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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

社会・世相

2019年10月16日 (水)

受容

 

 日本経済新聞の名物コラム『私の履歴書』にIIJの鈴木幸一氏が執筆しています。IIJとはインターネット・イニシアティブ・ジャパンの頭文字で、要するにインターネットプロバイダーのハシリですが、同社が1994年3月に郵政省から事業許可を得た頃は、何のことやらよく分からんという人が大多数だったんじゃないかな。

 ボクは1996年に日経BP社から『学んで! 遊んで! 役に立つ! インターネットキャンパス 欧米100大学ホームページ徹底活用法』という単行本を出したので、もちろんIIJの名前は知っていました。プロバイダーに接続しなければウェブサイトが開かないですから。これはNTTを上回る通信インフラに成長するというオボロゲな予感はあったのですが、『私の履歴書』によると想像以上にイバラの道だったようです。可能性や将来性は理解されても、いざ出資を募ると尻込みされてカネが集まらない。会社の運転資金もギリギリでカツカツの低空飛行を続けた後に、晴れて郵政省から「ゴーサイン」が出たのですが、それでも「インターネットは面白いが、なかなかカネにならない技術ですね」と嘲笑されたそうです。「いや、近いうちに御社のシステムもネット上で動く日々が来ます」と言い返すと「そんなの夢物語ですよ。もしそれが現実になったら、銀座を素っ裸で逆立ちして歩きます」と豪語されたというから、呆れるほどの頑迷さなんですよね。そのくせ、今になってもボクは裸で銀座を逆立ちして歩く人を見たことがありません。

 先進的な技術に対する無理解は、ボク自身も体験しました。前述の自著には「インターネットで学位や単位を取る」という章を設けたのですが、「そんなのウソだろ」「あり得ないよ」とまるで信用されなかったのです。ボクは学者でも研究者でもない単なるライターですから、そもそも権威がない。権威がなければ、どんなに新しいことを言っても発見しても、世間は眉唾として捉えてしまうようです。だったらミエミエの詐欺にどうして引っかかるんだよ!

  正直言えば、ボク自身も「ホントかな」と何度も調べ直したくらいですが、現在ではネット経由の通信教育や授業の配信なんて常識になっております。小さな声で謙虚に心の中で「ざまぁみろ」でございます。

 それだけなら個人的な恨み言になってしまいますが、本日の連載では「ネット草創期の90年代以前は、閲覧ソフトや米ヤフーの検索エンジンなど、ネットをめぐる戦略的な技術が次々に登場し、その中からデファクトスタンダード(事実上の標準)が生まれた時期だ。ここで開いた差は簡単には取り戻せなかった。(中略)我が社にとっても日本全体にとっても大きな損失だったと思う」と結ばれています。

 何しろ25年近くも前のことなので、この頃に財務や投資関係を牛耳っていた要職者のほとんどは引退または泉下の人になっており、その責任を問うことができません。かくて、この分野は今もアメリカの後塵を拝しています。こうした頑迷な保守性は少しでも変わったんでしょうかねぇ。

 

 内田樹氏は、そうしたメンタリティを、世界のどこかに中心を求めてやまない辺境の民の特性と位置づけています(『日本辺境論』新潮社)。でもね、それってあまりにもキレイ過ぎる解釈じゃないかなぁ。あくまでも憶測ですが、IIJの鈴木氏にとっては「臆病者の集団」に見えたのではないでしょうか、ボクもちょっと前に書いたように「2番手主義者」ばかりの国に見えます。とにかくね、変化を病的に怖れるんだよな。そのかわりに、これは新しいとお上からお墨付きをいただいた物事には競って飛びつく。だから本当に革新的なことには興味を示しつつも、後ずさりして距離を置くわけです。

 ボクが若い頃に、チーズたっぷりの本格的ピザが日本に上陸しました。それまで日本人が食べたことのない料理です。名古屋の繁華街に専門店ができて話題になっていたので、ボクも試してみようと出かけました。すると店舗の外はまさに黒山の人だかり。これではかなり待たされるだろうと店内を覗いてみれば、何と客はまばらでガラガラではありませんか。黒山の人だかりは、ウィンドーに顔をくっつけるようにしてピザを食べている様子を見ていただけなのです。興味があるなら率先して食えばいいのに、それはやらないんだよな。誰かが食べた感想を丹念にチェックし、やがて本格的に普及し始める頃になって、いかにも自分が先駆けて食べたような顔をする。

