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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

社会・世相

2020年5月27日 (水)

顔パンツ


 緊急事態宣言の解除はまことに慶賀すべきですが、もう一息、マスクを何とかしてくれないかなぁ。どんな素敵なファッションもダメにするだけでなく、気候が暖かく、いや暑くなるに伴って、どんどん息苦しく感じるではありませんか。

 ひとくちにマスクといっても、いろいろな仕立やカラーがあるようです。その意味では必ずしもファッショナブルではないと断言できませんが、面白いことにエッジィなデザインのものほどパンツあるいはパンティをイメージさせるんですよね。栗本慎一郎は1982年に『パンツをはいたサル』(光文社)という秀逸なタイトルの文明論を上梓しました。それに倣えば、「顔にもパンツをはいたサル」てなことになるんだろうか。

 そうした、一見カッコ良いと思われている“デザイナーズ・マスク”より、昔ながらの使い捨て不織布マスクのほうが、逆説的ですがマスクらしくてずっとマシだとボクは思うんだけどな。顔にぴったり張り付いて、中央にラインが走ったマスクは、見れば見るほど、くどいようですが、性器を隠したパンティあるいはパンツをイメージさせるのです。

 文化・文明を生んだ知恵が裸の下半身を恥ずかしく感じてパンツをはかせたのに対して、マスクは新型コロナという外圧によることが実に悲しい。マスクを好んで着けるのではなく、仕方なく着けなければならなくなったことが、いみじくも未だ克服できない人間の脆弱性を示しています。

 いずれにしても、出かける時にはマスクを着けなきゃいけないのかと思うと、スーツなどのオシャレをしようとする気が萎えてきます。もはや色艶関係の希望が完全消滅したオッサンは別として、若い人たちの男女関係はどうなっていくんだろうか。今後はブランドものが急増して「まぁ素敵ね、そのマスク」なんて会話が交わされるとしたら、さっさと死にたくなります。

  エイズだってインフルエンザにしても、これほどの影響は与えなかったのですから、新型コロナは文化的にも極めて罪深い感染症というほかありません。いずれ学者や研究者が分析して論文などを出版するんだろうな。


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2020年3月 4日 (水)

あさましい

 

 マスクもそうだけど、トイレットペーパーやティッシュペーパーも買い溜めだってさ。日本人のあさましさが全開ですよね。デマに動かされるバカさ加減はもちろんですけど、争って必要以上のモノを買い込むことに恥ずかしさを感じないのかな。

 その結果として棚が空っぽになれば、本当に必要な誰かが困るということをまるきり考えていない。まったく迷惑なんだよな。トイレットペーパーをいくら買い込んだところで、自分や家族の尻の数は決まっていますから、そんなに拭いきれないと思うぞ。それとも下痢なのかな。

 マスクはもっと悲惨な事態を招きます。実際にそうなっているらしいけど、医師や看護師や介護士など病院で働く人たちを感染の危機に陥れてしまう。新型コロナを患者からうつされて亡くなった医師もいるんですからね。にもかかわらず、自分だけマスクで鼻口を覆って助かろうとするあさましい根性が、ボクは死ぬほど大大大大大大っっっっっ嫌いなんだよな。

 こういう人たちのほとんどは、エスカレータをドカドカと昇降する人たちと重なるでしょうね。横に立つ人にぶつかったら下まで真っ逆さまに落ちて大ケガをしかねないのに、わずか数秒を惜しんで危険なことをやる。ケガしたいなら自己責任でやればいいのに、他人まで巻き込むのですから、我が身大切な利己主義をはるかに上回る犯罪的な社会悪だとボクは断じます。

 空港でセカセカと早足で前の人を追い抜こうとする人たちも大してかわりありません。飛行機の扉が開いたら、競馬のゲートと同じで猛烈なダッシュが始まる。1人でも早く、1人でも追い抜こうとする。それによって何が得られるというのでしょうか。少しばかり列の前のほうに行くだけじゃないか。

