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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

社会・世相

2017年9月19日 (火)

触媒型人材

 

 昨今はあまりにもカタカナが多過ぎるので、できるだけ日本語を使おうと考えていたら、こんなにご大層なタイトルになってしまいました。

 

 いえね、近頃は日本経済新聞の連載コラム『私の履歴書』を愛読しております。その前は国務大臣を歴任した某政治家の手前味噌な自慢話に辟易して敬遠していたのですが、筆者が湯川れい子に変わってから現実感のある逸話が続いており、ついつい引き込まれて愛読してきました。その感想を発展させると、「触媒型人材」という大仰なことになってしまうわけですね。

 

 彼女の肩書きは、コラムでは(音楽評論家・作詞家)となっていますが、時代がズレているせいか、ボクにはあまり馴染みのある人ではありません。ただ、このブログで以前に『恋に落ちて』を紹介した時に、作詞が彼女だったことにちょっと驚いた記憶があります。評論家の方面で大御所的な存在だったことくらいは知っていますが、作詞のセンスも並外れていたからです。

 

もしも願いが叶うなら

吐息を白いバラに変えて、

逢えない日には

部屋中に飾りましょう

あなたを想いながら

 

 ネガティブなためいきを白いバラに変えて部屋を飾るなんて、非才凡才のボクにはとてもじゃないけど思いつけません。どんな生き方をしてきた人なのかなと興味が惹かれるではありませんか。

 

 本日で連載は18回目になりますが、まだジャズ評論家としてデビューしたばかりの若き日々が綴られております。それまでに彼女には2人の男が関わってきました。1人は子供の頃から実家の2階に下宿していた許婚者の「進さん」、そして2~3日にせよ駆け落ちまでした「直也」です。この呼び方だけで、彼女が彼らにどんな距離感を持っていたか分かりますよね。「進さん」とは後に離婚しますが、親の言いつけを守って結婚しています。一方の直也は医者の息子ですが、勉強そっちのけでジャズ喫茶などに入り浸るプレイボーイでした。

 

 湯川れい子は、この「直也」から感化されてジャズの魅力を知り、やがて見込みのなかった女優をやめて音楽評論家に転進。その黎明期に、来日した外国人ジャズ・ミュージシャンの単独インタビューに成功していますが、これは「進さん」が陰で英語力を発揮して協力したおかげといっていい。つまり、2人の男が彼女の成長に大きく寄与しているということになるわけですな。

 

 言うまでもなく本人の才能や努力もありますよ。ただね、きっかけを作ったのは、やはり彼らだろうと。そして、彼女が有名になると同時に世界が変わり、次第に疎遠になっていくんですよね。そのあたりのことが本日は正直に書かれていたので抜粋します。

 

「直也にしてみれば、恋人の湯野川和子がいつの間にか湯川れい子になり、世間に名前があふれてきた。瞬く間に遠い存在になったことだろう。直也もまた何も言ってこなくなった」

 

 自分と周囲の見方をきちんと客観的に認識できる人だなぁとボクは感心しました。そして、渋谷の宮益坂あたりでタクシーの車内から偶然に彼を見かけて「『相変わらずカッコいいなあ』。一瞬そう思ったけれど、視線を前に戻して真っすぐ延びる道路を見つめた」とあります。実にクール、ですよね。過去を振り切って自立していく女性象というのは、この頃から定着していったのでしょうか。ボクは男のせいか、ちょいと直也に同情してしまいますが、男女がところかわった類似の別離なんて山のようにありますからねぇ。

 

 それはそれとして、この2人の男たちは、彼女にとっては「触媒」のような役割を果たしたと考えられます。つまり、化学変化を促進する物質なわけです。そして、この触媒は化学変化の影響をまったく受けず、その前と同じ状態で存在することも特徴とされています。

 

 でね、牽強付会と言われそうだけど、このように意識せずに他人に影響を与える「触媒型」の人材がいるような気がするのです。その影響を受けた人自身も、気がつかないうちに他者の触媒になっていたりする。どちらも最も肝腎なことは、そもそも他者に対する関心や興味がなければ、触媒効果を受けようがないってことです。だからといって、無批判に影響されて模倣したり、亜流になるということでもありません。そのままでも変わり得る土壌があることが大前提であり、それを刺激して変化を促進するのが触媒ですから、やはり素材というか、才能や感性や知識などの蓄積があって初めて化学反応できるってことです。