 こうした卑怯な態度はピザだけじゃないですよね。最初は怒りにも似た感情を持ちましたが、近年は刀折れ矢が尽きたというのか、「死の受容プロセス」の第5段階に達しております。これはエリザベス・キューブラー=ロスという精神科医の分析によるもので、人間はガンなどによる死の告知を受けると、「否認」「怒り」「取り引き(神仏などにすがる)」「抑うつ」を経て「受容」に至るそうです。

 どうしようもできないことであれば受け入れるほかないので、ボクはそんなプロセス=葛藤の分析に意味があるとは思えません。最終段階となる「受容」が、果たして両腕を広げて迎え入れるようなものなのか、あるいは勝手にしやがれとふて腐れた諦念なのかが大問題なんじゃないかなぁ。ちなみに、日本の臆病な保守性に対するボクの感想は後者です。ああ、またしても愚痴を言ってしまいました。こんな後ろ向きは自分でも愉快ではないので、今後は愚痴めいた結論を厳禁といたします。ちょっとずつにしても、外圧やIIJなどの先駆者、それに孫さんたちのタイムマシンビジネスのおかげにしても、日本は遅ればせながら変わってきました。それを是としなければ、絶望という小道に入り込んでしまいますからね。

 この絶望を回避することが「受容」の大きなポイントだと思うのですが、それってキューブラー女史の理論に含まれているのでしょうか。

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2019年8月27日 (火)

人権侵害

 

 いささか固いテーマで恐縮ですが、日本では「人権」をどう教えているのでしょうか。

 少なくともボクの学校体験では、人権に関して体系的な学習をした記憶がありません。それよりもコミュニティや社会に迷惑をかけないとか、みんなと一緒にまとまるとか団結するとか、むしろ人権に反するような軍隊的規律ばかり押しつけられてきたんじゃないかな。個性や多様性をどんどん排除して、行政が支配しやすい均質でおとなしく反抗心のない国民性を養成していたとしか思えないんですけどね。

 だから集団就職で故郷を捨てることが奨励されると、先生たちは疑うことなく教え子を工業地帯や大都市を中心とする労働に狩り出しました。大戦中は旗を振って戦地に送り出していたのですから、殺されないだけマシとしても、やっていることに大きな違いがあるとは思えません。やがてそれが地方の衰退や過疎化を生み出したなんていう反省や後悔もきっとないだろうなぁ。もちろん政策の責任もあるけど、誰も戦中戦後の教員の責任を問わないのはなぜでしょうか。

 心ならずも政治体制に唯々諾々と従ってきたというなら、自ら人権を捨てたのと同じであり、そんな教員が人権を教えられるはずがないですよね。現在はさすがに減少したようですが、卒業式に「仰げば尊とし我が師の恩」を強制的に歌わせるなんて、自画自賛もいいところだと思いませんか。我が身を恥じる感覚がないところに倫理や道徳が根付くはずもなく、まさに人権はその中に存在します。学校でイジメがちっとも撲滅されないのは、そうした構造的な理由があるからでしょう。だからさ、このブログで何度も指摘してきたように、イジメも子供の自殺も教員自身が原因であることに少しは気づけよ。どちらも人権侵害の極みなんだからさ。

 社会人にしても、人権意識が乏しいと、こんな事件も起きるわけですな。
就職情報サイト「リクナビ」が内定辞退率予測を学生の同意を得ないで勝手に販売していたとして、政府の個人情報保護委員会は8月26日にリクルートキャリアに是正を求める勧告を出しました。「内定辞退率予測」とは、学生による会社サイトの閲覧履歴を人工知能が分析した結果であり、内定に対する辞退率を5段階で予測したものといわれます。採用選考の段階で「こいつは内定辞退率が高いなぁ。だったら仕方ないので次の奴に内定を回そう」なんてことは絶対にあり得るじゃないですか。リクルートキャリアの小林大三社長は「合否の判定には使わない契約だった」(日本経済新聞2019年8月27日朝刊)と釈明していますが、だったら企業がそんなデータを購入するかな。

 前述した個人情報保護委員会の松本秀一参事官は「就職活動に関わる情報は学生の人生を左右し得るため取り扱う企業の責任は重い。同社は権利保護の認識が甘かった」と語っています(前出・日本経済新聞)。「権利保護」の対象とは、すなわち学生の人権ということですよね。つまり、リクルートキャリアは学生の人権をカネと交換に踏みにじっていたことになりませんか。