 こういう人たちが目指しているのが同じ方向というのも、ボクには極めて不愉快です。同じ方向だから1人でも出し抜くことが可能なわけでね。違う方向を選択する意欲も自主性も創造性も、そして何より勇気がないかわりに、あさましくセコいことばかりに邁進する。ボクには惨めな奴隷同士が残飯を奪い合っているように見えてならないのです。

 たとえば日本では東京大学を頂点とする受験競争が幼少時から始まるわけですが、そんなもん国内だけの話で、海外では「どこの大学?」なんていう扱いに近い。それが分かっていたり、疑問を感じる人は、高校卒業後にさっさとハーバードやコロンビアやMITやUCLAやロンドン大学に留学してきたわけです。みんなが列をなして東京大学の門前に並んでいるところを、ひょいと外れて海外に行ってしまう。こういう人がどんどん増えれば、横入りや出し抜くことのつまらない小狡さが分かると思うんだけどなぁ。

 けれども、大多数の人はまるで蟻や魚の習性のように列に並ぼうとする。料理屋でも列ができていれば、美味しいに違いないと判断される。

 長い列に並んでいれば、みんなと一緒という安心感はあるけどね。でも、それが断崖絶壁に向かう列だったらどうするのかなぁ。痛い目にあうだけならまだしも、他人の後ろをついていったらレミングの集団自殺だったなんて、死んでも死にきれないと思うんだけど。

 

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2019年12月24日 (火)

反権力

 

 アフガニスタンで銃殺された中村哲医師は、クリスチャンであると同時に、反権力、反骨の人だったように思います。日本政府は勲章だの表彰状だのと言っていますが、亡くなってからでは遅すぎるんじゃないかな。国会に招いたことがあるくらいですから、彼の偉業は分かっているはずなのに、どうしてこれまで支援しなかったのでしょうか。

 そこからは国際政治という「大人の事情」があり、面倒くさいので説明しませんが、要するにアフガニスタンではロシアとアメリカという大国の利害が衝突するだけでなく、旧政権のタリバンが山賊化しているほか、ISISも入り込んでおり、住民そっちのけで殺し合いをやってきたわけです。世界の権力闘争の縮図みたいな地域であり、政治や行政を信じることなんてできないからこそ、中村さんは自らパワーシャベルを駆使するようになったんですよね。

 では、日本の政治や行政が信じられるかといえば、モリカケや「桜を見る会」ですよ。「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する」と喝破したのは19世紀に生きたイギリス人の歴史家・政治家、ジョン・アクトンであり、ボクの若い頃はその言葉にもとづく反権力が常識的なメンタリティでした。反骨がカッコ良かったわけですよ。

 ところが、いつの間にか権力におもねり、嬉々として子分になる恥知らずな連中が増殖してきました。権力を笠に着た番犬や忠犬も実に多くて、殿へのご注進も飛び交っています。資料をシュレッダーにかけたと平気でウソをつく木っ端役人もいるしね。そうやって他人を踏みつけにして、自分だけは安楽で贅沢に生活する。反権力も反骨も、どこかに消えちゃったんだよな。

 半島の某国では、血筋というだけで支配者になった若僧の演説に、いい年をしたオッサンたちが目に見えるように腕を高く上げて大げさな拍手をしていました。逆らえば殺されるので無理もないとはいえますが、日本ではそんな危険なんかないのに、隷属して媚びへつらうのはどうしてだろう。こうした権力のピラミッドなんて単なる共同幻想ですから、誰かが「王様は裸だ!」と言えば簡単にガラガラと崩れてしまうはずなのに、なかなかそうはならない。

 カルトと同じで、人間は洗脳なんかされるはずがなく、自ら奴隷になり、主体的な思考を奪われることで安心を得ようとするのであります。先人たちが血を流して獲得した自由は、この人たちの前では意味をなさない。中村医師が汗を流して水を引いた緑の地も、いつしか恩人の偉業は忘れ去られ、小賢しい利権の奪い合いが始まるに違いありません。

