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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

ビジネス・キャリアアップ

2018年10月25日 (木)

コストvsやりがい

 

 先週のブログで「従事者が面白いと興味を感じない仕事は滅びていくはずです」と書きました。従事者が少なくなって、機械化または人工知能化されていくと言うべきでしょうか。

 

 たとえば、複数のレストランを展開する外食チェーンでは、セントラルキッチンを設置して、ある程度まで調理を進めた料理を各店に配送。店では、それを加熱するなどの処理を行って提供しているはずです。極端に簡略化して言ってしまえば、ビニールパックされたハンバーグなどの料理が定期的に納品されるので、現場では注文に応じてこれを冷蔵庫から出し、レンジでチンして皿に並べれば出来上がりという感じかな。

 

 そのほうが大量仕入れによってコストを削減でき、アルバイトでも調理可能なので人件費を縮小できるだけでなく、味も店によって違いがなくなって標準化されるほか、衛生管理も容易になるなど、メリットばかりなんですよね。外食産業は、このセントラルキッチンを中心的なノウハウとして多店舗展開を行ってきたはずです。だからこそ客も安くて美味しいものを食べることができました。

 

 経営者にとっても、客にとってもいいことばかりのように見えますが、従業者はそんな仕事が面白いかといえば必ずしもそうではないでしょう。マニュアル通りにやれば、確かに簡単に美味しそうな料理が出現しますが、自分が意思して工夫して作ったものではないからです。

 

 かといって、各店がそれぞれメニューから原材料の仕入れ、調理までやるとなればチェーン店として成立しません。そんなわけで、ボクは従事者のアルバイト化が進む業種は、これからどんどん人工知能&機械化されていくだろうと考えています。ただでさえ若年人口の減少で人手不足なんですから、面白いと興味が感じられない仕事に従事する人が増えるとはとても思えないからです。

 

 つまり、効率化や合理化によるコストダウンと、人間が感じる仕事のやりがいは明らかに相反するのであります。これを経営的にどのように調和させていくかが、ビジネススクールで研究すべき現代の論点ではないでしょうか。大量の締め切りを抱えており、長く書く余裕はないのでもうやめますが、そろそろ従業者のやりがいを強く意識した経営手法を創造すべき時期ではないかなと、ボクは思っているわけです。

 

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2018年9月11日 (火)

お手本は何処(後)

 

 かつてのアメリカのように模倣すべき国はもはやないので、これからは日本発のオリジナルを独創していかなきゃいけないと書きました。そのためには、小狡くリスクを回避する「2番手志向」から脱却しなきゃいけない。たとえばマラソンでトップを走れば、風あたりも強いし、路面の変化を知らずに転倒する可能性だってあるでしょう。そうしたリスクを負って無理して1番を行くよりは、2番を維持しながら虎視眈々とチャンスを狙ったほうがいい。これをボクは「2番手志向」と命名しました。

 

 潤沢な開発投資を注ぎ込めない敗戦直後は仕方のない方法論ではありましたが、それが完全に身についてしまうと、次第に自分自身で発想する能力や習慣を失ってしまうんですよね。だからボクの若い頃もアメリカ詣でが常識的に行われており、シカゴのある見本市でカメラを向けたら、記者章を付けていたにもかかわらず、現地の人から泥棒呼ばわりされたこともあるくらいです。だからこそ21世紀になっても、家電大国でありながら集塵袋のない掃除機やスマホを発明することができなかった。

 

 今では世界で戦うスポーツマンや最先端の科学者の多くは、リスクを負わないことが即ちリスクであることを知るようになりました。当たり前のことですが、人真似では絶対にトップになれるはずがない。トップになろうとしなければ、2位や3位にすらなれないのです。

 

 そうはいっても現代でゼロから物事を作り上げていくのは、超天才でも無理でしょう。多かれ少なかれ、ヒントであれインスピレーションであれ、人間は何かを踏み台にして創造性を発揮したほうが合理的で効率的です。でもさ、それを探しに行くところはアメリカだけじゃないですよね。そっくりそのまま真似るのでなく、虚心坦懐に学ぶつもりであるなら、発展途上国や貧困国にもヒントはいろいろあると思うのです。

 

