笠木恵司の主な著書

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福助くん その6

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    福助くん、9歳の秋です。 ちょっと長めの散歩をして、世田谷公園へ。 紅葉と福助をご覧くださいまし。

福助くん その5

  • 赤いサルビア♪
    2010年秋の福助くん。とある週末に埼玉県所沢市にある航空公園に行ってきました!

福助くん その4

  • 1 毎年恒例の・・・
    今さらですが、今年の花見の福助くん。ご近所の目黒川に行ってきました。

福助くん その3

  • 1 田舎に行ってきました!
    飼い主の田舎に行ってきた福助。うららかな春を迎えた大自然のなかで、いつもと違った表情に。

福助くん その2

  • 定位置
    平日は会社にいる福助。こんな感じの毎日です。

福助くん その1

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    笠木の飼い犬。甘えん坊でちゃっかり屋の8歳。雄。

スマホ・インターネット・パソコン

2020年7月21日 (火)

合理的にやろうよ(後)

 

 大昔に、たまたま同じ会社の広告部のエライ人と飲む機会があり、彼が「営業は足で稼ぐもんだ」と豪語したので、「企画と成果じゃないんですか?」と混ぜっ返して激怒されたことがあります。冗談半分、どころか9割が本気でした。長居する会社じゃないと割り切っていたので、どう思われても構わないと覚悟していましたが、ボクが退職するまで「くそ生意気な若僧」と目を付けられていたかもしれません。

 それが今では「オンライン営業」ですからね。けれども、そのエライ人が「ゴメン。お前が正しかった」と詫びに来るはずがない。テクノロジーの端境期には、こうした守旧派と改革派(ともボクは思っていませんでしたが)の軋轢はむしろ普通であって、さらにさかのぼった大昔には「電話で原稿依頼なんて失礼だ」と怒り出す作家がいたそうです。つまり、実際に足を運んで訪ねるか、肉筆で手紙を書けということです。

 前述のエライ人にしても、とにかく最初はむやみに体力や労力をかけることが「尊重」「尊敬」を意味していたんですよね。文明の利器は、便利だからこそ礼儀知らずとなるのです。やがて電子メールが全盛になってくると、電話どころかファクスの使用頻度も激減。ボク自身ですら、顔も声も知らない人から電子メールで原稿を依頼され、掲載誌が送られてきたかと思えば、銀行に料金が振り込まれるというケースもありました。

 しかしながら、リアルな対面を重視する精神性は21世紀になってしばらくしても変わることはありませんでした。そうした日本独特のメンタリティが、昨日も述べたように、新型コロナ禍によってガラリと変わってきたのです。接触すれば感染可能性が高くなるのですから、ともかく遠隔のオンラインにするほかない。学校の対面授業にしても、席を間引きしてきちんと社会的距離を取っておかなければ、たちまちクラスター発生です。だからといって教室を広げるのは簡単なことではありません。新型コロナが沈静化しても、以前のような密度に戻すわけにはいかないので、対面とオンラインの交代制というかハイブリッドになるでしょうね。

 それでいいんじゃないかなぁ。守旧派と改革派の対立はイヤというほど実体験してきたので、今さらエピソードを連ねる気はありません。ただひとつ言いたいのは、子供や生徒、学生たちをファーストと考えるなら、通学だ、いやオンラインが、と画一的に考えるのでなく、彼ら自身が授業方法を選べるようにしたほうがいいんじゃないかな。初等教育なら体力や性格や生活環境、そして学習進度などに合わせて、オンラインと集合教育を複合的なメニューとして組み合わせていく。中等から高等になれば、生徒や学生自身がアラカルト的に科目と授業方法を選べるとかね。後者は実際にやっている大学があります。

 いずれにしても、これまでの教育は教員、いや文部科学省かな、あるいは学習指導要領かもしれないけど、そうした上からの都合を優先し過ぎていないかとボクなんかは体験的に思うわけです。教員とは長い時間にわたって学校でお付き合いして貰ったことは事実であり、感謝しておりますが、それが果たして学習成果に結びついたのかなぁ。ボク自身はすごく不自由で息苦しかったという記憶が残っています。

 そのせいか、高校1年の時に勝手に自主休校したことがあります。朝からフラリと長距離電車に乗って、中央線の奥まで行きました。この時の解放感は今でも忘れられません。それで勉学が遅れたかというと、そんなこともないんですよね。現実には1日や2日くらいどおってことはないのです。