 そんな人類を、AIが地球上の悪性病原体として駆逐しようとするのは、SF的な妄想ではないと思います。ヒューマニズムのほうがよほど病的な妄想ではないかな。とにかくね、反権力・反骨は圧倒的な時代遅れになってしまったように感じるわけです、はい。

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2019年12月13日 (金)

個の自立

 

 この季節がね、実は大嫌いです。

 特に忘年会が苦手でありまして、ボクのような零細事務所のフリーランスがフラリと飲み屋に行くと、満員御礼になっていることが少なくないからです。中には「本日、貸し切り」なんて札がかかっており、入口で早々とアウト。ワールドカップもそうでしたが、こういう狂騒状態そのものが、好きではないのです。

 他人の忘年会がイヤなら、自分が行くのも気が進まない。昔から身のおきどころがないように感じて、ひたすら酒を飲み続けていました。気がついたら記憶がないなんてことが多かったなぁ。ああいう飲み会で、みんなはいったい何を話題にしているのでしょうか。来年の景気や経済政策を本気で討論したら、間違いなく面倒くさい奴に分類されてしまうので、どうでもいいような世間話をしているはずですが、ボクはそういう会話も苦手なのであります。

 そんなわけで、退社時間を過ぎたばかりの繁華街にはなるべく出歩かないようにしています。人だかりがわらわら集まった団体様ばかりで、歩くにも邪魔くさいんだよな。本音では忘年会に行きたくないという若者が8割というデータがありますが、そりゃそうですよ。時間外で、しかも会社の外で、さらには飲み屋で、いつまでも「部長」「課長」「主任」なんていう役職のヒエラルキーを強制されて楽しいはずがない。「今夜は無礼講」なんて口ばかりですからね。

 ちなみに、ヨーロッパでこういう光景は一度も見たことがありません。イギリスのシティのパブでは、退社直後に連れ立ったと思われるスーツ(金融関係者をこう呼びます)が外まであふれていることもありますが、長くは続きませんからね。ネクタイを締めた団体様が深夜までウロウロと街を徘徊しているのは、世界的にも珍しいんじゃないかな。景気がいいんだか悪いんだか、よく分かりません。

 うーん、やっぱ日本は体育会気質なのでしょうか。いずれにしても、もっと個が自立しないと、グローバル社会にはついていけないぜと、ボクは危惧するのであります。

 

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2019年12月 3日 (火)

バッタとタピオカ

 

 最近の流行は驚くほど早いですね。近所のタピオカ紅茶店に長い行列ができるようになったのは昨年くらいからと記憶するのですが、早々と退潮の兆しが出ています。まだボクは飲んだことがないんですけど。

 タピオカの利益率は大変に高いので、反社会的勢力の新たな資金源になっているという報道の影響もあるせいか、平日はお客さんがチラホラ程度。インスタにアップするための写真撮り風景もすっかり今は昔という感じです。

 それにしてもなぁ。飽きるのが早すぎやしませんか。これでは店も安心して経営なんかできませんよね。ブームになりかけたら、それっとばかりに群がり、しばらくすると、たちまちスクランブルスクエアや新パルコに移動する。まるでバッタの大群ですな。バッタが去った後は閑散となり、店は経営危機を迎えることになります。

 ボクの若い頃から似たような流行はありましたが、インターネットのおかげでどんどん加速。トレンドの寿命は相当に短期化しているように感じます。こうなると客商売に大きなコストをかけることができなくなり、短期間に投資を回収するために、すべてが安直になっていきますよね。店員を十分に教育する余裕がなくなり、飲食業では未熟な職人でも一人前として調理を任せる。ボクの近所の天ぷら屋さんも、油の切れていないものを平気で出してきましたから。このため、一時期はメディアに騒がれて大混雑でしたが、今ではガラガラ。たまに店を見かけると、「まだやっているんだ」と驚くくらいです。