 それともうひとつ、日本の明治・大正期をもう1度見直すべきではないでしょうか。中でも最近になって特に感心したのは、小林一三(1873~1957年)です。何のことはない、ボクは宝塚歌劇のファンなので、その創始者ということで興味を持ったのですが、いやはやちょっと調べるだけで、ケタ外れの力量を備えた実業家であったことが分かります。阪急電鉄でも知られていますが、今では常識的なターミナル駅のデパートを初めて設置したんですよね。鉄道会社が自前で百貨店を経営するなんて、それまで国内はもとより、国外にも例がなかったというから凄いと思いませんか。

 

 しかも、ウィキペディアを見る限りですが、当時のエリートなら常識的だった海外渡航経験がまっく見当たりません。敢えて勘違いさせていただきますが、このように海外なんぞに行かなくても新規事業の創造は十分に可能なのです。また、「素人だからこそ玄人では気づかない商機がわかる」など数々の名言を残しています。彼に限らず、明治・大正期には驚嘆すべき傑物が少なくなかった。アメリカに行く前に、もうちょっと日本のビジネス史を本気で勉強しようよ。現代にも応用できる宝物は多いと思うんだけどな。

 

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2018年9月10日 (月)

お手本は何処(前)

 

「レストランを次のファミリービジネスにすると決めた。(略)ここでペガサスクラブでの勉強が役に立つ。米国の社会状況が10年後の日本に来るという説だ。そこで兄弟で二手に分かれて米国のレストラン事情の視察に向かう。昭和44年の話だ」(日本経済新聞『私の履歴書』連載⑨横川竟/すかいらーく創業者)

 

 日本経済新聞の連載コラム『私の履歴書』を長く愛読してきましたが、学歴エリートの著者ほど自慢話が多くて失敗談がほとんどない。自分の判断で危機的な状況も脱したなんてエピソードが続くと、「ホントかよ」と眉に唾をつけて読むのを中止したこともしばしばあります。特に金融系の著者はバブル崩壊に触れることを避ける傾向が強く、今もって責任者は闇の中。不動産融資の総量規制なんていう急ブレーキをいきなり踏んだら転倒するのは明白なのに、寡聞ながら、あの頃を正直に振り返った回顧談を読んだことがありません。誰だよ「空白の20年」を作ったのは。日本というのは太平洋戦争の頃から司令官や参謀の責任を追求しないことが不文律だったようですけどね。

 

 それに比べて、現場で苦労を重ねてきた人の回顧談は格段に面白い。冒頭で紹介した横川さんの『私の履歴書』も、学歴がないことをハンディキャップとして、身体を壊すほど頑張ってきたことがよく分かります。ただ、そうしてのし上がってきた人と、今の若い人たちのメンタリティはまるきり違う。そのことを強く意識しないと、かつてのワタミのように社会的な指弾や従業員の離反は避けられないでしょうね。

 

 どうも横道ばっかりで恐縮です。本題は「米国の社会状況が10年後の日本に来る」という文言です。このように指摘したペガサスクラブというのは、読売新聞記者の渥美俊一が1962年に設立したチェーンストア経営研究団体。ダイエーやジャスコなどを率いた若手経営者のほとんどが参加しており、かつては「流通革命」をリードする神様のような存在だったようです。

 

 当時の日本は、神国日本を戦争で破ったアメリカをお手本としており、食糧や薬品だけでなく、思想も制度も組織のあり方も経営手法まで、およそすべてを輸入していました。セブンイレブンだって、もともとはアメリカの氷屋さんの副業だったんですから。今をときめくソフトバンクの孫さんによる初期の業績も「タイムマシン・ビジネス」といわれています。10年先の未来=アメリカからモノやソフトを輸入するのですから、よほど間違えない限りは失敗しないでしょう。もちろん永続するためには、和風のテイストを加えて、時流の変化にも対応することが必要だったでしょうけどね。

 

 にもかかわらず「流通革命」なんて、ちょっと凄すぎる表現ですが、横川兄弟がアメリカに向かった「昭和44年」といえば西暦で1969年。“革命”が加速し始めたスーパーマーケット業界に比べて、外食産業にはアメリカナイズのトレンドが及んでいませんでした。ていうか外食産業自体が黎明期。だから、横川兄弟が現地のレストラン事業を視察して、日本にファミレスを導入したのも頷ける展開です。

