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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

社会・世相

2018年1月 5日 (金)

彼女・彼氏がいない!?

 

 ある取材の時に、衝撃的なデータを紹介されました。未婚者のうち男性の約7割、女性も約6割が彼氏・彼女がいないというのです。さらに、そのうち男女とも約3割は交際相手を持ちたいとも思っていないらしい。

 

 これは国立社会保障・人口問題研究所が2015年6月に実施した「第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」の結果で、厳密には1834歳までの平均なのですが、交際相手を持たない人の比率が年々高まっていることにも驚かされます。

 もっと細かく紹介すると、未婚男性の場合、2024歳で67.5%、2529歳で68.4%、3034歳で68.7%。女性では同じく55.3%、58.1%、3034歳になると急増して64.8%。適齢期から外れているか、既婚とみなされて敬遠されやすいからでしょうか。

 男性の平均比率がこれらの年代を超えた7割になっているのは、1819歳の層が引き上げているからです。大学入試の前後だけに、恋人なんか作らないで真面目に受験勉強に取り組んでいるということになるのかな。

 

 当然のことながら性経験のない未婚者も増加しており、たとえば2529歳の男女ともに約3割。こちらも1834歳までの全世代で前回(第14回、2010年)よりも増加しています。

 

 若者男性の「草食化」がいわれたのはずっと昔のような気がしますが、ここまで事態が進行しているとは予想もつきませんでした。男性が交際相手を作ろうとしなければ、彼氏のいない女性だって増加しますからね。

 ボクは基本的に人間なんてそんなに変わるはずがないということを信念としてきたので、このデータは大変にショックです。未婚男性が10人いたら、そのうち7人は恋人がいないなんて、相当に不自然な社会だと思いませんか。特に20代といえば、下世話にいえば「やりたい盛り」であるはずなのに、交際相手を望まない男女が3割なんて、とてもじゃないけど信じられません。

 

 SNSの普及で、交際にともなうトラブルがバレやすくなったので、濃密な恋人関係を怖れるようになったと分析する識者もいるようですが、だからといって孤独な「お一人様」がそんなにいいかなぁ。ボクには人間の本能を社会環境が抑え込んでいるとしか思えないのです。特にSNSなんて、このブログでいつも批判してきた「横並び」と「同調圧力」を促進するだけじゃないかな。

 だってさ、みんながホントに恋人なしで満足しているなら、恋愛をテーマとしたテレビや映画がヒットするはずがない。もちろん、カップルとしてのつきあい方は時代によって大きく変わって当然ですが、交際相手やパートナーを求める孤独な心境は、どんな人間にも共通しているんじゃないかな。ボクみたいなオッサンになると、面倒くせぇなぁと痛感することしばしばですけどね。

 

 だからさ、若いうちはもっとバカになって、情熱に突き動かされなきゃいけません。それで恥をかくなんて昔は普通にあったことなのにね。この話題はもうちょっと深く考えないといけないので、結論は据え置きとさせていただきます。ただし、欧米では交際相手のいない独身者を近親者や友人・知人たちが心配するのが常識的です。それで適当な相手を見つけてきて引き合わせたりする。そういう「お節介」、つまり世代を超えた社会的な関係性が日本では希薄になってきたことも大きな要因のような気がしてなりません。

 

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2017年12月18日 (月)

なぜ「大家族」は分裂したか

 

 長寿化そのものは歓迎すべきことですが、そこそこに健康で認知症に至ってないことが必須条件であり、もしも要介護状態になった場合は、子供たちにとって大きな負担となります。今さらここで触れるまでもなく、「介護離職」によって親子ともども貧困に追い込まれることも珍しくありません。

 

 さらに、男女ともに平均年齢が80歳を越えた今では「老老介護」も常識ですが、定年退職後に支給される年金がね、まるで足りないわけです。そうした社会状況に追い打ちをかけるように、少子化というボディブローが効いており、運送や小売り、ファストフードなどのサービス業は人手不足がますます深刻になっていくはずです。かといって遅ればせながら子供を作るにしても、待機児童の問題がこれだけ喧伝されれば、不安だから取りあえずやめておくかとなりますよね。

 

 これらをまとめると、要するに「幼児」と「老人介護」または年金を原資とする「老後の生活」が、日本が抱える大きな問題ということになります。でもってこれを支援する制度が、行政または政治の業界では「社会保障」となるわけです。

 

 この「社会保障」の問題は、財源も含めて国会では何度も論議されてきたことで、つい最近に発生したことではありません。人口ピラミッドを見れば、少子高齢化なんて何十年も前から予見できたはずですよね。実際に介護保険は1997年の国会で制定され、2000年から施行されています。しかしながら、何度も改正されていることから分かるように、決して十分とは言えません。だからこそ「介護離職」があり得るわけで、年金も不十分なら、子育ても妻の負担が大きい。この国は戦前も戦後も、税金を搾り取れる元気で健康な労働者は大切にしても、その税金を支出しなければならない人生の始まりと終わりについて極めて冷淡なんですよね。相当なケチンボでシブチンなのであります。