 いずれにしても、もっと合理的にやろうよ。そして、もっと自由に生きようよ。無理な頑張りが過度に評価される時代も終わりにしようじゃないですか。さもなきゃ、こんな酷い災厄を経験した意味がない。新しいノーマルは、以前に比べてアブノーマルであるべきです。絶対に後戻りしてはいけないとボクは思います。

 

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2020年7月20日 (月)

合理的にやろうよ(前)


 どうして毎日毎日、学校に行かなきゃいけないんだろうと、小学校の頃から不思議に思っていました。だったら宿題なんか出すなよ。長い夏休みも宿題漬けで乗り切れるというなら、普段の授業だって代替できるはずですよね。

 高校に入学してからは、集合教育という言葉を覚えると同時に、知識や技能だけでなく、社会性の習得も重要な課題なのかなと気づきました。友達付き合いや、先輩たちとの円滑な交流や礼儀やマナーなどを体験しておかないと、学校を出てから死ぬまで続く社会生活に適応できないからです。

 けれども今では、もしかすると学校の先生たちの都合で、わざわざ通学させられていたんじゃないかと疑うようになりました。知識やスキルは必ずしも学校に行かなきゃ身に付かないものではありません。ボクの親父は尋常小学校中退でしたが、優秀な旋盤工だったそうです。学歴がなくても会社を興して成功した人だって珍しくありません。

 しばしば最重要だと考えられがちな社会性にしても、それを無視する乱暴者や無礼者は世の中にうじゃうじゃいるじゃないですか。それどころか、ルール破りは総理大臣をはじめとして、立派な大学を卒業した高級官僚の皆さんが率先してやっています。汚職はもとより、公的資料の改ざんにも手を染めていたではありませんか。おかげで自殺に追いやられた国家公務員もいるくらいです。

 こんな結果になるのなら、子供たちに重いランドセルを背負わせて学校に毎日通学させなくてもいいじゃないですか。特に近年は情報通信技術の発達で、世界の裏側にいてもリアルタイムで顔を見て話すことができるようになったんだからさ。

 ところが、ボクのように考える人は少数派だったらしく、日本の教育におけるデジタル化やネットワーク化は世界に比べて著しく遅れていました。高度な技術力を持っているはずなのに、やっていることは極めて保守的。それを最先端の現代性と伝統の融合と褒めそやす人たちもいないわけではありませんが、いい加減にしろよ。古いものを開発の美名のもとにどんどん壊してきたじゃないか。そんな正体が、今回の新型コロナでモロばれになってしまいました。旧来のやり方や習慣を変えるのが面倒でイヤなだけだったんですよね。

 ボクたちの仕事でも、以前からSkypeという便利なオンラインミーティングのソフトがあったのですが、ほとんど利用されることはありませんでした。海外在住者を取材する時は使用したのに、国内では対面が最優先されてきたのです。確かにオンラインより実際の面談のほうが情報量は豊富です。言葉以外の複雑なニュアンスや雰囲気をキャッチできますからね。ボクもジェスチャーというノンバーバルな表現が多い人間なので、最初はオンラインが苦手でした。

 でもさ、それならもっと論理的に、分かりやすく話をすればいいだけのことです。そんなことよりも、対面取材する現地までの往復時間と手間と負担を省略できるメリットのほうがはるかに大きい。にもかかわらずオンライン取材がちっとも普及しなかったのは、取材相手に対して失礼という配慮があったからではないでしょうか。

 こうした「社会的精神性」が、テクノロジーよりも優先されるのが日本という国の際立った特長だとボクは考えています。とすれば、学校で対面の集合教育が重視されるのは、やはり先生の側の理屈または利便性に過ぎなかったのではないでしょうか。だってさ、親も子供たちも教育方法を選べないんですぜ。自宅学習やフリースクールという方法もあるけど、現実には落ちこぼれと見なされますからね。形式知だけでなく、言外の暗黙知を体感するという意味も見逃せないにしても、だからといって毎日通学する必要があるのかなぁ。親の都合ということもあるんですけどね。

 長くなったので、明日も続けます。


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2020年7月14日 (火)

