笠木恵司の主な著書

  • キャリア・チャレンジ2009-2010
  • 資格試験合格後の本
  • 学費免除・奨学金で行く大学・大学院進学・休学・留学ガイド
  • 価値ある資格厳選200
  • インターネットでMBA・修士号を取る
  • 腕時計雑学ノート
  • 「国際標準」ビジネス資格完全ガイドブック
  • 日本で学べるアメリカ大学遠隔学習プログラム
  • テレビ局完全就職マニュアル
  • 資格の達人
  • MBA入学ガイドブック
  • 学んで! 遊んで! 役に立つ! インターネットキャンパス
  • 日本で学べるアメリカ大学通信教育ガイド

お気に召したら、ポチっと↓

  • 笠木恵司のブログ

福助くん その6

  • D_p1000397_s
    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

  • 5djustice3f5d5575e032a1
    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

社会・世相

2019年4月25日 (木)

上級国民

 

 12人が死傷した池袋の交通事故をネットで調べていて、見慣れない言葉に遭遇しました。「上級国民」。もちろんテレビではこんなワードを使うことはありません。けれども、ついさっきのニュースショーでは、「明らかな容疑者なのに、どうして『さん付け』を続けるのかという問い合わせをいくつかいただいております」とアナウンス。それについて「容疑者は胸の骨を折って入院中であり、まだ逮捕されていないので」と、あっさり説明していましたが、こうした「いくつかの問い合わせ」の背後に、彼が「上級国民」だからではないかと憶測する人が無数にいるらしいのです。

 ボクは不覚にも昨日知ったばかりですが、ちょいと調べてみると、2015年に起きた東京オリンピックのエンブレム盗用騒動が始まりのようです。そのデザイナーが業界で有名人だったせいか、専門家筋が「素人に盗用の真偽は分からない」とコメントしたことに反発して生まれたネットスラングとされており、対義語は「一般国民」となります。

 池袋の悲惨な事件は、明らかに運転者の過失であり、警察もドライブレコーダーの解析でとっくに把握しているはずですが、ほかの同様な事件に比べて、何だか及び腰に見えるんですよね。それは運転者が大変に立派な経歴を持つ元官僚だからに違いないという声がツイッターで飛び交っており、「上級国民」としてハッシュタグになっています。

 まだまだ事実が判明していないので、「上級国民」であることがどれだけの影響を与えているのか分かりません。また、この言葉は様々な誤解や曲解を生みかねない危険性を孕んでいます。しかしながら、以前から続いてきた「格差社会」どころではない、ものすごい怨嗟が「一般国民」の間で渦巻いていることは率直に認めるべきだと思うのです。

 そして、こんな感情に火をつけるようなことを繰り返してきたのが、もしかすると「最上級の国民」と目される現総理ではないかと。だからね、モリカケ問題などをウヤムヤに片付けてフタをしてはいかんのです。透明感の高い公明正大で客観的な説明や政策運営こそが、「上級国民」なんていう、あまり芳しくない差別的用語を流布させない唯一の方法だとボクは思うんだけど、分かってもらえるかなぁ。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓


人気ブログランキング

 

 

 

2019年4月 1日 (月)

世論もファッション

 新しい元号が本日午前11時半に発表されるそうです。興味津々で発表を待っているというのが大勢のようですが、それ以前に、どうして元号が存在するのか、なぜそれが現代でも必要なのかという論議や解説・解釈がまるでないことに、軽い驚きを禁じ得ません。

 ボクは学校で日本史を勉強し始めた頃から、元号が面倒くさくて仕方ありませんでした。承久や天明だの万延だのと、大化の改新以来で元号は何と247個にも及ぶそうです。そのたびに、歴史がぶつ切れになってしまい、前後の流れが分かりにくいんだよな。要するにいつの話なんだよって思いませんか。しばしば言われることだけど、その頃にヨーロッパやアジアはどんな状態だったかという横断的な見方がしにくいのです。

 だからボクは大学の受験科目から日本史を早々に外して、難読な漢字名称も出てこない世界史に絞りました。それ以来、様々な出来事はすべて西暦で覚えています。とりわけ1989年1月8日からは平成に変わったので、昭和で言われても、いったい何年前のことだか分からなくなってしまうんですよね。