 

 うあぉお、事実を並べているうちに深刻な社会問題にぶちあたってしまいましたが、ボクにはそれを解決する決定的なアイデアがあるのです。

 

 実にまったく簡単なことで、親から孫までの3世代以上の親族が同居する「大家族」制度に戻ればいいのです。痴呆の程度にもよるでしょうが、年老いた祖父母の面倒を孫も一緒に見るとか、逆に子育てを祖父母が手伝うことができれば、保育所にいれる必要もなくなります。そのかわりに老後の生活費は子供や孫世代も補助する。それなら年金への依存度も劇的に減少します。

 

 そもそも大家族制度が常識だった戦前は、年金もなければ介護保険もなかったんですよね。そんな社会保障が必要になってきたのは、高度成長期の「集団就職」以降です。これが地方の農家の若い人たちを工場勤務に駆り立て、工業地帯の近辺の都市を膨張させるとともに、親世代から隔絶された「核家族」を拡大再生産していきました。

 

 単純に考えるだけでも、大家族であれば、家も冷蔵庫も洗濯機も風呂も1つあれば十分です。ところが、世帯が2つに分離していれば、それぞれ2つが必要となるじゃないですか。不動産屋と家電メーカーにとっては喜ばしいことでも、1家族あたりの出費はそれだけ増加します。親の面倒を必ずしも子供が見るとは限らないにしても、誰かが老後や子育ての手助けをしてくれるとしたら、何かと安心というだけでなく、それぞれの家計支出の削減にも直結するではありませんか。

 

 要するに、若者人口の都市集中による「核家族」で経済と大企業は発展したけれども、それまで大家族制度が担っていたもろもろを、行政による社会保障では満足に代替できないということなのです。やたらに法律や予算をツギハギするばっかりで、待機児童なんて2000年頃から問題化していたのに、今でも「保育園落ちた日本死ね」ですぜ。

 

 ボクは、だったらもう1度「大家族」みたいな相互扶助が可能な生活制度を作ったほうがいいと考えています。シェアハウスがある時代なのですから、親族でなくても似たような生活スタイルを作ることは可能ではないでしょうか。

 ただし、その前に、いったい何がこうまで無惨に「大家族」を壊したのか、原因と犯人を正確につきとめておく必要があります。泥棒に留守番や警備を頼むバカはいないように、予め犯人を捕らえて排除しておかないと、似たような失敗を重ねることになりますからね。

 

 どうして「大家族」が「核家族」に分裂してしまったのか。もう1つの「核」問題も含めて、戦後70年の功罪をそろそろ厳しく総括すべきだろうというのが、実はこのブログの趣旨なのであります。

 しかしながら、太平洋戦争に踏み切った責任が曖昧に雲散霧消してしまったように、これもまた行政の責任なんて追求できないでしょうね。やれやれ、これでも一人前の民主主義国家なのかなぁ。たまにね、心底から絶望することがあるのです。

 

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2017年11月13日 (月)

こんなにも多くの……

 

 連続殺人のことを英語でSerial murderと言います。かの有名なイギリスの切り裂きジャックなど、いわゆるサイコパスは古今東西で出没するので、今回の座間の事件もまたかよと呆れるほかありません。

 

 ある一定の割合でそうした人格や性癖が形成されるのかも知れませんが、そんな難しいことは専門家に任せるとして、ボクたちがもっと驚くべきことがありますよね。第一に、若い人たちの自殺志願者がこんなにも多いということです。ボクのようなオッサン世代でも電車に飛び込むケースがまだまだあって、そのたびに公共交通が大混乱して迷惑を被っていますが、SNSという見えない世界で「死にたい、この世からいなくなりたい」と叫ぶ若者たちが増えているというのはどういうことでしょうか。

 

 厚生労働省による「平成29年版自殺対策白書」によれば、実際に自殺に至るケースは減少傾向にありますが、それでも15歳~34歳の死亡原因では自殺が第一位。こんな深刻なデータは先進国では日本だけのようです。15歳~19歳に限れば死亡者の3割以上を占めていますからね。結果だけでもこれなので、潜在的な自殺予備軍は相当な数にのぼると考えるのが普通ではないでしょうか。

 

 次に、自殺可能性を高めると想定される家出ですが、警察庁の最新データによれば、2016年に行方不明とされたのは全体で8万4850人にのぼります。12年に比べれば減ってはいるものの、年齢別では10歳代が最も多く、うち2割を占めるのですから、タダ事ではありません。こちらも表面化しない潜在的な家出志願者は相当数になるんじゃないかな。

 

 つまり、座間の事件の背景には、多数の自殺志願者と家出=行方不明者がいるということです。渋谷のセンター街に関東周辺からの家出少女が目立つと報道されたのはいつのことかな。この時に、警察に届け出ることもなく、放置していた親が多いことに驚きました。中高生が一泊だけにしても、どこにいるか分からないという状態は、いくらスマホが普及しても異常と考えるべきですよね。