 考えてみれば、良い時代なわけですよ。海外渡航は1964年に自由化されていたので、誰でも資金さえあれば、太平洋を渡って「10年後の日本」を見つけることができたのです。

 

 ところが、現代では「10年後の日本に来る」社会状況を持つ国は世界のどこにも見当たりません。いつの間にかGDPは中国に抜かれましたが、経済先進国でありながら、類例を見ない超高齢&少子社会ですから、逆に「10年後には日本のようになる」国はいくらだってあるでしょうけどね。とすれば、ボクたち自身が今度は世界のお手本になるようなオリジナルを創造していかなければならない。

 

 けれども、これまでの教育はそれに対応してはいませんでした。アメリカという教科書をきちんと勉強して真似する優等生は育成してきたけど、そこからはみ出すような創造性は評価されなかったからです。そのせいか「大学改革」が以前から合言葉になってきましたが、最先端のIT系なんて今でも輸入ものばっかりですもんね。クラウドだのビッグデータだのAIだのと、追いつかなきゃいけないことばっかり。カタカナをちゃんと日本語に訳すヒマもないくらいです。経営理論だって輸入超過が続いているではありませんか。留学して新しい理論をコピペした者勝ちなんて情けないですよね。

 

 リスクを過度に怖れて「2番手」を志向する体質に根本的な問題があるとボクは思うのですが、長くなったので続きは明日ということで。

 

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2018年9月 5日 (水)

これでも働き方改革?

 

 あくまでもテレビ報道によれば、ですが、夜の繁華街からサラリーマンが激減したそうです。このため飲食店は新しい客づくりに苦労しており、深夜から始まる「飲み放題」「食べ放題」も増えているらしい。

 

 では、どうしてサラリーマンが消えてしまったかというと、どうやら「働き方改革」が原因というのです。残業がなくなったのはもちろん、退社時間もぐっと早まったので、これに対応して、3時くらいから「ハッピーアワー」を設けるファミレスが増加。そんな店にサラリーマンの皆さんが群がっているわけですね。要するに、仕事を終えて居酒屋などで一杯やる時間帯が大幅に繰り上がっただけというのが真相のようです。

 

 それでデキ上がってしまえば、金銭的にも体力的にもハシゴを続けられる人は激減するので、夜の7時から8時あたりのかき入れ時が閑古鳥なんていうことになってしまう。それはそれで仕方のない話ですが、「働き方改革」ってそういうことなんですかねぇ。

 

 それまでは残業後にみんなで連れだって酒を飲み、労働時間が短縮されたらされたで、今度は明るい時間から酒を飲む。飲酒以外にやることはないのかなぁ。飲みニケーションなんていっても、酒場での論議なんて翌朝にはすっかり忘れているのが普通です。むしろ無礼講に甘えて、しなくてもいい喧嘩を上司や仲間とすることもあるじゃないですか。

 

 必要なのは「働き方改革」でなくて、労働者としての「意識改革」なんじゃないのかなぁ。かつては大酒飲みだったボクが言える資格はありませんが、酒をいくら飲んでもストレス発散には絶対になりません。翌日は二日酔いで身体が重くなるしね。何よりも時間とカネがもったいないではありませんか。

 

 これまでは、自宅と会社、それに酒場がトライアングルを構成していました。そろそろ酒場の来店頻度を少なくして、新しい第3の場を作らなきゃ。それによって楽しく面白く退社後の時間を過ごす。それが本当の「働き方改革」ではないかとボクは思うのであります。

 

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2018年8月21日 (火)

予備のワイシャツ

 

 あなたは会社のロッカーにワイシャツを常備していますか? 