 そんなメンタリティにミシュランなんて、飛んで火に入る夏の虫というほかありません。1つでも星が貰えれば、わぁっと客が行列を作るのは結構ですが、そんな状態では常連客は寄りつかないでしょう。いつまでも人気が続くなら結構ですが、前述したようにバッタの大群は季節が変わればさっさと移動していきますからね。

 はぁ。日本人はいつの間にこんなに無思慮になったのでしょうか。ボクなんか、行列を見ただけで避けて通るようにしていますけどね。みんなと一緒に、いやみんなより一歩でも早く、なんていう真似事にどれだけの価値があるのかなぁ。それよりも美味しい店や面白い店を、星やトレンド頼りでなく、自分で見つけるようにしようよ。

 こんなことになったのは、何かと同調圧力を強める一方で、いじめを見て見ぬフリしてきた教育にあるんじゃないかな。飛躍しているわけでは決してなく、レッキとした根拠もあるのですが、長くなるのでこのへんで。ともかく、ボクの体感としては、先進国の中では異常なほど、個としての自立が不完全な気がするのです。

 

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2019年11月20日 (水)

美女は受難する

 

 たまにハッとするほどの美女とすれ違うことがあります。渋谷よりも銀座での遭遇率が極めて高いのですが、そこそこの身長で、まだ若いという場合は、きっとこれから苦労するだろうなと、余計なことを思ってしまうんですよね。

 世の中は残念なことにまだまだ男性社会なので、綺麗な顔立ちで生まれた女子は、ブサイクな女子より生涯収入が圧倒的に高いといわれます。仕事なんかしないでも、自家用飛行機を持つような大金持ちに見そめられたら、人生大逆転ですもんね。中学の頃から美女として隣町まで知られる存在であれば、芸能事務所がスカウトに来るので、モデルや女優など、いくらだって仕事が来るわけですな。ああ、羨ましい。

 なんてね、これまではそんなことを思っていたのですが、どうも実態は違うんじゃないかと。あちこちから声がかかるのは結構ですが、ヤバそうな方面のワル男も近づいてくるんだよな。普通の男は無理目に感じて遠巻きにするのに、こういう男は平気で見えない壁を乗り越えてくるので、自然に親密になってしまう。少しばかりの権力を持つ教員なんかも、邪悪な下心を発揮することがあるんじゃないかな。

 というわけで、夜の明かりに群がる蛾のように男が寄ってくるけど、実のところは性欲だけでロクな奴はいません。だから、彼らの扱いを間違えると、恨まれてハラスメントを受けたり、ヘタすりゃレイプされることもあるはずです。そこまで行かなくも、ワル男はイケメンが多いので、深夜のクラブなどでちやほやされていい仲になったら、覚醒剤や大麻やコカインやMDMAが出てきてクスリ漬けにされるって危険もあり得ます。逮捕された某女優もそんな経緯だろうと思いますよ。

 つまり、美女であればあるほど苦労するのではないでしょうか。普通の会社にしても、就活段階から目をつけられてホテルに誘われたり、入社すればしたで、同年代の若者を横目に上司や妻帯者が寄ってたかってくる。彼らの多くは立場や役職を利用して迫ってくるから面倒なんですよね。

 それに比べて、大変に申し訳ない言い方ですけど、ブスの女性は能力しか求められていないので、生きる上ではむしろ楽ではないでしょうか。愛嬌さえあれば、美女よりも付き合いやすいので、真面目で誠実な男との良縁に恵まれると思いますよ。

 俗に「美女は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れる」と言われますが、これはボクの経験として間違いのない事実です。実際に、アメリカ映画で活躍する世界的な女優の多くは必ずしも美しくないですよね。アンジェリーナ・ジョリーなんて、唇がどーんとデカくて厚いじゃないですか。大昔はイングリッド・バーグマンなど「世紀の美女」がスクリーンに大映しされていましたが、現代は美貌よりも強い個性が求められているのです。目鼻立ちが整った美女ばかりが出てくる映画なんてつまらないですもんね。