 どうやら同社は企業における「採用生産性」を向上させたかったようですが、この言葉も学生の人権に配慮しない冷淡さが感じられます。だから今後も、こうした人権侵害事件は情報業界で頻発するとしか思えません。前述したように、そもそも人権に関するきちんとした教育を受けていたら、誰かが諫めたり反対すべきことを、「生産性」の掛け声のもとで堂々と押し通してきたからです。フェイスブックの情報漏洩も根っ子はまったく同じですよね。
 法律遵守以前の意識として、「個人情報は人権のカタマリなのです」ってことを教える上司や先輩が果たしてどれだけいるやら。このように解説しているだけで頭痛がするのでもうやめますが、高大接続改革も結構だけど、もっと根本的な教育改革をする気はないのかな、この国は。

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2019年4月25日 (木)

上級国民

 

 12人が死傷した池袋の交通事故をネットで調べていて、見慣れない言葉に遭遇しました。「上級国民」。もちろんテレビではこんなワードを使うことはありません。けれども、ついさっきのニュースショーでは、「明らかな容疑者なのに、どうして『さん付け』を続けるのかという問い合わせをいくつかいただいております」とアナウンス。それについて「容疑者は胸の骨を折って入院中であり、まだ逮捕されていないので」と、あっさり説明していましたが、こうした「いくつかの問い合わせ」の背後に、彼が「上級国民」だからではないかと憶測する人が無数にいるらしいのです。

 ボクは不覚にも昨日知ったばかりですが、ちょいと調べてみると、2015年に起きた東京オリンピックのエンブレム盗用騒動が始まりのようです。そのデザイナーが業界で有名人だったせいか、専門家筋が「素人に盗用の真偽は分からない」とコメントしたことに反発して生まれたネットスラングとされており、対義語は「一般国民」となります。

 池袋の悲惨な事件は、明らかに運転者の過失であり、警察もドライブレコーダーの解析でとっくに把握しているはずですが、ほかの同様な事件に比べて、何だか及び腰に見えるんですよね。それは運転者が大変に立派な経歴を持つ元官僚だからに違いないという声がツイッターで飛び交っており、「上級国民」としてハッシュタグになっています。

 まだまだ事実が判明していないので、「上級国民」であることがどれだけの影響を与えているのか分かりません。また、この言葉は様々な誤解や曲解を生みかねない危険性を孕んでいます。しかしながら、以前から続いてきた「格差社会」どころではない、ものすごい怨嗟が「一般国民」の間で渦巻いていることは率直に認めるべきだと思うのです。

 そして、こんな感情に火をつけるようなことを繰り返してきたのが、もしかすると「最上級の国民」と目される現総理ではないかと。だからね、モリカケ問題などをウヤムヤに片付けてフタをしてはいかんのです。透明感の高い公明正大で客観的な説明や政策運営こそが、「上級国民」なんていう、あまり芳しくない差別的用語を流布させない唯一の方法だとボクは思うんだけど、分かってもらえるかなぁ。

 

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2019年4月 1日 (月)

世論もファッション

 新しい元号が本日午前11時半に発表されるそうです。興味津々で発表を待っているというのが大勢のようですが、それ以前に、どうして元号が存在するのか、なぜそれが現代でも必要なのかという論議や解説・解釈がまるでないことに、軽い驚きを禁じ得ません。

 ボクは学校で日本史を勉強し始めた頃から、元号が面倒くさくて仕方ありませんでした。承久や天明だの万延だのと、大化の改新以来で元号は何と247個にも及ぶそうです。そのたびに、歴史がぶつ切れになってしまい、前後の流れが分かりにくいんだよな。要するにいつの話なんだよって思いませんか。しばしば言われることだけど、その頃にヨーロッパやアジアはどんな状態だったかという横断的な見方がしにくいのです。

 だからボクは大学の受験科目から日本史を早々に外して、難読な漢字名称も出てこない世界史に絞りました。それ以来、様々な出来事はすべて西暦で覚えています。とりわけ1989年1月8日からは平成に変わったので、昭和で言われても、いったい何年前のことだか分からなくなってしまうんですよね。

 もっと原則的なことをいえば、元号というのはそもそも「君主制」にもとづいた名称です。今回も生前退位という理由で元号が変わるのであり、国歌にしても「千代に八千代に」天皇家が永続するようにという願いが込められています。つまり改元というのは、そうした天皇制が今もって行政レベルで存続していることを劇的に再認識させる出来事なんですよね。