 もっと原則的なことをいえば、元号というのはそもそも「君主制」にもとづいた名称です。今回も生前退位という理由で元号が変わるのであり、国歌にしても「千代に八千代に」天皇家が永続するようにという願いが込められています。つまり改元というのは、そうした天皇制が今もって行政レベルで存続していることを劇的に再認識させる出来事なんですよね。

 ボクは思想的に右も左も構うことなく、保守とも革新とも言い切れないので、実に便利な概念である「象徴天皇制」に従います。実際問題として、国民を代表する伝統ある共通の親戚と考えれば、積極的に天皇制を排除する理由はもはやないですもんね。

 ヨーロッパでもイギリスのように立憲君主制というか、王室が健在な国はいくつもあります。しかしながら、それでも元号というのは寡聞にして知りません。西暦もキリスト教歴ですから、かなり長期にわたる元号の一種といえばいえなくもないでしょうが、いずれにしても、そうした議論や討論がまるでないということに、ボクは違和感を覚えてしまうんだよな。

 まぁね、世論もモードでありファッションと考えれば、左翼がカッコ良かった時代はとっくに大昔ですから、元号に関する論議なんてウザくて時代遅れといえるかもしれません。それにしても、何でもかんでもバンザイ三唱で意味や背景を顧みないというのも、ちょっと薄気味が悪いですよね。 

 こんなことを感じるのはボクだけなのでしょうか。なんてことを付け加えることが近頃はすごく多くなりました。

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

 

2019年2月 1日 (金)

女の料理、男の料理

 

 日本では2017年に公開され、第89回アカデミー賞の6部門で栄誉に輝いた『ラ・ラ・ランド』という映画があります。まだ2年ほど前なので、「という」というのもヘンかな。

 

 この映画の中で、ライアン・ゴズリングがエマ・ストーンと同棲しながらも、バンドの巡業に同行して留守にするシーンがあります。彼女は寂しくて電話をかけるのですが、彼はステージ中らしいので、歩きながら留守電に長いメッセージを残して帰宅。すると、思いがけずゴズリングがキッチンで食事の準備をしており、「サプライズ!」と言いながら調理用手袋をつけた両手を広げて彼女を抱きしめるわけです。ここで「おや?」と不思議に思いませんか。

 

 男が料理を作って彼女を待っているんですぜ。この映画に限らず、アメリカのテレビドラマでも、男が「腕によりをかけて」彼女のために料理するシーンが案外少なくありません。けれども、日本では肉ジャガで好きな男をトリコにするとか、料理は女性だけの課題というか業務であって、男は今でも「僕食べる人」になっているんじゃないかな。

 ちなみに、某食品会社による「私作る人、僕食べる人」というテレビCMが女性差別だと猛批判を受けて放送中止になったのは1975年。何と44年も前のことですが、その批判を受けた状況はほとんど変わっていません。日曜昼に放送されるTBS系『噂の!東京マガジン』では、若い娘さんに料理を作らせて、その無知や不器用を嘆きながら嘲笑する『やって!TRY』というコーナーがありますけど、ここでも男は出来上がった料理を食べるだけですからね。

 

 「私作る人……」の1975年当時なら、どうして若い男にも「TRY!」させないのかとクレームが入っても不思議ではないはずです。ネットの一部では指摘されているようですが、このことだけでも、日本社会は封建的な保守に逆戻りしていると判断するのは間違いですかねぇ。

 

 テレビの話題でもうひとつ。CS放送のFOXで『ザ・ブレイブ:エリート特殊部隊』というテレビドラマがあります。選抜された精鋭の米軍兵士で編成された特殊部隊が世界各地で活躍するのですが、基地で屈強な男がチームのために煮込みというかシチューのような凝った料理を作るシーンがありました。このチームには女性の狙撃手も配属されていますが、彼女は母親が食事を作るところなんて見たことも聞いたこともないので、「料理はできない」と臆すことなく言うんですよね。

 

 こういうことをボクなりに前向きに解釈すると、料理というのは誰かを喜び楽しませる作業ですから、それを女性だけの専業にしておくなんて、むしろ男にとって逆差別になるのではないかということなのです。こんな話を学校で、あるいは家庭で聞いたことがあるという人は手を挙げてください。おそらく、ほとんどいないと思います。

