーエン畢竟の傑作といえそうです。

 

 『ハレルヤ』については以前にジェフ・バックリィで詳しく紹介したので興味のある人は読んでいただきたいのですが、こちらは「哀しみのダンス」という邦題もあるようです。タイトルをそのまま訳せば「愛が終わるその時まで、私を踊らせてくれ」ということになるので、ちょっと要約し過ぎかなとも思うのですが、ライターとして言わせていただけば、短い日本語タイトルを考えるのは、長い文章を書くよりはるかにホネが折れるはずです。特にこういう含みのある文章は、何をどう書いても原題を上回ることなんて不可能ですからね。

 

 さて、楽曲ですが、もの悲しい短調の単純なリズムの繰り返しの中で、バイオリンが心の琴線を奏でるかのように流れてきます。ところがボクがダウンロードしたオリジナルではバイオリンが入ってくるのは後のほうなので、YouTubeで聴ける方が奥深いサウンドになっています。

 

Dance me to your beauty with a burning violin
Dance me through the panic till I'm gathered safely in
Lift me like an olive branch and be my homeward dove
Dance me to the end of love
Dance me to the end of love

 

 燃えるようなバイオリンで、美しいきみと踊らせてくれ。パニックを過ぎて落ち着けるようになる、その時まで私を踊らせてくれ。オリーブの枝のように私を咥えて、巣に戻る鳩のようになってくれ。愛が終わるその時まで、私を踊らせてくれ。

 

 直訳すると、こんな感じかな。彼の歌詞は構文的には決して難しくないのですが、日本語訳として理解できても意味不明というフレーズがいろいろ仕掛けられています。この曲も、「パニック…」とか「オリーブの枝…」がどんな暗喩なのか、ボクにはよく分かりません。そんな分からないことの団体様が『ハレルヤ』なのですが、そもそも文化&宗教的な背景が違うのですから、すべてを完璧に理解する必要はないとボクは思っています。雰囲気を味わい、その楽曲に自分の個人的な想いをのせることができるのが名曲なんじゃないかな。それこそが「普遍的」と呼ばれる要件なのだろうと。

 

 ちなみに、英語のウィキペディアでは彼のインタビュー記事を抜粋しており、その中でホロコーストにインスパイヤされたと語っています。あるDeath Campで、ユダヤ人がガス室で虐殺される時に、クラシックを演奏させられていたString Quartetカルテットがいたそうです。それを知ると、単純な恋の歌ではないと分かるでしょ。でも、そのことをそのまま歌ったのでは音楽にはなりません。それを昇華させて、みんなが共感できるものにすることが芸術なわけでね。現代の日本の歌がそこまでの完成度を持つかというと、希有だなとボクは思っちゃうんだよな。むしろ1960年代から80年代までの歌謡曲のほうがよほど優れているように思えます。

 

Dance me to the wedding now, Dance me on and on

Dance me very tenderly and dance me very long

We're both us beneath our love, We're both of us above

Dance me to the end of love
Dance me to the end of love

 

 やはり途中で、「ボクたちは愛の下にいて、愛を越えている」という謎のフレーズが出てきます。まだ私たち2人は愛には値しないかもしれないけど、それを越えたもので結びついている。だから、愛の終わる時まで私を踊らせてくれ、ということになるのかな。

 

 歌詞を探っていくと難解なのですが、Dance Me to The End of Loveと願う瞬間は、誰にでも一度はあったはずだし、これからもあると思うのです。

 

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2017年8月 4日 (金)

Dance Me to The End of Love(上)

 

 人間誰しも初めて年を取るわけで、その意味では毎年毎日毎時間がいつも初体験ということになります。ということは、自分の生き方の参考にする、あるいは真似したいモデルを持っていたほうが、迷ったり混乱しないので楽になりますよね。

 