 ボクは思想的に右も左も構うことなく、保守とも革新とも言い切れないので、実に便利な概念である「象徴天皇制」に従います。実際問題として、国民を代表する伝統ある共通の親戚と考えれば、積極的に天皇制を排除する理由はもはやないですもんね。

 ヨーロッパでもイギリスのように立憲君主制というか、王室が健在な国はいくつもあります。しかしながら、それでも元号というのは寡聞にして知りません。西暦もキリスト教歴ですから、かなり長期にわたる元号の一種といえばいえなくもないでしょうが、いずれにしても、そうした議論や討論がまるでないということに、ボクは違和感を覚えてしまうんだよな。

 まぁね、世論もモードでありファッションと考えれば、左翼がカッコ良かった時代はとっくに大昔ですから、元号に関する論議なんてウザくて時代遅れといえるかもしれません。それにしても、何でもかんでもバンザイ三唱で意味や背景を顧みないというのも、ちょっと薄気味が悪いですよね。 

 こんなことを感じるのはボクだけなのでしょうか。なんてことを付け加えることが近頃はすごく多くなりました。

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2019年2月 1日 (金)

女の料理、男の料理

 

 日本では2017年に公開され、第89回アカデミー賞の6部門で栄誉に輝いた『ラ・ラ・ランド』という映画があります。まだ2年ほど前なので、「という」というのもヘンかな。

 

 この映画の中で、ライアン・ゴズリングがエマ・ストーンと同棲しながらも、バンドの巡業に同行して留守にするシーンがあります。彼女は寂しくて電話をかけるのですが、彼はステージ中らしいので、歩きながら留守電に長いメッセージを残して帰宅。すると、思いがけずゴズリングがキッチンで食事の準備をしており、「サプライズ!」と言いながら調理用手袋をつけた両手を広げて彼女を抱きしめるわけです。ここで「おや?」と不思議に思いませんか。

 

 男が料理を作って彼女を待っているんですぜ。この映画に限らず、アメリカのテレビドラマでも、男が「腕によりをかけて」彼女のために料理するシーンが案外少なくありません。けれども、日本では肉ジャガで好きな男をトリコにするとか、料理は女性だけの課題というか業務であって、男は今でも「僕食べる人」になっているんじゃないかな。

 ちなみに、某食品会社による「私作る人、僕食べる人」というテレビCMが女性差別だと猛批判を受けて放送中止になったのは1975年。何と44年も前のことですが、その批判を受けた状況はほとんど変わっていません。日曜昼に放送されるTBS系『噂の!東京マガジン』では、若い娘さんに料理を作らせて、その無知や不器用を嘆きながら嘲笑する『やって!TRY』というコーナーがありますけど、ここでも男は出来上がった料理を食べるだけですからね。

 

 「私作る人……」の1975年当時なら、どうして若い男にも「TRY!」させないのかとクレームが入っても不思議ではないはずです。ネットの一部では指摘されているようですが、このことだけでも、日本社会は封建的な保守に逆戻りしていると判断するのは間違いですかねぇ。

 

 テレビの話題でもうひとつ。CS放送のFOXで『ザ・ブレイブ:エリート特殊部隊』というテレビドラマがあります。選抜された精鋭の米軍兵士で編成された特殊部隊が世界各地で活躍するのですが、基地で屈強な男がチームのために煮込みというかシチューのような凝った料理を作るシーンがありました。このチームには女性の狙撃手も配属されていますが、彼女は母親が食事を作るところなんて見たことも聞いたこともないので、「料理はできない」と臆すことなく言うんですよね。

 

 こういうことをボクなりに前向きに解釈すると、料理というのは誰かを喜び楽しませる作業ですから、それを女性だけの専業にしておくなんて、むしろ男にとって逆差別になるのではないかということなのです。こんな話を学校で、あるいは家庭で聞いたことがあるという人は手を挙げてください。おそらく、ほとんどいないと思います。

 

 だからといってアメリカが完全に男女平等社会とは言いませんが、ボクたちは悪いことばかりを真似して、良いことをちっとも学んでいない。もうすぐバレンタインデーですけど、海外ではこれまた女性からだけでなく、男からも女性にプレゼントを渡していい日なのです。ボクは若い頃に外国人女性に「明日はバレンタインデーだよね」と何気に言ったら、「何をくれるの?」と逆に訊かれて軽いカルチュアショックを受けことがあります。ましてやチョコを渡すのは日本だけの風習なので念のため。

