笠木恵司の主な著書

  • キャリア・チャレンジ2009-2010
  • 資格試験合格後の本
  • 学費免除・奨学金で行く大学・大学院進学・休学・留学ガイド
  • 価値ある資格厳選200
  • インターネットでMBA・修士号を取る
  • 腕時計雑学ノート
  • 「国際標準」ビジネス資格完全ガイドブック
  • 日本で学べるアメリカ大学遠隔学習プログラム
  • テレビ局完全就職マニュアル
  • 資格の達人
  • MBA入学ガイドブック
  • 学んで! 遊んで! 役に立つ! インターネットキャンパス
  • 日本で学べるアメリカ大学通信教育ガイド

お気に召したら、ポチっと↓

  • 笠木恵司のブログ

福助くん その6

  • D_p1000397_s
    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

  • 5djustice3f5d5575e032a1
    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

音楽

2018年1月 9日 (火)

HUB浅草店

 

 年に数回ほどですが、スキヤキを猛烈に食べたい時があります。焼肉も悪くはないんだけど、せいぜいサンチュで巻く程度なので、すぐに飽きてしまうんですよね。年を取ったせいか、厚く切られた牛肉も苦手になってきました。

 

 それに比べて、スキヤキの肉は人間技では不可能なほど薄く切られているほか、シラタキ、焼き豆腐、シイタケにクレソン、じゃなかった春菊などの取り合わせにバラエティがあります。これを醤油ベースの甘じょっぱい割り下で煮つめるのですから、毎日は食べられないにしても、味がクセのようになって忘れられないのです。

 

 しかもボクは何と贅沢にも、ウェイトレスでなく仲居さんというのかな、できれば和服を着た妙齢の美しい女性に下ごしらえをしてもらうのがスキヤキの基本であると信じてきました。つまり、家庭でこしらえたら旨さが半減してしまう外食中の外食、王道的な存在といっていいでしょう。

 

 お会いしたことはありませんが、瀬戸内寂聴先生も「シニアは肉を食べなさい」と話していたことがあるので、正月明けの連休ということで、思い切って浅草に行くことにしました。浅草寺の初詣からスキヤキの名店・今半へのルートを想定していたのですが、仲見世通りは相変わらずの大混雑。秒速で諦めて国際通り本店に直行しました。かなり結構な値段ではあったのですが、質素な1人暮らしの正月を過ごしたので、たまにはこれくらいの散財は許されるだろうと。はい、期待に違わず大変に美味しゅうございました。

 

 でね、本題は食後の楽しみとして足を向けたHUB浅草店のライヴなのです。この店は先週1月4日のブログで紹介したように、グループの他店とはまったく違います。大きなステージがあって毎日ライヴを行っており、このためキャッシュオン・デリバリーでなく後払いなど、店名こそHUBですけど、むしろ別の名前にしたほうがいいんじゃないかと思うくらいです。

 

 実はスキヤキよりも同店のライヴがお目当てでありまして、はるばる遠く浅草までやってきたわけです。この日の出演者は永濱昌彦とデキシーVIPにヴォーカルとして木津ジョージさん。「デキシー」とあるように、ジャズの原点とされるディキシーランドジャズを得意とするバンドで、ピアノ、クラリネット&サキソフォン、トランペット、トロンボーンにウッドベースとドラムの6人編成=セクステット。ウェブサイトがなかったので未確認ですが、クラリネット&サキソフォンが最高齢の85()で、平均年齢70歳以上というスーパーシニアなバンドです。ヴォーカルの木津さんも70代半ばですから、年齢だけ紹介するとものすごく誤解されそうだけど、演奏が素晴らしく上手なんだよな。一芸に秀でたジーサンたちがこんなにもカッコ良いとは不覚にも知りませんでした。同夜のハイライトと思われるリーダーのドラムソロも10分以上。よく息が上がらないものだと心配しつつも、その迫力とテクニックに圧倒されました。木津さんのヴォーカルもほどよく枯れた味があるというか、円熟した雰囲気と色気が漂っているんですよね。

 

 年季を経ても生き残ってきた実力派のベテランが揃っているせいか、満員の店内はシニアばかりでなく、若い男女が目立つことにも驚きました。ディキシーランドジャズは日本ではとっくにオワコンかと思っていましたが、決してそうではないようです。インテリぶった小難しいプログレッシヴよりメロディアスで楽しいですからね。このライヴも3種類のブラスが一斉に音を放つ重層的なハーモニーが耳を通して胸にまで届き、心が沸き立つほど気持ち良く感じました。軽快に跳ねるようなピアノなど、それぞれのアドリヴも余裕があるので安心して聴けます。譜面なしで基本的なメロディとコードだけでつながる、ジャズセッションの楽しさを久々に堪能させていただきました。

 

 ステージは休憩を挟んで40分×3回。これでミュージックチャージは入れ替えなしでなななななな何と1600円ですよ。オーダーはメニューに記された料金に消費税だけ。ちなみにグラスワインは一杯660円。いつもの銀座に比べて、ホントに安いよなぁとしみじみ感心しました。

 

 こんな店が渋谷や新宿にあったら絶対に行きつけにしたはずですが、恵比寿から浅草はさすがに距離があります。でもまぁ月に1回くらいは行くぞと。あまりにも人気になって混雑するようになったらイヤだけど、ライヴが好きな人には超オススメの店であります。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓


人気ブログランキング

 

 

 

2018年1月 4日 (木)

ジャズィな年末年始

 