 

 というわけで「触媒型人材」がいれば、職場も変わると短絡的に言い切れないのですが、少なくともそうした人材がいるかも知れないという視点は大切なんじゃないかな。どうもね、近頃の世の中は「結果を出す」という造語が典型的ですが(こんな言い方を昔はしなかった気がします)、効率やら生産性ばかりが取り沙汰されているように思うので、ちょっとした変化球を投げてみようかなと思った次第です。

 

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2017年5月25日 (木)

愚直

 

 愚直。辞書では「正直過ぎて気が利かないこと」「正直なばかりで臨機応変な行動を取れないこと」と解説されており、オマケに「馬鹿正直」という言葉まで添付されております。

 

 「直」はいいとしても、それに「愚」をつけたら良い意味になるはずがない。この言葉を造った人は、正義を貫くことが愚かなことだと思っていたんでしょうね。ということは、すごくアタマはいいけど、根性がねじ曲がった、本当にイヤらしい奴だろうなと想像してしまいます。

 

 それを実証するかのように、最近は政権+行政関連の小狡い実態がバンバン明らかになっております。「忖度」とか「総理のご意向」なんてね、それって何だよ。近場の目端が利く奴ばかりが東大を出て官僚になったら、この国はちょっとヤバいっすよ。

 

 そうした不正を監視すべきメディアも、卑劣・卑怯の誹りなんか屁みたいなもので、とにかく「売れたもの勝ち」だもんね。『週刊文春』が『週刊新潮』の中吊り広告を事前入手して、特ダネの後追いならまだしも、先行取材を偽装するみたいなことが発覚しました。

 本日発売の『週刊文春』では、面白いことに池上彰氏が自身のコラムで、この事件を取りあげていました。これを掲載拒否すると文春も朝日新聞の轍を踏むことになるので、自社批判もやむなしとなったのだと思います。彼のコラムは、例によって最初は中立的なスタンスでしたが、最後は「文春さん、狡賢いと言われても仕方ありませんよ」と結ばれています。そういえば、あの会社は東大比率がすごく高いと聞いたことがあります。

 

 この結論に至る前段として、「事実とすれば、汗をかかずに情報を得て競合誌に並び立てるわけで、新潮社側はさぞ悔しいだろう」「我々まぬけで良かったかもしれませんね、先輩」という某新聞のコラムが紹介されておりました。そんなことを言い切れる会社かなという疑念はありますが、まぬけだの愚かだのと言われても、絶対に不正をしない・許さないというのはメディア自身にこそ必要な姿勢ではありませんか。

 それが揺らいでいるのは、やはり結果重視の風潮であり、それを促進しているのが「受かったもの勝ち」の受験教育というのがボクの見立てなんだけど、どうでしょうかねぇ。

 

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2017年2月28日 (火)

偏見からの自由

 

 だからといって何かの役に立つわけではありませんが、2つの物事が突然に結びついて、「ああそういうことか」と深く納得することがあります。

 

 先週の日曜日も経験したのですが、それを説明するためには、まずは大前提からご紹介しなければなりません。

 

 ボクは、実際の舞台を鑑賞したことはありませんが、宝塚歌劇のファンであります。このように公言すると、「男のくせに」とはいかないまでも、ちょっと怪訝な顔をする人がいます。そりゃそうです、東京の宝塚劇場で当日券を待っている人たちはすべて女性ですから、男なのにファンというのは変人、あるいはそっちのケ、または女装癖でもあるのかと誤解されている可能性がなくもありません。

 ボクはそのいずれもでもないと断言しておきますが、このように判断される根拠は、宝塚が女性による女性のための舞台であって、男は絶対的少数派という特殊性です。だったらさぁ、歌舞伎はどうなんだろう。こちらは逆に出演者は男ばっかりで、女性を演じることも普通にありますよね。それがゲイではなく「芸」として評価され(うまいね!)、国が指定した人間国宝=重要無形文化財だっているくらいの格調高い伝統芸術なのに、宝塚が好きな男は変わっていると見なされるのは、論理としてまったくフェアではありません。

 

 そして、歌舞伎が海外公演を行うほど世界に通用するというなら、歴史や伝統こそ負けるものの、宝塚だって同じような特殊性を備えているので、グローバル化すればするほど、こうしたローカルの魅力が際立って浮上してくるとボクは考えています。世界中どこでも同じようなデューティフリーショップしかなかったら、実際そうなっているのが残念ですが、海外旅行の楽しみは激減しますよね。

 

 それ以前に、勉学によって獲得すべき知性の本質は、偏見からの自由ではないでしょうか。にもかかわらず、バカな先生ほど子供をカタにハメようとします。ボクが出会った希少な賢い先生たちは、他人と同じでないことを才能の萌芽と認識していました。だってね、これはこうなんだからこうしろと決めつけたら、世の中それで終わりであって、何の新発見もなくなるじゃないですか。だからさぁ、心の中にも、国境にも壁を作ってはいかんのですよ、大統領!