 

 だからといってアメリカが完全に男女平等社会とは言いませんが、ボクたちは悪いことばかりを真似して、良いことをちっとも学んでいない。もうすぐバレンタインデーですけど、海外ではこれまた女性からだけでなく、男からも女性にプレゼントを渡していい日なのです。ボクは若い頃に外国人女性に「明日はバレンタインデーだよね」と何気に言ったら、「何をくれるの?」と逆に訊かれて軽いカルチュアショックを受けことがあります。ましてやチョコを渡すのは日本だけの風習なので念のため。

 

 そんなわけで、男にも料理教育を徹底すべきだと提案したいのであります。小・中学校に家庭科はありますが、ボクの経験では「おざなり」で実用性に乏しいんですよね。算数や理科など主要科目の一部を高校に回し、洗濯や裁縫にアイロンワーク、電気の配線から水まわりの修理なども含めて、家庭科を強化・充実したほうが自立の役に立ちますってば。

 それがもしかすると、セクハラ=女性に対する人権侵害を抜本的に駆逐するための有効な方法ではないかとも思うんですよね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

2018年11月12日 (月)

イナゴの日

 

 以前にご紹介したテイクアウトの紅茶ショップに、どんどん人が集まっております。週末の夕方には数十人規模の行列ができているだけでなく、ドリンクを手にしたら、それと一緒に必ず自撮りですもんね。味もさることながら、「インスタ映え」する要素も強いのでしょうか。カップルもたまに見かけますが、ともかく若い女の子が圧倒的に多い。女性はネットワーク型の生き物なので(理由は前のブログを参照してください)、SNSで急速に情報が拡散しているんじゃないかな。彼女に連れてこられたと思われる男の子は、自分が行動の主体ではないせいか、ポツンと所在なさげなのが印象的でした。

 

 どういうわけか駅前のマクドナルドの周辺に人が集まって、不思議な雰囲気を醸していることもあります。友達連れもいるはずなのに、人だかりというほど密度を高めているわけではなく、異様に静かなんですよね。どうしてだろうとしばらく観察して、ようやく分かりました。皆さんスマホに見入っており、つまりはポケモンをやっているらしい。いかなる新種か珍種かは知りませんが、それが出没することを、こちらも人伝てならぬSNS伝てによって拡散したんじゃないかな。知り合いでもない人が蝟集しているので、「やぁどーもどーも」というオッサン的な挨拶もなく、それなりの距離を置きながら、ただただスマホをいじっているのです。

 

 こうした風潮を不愉快とか気に入らないということではありません。公的な歴史には残されていませんが、似たようなことは大昔からあったはずです。ただ、流行が過熱すればするほど冷えるのも早いのが人の常ですから、あの紅茶ショップも、いずれは潮が引くように客がいなくなることは十分に考えられます。それが年内か、それとも来年以降かは知りませんけどね。

 

 実際に、まだオープンはしていますが、一時期は大きな話題になったトンカツ屋さんも「今は昔」という風情になっています。ネットの普及で、マーケティングは牧歌的なプロペラ機の時代からジェット機になったという分析もあるようですが、何のことはない、要するに話題になったもん勝ちなんですよね。それが炎上だろうが何だろうが、SNSで頻繁に取り上げられるようになれば、集客そのものは大成功間違いなしってことです。

 

 けれども、ブームが去った後はどうするのでしょうか。それも見越した価格設定をするとなれば、近年の流行は短命化してきたので、資金回収を急ぐなら高価にならざるを得ません。かといって、SNSの主役である若い子たちが手を出しにくい価格になれば、話題にのぼる可能性も乏しくなります。このあたりの採算判断が実は最も難しいところじゃないかな。

 

 いずれにしても、数年間をビデオの早回しで見たとすれば、局所的に人が集まり始めて、みるみるうちに増加したと思えば、しばらくすると別の場所に向けて一斉にいなくなる。これって、イナゴの大群に似ていますよね。

 

 アフリカなどの大陸に突如として大発生し、草という草を食い尽くして地面を丸裸にしたら、次の場所を目指して大移動する。このため数年は食糧生産ができなくなり、飢饉になることもあったそうです。

 