 

 経営幹部や営業系なら取引先関係者の突発的な不幸に対応した喪服一式がぶら下がっているでしょうが、普通の日にワイシャツを着替えてから退社することがありますか、というのが質問の本意です。

 

 もちろん家族の待つ自宅に直帰というなら、特に着替える必要はないですよね。けれども、若い男なら知り合ったばかりの女性とデートしたり、合コンやナンパなんかで夜の街に繰り出すじゃないですか。オッサンにしたって、酒場を通り過ごして自宅なんていう人はマイノリティですよね。

 

 そんなオフタイムの時に、新しいワイシャツに着替えていますか、ということなのです。特に夏場は汗まみれになるのが普通ですよね。エアコンの効いた社内で完全内勤としても、同じワイシャツを1日中着ていたら、たいていは皺まみれになります。そんな格好で退社して酒場のおしぼりで脂ぎった顔を拭くよりも、ワイシャツそのものを着替えたほうが気持ち良いのではないでしょうか。

 

 ちなみに、ボクが海外に出張する時は日数分を超えた予備のワイシャツを必ず持参します。ホテルに戻る余裕のない場合は別ですが、ご招待でディナーなどをいただく時に、昼間から着続けたヨレヨレのワイシャツでは失礼にあたるからです。もちろん旅先という理由で許されることは間違いないでしょうが、人間性を判断されることもあるので、基本的な礼儀としても、そうした配慮は必要だと思うのです。

 

 実際にはジャケットなどを着ているので、わざわざワイシャツを新しいものに着替えても、見た目はそれほど違わないかもしれません。けれども、出がけにシャワーを浴びた後のように、ボク自身の気分が清々しくなることが大切なのです。着替えることで昼間とのメリハリがきっちりつくので、これから美味しい食事などオフタイムを楽しむぞぉと決意を新たにできるんですよね。

 もしかすると、妙齢のご婦人と嬉しいアクシデントが勃発するかもしれない。そんな時に汗臭いワイシャツでは興ざめですからね。昼間のホワイトとは違うやや派手目の新しいワイシャツに微量のコロンは、大人としてのエチケットではないでしょうか。

 

 こういうことが、ボクが期待する「働き方改革」のひとつのシンボルなのであります。それによって、社員=従業者=労働者を仕事漬けから本当に解放することになると思うからです。見聞や識見が会社と自宅から自由になればなるほど、発想や創意工夫の幅も広くなるのではないでしょうか。すでにやっている人もいるはずですが、こういうことを社会的な習慣にすることでオシャレに抵抗がなくなり、仕事も人生もより楽しく面白くなってきます。ワークライフバランスなんていう珍妙でワケの分からないカタカナを使うのはもうやめて、退社時にはワイシャツを着替えて、胸ポケットにチーフを挿すという新しい習慣づくりから始めましょうよ。

 

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2018年8月20日 (月)

遊び感覚だよっ(後)

 

 どうもね、ボクたちは仕事と人生について、あまりにも生真面目に考え過ぎてきたのではないでしょうか。経験がきっちり豊かな識見として蓄積されていくなら、まさに「石の上にも3年」ですから、真面目も価値あるライフスタイルだと思います。

 ところが、ここまで述べてきたように、若い人でもネットさえ参照すればプロ並みの本格的な料理をこしらえることが可能です。都内のややこしい道路でも、カーナビを使えばプロのドライバーと同じ最短ルートを利用できますよね。それと同じように、先輩がコツコツと苦労して身に付けたことを、ネットとAIを利用して新人が易々とやってしまう、なんてことがこれからはどんどん起きてくるはずです。

 

 つまり、指示されたことを真面目にやり続ければ、それなりのベテランになれる社会はもはや過去のものといっていい。だったら、仕事と人生に対する考え方を根底から変える必要があるんじゃないかな。

 

 そこで、いささか飛躍するようですが、そろそろ仕事も人生も実は遊びの一種と考えていいような気がするんですよね。「遊び」というと誤解されるかもしれませんが、不真面目ということではありません。子供の成長が象徴的ですが、知恵や創意工夫を発揮するのは、実は勉強よりも遊びなんですよね。学校の勉強は定型的で範囲も定められていますから、それこそ「真面目」にやるだけである程度は伸びていきます。だから教師に従順な女子の成績が良いということになるんじゃないかな。ところが「遊び」のほうはそうはいきません。ゲームにしても相手に勝つためには自分の頭を使った作戦が必要になってきます。慣れが必要と思われるけん玉にしても、自分なりに工夫しなければ上達できるはずがなく、新しい技だって思いつかないでしょう。