 

 さらに、ですよ。劇団四季なんかのミュージカルが決していけないとは思いませんが、いかに日本人がうまく演じたところで「輸入品」であることに変わりありません。本物はあくまでもブロードウェイやウェストエンドにあるわけです。けれども、宝塚の舞台は仮にアイデアやストーリーを真似たにしても、どこまでいってもニッポンだけのオリジナル。だからこそ応援したいのであります。

 

 でね、このことに気づいていたのはボクだけではなかった、というのが今回のメインテーマです。

 

 先週の日曜日は、例によって新宿歌舞伎町をぶらぶらと歩いておりました。華麗な虚飾が支配する夜も素敵ですが、昼間の歌舞伎町は厚化粧が剥げた「素」の繁華街が見られるので実に面白いのです。ボクが特に興味を感じたのは、女を騙す、じゃなかった楽しませるホスト諸君の顔を並べた看板でした。誰も彼も同じメイクにそっくりの髪型なんですよね。つまり、似たような顔ばっかりじゃないかと、少なくともボクには見えるのです。

 

 それまでも、何とまぁオリジナリティに欠けた連中だろうと思ってきましたが、今回の散歩における乱雑で無定見な思考を通して、ハッと真実が閃いたのであります。

 

 彼らは、彼ら自身も特に意識することなく、宝塚の男役の真似をしているのではないか。男の荒々しい動物性が感じられない中性的な男性像がそこにあって、それを女性が望むからこそ、ホスト諸君は宝塚っぽく選択淘汰されてきたと考えられるのです。男性主体のビジネス社会なら間違いなく嘲笑されるスタイルや格好だからこそ、女性は夜の世界で安心して夢を見られるといえるかもしれません。そんな名前あるかいというキラキラネームも、宝塚が発祥ですよね。

 女性が描いた漫画やアニメもまったく同じで、「こんな男いるはずないだろ」という細身の長身・長髪でデカ眼の美顔がボーイズラヴしたりするんだよなぁ。

 

 大人でこうした嗜好を持つ女性は、生物的&心理学的には未成熟かもしれませんが、そこはそれ偏見のないボクですから、敢えて解釈すれば、男性優位の社会に対する生理的な嫌悪感が隠されていると理解することもできるでしょう。

 

 いずれにしても、歌舞伎町のホスト業界は宝塚歌劇の影響を強く受けていた。どうです、これって新発見になりませんかねぇ。何の役にも立ちませんけど。。。。

 

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2017年1月12日 (木)

規範

 

 臨床医療では「標準治療」と呼ばれるスタンダードがあります。それと同じように、どんな業界や仕事や生活にも「基本」あるいは「規範」みたいなものがあります。これをベイシックなルールと言い換える人もいるだろうし、守るべきマナーと捉えている人もいるでしょう。

 

 こうした基本や規範は、現代的な言い方をすれば、経験を集積した「集合知」ともいえるので、それに従ったほうが、みんなの共感や納得を得やすく、事後のリスクも低減できることは事実です。

 ただし、大切なことは、それが法制化されていない限りは、遵守する義務なんてないんですよね。

 

 たとえば、もうすぐ大統領になるトランプは、記者会見で「お前に質問なんかさせないぞ」と罵って民主主義の大切な規範ならびに品位をぶち壊しました。だからといって、それで逮捕や起訴されることはないじゃないですか。やがて国民の人気を失い、次の選挙でしっぺ返しを受けるにしても、彼のように基本や規範を無視することも可能なのです。

 

 つまり、「●●したほうがいい」というだけのことで、「●●しなければならない」と定められているわけではありません。にもかかわらず、これはこういうものなんだから「こうしなければなない」と頑なに他人に強いる人もいます。でね、どうもボクはそういう「ねばならぬ」が生来的に好きではないのです。