 

 様々な事情があるはずなので、一概に親のせいにするのは気の毒ですが、子供の勝手気ままを許すことにはちょっと問題があるだろうと思います。「わーいアタシはオレは自由だぜい!」なんてことは本音ではあまり思わないんじゃないかな。束縛を嫌うように見えても、親が常に自分を気にかけてくれるということが愛情の再確認につながるからです。

 

 ここからはボクの仮説ですけど、自殺志願も家出も、彼らの自己評価が低すぎることに原因があるような気がします。自分は学校(職場)で好かれていないらしい→親からも大切に思われていないようだ→他人に比べて自分のデキが悪いからだろう→だったらこの世からいなくなったほうがいい。こんな思考回路で、自分を棄てるような方向に走っていくのではないでしょうか。

 

 これね、実はボクも経験があるのです。小学校3年頃に、実の父親から「お前は豚目だなぁ」ですからね。父親は二重で、ウソかホントか「オレは目千両と評判だった」なんてことを無神経に自慢されたら、息子は相当に傷つきます。その心ない言葉がトラウマとなって、ボクは自分の顔が大嫌いになったのですが、幸いに男というジェンダーに属していたので、イケメンでないならその他の方面で頑張ってカバーしようとしてきました。

 

 まさか娘にそんな残酷なことは言わないと思いますが、「お前は豚目だなぁ」みたいなことをしみじみ言われたら、生きていく気力を喪失しますよね。

 

 これはあくまでも卑近な例ですけど、学校の成績や教室での人気なども含めて、似たようなことを繰り返しながら自己評価がどんどん低くなれば、「自分なんてどうだっていい」となるじゃないですか。

 

 ということは、そうした若者たちが自分に自信を持ち、正しく自尊心を持てるような体験や環境があれば、少しは自殺志願や家出が減るという理屈になります。ウェブで自殺幇助のサイトがあるなら、逆に生きている人間にはすべて生きている理由と価値があるのだと感じさせるHPがあってもいい。それ以前に、誰かを好きになって、その誰かをどうにかしてハッピーにしてあげたいと願う習慣を付けた方がいいですよね。

 

 人間が生きている価値を突きつめれば、学力や人気なんぞではなく、人を愛することができるってことです。これは意識すれば誰にだってできます。その結果として、できれば子供を作って次世代に遺伝子を継承する。人間にとって、それ以外に大事なことがあるでしょうか。

 

 ボクのようなオッサンになると何かといろいろ障害があるのですが、そうした恋愛を謳歌できるのが若い男女なのですから、もっと自分を大切にしようよ、となるわけです。この理屈、ヘンですかねぇ。

 

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2017年11月 9日 (木)

可哀想とは何か

 

 犬の福助がめっきり老け込み、昔は飛び跳ねるように動いていたのに、近頃は水を飲みに行くにも右に左にヨタヨタと歩いております。

 

 今年で15歳というのは、昔の常識では考えられないほどの長寿であり、衛生環境が飛躍的に向上した賜といえるのですが、見ていると不憫でもあるんですよね。エサの食いつきも近頃はすごく悪くて、かつては秒速で完食していたのに、今では残したりします。そんな時に、何を考えているのか、黒いビー玉のような瞳でボクの顔をじっと凝視するんですよね。

 

 そんな時に哀れを感じる、つまり可哀想だと思ってしまうのですが、どうやら犬のほうは自己憐憫という感情はまったくないようです。ヘルニアで下肢が動かなくなった犬が特注の車輪を付けているのを見たことがありますが、「わーい、これで自由に動けるぞ」といわんばかりに走り回っていました。それがないからといって、自分の不幸を嘆き悲しんですっかりふさぎ込むというのも見たことがありません。足が動かない。そうか、仕方ないか。みたいなね。

 

 そうすると、ボクたちが犬や他人、あるいは自分に対して「可哀想」と思う感情って、いったい何なのでしょうか。英語でも哀れみや同情を表すPityという言葉があるので、おそらくこれは人類共通だと思います。ボクは読んだことはありませんが、夏目漱石は小説『三四郎』の中で、a pity is akin to loveを「可哀想だた惚れたってことよ」と訳しています。

 たとえば放蕩者の父親を持つ美しい娘が、借金のカタとして郭に売られるなんていうシチュエーションは、確かにそうかもしれません。惚れてなきゃ可哀想なんて感情は起きないですからね。しかしながら、犬や猫を可哀想と思ったからといって、惚れるという感情とは大分開きがあるような気がします。

 

 あくまでもボクの仮説ですが、これは人間だけが持ち得る他者共感能力=シンパシーの一種ではないでしょうか。大昔の厳しい自然環境では、人間が孤立したらすぐに捕食されるか飢え死にしてしまいます。つまり、お互いに協力してお互いを守り合うことが生存に必要な絶対条件だったのではないでしょうか。