 

 そんなわけで、男にも料理教育を徹底すべきだと提案したいのであります。小・中学校に家庭科はありますが、ボクの経験では「おざなり」で実用性に乏しいんですよね。算数や理科など主要科目の一部を高校に回し、洗濯や裁縫にアイロンワーク、電気の配線から水まわりの修理なども含めて、家庭科を強化・充実したほうが自立の役に立ちますってば。

 それがもしかすると、セクハラ=女性に対する人権侵害を抜本的に駆逐するための有効な方法ではないかとも思うんですよね。

 

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2018年11月12日 (月)

イナゴの日

 

 以前にご紹介したテイクアウトの紅茶ショップに、どんどん人が集まっております。週末の夕方には数十人規模の行列ができているだけでなく、ドリンクを手にしたら、それと一緒に必ず自撮りですもんね。味もさることながら、「インスタ映え」する要素も強いのでしょうか。カップルもたまに見かけますが、ともかく若い女の子が圧倒的に多い。女性はネットワーク型の生き物なので(理由は前のブログを参照してください)、SNSで急速に情報が拡散しているんじゃないかな。彼女に連れてこられたと思われる男の子は、自分が行動の主体ではないせいか、ポツンと所在なさげなのが印象的でした。

 

 どういうわけか駅前のマクドナルドの周辺に人が集まって、不思議な雰囲気を醸していることもあります。友達連れもいるはずなのに、人だかりというほど密度を高めているわけではなく、異様に静かなんですよね。どうしてだろうとしばらく観察して、ようやく分かりました。皆さんスマホに見入っており、つまりはポケモンをやっているらしい。いかなる新種か珍種かは知りませんが、それが出没することを、こちらも人伝てならぬSNS伝てによって拡散したんじゃないかな。知り合いでもない人が蝟集しているので、「やぁどーもどーも」というオッサン的な挨拶もなく、それなりの距離を置きながら、ただただスマホをいじっているのです。

 

 こうした風潮を不愉快とか気に入らないということではありません。公的な歴史には残されていませんが、似たようなことは大昔からあったはずです。ただ、流行が過熱すればするほど冷えるのも早いのが人の常ですから、あの紅茶ショップも、いずれは潮が引くように客がいなくなることは十分に考えられます。それが年内か、それとも来年以降かは知りませんけどね。

 

 実際に、まだオープンはしていますが、一時期は大きな話題になったトンカツ屋さんも「今は昔」という風情になっています。ネットの普及で、マーケティングは牧歌的なプロペラ機の時代からジェット機になったという分析もあるようですが、何のことはない、要するに話題になったもん勝ちなんですよね。それが炎上だろうが何だろうが、SNSで頻繁に取り上げられるようになれば、集客そのものは大成功間違いなしってことです。

 

 けれども、ブームが去った後はどうするのでしょうか。それも見越した価格設定をするとなれば、近年の流行は短命化してきたので、資金回収を急ぐなら高価にならざるを得ません。かといって、SNSの主役である若い子たちが手を出しにくい価格になれば、話題にのぼる可能性も乏しくなります。このあたりの採算判断が実は最も難しいところじゃないかな。

 

 いずれにしても、数年間をビデオの早回しで見たとすれば、局所的に人が集まり始めて、みるみるうちに増加したと思えば、しばらくすると別の場所に向けて一斉にいなくなる。これって、イナゴの大群に似ていますよね。

 

 アフリカなどの大陸に突如として大発生し、草という草を食い尽くして地面を丸裸にしたら、次の場所を目指して大移動する。このため数年は食糧生産ができなくなり、飢饉になることもあったそうです。

 

 調べてみて初めて知ったのですが、普通のイナゴはそんな大災害をもたらすことはないそうです。トノサマバッタなどが「相変異」して大量発生することが、蝗害(こうがい)と呼ばれる現象を引き起こすとされています。「相変異」はボクもまだちゃんと理解していませんが、「個体群密度」の関係で一斉に変化するらしい。何かの理由でバッタが大発生して幼虫が過密な環境で育つと、尋常ではない形態変化を起こすと考えればいいのかな。たとえば翅が長くなる一方で足が短くなり、頭とアゴが大きくなるだけでなく、それまでは食べなかった植物までエサにするようになる。そして、普通の種は互いに離れようとするのに対して、近づき合ってやたらに群れることが顕著な特長なんですよね。

 