 

 もちろん基本や規範は「知っておいたほうがいい」と思いますよ。前述したように経験則を伴った「集合知」なんだから、そのほうが何かとトクじゃないですか。けれども、その反面で早い話が過去の最大公約数ですから、未来永劫に通用する公式ではあり得ません。

 

 それを金科玉条にして厳守を徹底するのは、即ち「思考停止」につながってくるじゃないですか。そんなわけで、どうもボクは、こうした「べき論」が喧しくなってくると、それに背を向けて外に出たくなるのです。こうした「べき論」に反発した人たちが、時代や社会を変えてきたのではないでしょうか。だからといって、ボクはトランプを支持する者ではないので念のため。

 

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2017年1月 6日 (金)

論理より演技

 

 裄丈=袖の長さを1㎝ほど詰めて貰ったシャツを引き取りに行ったのですが、店員さんが昨晩に深酒でもしたのか、あまりにもダルな対応だったので正月ボケの目が覚めました。

 

 しかも、引き取り伝票に「支払い済み」と大きく表記されているにもかかわらず、「これ、支払い済んでますかぁ?」とドヨーンとした投げやりな感じで、ボクを見ないで訊くわけです。こちらもムカムカして、「伝票に書いてあるだろ!」と思わずつっけんどんな言い方で返してしまいました。

 

 こういう場面に対応した「売り言葉に買い言葉」というみごとなことわざがあります。意味は「相手の乱暴な言葉に対して、同じように応酬することのたとえ」(『故事ことわざ辞典』)ですから、ジャブを不意打ちされたらストレートで返すみたいなことかな。不特定多数の客を相手にする小売業の店員としては、そもそも「売り言葉」を放つこと自体がタブーなはずですが、あくまでボクの感覚ですけど、近頃のJRや電話も含めて、不快な印象を与える対応が目立つんですよね。

 

 悪気なんて毛頭ないはずですが、こういう人たちは自分の言い方や表情が他人に与える印象をまるで意識していないと思うのです。ちょっとした抑揚の付け方だけで、同じ言葉でも印象はガラリと変わります。「お支払いは済んでいますか?」と明るく可愛い感じで言うだけで、「ええ。その伝票に書いてありますよ」と穏やかに応答できるじゃないですか。

 

 さらに、お詫びや謝罪ともなれば、言葉で表現される内容なんかより、言い方と表情が最も大切な要素になってきます。文章では表現しにくいのですが、抑揚に乏しいボーッとした「すいません」では火に油を注ぐことになりますが、「(こんなことをしでかしてしまってホントにまったく)すいません!」と申し訳ない感を全開にすれば、相手の印象は真逆です。仮に「自分勝手な無理ばっかり押しつけるからミスっちまったじゃねぇか、このアホバカ、カス野郎が!」と心の中で毒づいていても、言い方ひとつで「どうやら深刻に反省しているみたいだから許してやろうか」と思わせることも可能なのです。

 

 しかしながら、そうした言い方や表現の訓練を、家庭はもちろん、学校でもあんまりやっているとはいえないでしょう。面接を伴う受験準備を除いて、そんなことをいくら練習してもテストの点数をアップできないからです。学習塾も解答テクニックを教えるのが本業なので、喧嘩腰でもない限りは、言い方や表情が問われることなんてないんじゃないかな。

 

 でもね、そのままでは社会に出てから損することが少なくないのです。小売業のような客商売に限らず、現代社会の仕事のほとんどは人間同士のコミュニケーションが基礎になっています。そこで知らないうちに悪印象を与えれば、人材としての評価はどんどん下落します。せっかく実力があっても、言い方や表現で差がつくなんて悔しいじゃないですか。

 

 さらに注意すべきなのは、社会というのは残酷なところで、他人の失点は相対的に自分の得点になるので、学校のように親切に叱ってくれる人はほとんどいないのです。

 

 というわけで、ボクは「表現塾」を立ち上げてもいいのではないかと考えています。学習塾が成立するなら、社会でうまくコミュニケーションするための塾があってもいいんじゃないかな。レポートや小論文や企画書などの文章は「論理性」が最重要です。けれども会話では、論理や内容なんかより、言い方と表情で相手の心象が大きく変わってきます。

 