あけましておめでとうございます。

旧年中はご愛読ありがとうございました。

本年もよろしくお願いいたします。

 

 昨年末のブログで追記したように、更新は明日5日からの予定でしたが、取りあえず正月三が日も過ぎて、書けない・書かない理由は特段見当たらないので、「書き初め」として早めることにしました。

 

 さて、年末年始の話題です。ボクにとって最大のトピックといえば、アンドレア・モティスのライヴを聴けたことかな。彼女の名前をタイトルにした2016年9月1日のブログで紹介したように、YouTubeで発見したスペイン生まれの天才少女でありまして、詳しくはブログを再読いただきたいのですが、トランペットとヴォーカルが優れて魅力的なジャズ・ミュージシャンです。

 

 そんな彼女が年末に来日するというのですから、こりゃもう行かないわけにはいきませんよね。けれども、最初に出演するブルーノート東京はクリスマスイヴを挟んだシーズン最高潮の3日間なので、気づいた時はすでに遅く、くやしまぎれに言うなら料金も相当にスペシャル。その後の公演となるコットンクラブ東京を予約することができました。クリスマスをすっかり抜けたせいか、料金もそこそこでおトク感もあります。ここでは以前にビッグバンドのジャズを聴いたことがありますが、大人向きの落ち着いた雰囲気のシアターレストランです。

 

 ボクはフルバンド編成の“Lover, come back to me”(恋人よ我に帰れ)を視聴してすっかり彼女に惚れ込んだので、ブラスが勢揃いした重層的なジャズサウンドを期待していたのですが、今回はお師匠さんでもあるベーシストのジョアン・チャモロと、ピアノとギター、それにドラムスと一緒のクインテット。それでも彼女の鼻にかかった甘い歌声と、軽快でしなやかなトランペットさばきは期待通りでした。ボクはことさらなジャズファンではなく、延々と続くアドリヴや難解なプログレッシヴは裸足で逃げ出す無知なビギナーですけど、オールディーズともいえるスウィングジャズは大好きなんですよね。

 でね、ライヴの最初の曲が“You'd be so nice to come home to”だったことで分かるように、アンドレア・モティスは昔のスタンダードを得意としています。つまり、ボクにはストライクど真ん中のジャズというわけです。ちなみに、この歌はコール・ポーターの作詞作曲で1942年に発表されました。ヘレン・メリルのハスキーな歌声があまりにも有名ですが、彼女のオリジナルではなく、カヴァーとして1954年制作のデビュー・アルバムに収録されたというのは調べて初めて知りました。いずれにしても彼女を代表する楽曲であり、世界的にヒットして多大な影響を与えた反面で、日本ではダルそうに歌えばジャズヴォーカルという誤解をもたらしたとボクは考えていますけどね。

 

 一昨年に亡くなった大橋巨泉はジャズ評論家の頃に、この歌を「帰ってくれたらうれしいわ」とタイトルしたそうです。そんな切ない想いを歌とトランペットで演奏したアンドレア・モティスは、昨年末でまだ22歳。何と形容していいのか悩みますが、人生の重さを背景にした過度な感情表現ではなく、純粋に心地良い音楽に昇華されているとボクは感じました。トランペットも、細かな指使いの早びきとアドリヴは天才少女と称されてきた評価を納得させますが、決して押しつけがましくないんですよね。

 それだけに、できることなら、もっと小さな“箱”で、もっと長く飽きるほど聴きたかったなぁ。1ステージ1時間ちょっとなので、やはり短く感じました。

 

 そんな余韻を年始まで引きずっていたらしく、正月2日にあまりにもヒマだったので、つい浅草に行ってしまいました。絶賛大混雑中の浅草寺初詣なんぞではなく、ここの英国パブHUBは他のグループ店とは大違いで、何とジャズのライヴをやっているのです。これまで虎姫一座の行き帰りに2~3回覗いてみたことがありますが、そのたびに満員御礼でお断り。だったら昼間に行って、取りあえず中の様子を見てみようと思いついたわけです。

 

 それ以外に何の目的も期待もなく、午後3時頃にぶらりと入ったら、正月三が日は「新年マチネージャズライブ」というではありませんか。ボクが入店した時は偶然にバンドの休憩だったらしく、まったく気づかなかったのですが、しばらくするとバンドマンが集まって演奏が始まりました。それがまた、ボクの好きなスウィングジャズでありまして、特に女性のピアノの弾き語りが圧倒的な迫力を感じさせるのです。サックスとトランペット、ベースにドラムスの編成で、いきなりルイ・アームストロングの“What a wonderful world(この素晴らしき世界)ですもんね。しかも歌詞が、なななな何と日本語じゃないですか!!! そんなのボクはこれまでに聞いたことがありません。どうやら彼女=ダイナマイト・ミキさんというシンガー&ピアニストの自作らしいのですが、サッチモの歌のみならず、トランペットの音真似(!)も上手な芸達者でありまして、おそらく知る人ぞ知る有名人だろうと察しますが、とにかく感動いたしました。

 

 にもかかわらず、グラスワイン2杯で料金は税込み1340円。ボクはたまたま音楽チャージなしの時間に入店したらしいのですが、年の始めらしく、実にありがたくめでたい気分にさせていただきました。今度は早めに夜の本チャンに行ってみようかな。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓


人気ブログランキング

 

 

 

 

2017年11月21日 (火)

『誰よりも君を愛す』

 