オンライン


 このところ取材が続いております。とはいっても、ZoomまたはTeamsによるオンラインが多く、以前ならあり得ないスケジュールも可能になったから面白いですよね。

 取材先に出向くのであれば、1日に2か所程度が精一杯で、遠方なら1か所でもヘトヘトになりことがあります。ところがオンラインの取材なら移動時間はゼロですから、地域がバラバラで複数が連続したところで不可能ではありません。ボクのようなジェスチャーの多いノンバーバルなオジサンは慣れるのが大変で、今でも広げた腕が目の前のパソコンにぶつかって画面がユラユラなんてアクシデントもあります。けれども、その利便性はあまりにも革命的なので、もはや元に戻ることはないはずです。

 ただし、オンラインのミーティングは新型コロナ禍で突然に発明されたわけではありません。Skypeという先行アプリがあって、先進的な人たちはとっくに使いこなしていました。ボクも横浜国大の教授にインタビューする時に利用したことがあります。それでも重要な案件とか、メディアの取材はやはり対面という意見が支配的だったのです。

 それがガラリと変わったのは、亡くなった方々には申し訳ありませんが、新型コロナウイルスのおかげといえるでしょう。学校も会社もロックアウトされて入れない。自宅などでテレワークとなれば、交流手段はオンラインしか方法がありません。そこで、たちまちZoomが燎原の火のように拡大。おかげさまで、オンラインに対する伝統的な偏見や抵抗感が完全に払拭されたのです。

 さもなければ、取材させていただく側から「オンラインではいかがでしょうか」なんて言い出せませんよ。もちろん先様から「オンラインでお願いします」と依頼されるほうが圧倒的に多いですけどね。こうした人たちは皆さん、変化を前向きに捉えていることが共通しています。それと同時に、対面で語り合う重要性もきちんと認識されているわけです。

 新型コロナは現在進行形の災厄ですけど、物事のありようをガラリと変えました。ニューノーマルとか、新しい日常様式とか言葉はいろいろですが、デジタルシフトを促進したことが功罪の功であることは間違いありません。その利便性を多くの人が体験しつつあるので、どんどん加速されていくのではないでしょうか。過去を懐かしむヒマがあったら、新しいアプリに慣れろよと叱られそうです。

 そうした行動様式の変化が、いずれボクたちの精神性にも大きな影響を及ぼすことになります。それこそが、ボクが長年言い続けてきた個性と自主性なんですよね。

 いずれ詳しく解説しますが、人から言われるままに勉強して良い学校に入って、大会社に入社して、口を開けて何かを待っているだけではダメな時代になります。第一に、そんな受動的な人材はもはや会社が引き受けてくれないでしょう。畢竟、何のために生きるのか、どう生きるのか、どうありたいのかという、これまでは「青臭い」と片付けられてきた疑問が大切になってきたのです。

 その「青臭い」と嘲笑した連中が、実はものすごく受動的で保守的で、自分から何も発想できない人たちであることも、いずれバレるんじゃないかな。そんなわけで、ボクたちは革命的な変化の真っ只中にいる。そのことだけでも面白いと思いますぜ。

 

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2020年6月12日 (金)

保存しない

 

 どうして「保存しない」なんていうボタンがあるのでしょうか。

 昨日は締め切りでありまして、朝から愛用のAirMacで原稿に取り組んでおりました。昼飯も食べずに集中したおかげで、2時ころにはほぼ完成。何かを口に入れるために、いったん机を離れることにしました。この時なんですよね、間違えたのは。所定の行数を大幅にオーバーしていたので、苦労して短縮した後です。ワードの文章を終了させる場合は、上部のバーメニューから「名前を付けて保存」とか「保存」を選ぶのですが、ボクはこれが面倒で、ドキュメント画面の左上にある赤いボタンを押すことにしてきました。こうすると瞬時に終了画面となり、「保存」「キャンセル」「保存しない」という3つのボタンが出てきます。

 普通はね、「保存」を押すんですよ。作ったばかりの文章をすぐに廃棄するなんてことはしません。ところが、文章を依頼通りの行数に短縮してはいても、元の状態の文章も残しておきたい。そんなわけで、というか、何を考えていたのか、早い話が間違えて「保存しない」を押しちゃったんですな。直後に「しまった!」と気づいても、時すでに遅し。心臓がバックンと鼓動して全身が熱くなる一方で、背中がひんやりです。

 朝からタイトルも付けず保存もしないで取り組んでいたので、今さらファイルのどこを探しても見つかるはずがありません。同じことを10年ほど前にやったことがあるのに、懲りずに再びやっちまいました。仕方がないので、前の文章を思い出しつつ、ゼロから書き直しであります。神々の指示で山頂に大岩を運び、ようやく積み上がると転げ落ちて、また運び上げるというカミュの随筆『シーシュポスの神話』を思い出しました。