 そうするためには、他者のことをあたかも自分のように感じなければいけません。隣の男がクギを踏み抜いて「痛い!」と叫んだら、自分も神経を突き刺されたような気がして「こりゃ大変だ!」と助けようとする。そうした感情から「可哀想」が派生してきたのではないかな。

 

 ところが、文化・文明の発達によって天敵となる捕食者がどんどん駆逐され、人間が食物連鎖の頂点を極めるようになってから、そうした本能を欠いた人間も生まれるようになったようです。だからこそ犬や猫を何匹も殺して平気な無慈悲な奴もいるわけです。こういう人は、akin to loveに至るa pityという感情がそもそもないと考えられるので、人を愛することができない。愛される喜びも分からない。ああ、何という恐ろしい孤独でしょうか。しかし、彼らはおそらくそれすらも感じないだろうなぁ。

 

 最近になって登場した人類最強の天敵になりそうな人工知能=AIにしても、「可哀想」という感情を持たせるには何百年もかかりそうに思います。よしんばそう感じたとしても、人間のように人を愛してセックスして子供をこしらえるなんてことは金輪際できません。

 

 だからね、カメラが誕生して絵画の意味が写実から大きく変わったように、AIによって、それまでは面倒くさくて仕事の邪魔ですらあった人間的感情が前向きに再定義されるような気がするのです。それを追求できるのは大学の文系学部だけですから、もっとガンバレよと言いたいわけですな。

 

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2017年10月16日 (月)

機械的

 

 先週のブログでは、大企業のデータ偽装が頻発する背景には、不正を見逃すことができない社員たちによる内部告発があるに違いないと書きました。

 その逆に、いつものルーチンに従うことで思考力を完全に失い、まるで機械のように仕事をこなす人もいます。その典型がナチスのアドルフ・アイヒマンで、善も悪も無関係に命令を忠実に遂行。数百万人のユダヤ人を殺戮したんですけどね。

 

 そんな歴史に残るような大げさなことでなくても、ちょっと「気働き」をすれば分かるはずのことを意識できず、新しいことは一切やろうとしない人たちが目につくような気がします。

 たとえばマニュアルが思考力を奪ってしまうことは、人事系のマネジメントでは常識とされています。ちなみにスターバックスは本格コーヒーを提供する高級店で決まり切ったサービスを義務づけるのは顧客に対して失礼という理由から、発足当初からマニュアルを廃止していました。だからといって往年のJALみたいな超丁寧な対応を期待してはいけませんが、ファストフード店のように金太郎飴的な決まり切ったセリフを言わせないという姿勢にいたく感心したことがあります。

 

 MBAもフレームワークばっかり覚えるだけなら、経営マニュアルと同じになってしまうんですけどね。そうしたマニュアルがないにもかかわらず、仕事を自らルーチン化することで無思考に陥ってしまう人もいます。

 

 たとえばタクシーですけど、以前にもブログで紹介しましたが、旅行バッグなどの荷物を客がリアのトランクに入れるのを座席から見ているだけの運転手さんが相変わらず多いようです。ああいう態度は欧米ではほとんど見当たりません。ボクの経験ではゼロですけど、もしかしてということもあるので「ほとんど」としました。

 

 かといって彼らが親切というわけではなく、少なくとも日本より愛想はいいと思いますが、要するに荷物1個でいくらと追加料金が決まっているんですよね。だから運転手さんは外に出て、旅行バッグがいくら重くても載せてくれるわけです。降車する時も同じで、地面にちゃんと置いてくれる。だったらさぁ、日本でも荷物無料はやめて、リアのトランクを使うなら追加料金と決めたほうがいいんじゃないの。外国人観光客が激増している昨今ですから、お尻に根っ子が生えたような態度は先進国として恥ずかしいですよね。大手の経営者たちと国土交通省が談合、じゃなかった話し合えばすぐにでもルールにできることではありませんか。それともお偉い人たちはハイヤーしか乗ったことがないのかな。

 

 このタクシーに関して、もうひとつだけ。ボクはさんざん経験してきましたが、ロクに確認もしないでドアを一気に閉めようとする運転手さんが少なくないのです。ボクは左膝に故障があるので、左脚全体を車内に収めるまでにエンヤコラとちょっとだけ時間がかかります。にもかかわらず、無神経にドアを閉められたらどうなるか。ボクの左脚は無惨にもドアとボディの間に挟まれることになるのです。

 

 冗談でなく、実際にそんな悲劇を体験したことがあるので、「ドアを閉めるのはちょっと待ってね。左脚を入れるのに少し手間がかかるので」と半乗りの段階で予め運転手さんに声をかけるようにしています。けれども、急いでいる時や考えごとをしている時には忘れることもあるじゃないですか。そんな時には、およそ100万%に等しい高確率で、無情にもそそくさとドアが動き始めるのです。こちらもそんな事態は百も承知なので、右足の靴裏でドアの内側を押さえるという器用な格好でプロテクト。それと同時に「ちょっ、ちょっと待ってよ。まだ左脚が残っているんだから」と大声で注意したことが何度あったことか。さもなきゃ左脚を傷つけるだけならまだしも、骨折して寝たきりになっていた可能性だって否定できないですよね。