 ボクもそろそろジジーになる準備をしておきたいということで、最初に目標としたのが映画俳優のトム・セレックです。トム・クルーズのお兄さんで、ってウソです、そもそも苗字が違うじゃないか! という冗談はさておき、『ミスター・ベースボール』という1992年公開の映画で高倉健と共演したこともあります。彼のようになりたいなと注目したのは、テレビ映画の『警察署長ジェッシィ・ストーン』というシリーズでした。ロバート・B・パーカーの原作で、なかなかいい雰囲気のテレビドラマなのでオススメしておきます。

 でね、トム・セレックですけど、鼻の下の分厚いヒゲがやたらに似合う男で、ギョロリとした大きな目玉の割に寡黙な役が大変によく似合っていました。ボクは状況にもよりますが、ものすごく饒舌になるのが自己嫌悪なので、こういう無口な人間に憧れてしまうのです。しかもワケありな感じがね、余韻あるじゃないですか。

 

 ただし、トム・セレックは大学時代にバスケットボールの選手だったことから分かるように、身長192㎝の巨漢です。顔の構造も違えば体格だって大違いなので、イメージだけ模倣するといってもかなり困難です。見える景色からしてボクの身長とは違うはずですから。

 

 それでずっと見本探しで彷徨していたのですが、つい最近になって、これならイケるかなという目標を見つけることができました。レナード・コーエン。昨年の11月に82歳で亡くなりましたが、カナダのシンガーソングライターで、詩人、小説家でもありました。才能は格段に開きがあるでしょうけど、ライターとして分野だけは共通しているじゃないですか。

 

 この人については、以前に不朽の名作『ハレルヤ』でご紹介しました。その時はジェフ・バックリィの歌にとても感動したのですが、近頃は私生活の方面でいろいろありまして、彼の歌を重く感じるようになってきたのです。年を取ると長く眠る体力すらなくなり、同じように悲しみや苦しみに耐えるエネルギーも乏しくなってきます。そんな人間にジェフ・バックリィの『ハレルヤ』はあまりにもヘビーで、どーんと憂鬱の底に突き落とされてしまうんですよね。

 

 ところが、作詞作曲した本家のレナード・コーエンは、どこかに遊びというか余裕というか、うまく枯れた色気があるんですよね。まず声がとびきりに渋くて素晴らしい響きがある。次に、ボクのように目が垂れている。率直にいえばミスター・スポックそっくりなのですが、容貌はトム・セレックよりはるかにボクに近いかなと。

 

 そんな彼が淡々とまるでご詠歌のように「ハレルヤ、ハレルヤ」と繰り返していく歌ですけど、ジェフ・バックリィの尖った悲哀よりも、人間の愚かさを優しく受けとめてくれるような気がします。瞳には哲学者のように深いものが漂うだけでなく、仲間を横目で見る時の表情に、実にまったく愛嬌と色気があるんだよな。

 

 よーし、こういうジジーになってやると、昨日午前10時頃に決心しました。それで早速に彼が歌う『ハレルヤ』を205円でダウンロード。次に『Dance Me to The End of Love』も205円で落として、ボクのiPodシャッフルに入れました。これで合計269曲となります。

 

 この『Dance Me to The End of Love』が泣かせる曲なので、来週月曜日に続けることにします。

 

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2017年7月31日 (月)

『メインテーマ』

 

 薬師丸ひろ子という女優さんがあまり好きになれなくて、あの大ヒット曲『セーラー服と機関銃』(1981年)はパス。そのかわりに、作曲者である来生たかおの『夢の途中』のほうを愛聴してきました。彼女のせいでは決してなくて、あの年齢=15~20歳くらいまでの女性がボクはすごく苦手なんですよね。

 