 ボクたちは社会という舞台に立つ役者みたいなものですから、人間としての中身や私生活や思考なんかではなく、観客=他者に向けて表現された「演技」がすべてといっていい。なのに「演技」を勉強したり、訓練されることはほとんどありません。どこぞの劇団の演出家と組んで、この塾を開校してみようかな。

 

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2016年12月26日 (月)

マフラー

 

 今年の冬は厚織りのマフラー姿がやたら目立つように感じます。大きくてカラフルなマフラーをややこしいぐるぐる巻きにしたおかげで、顔がぽっかりと浮かんでいるように見える人もいますが、あれで首まわりは重たくないのかなぁ。

 

 どんな格好をするのも個人の好き勝手ですから、それを批判する気はまったくありません。もとよりファッションというのは「みんながやっている」ことに支えられているからです。けれども、オシャレで感性の鋭敏な人たちは、ある程度普及した段階でその流行にさっさと見切りをつけて、別のことを考えているんじゃないかな。

 

 つまり、世の中には「みんながやっているからやる」という人と、「みんながやっているからやらない」という人の2種類がいるわけです。魚釣り禁止の岸壁で釣りをしたり、河川敷で危険なゴルフ練習をやったり、駐車禁止の路地に平気でクルマを停めるなどの迷惑行為をする人も共通して「みんながやっているから」という言い訳をしますけどね。

 

 まさかファッションがそれと同じ迷惑行為とは言いませんが、「みんながやっている」ことが弾みになったり、時には免罪符のようになることは共通していますよね。

 たとえばマフラーを率先してぐるぐる巻きにした人が「石焼き芋屋か、お前は」なんて嘲笑された時期があったと思うのです。ボクも大昔に赤いトレーナーとジーンズを履いたおかげで「2キロ先からもお前と分かる」と言われたことがあります。

赤は流行にならなかったにしても、マフラーぐるぐる巻きは「格好いいじゃん」と感じる人たちが真似をするようになり、それをテレビやファッション雑誌なんかが注目して特集するようになると、爆発的なトレンドになります。かくてマフラー姿を今では石焼き芋屋や夜鳴きソバ屋と誰も嗤わなくなり、こぞって「素敵!私もしてみたい」みたいなことになるわけです。

 

 人間というのは個人としての権利が法律で定められてはいますが、動物としては1つの種ですから、同じように行動するのは当然というだけでなく、太古の昔は身を守る術でもあったと思います。鋭利な牙を持つ捕食者のエサにならないためには、誰かがやってうまく逃げのぴることができた方法は積極的に真似したほうがいい。そんな理由から「みんながやっているからやる」というのは人類に共通した性向ではないでしょうか。

 

 ただし、そのためには「みんながやっているからやる」ことを敢えてやらない人が常に必要となります。凶暴な捕食者だって自分の生存がかかっているのでバカではありません。洞穴に隠れる人間が増加すれば、そこを狙えばいいと考えるようになります。そうした「みんながやっていること」に疑問や反撥を感じたのか、それとも飽きたせいか、とにかく危険を顧みずに洞穴から出て、木に昇ってみた奴もいたんじゃないかな。中には失敗して食われた人もいるでしょう。しかし、そうしたトライアル&エラー&サクセスの継承を繰り返して人類は存続できたとボクは考えています。

 

 であるなら、ですよ。「みんながやっているからやらない」と考える変わり者をもっとリスペクトして大切にしなきゃいけない。いじめたりハラスメントの対象にするなんてもってのほかなのです。

 

 その意味では、1970年に大阪で開催された日本万国博覧会のテーマ「人類の進歩と調和」は秀逸というほかありません。「進歩」とは「みんながやっているからやらない」という変わり者たちの果敢なトライアルを意味しており、それを「みんながやっているからやる」という人たちが広めていくことが即ち「調和」だからです。

 

 そして、どうやら日本人は「みんながやっているからやる」という人の含有率がちょっとばかり高くて、「みんながやっているからやらない」人の割合がかなり低いのではないかとボクは判断していますが、果たしてどうなのでしょうか。

 

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2016年12月 2日 (金)

真ん中

 

 日本はやっぱ中道が育たない国なんだなぁと思います。これを本気で説明するとすっごく長くなるので、簡単に言えば「真ん中」のポジションということです。

 

 こう表現すると、「ええー、オレって会議でも真ん中をキープしようとするけどね」という人もいるでしょう。でも、定規で長さを測れるようなことなら客観的に真ん中を規定できますが、政治も含めた方針や思想って奴は、そうたやすく判断できないんですよね。