 そんなわけで、もしも美女に生まれたら、よほど自分を強く持っていないと、簡単に奈落の底につき落とされてしまいます。男だけでなく、同性からも嫉妬やねたみによるイジメを受けることもあるでしょう。これが男性社会の現実というほかないので、結論はありませんが、美女に生まれついたら、いっそ悪女になり切るのも有効な方法かなと。息を呑むほど美しい悪女であれば、そこらのワル男にナメられることはないでしょう。教員や上司や妻帯者も、社会的立場を脅かされる可能性があるので、簡単には迫ってきません。イヤな奴に口説かれそうになったら、スマホを取り出して録音機能をオンにすりゃいいだけ。そういう女だとみんなが分かれば、ぐっと生きやすくなるじゃないですか、奴らが狙うのは、つけこみやすい気立ての良い美女なのです。ホント、卑怯だよな。

 逆にボクのような変人は、美貌の悪女というだけで、ものすごく惹かれます。そんな女性ならいくらでも騙されて結構。すべてをなげうってもいいとすら思いますが、滅多に見かけることはありません。菜々緒も近頃は路線を変えちゃったもんな。ああ、つまらん。

 

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2019年10月16日 (水)

受容

 

 日本経済新聞の名物コラム『私の履歴書』にIIJの鈴木幸一氏が執筆しています。IIJとはインターネット・イニシアティブ・ジャパンの頭文字で、要するにインターネットプロバイダーのハシリですが、同社が1994年3月に郵政省から事業許可を得た頃は、何のことやらよく分からんという人が大多数だったんじゃないかな。

 ボクは1996年に日経BP社から『学んで! 遊んで! 役に立つ! インターネットキャンパス 欧米100大学ホームページ徹底活用法』という単行本を出したので、もちろんIIJの名前は知っていました。プロバイダーに接続しなければウェブサイトが開かないですから。これはNTTを上回る通信インフラに成長するというオボロゲな予感はあったのですが、『私の履歴書』によると想像以上にイバラの道だったようです。可能性や将来性は理解されても、いざ出資を募ると尻込みされてカネが集まらない。会社の運転資金もギリギリでカツカツの低空飛行を続けた後に、晴れて郵政省から「ゴーサイン」が出たのですが、それでも「インターネットは面白いが、なかなかカネにならない技術ですね」と嘲笑されたそうです。「いや、近いうちに御社のシステムもネット上で動く日々が来ます」と言い返すと「そんなの夢物語ですよ。もしそれが現実になったら、銀座を素っ裸で逆立ちして歩きます」と豪語されたというから、呆れるほどの頑迷さなんですよね。そのくせ、今になってもボクは裸で銀座を逆立ちして歩く人を見たことがありません。

 先進的な技術に対する無理解は、ボク自身も体験しました。前述の自著には「インターネットで学位や単位を取る」という章を設けたのですが、「そんなのウソだろ」「あり得ないよ」とまるで信用されなかったのです。ボクは学者でも研究者でもない単なるライターですから、そもそも権威がない。権威がなければ、どんなに新しいことを言っても発見しても、世間は眉唾として捉えてしまうようです。だったらミエミエの詐欺にどうして引っかかるんだよ!

  正直言えば、ボク自身も「ホントかな」と何度も調べ直したくらいですが、現在ではネット経由の通信教育や授業の配信なんて常識になっております。小さな声で謙虚に心の中で「ざまぁみろ」でございます。

 それだけなら個人的な恨み言になってしまいますが、本日の連載では「ネット草創期の90年代以前は、閲覧ソフトや米ヤフーの検索エンジンなど、ネットをめぐる戦略的な技術が次々に登場し、その中からデファクトスタンダード(事実上の標準)が生まれた時期だ。ここで開いた差は簡単には取り戻せなかった。(中略)我が社にとっても日本全体にとっても大きな損失だったと思う」と結ばれています。