 世間知らずのくせに鼻っ柱が強くて、ワガママで自分勝手で、って同じ意味か、ついでにやたらと理屈っぽくてね。そうした他人に対するイマジネーションを欠いた精神性が、どうにもダメなんだよな。こういう傾向は子供の頃からチヤホヤされ、可愛いと言われ慣れて成長した美人に共通しており、早い話がブサイクなボクには取り付く島がないわけですね。世の中にはイケメンよりボクのようなブサメンが圧倒的に多いはずですから、そういう態度は交友関係を狭めてしまうと思うんですけど。

 

 長々と年甲斐もなく愚痴みたいなことを言ってしまいましたが、そんな薬師丸ひろ子の歌で最近気に入っているのが『メインテーマ』(1984年)です。計算してみたら、ゲッ33年も前かよとびっくりしました。彼女が出演した同名の角川映画の主題歌で、通算3枚目のシングルとして発売されています。

 こちらは作曲が南佳孝、作詞が松本隆。南佳孝は『モンロー・ウォーク』などでお馴染み。松本隆といえば松田聖子などのヒット曲をバンバン出してきた歌謡界の大御所です。

 

 だからといって全部が名曲というわけではありませんが、『メインテーマ』はボクの好きな透明感のある哀愁に満ちており、なかなか良い歌に仕上がっていると思います。前述した乙女の強気と、恋に揺れ動く心情がメロディとしてもきちんと葛藤しているところに好感が持てます。

 

 ボクがとりわけ感心したのは、以下の歌詞です。

 

愛って よくわからないけど

傷つく 感じが素敵

笑っちゃう涙の 止め方も知らない

20年も生きて きたのにね

 

 ね、すごい感性でしょ。だからボクは詩人になれなかったのかとしみじみするくらいです。「傷つく感じが素敵」と強気になりながら、涙の止め方も知らない。けれども、それを笑ってしまう。こんな屈折しまくりが乙女の心なんですな。極めつけが「20年も生きてきたのにね」。はぁ、ワタクシ結構な年齢になるのですが、今もって「涙の止め方」なんて知りませんぜ。

 

愛って よくわからないけど

深呼吸 不思議な気分

わかってる 昨日の賢い 私より

少しだけ綺麗になったこと

 

 うーん、もうとにかく瑞々しいのであります。この歌は上手に歌えば歌うほど違和感が強くなってくるので、ある程度ブッキラボーな感じで歌唱しないと似合いません。その意味でも、やはり当時の薬師丸ひろ子が歌わなくて誰が歌うのという楽曲なんですよね。

 

 ヘビーローテーションにするほどではありませんが、たまに聴くとね、枯れ気味のオッサンにもしばし水分を供給してくれる歌です。

 

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2017年7月13日 (木)

クラシック

 

 ある歌手に聞いたのですが、日本でクラシックの音楽家はなかなか食えないそうです。特に声楽=歌手として自立できるのはほんのひと握りというから、ボクには意外でした。

 

 東京ではクラシックのコンサートがかなり多く、年末ともなればベートーベの交響曲第九番をあちこちでやっていて、どこも満員ですもんね。それでも全体として見れば、クラシックを好む人口は減っているようです。ボクなんかは好きな曲はバロックから西田佐知子にサザンにマンハッタン・トランスファーまでいろいろあるので、クラシックのヘビーユーザーではないけど、たまに聞きたい交響曲もあります。チャイコフスキーとかね。

 

 ただ、レコードとして売れる楽団や指揮者や演奏家は昔から限られていたように思います。かつては「カラヤン」というだけでブランドやトレンドみたいに無闇に信奉して、神棚にレコードを上げちゃうような人もいたんじゃないかな。ボクは天の邪鬼なので、そういう風潮には常に背を向けてきたのですが、いきなり人気のハシゴを外すのもこういう人たちのような気がします。

 

 いずれにしても、もはや音楽は一曲いくらでダウンロードできるため、人気歌手でもCDの売上げは年々低下。クラシックならなおさら売れない、ということになっているかもしれません。

 