 京子さん、ボクは山本や川崎や酒井なんかに比べて、誰よりもずっとずっと君を深く愛しているんだ。だから、お願いします!(右手を差し出す) 

 

 『誰よりも君を愛す』という歌をまともに聴いたことがないので、さすがは剛毅な川内康範の歌詞だけあって、美人をめぐる厳しい競争にも決して負けない強い愛を説得する内容かと思っていました。

 ところが、YouTubeで初めてフルバージョンを聞いてみて、いつものようにボクの大勘違いであることが判明しました。冒頭の事例を借りると、正しくは以下のような意味なのです。

 

 京子さん、ボクは和子や陽子や敏江など、これまでつきあってきた誰よりも、ずっとずっと深く君を愛しているんだ。

 

 何だよ真逆じゃねぇか、というより、いくら競争相手が多い美人にしても、お見合いパーティじゃあるまいし、ほかの誰よりもオレは君を愛している、なんていう口説き文句を聞いたことがありますか。そんなことを他人と比較できるかってなりますよね。幸福の度合いを他人と比べる人は結構いますけど。

 

 アホか、みたいな冗談で始めてしまいましたが、『誰よりも君を愛す』。タイトルだけでもすごいでしょ、キッパリしているじゃないですか。迷いなんか1マイクロメートル(1/1000㎜。今はミクロンは使いません)だってありません。作詞した川内康範はテレビドラマ『月光仮面』の原作と脚本で知られており、2007年には森進一が『おふくろさん』の歌詞を勝手に変えたと激怒して再びテレビなどで紹介されたことがあります。

 

 この『誰よりも君を愛す』は1959年の作品です。吉田正が作曲して松尾和子と和田弘&マヒナスターズが歌って大ヒットしました。彼が月刊『明星』に連載していた同名の小説がモチーフらしいのですが、39歳の頃ですからね、元気と精力が羨ましいほど横溢しております。

 

誰にも言われず

たがいに誓った

 

かりそめの恋なら

忘れもしようが

 

ああ 夢ではない ただひとすじ

誰よりも 誰よりも 君を愛す

 

 やはり凄みというか、壮絶ともいえそうな心意気を感じさせますよね。冗談やお世辞抜きで、こんなにも一直線で一途な思いを表現した歌詞は、ボクにはとても書けません。「誰よりも、誰よりも」と重ねておいて、「君を愛す」と力強く断言する。「愛する」じゃなくて「愛す」とスッパリ引き締めたところが、川内康範の流儀だと思います。いずれにしても、こんなド迫力でせまられたら、ほとんどの女性は陥落してしまうんじゃないかな。経験ありませんけど。

 

 ただし、2番目の歌詞からは、誰でも共感できる恋の辛さが綴られています。

 

愛した時から

苦しみが始まる

 

愛された時から

わかれが待っている

 

ああ それでもなお 命かけて

誰よりも 誰よりも 君を愛す

 

 愛を得た瞬間は喜びが溢れていても、その分だけ逢えない時が辛くなり、いつか別れることも覚悟しておかなきゃいけない。軟弱なプレイボーイもここまでは同じでしょうが、大正9年生まれの川内康範は、「それでもなお」として、命がけで君を愛す、というわけです。しかも、誰よりも、誰よりも。

 

 じれったくなるほどスローなテンポのメロディのもとで、松尾和子と和田弘&マヒナスターズがかけあうように歌うのですが、前述してきたように、詞の内容は鋼鉄のように固い意志が貫かれています。

 

あなたがなければ

生きてはゆけない

 

あなたがあるから

明日が生きられる

 

ああ いく歳月 変わることなく

誰よりも 誰よりも 君を愛す

 

 冗談めかして解説してきましたが、これほどまでに思いつめたことが、はるかな大昔ですが、ボクにも確かにありました。こういう恋愛をですね、若い人はどんどんしなきゃいけません。ヘンテコに大人になると、小狡い打算ばっかりでさぁ、それが透けて見えてほとほとイヤになることもあるんですよね。

 しかし、そこで挫けてはいかんのです。ボクも川内康範のように、背骨をいつも真っ直ぐにして生きていきたいなぁ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2017年11月 7日 (火)

『愛人』

 

 歌というのは時々ウソをつきます。というか一方的な願望あるいは空想ともいえるのかな。ボクにとって、テレサ・テンの『愛人』は、そうした見果てぬ夢Impossible Dreamといえるでしょう。

 

あなたが好きだから それでいいのよ

たとえ一緒に街を 歩けなくても

 

 このフレーズを耳にするだけで「惚れてまうやろっ!」(ちょっと古いか)ではありませんか。さらにたたみかけるように続きます。

 

この部屋に いつも帰ってくれたら

わたしは待つ身の 女でいいの

 

 たった4行の言葉だけで、関係性と情況がまる分かりになる、実に優れた歌詞です。元吟遊詩人志望者のボクから見ても、昔の歌謡曲は現代とは比較にならないほどの表現力を備えているんですよね。

 作詞は荒木とよひさ、作曲は三木たかし。1984年の『つぐない』からコンビとなり、翌85年に15枚目のシングルとしてリリースされたのが、この曲です。さらに86年には3曲目として『時の流れに身をまかせ』を発表。いずれも大ヒットとなり、これでテレサ・テンのイメージが決定的に定着したといっていいでしょう。このためカバーする歌手も多いのですが、『愛人』だけは寡聞にして極端に少ないような気がします。あくまでも私見ですが、女性にとって共感しにくいシチュエーションだからではないでしょうか。要するに不倫の歌ですからね。