 

 たとえば右と左があるとするなら、その間はグラデーションになっており、どちらかが優勢になってくると、途端にそっちのほうの色が濃くなっていくわけです。ということは、ちっとも真ん中じゃなくて、勝ち組に加勢するために洞ヶ峠で日和見を決め込んだ筒井順慶と大きな違いはありません。

 

 歴史的な事実は知りませんが、早い話が決定的な意見表明を保留しているだけのことであって、そんなことを中道とか真ん中と言ってはいけないのです。敢えて言えば「第3極」みたいなことですけど、それだって意見保留の上手な言い訳になったりしますよね。

 

 政治的な思想を例とするなら、戦後は左翼が大きな力を持ってきました。労働組合運動も活発となり、それが憲法9条を支えてきたといっていい。だってね、この条文を普通に読んだら自衛隊が存続できるはずないじゃないですか。軍事費だって当時は確か年間予算1兆円でシーリングされていたと記憶しますが、今では2兆円を超えたようです。憲法の条文がもしも「理想」を語ったとするなら、現実が大きくズレていてもちっとも不思議はありませんけど。

 

 そして、ここが問題なのですが、左翼系の言論がメディアで支配的になると、左側の論理を語る文化人は、右側の人たちより人気を集めることで「食える」ようになります。こういう時代が比較的長く続いてきたのですが、かといって「反戦」「非戦」というのは一国の理念や方針だけで実現するものではありません。交通事故と同じで、本人がいくら安全運転していようが、認知症の老人が高速道路を逆走してきたら死傷事故につながるじゃないですか。

 

 皮肉なことに、中国が経済力を急速に高め、北朝鮮も拉致事件が公となって核装備がリアリティを持つことで、日本全体がアジアの政治情勢に警戒感を持つようになりました。そうなると、今度は右側が激しく巻き返してくるようになります。長く続くデフレや不景気で自信を失った日本人にとっても、大和魂とはさすがに言わないまでも、文化や伝統や歴史や国民の性質を褒め称える排他的な民族主義はかなり心地良く響くわけです。

 

 逆に左側の言論人は急速に元気を失い、それによって右側の人たちはますます勢いづく。明け透けに言ってしまえば、もはや昔のように空想的で素朴な平和主義では食えない状況になっています。

 

 そうなると生活もありますから、いずれ雪崩をうってみんなが右側に流れていく可能性も否定できません。そんなことあるかいという人は、1940年に結成された「大政翼賛会」をちょっと調べてみてください。すべての政党が「勝ち馬に乗り遅れるな」と解散して合流した歴史があるのです。

 

 日本というのは聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって貴としとなす」のおかげで穏当な民族性だと思い込まれているようですが、実は相当に極端だということを自覚したほうがいい。もしも日本人がそんな民族性とするなら、わざわざ「和をもって」なんて言葉を憲法の条文にするはずがありません。

 つまりね、何でもかんでも二元論に集約されてしまい。真ん中=中道を認めないのです。歴史的な建築もそうじゃないですか。どんどん取り壊して建て替えていく。つまり、壊すか残すかの二元論となり、ほとんどは壊して建て替えとなります。補修して維持という「真ん中」にはなかなかならない。そうなるのは世界遺産レベルの価値が確定したものに限られています。

 

 中国でも孔子の中庸は過激な思想とされているらしいので、こうした傾向は日本だけではありませんけどね。ボクは誓って言いますが、右でも左でもありません。どっちつかずの日和見なモノカキでありますが、オリンピックの競技場や築地市場の移転問題も、「真ん中」の意見が認められなかった、あるいは敗北したことが現在の混乱を招いていると思うのです。

 会議でも生き方にしても、「真ん中」に踏みとどまるというのはものすごく難しい。でも、それを今こそ目指すべきではないでしょうか。

 

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2016年11月15日 (火)

謙虚

 

 今の世の中、何が決定的に足りないかといえば、謙虚であり、次に節度であり、3番目に他者に対する尊敬ではないでしょうか。

 

 どの言葉も、自分を過大に評価していないことが特徴であり、だからこそ他者にへりくだって謙譲し尊敬し、相互の関係性を重視しているといえるわけです。ボクの子供の頃は親なんかから似たようなことを口を酸っぱくするほど言われましたが、現代ではむしろ「唯我独尊」意識のほうが強くなってきたようです。