 アーティストを目指すなら最高峰とされる東京芸術大学も同様で、二浪三浪しなきゃ合格できない最難関なのに、卒業後は大変みたい。ボク自身はそうした「高等遊民」的な分野があっていいし、あるべきだとも思いますが、好きなことをやって生きていくことのリスクは覚悟しなきゃいかんでしょう。

 

 にもかかわらず、クラシックのトレーニングは譜面通りが基本で、ジャズのようなアドリヴは完全に御法度。だから、そんな人がポップスやジャズの世界に入ると、自分の個性を出すのに一苦労となるようです。

 

 いや、実に興味深い世界ですね。だって、もしもクラシックを継承する人がいなくなったら、たとえばバッハから数えても400年以上にわたる積み重ねがプツンと途切れることになってしまいます。

 厄介なことに、音楽は絵のようにカタチとして残すことはできないんだよな。ハイレゾで記録するといっても、ライヴで演奏したり歌う人がいなければ、ラテン語みたいな骨董品になっちゃいますよね。

 

 何が言いたいのかオボロになってきたけど、そうしたクラシックをきちんと維持できるのが本当の文化ではないのかと。つまりさ、今になって多様性が喧伝されているけど、もともと音楽の世界は多様なわけです。それを「食える・食えない」の二元論で分けたら、どうしたって衰退していくジャンルを作ることにつながります。だから、そういうつまらないことを言わせないように下支えするのが政治の役割だとボクは思うのです。

 

 そのためには、政治家自身がコンサートなんかに足を運ばなきゃいけない。ウィーン古典派を語らせたら止まらないという政治家がいたら、ボクは尊敬してしまいます。そういえば、あの首相は不規則発言以外に何か趣味があるのかな。やっぱさ、少しはカネと関係ないことを身につけましょうよ、ということになるわけです。それが教養とかリベラルアーツと言うなら、日本はまだまだ途上国のような気がしてなりません。

 

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2017年7月12日 (水)

Wonderful World

 

 ルイ・アームストロングが1968年に歌ってヒットしたWhat a Wonderful Worldとよく間違えられるのが、サム・クックのWonderful Worldです。何てったってWhatしか違わないもんね。

 

 前者は『この素晴らしき世界』という邦題が付いているのに対して、サム・クックのほうは1960年発表の先輩にもかかわらず英語のまんまの放置状態も何だか差別的ですよね。しかも、ルイ・アームストロングの歌はベトナム戦争の北爆の映像を背景にして、シニカルな政治的メッセージのように使われることが少なくありません。

 

 どうもね、ボクはそういうインテリぶったあざといやり口は好きじゃないんだよな。それに比べてサム・クックのほうは、アップテンポのスーパー能天気な内容ですけど、若きハリソン・フォードが主演した映画『恵司ジョン・ブック』じゃなかった『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985年)の中で実に上手に使用されているのです。

 

 警察内部の不正に気づいた刑事役のハリソン・フォードは、それを察知した悪徳警官に撃たれて負傷。警官による殺人の唯一の目撃者であるアーミッシュの子供と母親と一緒に彼らの村に身を潜めます。中世のキリスト教原理主義みたいな宗教を信仰している村であり、クルマや電話といった文明の利器が一切ありません。だから、悪い連中が警察の情報ネットワークをフルに活用しても、なかなか探し出せないわけです。

 

 やがて傷が癒えたハリソン・フォードは、納屋に隠していた自分のクルマのところに行きます。カバーを取って動くかなとエンジンキーを回すと、ラジオから、この曲が軽快なリズムで流れてくるんですよね。

 

Don’t know much about history,
don’t know much biology.
Don’t know much about a science book,
don’t know much about the french I took.
But I do know that I love you,
and I know that if you love me, too,
what a wonderful world this would be.