 

 こんなことは欧米ではまったく経験したことがありません。パーセンテージでも完全にゼロ。だってさ、あちらのタクシーにはそんな装備がそもそもなく、普通のクルマのように客自身が開け閉めするからです。

 

 何だかね、日本のタクシーは親切なんだか不親切なのかよく分かりません。ともかくボクは外出する時には必ず杖をついております。手を挙げて止めようとする姿を見るだけで、普通ではないことが分かるじゃないですか。だから、むしろ運転手さんから「ドア閉めても大丈夫ですか」と言うべきですよ。ところが、そんな経験もほとんどないのです。

 

 別にね、ボクに気を使えってことではなく、似たような故障を持つ高齢の利用者も増加しているはずですから、少なくともドアを閉めるときには一声かけるべきではないかと。おそらく身障者用のタクシーならやっているはずですから、それを普通のタクシーでもやればいいだけのことなのにね。以前に「こんなことをしたら乗客が増えるんじゃないかな」と提案したら、「私も同感なので、お客さんからそれを上のほうに言って貰えますか」と返されたことがあります。

 

 こんなやり方を続けるなら早くAI化したほうが消費者利益になるんじゃないかという仕事は、ほかにも一杯ありそうなんだよなぁ。

 

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2017年10月 6日 (金)

危険な気配

 

 ボクは5年ほど前に煙草をやめたので、直接的な利害関係者ではありませんが、昨日の東京都議会で「子供を受動喫煙から守る条例」が自民党を除く賛成多数で可決してしまいました。

 

 この名称だけなら誰も反対しようがありませんが、来年4月からは子供がいる部屋やクルマの中で喫煙すると条例違反ということになります。ホテルのロビーやレストランなど公共の場所での禁煙は両手を挙げて賛成しますが、プライベートな空間で何をしようがほっといてくれと思いませんか。だからといって幼児や子供のそばで煙草をくゆらせていいというのでは決してなく、そんなもん親や大人が意識して自粛すべき事柄であって、法律が個人の生活にまで立ち入って規制するというのは大きなお世話なのです。

 

 この条例に唯一反対した自民党は、「条例が家庭内まで踏み込むのは『法は家庭に入らず』の原則から納得できない」と発表していますが、これはもう超珍しい久々のアッパレな大正論というほかないのに、なぜだかボクが見た限りでは今朝の電波メディアは完全に無視していました。ローカルでも東京という首都の話題なんですけどね。

 

 受動喫煙が成長期の子供に悪い影響を及ぼすのは疫学的な事実だろうと思います。だったらさぁ、ボクにはイヤというほど経験がありますが、夫婦喧嘩も子供の心にトラウマのような大きなダメージを与えるじゃないですか。煙草がアウトなら、同じ理由から子供の近くでの夫婦喧嘩も条例で禁止しなきゃいかんでしょう。

 さらには、子供を健全な社会人にするために、共産主義や無政府主義なんていう危険な思想を夫婦で話題にするのは禁止せよ、みたいなこともあり得てしまう。どこぞの幼稚園のように教育勅語を暗唱しなさいと義務づけられたら最悪ですよ。夫婦だからといって変態的なことをするのも、子供が誤って覗いてしまうとヘンな大人に育ちかねないので、夜の営みはミショナリーポジションに限るとかね。

 

 今回の条例は罰則が伴わない努力義務とされていますが、いったん法律が制定されてしまえば、これを改正して文言を追加するのは難しいことではありません。「千丈の堤も蟻の一穴から」という名言がありますが、大きなダムも小さな瑕疵から一気に崩壊してしまうのと同じように、この条例を契機として、法律が大津波のように私的空間をどんどん支配していく可能性が生まれたわけです。

 

 ボクは車内のシートベルト義務化ですら反対した根っからの個人主義者のせいか、今回の条例がものすごくヤバイ事態を招きかねないと強く危惧しています。今こそ法律の専門家や関係者が声を上げておかないと、戦前の「治安維持法」のように、自由であるべきアタマの中まで罪と罰が浸潤していくようになりますぜ。

 

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2017年10月 5日 (木)

傲慢

 

 高度情報化時代(もう古いか)の賜なのか、それとも宿痾と言うべきか、人気者や権力者の傲慢や驕りがたちまち逆襲されるようになってきました。

 

 典型的なのは小池さんと希望の党ですが、かつて高視聴率でブイブイ言わせてきたフジテレビも負けず劣らずなんですよね。ボクはとっくに地上波を見限ったので視聴していませんが、とんねるずの石橋貴明が性懲りもなく昔のゲイキャラクターを復活させて猛烈な批判を浴びたようです。社長は即刻謝罪しましたが、それがあまりにも迅速だったので、思慮の気配がまるで感じられないという声もあります。