 

 どっちの脳を使っているかは知りませんが、少なくとも「真面目」の蓄積をネットやAIが軽々と乗り越えていく時代であるなら、ボクたちは「遊び感覚」で人間としての能力を発揮したほうがいい。

 

 仕事を大人の遊びの一種だと考えることができれば、通勤も苦痛ではなくなります。会社に行けば面白いことが待っているんですからね。退屈に感じるルーチンワークも、遊びの一種として見直せば、いろいろな発見があり、そこから改善・改革が生まれることだってあるはずです。

 

 考えてみれば、ボクたちは「真面目」という別称の「我慢」を随分長いこと強いられてきたのではないでしょうか。唐突ですが「愛国心」も同じで、時の政府の意思に唯々諾々と従うのでなく、革命の反旗を翻すことも国や郷土に対する愛情の発露といえるではありませんか。

 

 近頃は「働き方改革」が流行語になっていますが、論議されているのは労働時間や就業規則、それに給与体系といった外枠ばっかり。働き方の中身も改革するというなら、ボクは「遊び感覚」を是非オススメしたい。これは労働者を本質的に解放する革命的な概念なんですけどね。

 それはまぁ大げさとしても、人生も仕事も楽しくて面白いほうがいいじゃないですか。そのために何よりも必要なのが「遊び感覚」ということなのです。大学のキャリア教育は、そこのところをきちんと教えているのかなぁ。

 

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2018年8月17日 (金)

遊び感覚かよっ!(中)

 

 長い期間をかけて積み重ねてきた経験や知見が、もはや新人でも瞬時に共有できる環境になってきた、みたいな意見を昨日のブログで解説しました。つまり、職場では10年選手のベテランだからといって安心することなんてとてもできないわけで、これからは新卒の若手社員とも同じ土俵で勝負していかなきゃいけない。立派な学歴や地位や経験があるからといってエラソーな顔ができたのは大昔の話で、素というか真の能力や実力がより一層求められるようになってきたわけです。

 

 けれども、そんなことはボクのようなフリーランス稼業では常識でありまして、そもそも学歴や年功序列の原稿料なんて聞いたことがありません。名前が知られていなければ、駆け出しのライターも10年選手もギャラは同じ。むしろ、雑誌が大好きな若い人の流行を追いかける場合は、年齢がハンディキャップになってきます。裏原宿のファッショントレンドをオジサンが取材しようとしても、相手が心を開いてくれない可能性が高くなるからです。このあたりの年齢的な感覚ギャップは昔よりも広がっているんじゃないかな。

 

 水商売も同じで、若手もオッサンも給与体系にほとんど変わりはありません。ということは、年を取れば取るほど不利になるといっていい。

 

 つまり、「やがては功成り名を遂げて」なんて気楽なことを言っていられる業界のほうが恵まれているわけです。戦後の一時期は確かに存在した日本型社会主義はとっくに崩壊しており、国際競争の激化と高度情報化がそれに追い打ちをかけたおかげで、ちょっと前までは大企業でも高給中高年のリストラ、即ち「姥棄て」ならぬ「オジ棄て」による人件費圧縮が課題になっていたはずです。幸いに少子化の進行でコンビニなどの働く場所は増えてきたようですが、新聞のスクラップなどをして1日をつぶせば月末に高給を貰えるなんていう組織は、もはや役所くらいしか考えられません。

 

 そんなわけで、いわば「上がり」といえる安楽な状態はどんどんなくなり、引退する直前まで厳しい競争が続くと考えられるんじゃないかな。というより、これまでが楽過ぎたんじゃないかとボクなんかは思いますけどね。

 

 前向きに考えれば、能力や実力さえあれば、いつまでもどこでも活躍できるともいえそうです。学歴や肩書きや地位のパワーが将来的になくなるとは思えませんが、少なくとも現場では「無冠の帝王」みたいな評価が広がるんじゃないかな。ここに至って、ボクの念願であった本来的な能力主義が実現しそうな気配をみせていると解釈するのは不可能ではありません。

 