 

尽くして 泣きぬれて

そして愛されて

時がふたりを 離さぬように

 

見つめて 寄りそって

そしてだきしめて

このまま あなたの胸で暮らしたい

 

 つきあい始めの頃はそんな心意気だったにしても、深夜になると奥さんのもとに帰って行き、土日や祝日は連絡するにも気を使うということを数回も繰り返せば、若い女性ほど「もうやめよっかな」と思うのが普通ですよね、きっと。

 

 それ以前に、「結婚しない人とエッチはしない」という姿勢があたかも「真面目」で、そのほかのケースはすべて「遊び」または「倫理に反する行為」と断定する女性も実際にいました。結婚による法的地位、または生涯の財政保障とエッチを交換するというのは、ボクには娼婦より不真面目としか思えませんが、どうやら貞操っていうのは価格と長期契約が伴うみたいです。こんなの大昔と何も変わらないですよね。どこが女性の自立だよって、ボクは思うんですけど。

 

 そうした古典的な世界観を継承する女性から見れば、この『愛人』的な女性は紛れもなく「不道徳」「掟破り」「破戒」いや経済的には「価格破壊」といっていい。だからさ、奥様はみんな不倫と愛人を激しく敵視し、糾弾するんじゃないかな。その一方で、男たちは、いつになってもこういう無償の愛を求める生き物なのです。

 

めぐり逢い 少しだけ遅いだけなの

何も言わずにいてね わかっているわ

心だけ せめて残してくれたら

わたしは見送る 女でいいの

 

 こんな女性がホントにこの世にいるのでしょうか。銀座あたりのホステスクラブではフェイクラヴのセールストークであり、ヘタすりゃハニートラップの疑いも濃厚だったりして、とてもじゃないけど、ほぼ絶対的にあり得ません。にもかかわらず、それが現世に実在するかのように、テレサ・テンは儚く優しく哀しげに歌い上げるのです。死亡の原因にナゾが多いこともあって、歌手としての成功の陰で薄幸だったかもしれない一生を想いながら、ボクは聴くたびに心を揺さぶられて、惚れてしまうのでありますよ。

 

 そんな女なんていないに決まっているけど、ひょっとすると万々が一、どこかに生存しているかもしれない。そんな男の身勝手な願望を表現した歌に違いないでしょうが、ボクはこれこそが文字通り“掛け値なし”の「純愛」だと信じているのであります。

 

 なお、明日は早朝から取材がありますのでお休みさせていただき、翌9日木曜日から更新する予定です。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2017年11月 2日 (木)

『ホンダラ行進曲』

 

 先週の土日はまるまる原稿制作に取り組み、一昨日から昨日にかけては、「どうしても」という厳しい締め切りがあったので、夜中から働いていました。ようやくホッとしたのも床の間、じゃなかった束の間で、今は面倒な校正処理に追われています。

 

 こういう時にふと思い出す、実にまったくバカバカしい歌があるんですよね。

 

ひとつ山越しゃホンダラダホイホイ

もひとつ越してもホンダラダホイホイ

越しても越してもホンダラホダラダホイホイ

 

 今では中高年以上の世代しか知らない、クレージーキャッツの『ホンダラ行進曲』です。1963年4月にシングルレコードで発表されたのですが、いくらクレージーキャッツが人気全盛の頃といっても、よくもまぁこれほど無意味な歌を出せたものだと、つくづく感心します。

 

 だってね、リフレインがこれですぜ。

 

ホンダラホラダラ ホンダラホダラダ

ホンダラホダラダホイホイ

ホンダララッタ ホンダララッタ

ホンダラホダラダ ホイホイ

ホンダラホダラダ ホイホイ

 

 スキャットの一種だよなと納得しつつも、こうやって書き写しているのがアホらしくなるほど意味がありません。でもね、じゃアンタは書けるのかと自問すると、おそらく、いや絶対に無理です。「ホンダラ」からして思いつけないのですから、「ホンダラッタホイホイ」も「ホンダラダ」にも至るわけがない。

 

 作詞は東京都知事になったこともある青島幸男。昔はタレントもどきとしてあまり評価しませんでしたが、この歌ひとつで天賦の才能を持っていた人だと再認識しました。カタカナばっかりで、漢字と平仮名の含有率が極めて低い歌詞ですけど、そこはかとない虚しさが底流にあるんですよね。

 

どうせこの世は ホンダラダホイホイ

だからみんなで ホンダラホイホイ

 

どうせ女は ホンダラダホイホイ

だから男は ホンダラダホイホイ

 

 ある種の諦念と言うべきか、現実に傷つき、絶望の淵に行きながらも、ギリギリのところでヒッヒッヒと笑い出すような、実は凄みのある歌詞なのです。それを萩原哲晶の曲がテンポよく展開していくんですよね。

 

 そしてエンディングに近くなると、哲学的ともいえるフレーズが用意されているのです。

 

あっちへ行っても ホンダラダホイホイ

こっちへ行っても ホンダラダホイホイ

 

行っても行っても ホンダラホダラダホイホイ

どうせどこでも ホンダラダホイホイ

だから行かずに ホンダラダホイホイ

 

 ほらね、人によって様々に読み解ける奥ゆきがあるじゃないですか。こうなると、スキャットというよりお経に近い雰囲気といって過言ではありません。そしてエンディングです。

 

何をやっても ホンダラダホイホイ

だからやらずに ホンダラダホイホイ

 