 徒労の極致だけど、責任は自分にあるのだから誰にも文句は言えません。でもさ、「保存しない」というボタンがどうして必要なのかな。いらない文章であればゴミ箱に入れればいいじゃないですか。それを後で確認してから廃棄すればいい。なのに、文章をいきなり消去するボタンがあるからこそ間違えてしまうわけですよ。

 ボクのようなバカに配慮した工夫を「フール・プルーフ」と呼びます。「フェイルセーフ」という格好いい言葉もあるのですが、どうもシステムエンジニアはボクたち文系をバカにしてんじゃないかと感じることがあるんですよね。「保存しない」というボタンも、そんな気配を感じるんだよな。

 なくても済むようなボタンをわざわざ取り付けなくたっていいじゃないか。2回も似たような文章を書いたんですから、愚痴のひとつも言わせてくださいよ。

 

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2020年5月28日 (木)

ZOOM!

 

 このところZOOMの取材が続いています。既知のお相手なら別かもしれませんが、初対面の場合はどうしてもぎこちなさが伴います。

 それ以前に、どんな格好で臨むかというあたりから、ちょいと悩まされました。在宅あるいは事務所で気軽にアクセスできるので、うっかりするとボサボサ髪にトレーナーなど、ラフなままでパソコンに向かってしまいます。コロナ渦に対応した「新しい生活」「新しい日常」が提唱されているので、それでも許されるかなと一瞬は思ったのですが、いやいやそんなはずはなかろうと。リアルな対面取材では(ヘンな言い方ですよね)、ネクタイはないにしても、最低限の礼儀として、肩のしっかりしたジャケットにワイシャツ着用を自分に課してきました。それがパソコンの画面になろうが、取材であれば同じことです。それで慌ててジャケットを着込み、鏡に向かって身だしなみを整えました。とはいっても、やはり緊張感に欠けるんですよね。何ともいえないだらしなさを感じるのは、ボク自身の心のありようが問題なのでしょうか。カメラ映りに慣れていないこともあるんでしょうね。

 もうひとつ注意したのは、背景です。ZOOMでは会話に空気感が伴わない反面で、発信者の環境が案外分かってしまうんですよね。このため「壁紙」みたいなものを設定できるらしい。たとえばパリのエッフェル塔をバックにするとか。それもひとつの方法ではありますが、敢えて話者の環境を見せることも積極的なコミュニケーションのような気もします。ボクの場合は大きな本棚があるので、それを背景にして、何者であるかを意識していただくように留意しております。真っ白な壁なんかより、取材者であることを認識しやすいのではないでしょうか。 

 それよりも大切なのは、会話の切り返しですよね。相手が話している最中にかぶせるように質問するのは失礼だとは思うものの、待っているうちに話題が移って接ぎ穂を失ったり、お互いが遠慮して沈黙したり。でもって、いきなり同時に話を始めるなど、タイミングがなかなか難しい。2人ならまだしも、多数になるといよいよ大変なことになるので、サインや合図が必要かもしれません。 

 そんなこんなで、ある程度の慣れが必要であり、ルールや礼儀みたいなものもこれから形成されていくと思いますが、物理的な空間を軽々と超えられることは大変なメリットです。ある場所まで身体を運ぶ時間も不要になるので、「時空」と言い換えてもいいのかな。 

 固定電話&ファクス世代のボクには、人間が持つ固有の雰囲気が伝わってこないことに大いなるもどかしさを感じますが、リアルに対面しているわけではないので、当然といえば当然。さもなきゃ実際に面談する必要性というか、出会う楽しみがなくなってしまいますよね。 

 そんなわけで、こうしたオンライン・ミーティングが常識化していくことは間違いないと思います。電子メールのように、ルールや礼儀を共有できるようになれば、使い勝手もより向上していくはずです。正直にいえば、ボクはまだ違和感がありますが、新型コロナ以前の世界に戻ることはもはや不可能。海援隊の名曲『思えば遠くへ来たもんだ』(1978年)で過去を懐かしむのも、まだまだ早い中途半端な時期ですけどね。

 

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2020年3月19日 (木)