 何しろ25年近くも前のことなので、この頃に財務や投資関係を牛耳っていた要職者のほとんどは引退または泉下の人になっており、その責任を問うことができません。かくて、この分野は今もアメリカの後塵を拝しています。こうした頑迷な保守性は少しでも変わったんでしょうかねぇ。

 

 内田樹氏は、そうしたメンタリティを、世界のどこかに中心を求めてやまない辺境の民の特性と位置づけています(『日本辺境論』新潮社)。でもね、それってあまりにもキレイ過ぎる解釈じゃないかなぁ。あくまでも憶測ですが、IIJの鈴木氏にとっては「臆病者の集団」に見えたのではないでしょうか、ボクもちょっと前に書いたように「2番手主義者」ばかりの国に見えます。とにかくね、変化を病的に怖れるんだよな。そのかわりに、これは新しいとお上からお墨付きをいただいた物事には競って飛びつく。だから本当に革新的なことには興味を示しつつも、後ずさりして距離を置くわけです。

 ボクが若い頃に、チーズたっぷりの本格的ピザが日本に上陸しました。それまで日本人が食べたことのない料理です。名古屋の繁華街に専門店ができて話題になっていたので、ボクも試してみようと出かけました。すると店舗の外はまさに黒山の人だかり。これではかなり待たされるだろうと店内を覗いてみれば、何と客はまばらでガラガラではありませんか。黒山の人だかりは、ウィンドーに顔をくっつけるようにしてピザを食べている様子を見ていただけなのです。興味があるなら率先して食えばいいのに、それはやらないんだよな。誰かが食べた感想を丹念にチェックし、やがて本格的に普及し始める頃になって、いかにも自分が先駆けて食べたような顔をする。

 こうした卑怯な態度はピザだけじゃないですよね。最初は怒りにも似た感情を持ちましたが、近年は刀折れ矢が尽きたというのか、「死の受容プロセス」の第5段階に達しております。これはエリザベス・キューブラー=ロスという精神科医の分析によるもので、人間はガンなどによる死の告知を受けると、「否認」「怒り」「取り引き(神仏などにすがる)」「抑うつ」を経て「受容」に至るそうです。

 どうしようもできないことであれば受け入れるほかないので、ボクはそんなプロセス=葛藤の分析に意味があるとは思えません。最終段階となる「受容」が、果たして両腕を広げて迎え入れるようなものなのか、あるいは勝手にしやがれとふて腐れた諦念なのかが大問題なんじゃないかなぁ。ちなみに、日本の臆病な保守性に対するボクの感想は後者です。ああ、またしても愚痴を言ってしまいました。こんな後ろ向きは自分でも愉快ではないので、今後は愚痴めいた結論を厳禁といたします。ちょっとずつにしても、外圧やIIJなどの先駆者、それに孫さんたちのタイムマシンビジネスのおかげにしても、日本は遅ればせながら変わってきました。それを是としなければ、絶望という小道に入り込んでしまいますからね。

 この絶望を回避することが「受容」の大きなポイントだと思うのですが、それってキューブラー女史の理論に含まれているのでしょうか。

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2019年8月27日 (火)

人権侵害

 

 いささか固いテーマで恐縮ですが、日本では「人権」をどう教えているのでしょうか。

 少なくともボクの学校体験では、人権に関して体系的な学習をした記憶がありません。それよりもコミュニティや社会に迷惑をかけないとか、みんなと一緒にまとまるとか団結するとか、むしろ人権に反するような軍隊的規律ばかり押しつけられてきたんじゃないかな。個性や多様性をどんどん排除して、行政が支配しやすい均質でおとなしく反抗心のない国民性を養成していたとしか思えないんですけどね。