 あはははは、ちっともポジティブな歌ではないんですよね。停滞、いや後ろ向きとすら言えます。どこにも行かない、何もやらない。にもかかわらずタイトルは「行進曲」。世の中の矛盾、アンビバレンツを凄い圧力で凝縮し、ヤケクソをスパイスにして缶詰に入れたような歌ではありませんか。

 

 青島さんが生きていたら、最後の歌詞の意味を聞きたいところです。何もやらない人ではなく、人一倍やって直木賞まで受賞した人がなぜ「だからやらずに」なのでしょうか。

 名曲とはおよそいえませんが、1度聞いたら忘れられない迫力がある歌です。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓


人気ブログランキング

 

 

2017年10月 4日 (水)

『小雨降る径』

 

 ようやく涼しくなってきました。気温が下がると、何だか切なくなってもの思いにふけるようになるのはどうしてでしょうか。暑い夏には忘れたり無視できた過去の事々が、様々な想いとともに浮かび上がってきます。時には甘く、時には苦く、しっとりとした愁いが心の中を満たしていくような気がします。なんちゃってね、締め切りの谷間でヒマだからかなぁ。

 

 そんな秋は、食べ物もやたらに美味しいですけど、シャンソンとタンゴの季節でもあります。大声を競うようなカンツォーネは、ちょっと横に置いておきましょうね。

 

 さて、ボクが近頃になって好きになった歌が『小雨降る径』です。ちなみに「みち」は、道、路、途、そして径という4種類の漢字があります。道は「それが人の生きる道」といった概念も含む一般的な意味で、路はクルマなども往来できる広い「道路」。途は「途上」という言葉があるように、目的までの道筋や到達方法つまりルートを意味しているようです。

 

 では、小雨が降る「径」とは何か。デジタル大辞泉では「小道」「近道」とあるので、「路」よりも幅の狭い道のようですが、現代では土の匂いはあまり感じられません。そちらは前述といささか矛盾しますが「路地」という言葉がありますからね。

 そんなわけで、ボクは銀座の並木通りをイメージしています。中央通りは堂々たる大きな「路」ですけど、それと並行して走りながらも道幅は狭く、人通りは決して多くありません。この通りは衆知のように世界的な高級ブランドが立ち並んでおり、静謐な中にエクスクルーヴな気品が漂っています。『小雨降る径』の歌詞でも、いきなり「並木」が出てくるので、東京ならここしかないだろう、と。

 

 そんな「径」を行き来しながら秘かな逢瀬を重ねてきた男女が、何かの事情で別離を余儀なくされる。それからしばらく過ぎた秋の夜に、小雨降る中で失った恋人を想う歌だと思います。

 

静かな雨 並木の雨

あなたを待つ 胸に降る

 

流れる唄 懐かしい唄

夢をささやく、あのメロディー

 

 ウィキペディアによれば、ドイツ人のヘンリー・ヒンメルが1935年以前に作曲。もともとはタンゴの曲だったらしいのですが、後にフランス語の歌詞がつけられてシャンソンの名曲に仲間入りしました。日本語では坂口淳(1908〜1974年)が訳詞しており、1986年の紅白歌合戦で菅原洋一が歌っています。

 

 ボクがいつも聴いているのは金子由香利バージョンで、控え目に表現された大人の情緒が、忘れようとしても決して消えることのない恋心をむしろ強く感じさせるんですよね。

 

いつの日にか また逢い見ん

あふれ来るは 涙

 

静かな雨 並木の雨

痛む心に しのび泣く

 

 この文語調の歌詞が、規則正しく刻まれるタンゴのリズムとメロディにみごとに呼応しています。いつも思うんだけど、歌詞は言葉でいくらでも評論できますが、リズムとメロディは実際に聴いてもらわない限り共有することができません。言葉で表現できることには限界があり、音楽の持つ感性的、いや霊的ともいえる精神への影響力にはまるで及ばないのです。

 

 ただし、リフレインとして繰り返される「いつの日にか、また逢い見ん」というフレーズが、いつ聴いても素晴らしいと感心させられます。続いて「あふれ来るは 涙」ですもんね。男と女、どちらの側にも共通する内容ですが、捨てきれない恋慕がありありと感じられます。

 

 オマケですけど、『小雨降る径』というタイトルにもかかわらず、日本語の歌詞には「みち」という言葉は一切出てきません。フランス語では冒頭からIl pleut sur la route……とあって、「径に雨は降り……」となっていますが、訳詞では省略されたようです。しかしながら、日本語の歌詞は原詩に負けず劣らず完成度が高いとボクは思います。文章はすべてそうですが、単純に分かりやすく感じるものほど、作るのは難しいんですよね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓


人気ブログランキング

 

 

 

 

2017年9月28日 (木)

エレキサウンド

 

 昨日は銀座のライブハウスで久々にエレキサウンドを楽しんできました。いつもはシャンソンなのですが、正直言って、このジャンルには明るい楽曲が少ないんですよね。たまにアップテンポで賑やかなカントリー&ウェスタンを聴きたいと思っても、ナッシュビルがクローズした今では心あたりの店がなくなってしまったのです。

 

 それで、たまたまオールディーズの銀座TACTをチェックしたら、エド山口と東京ベンチャーズが出演すると分かったので、軽快なエレキサウンドで自分を元気づけようと思ったわけですね。

 