 Historyは歴史、Biologyは生物学といった具合で、高校あたりの授業科目を英語で何と言うかが全部分かってしまう大変に勉強になる歌でございます。2番になるとGeographyTrigonometryAlgebraですもんね。念のために日本語にしておくと、地理に三角法に代数です。

 

 そういう科目の勉強はちっとも分からないけど、ボクがキミを愛していることだけは分かるし、もしもキミがボクを愛しているなら、何て素敵な世界になるだろうか。と、ここで初めてWhat a wonderful world という言葉が出てくるわけですね。お勉強はあまり得意ではないけど、思春期らしく女の子に恋をした生徒の心情が描かれています。

 

 この刑事は、ラジオから流れてきたイントロをちらりと聴くだけで「おっ」と若い頃を思い出したような嬉しそうな表情をして、自分も小さく口ずさみます。それだけでなく、傍らで見守っていたアーミッシュの母親の手を引いて、簡単なダンスに誘ってしまう。このシーンに、この歌がみごとにマッチしており、まことによろしい雰囲気になるのでありますよ。

 母親役は、後に映画『トップガン』でトム・クルーズの教官に扮するケリー・マクギリス。戒律の厳しい宗教を信仰するシングルマザーらしい貞節心を寡黙な中にうまく表現しています。けれども、次第に顔が優しくほころび、彼と一緒に笑顔になって踊ってしまう。

 

 少年の頃の淡い恋心を描いた歌が、大人の男と亭主を失ったシングルマザーが互いに惹かれ合う気持ちと重なっていくのです。このシーンだけで、何だか胸が一杯になってしまうんですよね。何度もビデオ(当時はね)を借りて観た映画ですが、それ以降の怒濤の展開にはまったく興味がなくて、ほとんど見ないで返却したくらいです。

 

 オールディーズ特有のふんわりした気分になれる歌だとボクは思うんですが、いかがでしょうか。

 

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2017年6月16日 (金)

『サン・ジャンの私の恋人』

 

 誰が歌ったとしても、それを聴くたびに胸がキュンと締まって、ひどく切ない思いに襲われるシャンソンがあります。

 

 『サン・ジャンの私の恋人』。哀愁たっぷりのイントロダクションだけで身体が反応するのですが、以下のフレーズ(訳詞:山本雅臣、以下同)で、ボクの過去のもろもろがですね、条件反射のようにぶわっと噴出。走馬燈のように影絵と化した思い出がくるくると回り出すのです。

 

甘い囁きなら、信じてしまうもの

あの腕に抱かれれば、誰だってそれっきりよ

 

 若かったけど貧乏で焦りや怒りばかりを感じていた頃に、ある女性と一緒に暮らしていました。将来に対する漠然たる不安もあって口喧嘩ばっかり。自分の自信のなさの裏返しということはイヤというほど分かっていても、カネもなければ知識も才能もコネもなければ、それを再び裏返すなんて容易なことではありません。結局は1年足らずで別れることになりました。

 

 さらにもうひとつ。吉祥寺にはかつて「ベル・エポック」というシャンソンのライブハウスがありました。なけなしのカネでたまに彼女と一緒に行ったこともあってね。そんな数少ない幸せな時に聴いて、強く印象に残った歌が『サン・ジャンの私の恋人』なのであります。

 

 1942年にリュシエンヌ・ドリールがレコーディングしたのがオリジナルで、フランソワ・トリュフォー監督も好きだったらしく、映画『終電車』(1980年公開)のオープニングで使っています。サン・ジャンとは聖ヨハネのフランス語読みで、彼を記念して6月の夏至の日には火祭りが行われるそうです。そんな特別な日の舞踏会に行った女性がたちまち恋に落ちるという内容です。

 

アコルデオンの流れに さそわれいつの間にか

サン・ジャンの人波に 私は抱かれていた

 

 これが始まりの歌詞。アコーディオンでなくて「アコルデオン」と読むあたりにフランスのシャンソンらしさが強調されていますが、華やかに装った人たちが集まる祭りの中で、若い娘が次第にその雰囲気に酔っていく様子が想像できます。そんな非日常な場でイケメンに甘い言葉で囁かれたら、たいていはコロリとやられてしまうわけですな。