 調べてみて初めて知ったのですが、普通のイナゴはそんな大災害をもたらすことはないそうです。トノサマバッタなどが「相変異」して大量発生することが、蝗害(こうがい)と呼ばれる現象を引き起こすとされています。「相変異」はボクもまだちゃんと理解していませんが、「個体群密度」の関係で一斉に変化するらしい。何かの理由でバッタが大発生して幼虫が過密な環境で育つと、尋常ではない形態変化を起こすと考えればいいのかな。たとえば翅が長くなる一方で足が短くなり、頭とアゴが大きくなるだけでなく、それまでは食べなかった植物までエサにするようになる。そして、普通の種は互いに離れようとするのに対して、近づき合ってやたらに群れることが顕著な特長なんですよね。

 

 人間だって狭い地球上に75億人もいて、1年で7000万人ずつ増えていますから、バッタと同じように「相変異」しつつあると考えてもヘンではないでしょう。翅はなく、2本足で姿カタチは太古からまったく同じとしても、手にはスマホがあり、クルマなどの高速移動手段を私有しています。それによって、美味しい場所に先を争って大移動し、消費し尽くしたら一斉に次の場所を目指す。ホラね、誰かの行動をみんなが真似して追っかけるというのは、まさにイナゴと大差ないじゃないですか。人類全体が「相変異」によって完璧にイナゴ化する日は、そんなに遠くないような気がする。これって、宇宙人の眼から見たら生物学的なホラーといってもいいんじゃないかな。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと

笠木恵司のブログ

 

 

 

2018年11月 6日 (火)

換骨奪胎

 

 捉え方で意見は180度違ってくると思いますが、日本人は歴史的に物真似が上手ですよね。しかも、みごとに換骨奪胎することで、特有の文化として定着させてきました。

 

 はい、例のハロウィーン騒動であります。そもそもの背景や意図や目的なんかそっちのけで、仮装だけがどんどん増殖。しかも、どうして渋谷かという理由もまるきり不明のままに11月の風物詩になろうとしています。ほんの5~6年前には「ハロウィーンって何?」という人(ボクです)も少なくなかったのに、渋谷のバカ騒ぎはマスコミ報道によって全国に波及。わざわざこの日のために上京してくる若者も珍しくないようです。

 

 それをやみくもに批判するようになったらジジーになった証拠だけど、いかに日本流に加工しようが、もともとが「模倣」であることに哀しさや寂しさを感じないのかなぁ。「ラップ」もアメリカの下層階級が路上の音楽として生み出したものですが、あたかも昔からあったかのように日本語で歌われるようになりました。ボクはそれを聴くたびに、日本語がケガされるように感じて気分が悪くなり、耳を覆いたくなるんですけどね。

 

 そんなことを言ったら、バレンタインデーもクリスマスも結婚式も、ボクたちが着ている洋服でさえ欧米のパクリではあります。今では英語まで公用語になりつつあるので、「模倣」の何が悪いと反発されるかもしれない。

 

 オリジナルをゼロから創造するのは大変に困難であり、それが広く認められるにはもっと大変な忍耐と労力が必要になるので、ビジネスとしては二番煎じのほうが楽でトクに決まっています。市場競争は賑やかなほうが消費者の利益になりますが、ボクが憎むのは、それを恥ずかしいとはいささかも感じていないってことです。先頃は中国の「無印良品」が日本の本家を訴えて主張が認められるという驚天動地の判決が出たようですが、底知れない図々しさは大陸流で大違いといえども、真似て恥じないメンタリティはあまり変わらんとボクは思うんだけどなぁ。

 

 そうした「模倣」に慣れてしまうと、独創的な発想はむしろハイリスクとして排除されるようになります。だから、オブジーボも実用化まで右往左往。海外の企業に譲渡される寸前に日本の製薬会社が渋々引き受けたらしい。

 仮装して大騒ぎすることに文句はありません。若者は勉強と同時に騒ぐのが仕事でもあります。大昔は全共闘なんていうのがあって、新宿の地下道や横須賀などでいろいろやっていました。けれども、どんなに変質しようが、もともとは欧米の習慣のパクリから始まったことを少しは恥じてほしいなぁ。含羞こそが優れた知性の証であると、オッサンは思うのであります。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

2018年11月 5日 (月)

監視社会(後)

 