 ただね、こういう社会が生きやすいとは思えないんだよなぁ。仕事が厳しいのは甘受できても、他者との競争がね、しんどいのであります。誰かを追い落とさなきゃ上に行けない豊かになれないというのは、すごく悲しいじゃないですか。このためウソかホントか、欧米では若い時にメチャメチャ働いて蓄財し、早期の引退を目指す人が少なくないといわれます。それもまた極端な話ですから、もうちょっと生きやすく、働きやすくならないものでしょうか。

 

 ボクは漫画『釣りバカ日誌』の浜崎伝助がかつての理想だったと信じますが、現実的にはちょっと無理ですよね。しかしながら、彼の「遊びの精神」は今でも生き方や仕事で大いに活用できるのではないでしょうか。それこそが、「生きにくい世の中を、何とか生き良くする方法」を生み出すモチベーションにできると思うのです。そうした自己流の働き方改革をみんなが意識的にやらない限り、ますますギスギスした競争社会になっていくのではないでしょうか。

 

 またまた長くなったので、来週に続きます。

 

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2018年8月16日 (木)

遊び感覚かよっ!(前)

 

 世の中、何でもありになってきました。

 その理由をごく簡単に説明すれば、やはりインターネットとAIということになります。この2つの技術革新が、これまではシリアルに積み重ねられてきた経験則をフラットで平等なものにするため、時には原因と結果が逆転するようなこともあり得るということです。

 

 えっ、よく分からない? そうですよね、うまく説明するのは大変に難しいのですが、たとえば幼児は様々な知識や経験を獲得しながら大人になるため、これからこうなる、そこからはああなるといった予測がある程度は可能ですよね。ところが、情報化の進展とビッグデータ解析技術などの発達によって、そんな知識や経験則を瞬時に得られるようになってきました。たとえばタクシーのベテランドライバーが10年かけて覚えた都内の最短距離や抜け道も、カーナビを使えば新人だってすぐに同じルートを走れるじゃないですか。

 

 ボクはインターネットが始まった初期の頃は、本格的な「情報民主主義」が到来すると予測していました。かつては王侯貴族、近代なら大学や高学歴のインテリが書物や資料として囲い込むことで階級的な利権としてきた知識が、無料で民衆に解放されるのですから、これこそフランス革命に次ぐ第2の民主革命ではないかと。ついでにいえば、誰もが自由に意見を表明できる公平な場も得たことになるではありませんか。しかしなから、実態はそれどころではなく、前述のように年齢=経験という蓄積も無になってきたわけです。

 

 というわけで、世の中は経験則も含めた知識と情報に関して完全にフラットになりつつあります。おかげで、萌芽→普及→発達→終焉という流行のプロセスも極端に短縮化されるため、見た目には「何でもあり」という状態になってきたとボクは理解しています。

 

 このあたりの解釈や理論化は学者や研究者にお任せしますが、要するに昨日入社してきた新人と、20年も業界で働いてきたベテランとの間に大きな違いはなくなってきたといえるんじゃないかな。

 

 ここのところが、オジサンたちにとってはシンギュラリティよりずっと早い時期から具体的な脅威になってくると思われるのです。20歳そこそこの新人が、AIなどを使えばシニアと同じ経験則を利用できる。だったら、オレの数十年間は何だったんだとなるでしょ。現実のビジネス社会では、AIそのものよりも怖ろしい事態がすでに進行しているとボクは考えています。

 

 だったら、オジサンたちはどうすりゃいいんだと心配になりませんかねぇ。というわけで、このテーマは明日も続けたいと思います。

 

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2018年2月 1日 (木)

されど組織

 

「上司ばかり見る廊下トンビのような社員が出世するのを間近で見ていた。『この会社はおかしい』」

 

 日本経済新聞の連載「私の履歴書」で本日から始まった松井忠三氏による第1回からの抜粋です。「この会社」とは堤氏が率いていた頃のセゾングループ。前段には「堤氏の強い感性と先見性で引っ張ってきたから組織運営は弱く」とあります。

 

 ボクはこれを読んで「ああ、やっぱりそうだったんだ」と俄に昔に引き戻されました。もう20年ほど前になりますが、ボクは堤帝国の最末期ともいえる時期に西武百貨店の小さな仕事を請け負ったことがあり、松井氏とまったく同じように「この会社はおかしい」と感じたことがあります。もう時効を迎えているはずなので、率直にいえば、上司への臆面もないヨイショをボクのような外部の下請け業者に平然と言うので驚きました。しかも、聞いていて歯ぐきが痒くなって浮きそうになるようなことを話すわけです。