 人間だって狭い地球上に75億人もいて、1年で7000万人ずつ増えていますから、バッタと同じように「相変異」しつつあると考えてもヘンではないでしょう。翅はなく、2本足で姿カタチは太古からまったく同じとしても、手にはスマホがあり、クルマなどの高速移動手段を私有しています。それによって、美味しい場所に先を争って大移動し、消費し尽くしたら一斉に次の場所を目指す。ホラね、誰かの行動をみんなが真似して追っかけるというのは、まさにイナゴと大差ないじゃないですか。人類全体が「相変異」によって完璧にイナゴ化する日は、そんなに遠くないような気がする。これって、宇宙人の眼から見たら生物学的なホラーといってもいいんじゃないかな。

 

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2018年11月 6日 (火)

換骨奪胎

 

 捉え方で意見は180度違ってくると思いますが、日本人は歴史的に物真似が上手ですよね。しかも、みごとに換骨奪胎することで、特有の文化として定着させてきました。

 

 はい、例のハロウィーン騒動であります。そもそもの背景や意図や目的なんかそっちのけで、仮装だけがどんどん増殖。しかも、どうして渋谷かという理由もまるきり不明のままに11月の風物詩になろうとしています。ほんの5~6年前には「ハロウィーンって何?」という人(ボクです)も少なくなかったのに、渋谷のバカ騒ぎはマスコミ報道によって全国に波及。わざわざこの日のために上京してくる若者も珍しくないようです。

 

 それをやみくもに批判するようになったらジジーになった証拠だけど、いかに日本流に加工しようが、もともとが「模倣」であることに哀しさや寂しさを感じないのかなぁ。「ラップ」もアメリカの下層階級が路上の音楽として生み出したものですが、あたかも昔からあったかのように日本語で歌われるようになりました。ボクはそれを聴くたびに、日本語がケガされるように感じて気分が悪くなり、耳を覆いたくなるんですけどね。

 

 そんなことを言ったら、バレンタインデーもクリスマスも結婚式も、ボクたちが着ている洋服でさえ欧米のパクリではあります。今では英語まで公用語になりつつあるので、「模倣」の何が悪いと反発されるかもしれない。

 

 オリジナルをゼロから創造するのは大変に困難であり、それが広く認められるにはもっと大変な忍耐と労力が必要になるので、ビジネスとしては二番煎じのほうが楽でトクに決まっています。市場競争は賑やかなほうが消費者の利益になりますが、ボクが憎むのは、それを恥ずかしいとはいささかも感じていないってことです。先頃は中国の「無印良品」が日本の本家を訴えて主張が認められるという驚天動地の判決が出たようですが、底知れない図々しさは大陸流で大違いといえども、真似て恥じないメンタリティはあまり変わらんとボクは思うんだけどなぁ。

 

 そうした「模倣」に慣れてしまうと、独創的な発想はむしろハイリスクとして排除されるようになります。だから、オブジーボも実用化まで右往左往。海外の企業に譲渡される寸前に日本の製薬会社が渋々引き受けたらしい。

 仮装して大騒ぎすることに文句はありません。若者は勉強と同時に騒ぐのが仕事でもあります。大昔は全共闘なんていうのがあって、新宿の地下道や横須賀などでいろいろやっていました。けれども、どんなに変質しようが、もともとは欧米の習慣のパクリから始まったことを少しは恥じてほしいなぁ。含羞こそが優れた知性の証であると、オッサンは思うのであります。

 

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2018年11月 5日 (月)

監視社会(後)

 

 ずいぶん前のことなので、時の経過にちょっと驚きましたが、米軍の施設で「象の檻」が話題になったことがあります。通信を傍受するためのアンテナが大きな檻のようになっていることから、そう呼ばれたのですが、敵国の動向だけでなく、民間の通信までチェックしていることが大問題になりました。つまり、プライバシーの侵害、もっと言えば人権侵害の疑いがあるわけですね。

 

 ところが、米国では2001年9月11日に発生した同時多発テロのおかげで、同年10月26日に「愛国者法USA Patriot Act」が発効。アメリカに対するテロの疑いがあると判断された事件では、私権の侵害もやむを得ないと法的に認められたのです。確か犯罪者の取り調べも、弁護士の立ち会い抜きで可能になったんじゃないかな。悲惨なことに、日本では昔からそうですけどね。

 