 

あの腕に抱かれれば 誰だってそれっきりよ

あの眼差しに 見つめられた時から

もう私は あの人のものよ

 

 ボクは、そんな羨ましい「あの人」であったことは人生で一度たりともないので、やりきれない嫉妬を覚えますが、これはもう仕方がないんですよね。美しい女性はたいていイケメンの餌食になっちゃうんだよな。

 

何も考えずに みんなあげてしまった

たとえだまされても 愛してしまった私

甘い囁きなら 信じてしまうもの

あの腕に抱かれれば 誰だってそれっきりよ

 

 そんな恋を得た高揚感を経て、「アコルデオンの調べも みんな誘いの罠だった」と失意に至り、「みんな終わって過ぎた夢なのよ」というのがエンディングとなります。年を取ってみれば恋の始まりと終わりなんて、どれも似たようなものであることが分かるようになりますが、この歌に関する思い出を前述のようにダブルで抱えていると、やっぱり切なくなるんですよね。

 

 そうした切なさの本質が、パトリック・ブリュエルのカヴァーを聴いてやっと分かりました。彼は1959年にアルジェリアで生まれた男優&歌手で、オリジナルの歌詞を「私」から「彼女」に変えています。つまり、好きな女性がほかの誰かに惚れていく様子を、心ならずも見守る男の側から歌っているのです。YouTubeにPVがアップされていますが、これがレトロな映像で実に素晴らしく、彼の歌声も渋めのハリがあってなかなかいいんだよなぁ。そのせいか今の時点で約543万ビューが記録されています。

 

 ちょっと屈折していますが、男も女も一度くらいはそんなじれったいというかやるせない思いをしたことがあるはずですよね。ボクも、この歌にかつての彼女をしっかりと投影していたのです。その当時の気持ちを思い出すからこそ、余計に切なくなるわけですね。けれども、今となってみれば酸っぱくて苦いだけでは決してなく、やはり甘さもちゃんとありました。そんな思い出が、まるでないよりはあって良かったのかなぁなんてね、ちょっとだけ顧みたりするわけです。

 

 なお、来週からスイスに短期出張することになり、木曜日に帰国する予定です。よってブログはお休みさせていただき、23日の金曜日から更新いたします。

 

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2017年5月26日 (金)

ロシア語

 

 このところご紹介してきたロシア人歌手、エカテリーナさんのステージを赤坂のライブハウスで楽しませていただきました。

 

 彼女の豊かな歌唱力や奥ゆきのある表現力は、ワンフレーズ聴いただけでも並外れたハイレベルであることを納得できるはずです。しかも、蓄えられた声量のすべてを使うことなく、敢えて控え目に歌い上げることで、深い情緒を感じさせるんですよね。

 その一方で、プッチーニの『誰も寝てはならぬ』なんかマイク不要で声が響き渡ります。ミュージカルの原型とされるオペラの楽曲ですが、少なくともボクがこれまでに聴いた中ではダントツに感動的で、本当はこんな歌だったのかと再認識したくらいです。

 

 でね、たまたま開店直後に席に座ったせいか、ちょっとだけ彼女からロシア語を教えてもらう機会を得たのです。前回のブログで書いたように『モスクワ郊外の夕べ』はカタカナなら2番まで完全に暗唱できるので、それなりに自信を持っていたのですが、いやはや発音がまるで駄目なことが分かりました。何しろ「こんばんわ」という最初の挨拶「ドープルイ・ヴィエーチル」からして、「何を言ってんの?」という怪訝な顔ですもんね。いきなりカルチュア・ショックですよ。

 

「ポド・モスコー、じゃないよ。パッドなの、パッド。モスコーもマスコーだから、パッド・マスコーね」

 