 文化の最先端にいるはずのテレビ局にもかかわらず、性的少数者の権利を擁護する時代や社会の空気感がまるで読めていないのですから、視聴率が低迷するのも当然といっていいでしょう。

 

 もともとフジテレビは「面白くなきゃテレビじゃない」とか何とかをキャッチフレーズに、お笑いやバラエティで視聴率を稼いできました。けれども、その内容は弱い者いじめの色彩が強く、とんねるずがそれに拍車をかけたといっていいんじゃないかな。批判を浴びたゲイキャラクターも、LGBTに対する人権無視の嘲笑にほかなりません。それでも1980年代あたりまではデフォルメされた化粧や仕種などで笑いを取れたでしょうが、開局記念だか何だか知りませんが、よくもまぁ現代にそんなあくどい芸を再現できたとものだと呆れてしまいます。密室で、限られた人数の上級職たちが、限られた感性に基づいて番組制作を管理しているんじゃないかなぁ。それとも同局ではイエスマンしか上層部になれないのでしょうか。

 

 ボクは他者を笑いのめすことをアタマから否定するわけではありません。問題なのは、その対象が圧倒的に無力な弱者や少数派であるってことです。どうせならテレビ局の幹部とか総理大臣や政治家などの大物や権力者を命がけで笑いの対象にしろよ。これはちっとも無理なことではなく、アメリカでは大昔からの伝統であり、現代でもトランプ大統領を笑いのめす芸能人やコメディアンは少なくありません。それが自由な社会ってものでしょう。あるいは、かつてビートたけしが言った「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といった横並びなら悪徳も辞さない庶民の怯懦とウソくささを暴くとかね。とにかく自分より弱い奴を笑うなんていうのは、無抵抗が予測されるからこそできる姑息で安直なやり方なのです。

 

 一方の小池さんも希望の党の公認問題で、民進党全員を受け入れる気は「さらさらない」という無情な発言で一気に支持率を下げてしまった感があります。彼女の唯我独尊的な体質が、その一言で衣の下の鎧をチラリと垣間見せてしまったといえるんじゃないかな。いずれにしても、希望の党や都民ファーストの会でも離脱者が出ており、それまでの追い風がいささか弱くなってきたことは確かです。

 

 どうやら政界もテレビ局も、ネット時代の本質がまだしっかりと身にしみていないんじゃないかな。つまり結局畢竟要するに、普通の人をなめんなよ、ってことです。昔も今も同じ人類ですからそんなに変わるはずもありませんが、誰でも意見を発信できるSNSなどのメディアを得たことと、情報伝播の速度が自転車からロケット並みに進化したことが最大の違いでしょう。これは両刃の剣でもありまして、実は相当に怖いことなのですが、それについてはまた別の機会にでも。

 

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2017年9月27日 (水)

『それで自由になったのかい』(後)

 

いくらブタ箱の臭いまずい飯がうまくなったところで

それで自由になったのかい

それで自由になったのかよ

 

 1968年に『山谷ブルース』でデビューした岡林信康が1970年3月に発表した2枚目のシングルが『それで自由になったのかい』です。ボブ・ディランに強く影響された、いわゆるモロ出しのプロテストソングでございまして、申し訳ないけど何度も聞きたくなるような叙情は一切ありません。

 

 むしろ、そのシングルB面の『手紙』にボクは感動しました。「私の好きなみつるさんが……」で始まる悲恋を女性の一人称で描いており、差別問題を逃げずに真正面で捉えながらも、切ない心情が胸に迫ってくる素晴らしい歌に仕上がっています。歌詞が自殺した女性の遺書による実話にもとづいていると知れば、さらに目頭が熱くなるはずです。ところがその中に出てくる「部落」という言葉が差別用語だったため、すぐに放送禁止になってしまいました。日本民間放送連盟では1959年に「要注意歌謡曲制度」を内規で取り決めており、これに該当すると判断された楽曲は、A=放送しない、B=旋律(メロディ)は使用可能、C=不適切な表現を修正することで放送可能、ただし著作権者の了承を取ること、という3段階の処置が取られることになっていました。『手紙』はそのうち堂々の最上位A指定。以後はテレビやラジオからこの曲が流れてくることは一切なくなったのです。

 

 日本民間放送連盟は民間の放送事業者を会員とする一般社団法人ですから、法律で定められたわけではなく、自主的な規制に過ぎないはずですが、その支配力は相当に強かったようです。このバカバカしい内規は1983年に廃止されていますが、現在も影響が残っているらしく、指定曲の放送を自粛することが少なくないとされています。

 ちなみに『手紙』で問題となったフレーズは、「部落に生まれたそのことのどこが悪い何が違う」です。放送関係者にもかかわらず、部落という文言だけで放送禁止にしてしまう貧弱な日本語読解能力しかなかったことに驚きを禁じ得ません。そんな反発から、ボクはギターで弾き語りできるくらい好きな歌になりました。

 