ヘタな言い訳


 ずいぶん以前から、パソコンやITのサポートはロクなものじゃないと感じてきました。

 ハードとソフトウェアの2系統の仕事で成り立っているせいか、たとえばビルが倒壊して「設計に問題があった」「いや施工側の手抜きじゃないか」みたいな責任転嫁が珍しくなかったからです。長く使い続けてきたMacで「マイクロソフトに聞いてください」と何度言われたことか。それで問い合わせてみると、今度は「機械またはOSのほうに問題が」と、タライ回しというより、行ったり来たりのピンポン状態になるわけです。さすがに今はそんなことはないだろうと思っていたら、いやいや世間はそれほど甘くはありません。

 ボクはドコモのスマホを使用しているのですが、ある日の夜中あたりに突然、OSをアップデートするという告知。敢えて逆らう理由も知識もないので、素直に従いましたよ。ところが、朝になってセットしたはずのアラームが鳴りません。目覚ましより早く起きるのが日常なので、実害なんぞありませんが、ヘンだなと思ってタイマーをテストしてもやはり鳴らない。あちこち考えられるところをすべて自分なりにチェックしたのですが、ウンともスンとも、じゃなかったリリリともジジジとも言わない。徹頭徹尾、無音なのであります。

 それで仕方なく、遠隔サポートに連絡。すると、やはりOSの入れ替えの際に、何かの設定が変わったらしい。このため、時計のアプリを初期状態に戻すことで鳴るようなったのですが、その後でオペレーターが「実はOSのメーカー側で……」などと、ボクには聞き飽きた言い訳が始まりそうになったのです。「それはユーザーに関係ないことですよね」と制止したつもりですが、なおも続けようとする。それで「ボクはドコモのスマホを買ったのであって、OSの会社がどうのこうのなんて、そちら側の内部問題ではありませんか」と指摘したところ、ようやく引き下がってくれました。もしかしてキレ爺みたいに思われたらイヤだなぁ。

 ことほどさように、複雑な機械は複数の開発会社がかかわってくるので、トラブルの言い訳をしようと思えば簡単なんですよね。しかしながら「アイツのせいだ」「いやオマエが」という不毛な押し付け合いの被害者は、ユーザーにほかなりません。そこのところを皆さん正しく理解されているのでしょうか。

 こうしたつまらない習慣がいつ頃から始まったのか、時代遅れの素人には見当もつきませんが、相田みつをは「うばいあえば足らぬ、わけ合えばあまる」と言っております。責任も義務もちゃんと分け合って問題解決にあたってくれないかなぁ。そうした姿勢がなければ、進歩はいずれ限界にぶち当たると思うんだけどね。

 

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2019年10月31日 (木)

スマホは本当に必要か

 

 またまたバカなことを言うと思われるだろうけど、スマホって本当に必要でしょうか、そもそもケータイって、そんなにも日常生活で役に立っているのかなぁ。

 物心がついた時から移動体通信(古いね)が身近にあった若い人たちにとっては、冷蔵庫やエアコンなどと同じで、それがない生活なんて考えられないだろうけど、電化製品が急速に普及したのは60年代ですからね。

 ボクの世代ではケータイ自体が特別なハイテクでした。外出したら公衆電話が普通。その当時を思い返してみると、そんなにも不便ではなかったと思うんですよね。小銭が必要なので、むしろ電話での会話は必要な要件だけに凝縮していたような気がします。ダラダラと電話で長話するのは、つきあい始めたばかりの恋人たちくらいでしょう。

 やがてケータイが普及し、テキストも打ち込めるスマホ時代が到来しました。そりゃね、単純に昔と比べれば便利に決まっています。特に台風などで被災した時には必需品といえます。でもさ、そんなことは年に数回あるかないかですよね。日常生活に限れば、ないならないで済むんじゃないかな。ジーサンの懐古話というのではなく、ケータイがあるから移動先からの会話が増え、スマホがあるから文章も頻繁に行き交うようになったのではないかな。つまり、なければないで生活できたのに、それがないと無理と思い込んでいるだけのことなんですよね。

 第一に、あんなものを持ち歩くのは物理的な負担と感じませんか。ボクは重くて邪魔だと思います。たまに事務所に置き忘れて買い物に行くこともあるけど、戻ってきた時に気づいたりしてね。

 ボクたちはスマホを便利に使いこなしているように見えますが、逆にスマホの奴隷になっているのではないか。そうした視点から物事を改めて見直してみることも必要だと思うのです。

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