 だから集団就職で故郷を捨てることが奨励されると、先生たちは疑うことなく教え子を工業地帯や大都市を中心とする労働に狩り出しました。大戦中は旗を振って戦地に送り出していたのですから、殺されないだけマシとしても、やっていることに大きな違いがあるとは思えません。やがてそれが地方の衰退や過疎化を生み出したなんていう反省や後悔もきっとないだろうなぁ。もちろん政策の責任もあるけど、誰も戦中戦後の教員の責任を問わないのはなぜでしょうか。

 心ならずも政治体制に唯々諾々と従ってきたというなら、自ら人権を捨てたのと同じであり、そんな教員が人権を教えられるはずがないですよね。現在はさすがに減少したようですが、卒業式に「仰げば尊とし我が師の恩」を強制的に歌わせるなんて、自画自賛もいいところだと思いませんか。我が身を恥じる感覚がないところに倫理や道徳が根付くはずもなく、まさに人権はその中に存在します。学校でイジメがちっとも撲滅されないのは、そうした構造的な理由があるからでしょう。だからさ、このブログで何度も指摘してきたように、イジメも子供の自殺も教員自身が原因であることに少しは気づけよ。どちらも人権侵害の極みなんだからさ。

 社会人にしても、人権意識が乏しいと、こんな事件も起きるわけですな。
就職情報サイト「リクナビ」が内定辞退率予測を学生の同意を得ないで勝手に販売していたとして、政府の個人情報保護委員会は8月26日にリクルートキャリアに是正を求める勧告を出しました。「内定辞退率予測」とは、学生による会社サイトの閲覧履歴を人工知能が分析した結果であり、内定に対する辞退率を5段階で予測したものといわれます。採用選考の段階で「こいつは内定辞退率が高いなぁ。だったら仕方ないので次の奴に内定を回そう」なんてことは絶対にあり得るじゃないですか。リクルートキャリアの小林大三社長は「合否の判定には使わない契約だった」(日本経済新聞2019年8月27日朝刊)と釈明していますが、だったら企業がそんなデータを購入するかな。

 前述した個人情報保護委員会の松本秀一参事官は「就職活動に関わる情報は学生の人生を左右し得るため取り扱う企業の責任は重い。同社は権利保護の認識が甘かった」と語っています(前出・日本経済新聞)。「権利保護」の対象とは、すなわち学生の人権ということですよね。つまり、リクルートキャリアは学生の人権をカネと交換に踏みにじっていたことになりませんか。

 どうやら同社は企業における「採用生産性」を向上させたかったようですが、この言葉も学生の人権に配慮しない冷淡さが感じられます。だから今後も、こうした人権侵害事件は情報業界で頻発するとしか思えません。前述したように、そもそも人権に関するきちんとした教育を受けていたら、誰かが諫めたり反対すべきことを、「生産性」の掛け声のもとで堂々と押し通してきたからです。フェイスブックの情報漏洩も根っ子はまったく同じですよね。
 法律遵守以前の意識として、「個人情報は人権のカタマリなのです」ってことを教える上司や先輩が果たしてどれだけいるやら。このように解説しているだけで頭痛がするのでもうやめますが、高大接続改革も結構だけど、もっと根本的な教育改革をする気はないのかな、この国は。

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2019年4月25日 (木)

上級国民

 

 12人が死傷した池袋の交通事故をネットで調べていて、見慣れない言葉に遭遇しました。「上級国民」。もちろんテレビではこんなワードを使うことはありません。けれども、ついさっきのニュースショーでは、「明らかな容疑者なのに、どうして『さん付け』を続けるのかという問い合わせをいくつかいただいております」とアナウンス。それについて「容疑者は胸の骨を折って入院中であり、まだ逮捕されていないので」と、あっさり説明していましたが、こうした「いくつかの問い合わせ」の背後に、彼が「上級国民」だからではないかと憶測する人が無数にいるらしいのです。

 ボクは不覚にも昨日知ったばかりですが、ちょいと調べてみると、2015年に起きた東京オリンピックのエンブレム盗用騒動が始まりのようです。そのデザイナーが業界で有名人だったせいか、専門家筋が「素人に盗用の真偽は分からない」とコメントしたことに反発して生まれたネットスラングとされており、対義語は「一般国民」となります。