 Oに聞こえる発音が実はAであったのはボクのロシア語ヒアリングが拙いだけですが、彼女が「パッド」と破裂音を発声するたびに一陣の風が吹き、決して冗談や比喩ではなく、ボクのまわりの空気が震えるのです。音は振動波によって伝達されるという物理学を実感いたしました。それほどの発声と呼吸法を身につけているわけで、やはりプロフェッショナルは違うなぁと大いに感心した次第です。

 

 しかもピアノの弾き語り()までこなしてしまうから凄いじゃないですか。そんな人の歌を身近に聴けるのはまったく望外の幸運というほかはなく、もっともっと有名になって然るべき歌手だとボクは思います。

 

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2017年5月23日 (火)

『君にありがとう』by Ekaterina

 

 昨日の続きになりますが、ロシア人歌手のエカテリーナさんは2014年にキングレコードから『君にありがとう』というCDを出しています。

 

 YouTubeにアップされているので簡単に視聴できますが、これを紹介しようと思って参考までにネットを調べてみたら、同じ曲名の歌がものすごく多いんですよね。もちろんカヴァーではなく、それぞれ作詞・作曲者が異なる、まったくの別ものだから驚きました。

 

 ちなみに、エカテリーナさんの場合は作詞・作曲が梅垣達志さんですが、以下に『君にありがとう』という同名のCDを出している歌手と作詞・作曲者を新しい順に列記してみました(以下、敬称略)。

 

●つるの剛士2017/4

作詞・作曲:都倉俊一

 

●奧華子2013/3

●豊崎愛生2011/6

いずれも作詞・作曲:奧華子

 

●福山潤2011/5

作詞・作曲:春行

 

●三田明2009/5

作詞・作曲:明煌

 

●岡本真夜2008/10

作詞・作曲:岡本真夜

 

nobuko2008/3

作詞・保志彼方、作曲・ZERODECIBEL

 

●森山良子2008/2

作詞・作曲:森山良子

 

●チン☆パラ2003/5

作詞:橋口耕太、作曲:加藤ひさし

 

●つじあやの2001/3

作詞・作曲:つじあやの

 

 ほらね、すごいもんでしょ。この中で唯一の重複が2011年の豊崎愛生で、作詞・作曲した奥華子も2013年に自ら歌ったCDを出されています。こういうケースもカヴァーっていうのかなぁ。本人ですもんね。

 これらはボクが簡単に調べた限りなので、まだまだほかに存在する可能性を否定できないほか、平仮名で『きみにありがとう』や、これをひっくり返した『ありがとうきみに』という歌だってあります。

 

 誰かに感謝する気持ちはとても大切なことでも、さすがにこれだけあると、お目当ての歌を探す時に迷ったりしないのかなぁ。中でも岡本真夜と森山良子は両者ともにビッグネームなのに、同年の発表ですからね。まさか歌手を間違えてCDを買う人がいるはずないと思いますが、歌のタイトルに著作権とか版権とか意匠権などの特許的な要素はないのでしょうか。

 

 全部を聴き比べてここでご報告できればいいのですが、ボクは音楽評論家ではないので、そんな気力はありません。ただ、心のスネにキズを持つ人は案外多くて、「いろいろ感謝しているよ」とパートナーや知り合いに言いたい気分の時はありますよね。ボクの場合は取り返しのつかない反省や後悔などにもとづく謝罪や懺悔に酷似していますが……。いずれにせよ、そうした「ありがとう」が世間に溢れるとうるさくて困るってことはありませんよね。

 

 こうしたスローバラードは、正直言えば、ボク個人としては必ずしも好きな分野ではありません。やはりアップテンポのマイナーに心惹かれます。けれども、エカテリーナさんはとても丁寧に、愛情を込めて慈しむように歌いあげており、歌詞も曲想も素敵に仕上がっているので、ぜひ聴いてみてください。

 

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