 

 個人の名誉を傷つけることが本意ではないので、内容は敢えて紹介しませんが、組織というのは一事が万事みたいな傾向が強いので、おそらくこの人だけのことではないだろうと推測しました。そうでもしないと本社に残れないとか、地方に左遷されかねないために、自分をそうした企業風土に過剰適応させてきた結果なのかなと、むしろ気の毒に感じたくらいです。

 

 先の「私の履歴書」に戻ると、ボクのような感想を抱いた松井氏は「使いにくい奴」と思われたらしく、「親会社の課長から子会社の課長へと、強烈な左遷」を強いられたそうです。それが無印良品であり、2001年には社長に就任ということになります。その続きは明日からということですが、ちょっと歴史を戻してみると、セゾングループへのヨイショは前述した社員だけではありません。7080年代のイケイケドンドンの頃は、メディアも含めて大絶賛でしたからね。

 

 過去を現代の視点から裁いてはいけないとはいうものの、こうした「トレンドに乗り遅れるな」という傾向は今でも何ひとつ変わっていません。政治にしても「一強多弱」が懲りることなく延々と続いているのは、それがボクたちの文化程度や民度にほかならないからでしょう。ナダレを打つように流行や強者に群がっていき、それがオワコンになったら、次の寄生先を見つけて我がちに飛びつく。決して変わることのないのは行政の権力ですから、霞ヶ関詣だけは連綿と続いているわけです。

 

 とはいえ、フリーランスの立場から見れば、やはり組織は強いんですよね。たとえば100人に1人は優秀な人がいるとすれば、従業員が1000人の会社なら10人程度は次世代を担える人材がいるはずです。ところが、ボクの会社のような超零細法人は、その確率を適用したらゼロ、誰もいないことになります。

 

 ただし、いかなる大企業にしても、そうした100人に1人の優秀な人材を活かすか殺すかは、ひとえに組織としての文化風土、要するに上司のあり方にかかってきます。その結果として無能な経営幹部が会社を牛耳るようになると、東芝のような危機的不祥事が勃発するわけですな。

 

 そもそも「石の上にも3年」なんていう時代ではないので、いかなる大組織であろうが、ヘタすりゃ有能な人材はどんどん流出していくでしょう。だーからね、組織論もさることながら、「人間が分かる奴」を要所に配置しておかなきゃいけない。これは体感的なセンスが必要になるので、MBAのマネジメント論や人事戦略を学べばできるってことではないと思います。

 

 たかが組織、されど組織。それが本当にじっくりと骨の髄まで理解できるまで、結構な時間がかかるのです。その時までに、悪質で治癒不能な感染症に罹患していなければいいんですけどね。

 

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2017年10月11日 (水)

働き方改革?

 

 箸の上げ下ろしまで、とは言いませんが、ボクたちは政府や行政に依存し過ぎじゃないかなぁ。文部科学省にしても、誘導型の補助金行政を続けることで、むしろ学校から主体的で創造的な思考力を奪っているような気がします。本当は「気がする」どころではなく確信に近いのですが、これを論述しようとすると、周到な調査と準備が必要になります。ボクは専門的な研究者ではないので、無料のブログでそこまでコストと手間をかけることはできません。もしも興味を持ったメディア関係者がいたら、連絡をください。

 

 それと同じように、根っ子は共通ではないかと感じるのが「働き方改革」なのでございます。そもそも「働き方」なんて、個人や各企業などにおける個別的な問題や課題であって、政府から提案や指示される筋合いはないと思うんだけどなぁ。

 

 もちろん日本という国の風土や文化、大企業がリードしてきた組織的な規範や慣習、さらには上司と部下の支配&隷属関係といったモロモロが変わらなきゃ、個人のワーキングスタイルも変えにくいというのは事実です。

 でもね、そんなのは先生に可愛がられてきた優等生の発想ではないでしょうか。退社時間が来たら帰っていいというのは、労働基準法に定められた権利でございますよね。だったら、みんなが黙ってパソコンなんかに向かっている時に「お先に失礼しまーす」と声をかけて何がいけないのでしょうか。