 本日は午前中に締め切りが1本あって詳しく紹介できないのが残念ですが、エド山口はビジーフォーのモト冬樹の実兄で、テレビなど芸能界で幅広く活躍してきた有名人のせいか、開演30分前に行ったら、とっくに満員御礼状態。それでも店員にお願いして何とか椅子を追加してもらい、ようやく着席することができました。

 

 バンド名から分かるように、彼はベンチャーズに強い影響を受けて、高校時代からすでにセミプロだったとされています。そうした故事来歴はウィキペディアを参照していただくとして、予想通りに実に素晴らしいエレキサウンドを堪能できました。ベンチャーズの曲はもちろん指使いも真似るというのは、ファンにとっては彼らが初来日してからの普通であって、さらにエド山口は「ちょっと割れた音」そのものをコピーしようと試みたというのですから、ハンパなマニアではありません。

 

 というわけでベンチャーズの往年の名曲の数々に加えて、彼が自作したオリジナルもいくつか演奏。ボクもギターを弾いたことがあるのでよく分かるのですが、素晴らしいテクニックに聞き惚れてしまいました。エレキの音がね、早引きなんかの技巧を「どうだ上手だろ」と観客に押しつけてくるのでなく、溜めと余韻に満ちた奥深いサウンドとして大人の甘辛い情緒を感じさせるんですよね。

 

 加えてMCがホントに傑作で笑えました。ボクも久々に大口を開けたくらいです。ギターもうまいけど、冗談もうまい。有名歌手の物真似も上手なので驚きました。観客をとにかく楽しませようとするプロフェッショナルな精神を感じさせる、これほど芸達者なエンタテイナーは希有じゃないかな。それでいて2部構成でショーチャージは4800円。いやぁすごく得した気分になりました。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2017年9月27日 (水)

『それで自由になったのかい』(後)

 

いくらブタ箱の臭いまずい飯がうまくなったところで

それで自由になったのかい

それで自由になったのかよ

 

 1968年に『山谷ブルース』でデビューした岡林信康が1970年3月に発表した2枚目のシングルが『それで自由になったのかい』です。ボブ・ディランに強く影響された、いわゆるモロ出しのプロテストソングでございまして、申し訳ないけど何度も聞きたくなるような叙情は一切ありません。

 

 むしろ、そのシングルB面の『手紙』にボクは感動しました。「私の好きなみつるさんが……」で始まる悲恋を女性の一人称で描いており、差別問題を逃げずに真正面で捉えながらも、切ない心情が胸に迫ってくる素晴らしい歌に仕上がっています。歌詞が自殺した女性の遺書による実話にもとづいていると知れば、さらに目頭が熱くなるはずです。ところがその中に出てくる「部落」という言葉が差別用語だったため、すぐに放送禁止になってしまいました。日本民間放送連盟では1959年に「要注意歌謡曲制度」を内規で取り決めており、これに該当すると判断された楽曲は、A=放送しない、B=旋律(メロディ)は使用可能、C=不適切な表現を修正することで放送可能、ただし著作権者の了承を取ること、という3段階の処置が取られることになっていました。『手紙』はそのうち堂々の最上位A指定。以後はテレビやラジオからこの曲が流れてくることは一切なくなったのです。

 

 日本民間放送連盟は民間の放送事業者を会員とする一般社団法人ですから、法律で定められたわけではなく、自主的な規制に過ぎないはずですが、その支配力は相当に強かったようです。このバカバカしい内規は1983年に廃止されていますが、現在も影響が残っているらしく、指定曲の放送を自粛することが少なくないとされています。

 ちなみに『手紙』で問題となったフレーズは、「部落に生まれたそのことのどこが悪い何が違う」です。放送関係者にもかかわらず、部落という文言だけで放送禁止にしてしまう貧弱な日本語読解能力しかなかったことに驚きを禁じ得ません。そんな反発から、ボクはギターで弾き語りできるくらい好きな歌になりました。

 

 こうした顛末をまるで暗示するかのように、『手紙』のA面に『それで自由になったのかい』があったわけです。

 

そりゃよかったね 

給料が上がったのかい

組合のおかげだね 

上がった給料で何を買う

テレビでいつも言ってるクルマを買うのかい

それで自由になったのかい 

それで自由になれたのかよ

 

 あまりにも歌詞が未加工なナマ過ぎで、粗雑とすら思えるメロディも含めて、楽曲としての完成度は高くありません。それでも熱さだけはあり余るほど感じることができます。その背景として本来は学生運動を論じなきゃいけないところですが、この頃の「自由」というのは今よりもはるかに分かりやすくて、輝きに満ちていたんですよね。ジーサンたちが作り上げた旧体制による社会的な抑圧からの自由ですから、当時は若くて元気だった団塊世代が雄叫びを上げたのは当然といっていい。戦いの相手は目の前にいたのです。

 

 ところが、年老いて彼らもまた体制の一員となってしまえば、あれほど叫んでいた自由があたかも身勝手でワガママな野放図のように感じるわけです。自由に制限なんてあっていいはずがないのに、「自由にもホドがある」とワケの分からないことを言い出したりする。もしも仮に彼らが望んだ自由が実現したとしても、やがて新しい体制という不自由を育んでいったはずです。さもなきゃ社会は維持できませんから。

 

 そうした社会という視認できる外側だけでなく、人間の内側にしても、昨日に指摘したように自らを縛る規制やルールがいろいろあります。これに疑問を感じて破ったとしても、それがまた新しい決め事やプロトコルなんかを生み出していくんですよね。いちいち自分ですべてを判断して決めたり選択するというのは面倒という実利的な理由も見逃せないのですが、人間というのはどうやら自由を希求しながらも、不自由にならざるを得ない生き物らしい。でなければ精神的な安寧を得られないとも言い換えられるでしょう。