 ずいぶん前のことなので、時の経過にちょっと驚きましたが、米軍の施設で「象の檻」が話題になったことがあります。通信を傍受するためのアンテナが大きな檻のようになっていることから、そう呼ばれたのですが、敵国の動向だけでなく、民間の通信までチェックしていることが大問題になりました。つまり、プライバシーの侵害、もっと言えば人権侵害の疑いがあるわけですね。

 

 ところが、米国では2001年9月11日に発生した同時多発テロのおかげで、同年10月26日に「愛国者法USA Patriot Act」が発効。アメリカに対するテロの疑いがあると判断された事件では、私権の侵害もやむを得ないと法的に認められたのです。確か犯罪者の取り調べも、弁護士の立ち会い抜きで可能になったんじゃないかな。悲惨なことに、日本では昔からそうですけどね。

 

 それだけでなく、あちこちに膨大な数の監視カメラが設置され、肖像権もへったくれもなく、どんどん撮影・記録されるようになりました。事件の犯人特定や犯罪予防に役立つのも事実ですが、ボクのようにブサイクなあまりに写真なんて嫌いだぁという人でも、おそらく結構な量の画像データが蓄積されているはずです。

 

 さらには、インターネットの電子メールやSNSなどの傍受もやっているに違いありません。そして、アメリカがそうなら、同国をおよそ10年遅れで追いかけてきた日本も、似たようなことをしているに違いないと見当をつけることができます。

 

 そもそも電子メールは電話や電報とは大違いで、街角に立って大声で会話しているようなものだといわれます。だからボクは、他人の中傷誹謗や悪口や批判を一切書いたことがありません。反社会的な予備軍はもちろんとして、普通の人も常に監視されていると意識したほうがいいんじゃないかな。

 

 さらに、前回も書いたように、国民が同じ国民を監視するようになることがホントに怖いことなのです。

 

 太平洋戦争の頃には、大政翼賛会の末端組織となった町内会に「隣組」という制度があったそうです。江戸時代の「五人組」を継承したもので、民間も力を合わせて戦争を支援するために、銃後の思想統制や相互監視の役割を担っていたとされています。たとえばジャズを英語で口ずさめば「敵国の言葉だ音楽じゃないか」とか、ビアノを弾けば「この非常時に」などと非難されたわけです。それだけならまだしも、「あそこの家の息子はアカらしい」なんて、共産党員の密告や摘発も積極的に協力していました。

 

 そんなプライベートな情報は隣近所でしか分からないので「隣組」だったのですが、今や時間・空間を問わないインターネットの時代ですからね。実際に、某ジャーナリストが中東で3年以上に及ぶ拘束から解放されると、「自己責任」という声が嵐のように渦巻きました。ジャーナリストが現場でどんな活動をしているのか知らなくても、その社会的な意義についてまるで無知であっても、感想だけは誰でもアップできるのです。

 

 個人がパブリックに、あるいはSNSで意見を表明できること自体は決して悪いことではありません。ボクはかつて「草の根民主主義」として評価したくらいです。しかしながら、近年の傾向は「炎上」という言葉が象徴するように、袋叩き的な糾弾も目立ちます。もしかすると、トントントンカラリの「隣組」も、すでにSNSに引っ越したのではないかと思うくらいです。

 

 テクノロジーは決して後戻りすることなく、一方的に進化してきましたが、人間性やメンタリティなんてほとんど変わっていません。時には後退することだって珍しくはないでしょう。2000年以上も前に書かれた『論語』は現代でも十分に通用します。だったら、日本の戦前戦中の「隣組」が非制度的で無意識なカタチで復活することもあり得るのではないでしょうか。

 

 願わくば、そんな息苦しい社会になりませんように、とひたすら願うだけなのが悲しい。これが考え過ぎなら何よりなんですけどね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

2018年11月 2日 (金)

監視社会 (前)

 

 ボクは一人っ子で、小学校の頃から父親の身勝手な転職による引っ越しを繰り返しているうちに、どんどん変人化すると同時に、アウトサイダー的な感覚が強くなりました。生まれた時から継続的に所属しているコミュニティがなく、親戚も極端に少なかったので、つまりは身近な利害関係者が乏しいことから、いつも状況を外側から判断するようになったということです。

 