 それだけでなく、あちこちに膨大な数の監視カメラが設置され、肖像権もへったくれもなく、どんどん撮影・記録されるようになりました。事件の犯人特定や犯罪予防に役立つのも事実ですが、ボクのようにブサイクなあまりに写真なんて嫌いだぁという人でも、おそらく結構な量の画像データが蓄積されているはずです。

 

 さらには、インターネットの電子メールやSNSなどの傍受もやっているに違いありません。そして、アメリカがそうなら、同国をおよそ10年遅れで追いかけてきた日本も、似たようなことをしているに違いないと見当をつけることができます。

 

 そもそも電子メールは電話や電報とは大違いで、街角に立って大声で会話しているようなものだといわれます。だからボクは、他人の中傷誹謗や悪口や批判を一切書いたことがありません。反社会的な予備軍はもちろんとして、普通の人も常に監視されていると意識したほうがいいんじゃないかな。

 

 さらに、前回も書いたように、国民が同じ国民を監視するようになることがホントに怖いことなのです。

 

 太平洋戦争の頃には、大政翼賛会の末端組織となった町内会に「隣組」という制度があったそうです。江戸時代の「五人組」を継承したもので、民間も力を合わせて戦争を支援するために、銃後の思想統制や相互監視の役割を担っていたとされています。たとえばジャズを英語で口ずさめば「敵国の言葉だ音楽じゃないか」とか、ビアノを弾けば「この非常時に」などと非難されたわけです。それだけならまだしも、「あそこの家の息子はアカらしい」なんて、共産党員の密告や摘発も積極的に協力していました。

 

 そんなプライベートな情報は隣近所でしか分からないので「隣組」だったのですが、今や時間・空間を問わないインターネットの時代ですからね。実際に、某ジャーナリストが中東で3年以上に及ぶ拘束から解放されると、「自己責任」という声が嵐のように渦巻きました。ジャーナリストが現場でどんな活動をしているのか知らなくても、その社会的な意義についてまるで無知であっても、感想だけは誰でもアップできるのです。

 

 個人がパブリックに、あるいはSNSで意見を表明できること自体は決して悪いことではありません。ボクはかつて「草の根民主主義」として評価したくらいです。しかしながら、近年の傾向は「炎上」という言葉が象徴するように、袋叩き的な糾弾も目立ちます。もしかすると、トントントンカラリの「隣組」も、すでにSNSに引っ越したのではないかと思うくらいです。

 

 テクノロジーは決して後戻りすることなく、一方的に進化してきましたが、人間性やメンタリティなんてほとんど変わっていません。時には後退することだって珍しくはないでしょう。2000年以上も前に書かれた『論語』は現代でも十分に通用します。だったら、日本の戦前戦中の「隣組」が非制度的で無意識なカタチで復活することもあり得るのではないでしょうか。

 

 願わくば、そんな息苦しい社会になりませんように、とひたすら願うだけなのが悲しい。これが考え過ぎなら何よりなんですけどね。

 

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2018年11月 2日 (金)

監視社会 (前)

 

 ボクは一人っ子で、小学校の頃から父親の身勝手な転職による引っ越しを繰り返しているうちに、どんどん変人化すると同時に、アウトサイダー的な感覚が強くなりました。生まれた時から継続的に所属しているコミュニティがなく、親戚も極端に少なかったので、つまりは身近な利害関係者が乏しいことから、いつも状況を外側から判断するようになったということです。

 

 そんなボクにとって、近頃ひどく気持ち悪いなぁと感じるのが、スマホなど情報機器の発達による「見える化」です。この言葉は別の意味で使われている経営用語ですが、これまでは知ることができなかった個人情報がどんどん可視化しつつあります。有名人でもないのに、ネットで個人データを検索・収集できるようになっただけでなく、どこの誰がやっているかは知りませんが、「位置情報を知らせてもいいですか」などと問いかけるサイトもあるじゃないですか。ボクはどんなことにも「拒否」のボタンを押してきましたが、今後はそんな奴には閲覧させないなんてことに発展しそうな予感もします。

 

 コンビニでモノを買えば、カードでポイントを貰えるかわりに、詳細な購買履歴が記録されます。今は「ビッグデータ」などとオシャレな言い方をしていますが、その履歴をクレジットカードの氏名・年齢・住所などと紐付けすれば、簡単に個人の生活全体を見透かすこともできるではありませんか。

 

 かくて、これまでは「不特定多数」とまとめられていた群衆が、次第に「特定多数」になりつつあるわけです。それによって何が可能になってくるのでしょうか。ズバリ言えば「監視」なんですよね。それも、情報社会の頂点に君臨する“ビッグ・ブラザー”だけでなく、みんながみんなをチェックする「相互監視社会」になっていくのが怖いのです。