 

 というのも、ある就活生から「根拠のない自信」という言葉を聞いたことがあるからです。自分に対する元気付け勇気付けの意味で、むしろ自信がないことの逆証明だと思いますが、この文言だけを客観的に聞けば、何という不遜で傲慢な野郎だと感じますよね。

 

 だって、そんなにも自信満々であるなら、勉強や準備なんてする必要がなくなってしまいます。大学でも会社でも「教えてくれるっていうんだから、ちょっとばかり教えられてやるか」って態度ですよね。そんな奴は学校にも会社にも来なくていいとなりませんか。

 

 民主主義における過剰な個性教育の弊害、なんてところまで指摘するつもりはありませんが、他者や世界に対する尊敬がちょっと足りなくなっていることは事実のような気がします。お前ってそんなにも偉いのかよってね。そう言いたくなるジーサンバーサンも普通にいますが、そんなことでは誰も有益なことを教えてくれませんぜ。それどころか、自分の生命に関する尊厳までもが間接的に失われていくことに気づかなきゃいかんでしょう。すでにそれは社会全体で始まっているんですけどね。

 

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2016年11月 2日 (水)

礼節

 

 あくまでもおそらく、きっとそうだったんじゃないかなという想像、推測や憶測または思い込みですけど、はるかな昔から営々と積み重ねられてきた日本の美徳というものを、仮に虚構だったにせよ、それが崩壊していく始まりとなったのはチューインガムの一噛みだったのではないでしょうか。

 

 だってね、日本が戦争に敗北してアメリカが進駐軍として乗り込んでくるまで、チューインガムをくちゃくちゃ噛むなんていう習慣はありませんでした。念のために言っておくと、チューインガムが悪いというのではありませんよ。キシリトール入りなら虫歯予防にもなるみたいですから。人前で口を開けて、あたかも音が聞こえるように噛むという行為が礼儀知らずだということです。

 

 アメリカでは野球選手なんか噛みタバコも平気でペッと吐き出したりするらしいので、礼儀知らずという感覚も文化によって違いますから、より正しく言えば、日本の「礼節」感覚が敗戦後に流れ込んできたアメリカ文化に蹂躙されたということになりそうです。

 

 でも、そんなのは客観を装った他人事の文化論であって、親から子、子から孫といった形で長く蓄積されて肉体化した「礼節」は、それを無視した行為を生理的に不愉快に感じさせるのです。

 

 カメラ機能付きケータイか、はたまた電話もできるカメラなのか、どっちが主体かよく分かりませんが、被写体(と周囲も含めて)にいかなる配慮もしないでカシャカシャ撮る行為を見るのは、個人の自由をしっかりと感じられて気持ちいいですかねぇ。自撮り棒に至っては、使っている人間が猿のように見えてボクには笑止千万なんですけど。

 

 こうした一事がおよそ万事であって、今さら「礼節」なんて古くさい言葉を持ちださなきゃいけないことに深い悲しみを感じます。でもねぇ、電車の中で化粧をすることに賛否両論がある時代ですから、もはや「恥を知れよ」なんていっても通じないんだよな。

 

 1970年11月25日、作家の三島由紀夫は私兵組織「楯の会」の隊員4名を率いて自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室に籠城。バルコニーで演説した後に割腹自殺しました。それを報じた新聞夕刊の衝撃的な写真を今でも覚えています。それ以来、彼の自殺は長くボクの中で謎として残っていました。巷間言われた「きっと頭がおかしくなったんだろう」という無礼かつ無情な解釈ではとても理解できなかったからです。『憂国』などの作品から右翼的に解釈する人もいましたが、戦後の民主主義全盛の中でクーデター決起を呼びかけるなんて、ドン・キホーテ以上の蛮行というより現実無視の笑い話じゃないですか。

 

 およそ作家というなら、そんなことは百も承知のはずなのに、なぜあのような衝撃的な事件を起こしたのでしょうか。その理由が、この年齢になっておぼろげながらでも何となく想像できるようになってきたのです。

 

「このまま行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な。抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」

 