 そんなボクにとって、近頃ひどく気持ち悪いなぁと感じるのが、スマホなど情報機器の発達による「見える化」です。この言葉は別の意味で使われている経営用語ですが、これまでは知ることができなかった個人情報がどんどん可視化しつつあります。有名人でもないのに、ネットで個人データを検索・収集できるようになっただけでなく、どこの誰がやっているかは知りませんが、「位置情報を知らせてもいいですか」などと問いかけるサイトもあるじゃないですか。ボクはどんなことにも「拒否」のボタンを押してきましたが、今後はそんな奴には閲覧させないなんてことに発展しそうな予感もします。

 

 コンビニでモノを買えば、カードでポイントを貰えるかわりに、詳細な購買履歴が記録されます。今は「ビッグデータ」などとオシャレな言い方をしていますが、その履歴をクレジットカードの氏名・年齢・住所などと紐付けすれば、簡単に個人の生活全体を見透かすこともできるではありませんか。

 

 かくて、これまでは「不特定多数」とまとめられていた群衆が、次第に「特定多数」になりつつあるわけです。それによって何が可能になってくるのでしょうか。ズバリ言えば「監視」なんですよね。それも、情報社会の頂点に君臨する“ビッグ・ブラザー”だけでなく、みんながみんなをチェックする「相互監視社会」になっていくのが怖いのです。

 

 すでに、ツイッターなどの発言が簡単に「炎上」するようになっており、そうした圧倒的な世論に対抗できる人はそんなにいるものではありません。学校の教室と同じイジメが、SNSなどのネット社会でもどんどん発生するようになり、そうした状態を意識すればするほど、発言も行動も同質化せざるを得ないじゃないですか。

 

 もともと日本は同調圧力が極めて強く、ボクは幸いに無神経だったので天の邪鬼を通すことができましたが、これからはそうはいかないでしょう。タレントでも歌手でも、すでに才能だけで好き嫌いが語られる時代ではなく、性格や個性も「良い子」でないと支持されないようになっています。たとえば歌手なら歌さえ上手であれば私生活なんて余計なオマケだとボクは思っていますが、もはやそんなのは少数派といっていい。「会いに行けるアイドル」のおかげで、エンジェルは天界から地上に墜ちてしまったのです。

 

 そんな状況に無理なく順応できる人は気づかないでしょうが、日本全体が学校の教室のようになりつつあるように思うのです。長くなったので、このテーマは来週も続けます。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

 

2018年9月13日 (木)

またまた断念

 

 どうもね、ドコモのガラケーは電波をケチり始めたのではないかと疑っております。すいません、文系なので、それ以外にうまく説明できないのが悔しいのですが、Iモードの動きが急にダルくなり、特に頻繁に愛用しているリモートメールの接続に時間かかり過ぎなんですよね。長くなり過ぎて「接続できませんでした」という表示もしばしば。以前はそんなことなかったし、スマホ全盛のいま時、ガラケー愛用者が急増して電波利用者が混み合っているなんてこともあり得ないじゃないですか。

 

 あくまでも憶測ですが、Iモードはもはやドコモのお荷物になっているんじゃないかな。ガラケーも補修用部品の生産がとっくに終了しているので、Iモードの電波設備も段階的に整理し始めているような気がします。経営的にも、スマホに一本化したほうがコストダウンできますからね。

 

 というわけで仕方なく、再びスマホを探すことにしたのですが、ボクの望むスペックがまったく見当たらないのです。条件はできるだけ軽く、極力薄いこと。ところが、ゲームをやりたい人には画面はデカいほうがいいらしい。そんなわけで、ボクのような選択をする人は極端なマイノリティらしく、販売店の店員も当惑しておりました。

 

 どうせ彼らの多くはたまたま野菜でなくクルマでもなくスマホを売っているだけですから、ファッションと同じでロクな知識もないだろうと、ネットで調べましたよ。軽量薄型がないわけではなく、重量60グラムなんていう、それでホントにスマホかと疑わせるモデルも発売されているのです。ただし、中国製。うーん、ちょっとね。それで検索要件をドコモに絞ってみたら、やはり100グラムというのがあったのです。

 