 

 かなりの大昔ですけど、ボクのガールフレンドが勤務していた編集プロダクションには、上司が帰らない限り全員がいつまでも会社に残っていなきゃいけないというアホな不文律がありました。おかげでボクは近くの喫茶店で深夜まで彼女を待っていたことがありますが、こういうことを是正するために政府の施策が必要とは思えないのです。定められた退社時刻を過ぎたら、とっとと帰ればいいじゃないですか。それができないのは、誰も率先してやらないからですよね。もしも仕事が過大であるなら、怠けていない限りは労務管理に問題があるわけですから、個人の責任では決してなく、上司に抗議すべきじゃないかな。いかなる大企業、優良企業に勤務していようが、ボクたちは奴隷ではないですからね。

 

 察するところ、学校時代と同じように優等生であり続けたいあまりに、周囲の空気を読みすぎてしまうんじゃないかな。それを「長時間労働削減」とか何とか、厚生労働省が音頭を取らないと改善できないという日本的体質に問題があると思うのです。日本がまた底なしの不景気に沈んだら、同省は一転して「サービス残業デー」をスローガンにするかもしれませんぜ。とにかく、個人の働き方をいちいち行政の上のほうから指図される覚えはない。大きなお世話じゃないかというのが、優等生ならぬ不良少年だったボクの見解なのであります。

 

 その根拠として自分の経験を少し紹介させていただければ、ボクは新人の頃にラッシュアワーの地下鉄で殴り合いになりかけたことをきっかけに、自主的に超早朝出勤に切り替えました。午前7時過ぎには会社の近所の喫茶店でモーニングサービスを食べていたくらいです。だから出社はいつも一番で、次に来るのが社長を始めとする幹部たちでした。半人前の新人に仕事を教えてくれて給料まで貰えるのですから、そのささやかな感謝として、誰もいないオフィスでみんなの机の上を雑巾で拭いたりしましたが、これらはすべてボクが勝手に決めた習慣です。だから、それを自分から会社の人に話したこともありません。

 

 逆に、死ぬほどイヤだったのが「押しつけ残業」でした。ある年刊誌の発行時期が近づくと、編集部全員が午後10時まで残業するというのが恒例でしたが、これが苦痛極まりなかったのです。自主的にカプセルホテルで仮眠して朝まで原稿と格闘したこともあるくらいですから、プライベートより仕事のほうがよほど大切だと思っています。けれども「強制」や「義務」というのが生来的に大嫌いなんですよね。最初は仕方なく10時ジャストに会社を出るようにしましたが、翌年からは「この会社をいつ辞めようか」と考えていました。

 

 要するに、もしも「働き方」に問題や課題があるというなら、ボクたち自身が率先して改善・改革していくべき事柄ですよね。たとえば総務省による「プレミアム・フライデー」にしても、週の最終日を午後3時に早上がりするなんて無理に決まっています。だったら代わりに木曜日を早めに切り上げればいいじゃないですか。それなら残った仕事も翌日の金曜日に帳尻を合わせることができます。ボクはずっとその方法でライブハウスなどに足を運んできました。金曜日の夜に酒盛りやパーティの予定を作るのは、カレンダーしか見ない素人の発想じゃないかな。

 

 このように、いちいち政府や省庁の指針に従うのでなく、企業や個人単位で工夫を重ねればいいじゃないかと思うわけです。過労死にしても、そこに至るまでに大きな声を上げたり、休暇を取るなりして、仮に上司や同僚に嫌われようとも、自分を守るべきじゃないかな。

 労働人口が減少しつつある今だからこそ、ボクたちは「働き方」も含めた「生き方改革」を実践していくチャンスだと思いますが、それもまた自主的にやるべきことであって、上からあれこれと言われることではありませんよね。行政も組織も、そうした人たちが自由に生きる権利を守ることに力を入れるべきであって、過労死の撲滅のほうが大きな課題だと思うのです。にもかかわらず能天気に「プレミアム・フライデー」ですよ。いったい上は何を考えているんだろうと訝しく感じてきたのです。

 

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