 

 すでに、ツイッターなどの発言が簡単に「炎上」するようになっており、そうした圧倒的な世論に対抗できる人はそんなにいるものではありません。学校の教室と同じイジメが、SNSなどのネット社会でもどんどん発生するようになり、そうした状態を意識すればするほど、発言も行動も同質化せざるを得ないじゃないですか。

 

 もともと日本は同調圧力が極めて強く、ボクは幸いに無神経だったので天の邪鬼を通すことができましたが、これからはそうはいかないでしょう。タレントでも歌手でも、すでに才能だけで好き嫌いが語られる時代ではなく、性格や個性も「良い子」でないと支持されないようになっています。たとえば歌手なら歌さえ上手であれば私生活なんて余計なオマケだとボクは思っていますが、もはやそんなのは少数派といっていい。「会いに行けるアイドル」のおかげで、エンジェルは天界から地上に墜ちてしまったのです。

 

 そんな状況に無理なく順応できる人は気づかないでしょうが、日本全体が学校の教室のようになりつつあるように思うのです。長くなったので、このテーマは来週も続けます。

 

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2018年9月13日 (木)

またまた断念

 

 どうもね、ドコモのガラケーは電波をケチり始めたのではないかと疑っております。すいません、文系なので、それ以外にうまく説明できないのが悔しいのですが、Iモードの動きが急にダルくなり、特に頻繁に愛用しているリモートメールの接続に時間かかり過ぎなんですよね。長くなり過ぎて「接続できませんでした」という表示もしばしば。以前はそんなことなかったし、スマホ全盛のいま時、ガラケー愛用者が急増して電波利用者が混み合っているなんてこともあり得ないじゃないですか。

 

 あくまでも憶測ですが、Iモードはもはやドコモのお荷物になっているんじゃないかな。ガラケーも補修用部品の生産がとっくに終了しているので、Iモードの電波設備も段階的に整理し始めているような気がします。経営的にも、スマホに一本化したほうがコストダウンできますからね。

 

 というわけで仕方なく、再びスマホを探すことにしたのですが、ボクの望むスペックがまったく見当たらないのです。条件はできるだけ軽く、極力薄いこと。ところが、ゲームをやりたい人には画面はデカいほうがいいらしい。そんなわけで、ボクのような選択をする人は極端なマイノリティらしく、販売店の店員も当惑しておりました。

 

 どうせ彼らの多くはたまたま野菜でなくクルマでもなくスマホを売っているだけですから、ファッションと同じでロクな知識もないだろうと、ネットで調べましたよ。軽量薄型がないわけではなく、重量60グラムなんていう、それでホントにスマホかと疑わせるモデルも発売されているのです。ただし、中国製。うーん、ちょっとね。それで検索要件をドコモに絞ってみたら、やはり100グラムというのがあったのです。

 

 それで再び販売店に行ったら、「うちにはないですねぇ」。「だったら最軽量のモデルはどれ?」と聞くと、シニア向けの「らくらくホン」と言う。それでも重量は130グラム。サイズも小さくない。即座にNGです。やっぱね、頼りにならなねぇなと、事務所に戻って調べ直したら、ななななな何と、ボクが見つけた軽量モデルは2011年の発売で、オマケに今は生産中止だってさ。そんなもん販売店にあるわけがない。

 

 どうやら7~8年前はボクのようなコンパクト志向が少なからずあったらしく、その要望にソニーが応えたようですが、あんまり売れなかったみたい。行きつけのラーメン店もうどん店も潰れるし、「これだ!」とネットで見つけたスマホも廃版かぁ。ボク自身もトレンドオフなのでしょうか。

 

 再度、再度みなさんに問いますが、あんなにもデカいスマホをスーツのポケットに入れて、型崩れしませんかね。明らかにスマホと分かる四角い膨らみが胸のあたりから突き出ていても平気ですか。ズボンのポケットに入れたとしても重ったるく感じませんか。ボクにはとても耐えられないんだよな。カバンの中に入れるという方法もあるでしょうが、ボクはスーツを着用する時は手ぶらを原則としているのです。

 

 というわけで、今の100グラムの小型ガラケーですら、外出時には持てあますくらいなので、やっぱ当分はスマホなんか買わないぞと、改めて決心した次第なのであります。

 

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