 それで再び販売店に行ったら、「うちにはないですねぇ」。「だったら最軽量のモデルはどれ?」と聞くと、シニア向けの「らくらくホン」と言う。それでも重量は130グラム。サイズも小さくない。即座にNGです。やっぱね、頼りにならなねぇなと、事務所に戻って調べ直したら、ななななな何と、ボクが見つけた軽量モデルは2011年の発売で、オマケに今は生産中止だってさ。そんなもん販売店にあるわけがない。

 

 どうやら7~8年前はボクのようなコンパクト志向が少なからずあったらしく、その要望にソニーが応えたようですが、あんまり売れなかったみたい。行きつけのラーメン店もうどん店も潰れるし、「これだ!」とネットで見つけたスマホも廃版かぁ。ボク自身もトレンドオフなのでしょうか。

 

 再度、再度みなさんに問いますが、あんなにもデカいスマホをスーツのポケットに入れて、型崩れしませんかね。明らかにスマホと分かる四角い膨らみが胸のあたりから突き出ていても平気ですか。ズボンのポケットに入れたとしても重ったるく感じませんか。ボクにはとても耐えられないんだよな。カバンの中に入れるという方法もあるでしょうが、ボクはスーツを着用する時は手ぶらを原則としているのです。

 

 というわけで、今の100グラムの小型ガラケーですら、外出時には持てあますくらいなので、やっぱ当分はスマホなんか買わないぞと、改めて決心した次第なのであります。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

2018年8月31日 (金)

感情の引き算

 

 人に好かれたいモテたいなんていうスケベ心は大昔からありませんが、ある年齢を経たら、感情も「引き算」しなきゃいけないと考えるようになりました。

 

 感情というのは「好き嫌い」が象徴的でありまして、仮に思っていてもあからさまに顔に出す人は社会生活が困難になっていきます。人間の感情はミラー効果というのがあって、誰かから「こいつイヤなヤツだな」という電波を感じると、「オレだってお前なんか嫌いだ」と反応するのが普通です。だったら「好き」も伝染すればいいのに、必ずしもそうならないのが不思議ですが、少なくとも嫌われることはあまりないはずです。

 

 こうした感情がいけないというわけでは決してなく、鋭敏な好き嫌いは深い想像力や豊かな創造力につながります。「好きでもないけど嫌いでもない」という中途半端な感情は、実のところ何の役にも立たないといっていい。むしろ積極的な好悪の感情が文化・文明を発展させてきたといえるんじゃないかな。たとえば暑いのが死ぬほど嫌いな人が、扇風機では飽き足らなくなって冷房装置を発明するわけです。実際には潜水艦の兵器庫を冷却することが始まりだったらしいですけどね。少なくとも「心頭滅却すれば火もまた涼し」と澄まし顔で座禅している人が、エアコンを作ろうなんて思いもしないはずです。

 

 かの万能の天才レオナルド・ダ・ヴィンチも、本人は怒りっぽくて、何かにつけて不平不満だらけの人だったんじゃないかな。さもなければ、モナリザなんかの名画を描いた上に、飛行機やヘリコプターの原型も考案するなんていう八面六臂の活躍は無理でしょう。

 

 というわけで、優れた才能を持つ人なら、盛大な好き嫌いは人類全体に貢献する結果と引き換えにして、むしろ許されると思うのです。しかしながら、そんな天分を持つ人はひと握りですよね。

 

 だから、ボクたちも若いうちは感性を大いなるバネにして自らの才能を積極的に試すべきです。でも、ある年齢を経て自分を凡人であると認識したら、その感情を「引き算」していかなきゃいけない。このブログで持ち物を「引き算」していく必要性を何度も指摘してきましたが、感情も例外ではありません。特に好き嫌いは自分自身の負担になるだけでなく、前述したミラー効果で他人に伝染していくからです。

 

 そこで、今回の体操選手をめぐるパワハラ騒動を見直してみると、18歳の若い女性選手の指摘に対して、功なり名を遂げたシニアの権力者が「全部ウソ」と正面から反論するのは、あまりにも大人げのない最悪の対応というほかありません。もしも仮に狂信に基づいた妄想であっても、そうした反発によって、彼女はますます硬化していくでしょう。同じ土俵に上がって同じように対立するのでなく、異論反論もやさしく受け止めるフトコロの深さが権力者や指導者に求められている本質だと思うのです。日頃そうしていれば、あんな記者会見に発展することもないと思うんだけどなぁ。