 

 そうした矛盾をうまく回避していくためには、ファッションでいえば「モード」のように変わり続けるしかない。簡単にいえば「転がる石に苔は生えない」ってことです。政治も同じで、1966年に始まって70年代後半まで中国全土を巻き込んだ文化大革命は、毛沢東の権力維持のための政治闘争とするのが一般的な解釈ですが、この騒乱がなかったら共産中国はとっくに崩壊していたとボクは思います。そんなわけで、目まぐるしく感じる流行やトレンドにも大きな意味があるわけですね。

 

 それと同じように、ボクたちは絶えず「それで自由になったのかい」と問い続けなければ、せっかく得た自由を再び手放すことになってしまうでしょう。それがよしんば不自由を選ぶ自由だとしても、自分が望んだものを得るための唯一の方法なのです。

 

オレたちが欲しいのは 

ブタ箱の中での

より良い生活なんかじゃないのさ

新しい世界さ 新しいお前さ

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2017年9月26日 (火)

『それで自由になったのかい』(前)

 

 9月21日のブログ「コート」で、およそ15年にもわたって愛用してきたコートをリフォームに出したと報告しました。実はこの時に、ズボンというかパンツというかスラックスというか、それともトラウザーズ? のウエストもツメてもらうように依頼しました。子供の頃はズボンという呼び名しかなかったのに、いつの間にかいろいろな言い方が追加されてきたようです。中でもパンツですけど、アクセントの置き方によって下着と誤認される危険な名称にもかかわらず、これを使いたがるファッション関係者が少なくないみたい。ボクのようなオッサンが口に出したら、アクセントがどこにあろうが下着のことになっちゃいそうですけどね。

 

 さて、これらのズボンがコートより1週間早く昨日にリフォームが完了しました。腰の背後をツメるだけなので、肩を外して補修するコートやジャケットより手間がかからないのは納得できます。

 

 ボクの体重は5年ほど前から75~76㎏前後で安定して推移しており、データ的には決して痩せてはいないのですが、下腹が引っ込んだせいか、以前に購入したスーツのズボンなどがいささか緩い感じになってきました。そうなると一種のオブセッション=強迫観念のようになってしまい、物理的にではなく、心理的に着用を忌避するようになるんですよね。ボクがカネ持ちで浪費家なら新しく買えば済むことでも、「もったいない」をくどいほど教えられてきた世代なので、そうしたことに抵抗があるわけです。それでグズグズと放置しておいたズボンを、コートのついでにリフォームすることにしたのです。

 

 とはいっても、補正した幅を知ったらきっと笑われるだろうなぁ。個人情報なので取扱いにはくれぐれも注意していただきたいのですが、最も古いコットンパンツの2㎝が修正の最大幅で、スーツのスラックスは1.6㎝、一昨年に購入した黒のスラックスが1㎝です。コットンパンツを除けば、ベルトの穴をひとつズラして締めれば済むような幅ですが、その時にできるシワやたるみがね、これまたボクのオブセッションになってしまうのです。

 

 誓って言いますが、ボクはオシャレではありません。ただ、前述した強迫観念、いや敢えて「美学」と言い直しておきたいことが日常生活のあちこちにございまして、洋服もその一環ということなのです。だから、たった1㎝にしても、自分が想定したフィット感が得られれば、気分が晴れ晴れとして嬉しいわけですな。

 

 思えば若い頃に一世を風靡していたVANジャケットによって、原初的なオブセッションを身に付けたのかもしれません。シャツはボタンダウンでズボンは折り返しが何㎝といった決まりがいろいろあり、それに従うことが当時の流行になっていました。細かいことをいちいち自分で考えて選択する必要がなくなるので、ボクたちにとっても大変に都合が良くて便利でもあったのです。

 

 このため、ボクは5年ほど前まで慶弔用のワイシャツを除いてボタンダウンしか持っていませんでした。その頃にたまたま業界の大先輩の紹介記事を読んだのですが、彼もまたボクのように昔はアメリカントラッドを信奉していたらしい。ところが突然に、そうした決め事にこだわるのはつまらないと感じるようになったというのです。かくて今では相当にぶっ飛んだファッションを着用されていますが、実に個性的で斬新であり、それゆえに非言語のコミュニケーション機能を十全に果たすスタイルなんですよね。

 

 この大先輩の談話記事に強い影響を受けて、ボクも長きにわたるトラッドのお約束という呪縛が一気に解けました。さすがに大先輩ほど極端ではないにしても、流行に囚われることなく、自分が本当に着たい服を自分自身の意思で選ぼうじゃないかと。そのためにはファッションをある程度は知悉しておかなきゃいけない。でね、調べてみると、特にスーツは社会人の制服でもあるので、言外の制約やルールがいろいろとあるわけです。たとえば赤いジャケットはビジネスではNGと明文化されていないものの、戦後の日本で植木等以外に着用したサラリーマンをボクは知りません。逆にネイビーはオールマイティのカラーであり、「ブラックタイ」よりランクの低いドレスコードにすべて対応できます。

 

 こうしたファッションにおける常識は、社会生活を混乱なく円滑に営むために必要な決めごと=ルールともいえるのですが、それに過度に縛られると、信仰に近い排他的な状態にもなりかねません。ちなみに、今に至る様々な服飾の常識を創ってきたのは、逆に「掟破り」な貴族たちだったのです。