 事件に先立つ同年7月7日のサンケイ新聞に掲載された「果たし得ていない約束-私の中の二十五年」と題された三島由紀夫の寄稿の抜粋です。ボクなんか足元にも及ばない頭脳と文章力を持った大作家の心情が分かるなんて大それたことは言いませんが、前述した「礼節」の喪失によって、日本の華麗な「美」を形成している大切な背景=本質も滅びつつあることに、彼の鋭敏な感性は耐えきれなかったのではないでしょうか。

 

 それをかつて「頭がおかしい」と評した人たちが生き残って拝金主義をますます進めてきたとするなら、いみじくも三島は没後を正しく予言していたことになります。嗚呼、覆水は盆に返らず。

 けれども、もはや日本は「経済的大国」ですらなくなってきたのですから、そろそろ本気で「礼節」に取り組まないと、いよいよ「日本」がなくなってしまうような気がしてならないのです。

 

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2016年8月31日 (水)

『海街diary』

 

 何だか世の中全体に押しつけがましくなってきたような気がします。これって年齢のせいかなぁ。

 

 差し支えのないところを指摘すれば、芸のないテレビCMが増えてきました。CMは広告ですから商品やサービスの購買に直結しなきゃ意味がないことはよく分かるんだけど、客をナメとんのかレベルのアピールばっかしというのが多いんですよね。

 

 中でもCS放送で目立つのが、素人さんが体験談を語るヤツです。見ているこちらの心がイタくなるほど皆さん一生懸命に「効いた」とか「スーッとですよ」とかね。出演料がいくらか知りませんけど、それってホントかよと。そんな時に必ずテレビ画面の片隅に出てくるのが、「個人の感想です」という注釈なのです。

 それで許されるなら、特効薬もどきを開発して「個人の感想」を連発させれば大儲けは簡単じゃないか。「ガンが治った、ような気がする」と言わせりゃいい。治療の実績ではなく、あくまで個人の感想だもんね。

 

 かつて日本のCMは直接的な商品訴求が少ないので「ソフィスティケイト」されていると世界で評価されていた時期がありました。ところが今ではとにかく中身より外面が最重要。恥知らずでもいいからどしどし強調していかなきゃソンというような風潮を感じます。もっと謙虚に、知的に、穏やかに、早い話が静かにしてくれないものでしょうか。

 

 そんな時に、たまたまWOWOWで2014年公開の映画『海街diary』を見てしまいました。外出する用事があったので、まことに残念ながら全部は見ていません。むしろほんの一部といっていいのですが、演技の上手さに仰天しました。綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずの4人が姉妹役で絡んでいるのですが、実に自然にセリフが流れて、彼女たちの感情がそれこそスーッと心の中にしみわたってくるのです。

 

 綾瀬はるかも長澤まさみも説明不要の人気女優ですが、こんなにも優れた演技力を持っているとは不覚にも知りませんでした。夏帆という女優さんはボクには未知でしたが、モデル出身にもかかわらず、食事しながらの会話が際立って自然なんですよね。口の中で食べ物を咀嚼しながらも、絶妙なタイミングで会話に応答しているので感心しました。これは素人にはまったく無理な、まさに「技」としか言いようがありません。

 

 文章はシリアルな表現手法ですから、複数の人の会話の重なりを表現するのは基本的に不可能なのですが、現実には普通にありますよね。話の途中で相手が言葉をかぶせるように自分の意見を言い、それを受けてちょっと考えたタイミングで「でもね」と反論する内容を、一拍置いて相手も頷きながら、結局は「そうそう」とお互いに共感するといった感じかな。

 これを彼女たちは、映画の中で本当の日常生活のように感じられる演技ができるのです。

 

 広瀬すずも生硬で未熟な若さをうまく体現しており、キャスティングも卓越したセンスではないでしょうか。

 

 この映画は3人の姉妹と腹違いの末妹との共同生活がテーマです。家族を捨てた父への微妙な想いと、一緒に住むようになった4人姉妹をめぐる変化が描かれているので、やたらに怒鳴ったり頭をかきむしるようなド派手で圧迫的な感情表現はむしろNG。こうした過剰なアピールが上手な演技だと思い込んでいる有名男優もいるんですけどね。

 

 デリケートな内容なので、繊細な表現力が必要なドラマですけど、彼女たちの演技には「引っかかり」をまるで感じませんでした。これって実は大変なことだろうとボクは思います。最後まで見られなかったのが残念なので、今度の週末にDVDでも借りようかな。

 でもねぇ、ボクはこうした家族ものは昔から大の苦手なんですよね。

 

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