 

 権力を持つ人は、天才と同じように周囲が感情の発露を許してしまう環境になりがちです。だからこそ逆に、好き嫌いの「引き算」を自ら強く意識しないと簡単にワンマンになり、ひいては裸の王様になってしまう。近頃はそうしたケースが頻発していますよね。

 

 かくいうボクがそうではないとは言いません。何しろ大昔から食べ物以外の好き嫌いが激しく、おかげでボクを好ましく思わない人も少なくないと思います。それによる幾多の悲しい経験や深刻な悩みを重ねた結果として、感情を「引き算」していく必要性を発見したのであります。もちろんまだまだ思うようにはできていませんが、そうでもしなれば他人の心にもイヤな渦を作ることになってしまう。冒頭で述べたように、今さらみんなに好かれたいなんていう大それた野望はありませんが、迷惑をかけることからそろそろ卒業しなきゃね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

人気ブログランキングへ

 

 

 

 

2018年6月29日 (金)

男はゲーム、女はLINE

 

 電車で移動する際には、乗客を観察するようにしています。服装や態度などを通して、いろいろと発見があるんですよね。

 

 それなりのブランドバッグからオニギリを取り出して頬張りながら、缶コーヒーをゴクゴクと音をたてて飲む若い女性を見た時は仰天しました。新宿から箱根に行く電車ではなくて、都心を走る地下鉄ですよ。車内で化粧はもはや普通としても、オニギリをムシャムシャはないだろうとボクは思いますが、そうした常識がない世代も確実に存在していることが分かるわけです。ルールや法律でなくマナーの問題ですから、家庭や個人によって温度差があっても仕方がありません。たとえば原宿で歩きながらクレープという感覚と同じかもしれない。そんなことを考えるのが、退屈しのぎになるわけです。

 

 近年の傾向は何といってもスマホです。時間帯にもよるでしょうが、立っていようが座っているにしても、乗客の6~7割はスマホの画面をくいいるように見ています。ボクは今でもガラケーにこだわる時代遅れなので、いったい何をしているんだろうと、失礼ながら横や背後から、覗くともなく見ることを続けているうちに、ある傾向が分かってきました。

 

 男の場合は年齢を問わずたいていがゲーム、女性はLINEが目立つのです。どちらも指を動かしていますが、やっていることは全然違う。パソコンのゲームはボクも一時期ハマりましたが、その時は熱中できても何も残らないことを実感できました。よほど通勤が苦痛なのか、そんなゲームに没頭している男に対して、女性はいつも誰かと短文で会話を続けている。面白いですよね。

 

 以前に「女性はネットワーク型」と指摘しました。これは筋力などフィジカルな面が一般的に男より劣るので、「情報」で自分を守るように発達してきた結果ではないかとボクは考えています。太古の社会環境では獲物を狩ることが最重要でしたから、「女はオシャベリだよな」で済ませることができたのですが、現代はそうはいかない。身体能力が問われる仕事なんてほとんどないかわりに、テクノロジーの飛躍的な発達によって、社会が高度に情報化してきたからです。

 

 にもかかわらず、男は1人で狩猟に出かけるような気分でゲームばっかりやっている。その隣の女性は「部長、ヅ●だってよ」「え! ていうか、やっぱ?」「昨日は風強かったから」「あー、それでね」みたいな会話をネット経由でやっているんじゃないかなぁ。くだらないように思えても、これもまた立派な情報交流ではあります。そうした情報で日々“武装”する女性に対して、男は今でもゲームかよ、と。おそらく日本でもアメリカのように“me too”的な告発が続くんじゃないかな。

 

 予言しておきますが、このような理由から、いわゆる男性優位社会は早晩崩壊することは間違いないと思います。その時に備えて男は何をしたらいいか。少なくともゲームではないだろうと思いますけどね。

 

ランキングに参加しています。お気に召したら、ポチッと↓

笠木恵司のブログ

 

 

 

 

 

より以前の記事一覧

*禁・無断転載

  • このブログ内に掲載されているすべての文章、画像の無断転載、転用を禁止します。他のウェブサイトなどへの転載を希望する場合は、必ず著者へご一報ください。
2019年8月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

Amazonウィジェット

無料ブログはココログ