 

 ただし、常識を分かっていて敢えて破るのと、無知によって不作法になるのは大違いです。そんなもろもろに思いをめぐらす時にいつも聞こえてくるのが、かの岡林信康が1970年に歌った『それで自由になったのかい』なのです。テーマが拡散した上に長くなってしまったので、明日も続けます。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

2017年9月19日 (火)

触媒型人材

 

 昨今はあまりにもカタカナが多過ぎるので、できるだけ日本語を使おうと考えていたら、こんなにご大層なタイトルになってしまいました。

 

 いえね、近頃は日本経済新聞の連載コラム『私の履歴書』を愛読しております。その前は国務大臣を歴任した某政治家の手前味噌な自慢話に辟易して敬遠していたのですが、筆者が湯川れい子に変わってから現実感のある逸話が続いており、ついつい引き込まれて愛読してきました。その感想を発展させると、「触媒型人材」という大仰なことになってしまうわけですね。

 

 彼女の肩書きは、コラムでは(音楽評論家・作詞家)となっていますが、時代がズレているせいか、ボクにはあまり馴染みのある人ではありません。ただ、このブログで以前に『恋に落ちて』を紹介した時に、作詞が彼女だったことにちょっと驚いた記憶があります。評論家の方面で大御所的な存在だったことくらいは知っていますが、作詞のセンスも並外れていたからです。

 

もしも願いが叶うなら

吐息を白いバラに変えて、

逢えない日には

部屋中に飾りましょう

あなたを想いながら

 

 ネガティブなためいきを白いバラに変えて部屋を飾るなんて、非才凡才のボクにはとてもじゃないけど思いつけません。どんな生き方をしてきた人なのかなと興味が惹かれるではありませんか。

 

 本日で連載は18回目になりますが、まだジャズ評論家としてデビューしたばかりの若き日々が綴られております。それまでに彼女には2人の男が関わってきました。1人は子供の頃から実家の2階に下宿していた許婚者の「進さん」、そして2~3日にせよ駆け落ちまでした「直也」です。この呼び方だけで、彼女が彼らにどんな距離感を持っていたか分かりますよね。「進さん」とは後に離婚しますが、親の言いつけを守って結婚しています。一方の直也は医者の息子ですが、勉強そっちのけでジャズ喫茶などに入り浸るプレイボーイでした。

 

 湯川れい子は、この「直也」から感化されてジャズの魅力を知り、やがて見込みのなかった女優をやめて音楽評論家に転進。その黎明期に、来日した外国人ジャズ・ミュージシャンの単独インタビューに成功していますが、これは「進さん」が陰で英語力を発揮して協力したおかげといっていい。つまり、2人の男が彼女の成長に大きく寄与しているということになるわけですな。

 

 言うまでもなく本人の才能や努力もありますよ。ただね、きっかけを作ったのは、やはり彼らだろうと。そして、彼女が有名になると同時に世界が変わり、次第に疎遠になっていくんですよね。そのあたりのことが本日は正直に書かれていたので抜粋します。

 

「直也にしてみれば、恋人の湯野川和子がいつの間にか湯川れい子になり、世間に名前があふれてきた。瞬く間に遠い存在になったことだろう。直也もまた何も言ってこなくなった」

 

 自分と周囲の見方をきちんと客観的に認識できる人だなぁとボクは感心しました。そして、渋谷の宮益坂あたりでタクシーの車内から偶然に彼を見かけて「『相変わらずカッコいいなあ』。一瞬そう思ったけれど、視線を前に戻して真っすぐ延びる道路を見つめた」とあります。実にクール、ですよね。過去を振り切って自立していく女性象というのは、この頃から定着していったのでしょうか。ボクは男のせいか、ちょいと直也に同情してしまいますが、男女がところかわった類似の別離なんて山のようにありますからねぇ。

 

 それはそれとして、この2人の男たちは、彼女にとっては「触媒」のような役割を果たしたと考えられます。つまり、化学変化を促進する物質なわけです。そして、この触媒は化学変化の影響をまったく受けず、その前と同じ状態で存在することも特徴とされています。

 

 でね、牽強付会と言われそうだけど、このように意識せずに他人に影響を与える「触媒型」の人材がいるような気がするのです。その影響を受けた人自身も、気がつかないうちに他者の触媒になっていたりする。どちらも最も肝腎なことは、そもそも他者に対する関心や興味がなければ、触媒効果を受けようがないってことです。だからといって、無批判に影響されて模倣したり、亜流になるということでもありません。そのままでも変わり得る土壌があることが大前提であり、それを刺激して変化を促進するのが触媒ですから、やはり素材というか、才能や感性や知識などの蓄積があって初めて化学反応できるってことです。

 

 というわけで「触媒型人材」がいれば、職場も変わると短絡的に言い切れないのですが、少なくともそうした人材がいるかも知れないという視点は大切なんじゃないかな。どうもね、近頃の世の中は「結果を出す」という造語が典型的ですが(こんな言い方を昔はしなかった気がします)、効率やら生産性ばかりが取り沙汰されているように思うので、ちょっとした変化球を投げてみようかなと思った次第です。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓


人気ブログランキング

 

 

 

より以前の記事一覧

*禁・無断転載

  • このブログ内に掲載されているすべての文章、画像の無断転載、転用を禁止します。他のウェブサイトなどへの転載を希望する場合は、必ず著者へご一報ください。
2018年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Amazonウィジェット

無料ブログはココログ