 池袋の悲惨な事件は、明らかに運転者の過失であり、警察もドライブレコーダーの解析でとっくに把握しているはずですが、ほかの同様な事件に比べて、何だか及び腰に見えるんですよね。それは運転者が大変に立派な経歴を持つ元官僚だからに違いないという声がツイッターで飛び交っており、「上級国民」としてハッシュタグになっています。

 まだまだ事実が判明していないので、「上級国民」であることがどれだけの影響を与えているのか分かりません。また、この言葉は様々な誤解や曲解を生みかねない危険性を孕んでいます。しかしながら、以前から続いてきた「格差社会」どころではない、ものすごい怨嗟が「一般国民」の間で渦巻いていることは率直に認めるべきだと思うのです。

 そして、こんな感情に火をつけるようなことを繰り返してきたのが、もしかすると「最上級の国民」と目される現総理ではないかと。だからね、モリカケ問題などをウヤムヤに片付けてフタをしてはいかんのです。透明感の高い公明正大で客観的な説明や政策運営こそが、「上級国民」なんていう、あまり芳しくない差別的用語を流布させない唯一の方法だとボクは思うんだけど、分かってもらえるかなぁ。

 

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2019年4月 1日 (月)

世論もファッション

 新しい元号が本日午前11時半に発表されるそうです。興味津々で発表を待っているというのが大勢のようですが、それ以前に、どうして元号が存在するのか、なぜそれが現代でも必要なのかという論議や解説・解釈がまるでないことに、軽い驚きを禁じ得ません。

 ボクは学校で日本史を勉強し始めた頃から、元号が面倒くさくて仕方ありませんでした。承久や天明だの万延だのと、大化の改新以来で元号は何と247個にも及ぶそうです。そのたびに、歴史がぶつ切れになってしまい、前後の流れが分かりにくいんだよな。要するにいつの話なんだよって思いませんか。しばしば言われることだけど、その頃にヨーロッパやアジアはどんな状態だったかという横断的な見方がしにくいのです。

 だからボクは大学の受験科目から日本史を早々に外して、難読な漢字名称も出てこない世界史に絞りました。それ以来、様々な出来事はすべて西暦で覚えています。とりわけ1989年1月8日からは平成に変わったので、昭和で言われても、いったい何年前のことだか分からなくなってしまうんですよね。

 もっと原則的なことをいえば、元号というのはそもそも「君主制」にもとづいた名称です。今回も生前退位という理由で元号が変わるのであり、国歌にしても「千代に八千代に」天皇家が永続するようにという願いが込められています。つまり改元というのは、そうした天皇制が今もって行政レベルで存続していることを劇的に再認識させる出来事なんですよね。

 ボクは思想的に右も左も構うことなく、保守とも革新とも言い切れないので、実に便利な概念である「象徴天皇制」に従います。実際問題として、国民を代表する伝統ある共通の親戚と考えれば、積極的に天皇制を排除する理由はもはやないですもんね。

 ヨーロッパでもイギリスのように立憲君主制というか、王室が健在な国はいくつもあります。しかしながら、それでも元号というのは寡聞にして知りません。西暦もキリスト教歴ですから、かなり長期にわたる元号の一種といえばいえなくもないでしょうが、いずれにしても、そうした議論や討論がまるでないということに、ボクは違和感を覚えてしまうんだよな。

 まぁね、世論もモードでありファッションと考えれば、左翼がカッコ良かった時代はとっくに大昔ですから、元号に関する論議なんてウザくて時代遅れといえるかもしれません。それにしても、何でもかんでもバンザイ三唱で意味や背景を顧みないというのも、ちょっと薄気味が悪いですよね。 

 こんなことを感じるのはボクだけなのでしょうか。なんてことを付け加えることが近頃はすごく多くなりました。

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