 こうした顛末をまるで暗示するかのように、『手紙』のA面に『それで自由になったのかい』があったわけです。

 

そりゃよかったね 

給料が上がったのかい

組合のおかげだね 

上がった給料で何を買う

テレビでいつも言ってるクルマを買うのかい

それで自由になったのかい 

それで自由になれたのかよ

 

 あまりにも歌詞が未加工なナマ過ぎで、粗雑とすら思えるメロディも含めて、楽曲としての完成度は高くありません。それでも熱さだけはあり余るほど感じることができます。その背景として本来は学生運動を論じなきゃいけないところですが、この頃の「自由」というのは今よりもはるかに分かりやすくて、輝きに満ちていたんですよね。ジーサンたちが作り上げた旧体制による社会的な抑圧からの自由ですから、当時は若くて元気だった団塊世代が雄叫びを上げたのは当然といっていい。戦いの相手は目の前にいたのです。

 

 ところが、年老いて彼らもまた体制の一員となってしまえば、あれほど叫んでいた自由があたかも身勝手でワガママな野放図のように感じるわけです。自由に制限なんてあっていいはずがないのに、「自由にもホドがある」とワケの分からないことを言い出したりする。もしも仮に彼らが望んだ自由が実現したとしても、やがて新しい体制という不自由を育んでいったはずです。さもなきゃ社会は維持できませんから。

 

 そうした社会という視認できる外側だけでなく、人間の内側にしても、昨日に指摘したように自らを縛る規制やルールがいろいろあります。これに疑問を感じて破ったとしても、それがまた新しい決め事やプロトコルなんかを生み出していくんですよね。いちいち自分ですべてを判断して決めたり選択するというのは面倒という実利的な理由も見逃せないのですが、人間というのはどうやら自由を希求しながらも、不自由にならざるを得ない生き物らしい。でなければ精神的な安寧を得られないとも言い換えられるでしょう。

 

 そうした矛盾をうまく回避していくためには、ファッションでいえば「モード」のように変わり続けるしかない。簡単にいえば「転がる石に苔は生えない」ってことです。政治も同じで、1966年に始まって70年代後半まで中国全土を巻き込んだ文化大革命は、毛沢東の権力維持のための政治闘争とするのが一般的な解釈ですが、この騒乱がなかったら共産中国はとっくに崩壊していたとボクは思います。そんなわけで、目まぐるしく感じる流行やトレンドにも大きな意味があるわけですね。

 

 それと同じように、ボクたちは絶えず「それで自由になったのかい」と問い続けなければ、せっかく得た自由を再び手放すことになってしまうでしょう。それがよしんば不自由を選ぶ自由だとしても、自分が望んだものを得るための唯一の方法なのです。

 

オレたちが欲しいのは 

ブタ箱の中での

より良い生活なんかじゃないのさ

新しい世界さ 新しいお前さ

 

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2017年9月19日 (火)

触媒型人材

 

 昨今はあまりにもカタカナが多過ぎるので、できるだけ日本語を使おうと考えていたら、こんなにご大層なタイトルになってしまいました。

 

 いえね、近頃は日本経済新聞の連載コラム『私の履歴書』を愛読しております。その前は国務大臣を歴任した某政治家の手前味噌な自慢話に辟易して敬遠していたのですが、筆者が湯川れい子に変わってから現実感のある逸話が続いており、ついつい引き込まれて愛読してきました。その感想を発展させると、「触媒型人材」という大仰なことになってしまうわけですね。

 

 彼女の肩書きは、コラムでは(音楽評論家・作詞家)となっていますが、時代がズレているせいか、ボクにはあまり馴染みのある人ではありません。ただ、このブログで以前に『恋に落ちて』を紹介した時に、作詞が彼女だったことにちょっと驚いた記憶があります。評論家の方面で大御所的な存在だったことくらいは知っていますが、作詞のセンスも並外れていたからです。

 

もしも願いが叶うなら

吐息を白いバラに変えて、

逢えない日には

部屋中に飾りましょう

あなたを想いながら

 

 ネガティブなためいきを白いバラに変えて部屋を飾るなんて、非才凡才のボクにはとてもじゃないけど思いつけません。どんな生き方をしてきた人なのかなと興味が惹かれるではありませんか。

 

 本日で連載は18回目になりますが、まだジャズ評論家としてデビューしたばかりの若き日々が綴られております。それまでに彼女には2人の男が関わってきました。1人は子供の頃から実家の2階に下宿していた許婚者の「進さん」、そして2~3日にせよ駆け落ちまでした「直也」です。この呼び方だけで、彼女が彼らにどんな距離感を持っていたか分かりますよね。「進さん」とは後に離婚しますが、親の言いつけを守って結婚しています。一方の直也は医者の息子ですが、勉強そっちのけでジャズ喫茶などに入り浸るプレイボーイでした。

 

 湯川れい子は、この「直也」から感化されてジャズの魅力を知り、やがて見込みのなかった女優をやめて音楽評論家に転進。その黎明期に、来日した外国人ジャズ・ミュージシャンの単独インタビューに成功していますが、これは「進さん」が陰で英語力を発揮して協力したおかげといっていい。つまり、2人の男が彼女の成長に大きく寄与しているということになるわけですな。

 

 言うまでもなく本人の才能や努力もありますよ。ただね、きっかけを作ったのは、やはり彼らだろうと。そして、彼女が有名になると同時に世界が変わり、次第に疎遠になっていくんですよね。そのあたりのことが本日は正直に書かれていたので抜粋します。

 

「直也にしてみれば、恋人の湯野川和子がいつの間にか湯川れい子になり、世間に名前があふれてきた。瞬く間に遠い存在になったことだろう。直也もまた何も言ってこなくなった」

 

 自分と周囲の見方をきちんと客観的に認識できる人だなぁとボクは感心しました。そして、渋谷の宮益坂あたりでタクシーの車内から偶然に彼を見かけて「『相変わらずカッコいいなあ』。一瞬そう思ったけれど、視線を前に戻して真っすぐ延びる道路を見つめた」とあります。実にクール、ですよね。過去を振り切って自立していく女性象というのは、この頃から定着していったのでしょうか。ボクは男のせいか、ちょいと直也に同情してしまいますが、男女がところかわった類似の別離なんて山のようにありますからねぇ。

 

 それはそれとして、この2人の男たちは、彼女にとっては「触媒」のような役割を果たしたと考えられます。つまり、化学変化を促進する物質なわけです。そして、この触媒は化学変化の影響をまったく受けず、その前と同じ状態で存在することも特徴とされています。

 

 でね、牽強付会と言われそうだけど、このように意識せずに他人に影響を与える「触媒型」の人材がいるような気がするのです。その影響を受けた人自身も、気がつかないうちに他者の触媒になっていたりする。どちらも最も肝腎なことは、そもそも他者に対する関心や興味がなければ、触媒効果を受けようがないってことです。だからといって、無批判に影響されて模倣したり、亜流になるということでもありません。そのままでも変わり得る土壌があることが大前提であり、それを刺激して変化を促進するのが触媒ですから、やはり素材というか、才能や感性や知識などの蓄積があって初めて化学反応できるってことです。

 

 というわけで「触媒型人材」がいれば、職場も変わると短絡的に言い切れないのですが、少なくともそうした人材がいるかも知れないという視点は大切なんじゃないかな。どうもね、近頃の世の中は「結果を出す」という造語が典型的ですが(こんな言い方を昔はしなかった気がします)、効率やら生産性ばかりが取り沙汰されているように思うので、ちょっとした変化球を投げてみようかなと思った次第です。

 

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2017年5月25日 (木)

愚直

 

 愚直。辞書では「正直過ぎて気が利かないこと」「正直なばかりで臨機応変な行動を取れないこと」と解説されており、オマケに「馬鹿正直」という言葉まで添付されております。

 

 「直」はいいとしても、それに「愚」をつけたら良い意味になるはずがない。この言葉を造った人は、正義を貫くことが愚かなことだと思っていたんでしょうね。ということは、すごくアタマはいいけど、根性がねじ曲がった、本当にイヤらしい奴だろうなと想像してしまいます。

 

 それを実証するかのように、最近は政権+行政関連の小狡い実態がバンバン明らかになっております。「忖度」とか「総理のご意向」なんてね、それって何だよ。近場の目端が利く奴ばかりが東大を出て官僚になったら、この国はちょっとヤバいっすよ。

 

 そうした不正を監視すべきメディアも、卑劣・卑怯の誹りなんか屁みたいなもので、とにかく「売れたもの勝ち」だもんね。『週刊文春』が『週刊新潮』の中吊り広告を事前入手して、特ダネの後追いならまだしも、先行取材を偽装するみたいなことが発覚しました。

 本日発売の『週刊文春』では、面白いことに池上彰氏が自身のコラムで、この事件を取りあげていました。これを掲載拒否すると文春も朝日新聞の轍を踏むことになるので、自社批判もやむなしとなったのだと思います。彼のコラムは、例によって最初は中立的なスタンスでしたが、最後は「文春さん、狡賢いと言われても仕方ありませんよ」と結ばれています。そういえば、あの会社は東大比率がすごく高いと聞いたことがあります。

 

 この結論に至る前段として、「事実とすれば、汗をかかずに情報を得て競合誌に並び立てるわけで、新潮社側はさぞ悔しいだろう」「我々まぬけで良かったかもしれませんね、先輩」という某新聞のコラムが紹介されておりました。そんなことを言い切れる会社かなという疑念はありますが、まぬけだの愚かだのと言われても、絶対に不正をしない・許さないというのはメディア自身にこそ必要な姿勢ではありませんか。

 それが揺らいでいるのは、やはり結果重視の風潮であり、それを促進しているのが「受かったもの勝ち」の受験教育というのがボクの見立てなんだけど、どうでしょうかねぇ。

 

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